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第3回NSRI都市・環境フォーラム

『都市代謝系エンジニアリングの変遷と課題(エネルギーと環境の史的概観より) 』

講師:  水野 稔 氏 大阪大学名誉教授

 
                                                                           

日付:2008年3月19日(水)
場所:日中友好会館

                                                                            
1.産業革命とエネルギー

2.石炭と近代都市

3.化石燃料はすごい

4.ワットの功罪

5.勝ち組国家の要件としての動脈系の構築

6.都市におけるCHPの評価

7.エネルギーと都市環境問題

8.静脈系の整備

9.地域環境問題の解決方法

10.高煙突の評価

11.そして地球環境問題

12.情報を出さない巨大インフラ

13.動脈・静脈系完備都市から代謝系都市へ

14.建築末端論から建築中央論へ

15.デマンドサイドシステムエンジニアリングの重要性

フリーディスカッション



 

 

與謝野 皆さん、こんにちは。
それでは、定刻となりましたので本日のフォーラムを開催させていただきます。
  皆様におかれましては、大変お忙しい中、また今日は天候が少し不順な中をお運びいただきまして、また長年にわたりこのフォーラムをお引き立て賜りまして、誠にありがとうございます。
  さて、本日のフォ―ラムでは、「代謝系から都市をとらえる知の体系」と言いましょうか、都市の構造を「生き物の体」に例えまして、その新陳代謝の営みの仕組み、つまり、代謝系の視点から都市と環境とをとらえる「エンジニアリングの知の体系」について、その歴史的変遷からお話頂き、代謝系から都市を捉えるという視点のそもそもの意義と現代のさまざまな課題等について皆さんとともに学びたい、とこのように思います。
  本日の講師としてお招きいたしましたのは、この分野の権威であられます大阪大学名誉教授の水野稔先生でいらっしゃいます。水野先生のプロフィールにつきましては、受付でお渡ししましたペーパーのとおりでございますが、大阪大学工学部の機械工学科をご卒業されまして、長年にわたり環境・エネルギーシステムを研究され、多くのすぐれた研究成果を世に示されるとともに優秀な人材を多く育て上げられました。数年前には空調・衛生工学会会長も歴任された後、昨年、大学を退職されまして、現在、大阪ヒートアイランド対策技術コンソーシアム理事長をお務めになっておられます。
  本日の演題は、前に掲げているとおりでございまして「都市代謝系エンジニアリングの変遷と課題(エネルギーと環境の史的概観より)」としておられます。
  それでは、お忙しい中を遠く大阪からお越しいただきました水野先生を大きな拍手でお迎えいただきたいと存じます。(拍手)

水野 ただいまご紹介いただきました水野でございます。昨年の3月に大阪大学を定年退職いたしました。本日のお話は、大学の環境工学専攻、最近は環境・エネルギー工学専攻と言うんですが、そこでの私の最終講義を少しアレンジした形でお話させていただきたいと思います。
  ご紹介にもありましたように、長年、エネルギーと環境に関連する分野に携わらせていただき、いろいろ見聞きしたことを1つのシナリオにまとめました。かなり雑駁ではございますが、皆様方の何らかの参考になれば幸いだと思っております。

1.産業革命とエネルギー

(図1)
  これは、本日の予定、概要です。産業革命以後の化石燃料の使用はずっと増加してきた。まずは技術者として基本的に知っていた方が良いと私が思う史実をいろいろと紹介させていただきたいと思います。
  本日のテーマは、都市代謝系です。都市代謝系というのは、例えば、都市の中へエネルギーや物や水が入ってきて、都市を機能させ、最終的には廃棄物となって出ていく、そういうシステムを言います。そのシステムは、サプライサイド(供給サイド)、それとそれを消費するデマンドサイド、それから出てきたものを片づけるディスポーズサイド、この3つのサブシステムから成っています。
  これが歴史的に整備されてきた。都市代謝系を人体になぞらえて見ると、例えば、サプライサイドは動脈系です。ディスポーズサイドが静脈系。最初は、動脈系がひたすら物を都市へ運び込んできた。その結果、何が起こったかというと、「地域環境問題」です。それではいけないと言うんで、静脈系を備えよう。そこで、動脈・静脈系完備都市というのが目指された。歴史的にはつい最近であり、1970年頃はこういう都市が理想都市だと言われたわけです。
  その結果、何が起こったか。現在の「地球環境問題」が起こった。こういう若干、紋切り型のシナリオですが、当たり前のことをある程度当たり前に言う人というのが、多分世の中にはいるだろう。定年退職を迎えた私に相応しいかなと思っております。
  最近は、持続可能代謝系という概念で、動脈、静脈という形ではなくて、「サプライサイド」「デマンドサイド」「ディスポーズサイド」から成るトータルシステムという概念で都市をとらえないといけない時代になってきました。
  そこで何が大事かと言うと、デマンドサイドのシステム技術。この分野の人たちが頑張らないといけないよ、という話をさせていただこうと思います。
  私は、機械科を卒業いたしまして、いろんなことをやりましたが、最終的には建築設備、空気調和・衛生工学を主とした場におりました。要するにデマンドサイドシステム技術であり、我々が頑張らないといけないよということで、同業者にエールを送る、ということが発想のもとになっております。
(図2)
  歴史区分においては、社会を支えたメインのエネルギーが変わってきました。社会とか文明のあり方が人類を補助するメインのエネルギーと非常に絡んでいます。
  一番昔は、採取時代です。採取時代は、自然が固定した太陽熱のフローを我々がいただいて生活する。そういうところでは、働くことはあんまりいいことではない。働き過ぎると食い物をとり尽くしてしまう。ですから、採取時代のキーワードは「働くな。採るのは必要最小限だけ」という感じですね。今でもアフリカあたりの採取生活をしている人たちは、1日2時間か3時間しか働かない。あとはブラブラ遊んでいる。非常に優雅な時代でございます。
  その次にやってくるのが農耕時代です。農耕時代は、人間が支援して固定された太陽エネルギーのフローに依存する。フローに依存していますから、全くの持続可能社会ですね。農耕時代は、働くことが非常に良いことになって、スローガンとしては「働け、土地はいっぱいある」となる。
  なお、「働くな、採るのは必要最小限だけ」は、私が適当に作ったオリジナルの言葉です。農耕時代の「働け、土地はいっぱいある」はフランスの哲学者か誰かが言った言葉。それを知って、なるほどと思い、私がパロディで言葉を作りました。もとは誰だったか、ご存じの方がいたら教えて下さい。
  農耕時代が来ると、今度は「働かないこと」は良くなくて、「働く」ことが良くなってくる。こういう時代が来るわけです。

2.石炭と近代都市

(図3)
  次にやってくるのが工業時代です。工業時代は、私流に言えば「消費せよ。資源・環境はいっぱいある」。ここで初めて太陽エネルギーのストックに依存した社会ができてくる。これは非常に下手な暮らしです。少し冗談ですが、全部化石燃料にやらせるために、家庭崩壊を起こしている。もっと子供にいろいろ仕事をさせて参加させるといいと思うんです。全部化石燃料にやらせて破滅に至っている。こんな状況です。
  工業時代というのは、1800年からですから、まだ200年ぐらいしか経っていない。その話はまた後でいたします。
  今は、地球時代。地球時代は、「資源・環境は有限」。それを支えるエネルギーは脱炭素エネルギーだろうと思います。ここでは、「もったいない」がキーワード。工業時代以後は「地下資源」を使います。地上資源がどれだけあるか。例えば、太陽熱のエネルギーのフローの量ははっきり分かっています。ですから、資源に合わせた生活をデザインすることができる。しかし、地下資源はどれだけあるかよく分からない。分からないからどんどん使う。「先に使った方が勝ち」みたいな世界になっていて、非常に残念ですが、今の我々の時代は、「地下資源の採取時代」と私は思っています。再び、採取時代に戻っている。地下資源は勿論有限です。有限な資源に依存している社会であるということをしっかり認識するのが地球時代だと思います。
(図4)
  エネルギーと人類の歴史の別の見方をご紹介します。例えば「古代から中世へ」。古代の中心はどこか。南欧ですね。ギリシャ・ローマ時代は南欧です。それが中世に変わると西欧、北欧というところが中心になる。
  なぜ、南欧から西欧・北欧へ文明の中心が移っていったかと言うと、それは動力源が人力から馬力に変わったことが関係しています。南欧というのは、砂嘴地です。いろんな本を読んで考えたことを今日はお話いたしますので、私の作ったイメージでお話しすることがかなりあります。後でいろいろご追及下さい。いつでも撤回いたします。
  南欧は、砂嘴地で、土地の生産性が悪い。所謂2圃農法とか3圃農法というのがあります。2圃農法というのは南欧。西欧・北欧の3圃農法になると生産が1.5倍になる。人力から馬力に変わって、粘土質の土地が耕せるようになると、生産性の高い土地を利用できるようになって、中世に移っていったというものです。これは多分間違いないと私は思っています。
  これが、今度は近代になります。近代への社会変革を推進したエネルギーは火薬のエネルギーです。「火薬のエネルギーが中世の閉鎖社会の象徴である城壁を打ち破った」ということがよく言われますが、中世から近代は火薬という、生産性のエネルギーではなく、破壊のエネルギーが社会を変えた。
  これはまた後で関連してお話しいたします。
  現代は何がもたらしたか。近代から現代は、石炭に始まる化石燃料がもたらしました。これは勿論、生産のエネルギーです。このように、エネルギーと文明の変遷には密接な関係がある。こういうことも頭の中に入れておいた方がいろいろな意味で良いかと思います。

3.化石燃料はすごい

(図5)
  まず最初に、「化石燃料はすごい」というお話をさせていただきます。私は、「石炭とか化石燃料は自己増殖性の資源」という言い方をしております。石炭で石炭が掘れる。熱機関というのは、石炭のボイラーで蒸気機関を動かしているわけです。そういう熱機関は炭坑で生まれた。熱機関で動力が採れるようになり、石炭が掘れるようになって、また石炭が増える。
  もう1つは、石炭で石炭を運べる。蒸気機関車は、何をしたかと言うと、後で詳しく言いますけれども、ちょっと先取りいたします。「蒸気機関車ができて、我々はいろいろな所に旅行できるようになりました」と言いますが、蒸気機関車が運んだ最も意味のあるものは実は石炭です。石炭を石炭で運べる。これによって都市へも石炭をどんどん運べるようになった。このような背景があって、石炭需要が指数関数的に自己増殖性で増えていった、という事実があります。
(図6)
  石炭のすごさをお話しします。「石炭は森林の救世主」と言われております。中世に至って、造船、建築、燃料などで木材需要が増え、森林を奪った。森林が破滅に瀕したという事実があるわけです。その時に、燃料に関しては石炭に移行していったので、森林を石炭が救った。
  有名なのは、ダービー親子が、製鋼法なのか、製鉄法なのか、少し自信がないですが、コークスを使って鉄を造るようになった。それまでは製鉄業は、石炭が使えなかった。何故かと言うと、石炭の中に含まれている硫黄が鉄の中に溶け込む。そうすると、鉄がボロボロになる。仕方なく、イギリスの森林は、製鉄業がどんどん食いつぶしていった。もうこれはあかん、というところで、ダービーが親子で、コークスというものを使った鉄を造る技術を開発する。これで石炭がイギリスの森林も救うわけです。
  それから、「石炭は民族自立の父」。これは先程言いましたが、火薬エネルギーが中世の分散社会を破壊した。ここで、強力な火器を持つ中央集権国家が台頭してくるわけです。
  ところが、これは破壊のエネルギーです。これでは飯は食えない。こういった中央集権国家を支えたエネルギーは何かと言うと、他国に降り注ぐ太陽エネルギーです。
  この当時、植民地をとったり、東西貿易、貿易は名ばかりで、世界各地からの略奪です。こういうことをして中央集権国家を支えたわけです。
  ところが、ここで化石燃料の登場です。化石燃料があれば、もう他国に降り注ぐ太陽エネルギーに頼る必要はなくなる。こういう形で、民族自立ができ、インドなどいろいろなところが独立するわけです。
  ガンジーが偉かったことも当然でしょうが、私は石炭も偉かったと思います。植民地がなくても人間は暮らしていけるようになった。ですから、「石炭は民族自立の父」という言い方をしています。
(図7)
  それから、「石炭は人口急増の父」。ここでは父としましたが、広辞苑によると、母というのは「生み出すもと」と書いてあります。父は「先駆者」と書いてあります。正確な父、母の使い方は、「必要は発明の母」、「近代医学の父」、という使い方です。ここでは「父は、腹を痛めないが生み出すもととなる偉大な存在だ」、という形で定義します。
  デカンショ節によりますと、「おやじはただ一しずくの寄与」とかいうのもございますが、堅いことはいわないで、「父」としました。
  石炭は「人口急増の父」です。「一石四食」とありますが、これは私が作った言葉です。
  「一石四食」は、化石燃料が1つあると、飯が4つ増えるという意味です。最初は「一石三食」と言っていたんですが、最近は「四食」にしまして、更に誇張するようになってきました。
(図8)
  化石燃料があると、まず、強力開墾ができるようになる。これは石炭ではなく、石油の時代ですが、トラクターがあると畑をすごく耕せて、一食増えるわけです。それまで畑を誰が耕していたかと言うと、馬が耕してくれていた。馬は、力があって、良く仕事をするけど、飯を沢山食う。馬がどれくらい飯を食べていたかと言う時に私が使う例をお話します。3圃農法は3分の1の土地に小麦を、3分の1の土地にカラス麦を作って、3分の1を休耕田にする。それを1年毎に回す。
  カラス麦は誰が食べていたかと言うと、人間もある程度食べていたでしょうけれども、多分それは馬が食べていた。すなわち、3圃農法では、人間の食料と馬の食料のために、それぞれ同じ3分の1ずつ使っていたわけです。
  ですから、動力源として馬が要らなくなったということは、食料が倍増するということです。これで一食です。
  もう1食は、化石燃料からできる化学肥料で、もう1食は化石燃料から作る農薬からです。こうして、食料が飛躍的に増えたから人口が飛躍的に増えた。
  よく、公衆衛生が発展して、パスツールさんがどうのこうのとか言いますが、私は食料が増えたからに違いないと、余り調べないで勝手に言っているわけです。
  つぎの、「石炭は近代都市の父」。これはあとで述べます
  このようにすごい石炭ですが、今は、化石燃料は悪魔的で、石炭が酸性雨で森林破壊を始めている。一時森林を救ってくれた石炭が森林破壊の元凶になっている。また、最近は、化石燃料で動く自動車が、バイオフュエルという形で我々の食料を奪い始めている。
  今、現代社会が頼った化石燃料が悪魔というか、戯曲「ファウスト」の悪魔メフィストフェレスのような状況にあるように思えるわけです。
(図9)
  石炭需要がそういう意味でどんどん伸びてきた。どういうことが起こるか。これも非常に有名な史実なので、これは常識として知っておられる方が多いと思いますが、それまでは石炭を表層掘りしていた。ところが、石炭需要が伸びてくるから、炭坑が深くなってくる。深くなると、地下水が溜まる。この地下水を排除しないといけない。どうしたらいいか。当初は、馬とか水車がポンプを駆動して、水を排除していましたが、何とか自前の石炭を使ってポンプを駆動できないかという形で、石炭を燃やし熱すなわち蒸気を作る。これは熱力学でエントロピーがすごく増えるプロセスです。非常に野蛮な技術です。
  ところが、石炭が沢山ある場であるために、こういう技術が成立した。今、我々の文明は基本的にこれに頼っている。それが技術的に洗練され、洗練され、現状がありますが、やっぱり燃料を燃やして熱をつくるというプロセスが入っている。これは理想的な技術から言うと、非常に遅れてるんだけども、ここでスタートして、今こういうことになってしまっているという現状があるわけです。
(図10)
  初期の実用的な蒸気機関はニューコメンという人のエンジンでした。これは大量の石炭を消費するわけです。効率が非常に悪い。このニューコメンエンジンという蒸気機関が都市の動力になるには何が必要かというと、石炭をどうやって都市に運搬するかが大問題になるわけです。
  効率を向上させることは、石炭の運搬上の必要条件です。効率が倍になると、石炭は半分でいいわけです。非常に運びやすい。

4.ワットの功罪

(図11)
  ワットの蒸気機関が初めて都市の動力源になった。1712年にニューコメンのエンジンが実用化された。1760年頃、ワットエンジンができた。
  これはいずれも大気圧機関ですが、ワットエンジンは、ニューコメンのエンジンよりも格段に効率を向上させた。これによって、都市の動力源となり得たわけです。
  ワットは職人とか技術者でしたが、途中からビジネスマンでした。技術コンサルタントみたいなことをやっていたわけです。ワットエンジンを計画してあげて、ワットエンジンが稼いだお金の何%かをとる。そういうビジネスをやっています。
  動力の単位である「馬力」を作ったのはワットです。ワットが何故、馬力という単位を作ったかと言うと、ワットのエンジンは、当時の競争相手である馬何頭分の動力があるということで、自分の技術を売り込んだわけです。ここで「馬力」ができてきた。今は馬力というのは使わずにワットという単位が動力の単位になっています。
(図12)
  これがニューコメンの蒸気機関。火を炊いて、ボイラーで蒸気を作る。蒸気がシリンダーに入れられて、ピストンが上がって、こっちのポンプが下がっていく。一番上の上死点まで行くと、ここから水が出てくるわけです。水をパッとふくと、水が凝縮してこの中が真空になる。真空になるとピストンが下がる。使った水がまた循環する。この絵を見ると非常に面白い。工夫しているなと思います。ボイラーで作っている蒸気は大気圧、1気圧です。
  ワットは、これの何を改良したか。これも有名な話で、ご存じの方が多いと思います。ニューコメンエンジンの欠陥は、蒸気を溜める時はシリンダーの壁の温度が高い方がいい。ところが、水を入れて凝縮させる時には、ここは冷やすわけですから、壁の温度が低い方がよい。この壁は冷たくなったり温かくなったりする。蒸気を入れる時に壁が冷たいものですから、蒸気が凝縮してしまう。したがって非常に効率が悪い。
  ワットは何をやったかと言うと、別の部屋を作って、凝縮を専門にやる凝縮器と、蒸気でピストンを押し上げるシリンダーとを別にした。ワットの発明は「分離凝縮器」と言います。凝縮器を分離させて、それで冷たいところと温かいところと専用の仕事をするように変えたわけです。これがワットエンジンです。

5.勝ち組国家の要件としての動脈系の構築

(図13)
  電力はすごい。電力がすごいということをいうために、電力の用途を見てみましょう。日本で有名な電力を使った電気化学の財閥は、日窒コンツェルンと森コンツェルンの2つがあります。日窒コンツェルンというのは、野口遵さん、後々チッソを興す。森矗昶さんは、多分昭和電工だと思います。当時、電力の用途として森矗昶は、「明治は照明、大正は動力、昭和は原料」といったそうです。この流れで、電気化学工業を興した。
  照明時代を見てみると、今の原型があります。照明時代には、電力は夜間需要だけです。夜になって、そろそろ電気が欲しいねというと、蒸気機関を動かして電気を起こして供給していた。ところが、だんだん送電技術と大規模水力の開発が行われてきた。水力というのはダムを作ってしまえば基本的に24時間、無料の水でエネルギーを供給できるわけです。照明時代には夜間需要だけですから、日中に供給力が余っている。もったいない。ですから、日中に何とか需要を開拓しようということで、電気鉄道や電気化学工業をやったり、アルミの精錬をやった。今は逆ですよね。今は夜余っているから、夜に何とか需要開拓しようと考えている。
(図14)
  これは受け売りですが、名古屋電気鉄道というのは、余っている電力を利用して、官製の蒸気機関の鉄道、東海道線・山陽線と並列に、民営の電気鉄道を敷こうという壮大な構想のもとに創設されたそうです。
  京福電鉄というのは京都で走っていますが、福井へ行くと京福電鉄がまた走っている。私は中部の出身ですが、京福電鉄も名鉄と同じように、京都と福井を電気鉄道で結ぼうという発想で造られたのではないかな、という仮説を持っています。ただし、確認はしていません。
  いずれにしても、歴史的教訓として、ピークというのは非常に大事だと思います。ピークを伸ばすと不要な需要開拓が行われる。こういう形で、電気化学工業とかアルミの精錬などが興ったのですが、結局、オイルショックが来て困ったわけですね。ですから、需要のピークを伸ばすということは、こういう意味があって、できるだけピークを伸ばさない、そういうことが大事だといえます。
  私が「電気がすごい」といったら、「先生、ガスもすごいと是非言って下さい」とガス会社の人に言われました。ガスもすごいとは思いますけど、今日の話では止めておきます。
(図15)
  「現代の初めはいつか」に関して、いろんなことが言われていると思います。私は一切勉強してないんですが、1800年を現代の初めと位置づけたら良いと思っています。
  1800年というのは、ワットの特許が切れた年。ワットは1760年ぐらいから蒸気機関を造ったわけです。いつ頃特許を取ったのか知りませんが、40年間近くワットが広範な特許を押さえて、蒸気機関の開発を制御している。
  ワットは、ボイラーの高圧化に反対していました。それは何故かと言うと、高圧化すると危険だから。沢山の人がボイラーで死にます。ワットは、「私の目の黒いうちは高圧ボイラーは造らせない」という考えでした。ところが、ボイラーを高圧化しないと何ができないかと言うと、蒸気機関車が動かないんです。
(図16)
  類似の事例です。これは最初に紹介いたしますが、阪大の名誉教授である石谷清幹という私の恩師が書いている「工学概論」という本があります。そこに書いてあることの受け売りですが、エジソンという大発明家であると同時にGEを作った大事業家が、ある時失脚するわけです。エジソンは何故失脚したか。電気の交流化に反対したんです。何故かと言うと、交流にすると、すぐ高電圧ができて、電気で沢山人が死ぬだろうと言ったわけです。
  エジソンとワットという世界の2大発明家が、ともに危険性から技術開発の方向性を誤った。
  要するに、技術開発の方向は極めて難しい。だから、我々が間違えても当たり前です。
(図18)
  いずれにしても、1800年にワットの特許が切れると、高圧機関がワッと出現する。(笑)
  蒸気機関車は、蒸気圧と大気圧の間で、シュッポシュッポと元気がいいと言うんだけど、あれは大気圧蒸気を排気しているんです。もったいない。
  ですが、復水エンジンを積んで走るとなると、蒸気機関車は重くなるので、やむなくやっているわけですね。

6.都市におけるCHPの評価

(図18)
  また、うんちく話になって申しわけないですが、地域熱供給システムというのがありますね。所謂、地域冷暖房。これはもともと何からできたかというと、電力事業者のアイデアです。これは間違いないと思います。今言ったように、車に乗せて走らせるエンジンでは大気圧蒸気を捨ててしまっても仕方がない。ところが、地面に置いある発電機が大気圧の蒸気を捨てたらもったいない。これを何とか活用しようというのがCHPだったわけです。これはコンバインド・ヒート・アンド・パワー。熱と動力を結合させるということ、すなわち、コジェネレーションCGSです。
  欧米の地域熱供給は、もともと電力事業者のCHPだった。もったいないから発電所が熱供給をやっていた。
  ですから、もともとコジェネレーションは電力事業者さんがやっていた。ところが、最近はコジェネレーションをガス屋さんがやって、電力屋さんと競合するという構図になっていますが、何を隠そう、老舗は電力事業者です。
(図19)
  そこで、電力専用プラントというのが出てくるわけです。すなわち、復水発電と送電技術が発達してきた。復水発電というのはどういうことをやるかと言うと、蒸気圧と真空の間の非常に高い圧力から低い圧力までを活用する。これはいい変えると、高圧蒸気機関と大気圧機関がドッキングしたシステムです。
  そうすると、熱供給なんかする必要はない。ただし、そこでは復水用の冷却水が要るわけです。
  それと、火力発電は、大きなものを造れば造る程、効率が良くなる。スケールメリットが非常に顕著という点では、技術の中のトップクラスの技術であり、大型化すると有利になるという特性があります。
(図20)
  次に米国型と欧米型の発電所の違いです。もちろんこれには例外がいろいろありますから、全てがそうだとは言いません。一般に、米国型は発電所が大型化し、冷却水を求めて都市の外へ出ていきます。
  アメリカは何故そういうことができたか。これも完全にフォローはできていない私の仮説ですが、アメリカの電力事業者は、主として民間が運営母体であって、こちらの方が儲かるということになると自由にできる。
  発電所が都市から外に出ていってしまった。その結果、残された都市は、ガス事業者が熱専用地域熱供給システムとしてシステムを運転するわけです。ですから、電力事業者は、燃料から電力だけを取り出す。都市の中では火を燃やして熱をつくって供給している。全体から見ると、まずい状況です。
  有名なのは、アメリカのコネチカット州のハートフォード。これは世界初のDHC、すなわち地域暖冷房であり、1962年にガス事業者が熱供給を始めました。
  欧州型は、自治体が運営母体ということもあって、そのまま都市に残った、こういうことですね。
(図21)
  その後、欧州と米国はどういうことになっているかと言うと、もちろん全てとは言いませんが、欧州の先進地区は、当時最新動向から出遅れて、欧州型はどん臭いなと言われていたものが今ブイブイ言わせています。それは何かというと、熱供給システムをネットワーク化する。ネットワーク化するとどういうメリットがあるか。電力で考えてもらうとよくわかると思います。今、電力システムはネットワーク化されている。1つの大きなネットワークの中にいろんな発電所が連結されている。
  そうすると、どういうことができるのか。ベースロードに対して原発の容量を合わせておくと、原発がフル稼働できます。それと同じように、熱供給システムをネットワーク化しておくと、例えばごみ焼却とか工場廃熱というプラントがフル稼働できる。ですから、余り負荷がない時は、そういうものだけで運転して、化石燃料を使う熱供給システムを動かさない、ということができるわけです。
  日本でもそういうものを実現すべきと言われていますが、お金がかかるので、日本ではまだ実現できていませんが、欧州では、こういうのがブイブイ言わせているんです。
  アメリカはどうか。アメリカは熱専用プラントが、今はCHP化している。それはPURPA法という法律によって、こういったプラントから出てくる電力を買いなさいという、電力会社に買い取り義務を負わせたからです。
  ハートフォードのプラントなんかもそうです。10何年前ですが、行ってみたら、ガスタービンとか蒸気タービンを使ってきっちり発電している。
  つまり、欧州もアメリカも、CHPが地域の中のエネルギー供給システムとして非常に機能しているという現実があります。
  アメリカでは発電プラントが都市の外へ一旦出た。CHPが発電専用プラントとなって出たけれども、また都市へ戻ってきた。これはCHPで熱と電力を供給するという発想は、都市にとって非常に重要なものだということが歴史的経過で証明された。こういう1つの事例として位置づけできると思っています。

7.エネルギーと都市環境問題

(図22)
  蒸気機関車の意義ですが、石炭の陸送を可能にしたことが大きいと思います。それまでは石炭は船で運んでいました。当時のロンドンでは、石炭のことを「sea coal」と呼んでいたそうです。歴史書には、「sea coalって何だろう」という記事がありましたので説明します。ロンドンは海から何キロか離れていたと思いますが、ロンドンのテームズ川で海の方から船で運ばれてくる石炭をsea coalと言ったそうです。訳すと「海炭」。水運で、海から運ばれてくる石炭ということです。すなわち石炭は船で運ばれていた、そういう証拠になるわけです。
  蒸気機関車でそれを陸送できるようになった。そうすると、水運で運んでいる時に利用できた炭坑は川のほとり、海のほとりという線的な炭坑に限定されていたわけですが、石炭資源がここで線から面へ展開して、供給ひいては需要がどっと増えた。蒸気機関車が運んだものは、「人、原料、製品、石炭、そして喜びと悲しみ」。汽笛というのは非常に物悲しい。あの頃のことを思うと胸がキュッとするような気がします。今、新幹線でも喜びも悲しみも運ぶでしょうが、あの頃夜行で、傷心で長崎まで帰った。何かの歌にありますね。こういうものはスピードによってなくなっちゃった。
  いずれにしても、私がここで言いたいのは、蒸気機関車が運んだものの中に石炭がちゃんと入っている、ということです。
  日本でもそうです。石炭を運ぶ鉄道というのが敷かれている。遠賀川というのが九州にありますが、あそこが満杯になって、石炭が運べなくなって、あそこに平行に直方から芦屋まで鉄道を敷いて石炭を運んだ、という史実が、日本でもちゃんとあるんです。
(図23)
  水運は省エネです。それまでの動脈系というのは水運で、少し余分な話ですけど、アメリカとかヨーロッパは運河網を造って、物を運びました。船を馬や人が土手から引く。川下りの場合はいいんですが、上る時はどうやって上ったかというと、船を馬や人が土手から引く。運河なんか余り流れてませんから、下りでも馬や人が引いた。1頭で20人から30人乗りの船を引く。
  水運は省エネです。紀伊国屋文左衛門が富を築いたのも、省エネルギー手段である水運を利用してミカンを江戸に運んだからです。東海道で運んでいたら商売になりません。
(図24)
  私もアメリカに行った時に、運河を調べたことがあって、写真を撮りましたが、残念ながら写真がなくなってしまったので、絵をお見せします。これは馬が2頭で船を引いています。2馬力のエンジンで、こんな船が動かせる。どうやって急なところを上ったか、という話もいろいろありますが、いずれにしても省エネです。
  これは私の最終講義の中で出てきたパートカラーです。パートカラーを、皆さん知っていますかと聞いたら、ほとんど知らなかった。日活ロマン何とかというのは、パートカラーだったと思います。ずうっと、白黒でやっていて、大事なところだけカラーになる。みんな映画館に行って、白黒の間はボーと見ている、カラーになると興奮が倍増する。これからの地球時代、少ない資源で上手に暮らすパートカラーの発想を復活させるのは大事じゃないかと思います。

8.静脈系の整備

(図25)
  産業革命は、皆さんよくご存じだと思いますが、学生なんか余り知らない。僣越ながらここで、第1次産業革命と第2次産業革命は何が違うのか、という話をさせていただこうと思います。
  第1次産業革命は水車動力による工業発展。「機械技術が発展しました、生産が増えました」という形だけでは、産業革命とは言わないそうです。社会体制が変わる、すなわち、資本主義体制が大きく進展するということが産業革命の要件です。ですから、今、液晶パネルがパッと出て、産業革命かと言うと、そうではないと言わざるを得ない。
  水車動力というのが問題です。水車動力というのは山間部の動力です。第1次産業革命は、産業立地が山間地に限定されていた。機械が発達して生産力は増え、資本主義が大きく進展したけれども、巨大産業都市は生じなかった。それは何故かと言うと、人手とか原料、製品の輸送がネックだった。
(図26)
  第2次産業革命は、蒸気動力を核とする社会変化。蒸気動力というのは、今まで言ったので大体おわかりだと思いますけれども、蒸気機関車で産業立地が、山間部という動力立地から解放される。石炭を都市に運んでくれば、そこで動力が得られる。ここがすごく違うところですね。
  商業と工業が結びついた現代都市ができる。後程、電力によって都市は動力立地からも完全に解放されますが、第1次産業革命と第2次産業革命がすごく違うのはここなんです。それを可能にしたのは高圧機関。1800年にワットの特許が切れて高圧機関が作れるようになったというのが、現代の初めといったらいい。そういう考え方が背景にあるわけです。異論があるかもしれませんが、そういう単純な発想で私は1800年説というのを言っています。
(図29)
  現代的都市が成立するようになった。交易に都合のよい立地に大産業都市ができるようになった。ここでは、何をするのが勝ち組国家か。供給インフラを整備して、都市へどんどん運び込む。こういうことをした人が勝ちになるわけです。石炭から石油、天然ガス、燃料の流体化によって運びやすくして、供給インフラを整備して、誰よりも早く使って豊かになった国というのが、今のOECDとか先進国になるわけです。
  動脈系でどんどん運び込めばいい、これが勝ち組国家だよと言っていたのは、1960年頃のことです。一方で、搬入ばかりで大量消費をする。そうすると、何が起こるかと言うと、大気汚染などの都市環境問題、地域環境問題。日本の高度経済というのは、日本全体の供給インフラを整備した。石炭を切り捨てて石油に替わった。三井三池の大争議とか、あんなことをガーッとやりながら、石炭を切り捨てて、石油にして、運び込みやすくして、日本を世界の工場化してどんどん生産した。その結果、地域環境問題、公害問題というのが出てくるわけです。

9.地域環境問題の解決方法

(図28)
  地域環境問題も技術的に解決していきました。例えば、電力化が挙げられます。悪い言い方をすると、都市から汚染源を排除する。これは供給工学的解決。サプライサイドの改善です。それから燃料転換。よりクリーンで、強力な資源に乗りかえる。これも供給工学的解決です。先程言ったサプライサイドです。サプライサイドが努力している。
  ここで新たに登場したのが、ディスポーズサイドと私が呼んでいる処理技術。処理技術が処理工学的解決をした。衛生工学等、こういうものが生まれてきたわけです。
  この中におられるのは、主として建設工学の方だと思いますが、建設工学は何もしなかったか。ちゃんとやっている。高い煙突を造った。これも後で詳しく言いますけど、これはつけ回し工学的解決。建設工学は煙突を造って環境問題に寄与していると言えるかどうかは私もわかりませんが、一応絡んでおります。

10.高煙突の評価

(図29)
  ここで何が言いたいかと言うと、サプライサイドばっかりで都市、社会を造ってきた。「ディスポーズサイドというのが要るよ」ということになって、ディスポーズサイドというのを作った。環境の救世主として、処理技術が登場したのです。動脈系(サプライサイド)ばかりの工学体系。当時、工学部に私が入ったのは1962年ぐらいですけれども、このころはみんな動脈系で、物づくりばっかりやっていました。静脈系というのは全然なかった。公害問題が起こって気がついてみたら、工学部には、静脈系が全然ないねということになって、東大に都市工学、京大に衛生工学、北大に衛生工学、阪大に我が環境工学というのを作って、環境の専門家を養成した。
  当時、衛生工学できたわけですが、これには野望があった。野望というのは言葉が悪いんですが、人体の半分は静脈系であり、「衛生工学、すなわち静脈系は工学の半分ぐらいを占めるべきだ」という野望です。「今は土木の一弱小部門だが、現在花形の化学工学と組んで中心に躍り出よう」と考えていたのが、衛生工学だったと思います。
(図30)
  このようにしてディスポーズサイドが登場してきた。先程言いました地域環境問題に対して、我々はどんな対応をしてきたかという時に、ここに示した対応をエクステンシブな対応と言います。エクステンシブは外へ広がる。外延的、外へ延びる。処理技術は、典型的なエンド・オブ・パイプ対応。エンド・オフ・パイプ対応というのは、工場の排水管や煙突から汚いものが出てくる。このままだと環境に悪い影響が出てくる。だから、パイプ、(煙突や排水管)の端っこに技術を投入して、処理をして環境を守る。こういうのをエンド・オブ・パイプ対応と言います。
  電力化、燃料転換、高煙突も皆、エクステンシブな対応です。
  環境負荷を出す構造を問わないで、工場や都市の中で何をやっているかということを問わないで、エンド・オブ・パイプ対応などで専門家が環境問題を解決するというのがエクステンシブな対応です。
  星野芳郎さんという当時著名な技術評論家が、1970何年頃、我が環境工学科へ特別講演に来て、「尻ふき工学」とは言いませんでしたが、「鼻ふき工学」と言った。「皆さんには鼻ふき工学にならないで欲しい」と言った。「あなた方のやっているのは鼻ふき工学だよ」と言いたかったかもしれませんね。風邪を引いて鼻が出てくるから、鼻をぬぐっているがごとし。「こんな工学をやっていていいんですか」たいへんもっともな話です。
  もっとも、鼻ふき工学もエンド・オブ・パイプ対応ですね。こういうのを私たちは「エクステンシブな対応」、こう呼んでいます。

11.そして地球環境問題

(図31)
  こうして地域環境問題を改善してきましたが、地球環境問題が1990年頃から登場してくる。今までは専門家或いはエクステンシブな対応に環境対応を任せ、大量生産、大量消費構造をどんどん進展させてきた。その結果、上限の地球環境が変化してきている。こういうのが地球環境問題ですね。
(図32)
  先程少し建設工学が寄与していることとして高煙突の話をしましたが、高煙突というのは非常に含蓄がある、示唆に富む技術だと私は思います。煙突を高くすると、生産量を増やせる。こういう構造ですね。何故か。その論拠は、煙突から煙が出て、地面へ到達する時の濃度が人に影響するので、その濃度で規制をかける。着地濃度は煙突高さの2乗に逆比例するので、煙突を3倍にすると、9倍煙を出せる、こういうことになります。煙突はそういう意味でどんどん高くなったけれども、高煙突の欠陥は、地域と地球がトレードオフ関係にあること。トレードオフというのは、こちらを立てれば、あちら立たず、対立関係です。
(図33)
  煙突を高くすると、地域には良いが、地球に悪い。例えば、盆踊りで一番ポピュラーな炭鉱節。あれは三池炭坑の高煙突を讃える歌です。「煙突があんまり高いので、さぞやお月様煙たかろう」。お月様にはごめん、その代わり、周りの人たちは非常に良い環境で盆踊りを踊っている、そういう歌です。
  周りにはいいけど、全体にとってはよくない、こういう構造を持っている。ですから、地域エゴで煙突が高くなると地球が悪くなる、こういう構造を持っている。
  これも皆さんよくご存じの、日立の鉱山に「高煙突とアホ煙突」という話があります。最新型の高煙突は非常にいいけど、何故あんな低いずんぐりむっくりなアホ煙突を造ったのか。当時は高い煙突を造る技術がなかったから、できるだけ煙突は流動抵抗が少なくなるように、太い煙突にしましょうと言って、ずんぐりむっくりの煙突でした。それに対して、高くそびえるスマートな高煙突が近代的煙突だと言って、「従来型の煙突はアホ煙突」と言って馬鹿にした、こういう事実ですね。
  ところが、これは時代によって評価が変わってくる。地域環境が問題になる時代には、確かに低いとアホです。周りの人たちは困る。ところが、地球環境問題の時代になると、高くすると、周りはいいけれども、全体が悪くなるので、高い煙突がアホになる。
  また、高煙突の欠陥の1つは、情報の発信性がないことです。従って、「自律性がないシステム」という点が挙げられます。煙突が低いとどういうことになるかというと、周りの人から苦情が出る。「煙たい、何とかしてくれ」と、すぐ文句が出てくる。「あ、そうですか、じゃあ」と、燃料を良いのに変えたり、生産工程を見直したり、ブレーキがかかる。ところが煙突を高くすると、周りの人たちは盆踊りをやって踊っている。しかし、遠くが悪くなる。
  有名なのは、アメリカの五大湖の工業地帯で煙突を高くした。そうすると、煙がカナダへ流れて行って、カナダの森林破壊が起こった。カナダが、それが原因だと言って国際問題になったが、国境の壁があり、アメリカに文句を言っても、アメリカは、因果関係がはっきりしないと言って、非常に問題が難しくなったという事実がある。高煙突の欠陥の1つです。
  煙突が低いとすぐブレーキがかかる。低い煙突の時に煙の問題を解決するということは、地球環境も解決するということにつながるわけです。トレードオンという言葉があるかどうか知らないけれども、低煙突の場合は、周辺と地球の環境問題がトレードオン、両立するよということです。
  高煙突のようなトレードオフになる構造を作っていたのでは、地域と地球がトレードオフになってもめる。こういう構造にすることは地球環境問題時代には非常に大事だと思います。
  なお、先ほど述べた「エクステンシブな対応」という用語は、高煙突のように、環境を広げて問題解決を図るという所から来ています。

12.情報を出さない巨大インフラ

(図34)
  巨大化システムというのは、問題構造が見えにくくなる、こういうところがあると思います。ついでに、皆さんに是非知っておいていただきたい用語で、「飲水思源」という言葉があります。「飲水思源できない現代都市の巨大上水システム」。これは末石富太郎阪大名誉教授、わが環境工学科の育ての親みたいな方の言葉です。
  中国に「飲水思源」という4文字熟語がある。末石先生の記事は、中国の水道技術者が大阪市の非常に大きな近代的な浄水場を見学した時、案内をした人が「素晴らしいでしょう」と言ったら、中国の技術者は、「市民は飲水思源できるのか」と質問した。こんな主旨でした。こんな巨大システムで市民は水を飲みながら、源を思うことができるのか。源を思うというのは、井戸を掘った人の苦労を忘れるなということのようですが、源がどういう状況かとか、いろんなことを含んでいると思います。今の大阪市民は、水を飲みながら、この水はどこから来て、今そこはどういう状況にあるということを全然考えないで飲んでいる。今の上水システムでは、水はお金を払って手に入れる「商品」化している。そうすると、お金さえ払えば、水は欲しいだけ手に入れられる。需要が伸び、ブレーキがかからない。需要が増えてくるとともに、水源が遠隔化してくる。これは欠陥システムである。末石先生の記事はこういう主旨でした。
  大阪は実は琵琶湖で止まりますが、東京は、どんどん水源が遠くなって、ますます「飲水思源」できない。ますます水需要が増えて、自律性のないシステムになる。なるほど、それはもっとも話だなと感じました。もっとも大阪の人が「飲水思源」をすると、どういうことになるかというと、私たちは京都の下水を飲んでいるということがわかるんですね。あんまり気持ちのいいものではありません。しかし、そういうことはやっぱり必要なわけです。
  私が末石先生の「『飲水思源』できない現代都市の上水システム」のもじりで、「『排便思末』できない現代都市の巨大下水システム」という言葉をつくりました。これはわかりますね。かねてから中国の人に通じるのかは疑問でしたが、昨年上海で講演の機会があり、こういう話つきで「排便思末」といったら、「わかる、わかる」といってくれた。中国のことわざにはないかもしれないけど、「排便思末できない現代都市の巨大下水システムは欠陥システムだ」。
  今、都市の水システムを作る時に、何が大事かというと、「飲水思源」ができて、「排便思末」ができる。こういうシステムを造らなければいけない。すなわち情報システム。その1つのポイントは、余り大きなシステムを造らない。できるだけ小さなシステムにする。後でホロニックという話に行きますが、そういうことは非常に大事だと思います。
  ですから、「飲水思源」と同時に、水野作成の「排便思末」を頭にインプットしていただければ光栄に存じます。
  情報発信性を持たない現在の巨大供給・処理インフラ、これでは自律性が欠如します。これらはサプライサイドが造ったシステム。ディスポーズサイドが造ったシステムです。このシステムはともに巨大過ぎるなど自律性がないシステムで、こういうシステムで我々は生活している。
(図35)
  電力・ガスシステムも同じです。「使能源思源」と「排熱思末」。我々は、能源(エネルギー)を使って源を思うことができますか。エネルギーを使って熱が出た、これがどうなるのか考えたことありますか。これは確認はしていませんが、おそらく「ない」。
(図36)
  この絵は、要するに、サプライサイドが造った電力のシステムを説明しています。お父さんが子供に、電力とはどういうものかということを教えている。「電気なんて簡単なものさ。線が2本あるだろう。こっちの線から電気が流れ込んできて、あっちの線から金が出ていくんだよ」と教えている。素晴らしい説明ですね。まさにこの通りだと私は思います。
  サプライサイドが、機能だけを果たしてお金を集めるために造ったシステムですね。こういうシステムを子供に教えて、子供は「理解できた」ならこわいことです。このシステムの欠陥は何かと言うと、情報発信性がない。問題の本質が伝わらない。
  従って、電気が大事だという発想も余り浮かばない。ですから、電気がないよ、エネルギーがないよと言ったって、都市の電力消費が減るかというとなかなか減らない。
  これを造った技術者の地位はどんどん低下していく。この子は、大きくなって、私は電気の技術者になろう、こういうシステムを見ながら思うでしょうか。多分思わない。
  私は、この電力システムはまだまだ手抜きのシステムだと思います。線が2本しかない。もう1本少なくとも線は要るだろう。その線は一体何の線か。電源立地と都市を結ぶ情報を伝達する線です。こう言ったら、「今、電気は、先生、3本ですよ」と電気会社の人に言われたことがあります。その時はやむなく「くだらぬことをいうな」と怒っておきました。
  これは沖縄問題も同じと思います。沖縄の人たちは基地としてさまざまな問題を負担する、その代償としてお金が流れてくる。電源立地、原発立地の所もそうです。現地の人が何が不満かというと、「都市の人、本土の人たちは私たちのリスクとか苦労を全然理解してくれない」ということ。
  沖縄の場合ももっと情報を伝達しなければいけない。例えば、「修学旅行は沖縄に必ず行く」という法律を作って、向こうへ行って現地を見て、現地の人と話をしてくる。そうすると、税金を投入しなくても、お金は修学旅行の旅費で観光立地として落ちる。原発も全く同じだと私は思います。
  こういう情報発信性ですね。必ずしも、システムを小さくしなくてもいろんな工夫で情報発信というのはできるわけです。もっとそういうことに力を注いで考えなければいけない、こういうふうに私は思うわけです。ちょっと熱い話でしたけど。
(図37)
  ここには、情報発信性のない都市インフラについて挙げてあります。今、都市インフラには、いろいろなものがありますが、情報発信性がない。シリコンバレーのハイテク汚染。阪神大震災時の淡路島でのガス中毒事故。高い堤防、真空パイプごみ収集システム、阪神大震災的地震。これらは、全て情報発信性がなくて、大きな問題を起こしている。今日は時間の都合で説明は省略します。

13.動脈・静脈系完備都市から代謝系都市へ

(図38)
  基本的には動脈・静脈系完備都市。こういうのを1960年から70年頃にかけて、或いは80年頃にかけて理想的な都市だという形で我々は一生懸命造ってきた。
  ところが、これは基本的には大量消費社会を志向している。動脈系はできるだけ沢山消費して欲しい。電力・ガスもできるだけ消費して欲しいというのが、背景にあると私は思います。
  大量消費社会で、他への完全な依存システムになっていて、ここでは自分で立つという自立性が全くない。
  それから、サプライサイドとディスポーズサイドが分業体制になっている。循環化しようと思うと、全然連携がとれない。
  それから、消費セクターが不活性。自律性がないから、地球が危ないと言っても、なかなかブレーキがかからない。
  供給と処理を見ると、供給は民間企業として利潤を上げるという形でシステムを推進させています。処理の方は、産業廃棄物は別として、一般廃棄物は公共の仕事としてやっているから、いろんなツケが静脈系に回ってくる。
  それから、何よりも地球温暖化問題です。当時理想としていた動脈・静脈系完備都市が、この問題を加速させている。
(図39)
  分業体制は、サプライサイドはひたすら供給する。処理工学(ディスポーズサイド)はひたすら処理する。デマンドサイドはひたすら消費する。これでみんなハッピーと言っていたんです。
(図40)
  「サプライサイドの努力の結果」を述べます。「先生はいろいろ悪口ばかり言う」と言うのですが、私は決してそういう人ではありません。サプライサイドが努力して便利で快適で安価な生活ができるようになりました。経済が発展しました。ところが、サプライサイドが努力したけれども、オンサイト資源が失われてきている。例えば、阪神大震災で、井戸水がどこかにあると思ったが、どこにもなかった。更に、市民の無関心。自立性がない。資源・環境問題を起こしている。
(図41)
  「功か罪か。安いエネルギーコスト」ということについて考えてみます。電力1kWh25円です。ガソリン1リットルは150円ぐらい。そのうち税金が53.8円。今、特定財源でもめているところです。よくこれだけとるなと感心しているんです。
  例えば、炭素税は、トンカーボン当たり3000円と言われていますが、それをガソリンの炭素に乗せると1リットル2円ぐらいになります。これを乗せると、国民は怒るだろうと言っているんです。こういうことは皆さんご存じだと思いますが、私も電卓をたたいて初めて、あ、こんな少しかと思いました。電気だったらkWh0.2円ぐらいです。
  炭素税トン3000円を集めると、炭素税財源で1兆円ぐらい集まるんです。その1兆円を二酸化炭素削減に投入したらいいと私は思っている。もちろん、大口のところ、産業界には大きなお金になるかもしれないけれども、1リットル2円、こんなものです。こういう情報をもっと流して訴えたら国民はオーケーと言うのではないかと私は思います。他にもいろいろ問題がありますから、金額だけの問題ではないのも事実ですけど。
  例えば、電力1kWh25円がいかに安いか。私がいつも説明しているのは、死ぬ程自転車を1時間こぐ。よく科学博物館へ行きますと、ワットメーターつきの自転車がありますね。あそこで私が一生懸命こぐと、大体60ワットぐらいしか出ません。100ワットというのはプロレスラー並みかもしれません。死ぬ程自転車を1時間こいで、100ワットアワーです。これの10分の1です。2.5円です。大体100ワットぐらいを人間が出せることがわかっていれば、テレビと摩擦自転車をつないで、テレビが見たかったら自転車をこぎなさいというアイデアが湧きます。そうすると、頑張れば大体見れる。体重を落とすために摩擦熱を作ってという馬鹿なことがない。ただし、一生懸命こいで節約できたお金はどれだけか。2.5円。これでは誰もそんな馬鹿なことはしないで、電気を買うでしょう。私は、電力は、これの10倍ぐらいの価格でもいいんじゃないかと思っています。
  それから、ガソリンは中東から持ってきて、精製して税金53.8円も乗せて1リットル130円です。ミネラルウォーター1リットル200円、輸入しているのはもっとするものがありますね。私は、このような安いエネルギーの供給が功なのか罪なのか良くわからないという側面があると思います。
(図42)
  ディスポーズサイドは、何をしたか。地域環境問題をちゃんと改善してくれました。ところが、市民が無関心、自立性がない、サプライサイドのツケが回ってきてしまった。循環化できない。処理している人が循環化しようと思わない。それから、地球環境問題を助長してしまった。こういうところがあると思います。
(図43)
  私がいつも言っているのは、地球環境問題の理解についてです。どういうふうに理解するのか。私の理解をご紹介します。もはや、頼るべき専門家や外部は存在しない。すなわちエクステンシブな対応はもう終わりです。基本的にはインテンシブな対応ということをやらなければいけない。こう理解すべきと考えています。
  動脈・静脈系完備都市という発想から、持続可能代謝系へ、こういうものに移らないといけない。すなわち、当たり前のことですが、大量消費・大量廃棄構造を転換することが根本的に大事。これが環境を救う道だということをしっかり認識したい。
(図44)
  そこで、都市代謝系です。最初から言っていますが、都市を生体に見立てて、供給、消費、処理のシステムを1つの系として見る。
  都市を流れるものに対して、物質が流れていく物質代謝系、水が流れていく水代謝系、エネルギーが流れていくエネルギー代謝系、まだあるかもしれません。情報がここに入るかどうかはちょっとわかりません。流れるものには相互に関係があるから、統合代謝系というのを考えてやっていかなければいけない。
  地球時代の都市代謝系ということは、資源消費、環境負荷を最小化にする、こういう持続可能都市代謝系という発想で我々は考えていく。
(図45)
  こういう見方でいくと、今までの都市の発展はどうだったか。都市代謝系の発展段階です。第1世代の都市代謝系は、動脈系の完備。第2世代は動脈と静脈系の完備。DSというのはデマンドサイドで、デマンドサイドを中心とするトータルシステムを第3世代の代謝系として整備する。都市代謝系と言えるためには、第3世代を実現しないといけません。こういう言い方ができると思います。
  ところが、エネルギーシステムはまだ第1世代なのではないですか、ということを私はいつも言っています。例えば、第2世代で動脈・静脈とありますが、水の場合、動脈は上水です。静脈系は下水です。ちゃんとシステムがあります。物質代謝系はどうですか。動脈は物流システムです。静脈はごみ処理。では、エネルギーの場合は何ですか。動脈系は電力であり、ガスであり、石油である。静脈系はありますか。ありません。
  それが何を起こしているかというと、ヒートアイランド問題を起こしている。エネルギーシステムは第1世代といいましたが、エネルギーシステム関係者の名誉を少し挽回するために、エネルギーに関しては、第3世代が少し入っている。今、電力会社もガス会社も供給会社ではありません。エネルギー会社は市民がどういうエネルギーを使うかというところに食い込んで、デマンドサイドをかなり中心にして事業展開をしている。そういう意味で、エネルギーシステムは1.3世代。こういういい方ができると思います。
  ですが、やっぱりエネルギーシステムも静脈系を備えないといけない。それがヒートアイランド問題の解決につながる、そういうことを言っているわけです。
(図46)
  地球温暖化対応を考える時は、環境負荷CO2を計算する。それは(@エネルギー消費量)×(A排出係数、排出原単位)で、これを小さくすることが地球温暖化対応です。@を減らすのは誰でしょう。デマンドサイド対応です。排出原単位を減らすのは誰でしょう。サプライサイドです。ここにディスポーズサイドはお呼びではない。
(図47)
  ところが、ディスポーズサイドというのは環境の専門家を自負しておられます。しかし、地球温暖化では今言ったように専門家ではあり得ない。そこで、指令者、管理者としてキーを握ろうとしているんですね。
  多分、この中の多くの人はデマンドサイドの技術者だと思いますが、デマンドサイドシステム技術者は、こういう人たちにキーを握られていて、そのまま黙っていていいでしょうかということです。
(図48)
  デマンドサイドというと消費者なのか、建築関係の人なのか、私の話はそこが曖昧ですけど、デマンドサイドのエネルギーを使う人たちは消費者です。消費者はお客様。確かにずっとそうですね。甘やかされてきたデマンドサイド。消費者はサービスの享受者である。
  ところが、消費者或いはデマンドサイドのあり方が強烈に問われたことは今までなかったかと言うと、そうではない。私が一番これまでそうだなと思ったのは、1970年代のオイルショックの時。資源問題で、エネルギーがないとなったわけです。ここで、デマンドサイドから、エイモリ・ロビンスという人が「ソフト・エネルギー・パス」という本を書いた。
  エイモリ・ロビンスさんが言ったのは、これもよくご存じだと思いますけれども、今、「エネルギーがない、ない」と言って、「サプライサイドを強化しよう」ということを世の中は考えている。核開発、核融合、そういうことをやろうと思っている。ところが、「エネルギーの使い方を皆さん、ちゃんと今問うていますか」と言った。「バスタブにひびが入って、お湯がこぼれてお湯がない。ですから、もっとお湯を下さい」と言っているようなものと違うのか、或いは「バターを切るのにチェーンソーみたいなもので切るようなエネルギーの使い方をしているのではないか」と言ったのです。エイモリ・ロビンスは、エネルギーのデマンドサイドを問い直せば、そんなハイテクを駆使しなくても、或いは危険技術を駆使しなくても、私たちは十分やっていけると言いました。これをずっと計算したのがロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」です。
  当時、我々はサプライサイドに毒されていました。エイモリ・ロビンスの本が出て、「なるほど」と思った。なるほどと思うのは、今から考えたらすごく驚きですけど、当時はサプライサイド主導社会で、そう思った人がすごくいたと私は思います。
  現在、地球温暖化問題で、デマンドサイドのあり方が根本的に問われている、こういう時代だということができる。エイモリ・ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」があったのに、1980年代にまたオイルがダブついて、どこかへ飛んでしまったんですね。
(図49)
  これは、今から17〜18年前、昔の話です。「ほのぼの」という、PHPみいたな本があります。女房がお米屋さんに行ってお米を買ってきて、「付録にこんなのもらったよ」と言って見せてくれました。ひっくり返して裏表紙をみたら、このコマーシャルがあった。
  何故、大阪でこのコマーシャルが流れているのかわからないんですけど、「あなたはあなたでいて下さい。あなたらしさを失わないで下さい」とある。ここに何が書いてあるかというと、あなたはやりたいことをやって下さい。それを支援して快適にして、気持ちよくして、新しい空間をつくり出していく仕事は、某企業がこれからも率先して続けていきますから、ということです。
  最後に、「東京が素敵になる」。大きな声からだんだんささやくような形で、きれいな女性が目を閉じて、それでまた「東京が素敵になる」と結んでいる。まさに、プロの作品です。東京で話す時は気をつけようと思っていましたが、もう昔の話ですから、今日はご紹介しました。今この企業はそんなことはないと思います。今だったら、あなたと私、手を携えて上手な暮らし方をしていきましょう、というコマーシャルを当然作っていると思います。
  今日も消してありますが、この企業名のところを消したんですけれども、学生に言ったら、「先生、ここに企業の名前が入っていますよ」と。学生というのは鋭い。感心して、「君は偉い」なんて言って、褒めたんです。

14.建築末端論から建築中央論へ

(図50)
  「先生は都市代謝系という発想を持て言ったけど、何が変わるかわからない」とよく言われます。学会などで時々話もするんですけど、「何が違うのかわからない、同じではないか」と言うので、私は説明の時には、建築中央論というのを言っています。
  建築というのはデマンドサイドです。動脈・静脈系都市という発想でいくと、建築は動脈系の終端、静脈系の始端ではありますけれども、建築は都市インフラの端っこで、都市設備のユーザーです。今まで動脈・静脈系と考えていた。ところが、代謝系という発想を持つと、建築はシステムの中央です。
  受け身のユーザーであってはならず、循環型持続可能社会構築の主役です。例えば、「下水にディスポーザーで生ごみを流す方が絶対にいい」とデマンドサイドが思ったとしても、都市設備の方で、「そんな馬鹿なことをしてもらったら困る」と言われて、「済みません」と謝っているのが現状ですけれども、これからはその方がよければ、「そっちにシステムを変えて下さい」と言うべき時代ですね。
  ですから、我々は引っ込んでいてはいけません。と言いながら、私もなかなか言えませんけど。
(図51)
  化学汚染と熱汚染の違いを述べます。化学汚染は、「処理しない、という横着な体質」が問われていて、熱汚染は「システムの構造」が問われている。また、ヒートアイランドに対しては、熱の処理という概念がない、こういうことが原因です。今までの20世紀の環境問題は体質が問われていましたが、21世紀の環境問題は構造が問われている。
(図52)
  そういう意味で、「代謝系エンジニアリングのパラダイムシフト」ということが今起こっている。空間軸でいうと、「動脈・静脈系完備都市という発想から、持続可能代謝系都市へ」というパラダイムシフトが起こっている。
  時間軸に対しては、「建設エンジニアリングから、ライフサイクルエンジニアリングへ」というパラダイムシフトが起こっている。
  ところが、今、いろんな技術体系はこういうものを支援するための技術体系になっていない。建築学会もまだこういう状況だと私は思います。

15.デマンドサイドシステムエンジニアリングの重要性

(図53)
  「デマンドサイドシステムエンジニアリング」、こういうのがこれから非常に大事で、これが代謝系エンジニアリングの根幹をなすべきだと私は思っています。
  デマンドサイドシステムエンジニアリングというのは、需要の特性にマッチしたシステムを構築する。スタートが重要ということですね。
  ソリューションを提供して、上手な生活を支援していく。これがこれから我々が中心になってやっていくことだと思います。
  ところが、今までのサプライサイドエンジニアリング、或いはディスポーズサイドエンジニアリングは、これに対してどうであるか。平均的な需要にマッチした機器を大量供給する。または、汎用性のある高級品を供給する。エネルギーで言うと、電力とガスは何にでも使える超高級エネルギーです。今までは、「それが、過不足なく安定供給されたら、何の問題がありますか」という発想でした。ところが、今はもったいない。こういうことになりました。
  今までは便利で快適な生活を支援してきて、これで解決できる問題も沢山ありましたが、今の1つの解決のシナリオは、デマンドサイドシステムエンジニアリングというのがもっと頑張って、デマンドサイドでの上手な生活を支援していかないといけない。そういうふうに思います。 
(図56)
  それでは、デマンドサイドシステム技術者とはどういう人でしょうか。今言ったことですが、例えば、この部屋を冷房しようという問題を考える時に、専門技術者、私は電気の技術者です、私は化学(ケミカル)の技術者、機械の技術者ですよ、こういう技術者はどういうふうに対応するかというと、自分の専門で問題解決を図る。電気の人は電気エアコンでここを冷房します。化学の人は吸収式を使って問題解決をしようとする。メーカー技術者はどうするか。平均的需要に対して、最適な機器を提供します。あるエネルギー消費量の計算方式が国で作られたら、それに合った一番効率のいいトップランナーエアコンを供給してくれるわけです。ところが、その通りに機器を使っている家庭なんか殆どないのが実態です。
  そういうところで、どの程度無駄があるかというのは微妙な話ですが、筋からいうとそれはおかしい。
  それに対して、デマンドサイドシステム技術者というのは、ここの部屋に冷房が要るかということから考える。ここの窓は大き過ぎるから、窓を二重窓にしましょう。そういうことから吟味します。その部屋に最適なシステムで問題を解決する。こういうことをする人たちが、デマンドサイドシステム技術者であり、建築設備技術者であり、空気調和・衛生技術者である。私はそう思います。
(図55)
  建築設備技術者の現状はどうでしょうか。建築設備技術者というのは建築の中の環境とか設備をデザインして、作り、運用していく人たちのことです。これは建築の中ですから、私的環境、プライベートな環境を快適なものにする技術者です。
  建築設備技術者は、社会一般のみんなの公共空間の環境の技術者と言えるでしょうか。土木環境の技術者、大気汚染をやっている人、緑地をやっている人、こういう人たちが公的環境をやっていて、私たちは私的環境の技術者であり、公的環境には負荷を出す立場です。私たちは環境技術者として世の中に大手を振れますか。例えば冷房なんかをすると、部屋の中は快適になるけれども、除去した熱に使ったエネルギーを上乗せして外に抛り出すわけですから、外はますます暑くなる可能性がある。エアコン、空調なんかやっている人は、環境技術者と言っていいのかと言われて、済みませんねと言っているのが現状じゃないでしょうか。
  私的環境の技術者ですが、良心的な技術者は、技術者倫理を実践する。環境などに優しいシステムを実現しないといけませんと言って、施主を説得して、このようなシステムを一生懸命推進している。良心の世界なわけです。
  ところが、なかなか施主が理解してくれません。大変な苦労があって、実現が困難で困りましたと言っているのが我々です。
(図56)
  ところが、私は我々が主役だと考えるべきと思います。主役を正しく我々は認識すべきだ。デマンドサイドシステム技術者は、私的環境であると同時に、公的環境の技術者です。地球温暖化という公的、最高の公的環境をよくする技術者なんだ。
  今までは、建築設備の技術者は負荷を出して迷惑をかける存在でした。ちょっと環境技術とは言えませんねと引いた立場ではなくて、我々は一歩出て、適切なシステムを構築して社会に貢献する公的環境の技術者なんだということ、非常に大きな寄与ができることをアピールする、こういう立場だと思います。
  そして、社会の理解を取りつけ、社会に説明して我々が減らせることをアピールすべきと考えます。今、地球温暖化対策のメニューリストを見ると、デマンドサイドの項目がすごく沢山あります。
  そういうことをアピールして社会の理解を取りつける。社会の理解ということは、社会からお金をもらうことです。施主からもらうのは筋違い、社会からの理解ですから。環境税なんかをやって、それを建築とかデマンドサイドはもっととってこなければと私は思います。
  そういう意味で、環境税には、難しいことはわかりませんが、私は賛成です。温暖化環境負荷削減に貢献する。我々はこういう立場です。
(図57)
  その時に非常に大事なことは、デマンドサイドシステム技術者の技術の効用、すなわち、技術を適用すると何がよくなるかということをきっちり区別して整理しないといけないということです。
  私的効用とは、施主にどういうメリットがあるのかという効用です。建物の中で快適な環境を造り、便利なシステムを造りますというのが、施主から、理解されて、施主からお金をもらう項目です。
  ところが、公的効用、地球環境を救ったり、ヒートアイランドを救う、そういうことは社会からお金をもらうべきです。
  私的効用に対しては、CASBEEでは、Qで表示しています。クオリティーをどれだけ出すかというのがまず大事です。
  それに対して、どれぐらいの負荷(L)を社会にかけるということが大事です。建築行為をQとLで表現して、QをLで割って環境効率として、この建築はいい建築、この建築は悪い建築と評価するのがCASBEEです。これは非常に素晴らしいシステムだと思います。その改善点、使い方を言うならば、QとLを別々に使うということを提案したい。割り算にするということはいかにも建築らしく、施主から全部お金をもらって、それで仕事をする。それは美しい姿ですが、そういうことをやっていたのでは、地球は守れないと私は思います。
  私は、機械の出身ですから、時々建築のサイドの人と、QをLで割るというのは建築的発想で、これでは駄目だと話をします。QとLは別に扱って、Lは社会にもっと訴えないといけないということを言っています。
(図58) 
  それでは、デマンドサイドシステムエンジニアリングの推進のために、どういう課題の例があるかと言うと、我々は今ある技術情報とか技術ツールの総見直しをしなければいけないと思います。現状の技術情報は、系統電力と都市ガスインフラ、つまりサプライサイドのシステムを計画するための情報がずっと整備されている。例えば、平均値で住宅1軒当たりこのぐらいの需要がありますよ。それに住宅が何軒あるという掛け算をして、この町はトータル、これだけの需要があります。それに合うサプライサイドシステムを造ってもらう。こういう技術情報をずっとやってきている。
  ところが、デマンドサイドはもっと細かいインフォメーションで仕事をしないといけない。むしろばらつきがどうとか、そういうことが非常に大事になると私は思います。
  それから、設計用の技術情報だって非常に沢山あります。建物を造ってクレームが来ない安全側の設計をして、オーケーみたいな世界ですから、設計用情報というのは沢山あるんだけれども、そこの建物がどれくらいエネルギーを消費するというような、運用のエネルギーの情報が、すごく少ない。
  今の技術情報というのは、サプライサイド、或いはディスポーズサイド、建設エンジニアリングのための技術情報です。これから建築学会、空気調和・衛生工学会で、本当に頑張ってやらなければいけない一つの課題としては、都市代謝系、デマンドサイドシステムエンジニアリングとして、ライフサイクルエンジニアリングをうまくやるための技術情報、技術ツールというのはどうあるべきかということだと思います。
  持続可能代謝系のライフサイクルエンジニアリング用技術情報、対象や視点の変化による総見直しが必要です。
(図59)
  今までサプライサイド、ディスポーズサイドが「とにかく十把一からげで面倒見てあげるよ」みたいなシステムを造ってきた。これからは、デマンドサイドからの発想のシステム、都市設備からの発想にとらわれない、例えば需要からの発想のシステム、オンサイト資源からの発想、マイクログリッドのような発想が必要です。その他いろいろあると思いますけれども、こういう発想を我々はもっと真剣に考える。そうすると、いろいろな新ビジネスが出てくる可能性があると思います。
(図60)
  マイクログリッドのような発想というのを私なりに言うと、マイクログリッドとは、先程言いましたように、電力系統があって、ループになっている。大きな発電所が幾つか連結されている。図の小さい四角が需要家です。分散型が、コジェネレーションなどの自家発がぶち下がっているわけです。系統に分散型がぶら下がる。これが今の現状ですが、今後はマイクログリッドで、需要家と分散型が1つのループ、すなわち、マイクログリッドを造って、ここにぶら下がる。こういうのがマイクログリッドです。
(図61)
  マイクログリッドが要るかどうかは問題ですが、発想的には非常に美しいものを持っています。これは電力システムの発展の経過を眺めてみると、昔は群小の電灯会社が乱立しました。先程言ったように、欧米ではCHPとかCGS(コジェネレーションシステム)がスタートでした。沢山電力会社ができて、電線が入り乱れた。これではいけないというので、巨大系統電力会社が整理、統合して、サプライがうまくいくように巨大システムを組んだ。
  その次に何が起こったかというと、ここに分散型がぶら下がった。分散型はコジェネレーションとか風力発電であり、おいしいところばっかりとっていって、大きな変動は系統にまかせてきたとも言われています。こういうのをバッド・シチズンと言います。悪い市民は、全体に迷惑をかける市民です(もちろん、系統と分散型の間で連携の要件が作られており、現実には悪い市民と呼ぶことは妥当ではないことを付記しておく)。あんな迷惑な人たちはもう出ていって欲しいという意識が一時あったのも現実です。
  これに対してマイクログリッドは、分散型サイドがマイクログリッドの中で需給調整をして、迷惑がかからないような負荷特性にして、系統電力システムと結びつく。ですから、分散型サイドがグッド・シチズン化する。グッド・シチズン化して、系統とぶら下がる。マイクログリッドは、私がずっと今まで話してきた1つの美しい形で、これは確かにデマンドサイド主導のシステムと言えます。しかし、我が国でこれが要るかどうかというのはいろんな議論がございます。
  長々としゃべって申しわけありませんでした。「都市代謝系エンジニアリングの変遷と課題」のご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

 

フリーディスカッション

與謝野 水野先生、大変に貴重な識見の数々を歴史的な変遷をたどりつつ極めて分かり易くいただきまして誠にありがとうございました。
  エネルギー、環境に関する諸問題について、「デマンドサイド」から見たトータルビューの必要をはじめとする大変に示唆深い、また熱いお話をいただきました。
  それでは、せっかくでございますから、ここで会場からのご質問をお受けしたいと思います。どうぞ挙手をお願い致します。
石井(国土交通省) 本日、非常に示唆に富んだお話ありがとうございました。
  確かに、これから環境ということを考えていくと、システムを変えていかなければいけない。今までの物事の発展を見ると、今日先生のお話を聞いていて、今話題のサブプライムローンの話が頭に浮かんだんです。まさにサブプライムローンというのは、住宅ローンというのが非常に限界があった。住宅ローンを貸す人、それを証券化する人とかに分けていって、リスクを分散していく。そのことによって沢山の住宅ローンが安く安定的に供給できる。それが善だというシステムになっていた。それをつないでいたのは、価格なんですが、今回価格の評価のところで、リスク評価が甘かったということにつながってなかった。果たしてこういう環境の価値観をうまく取り込んだシステムをつくる時に、CASBEEであれ、何であれ、いいと思うんですが、これだけ複雑化した社会であると全ての人が1人でやるわけにいかない。その価値観をそれぞれのセグメントの人が価値観を共有するためにインフォメーションを、今までは価格という形で次から次の人に受け渡していくことで、全体としてシステムが成り立っていたと思います。
  例えば、CASBEEのような価値観であるとか、環境の価値観というのを価格でなければどんなもので共有をするのか。その共有がなければ、恐らくそれぞれの良心に訴えてもそのシステム自身は持続性がない。トヨタの工場ではカンバンという方式で情報を共有しているようですが、デマンドサイドの新しいシステムを共有する、情報を共有するための媒体として、何をシステムに組み込むことが考えられるかという点についてお尋ねしたいと思います。
水野 なかなか難しいご質問ですが、今、二酸化炭素の削減にしても、善意の自主行動で、皆さんそれぞれ自分の状況に応じて一生懸命頑張って下さい、非常に頑張っていただいた人には表彰しますよとか、基本的にはお金を余り使わない発想で、ずっとやってきていると私は思います。そういうそれぞれの人たちが地球に住む責任を自覚して、システムを環境配慮型に変えていく。それは理想的な姿ですが、それには限界があると思います。やはりそれは価格に乗せていかないといけない。そういう意味でそれは排出権取引になるのか、炭素税になるのか、わかりませんが、今最大の課題である地球温暖化対応に関しては、やはり二酸化炭素をどれだけ削減するかということを金銭的評価をして、そういうものを実行したら、プラスになる。そういうシステムをやっぱり実現しないといけない時代だと思います。
  もちろん、みんなで褒めてあげるとか、企業イメージが高くなる、そういうのを大いに使ったらいいんですけれども、経済システムにちゃんと乗せてやっていかないといけないのではないかなと私は思います。
  先程も言いましたように、例えば二酸化炭素、炭素トン当たり3000円集めて1兆円ぐらい集まるわけですから、それを対策の方に回すと、現状より13%ぐらい、京都議定書で6%削減、今まで7%か8%ぐらい伸びていますから、現状から13%ぐらい減らさないといけないというのが目標になるんですが、例えば1兆円を13%につぎ込むと、炭素トン当たり2〜3万円になるんですね。そういうシステムを実現していくと、多分我々のデマンドサイドのところでも、炭素トン当たり何万というお金が出てきて、すごいインセンティブになる。お金ももらえて、尊敬も集められる、そういうことになってくると思いますので、私は、安易な考え方かもしれないけど、経済メカニズムを使った対策を中に折り込んでいかないといけない。うまい答えになったかどうわかりませんが、現在私はそれを痛感しております。
與謝野 石井様、よろしいでしょうか。それでは他にございませんか。
水野 私は、デマンドサイドシステム技術者と言いましたけれども、サプライサイドに対しては、「システム」を付けないでサプライサイド技術者と言っております。それを言い忘れました。サプライサイドもシステムですが、いろんなものを切り捨てることなどがなされることが多く、私はサプライサイドやディスポーズサイドには「システム」を敢えて付けておりません。デマンドサイドにいろいろな配慮をしたシステムを造るという意味で、デマンドサイドには「デマンドサイドシステム技術者」として、「システム」を付けております。私も、空気調和・衛生工学会というのをデマンドサイドシステム工学会にしようかなと思ったこともありますが、これは少し行き過ぎかなと思っているところです。
與謝野 水野先生、本日は大変に啓発されるお話をご熱心にかつ分かり易くして頂きましてありがとうございました。また、会場の皆様におかれましては、ご熱心にお聞き頂き、ご質問も頂きまして誠にありがとうございました。それでは、これにて本日のフォーラムを締めさせて頂きたいと存じます。
  最後に、本日、非常に示唆深い貴重なお話をいただきました水野先生に、ここで大きな拍手をお贈りいただきたいと存じます。(拍手)
  ありがとうございました。
                                

 

 


 




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