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第4回NSRI都市・環境フォーラム

『 広重にみる21世紀の日本文明 ) 』

講師:  竹村 公太郎 氏 財団法人 リバーフロント整備センター理事長

 
                                                                           

日付:2008年4月16日(水)
場所:日中友好会館

                                                                            
T、日本文明の原風景

  1、広重が描いたものは何か?   ――・広重の絵に隠された江戸の秘密

  2、隠された日本文明誕生の地の秘密――・日本文明の原風景を広重の絵に求めて

  3、大都市の弱点は何か?     ――・自然のキャパシティーを超えた都市

U、21世紀に向かって

  1、温暖化に伴う気象の凶暴化 ――確実に進む温暖化/気象は予測できなくなる・・・凶暴化する気象

  2、水資源の枯渇 ――  モンスーン帯の日本での水資源の枯渇とは一体何か?/既存インフラは財産

  3、世界規模の食糧逼迫  ――・世界人口のとめどもない増大/・BRICSの急激な発展と先進国の豊かさの享受

  4、食糧自給へ ――・食糧自給は可能か?・・・可能である/生き残りのための水辺環境の回復

  5、循環文明の構築  ――・リン鉱石が枯渇していく21世紀/石油の高騰が高騰していく21世紀/限の太陽エネルギー・・・弱点は薄いこと、その弱点を補う水エネルギー

 

日本人の遺伝子が21世紀文明を救う・・・広重の絵が勇気づける未来
         ―Small is Beautiful―

フリーディスカッション



 

與謝野 皆さん、こんにちは。
  定刻となりましたので、第4回目のNSRI都市・環境フォーラム(通算244回目)を開催させていただきたいと存じます。
  皆さんにおかれましては、大変お忙しい中をこのフォーラムにお運びいただきまして、まことにありがとうございます。また、長年にわたりましてこのフォーラムをご支援いただきまして、重ねて厚く御礼申し上げます。
  さて、本日は、社会のインフラ構造(下部構造)の視座から、日本文明が育まれてきた素となる遺伝子を探り、21世紀における我が文明のありようについて、皆様とともに考え学び取りたいと考えております。
  本日の講師としてお招きいたしましたのは、財団法人リバーフロント整備センター理事長の竹村公太郎様でいらっしゃいます。
  竹村理事長のプロフィールにつきましてはお手元にご案内のとおりでございますが、長年旧建設省にて要職を歴任され、河川局長をお務めになられました。その後、退官されて現職に就かれ、日本水フォーラムの事務局長を初め、立命館大学客員教授として教鞭をとられるなど、さまざまなお立場で社会資本整備の分野の論客として八面六臂のご活躍をなされておられる方でいらっしゃいます。多くの著書のうち、最近上梓されました『土地の文明』は、土地のインフラ構造に着目されて、土地が抱えている文明の遺伝子とその壮大な発展のなぞ謎を解き明かす叢書としても、今大変話題を集めている著書でもあります。
  本日の演題は、前に掲げておりますとおり、「広重に見る21世紀の日本文明」とされておられ、土地の歴史のなぞ解きと、未来へ向けての新たな文明の構造についての絵解きなどがお聞きできるのではないかと楽しみにしております。
  それでは、大変お忙しい中をお運びいただきました竹村理事長様を皆さんからの大きな拍手でお迎えいただきたいと存じます。(拍手)

竹村 こんにちは。
  歴史あるこの都市・環境フォーラムにお招き、心から感謝申し上げます。
  今日は多分野の方々にお話をするということなので、適当に面白く、私が今はまっている広重から日本の未来の文明を考えていこうと思っております。
(図1)
  未来の文明を考えるためには歴史を考えなければならないということで、6000年前の日本からナイルまで、時空を超えた歴史についてまずお話をします。そして、未来の日本はどうなるのか、存続できるのか、ということにお話を持っていきたいと思っております。面白おかしくやろうというのが趣旨ですので、雑駁です。今日は、滅多に見られない、皆さん方が初めて見るようなデータばかりかと思いますので、ともかく多くのデータお見せしたい。その一心で話を早めていきます。よろしくお願いします。

T.日本文明の原風景

1.広重が描いたものは何か?

(図2)
  これは箱根の様子を描いた広重の浮世絵です。広重は、江戸文化の代表のひとつとして中学校の教科書に出てきます。大体、中学校の教科書に出てくる、子供たちにも安心して見せていいようなものは、興味も好奇心も全然わかせないものなので、広重の『東海道五十三次』イコール「つまらない」、だから広重はつまらないとずっと思い込んでいました。正直言いまして、私は、55歳まで広重の面白さが分かりませんでした。
(図3)
  これは大井川です。これだってつまらないと思っています。
(図4)
  しかし、ある時広重の絵を見て、あれっと思った。これは『名所江戸百景』の『真乳山山谷堀夜景』です。芸妓さんが歩いています。きれいな星が水に映っています。隅田川の向こうのお茶屋さんの灯もきれいに映って、とてもきれいな情緒的な絵です。この絵を見て、あれっと思ったのは、この芸妓さんがそのまま歩き続けると2〜3秒後に画面からいなくなってしまうことです。人物が2〜3秒後にいなくなってしまうような構図の絵が近代絵画にあったのか。踊り子が踊っていたり、いろいろな絵があります。そうした絵は、動きがあったとしてもあくまでもその人が中心です。でも、これは『真乳山山谷堀夜景』という題名で、この女性、芸妓さんはスッといなくなってしまう。私は写真家の木村伊兵衛さんを思い出しました。
(図5)
  昭和の写真界を構築した方に土門拳さんと木村伊兵衛さんのお二方がいらっしゃいます。木村伊兵衛さんの代表作がこの『板塀、秋田』。秋田で撮った板塀の写真です。これは彼の写真集の表紙にもなっています。
  木村伊兵衛さんはここでバシャバシャ、何枚も写真を撮っていると思うのですが、そのうち、馬のおしりがちょこっと見えている写真をコンテストに出しました。これが評価を得て彼の代表作になったわけです。要は、一瞬の時間を切り取るのが写真だぞということをあの人は戦後、見せつけたんです。土門拳さんは、じっと焦点を合わせて、「動くな!撮るぞ!」という感じだったけれども、伊兵衛さんは非常に軽いタッチで時間を切り取る。写真の本質はこれなんだということを表現したと思うのです。まさに広重の『真乳山山谷堀夜景』の構図と全く同じです。
  私は美術のことは何もわかりません。審美眼もありません。歌川広重か安藤広重かもわかりません。もちろん何代目広重かもわかりません。よく「竹村さん、これは何代目の広重ですか」と聞かれるのですけれども、私はそんなことを勉強している暇があったら他のことを勉強したい。自分の人生は時間が限られているので、そんな余計なことはやっていられない。でも、そんなふうに美術の造詣、浮世絵の造詣は何もなくても、広重の絵を写真として見ていくと面白いのではないかと思ったのです。
(図6)
  これは広重の描いた富士山です。完全にフレームから出てしまっています。こんな絵画はめったにない。富士山が大きいことを見せるためにわざとフレームからはみ出してしまった。
(図7)
  フレームをはみ出して富士山の絵を描いたように、広重という人は凄く面白い構図を作ります。これも広重の『名所江戸百景』の一枚で、『深川洲崎十万坪』です。空を飛ぶ大きな鳥の目から江戸湾のガラ捨て場を見た絵です。上から見る構図は写真には沢山ありますが、この絵はバード・アイ、まさに鳥瞰図を描いていることをもろに示しています。これほどメッセージ性の強い構図はないと私は思っています。
  なぜ私が広重の絵にこだわったかと言うと、私はずっと河川行政をやっていました。そうすると、自分の管理している堤防は先輩が造ったものなんです。それで、先輩に聞くと、「いや、俺が造ったんじゃない。前の人が造ったんだ」。その前の人に聞くと、「いや、その前からあったよ」、ということで、あっという間に江戸に辿り着いてしまう。私たち自らが造った堤防など殆どありません。盛り土したり、ちょっと強化したりすることはあるのですけれども、そのラインを新しく造るなどということはまずない。どの川の堤防もすぐ江戸まで遡ることになるのです。
  ですから、川を勉強するには江戸をどうしても知らなければいけない。ところが、江戸の古文書なんて読めないし、訳がわからない。江戸時代の古地図も非常にわかりにくい。そこで広重です。明治以降は写真が沢山ありますが、江戸時代はありません。広重の浮世絵を写真として見ると、河川のありよう、国土のありようがわかるのではないか。これが私の広重へのアクセスの理由です。美術的な観点は全くありません。年代的な検証も何もありません。ただただインフラ、つまり日本の国土のあり方を広重の絵から見ていくというアプローチです。

2.隠された日本文明誕生の地の秘密

(図8)
  さて、導入部はともかくとして、「隠された日本文明誕生の地の秘密」の話をします。
(図9)
  これは『箕輪金杉三河しま』(『名所江戸百景』)です。夕焼けの中を農夫が帰るというきれいな絵ですが、150年前の三河島、日暮里辺りの絵に何と丹頂鶴が描かれているのです。今、日本で丹頂鶴が自生しているのは北海道の釧路湿原だけです。釧路湿原は非常に大きなウェットランドです。今あの釧路湿原にしかいない丹頂鶴がたった150年前の日暮里にいた。つまり、江戸の地は大湿地帯だったのです。
(図10)
  現在の日暮里の写真です。殆ど同じ構図です。江戸が大湿地帯だったことは隠されてしまっていて、大都会の住民の誰にも見えなくなっています。広重は別におどかしてやろうと思ったわけではありません。三河島に行ったらきれいな夕焼けが見えた。そのとても美しい田園風景の中に丹頂鶴がいた。その風景をただ単純に描いただけなのですが、実はそこには江戸誕生の地の秘密があったのです。私たちは江戸時代のこの大都会、近代文明を作る前の原風景を広重によって得ることができた。これは嬉しいことです。広重がいてよかったと私は本当に喜んでいます。
(図11)
  これはコンピューターで作った現在の日本の地図です。人為的な情報は境界線だけです。これを今から6000年前の縄文前期の地図に変化させますと、当時は今よりも海面が5メーター高かったので、関東平野も濃尾平野も海でした。
(図12)
これは現在のエジプトです。世界四大文明発祥の地の1つです。本邦初公開ですが、これも6000年前に加工してみると、ナイルデルタのところは全て海でした。私は、『日本文明の謎を解く』という本でエジプトのピラミッドの秘密を書きました。後で読んでいただければ幸いですが、70個以上あるピラミッドは全部ナイル川の堤防だったと書きました。しかし、1個だけギザのピラミッドの秘密は書きませんでした。70個のピラミッドはみんな砂漠の中に埋まっているのですが、ギザのピラミッドだけ出ています。あのピラミッドは余りにもきれいで、余りにもシンボリックなので、みんなの思考を物凄く邪魔している。ですから、ギザのピラミッドについては避けてあの文章を書いたのです。ギザのピラミッドに関しては、今回、「建設オピニオン」に書きました。
  本邦初公開のデータなので、今日はちょっと興奮していますけれども、6000年前、ナイルデルタのところは海でした。以後、次第に海面が下がっていって、ギザのピラミッドが造られた4000年前、ここに干潟が生まれます。日本の九州地方と同等の大きな、大きな干潟が砂漠の中に登場したわけですから、「これは凄いぞ」ということで、エジプト人たちはここを干拓して小麦や何かを植えていきます。その時、蘆や葦が生い茂って周りが何も見えない中、唯一の目印になったのがギザのピラミッドなのです。あのギザのピラミッドはシンボルマーク、ランドマークだったというのが私の仮説です。
  話が少しずれましたが、要は、6000年前は日本だけではなくて、世界中で海面が6メートル高かったわけです。
(図13)
  これは縄文時代の関東地方の白黒写真です。今と違うのは、利根川が銚子に流れていっていない。関宿と栗橋の間の下総台地でブロックされて、江戸湾の方に流れていました。それを台地の開削によって銚子に流した人物がいる。徳川家康です。家康は400年前、秀吉に追いやられて江戸に入ってきた時、辺りをずっとチェックしまして、この台地を一番狭いところであると見切って開削していくわけです。
(図14)
  これは徳川家康が台地を切った後、現在です。利根川は上流の群馬県からずっと流れてきて銚子に行っています。本当は利根川は東京湾に行っていたのですが、関宿と栗橋の間を切って銚子に流したわけです。上から見ているからわかりにくいですが、ここは間違いなく台地になっています。なぜ銚子に流したのか。大洪水を銚子、茨城へ追い込むためです。家康入府から400年、千葉、茨城の人は洪水で塗炭の苦しみを味わってきたわけです。
  これは江戸川です。利根川をここでブロックして江戸川には流れないようにしています。誰がこんなブロックを造ったのか。河川管理者です。今、川の中にこんなブロックを造ったら河川法違反で捕まってしまいます。でも、400年前に徳川家康がこうして利根川を銚子に持っていったので、これを前提として東京が生まれたのです。今このブロックを取り払って利根川の洪水を元に戻したら東京は大壊滅です。利根川は東京湾に流れたい。昔の故郷を覚えていますので、栗橋ではキャサリン台風の時に堤防が決壊して1000人の人たちが亡くなりました。東京は水浸しになりました。利根川は自分の故郷を知っていて、いつも戻りたいと思っている。それを戻らせないようにやっているのが現在の国土のありようなのです。
(図15)
  これは新潟県の田植えの写真です。このおじさんは胸まで泥水につかり、長い竹竿にしがみつきながら命からがら田植えをしています。日本の沖積平野は昔、海でした。海だったところに砂が溜まってできた沖積平野はとても水はけが悪く、どうしようもない湿地帯だった。そのことを言っていたわけですが、確かな証拠が欲しいなと思っていたところ、この新潟の田植えの写真を見つけました。
(図16)
  見つけた新潟の田植えの写真を発表したところ、うちもそうだ、うちもそうだということで写真が集まってきました。これは富山の写真です。このおやじさんは立っているようですが、立っていません。スキーを履いています。
(図17)
  つまり、胸までつかって田植えをするのが沖積平野の日本文明の原風景です。これは是非知っておいてもらいたいと思います。私たちは今、広々とした関東平野を持っていますが、実は、400年前は沖積平野の湿地帯だった。それを徳川家康が乾田化した人工的な土地なのです。
(図18)
  濃尾平野も縄文時代は海でした。大阪も、枚方の方まで海でした。大阪平野を河内と言います。「河内」は川の中ということです。河内者、大阪の人の愛称です。和歌山も海、徳島も海、岡山も海でした。そこに川から運ばれた砂がだんだん溜まっていって、ベトベトの湿地帯ができた。そこで人間がお米という富を確保するための壮絶な闘いに入っていくのが日本文明の稲作のスタートです。
(図9)
  広重の『箕輪金杉三河しま』です。たった150年前、爺様のそのまた爺様ぐらいの時にこういうところから私たちの文明がスタートしました。我々が住む大地の下にはこういう土地が眠っているのだということをご紹介しました。そのことをいつも思い出す必要はありませんが、たまに思い出していただければと思います。
(図19)
  我々の国土は、70%が山、20%が高台、10%が洪水氾濫区域です。洪水氾濫区域、要は湿地帯のことですが、ここに人口の50%と資産の75%が集中しています。
(図20)
  これは明治時代、外国から日本に来た人たちの間で読まれた「ジャパン・パンチ」という新聞の風刺漫画です。この鼻の高いのが外国人です。彼らには、日本人が水の中で生活しているように見えた。それほど日本人が途方もないところに住んでいたことの証左です。彼らは、自分たちはとてもでないけれどもこんなところに住めないということで、神戸や横浜などの高台に行くわけです。

3.大都市の弱点は何か?

(図21)
  さて、私たちの知らない隠された土地の話はそれぐらいにして、次に大都市に住む我々の弱みをお話しします。
(図22)
  これは『虎の門外あふひ坂』(『名所江戸百景』)です。江戸時代の虎ノ門の絵です。2人の兄弟弟子が、現在、虎ノ門の交差点にある金比羅さんに願かけをしています。これはアメリカ大使館に行く坂道、右側の丘は首相官邸のある場所に該当します。江戸時代は現在のあの大きな虎ノ門交差点のど真ん中に当たる場所に大きなダムがあった。このダムは1606年、江戸開府の3年後にできました。つまり、徳川幕府が最初に造ったインフラです。最初に造ったインフラが何故ダムだったのか。それは水がなかったからです。
(図23)
  これは現在の虎ノ門です。金比羅様があります。
(図24)
  これは現在の東京の図面ですが、皇居、江戸城の目の前には大湿地帯が広がり、そこの水はみんな塩水だったのです。高台から水を持ってこようと言ったって大した高台がない。本当は40キロ先の多摩川から水を持ってきたいのですが、江戸開府当時は水路を造る能力がありませんでした。それができるようになるのは半世紀後になります。そこで、当面の策として、この狭窄部にダムを造って、これをため池にしました。このため池は現存していません。今は「溜池」という地名だけが残っています。
(図22)
このダムの向こう側はため池です。赤坂溜池の繁華街は、大きな大きな貯水池だったのです。このダムは明治30年までありましたが、それ以後はいろいろなガラで埋められてしまいました。
  虎ノ門の交差点から霞が関ビルの方に行くと、霞が関ビルの前に歩道橋があります。よく見ると、歩道橋より10メートルぐらい向こうが一番高く、溜池に向かってスーッと下がっていて、新橋の方向にもずっと下がっています。そこがダムの天端だったと思います。私はそこを掘り返してみたい。必ずダムが出てきますよ。私たちはダムを全部ガラで埋めてしまった地盤の上で生活しているのです。
(図24)
  これは現在の銀座中央通りです。ホコ天を歩いた時によく見ると、左右にずっと下がっています。日比谷の方にも下がっていますし、築地の方にも下がっています。これはホコ天の時でないと見えません。
要は、江戸城に入ってきた徳川家康は、利根川の大洪水を銚子、茨城へ持っていって、江戸城の前に広がる湿地帯を大穀倉地帯にしようと考えたわけです。現在の東京の人々の安全は、実はそういう歴史の上にある。千葉、茨城の下流部の人たちの犠牲の上に保たれているということです。
(図25)
  江戸の町は次第に大きくなっていきました。そして、開府から半世紀後の1653年、有名な玉川上水が引かれます。虎ノ門のダムでは足りなくなったのです。皆さんは玉川上水が江戸の水だと思われていますけれども、違います。玉川上水があの虎ノ門のダムに入り、そこに調整池があった。実は、近代の上水道と全く同じシステムで、水を調整池に持ってきて、調整池から配水していくわけです。
(図26)
  これは筑後川のアオ取水の写真です。子供と女性が水を汲んでいます。
(図27)
  江戸が終わって、徐々に近代に入ってくるわけですが、この頃の水辺の写真を撮ると、いつも女性たちが水周りで働いています。水のインフラ、水道インフラがない時は、女性は非常に過酷な水周りの仕事をしていました。
(図28)
これは女性たちが川で洗濯をしている姿です。水道が発達していなかった昭和20年代、30年代の珍しい姿です。
(図29)
  ついに水道が来ます。水道が来ると、女性たちは今度は水道の周りに集まる。私の母の記憶も大体そうです。私の母も朝から夜まで働いていました。そのうち結構な時間が、洗濯にとられていたような気がします。これは30年代の大阪ですが、水道ができると、女性たちは今度は水道の周りで過酷な仕事をしていたわけです。
(図30)
  やがて各戸に水道が引かれますが、そうすると、みんなが一気に水を出しますので、水がなくなるという事態が起こりました。
(図31)
  今は水が確保され、洗濯はロボットがやっています。女性は洗濯では殆ど労力を使いません。
(図32)
  何故、水が確保されているかと言えば、東京都の各戸に水を供給するために利根川や多摩川や荒川の上流に水を溜めているからです。都会の人は、虎ノ門のダムのように自分たちの目の前にあったダムをアウトソーシングしました。外にほっぽり出したのです。今は山の中にダムが造られ、そこで水を溜めているのが現状です。ですから、今の子供たちは、一生懸命教えない限り、水道の水がどこから来るのか知りません。
  今、東京都は、利根川から日量240万トンの水を持ってきています。240万トンと言われてもピンと来ないと思いますが、甲子園球場を水でいっぱいにすると60万トンですから、東京都だけで1日、甲子園球場4杯分の水を利根川から持ってきているのです。私は水のプロですから、ビルを見ると、ビルの上から中に水がザーッと流れ込んでいるイメージを持てます。大都会はそれほど大きな水を必要としている。現在そうした水を使った近代的な文明を営むことができるのは、皆さん方が知らない、山の中にあるインフラが支えてくれているからなのです。

U.21世紀に向かって

1. 温暖化に伴う気象の凶暴化

(図33)
  さて、6000年前の縄文前期から現在まで来ました。これから21世紀に向かって何が始まるかということを予測していきましょう。
(図34〜37)
  広重の絵を何枚かご覧いただきたいと思います。深川木場の雪景色、目黒の太鼓橋、湯島天神、浅草寺、これらはいずれも雪景色です。当時は本当に雪の絵が多い。そうしたものを見ると、やはり温暖化が始まってしまったのかなという気がします。
(図38)
  これは真鍋淑郎先生のデータです。過去100年間で0.6℃上がっています。この図は先が50年までしかないですけれども、今後100年間で2〜4℃、2〜6℃上がっていくだろうと言われています
(図39・40)
  これは今井通子さんが若い頃ヨーロッパのアルプスで撮ってきた写真です。この頃はまだ氷河がありました。しかし、ついこの間行かれたら、このように氷河がなくなっていたそうです。雪が消えたのではなくて、何千年もそこに存在していた氷河、何千年もあり続けなければいけない氷河が40年間でなくなってしまった。
(図41)
  これはイタリアで見つかったアイスマンのミイラです。氷河が融けたので、約5300年前のミイラが見つかったのです。本当は出てはいけないものが出てき出したのです。
(図42)
  これは南米のパタゴニアです。朝日新聞の写真です。約70年間で氷河がなくなってしまった。
(図43・44)
  ヒマラヤ、東ネパールの氷河も20年間でかなり後退してしまいました。これは名古屋大学のグループの写真です。ヒマラヤの氷河がなくなるというのは、実は深刻な問題なのです。
(図45)
  ここがヒマラヤです。これが黄河、これが長江です。こちらがインドシナ半島、これがインド、ガンジス川です。長江、黄河、メコン川、ガンジス川、これから発展するであろう中国、インド、インドシナ半島。これら全ての川の水源がヒマラヤの氷河です。ヒマラヤの氷河がなくなるということは、これらの川の水源がなくなるということなのです。
  今、ネパールの氷河湖で騒いでいます。何故かと言うと、あれは大きなタームでのヒマラヤの雪解けによるものだからです。普通、雪解けと言えば4月、5月、6月ですが、今ヒマラヤでは何十年オーダーで急激な雪解けが始まっています。どんどん解け出していて、10年か20年でなくなってしまう。ヒマラヤが氷河湖でピンチだと言っていますが、水という面から見れば、中国、インド、インドシナ半島の主たる川の水源の氷河がなくなっていくということで、私はネパールの氷河湖以上の極めて危険なことだと思っています。(図46)
  これは2000年から2040年で北極はなくなるだろうというNASAの発表です。今生まれた赤ちゃんが20歳になる頃には、動物園にいる個体を除けば、ホッキョクグマは絶滅しています。
  この間NASAはこの発表を少し訂正して、北極がなくなるのはもっと早まるだろうと言っていました。何故かと言うと、今まで北極の白い氷が太陽光を反射していたのですが、一回氷が解け出してブルーになってしまうと、どんどん太陽光を吸収してしまうからです。
(図43・44)
  氷河も同じです。昔は氷河が太陽光を反射していたのですが、ちょっと減って岩が露出すると、黒い岩肌が熱を吸収してしまって、今度は下から氷河を温めてしまう。一回解け出したら、一回トリガーが引かれたら、氷河は少なくなる方向にしか行きようがないのです。私は「もう引き金は引かれた」という言い方をしています。
(図47)
  今、温暖化に伴う世界の状況を概括しましたが、次に日本はどうなのかというお話をしたいと思います。
  これは日本の過去100年間(1900年から2000年まで)の雨量データです。1年間で降る量を普通は棒グラフで書くのですが、わざと折れ線グラフで描いてみました。そうすると、毎年毎年だんだんばらつきが激しくなってきているのです。気象庁長官も国会で答弁していますが、気候温暖化で実際に気象がどうなるかははっきりしないところがあります。しかし、1つだけはっきりしていることは、気象のばらつきが激しくなる。それがこの折れ線グラフが表していることです。降る時は降る。降らない時は降らない。気象が極端になってくるわけです。私はそれを文学的な表現で「気象が凶暴化する」と言っています。(図48)
  これは豪雨日数がこれから増えていくという東京大学の人たちが行ったシミュレーションです。
(図50)
  これは毛利元就が1555年に造った広島の厳島神社です。この神社の回廊が年間何回冠水するかということは、非常に面白い定点観測場所になっているのですが、最近、回廊の冠水回数が物凄く多くなっています。
(図51)
  厳島神社だけを例に出して、どうも怪しいぞと思われてはいけませんので、イギリスのテームズバリアという防潮堤も例示しますと、最近この防潮堤の操作頻度は多くなっています。厳島神社の回廊冠水頻度とイギリスの防潮堤の操作頻度は非常に似た増加パターンを示しています。つまり、世界中で海面が人間を激しく襲いつつあることは、どうやら事実と言えるようです。
(図52)
  これは荒川が氾濫した場合、銀座はこんなふうに冠水してしまうというシミュレーションです。実はこれについては、銀座の地下鉄がこんなに水をかぶるなんて怪しい、どうせ河川管理者のおどかしのプロパガンダだろうと思っていたのです。
(図53・54・55)
  ところが、実際に東海豪雨で地下鉄が水に沈みました。福岡でも地下鉄が大洪水に襲われました。東京でも地下鉄の麻布十番駅が水に沈みました。余計なことですが、雨が強く降る時は、地下鉄麻布十番駅には行かない方がいい。今、麻布十番はとてもおしゃれな町になっていますが、新一の橋の辺は六本木からずっと谷地形なので、水という意味では非常に危ないところです。だから開発が遅かったのです。
(図56・57)
  これは淀川が氾濫した時の大阪・梅田のシミュレーションです。完全に水の下になっています。「梅田」はもともと「埋田」と書いた。そんな痛ましい名前は勘弁してくれという大阪の人の気持ちから、それなら、かぐわしい梅田にしようということで「梅田」になり、「埋田」というこの土地の原風景画が見えなくなっているのです。
(図58)
  梅田のシミュレーションもどうせまたおどかしだろうと思っていたら、兵庫県でバスが水に沈んで、乗客がバスの屋根の上に追いやられるという災害がありました。
(図59)
  名古屋も2000年に水にすっぽりつかってしまいました。車は70万台やられました。銀行関係のコンピューターは全滅でした。これは意外と知られていないことですが、この一晩で6000億円の国民の私有財産が失われました。
  今は床下に防音材を入れたり、床暖房をつけたりしています。横の壁には吸音材か何かを入れています。ですから、床上浸水しますと、床はもちろん、壁も汚水を吸ってしまい、部屋中が汚水だらけになってしまいます。それを全部直さなければいけなくなる。屋根まで水にドップリつからなくても、床上浸水だけで決定的なダメージなのです。名古屋の水害ではたった一晩で6000億円の国民の貯金がなくなってしまいました。家を建ててローンを払っていた方々は、その上にまた300万円から400万円のキャッシュの投資が必要になってしまいました。これは大きな事件でした。
(図60・61)
  都市を守るためには山の上でダムが頑張っています。ダムとはどんなものか。高速道路の料金所だと思って下さい。料金所には車が溜まっていますが、下はスイスイ流れています。ダムも同じで、一時的には溜まりますが、その下は安全に流れるわけです。都会の方は知らないことですが、都市を守るために上流部でダムが大洪水を止めているのです。
(図62)
  それでも足りずに、東京都は環七の下に物凄いダムを造りました。これは大洪水になった時に水を入れる都会の中のダムです。これができたおかげで、今、目黒川、神田川の沿線では浸水被害が劇的になくなっています。こうした事業を着実にやっているから効果が表れているのです。

2.水資源の枯渇

(図63)
  さて、安全のお話をしたので、次に水資源の枯渇が生じるというお話をします。ヒマラヤの氷河がなくなるのは、中国、インド、インドシナ半島だけの問題ではありません。実は日本の問題でもあるのです。
  これは現在の日本列島の気温分布を表した気象庁のデータです。色のグレーディングで表しました。これから100年後にどうなるか。100年後とは、今生まれた赤ちゃんが90歳になる時です。今生まれた赤ちゃんの人生を今から話すわけです。決してSFではありません。極めてリアルな時間のお話です。
  100年後、現在より4℃気温が上がったとしますと、北海道は現在の関東と同じ気温になります。関東は現在の沖縄より少し南と同じ気温になります。九州は台湾と同じです。つまり、日本は温帯から亜熱帯に入ってくる。気温が4℃上昇すると、ここまで劇的に変化するのです。実は北海道はもっともっと上がるのではないかと言われています。ともかく、気温上昇が4℃なのか、3℃なのか、2℃なのかわかりませんけれども、この100年で劇的な変化が起きていくというのが温暖化の世界です。
  1つだけ救いがあるのは、北海道が日本の切り札になることです。年平均気温を見るといろいろなことがよくわかります。北海道では今、一部の地域でしか稲作ができませんが、100年後は全道が関東と同じ気温になりますので、間違いなく全道どこでも自由にどんな穀物も栽培することができるのです。と言っても、皆さん頼むから「竹村さんに言われたから、今のうち北海道の土地を買っておこう」なんてやめて下さい。100年後は土地所有のあり方も変わってくると思います。
  でも、間違いなく北海道は日本の切り札です。北海道はとても大きい。東北6県プラス北関東(茨城、群馬)くらいの大きさがあります。地図では小さいように見えますけれども、実際は真ん丸なので大きいのです。日本列島は南北が3000キロと結構長い。本当に幸せな列島だと思います。温暖化に物凄くタフな地形なのです。真横、東西に長かったら全滅です。インドネシアはもともと暑いので、温暖化で今以上に暑くなっても、もうしようがないとあきらめているのかもしれませんが、日本列島は縦長なので、生物も北に向かっていく。人間も順応できる。それをベースにして、私は『幸運な文明』という本を書きました。
(図64)
  去年、佐渡でミカンが初出荷されました。
(図65)
  「米異変 北海道産が大人気」とあります。「ほしのゆめ」などの北海道産米は今では一番高価です。
(図66)
  ただ、「日本列島は南北に長くて良かった、北海道で米がとれて嬉しい」と喜んでばかりもいられません。実は大きな問題があります。
  これは農水省の井上・横山さんによる現在の雪の分布です。100年後になると、北海道と東北はまあまあ雪が残りますが、中国地方、近畿、中部、関東では雪がなくなります。その兆候は既にあらわれています。
(図67)
  これは富山県の11月から4月までの降雪量を、1960年代、70年代、80年代、90年代と10カ年平均で見たものです。年々のばらつきが消えていますので非常にいいデータです。このデータによると、80年代までは余り変化しなかったのですが、90年代から劇的に雪がなくなっている。これは過去のデータですから、0.6℃の温度上昇の影響によるものです。これからは、2℃〜4℃または6℃上がると言われているわけですから、雪がなくなるのは当たり前だと思います。雪がなくなると暖かくていいと思うかもしれませんが、実はこれはとても大きな問題なのです。
(図68)
  雪がなくなると、次のような事態が起こります。
  これは国土交通省の国総研が出した利根川の流量のデータです。現在、利根川の流量は、1月、2月、3月は少ない。そこに4月から6月いっぱい雪解けの水がゆっくり流れ込みます。ところが、100年後は、11月あたりから流量が増え出し、1月、2月、3月と増えていく。3月はかなり増えます。そして、4月になるとスーッと減ってしまう。日本から雪がなくなるということは、雪解けの水がなくなる。神様がくれた雪のダムがなくなることなのです。
  雪はダムです。ダムを、コンクリートの構造物だけと思わないで下さい。人間が使わない時に水を溜めておいてくれて、人間がこれから使おうと思った時に流してくれる装置がダムです。雪は、生命が眠っている11月から3月いっぱいまでは雪という形でジッと水を山の上で保っていてくれて、4月になって、さあ、これから頑張るぞと生命が芽生えた時に解けて、水がドーッと流れてくるわけです。日本列島のこのパターンが日本の稲作文明を可能にしたのです。
(図69)
  これはコシヒカリにとって必要な水量のパターンです。4月の代かき期は水が要りますが、あとはもう適当でいい。これは一土地改良区のパターンですが、次のB土地改良区、C土地改良区、D土地改良区も同じです。関東平野の全ての農地に代かきの水が行き渡るためには、4月の雪解けが必要です。雪がなくなるということは、日本から代かきの水がなくなっていくということなのです。後で食糧自給のお話をしますが、私たちがやらなければいけないことはかなり明確になってきています。

3.世界規模の食糧逼迫

(図70)
  21世紀の地球食糧問題をお話ししましょう。
(図71)
  これは世界の人口は膨張していくという国連の有名な図です。よく見ると、人口は1950年に1つの折れ線があります。面白いことに石油燃料の使用量も1950年に1つの折れ線ポイントがあるのです。もう1つ、フランスにおける小麦単収も1950年頃から急激に上がっています。私たちが石油エネルギーを使えるようになったので、収穫が物凄くよくなり、人口もこの辺から急激に増えていくというのが私の仮説です。
  問題は、人口はまだ増えていくけれども、化石エネルギーは全体的に既に頭打ちです。小麦単収も完全に頭を打ちました。幾ら化学肥料を入れてみてももうこれ以上増えません。それならば、人口が増えるのであれば、農地を増やしていくしかない。地球上のありとあらゆる大地が農地になっていくわけです。

(図72・73・74)
  人口増加は途上国の問題だ、途上国の人口をどうにかしろという話だけではありません。今、BRICsが物凄い勢いで発展しています。今日は中国の例だけをお話ししますが、中国は2003年までは食糧輸出国でした。今や完全に食糧輸入国に転落しました。
(図75)
  それでは、途上国とBRICsだけの問題かと言えば、それは違います。先進国の私たち自身が物凄く大きな問題を抱えています。
  これは中央アジアのアラル海の1987年の姿です。アラル海は大陸の中にあり、アムダリア川やシルダリア川が流れ込んできますが、外へは流れ出ない湖です。大きさは琵琶湖の100倍ほどもあります。このアラル海が今なくなりつつあります。干上がった海に船だけが取り残されている写真がアラル海の現在の状況を物語っています。
(図76)
  これは死んでしまった貝です。
(図77)
  何故、アラル海が消えつつあるのか。温暖化の影響か。違います。これは人為的な災害です。シルダリア川上流からの徹底的な取水によってアラル海がなくなりつつあるのです。アラル海の水は塩分でしょっぱくてもう使えません。殆ど死に絶えた。
(図78)
  なぜアラル海が消滅するほどの水をシルダリア川の上流で取水しているのか。それはコットンの栽培のためです。私は現地に行ったことがありませんので、講釈師みたいな話になって申しわけありませんが、地平線までコットン畑が続いていて、ともかく目に見えるところ全てがコットン畑だそうです。
(図79)
  コットンの栽培は労働集約型で非常な大変な作業です。日本はそれを全てアウトソーシングしました。そして、私たちは信じられないほど安くて優良なコットンを手に入れているのです。コットンの安さはべらぼうです。ユニクロは日本だけではなくて、今度ニューヨークに店を出しました。私たちも含めて世界の先進国は信じられないほど安い、しかし良質なコットンの衣料を享受しているわけです。これらは全てインド、中央アジアの水と環境の犠牲の上に成り立っているのです。
(図80・81・82)
  これはブラジルの熱帯雨林です。1975年、30年前の同じ場所が今はこうなってしまいました。わずかな熱帯雨林の残骸を除いて、あとはみんな畑です。
(図83・84)
  東南アジアでも熱帯雨林がどんどん伐採され、伐採された木材が日本に運ばれています。これはインドネシアのスマトラ島です。マレーシアの方にある日本列島と同じぐらいの島ですが、WWFのシミュレーションでは、1960年、1980年、2000年と熱帯雨林は減少の一途をたどり、あと少しで消滅するだろうと言われています。
(図85)
  熱帯雨林から徹底的に木を切り出して、「やっぱり木造がいいよね」といっていますが、今、日本の木造建築物に使われている木材の80%が輸入です。熱帯雨林の木材は枯渇して値段が高くなりつつあります。今度は日本の木材が価値を持ち始めています。今まで私たちが全くノーマークだった日本の山林を今、中国資本が買っているようです。これは危険な話ですが、私たちも同じことをやってきたので中国を非難できない。輪廻を繰り返すようなことが今、起きているわけです。
(図86・87・88)
  これはブラジルのセラードの穀倉地帯です。この幾何学的なところは大豆畑です。殆ど水のないところに地下から水を汲み上げています。また、この一帯は土壌が薄く5センチぐらいしかありません。一回かき回すと殆ど土壌がなくなってしまうので、次々と化学肥料を投入しないとやっていけません。
(図89・90)
  私たちがハンバーガーを2個食べると、バスタブ10杯分の水を消費したことになります。牛丼1杯もやはりバスタブ10杯分の水を使っています。私たちがこうした物凄く安い衣料や木材や食糧を享受しているということは、世界中の水を飲んでいる状況に等しいわけです。今、世界の水が大問題になっていますが、それが日本の文明にはね返ってくることは間違いありません。
(図91)
  アマゾンの熱帯雨林も今世紀中にはなくなると言われています。
(図92)
  これがセラード灌木帯です。セラード灌木帯は草原地帯で、ところどころにアリ塚があります。アリ塚は夜になると光ります。アリ塚にやってきた虫が光って、その光に寄ってきたアリ塚の中のアリを食べるという面白い生態系です。この地帯は世界遺産になっています。これがアリクイです。
(図93・94)
  セラード灌木帯を1973年、1989年、2001年と見てくると、世界遺産になっているところ以外はみんな大豆、トウモロコシ、サトウキビの畑になりつつあります。バイオエタノールをとるために開発されているのです。つまり、人類の食糧問題に自動車というライバルが登場してしまいました。
(図95)
  特にアメリカ車。ここに出したハマーという車はリッター3キロ〜4キロしか走らない。この間テリー伊藤が狭い赤坂を走っているのを見ました。あんな燃費が悪い車をアメリカは売りまくっているのです。
(図96)
  私は自動車会社の手先ではありませんが、トヨタも日産もホンダも三菱もマツダもみんな燃費が物凄くよくなっています。殆どの会社の車がリッター30キロまで行きました。リッター100キロが実現すれば問題は解消すると思いますが、もうリッター50キロは目の前だと言っている人もいます。ガソリンに少しだけ水素を投入することによって燃費が30%上がるという話もあります。日本のこうした技術が、これから21世紀の文明を切り開く、または支えていくものの1つの事例であるということでお話しさせていただきました。

4.食糧自給へ

(図97)
  さて、食糧自給のお話です。皆さん日本は食糧自給なんかできないと思われていると思います。それは皆さんが農水省のプロパガンダに侵されているからです。つい最近まで私も侵されていました。農水省の言う日本の食糧自給率40%というのは、はっきり言ってプロパガンダです。自分たちの行政のプレゼンスを高めたいがために日本国民を洗脳した、そうとしか私には思えません。
(図98)
  農水省の方がいたら是非教えてもらいたいのですが、農水省は昭和62年までの農業白書では生産額ベースで自給率80%と出していました。これは農水白書を調べれば明らかです。それから、昭和62年から平成6年までの間は生産額ベースとカロリーベースの両論併記です。自給率は生産額ベースでは70〜80%、カロリーベースでは40%ということで、ここでカロリーベースの自給率が登場します。そして、平成6年以降は生産額ベースを消して、カロリーベースの40%だけでいく。この10年間「食糧自給率は40%」と言いわれ続けていたので、私たちはそう思い込んでしまった。どんなマスコミの人も、どんな有識者も「日本の食糧自給率は40%です」と言う。この10年間で完全にひっかかったのです。
  世界でカロリーベースの自給率を言っている国は、日本以外にはありません。他の国はみんな生産額ベースです。それは当たり前の話です。アフリカの最貧国はカロリーベースの食糧自給率は100%です。自分たちが食べるカロリーと生産するカロリー、分母と分子だけの世界ですから、自分たちの食べ物を全部自分の国で得ているなら自給率は100%です。ということは、カロリーベースの自給率が40%というのは、日本の贅沢さを表しているのです。
  日本のコンビニは、朝夕4時になったら弁当を全部捨ててしまいます。「あそこのコンビニの弁当は古いぞ」と言われたら、お客さんが誰も来てくれないので、毎日毎日捨てているのです。この間、私は女房に「バターを買ってきて」と言われました。「何だ」と聞いたら、最近、店舗でバターを売っていないのだそうです。その日たまたま洋食レストランでパーティーがあって、テーブルを見たらバターが置いてある。持って帰ろうかなと思って結局やめたのですが、客が少しでも手をつけた残りのバターは捨ててしまう。「ああ、そうか、これで結構捨てているんだ」と納得しました。私たちはカロリーの高いものを大量に輸入していることを考えると、カロリーベースの自給率はどこか違うわけです。
(図99)
  食糧はどんぶり勘定では駄目です。本当は個別で議論しなければいけない。そうすると、お米の自給率は100%です。大体、食糧自給率40%で、あれだけ休耕田があるなんて絶対おかしいわけです。
  自国の食糧自給率が40%と言われると、ガクッと足腰が立たなくなりますね。日本人は駄目なんだ、アメリカやオーストラリアにすがって生きていかなければならないと従属意識がしみついてしまいます。違うのです。日本の食糧自給率は70%なのです。米は100%。野菜は83%ですが、中国の野菜がだいぶと減りましたから、すぐに100%まで行くはずだと思います。魚介類は60%余りですから少し駄目です。小麦、大豆も駄目です。ミカンは100%、お茶は約90%、キノコも大丈夫です。海草もまあまあです。肉は駄目です。ですから、お米と野菜と魚介類とキノコを食べ、お茶を飲み、リンゴとミカンを食べていれば自給は可能なのです。
  ステーキは2週間に1回ぐらいになる。豚肉は1週間に1回ぐらい食べる、卵は2日で1個食べる。毎日2個はやめて下さい。そういう条件ですが、日本は自給できます。まずそこからスタートする。自給するためには何が問題か。今問題になっているのは農村の崩壊です。農村が崩壊したのは、食糧自給率40%と言って、安い海外の食糧を輸入しまくったからです。最近私は、農水省は物を輸入する商社ではないかと思うほどですが、今、農家は安すぎる輸入材に苦しんでいるのです。
  食糧は必ず厳しくなります。私たちは東南アジアの人たちと一緒に自給率を考えるのか、国内で考えるのか、議論しなければいけません。私は、東南アジアの方々の食糧と一緒に考えていけばいいのではないかと思っています。今、私たちは穀物に関してはアメリカに頼っています。アメリカやオーストラリアを相手にしたら絶対足をすくわれると思います。ということで、今、崩壊しつつある農村をどうやって守っていくか。そして、温暖化でなくなっていく水をどうやって確保していくのか。そう考えていくと、非常に現実的でわかりやすくなってくると思います。
(図100)
  生き残りのために水辺環境の回復が必要だというお話をします。
(図101)
  これは広重が描いた江戸湾です。
(図102)
  これは青潮が発生した今の東京湾です。青潮が発生すると、魚介類がみんな死んでしまいます。
(図103・104)
  これは東大の清野先生が作成した図面です。現在の市川、船橋、行徳、浦安付近です。TDL(東京ディズニーランド)、三番瀬があります。戦後の1948年の浦安、行徳を見ると、当時このあたりの陸地は今よりもずーと狭かったことがわかります。きれいな干潟がありましたが、埋め立てて陸地を造ってきたのです。
  今、東京湾には30メートルクラスのクレーターがぼこぼこあいています。東京ディズニーランドを造るために目の前の砂をすくい上げたのです。30メートル級のクレーターの中は、貧酸素水塊が入っていて、北風がビュッと吹くと、その貧酸素水塊が出てきて青潮になってしまう。東京ディズニーランドや浚渫した人々の責任を追及するということではなくて、この過去の負の遺産を私たちが早く解消して水辺を再生していくことが新しい公共事業だと思うのです。これは税金をかけてやるべきことです。
(図105)
  今アサリの自給率は30%です。中国や北朝鮮から入っています。先程「魚介類はちょっと危ない」と私が言ったのはこのことです。日本中の海辺環境が今荒廃しているのです。私たちはものすごい高度成長してしまいました。そこで犠牲になった国土が、実は海だったのです。それは海は見えないからです。
(図106)
  広重が描いたとてもきれいな江戸湾の絵では、湾全体が定置網のようです。海の環境がよければ、定置網ができる。定置網はサステーナブルな漁法で、魚を捕りに行くのではなくて、環境がいいと魚たちが来てくれるのです。魚たちが来てくれるような環境を作ることが、海に囲まれた私たちの日本列島にとって大切なのです。日本人は蛋白と脂肪を豚肉や牛肉でとろうと思わない方がいい。日本では大豆は納豆にするぐらいはとれますが、豚や牛の餌にするほどはとれません。小麦もそうです。だから、海を大事にして魚介類で蛋白と脂肪をとる。そのことを目標にすると、水辺でやらなければいけないことが沢山出てくるのです。

 

5.循環文明の構築

(図107)
  さて、物質循環の文明の構築についてお話ししましょう。
(図108)
  これは広重が描いた新宿の絵です。馬のおしりからポトポトと馬ぐそが落っこちています。これはしゃがんだ人物の目線で描いた低い構図の絵です。大人はこんな新宿の大通りでしゃがんでいませんから、子供がしゃがんで馬を見ている。何で子供がしゃがんでいるのかと言うと、馬ぐそを拾っているのです。これは子供にとってはいい小遣い稼ぎでした。
(図109)
  これはラクダの商隊です。夜燃やしているのはラクダのふんです。砂漠で燃えるものはこれしかない。ラクダのふんはいい燃料だったのです。
(図110)
  これは世界のリン鉱石です。リン鉱石は要するに鳥のふんで、化学肥料のもとになります。マグマから出てくる鉱石ではないので、とったらなくなってしまう。現にもうなくなりつつあります。アメリカはリン鉱石の輸出をやめました。
(図111)
  これはヨーロッパ工業会のデータです。リン鉱石は1996年をピークにしてどんどん減り続け、今世紀中にはなくなってしまいます。リン鉱石がなくなるということは化学肥料がなくなっていくということです。実際に今、化学肥料は暴騰し出しています。東南アジアに行くと、みんな肥料で困っています。日本と韓国だけは商社が強いのか、他の国が不思議がるくらい潤沢にありますが、化学肥料がなくなれば穀物生産も極めて危機的な状況に陥るわけです。
(図112)
  かつて日本では下肥を肥料として利用していました。下肥は商品でした。
(図113)
  これは明治時代、汚わい船が出ていくところです。
(図114)
  これは京都駅で下肥を売買するおやじさんです。京都の駅前の写真ですから、つい最近です。
  私たちの排泄物が肥料になることを知っているのは、日本人と韓国人と中国人だけです。世界の他の国々の人は、私たちの排泄物は臭くて疫病を運ぶ悪魔だと言います。「肥料だ」と言っても信用しない。あの臭いだけでもう駄目なんです。最近は田舎に行ってもあの臭いはなかなかありませんが、あれは肥料であって悪魔ではない。自分たちの排泄物が肥料になることを知っている遺伝子は凄い。化学肥料がなくなったら、私たちの排泄物を肥料にすればいいだけです。そのための技術開発をやってくれと、各分野の専門家に頼めばいいのです。それは今もう始まっています。
(図115)
  次は、エネルギーです。
  これは巨大油田発見の経年変化です。1935年に巨大油田が発見されて、第2次世界大戦では落ち込みましたが、大戦が終わって広がり1950年に一気に巨大油田が発見されました。今は巨大油田は殆ど発見されていません。ところが、新聞でご覧になった方がいらっしゃると思いますが、今日ブラジルで巨大油田が1個発見されました。ブラジルはもしかすると凄い国になるかもしれません。しかし、巨大油田が発見されたと言っても、これからウェルを掘って、パイプを造って、供給を開始して、供給がピークに達するのは大体50年後です。
  過去に発見された巨大油田の重心は1960年です。1960年に全部発見されたと思って下さい。巨大油田の供給量がピークになるのは50年後ですから、2010年の今がオイル供給のピークであるという説があります。しかし、ピークが何時だったかは、下ってみないとわからない。ちょうどピークにいる時は残念ながらわからないのです。
(図116)
  アメリカ合衆国の予測では、2026年がピークだという説、もう10年遅い2037年がピークだという説、さらに10年延ばして2048年だという説の3つのシナリオがあります。しかし、いずれにしろ今世紀前半、今生まれた赤ちゃんが50歳になる以前には、間違いなくピークが来るわけです。正確にピークがいつ来るかということはまだわかりません。しかし、オイルピーク説を否定していたアメリカ政府でさえ、もう公式にオイルピーク説を認めているのです。
(図117)
  オイルについては、埋蔵量が何年あるかは関係ありません。無限にずっとダラダラあるかもしれない。ピークが来てしまうことが問題なのです。何故かというと、ピークが来れば供給量は下がっていきますが、需要が減ることはない。需要は間違いなく増えていくからです。今、世界の文明の中で需要が減っているのは日本だけです。これは凄いことですが、世界全体ではどんどん増えていますので、石油価格の暴騰が起きているわけです。現在の1バレル=110ドルを超える価格がファンドのせいか、オイルピークのせいなのかまだわかりません。今それを議論しても仕方ないのですが、オイルピークが来たら間違いなく価格は暴騰するわけです。
(図118)
  日本文明はオイルピークを一回経験しています。
  これは『大はしあたけの夕立』という広重の代表作です。地味な絵なので、先程言ったように審美眼が何もない私は、何故これが広重の代表作なのかわかりませんでした。
(図119)
  あっと思ったのは、ゴッホが『大はしあたけの夕立』を模写しているのです。それで何故これが広重の代表作なのかがわかりました。広重の夕立の線は見事に鋭い。ゴッホが油絵はしょせん油絵なので、あの鋭い、刀で切り刻んだような夕立の線、人々を刺すような夕立の強さは出ないのです。だから『大はしあたけの夕立』が広重の代表作と言われていること、ゴッホがこれを真似したくなってしまったということがやっとわかりました。
  話はそれてしまいましたけれども、この広重の絵では実はタンカーが描いてあります。もちろんタンカーではありません。筏です。その筏が江戸という大都市に物凄い勢いでエネルギーを注入していたのです。
(図120)
  これは天竜川の木材のデータです。コンラッド・タットマンさんという英国の歴史家の『日本人はどのように森をつくってきたのか』という本の中に出てきました。天竜川は徳川幕府が管轄する天領でした。当時の唯一のエネルギーは木材ですから、江戸幕府は天竜川を初め、あちこちのエネルギー地帯に天領を作ったのです。今のアメリカのブッシュ大統領と同じように、世界のあちこちを押さえてしまった。それが江戸時代のエネルギー覇権でした。しかし、そうしてコントロールしていた森林エネルギーも1770年をピークにして急激に下がっていく。これが江戸時代のオイルピークです。
(図121)
  21世紀は間違いなく原油価格が高騰します。その時に私たちに残されたエネルギーは、私は太陽エネルギーと原子力しかないと思っています。ここでは太陽エネルギーについてだけお話しします。
(図122)
  太陽エネルギーは一番きれいなのですが、決定的な弱みを持っています。それは単位面積当たりが薄いということです。日経新聞の記事を借りますと、1のエネルギーを投入して、原子力だと17のエネルギーが得られる。中小水力は10のエネルギーが得られる。以下、石油、地熱、石炭、LNG、太陽光と続くのですが、太陽光は1を割っています。太陽光を作れば作るほど環境が悪化するのです。ですから、メーカーさんに早く1を超えてもらいたいわけですが、それは時間の問題だと思います。
  ここで1のエネルギー投入に対して何が効率がいいかを考えると、化石燃料はもうなくなります。石炭も限界があります。LNGも時間の問題だと思います。少なくとも私たちの周辺に残ったエネルギーは、原子力と水力しかありません。なぜ中小水力なのか。私は日経新聞に聞いていませんが、いわゆるダムの大規模水力はもっと率がいいと思います。
(図123)
  水力は太陽エネルギーです。おてんとう様が照らした水蒸気が上昇して、上空で冷やされて雨になって落ちてくるわけです。
(図124)
  これは葛飾北斎が描いた渋谷原宿の絵です。
(図125)
  これは電事連のデータです。今日は電力会社の方がいらっしゃるかもしれませんが、何故今、電力会社は水力をやらないのか。高いからです。石炭が10円。LNGが9円。原子力が9円。水力にすると30%も高い。でも、水力以外の値段の内訳を見てみると、圧倒的に燃料費が占めています。この燃料費が暴騰していくわけですから、燃料費がただの水力が必ず勝ちます。
(図126)
  日本にはただの水力があります。ダムを造るというより、流れている水に水車を設置する。海へ流れていく水はエネルギーなのです。あれを黙って見過ごしてはつまらない。
(図127)
  これは山梨県都留市の市役所の前にある発電水車の写真です。ここから市役所に電力を供給しているのですが、もっともっと効率のいいものが沢山あるのに、何でこんな不効率な発電をしているかと聞いたら、子供たちへの教育でわざと効率の悪い発電水車をやっているそうです。
(図128)
  この写真のおじさんは何をやっているのかというと、ここに水路があって小さな水流があります。このおじさんが自分のお手製で発電機を作って、イノシシを追い払う電気柵に電流を流しています。
  今、電力会社が何に困っているかと言うと、電気事業法で全ての人々に電気を供給しなければならないからで、大きな発電所を造ると、下流の大都会に向けるのはいいですが、逆向きに山の上の別荘にまで1本1本電線を持っていかなければいけない。それによって結局多くのロスを生じているわけです。東京、名古屋、大阪などの大都市はエネルギー的に自立できません。そうしたところは水力発電から集中的に効率よく電気を運び、自立できるところは、都留市役所やこの写真のおじさんのように自分で工夫してやっていこう。私はそれがこれからの21世紀の日本列島のありようだと思います。
  水の流れのある日本列島に生まれた私たちは恵まれています。雨も平たいところに降ったところで、単位面積当たりは薄く、何のエネルギーにもならない。ところが、日本の国土の70%は山です。あの山が雨水エネルギーを集める装置なのです。日本の国土、日本列島そのものが雨水太陽エネルギーを集めてくれる装置だったのです。だから、水が流れている。こんな恵まれた列島はないというのが『幸運な文明』のコンセプトでした。

日本人の遺伝子が21世紀文明を救う…広重の絵が勇気づける未来
      ―Small is Beautiful―

(図129〜136)
  日本の遺伝子が21世紀の世界の文明を救うというお話です。
  日本は大陸から伝わった団扇を扇子にした。長いコウモリ傘を折り畳みにした。ラーメンをカップラーメンにしてしまった。ステレオをウォークマンにしてしまった。オーケストラをカラオケにしてしまった。大自然を日本庭園に凝縮してしまった。日本人というのは何でも小さくしてしまう民族です。
  これは李御寧(イーオリョン)さんが20年前に『「縮み」志向の日本人』という本に書いたことです。私も今まで無数の本を読んでいますが、この本は5本の指に入る名著です。
  『「縮み」志向の日本人』という題名を聞くと、何か日本人を馬鹿にしたような本かと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、違います。作者の李御寧さんは、日本の文化人は、欧米と比較して日本人を論じる。それは欧米人との比較論であって、本当の日本人論ではない。日本人が何者かを探る場合は中国人、韓国人と比較しなければ駄目だ。日本人が欧米人と異なっていても中国、韓国人と同じであったらそれは東洋人論になってしまう。中国人、韓国人と日本人が決定的に違うところがあれば、それこそが日本人なのだ。その考え方のもとに見ると、日本人が世界の全ての民族と違うところは「縮めてしまう」ことだと分析しているのです。
  韓国人は縮めない。大きくなってしまう。ソウルに行くと軽自動車は走っていません。「何で軽自動車がないの?」と聞いたら、「軽なんかに乗っていたら、ブブーッとふかされちゃう」と言う。「どけ、どけ」という感じなのでしょうね。韓国に行くと、たまにデリバリーの軽自動車が走っているくらいで、基本的にセダンばかりです。日本ではどこに行っても軽自動車は市民権を持って堂々と走っています。別に後ろからあおられたりはしないわけです。
(図137)
  日本人は、「かわいい」と言って小さいものを愛する人間です。李御寧さんは20年前にそのことは指摘したのです。しかし、李御寧さんは、「何故日本人は縮めるのか」の答えを出していませんでした。李さんは「あとがき」で、理由がわからなくても、そのことを認識することが大事だ、と弁解しています。要は自分には理由がわからないと正直に言ってしまっているのですが、私も20年間ずっと理由がわかりませんでした。ところが、ついにそれを発見したのです。これも本邦初公開の私の仮説です。
(図138)
  広重の日本橋の絵です。江戸から出発して何百キロも離れた自分の国へ帰る大名行列の足軽が、荷物を背負って息も絶え絶えに下を向いて橋を渡っています。彼が背負っている荷物は、殿様の着がえとか、江戸のお土産とかいろいろなものが入っています。この絵は何回も見ていました。ある時、ああ、そうかと気がつきました。日本人は自分で荷物を持って旅をしていたのです。
(図139)
  これは江戸のいろいろな人たちの旅姿ですが、みんな自分で荷物を持っています。
(図140)
  少し遡って桃山時代。お偉いさんは別ですが、やはりみんな自分で荷物を持っています。日本人は荷物を自分で担いで歩いていたのです。
(図141・142)
  箱根を登る時も、大井川を渡る時も自分で荷物を持っています。
(図143)
  これは3人の子供を馬で運んでいる珍しい絵です。基本的にこんなことはありませんでした。馬で運ぶのは物凄いお大尽ですし、船も大変なお金持ちしか乗れませんでした。みんな歩いて旅をした。歩く民族だったのです。
(図144)
  ユーラシア大陸は乗り物の文化です。これは私が北京空港で入手した絵ですが、2人の牛遣いが二十何頭の牛を操って大きな、大きなパオを運んでいます。中国を通って韓国までがユーラシア大陸ですから、日本以外の大陸の文明はみんな物を馬車などの車で運んだのです。
  何故、日本では乗り物による運搬・移動が発達しなかったのか。こんな箱根の山道を登ったり、大井川を渡ったり、ましてやこの東海道の吉原の絵を見て下さい。今の静岡ですが、道と言っても田んぼのあぜ道程度のものです。この狭さ。この狭い道から外れたら湿地帯です。東海道なんて立派なものではなかった。あぜ道を歩いていたのです。だから、乗り物の文明が発達しようがなかったのです。これは江戸幕府が街道を造らなかったという問題ではなくて、日本の地形が湿地帯で余りにも過酷だったからです。日本列島を縦断したり横断したりすることは、川が流れる湿地帯を行くことだったのです。ということは、日本人は自分で物を運ぶしかなかったのです。
(図145)
  これは新橋の鉄道博物館に展示してある昔の旅の道具です。どれも小さいのですが、この爪切りは小指ぐらいです。道具類は目いっぱい小さくしていたのです。
(図146)
  これは印籠です。幾つにも分割できて、それぞれの段の中に薬が入っていました。
(図147)
  これは小田原提灯です。これも縮めてしまいました。
(図148)
  明治になると鉄道ができます。馬車もできます。物を大量に運ぶ世界に急激に変化していきました。しかし、それまで私たち日本人は何千年も歩いて歩いて歩き回っていた。その中で一番やらなければいけないことは、物を小さくすること、凝縮すること、細工をして縮めること、小さく詰めこむことだったのです。ですから、細工をしない人間は「不細工だ」と言われるし、詰め込まない人間は「詰まらない奴」と言われてしまう。日本人の美意識、価値観にまでなってしまったのです。そして、物を詰め込む、つまり小さくするということは、実は一番の省エネです。これ以上の省エネはないのです。
(図149)
  これは東海道の赤坂というところの旅館の風景です。何故、日本の旅館で浴衣が発達したか。今でもホテルに行くと置いてあります。歯ブラシまで置いてあります。世界のどこのホテルにも浴衣なんて置いていません。世界を旅行する時に気をつけなければいけないのは、パジャマを持っていくことです。
  日本では、そんな余分なものは全部旅館でセットする。旅人は軽い身なりで歩きなさい。逆に、歩いて旅をする人たちから、そういうことを要求されたのだと思います。今は世界中で、ホテルには歯ブラシが置いてあったり、日本の旅館のシステムがだんだん広がり出しています。しかし、ヨーロッパや韓国や中国の基本的なホテルにはない。寝るだけです。私たちの日本では、歩いて歩いて歩き回る社会システムの中から、物を小さくして、必要なものはその場で借りるという文化ができていった。20年前、李御寧先生が『「縮み」志向の日本人』で出さなかった答えを、20年後にやっと出したというのが私の今の感慨です。
(図150)
  21世紀は「美」は駄目だということです。
  「美」という字は、「大きな」「羊」と書きます。中国人にとっては大きな羊が美しいのです。だから、大きなアメリカは「美国」なのです。中国人の悪口は言えません。私たちもアメリカに「米国」、一番大事な「米」の「国」なんてつけてしまいました。これはアメリカに対するコンプレックスです。
  中国では大きな羊が美しい。大きいことが美意識です。しかし、私たち日本人は「羊」の下に「小」を書く。小さいことが美意識で、小さいことは美しいと心から思っている。だから、「かわいい」は女性だけが使う言葉ではありません。大人の男性も猫などがいると、「お、かわいいな」と言います。「かわいい」が日本人にとって共通の美意識なのです。実はそれが一番エネルギーを少なく文明を構築できる遺伝子です。
(図151)
  広重が描いた絵は持続可能な未来を私たちに示しています。広重の世界にもう一回戻るということではなくて、それを参考にしようというのが私の話の内容でした。つまり、稲作をして、排泄物を再利用する。川と海の環境をよくする。そして、水を大切に溜めて、上手に利用していく。この大きな水循環の中で、物を小さくしていく。これが温暖化し資源が枯渇していく21世紀を生きていく道ではないか。このことを広重が示している、という私の仮説を今日は披露しました。
  どうもありがとうございました。(拍手)

 

フリーディスカッション

與謝野 竹村理事長、大変にありがとうございました。
  本日の講演では、安藤広重の絵に見られる日本文明の原風景と今の現実の文明とが抱える問題、この2つの課題を対峙させながら、循環する文明、サステーナブルな文明の仕組みを育む大切さを含めて実に幅広い視座からの貴重なお話をいただきました。誠に啓発される内容が多々ございました。また、本邦初公開とのことで、貴重な卓見もお聞かせいただきまして、目と耳を離せないあっという間の1時間半でございました。充実したお話を頂きまして厚く御礼申し上げます。
  それでは、この場で先生へのご質問をお受けしたいと思います。どうぞご遠慮なく挙手願います。
斉藤(セガミホールディングス) 今日はどうもありがとうございました。大変感銘しました。私も広重が大好きでよく見ているのですが、全然違う観点で見ていることを非常に面白いなと思いました。
  ご質問ですが、青森にある三内丸山遺跡は確か1万年ぐらい前のもので、当時は非常に暖かかったと言われています。遺跡の中にあれだけ食糧が残されたのは今より気温が5〜6℃高かったためで、その後また寒くなり、最近また暑くなっているという仮説があるようですが、その辺の気候の循環についてお聞きしたいと思います。
竹村 地球環境の温暖化は本当にCO2の問題かどうか疑問です。CO2よりも水蒸気の方がはるかに温暖化にとって大きい条件です。地球の大きな動き、または太陽の活動の大きな動きの影響もある。原因は確定できませんが、少なくとも温暖化のトリガーはもう引かれてしまった、という感じがします。
  1万年前から6000年前にかけて、縄文時代前期はとても暖かかったのです。それから寒冷期に向っていきました。私が生まれた1945年から大学に入るまで、つまり1940年代から70年代まではCO2濃度はどんどん上がっているのに、気温はどんどん下がっている。それはおかしい、実は太陽の活動の影響の方が大きいのではないか、という理論になります。どちらにしろ温暖化のトリガーは引かれてしまったと思います。
  時間があったらお話ししようと思っていたおもしろいデータがあるので、ここでご紹介します。
(図152)
  北極の氷は一度解け出したら、もう融解はとまらないというお話をしました。
(図153)
  気温については、IPCCでもどこでもみんな100年後はカーブが上に凸です。上に凸ということは、気温上昇は100年後には頭打ちになっている。気温上昇は終るのです。
(図154)
  ところが、海面上昇は誰がやっても下に凸です。下に凸ということは、海面上昇は数百年間、また1000年間とめどもなく進んでいく。一回上昇し出したらとまらないのです。
(図155)
  冷たいビールはおいしいですが、ぬるくなると、ビールの中にあるCO2がどんどん出てきて泡だらけになってしまいます。海も同じです。少しでも海面が温まってしまうと、海の中にはべらぼうなCO2がありますので、それが大気に出てくる。大気中のCO2も海に溶け込みにくくなります。一回トリガーが引かれてしまうと、地球全体が暖かくなっていく一方なのです。これはシベリアのタイガとかいろいろな例でも説明できます。
  縄文時代から一回温度が下がって、今回上がっている。これが人為的なものによるのか、大きな宇宙規模の動きのせいなのかはわかりません。誰がトリガーを引いたのかはいろいろな説があるので、それについてはもう議論しません。私は現実主義者なので、いろいろな現象から見ると、どうやら温暖化の引き金はもう引かれて弾丸が飛び出してしまった。そこからスタートして、それなら、どうしたらいいかということを考えています。
(図155)
  お話ししたように、海面は一回上がると、どんどん上昇し続けます。そうすると、日本列島は沈んでしまうのではないかと心配されると思います。そこで、現在よりも海面を30メートル上げてみました。そうすると、平野は水没してしまいます。しかし、平野、つまり洪水氾濫区域は日本列島の10%しかありません。国土の90%は残るわけです。海面が30メートル上昇しても国土の90%が残るなどという国はめったにありません。日本はついています。難民が殺到すると困るので、このことは余り言わない方がいいかもしれません。(笑)
與謝野 「縄文海進」という言葉がありますね。ものの本では、今の海面よりも確か15メートルぐらい上昇したという知識を持っていたのですが・・・。
竹村 大体5メートルです。それはボーリングデータや貝塚の分布でほぼ確定しています。
三浦(日本大学名誉教授) 竹村さんのお話は何回か聞いております。いつも「今日はだまされないぞ」と思いながら聞いていて、必ず最後には「ああ、だまされた!」と思います。今日も大変興味深くお伺いしました。今日のお話は殆どI agree、その通りだなと思っております。特に食糧自給は可能であるというのはその通りで、あとは政策だろうと思っておりますが、1点だけ質問という形をとらせていただきます。
  肥料として非常に重要な資源であるリン鉱石が枯渇していく、アメリカはリン鉱石をもう外へ出さない、日本が昔利用していたし糞尿の中にはその資源が豊富にあったというお話があったかと思います。そこで、忌み嫌う排泄物により科学的に真正面から取り組むべきではないかと思っている方が何人かおられるかと思いますが、私もその1人であります。
  江戸時代の日本は世界で稀に見る循環社会でありました。人間の排泄物を資源として有効に利用していたという点が間違いなく循環社会を形成していただろうと思います。竹村さんは、今後、忌み嫌うふん尿に真剣に取り組んでいくべきだとお考えですか。それとも、東京都の下水道局に任せて全部流しましょうというふうにお考えですか。竹村さんの高邁なる思想をお聞かせいただければと思います。
竹村 もうおわかりのことかと思いますが、私は、人間の排泄するものを肥料として使わざるを得ない、使うための新しいインフラが必要だと思っています。今、下水道の最終汚泥は原油をぶっかけて燃やしています。最終汚泥は捨てることができません。捨てたらお縄ちょうだいですから、メタンを作ろうとかいろいろな工夫をしているのですが、しょせんは膨大なお金を投入して燃やしているわけです。この汚泥をいかに肥料にするかが、これからの一番大きなテーマだと思います。
  ところが、その文明の出口を私たちは見ないふりをしてきました。いつも入り口や上部構造のきれいなところだけに注目して、集中投資してきたので、見ないふりをしてきた出口のところは、科学的研究が一番立ちおくれていると思います。
  これから原油が高くなってきます。今のような下水道の最終汚泥の処分方法は殆ど不可能になると思います。その時にどうするのか。私の1つの答えは、私たちの体はバクテリアだらけです、バクテリアを使った処理です。私は土木屋なので、どうしても力学的なところで勝負したくなってしまうのですが、そうではなくて、バクテリアを使った新しい汚泥処理方法によって新しい還元物、循環物を出す。実はそうした技術をベンチャーがどんどんやっています。それがなかなか社会に組み込まれないだけで、ベンチャーたちはかなりの精度でやっています。私は時間の問題だと思っています。
  出口のところにかかわらず、ベンチャーの人たちが生み出したいい技術がなかなか社会に組み込まれないのは、もう既存のシステムができてしまっているからです。できているシステムを変えるのは大変なことです。ベンチャーの人たちが七転八倒して苦しんでいるのは、日本文明がもう一度完成してしまったからです。既存システムの中にどうやったら隙間を見つけられるか、見つけるまでに資金がもつかどうかで苦労しているのです。しかし、その苦労をもう少し我慢すると、一番の本体の石油がとんでもないことになっています。つまり、本体が縮んできているので、黙っていても隙間がどんどん大きくなります。その隙間を埋めなければいけない。今まで本体以外の分野で一生懸命研究してきた研究者やベンチャー、新しいシステムを導入しようとするチャレンジングな人たちがいるのです。私も何人か知っています。
  三浦先生のご質問に対する答えとしては、私自身の問題ではないのですが、排泄物を有効な肥料にすることはもう現実化するところに来ている。ただし、現実の動きになっていない、それだけだと思っています。
千葉 水辺のお話が出てきたのでお聞きしますが、日本の行政は有明海の埋め立てなどで大分失態をやってきたのではないかと思うのです。そのあたり、もとに戻したらいいとは思わないのですが、どうしたらいいのか。立場上、非常にお答えになりにくいとは思うのですが、お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
竹村 (図156)
  これは日本の1000年の人口です。江戸時代、1200万人が3000万人に大爆発して、それから大体3000万人で安定していましたが、明治でまた大爆発して今は1億2000万人です。100年後には7000万人に向かいます。ヨーロッパのイギリス、フランスと大体同じになります。今の日本は歴史の特異点なのです。私たちは今、特異点に住んでいるのです。
  私たちは様々な環境問題を抱えています。諫早干拓もそうです。私は諫早干拓は失敗だった、と思っています。その他にもいろいろな失敗を繰り返してきました。今から見て後出しジャンケンで評価するのはよくないのですけれども、今、私たちは頂点に立っています。ということは、過去の文明がよく見えるのです。坂道を登っている時は見えません。後ろを振り向いたら転がり落ちてしまいます。それでは、未来は見えるのかというと、坂を登っている最中には、先にはまだ山があるから未来も見えない。今、頂点にいるということは、過去も見えるし、未来も見える立場にいるのです。だからこそ、私たちは今、過去のこともしっかり総括しなければいけないし、未来も語らなければいけないと思っています。
  私たちはこれまで人口増加の圧力で次々とやらなければいけないことがあった。その間に戦争をしたり、いろいろなことをしましたけれども、膨張するこの人口をどうやって食べさせていくかということで精いっぱいだった。私は成功も失敗も、その全ての原因は人口膨張だと思っています。
  今ご質問があった有明の諫早干拓も基本的には農業の土地が欲しかった。あの農地干拓も人口膨張で需要が増加するという前提のプロジェクトだったのですが、時期が遅れてしまった。人口増のピークを過ぎても、事業がまだ終わっていなかった。時期的なドジを踏んでしまったのです。ピークに向かう前に終わっていたら「立派なものだ」と言われたかもしれません。先輩たちは人口増加圧力に懸命に対抗してきました。ここで頂点を迎えるとは、誰もわからなかった。今、私たちは頂点に立っているからわかるわけです。過去のプロジェクトについて、「ああ、失敗したな」と正直に言えるようになったわけです。
  先程東京湾にはクレーターが沢山あるというお話をしました。ああいうことももうタブーではなくて、みんなが認識をして、埋めていくことが新しい公共事業なのだと、言えるようになりました。負の遺産の解消も公共事業なのだ、ということを政治家にわかってもらわなければならない。今の政治家はそういうことは考えていませんから、誰かが言い続けなければいけない。「誰か」とはこのことを知った人たちです。その人たちが言い続けて負の部分も解消していこう、そうしないと食糧が自給できない。
與謝野 他にご質問される方はおられませんでしょうか。折角の機会でございますので、どうかドシドシご質問下さい。
市原(日本プリンティングアカデミー) 海面上昇の件で私たちがいつも言われているのは、北極と南極の氷が解けてしまうから海面が上昇するのだということです。ところが、氷は体積が非常に大きいので、北極と南極の氷が解けると、逆に海水面が下がってしまうという話も聞くことがあります。或いは、気温が上昇することによって海水が膨張することが問題なのだ、それによって海抜の低い地域は水没してしまうおそれがあるという話もあります。どの辺が本当なのかよくわからないので、ご指摘いただければと思います。よろしくお願いします。
竹村 基本的には体積は海水温4℃のときが一番小さく、温度が上がるとどんどん増えていきます。ですから、IPCCがやっている研究でも水の体積膨張が海面上昇が主たる原因です。北極の氷の融解は「行ってこい」で関係ないのですけれども、アルプス、アンデス、ヒマラヤの陸地にある氷河が融け出すのは完全な純増です。これは海面上昇のプラスの方に効きます。ただし、温暖化すると南極も蒸発量が増えますので、南極にどんどん雪が降って「行ってこい」ではないかという話もある。実はわからないことだらけなのです。
  ただ、先程お話しした厳島神社とかテームズの防潮堤など、私たちが今の時間軸で見ているデータだけ見ていると、海面がどんどん上がっていく情報しか入手できないのが現状です。私は余り予言をしたくありませんが、現状を見て、上がっていくだろうという前提で準備はしておいた方がいい。準備せざるを得ないと思っています。いずれにしても、海面上昇は様子を見ればいいと思います。何百年、何千年かかりますから、決して焦ってやる必要はありません。本当に海面が上昇してきてからやればいいのであって、十分時間はあります。
與謝野 はい、ありがとうございました。
  皆様におかれましては、大変ご熱心にお聞きいただき、また貴重なご指摘、ご質問をいただきましてありがとうございました。また、竹村理事長様におかれましては、皆さんのご質問に対して、非常にわかりやすくかつ真剣にお答えいただきまして、私たちに貴重な知見を多くお示しいただきました。本当にありがとうございました。
  それでは、本日、大変に素晴らしいお話をいただきました竹村理事長様に大きな拍手をお送りいただきたいと存じます。(拍手)
  ありがとうございました。それではこれにて本日のフォーラムを締めさせて頂きます。                                    


 


 




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