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第8回NSRI都市・環境フォーラム

『まちづくりに+artsの風を吹き込む〜不完全プランニングのすすめ〜』

講師:   永田 宏和 氏    株式会社iop都市文化創造研究所代表取締役、NPO法人プラス・アーツ理事長                                                                            

日付:2008年8月28日(木)
場所:日中友好会館

                                                                            
1.自己紹介

2.防災+arts

3.教育+arts

4.まちづくり+arts

5.不完全プランニングのすすめ

フリーディスカッション

 

 

與謝野 それでは、本日のフォーラムを開催させていただきたいと存じます。
  皆様におかれましては、大変お忙しい中、また外はかなりひどい雨も降りまして、お足元の悪い中、本フォーラムにお運びいただきまして、まことにありがとうございます。また長年にわたり、このフォーラムをご支援いただきまして、さらに、先月の経団連会館でも大勢の皆様にご参加いただき、改めまして厚く御礼を申し上げます。
  さて、本日は、若い世代の都市計画専門家にお声をかけまして、「まちづくり、建築プロデュース、アートイベント」等の分野の現場で幅広くご活躍しておられる方を講師としてお招きいたしました。まちづくりの世界に若々しい新風を吹き込む、その息吹と発想に触れていただきまして、この分野の見識を大いに深めていただければ幸いであります。
  本日お招きいたしました講師は、株式会社iop都市文化創造研究所代表取締役であられ、またNPO法人プラス・アーツ理事長であられます永田宏和様でいらっしゃいます。遠路、大阪からお越し頂きました。
  永田様のプロフィールにつきましては、受付でお渡し致しましたご案内のとおりでございますが、建築、デザイン、アートなどの「クリエイティビティ」を必要とする分野の知見に防災の分野をリンクさせた展覧会『地震EXPO』という大変ユニークなイベントプロデュースなども手がけておられる、誠に多才な活動家でもあられます。
本日の演題は、ご案内のとおり、『まちづくりに「+arts」の風を吹き込む〜不完全プランニングのすすめ〜』とされておられまして、その新風のお考えにもとづく豊富な事例紹介とともに貴重なお話をご披瀝いただけるものと楽しみにしております。
それでは、本日の講師の永田宏和様を、皆様からの大きな拍手でお迎えいただきたいと存じます。永田様、よろしくお願いいたします。(拍手)

永田 今ご紹介にあずかりましたiop都市文化創造研究所という株式会社とNPO法人プラス・アーツという2つの組織を今率いております永田と申します。大阪の方からやってきました。
今日は、この分野における先輩方の前で僕が話をさせていただいていいのかなというぐらいの気持ちがしております。
ここに「+arts」の風を吹き込むとありますが、まちづくりの分野から仕事を始めまして、アートを含め、今は非常に幅広い分野で仕事をさせていただいています。今日、皆さんの前で話をさせていただく内容は、ほとんど現場で感じていることが中心になってくると思います。現場の実績を数字的なことでご紹介しますと、例えば、いろいろなアートイベントで、年間、多い時で2万人、少なくとも1万人を軽く超えるぐらいの子どもたちやファミリーの方々と場を共有しています。
それから、住民参加のまちづくり的なことも、幾つか大阪の方で草の根的にやっておりますので、先程も申しましたが、私がお話しすることは現場で肌で感じていること、そういうところが中心になると思います。
基本的には事例をたくさんお話しさせていただきます。私がここに来て話す意味として、普段やっている事例を中心に聞いていただいて、その中からヒントだったり、少し面白いなと思っていただけるところがあれば幸いかなと思っております。
今日のレジュメを作成した際に、「+arts」という視点なので、「教育とarts」とか、「まちづくりとarts」というふうにざっと事例を出してみたのですが、1時間半の中で話すには、少し事例を出し過ぎてしまいました。最後の提言、提案的なことをお話する予定ですが、そこに行き着くまでに終わってしまうと、何をしに来たかわからなくなってしまいますので、話をする順番を組み替えさせていただきます。
9月1日、来週の月曜日が「震災の日」ということで、今日は私にとって非常にタイムリーな日となっています。明日から東京の方で関係している大きな防災のイベントが2つ開催されます。そういうこともあって、そのイベントのことは話して帰らないとうちのスタッフにも怒られてしまいますので、まず最初に、「防災+arts」という視点でお話をさせていただきます。私にとっても、うちの団体にとっても看板プロジェクトです。この話をさせていただいて、その後「教育+arts」「まちづくり+arts」という話を展開させていただきたいと思います。

1. 自己紹介

 私は、先ほどご紹介がありましたけれども、大阪畑でずっと育っています。大阪大学の鳴海邦碩さんの研究室でまちづくりを学びました。その後、竹中工務店に勤務させていただきまして、8年間勤めました。いろんな部署を体験させていただいて、2001年に独立をいたしました。実はNPOを作ったのは一昨年なんです。まだNPOとしては日の浅い団体です。後程出てくるあるプロジェクトがきっかけで、NPO法人を設立しました。
  今、母校である大阪大学、そして武庫川女子大学でも非常勤で学生たちに接しさせていただいています。
(図1)
  私たちのやっている「+arts」の理念、考え方は、私たちがいろいろプロジェクトをやってきた中で出てきたテーマでもありますが、いろいろなところで興味を持っていただくことが多く、このテーマだけでお話をする機会が多いんです。
  考え方はこうです。私はもともとまちづくりをやっていましたので、まちづくりの現場に行くと、最近でしたら、「防災」だったり、「防犯」だったり、「環境」だったりと、いろいろなテーマで皆さん取り組まれています。それなりにうまくいっているところも多いのですが、やはりどのテーマに対しても、皆少し行き詰まっているところがあるんですね。今までのやり方ではにっちもさっちもいかない。何とかしないといけないな・・・みたいなことが結構現場では聞こえてきます。
  そういう時に、今までのやり方ではなくて、「+arts的アプローチ」と呼んでいますが、そういう考え方を導入してみたらどうですかというのが私たちの提案です。「+art」とよく間違えられるんですが、実は、sと複数形にしているのに意味があります。「art」とすると、美術、芸術を持ち込むのか、例えばアーティストを連れてくるのかみたいな話になるんですけれども、ここでいう私たちがとらえている「arts」という概念は、もちろん美術、芸術も含まれるのですが、それ以外にも、「建築」や「デザイン」といったクリエイティビティ全般を持ち込みます。特に、「デザイン」は非常に大きな役割を果たします。
  それから、さらに言うと、「アーティスティックな思考法」と言った方がいいかもしれませんが、そういう既成概念にとらわれない新しい発想を持ち込むことも重要なんです。例えば、後ほど紹介するまちづくりの事例の中でも、私が面白いなと思うのは、一緒に取り組んでいる一般の市民や区民の方々が面白いアイデアを出される、いわば「アーティスト」になる瞬間があるんですね。
  全て、アーティストが持ち込むアーティスティックな発想だけに頼るのではなくて、市民、区民の方々にそういう発想を出してもらうように、ファシリテート、つまり場の盛り立てをする。一般の方々、地域の方々がそういうアーティスティックな感覚を持てるように展開する、そういうことも含めて「+arts」の手法と呼んでいます。
  ですから、表現とか手法ということで捉えられることも多いのですが、実は考え方とか理念的なことにこの「+arts」という言葉は関わっています。
  こういうアプローチによって、今までどうもうまくいかなかったものが、急に突破口が見つかってすっと回転しだしたり、課題が解消されて活性化していく・・・。そういったことにつながっていくのではないかと考えています。

2.防災+arts

(図2) 
  「防災+arts」というジャンルで私たちは一番幅広く活動させていただいているわけですが、今からこのジャンルのプロジェクトの話を聞いていただけたら、「+arts」の意味が少しご理解いただけると思います。
  私たちは、理念、大きなテーマを掲げています。NPOですので、社会的なミッションを背負っているのは当然の話です。一番大きなミッションは「防災の日常化」です。防災というのは絶対にやらないといけないので、みんな意識の中にはあるのですが、何故か置き去りにされてしまう。ただ、明日やろうとか、近いうちにやろうということでどんどん先送りしている間に、地震が起こらないとは限りません。都市を襲う地震に対して備えができてないということが多いわけです。
  この防災をどうすれば、こちらがそれを伝えていく身として日常化できるかということが大きなテーマの1つです。
  「防災」というテーマに対して日常化するプロセスとしてクリエイティビティ、先程言ったアートとか建築、デザインがどういうふうに貢献できるのか。これは多くの著名な建築家、デザイナーなど、いろいろな方々とのコラボレーションで実現をしています。それから、子どもに対して「楽しみながら学ぶ」。このコンセプトは非常に大きく働いています。
(図3)
  まず最初に、ちょっと一風変わった防災訓練をご紹介します。「イザ!カエルキャラバン!」というタイトルで、実は全国でやっております。これはどういうものかと言いますと、新しいタイプの防災訓練なんです。まずゲーム感覚で楽しみながら防災を学べるというポイントがあります。それから、たくさんの人が参加します。募集を制限しないといけないぐらい人がやってきます。
  これまで最も防災訓練に来ないと言われていたファミリー層が大勢押しかけてくるというプログラムです。これは何故そうなっているかというところに「+arts」の仕掛けがあるわけです。
  このプログラムの構造はこうです。今までの防災訓練を、当時、かなりリサーチしました。若いファミリーが集まらない、毎年同じ顔ぶれでやっている、動員で人を集めている、一般的な防災訓練ではそういった状況が多く見受けられました。
  これは2005年の震災10年のプロジェクトです。神戸市と兵庫県から依頼を受けまして、子ども向けの楽しいイベントをやって欲しい。そこに防災を絡ませてほしいというお話をいただきました。要するに、防災訓練ということでたくさんの子どもたちが来ている姿を作れという非常に無理難題を頼まれたわけです。
  その時に防災訓練の状況を調べましたが、1つ1つの防災訓練メニューを楽しくしたところで、防災とうたっている以上多分人は来ないだろうという感覚がありました。実はここにアートを絡めました。藤浩志という、今はうちのNPOの副理事長をしていただいている方が、全国で展開をしている「かえっこバザール」というプログラムがあります。これは子ども対象のおもちゃのリサイクルイベントです。このイベントは2000年から始まっていて、全国各地で開催されています。もう何十カ所だと思います。開催回数でいうと、数百回を超えています。世界でも藤浩志の作品として、アメリカ、タイ、中国、ベトナム、いろんなところで行われています。
  このプログラムは実にたくさんのファミリーがお越しになります。リピート率も高いです。それからとても楽しい。これは防災訓練が持っていない部分をすべて補ってくれる、そういう要素を持ち合わせていたわけです。
  そこで、この2つを組み合わせることで新しい形の防災訓練を作ろうということになりました。
 
(図4)
  「イザ!カエルキャラバン!」の仕組みは、「かえっこバザール」のシステムをベースに敷いていますので、今からご説明します。急におもちゃが出てくると、「どうして?」という話になるんですけれども、まずお客さんはおもちゃを持ってやってきます。「いらなくなったおもちゃを持って集まれ!」という呼びかけをしますので、おもちゃを持って会場にやってくるわけです。そうすると、銀行コーナーでおもちゃを「カエルポイント」に交換してくれます。どうして「カエルポイント」なのかというと駄洒落なんですね。「かえっこ(おもちゃの交換をする)」だから「カエル」がキャラクターになっていまして、おもちゃを銀行で査定してカエルの顔のスタンプに交換してくれるわけですね。地域通貨みたいなものなんですけれども、おもちゃをポイントに替える。人が持ってきたおもちゃが、ショップと言われているお店に置かれている。ザルに盛られたりしているのですけれども、それを交換した「カエルポイント」でお買い物できるという仕組みです。
(図5)
  これだけだと、「防災」のプログラムにならないのですが、実は、いいおもちゃを持ってくる子どもたちがいるわけです。テレビゲームのソフトとか、大きなボードゲームとか・・・。そうすると、そういういいおもちゃをショップにそのまま出してしまうと、取り合いになりますので、ショップには出さず、最後に行われる「オークション」まで飾っておくことになります。最後に公平な「オークション」の場でおもちゃを競い合って取り合うわけです。その「オークション」が行われる最後まで皆さん帰りません。そして、最後のオークションでは、ポイントの高い人が勝ちますので、皆さんポイントを貯めたくなります。ポイントを貯めるために、もともと「かえっこバザール」には各種体験コーナーというのがあって、そこで様々な体験をすると、ポイントがもらえるという仕組みがありました。この体験コーナーをすべて「防災訓練プログラム」に変えたのが、実は「イザ!カエルキャラバン!」の大きな仕掛けとなっています。
  ですから、防災訓練に来てください!とうたっているわけではない。「かえっこバザール」をしに遊びにおいでと呼びかけているわけです。会場にやって来た子どもたちは、自然に楽しいゲームや遊びにどんどん参加していって、防災の知恵、教訓、技など体得しながら、さらにポイントももらって、最後は好きなおもちゃを「オークション」で競い合って、楽しんで帰っていく。そういう仕掛けになっています。
  神戸市で7カ所、10日間で約7,000人という人を集めて、これが当時話題を集めました。それから全国展開に発展してきました。
(図6)
  この「イザ!カエルキャラバン!」もう一つ重要なポイントがあって「かえっこバザール」がベースになっている以外にも、1つ1つのプログラムも、カエルというキャラクターを使って、水消火器でカエルの的当てのゲームをさせたり、人を運ぶ搬送の技も30キロぐらいのカエルの人形で運ばせたりして伝えています。バケツリレーも最後に水が溜まってカエルのシルエットが誕生するようにして、それを2つの的で競い合うというスタイルで楽しみながらやっていただいています。
  プログラムは、当時半年ぐらい一緒にこのイベントを作り上げていった学生さんのアイデアなどを生かして作っていますが、そこで伝えている知恵は、実は、被災者167人の声をヒアリングして、集めたものがベースとなっています。他にも人形劇や紙芝居なども使ったりしています。
(図7)
  何でこういうことをしているかということですが、わかりやすく言うと環境づくりをしているんですね。子どもたちに学びなさいと上から目線で言って、学校のようなやり方でやっても学んでくれません。ところが、こういうふうに楽しく場を作っていくと、防災訓練にも何回も並んで、必死にやってくれます。そうすると、学ばせようとしなくても自然に学んでくれるんですね。しかも、何回も並ぶということは繰り返しやることになりますから、教育の効果としてはかなり高い。そういう場を作るために、つまり環境整備をするために、いろいろなプログラムがあり、いろいろなアイデアがあるということで、形づくられていくわけです。
(図8)
  他にも、若手の方が多いですけれども実績のある建築家の方々が、自分のゼミの学生たちと共同で参加して、身の回りのものを使って2〜3日過ごせる家を作る「災害用シェルターづくり」のプログラムを行っています。竹とシーツを使ったり、ベニヤ板でドームを作ったり・・・、手塚貴晴さんと武蔵野工業大学の学生さんたちはゴミ袋を膨らませて、積み上げて、カマクラのようなシェルターを作るんです。これは実際に中が非常に温かい。それから、みかんぐみの曽我部昌史さんと神奈川大学の学生さんたちは、新聞紙を編み込んでいってドームを作っています。風雨にさらされると厳しいものもあります。来場された方で、防災の関係者の方の中には、「こんなもの現場で作れるか」とおっしゃる方もおられます。確かに、幾つかこの中でフレキシブルには使えないものもあると思います。ただ、私が現場でお話しするのは、子どもたちに震災の時の重要な知恵や技を教えることも大事なんですけど、一番大事なのは、被災地において何もないなかでどうやって乗り切るかという、「創意工夫」や「臨機応変な対応力」いわば、「火事場のくそ力」みたいなもの、「バイタリティー」と言ってもいいかもしれません、そういうものなんですね。ところが、今の子どもたちの環境の中ではそういった力は多分育たないんですね。
  昔だったら、自分たちで基地を作るとか、普段、町の中でやっていた行為がどんどん失われています。そういった中で、このプログラムに参加した子どもたちは自分たちで普段見慣れている「ありふれたもの」を使って小さな家をつくることを体験するわけです。そうすると、そういうことが自分でもできるんだという自信が出てくる。いざという時のさらなる創意工夫とか発想につながる。現場でこのシェルター作りのプログラムに疑問を投げかける方がおられたら、今申し上げたようなことをお話しすると、「なるほど」とおっしゃっていただけるんですけど、そういった防災だけでない、もっとベーシックな教育の観点からも考えながらプログラムを作っています。
(図9)
  実際に、神戸のイベントではそこで作ってもらったシェルターに寝てもらいました。ベニヤの家なんか穴だらけで、このままだと無理だぞと気がつくと、ビニール袋を張ったり穴を塞いで、仕上げに家族で表札をかけたりし始めるんです。キャンプみたいな感じで、実際につくったシェルターでのこの宿泊体験の企画は非常に好評でした。
(図10)
  消防の方も、最初の頃は、遊びの要素が強いように感じられて、反発もあったんですけれども、何回も現場での協働を重ねているうちに、先程のカエルポイントが発生しますので、自分たち消防のコーナーにも子どもたちがどんどん学びに来てくれるということで、結果的には非常に喜んでいただきまして、現在はどの地域に行っても消防さんと非常にいい関係で、タイアップをして現場を作っています。大学生もすごく重要な役割を果たしています。
(図11)
  震災10年の事業の時には、このプログラム以外に、もう1つ展開したプロジェクトがありました。当時、被災者の声、体験談というのが数多く残っていたのですが、先程の防災訓練のプログラムでは、技とか教訓みたいなものは伝えていけるんですけれども、その当時人がどんな気持ちで被災地で過ごしていたのかといったことがなかなか伝わりません。そういう状況の中で、被災の体験談をどうやって子どもたちに伝えていくかということに取り組みました。
(図12)
  子どもが好きなメディアで「クレイアニメ」というNHKでよくやっているものがあります。この「クレイアニメ」(粘土のアニメ)を使って、ペットがどういう状況だったかということを表現したり、普通のアニメーションで、消防士さんがどんな思いで救助活動をしていたのかを表現する。また、今はテレビゲーム世代ですので、それも逆手にとって、被災者のヒアリングしたことをシミュレーションゲームのようにした作品も作りました。このプロジェクトには関西のみならず、関東や、海外で活躍している実力派のクリエーターの方々が多数参加されまして、約10の作品を完成させました。
(図13)
  今、こうしてできた作品たちは神戸を中心とする兵庫県下の小学校にどんどん配布されて、授業でも使われています。私たちがやるイベントでも必ず上映会をさせていただいています。「オレンジ」という消防士さんの体験談をもとにしたアニメ作品は本当に人気があります。涙なくしては観れない作品です。地域の防災のイベントで上映したいという声もあって、その時には貸し出しなども行っています。
(図14)
  この被災体験手記の変換プロジェクトの最後に、「地震イツモノート」という本の出版も行いました。このイラストは、見られた方が多いと思います。JT、日本たばこの大人のマナー養成講座というコミカルな漫画のような絵があるのですが、それを描かれている寄藤文平さんという新進気鋭のイラストレーターが本の制作に参加してくれまして、先程お話しした被災者167人の声から、震災が起こった時どう感じたか、その時苦労したから、どういう対策、例えば家具の転倒防止をしているか、避難所はどんな状況だったのかというところまで、ずっと時間軸で追っていきまして、全て絵解きさせていただいている作品です。
  防災のマニュアル本で、こういう時、どこどこにいたらこうしなさいとかいう本が結構あるんですけれども、被災というのはそんなに簡単ではないんですね。どこにいるかなんて到底想定できないですし、できたとしても全てを網羅することはできない。ですから、阪神・淡路大震災という1つの事例で見た時に、起こった時から避難所での生活までがどうだったのかということをヒエラルキーをつけずに、全て絵解きをして並列に並べました。そうすると、面白いのですが、読んでいる方が自問自答しながら考えるんですね。家具の転倒防止策でも、非常にハードにやっておられる方もいますし、比較的取り組みやすい方法を採用されている方もいます。私もやっていますけど、たんすと天井の間に空き箱を詰めるというのは結構有効なんです。それぐらいだったら今日帰ってもできますよね。
  つまり、家具の転倒防止策一つ取ってみても、ここまではできないけど、これぐらいならできるかなという風に読者が本を読みながら対話をして考えながら読んでいくことができるんですね。そして自分にとっての最良の方法を見つけていく。
  この本は今4万部を突破する勢いで売れていまして、いくつかの学校の教材にもなっているそうです。本屋さんで一度手にとって見て下さい。本当に家庭に1冊置いていただきたいと思うような本ですので、少しご紹介をさせていただきました。
(図15)
  それ以外にも、子どもの学びの場を作るためにボードゲームも作っています。これはすごろくゲームなんですけれども、お買い物ゲームをしながら町にいる時に地震が起こって、その時に持っていたグッズでその苦難をどうやって乗り越えるかということを学ぶゲームです。こういうものを開発して、今は卓上盤も販売させていただきながら、どんどん活動の輪を広げていっています。
(図16)
  神戸で開発したこのプログラムを、今は関東が一番に多いんですけれども、それ以外にも新潟、宮崎、今年は浜松とか茨城など、いろいろなところにお伝えしに行っています。 
  東京では、東京ガスという会社と一緒にプロジェクトをやっています。東京ガスさんの豊洲にある「ガスの科学館」という企業ミュージアムを舞台に、先程ご紹介した「イザ!カエルキャラバン!」という楽しい防災訓練プログラムを年に2回やらせていただいています。実は明日、明後日も、ガスの科学館で、朝の10時から夕方の4時まで2日間開催する予定です。去年も開催しまして、その時は、1日あたりの館の入場者数記録を更新したんです。防災のイベントでそれぐらい人が来るのは珍しいのですが、それぐらい地域の子どもたちが来場し、高い評価をいただいています。
(図17)
  このように企業さんと組んで大規模に行うプログラムはそれ程たくさんはやっていません。本当はこのプログラムは地域の防災に取り組んでおられる方々にやり方を伝授して、そのまま地域でどんどんやっていただこうというもので、それが私たちの一番重要なミッションになっています。
(図18)
  宮崎でやった時の事例です。宮崎の場合は、イベントがある1カ月ぐらい前に1泊2日で地元に出向いていって、やり方など全部ノウハウをお教えして、ワークショップに参加したい方々が集まって、自分たちで防災訓練のためのツールを作っていただきました。
(図19)
  先程お見せしたような、消火器訓練の的も、宮崎の場合は、ちょっと著作権上の問題はあるんですけれども(笑)、ケロケロケロッピーのイラストで的が手作りで作られて実施されていたり、毛布を担架代わりに使う技も、実は、物干し竿とパジャマや服を使ったらできるぞとおっしゃる自衛隊出身の方がおられて、それが採用されたりしています。そういうふうに考え方だけを学んでいただいて、実際のプログラムやツールなんかは自分たちで開発していただく。そうなると、2年目以降は僕らは全然行かなくてもいい。勝手に自分たちで実施されるんです。今年なんかも、もうそろそろ今年も実施される時期やな・・・と思っていたら、イベントが終わってから、もう終わりましたみたいなメールが来て、写真が送られてきたり。ツールがどんどんバージョンアップしながら、そういうふうに地元で継続的に防災の訓練が続いている。しかも、どこでも「かえっこバザール」のシステムを使われているので、集客には皆さんそんなに苦労をされていないし、やっている人も来る人も非常にハッピーな状態で防災訓練をやっているということが実現しています。
  こうした防災の取り組みを広げる活動を、私たちはずっとイベントの形でやってきました。そんななかで、実は今神戸では、このイベントが契機になって市の助成制度までできているんです。「イザ!カエルキャラバン!」をやりたいと申請を出して選ばれたら、市が30万円助成金を出すという制度です。そうした助成制度が整備されるほど評価をいただいておりまして、去年度からは神戸市では小学校の防災教育を全部見直しているのですが、この事業のコンサルタントもさせていただいております。私たちがイベントでやっていたプログラムが、今学校の防災教育の授業の方にどんどん取り込まれていっています。
(図20)
  これは面白いカードゲームです。「なまずの学校」というカードゲームを、モデル校で実験的に実施しているところです。実際学校でやってみると、非常に評判がよくて、これを採用しようという話に発展しています。小学校1年生ぐらいが対象だと、防災体操というのがあって、それを用い防災のことを学んでもらいます。人形劇なんかも使ったりします。年齢層によって訴求できるものが違うわけです。そういったものも実験しながら、今どんどん防災教育のマニュアルをまとめていっている最中です。
(図21)
  学校の先生向けに、防災教育マニュアルを去年1冊作りました。これをベースに12のモデル校で昨年度同様実験的な授業の実施、組み合わせの検討とかを全部やりながら、マニュアルを完成させて、再来年あたりには神戸市内の全学校にその「防災教育マニュアル」を配布する予定になっています。
  このマニュアルはバインダーになっているのですが、何故バインダーかと言うと、検証していく中で多少内容が変わると想定しているからです。製本しちゃうと、それが固まったものになりますけど、プログラムというのはモデル授業などをやりながら、フィードバッグをする必要性があります。また、消防の方からのアドバイスが入ってきて、内容を修正することも考えられます。そういうふうにどんどんブラッシュアップされていくものだと考えているんですね。ですから、そういう意図も含めて、バインダー形式にしています。違うNPOが行っている防災教育プログラムなど入ってくるでしょうし・・・。そういうイメージで作っています。
(図22)
  中身的には「ピクト」という絵記号を使ってわかりやすく表現したり、ワンポイントアドバイスなんか入れて、学校の先生が見て、授業で使えるような形にしたり、様々な工夫を施しています。すべて小学校の先生の生の声を聞きながらそれを参考にして一緒に作らせていただいております。
(図23)
  さらに、今、「イザ!カエルキャラバン!」は海を渡ってインドネシアの方でも行なわれています。インドネシアのジョクジャカルタというところです。ジャワ中部地震で、神戸と同じように6000人以上の方が亡くなった地域です。僕も行ってみてびっくりしたんですけれども、この地域には「防災」という感覚があまりないんです。ですから、そういうところへ行って、僕たちのプログラムを移植するのではなくて、神戸と同じプロセスなんですけれども、5年ぐらいかけて、地元の大学生と地元の被災者の声を全部聞いていって、向こうの防災の教訓、知恵、技を抽出して、それでプログラムを作ろうと考えています。さらに、次の段階ではインドネシアでのイベントのあり方も考えなければなりません。「かえっこバザール」というおもちゃのリサイクルイベントが合うかどうかわからないわけですね。今話が出ているのは、向こうで、子どものお祭りというのがあまりないので、みんながそういったお祭りを作りたいと言っています。子どもの祭りを防災で作るのはすごく面白いと思っていてできればいなと思っています。今はそんな感じで進んでいます。
(図24)
  実際にこの春に行った時に「イザ!カエルキャラバン!」を小学校で実験的にやったんですけど、かなり評判がよくて、大成功でした。僕たちがプログラムを地元の大学生に全部教えたんですけど、彼らが2日間ぐらいで全部防災訓練プログラムを作り変えて、それを当日にぶっつけ本番でやっていました。それはそれで面白くて、僕らも、逆に、そういったプログラムを日本のプログラムに取り入れてやってみようとかと話をしたりしています。
  今年は、外資系の証券会社がこのプロジェクトを支援してくれることになりました。10月、2月に向こうに行って、すでに100人程度の被災者ヒヤリングが完了しているそうなので、それらを整理をしていったり、そうした生の声に基づいた独自の防災訓練プログラムを作っていくような展開になっていくだろうと考えています。
(図25)
  そういった「イザ!カエルキャラバン!」をやりつつ、大阪の此花区というところでは、防災マップづくりみたいなプログラムをまちづくりの流れの中でやっています。これはどういうマップかというと、書き込み型のマップです。
  経緯をお話すると、防災マップというと、全ての防災関連情報がぎっしり書き込まれて配布されるというケースが多いと思います。そういった防災関連情報は集まった区民の皆さんと協力してすべて調査をしました。ところが、いざそういった載せたい情報をマップに書き込もうとすると、意外に書き込めない情報が多い。例えば、「ここが木賃住宅の密集地で非常に危ない」と書くと、そこの住民が、要らぬこと書くなと怒ってきますよね。不動産価値が下がるという話だってあります。「ここに高齢者が1人で住んでいるから災害のとき注意してあげて」と書くと、犯罪に利用される可能性がある。
(図26)
  もう一つのエピソードとしては、被災した経験をもつ学生ボランティアに、「被災した時にマップを持って見ながら走って逃げる人はいませんよ」と言われた。ということは、防災マップというのは事前に使いこなされていて、災害時にはその情報が頭に入っていないといけないんじゃないか。バッと配られて、ポイと置いておかれるようではあんまり意味がないんのではないか。そんなことを考えました。実際にマップを見てもらったり、見ながら考えてもらったりするアクションをどうやって作りだすかということで考えたのが、「書き込み型のマップ」なんです。「書き込み型」ということはもともと不完全なマップを作るわけですけど、此花区役所がこれを認めてくださったのはすごい英断だったと今でも思います。そういうマップを提案した時にやりましょうということになって動き出しました。
(図27)
  マップの書き方とか、マニュアルも入っていますが、シールで自分の家を張って、避難場所を張って、避難ルート上の危険な場所をチェックしたり、水源のところに水色で色をつけたりしていくんです。ところが、配られたマップにそんな風に書き込んでくれるかどうかというのは不安ですよね。配られたマップに各家庭でどんどん書き込んでくれるというのは理想的な話ですから。そうなると、こちらとしても、マップを作って各家庭にお渡しするだけではやり切れてない感じがありまして、そこで区役所とも話し合って、マップに書き込んでもらうための啓発イベントをやりましょうということになりました。
(図28)
  まず、狙いとして誰を対象にするかということになるのですが、やっぱり子どもになりました。子どもが来ると親も一緒にやってくる。おじいちゃん、おばあちゃんも、お孫さんがやっているから一緒にやろうという形になって・・・。子どもを巻き込むことが非常に有効ではないかということになって取り組みました。
  ところが、子どもに、何の仕掛けもしないいつもの町を歩いて、防災上重要な拠点を探せとか避難ルートを探しなさいと言っても、多分誰もやりたがらないと思います。というか面白くないですね。そうすると、やらされている感じになるわけです。これをどうしても避けたかった。そこでどうしたかというと、子ども向けにアレンジして、それぞれ重要な防災拠点施設に何か目印というか、記号みたいなものを設定して、それらを巡るラリーにしました。
  もう1つあったのは、地域で防災リーダーという活動をされている方がおられるんですが、殆ど注目されていないんです。縁の下の力持ち的存在で、子どもと接することも殆どない。避難訓練しても地域の子どもたちはまず来ません。となると、「私、今年で防災リーダーを辞めたいんや」というようなことを言っている人もいる。そういう状況が実はありました。そういう人たちにもスポットを当てよう、子どもたちとの接点を作りだそうということも考えました。
(図29)
  その結果、結局どうしたのか。マップ作りで重要になのは、地震が発生した時に、町の中で重要なポイントがいくつかあるわけです。防災倉庫とか薬局、病院、コンビニエンスストア、ガソリンスタンド、そういうところの場所を覚えておく必要がある。危険な箇所なども合わせて覚えておく。オートロックになっていない4階建て以上のマンションを探しておく必要もあるわけです。そういった重要なポイントに、「なまず先生」という、いろんな色のジャンパーを着たおじいちゃんやおばあちゃんが立っている。赤色のジャンパーや黄色のジャンパーなどを着た、その「なまず先生」を子どもたちが探しながら回っていくわけです。人を目印にするというか、ポイントにしてそこを巡っていくことにしたんですね。そうすると、非常に楽しくなるわけです。 
  そのポイントに行った時に、そこには「なまず先生」がいるので、その「なまず先生」がクイズを出してくれるんです。例えば防災倉庫の前に赤の「なまず先生」が立っていたら、「赤なまず先生み―つけた!ここに防災倉庫があるんだね」。となって、まず防災倉庫の場所をチェックしますね。
(図30)
  次に、「防災倉庫の鍵は誰が持っているでしょう」みたいなクイズを「赤なまず先生」が出すわけです。そうすると、そのクイズの回答を答えて正解すると、防災倉庫に入っている防災グッズのカードがもらえる仕掛けになっています。いろんな箇所を回って、いろんな色のカードを集めて体育館に帰ってきます。
  体育館では、防災のクイズが出題されます。紙芝居スタイルになっていて、絵を使いながらいろんな被災状況の問題を出して、その中からその状況を乗り切る、トラブルを回避するのに一番機能的で一番調達しやすいものを考えてカードを出すと、そのカードの得点に応じてポイントがもらえるというゲームになっています。これは、相当凝った仕掛けになっていると思われるかもしれないですけど、実は非常に意味があって、防災倉庫の場所、位置を覚える。それから鍵を誰が持っている人が誰かを覚えて、その中に入っている道具がどういうふうに役に立つかを覚えるわけです。
  さらに、学校に帰ってくると、体育館で「防災倉庫の中身なーに」という別のゲームもやっています。ブルーシートの上に中に防災倉庫に入っているものを全部並べて、60秒間で隠してしまってすべて暗記しているかどうかをチェックするゲームなんですね。そうすると、もう防災倉庫に関する知識はそのイベントの1日で全部学べてしまうわけです。しかも、これを学びなさいといった塾みたいなやり方ではなく、全部の情報を楽しみながら通しで学ぶことができる。同じように、病院のこと、コンビニエンスストアのこと、全部そういうふうに学んでいくわけです。
(図31)
  問題はこんなふうに出すんですね。子どもがたんすの下敷きになっている絵です。問題は読む側は、紙芝居になっていますので、学校の先生でも地域の方でも実は誰でも簡単にできるように工夫されています。これはたまたまパワーポイント版で、いっせいにたくさんの人にやってもらえるようなイメージで作っていますけど、学校の授業では「この子を助けるのに役立つものを、この6枚の中から選びなさい」みたいな形で質問します。そうして答え合わせになると、得点の低い方から答えが順に出てくるようになっています。フォークリフトだったら、鍵があるかわからないし、運転できる人がいないと動かせないので、点数が低い。のこぎりも下敷きになった子どもを傷つけてしまう可能性があるし、時間がかかりそう。ロープも丈夫なロープと人をたくさん集めないといけないので大変だ、とか・・・。
  実はジャッキとかバールという答を出す人が多いんです。それはちょっとした防災知識を持っているとわかるんですね。ところが、これは、すぐに調達できるかどうかわからないというところが実はネックです。そんななかで車用のジャッキは比較的調達しやすいですが・・・、これを出すと80点ということで、一番得点のいい答えは角材になっています。瓦礫の中から引っ張り出してきた角材や鉄パイプなんかで実際の被災現場では救援活動をしていたそうです。被災者の声に基づいた答えなんですけど、これを出せる子はなかなか最初はいないわけです。
  また、このゲームでは、自分の手のうちにあるカードで解決しなければならないので、ずばり解決できそうなグッズがない場合もあるので、そんな時でも、理屈を考えて、手の内にあるものを駆使して、回答を出さないといけないようになっています。被災現場ではそういった臨機応変な対応力が要求されるわけですが、このゲームではそういったことも実は学べるように考えられています。
  こうして何問か出題して最後に合計得点を競います。大阪の此花区では連合町会という単位で、地元の防災訓練と絡めたり、地元の祭りと絡めたりしながらやっています。
(図32)
  先程の防災倉庫の中身を暗記するクイズもああいうふうに並べて隠す方法でやっています。これもちょっとした発想、アイデアなんです。これが「arts」かどうか、「arts」と言うと言い過ぎかもしれませんが、こうすることで普通に覚えることに対して普段以上の成果が上がるようなことが実はいっぱいあります。
(図33)
  このように、地域でのベーシックな活動もしながら、明日から豊洲地区で大きな防災イベントを開催します。私たちにとっては3回目の大規模な展覧会になります。
  こうした大規模な展覧会にどういう意味があるかと言うと、地域を巡回する仕事というのは限界があるんですね。私たちの団体もそんなに規模は大きくないですから。ところが、「地震EXPO」という展覧会を去年横浜でやらせていただきました。「HAT神戸+防災EXPO」というのは今年の年初に神戸で開催しました。そうすると、1万人以上の人が来るわけです。そのなかで来場されたいろんな方が展覧会に触発されて、次の活動につながっていくそんな可能性があるんですね。そういった意味で私たちはこうした展覧会をデモンストレーションだと思って取り組んでいます。
  こういう大きな展覧会というのは、主催者とか協賛企業にとっては集客やメディアへの露出などが大きな意味を持っているのだと思いますが、私たちにとってはデモンストレーョンの場だという位置づけで取り組んでいます。
(図34)
  この「地震EXPO」は2007年4月6日から1カ月間開催しました。これはいろいろエピソードがあって、もともと300uぐらいのスペースで小さな展覧会をやらないかという話を受けたんです。それがどんどん話が膨らんでいって展覧会の規模が大きくなっていって、企画をいよいよスタートさせないといけない時期には、よくよく確認してみると、3000uのスペースをフルに使わないといけないということになっていた。その時3000uを埋めるだけの企画がなかった。これはえらいことになったぞということで、一応いろいろなアイデアの種はあったのにはあったのですが、アーティストとかいろいろなクリエイターの方々と共同しながらプログラムをどんどん新しく作っていこうということになりました。
  「地震イツモノート」を一緒に作って下さった寄藤文平さんは、デザインで「防災の日常化」に向けた越えられない壁をなんとか越えようとずっと一緒にやって下さっています。おかげで、この当時、たくさんの新聞社とテレビ局が取材に来ました。寄藤さんには展覧会全体のイメージづくりや、会場においてはスタートTシャツのデザインなど、防災のイベントでは画期的とも言える「演出」にいつもご尽力をいただいています。
(図35)
  また、展示会場の構成に関しては、みかんぐみの曽我部さんとずっと一緒にやらせていただいていています。この時はペール缶が1つのアイテムになりました。ペール缶というのはバケツですけれども、いろいろ備蓄的なものを入れておいてもいいですし、実は蓋をするとイスになるんですね。2つ積んで板を敷くとちょうど机の高さになる。そういう多機能なツールなんです。防災力って実は物に頼らない臨機応変な力のことで、いざという時にあるものでどう転用するかといった発想と知恵を持っている人が一番強いんです。
  そういう意味で展示も普通にきれいな展示をするのではなくて、こういう別の機能をもったものをうまく利用しています。今回は段ボール箱を使っています。そういうものを使って展覧会場を演出しています。 
(図36)
  この時は、バンクアートという今横浜で非常に頑張っているアートセンターがありますが、その2館全部を使ってやるということになりました。
  その当時の横浜地区のいろんな防災マップを集めて展示したり、震災のリアリティを伝えたいということで、震災の時の写真をきちんと額装して展示をしました。あと防災グッズの展示ではなくショップをやろうという話になって、この企画は相当大変だったんですが、がんばって間に合わせ、展開しました。
(図37)
  防災グッズの展示は多いと思います。ただ、展示というのは、多分見た人の多くが「へえー」とその時だけ反応して、結果それで終わりになってしまうんですね。帰ったら忘れてしまう。ところが、ショップにして来場者に買って家に持って帰ってもらうとそのグッズが家に入ります。そうすると、その人の防災力は確実に上がるんだというポリシーに基づいてこのショップを展開しています。
(図38)
  もう1つあるのは、防災グッズは、普通に売られているものはあまりカッコよくないんですね。この防災グッズのセレクトショップは、みかんぐみの曽我部さんもセレクトメンバーに入りましたけれども、デザイン関係の方も入られて、日常使いたいと思う、違う目線でいろんな商品を見て、セレクトしました。こういう視点で見たら、この商品も防災グッズだよねということで、実は選び直したものがこのセレクトショップです。
  それから、既存のものから選ぶ展開と合わせて防災グッズのデザインコンペも行いました。若いデザイナーの方に、普段身につけているものに防災機能を宿らせてみて下さいとお題を出しました。これは僕のイメージでは007のイメージなのですが、ボンドが持っているボールペンが通信機器になったりしますよね。そういうイメージ。ボタンが笛になるとかいう案も出ました。これまでは防災の分野に関わりを持っていなかった若いデザイナーの方や学生の方に、「防災」に興味を持ってほしいということでコンペを主催者として実施しました。
(図39)
  セレクトショップの方は、会場の様子を見ていただくと、防災グッズのショップには見えないですよね。非常にリッチな素晴らしい空間が会場だったので、それをうまく活用してショップを展開させていただきました。
(図40)
  この後、思いもよらない展開になりまして、防災グッズのセレクトショップだけで出店して欲しいという依頼が結構来るようになりました。
  「イザ!カエルキャラバン!」は開催せずに、防災グッズのセレクトショップだけでいろんなところに頼まれて行くようになったので、「地震EXPO」の時は約240アイテム扱ったのですが、そこから売れ筋商品を60アイテムぐらいに絞って、小規模なショップ展開という形で実施しています。
  防災グッズデザインコンペの方は、これもその時のこだわりで、業界の超一流のデザイナーの方に審査員に入ってもらって、デザインという視点で厳しく評価してもらうことにしました。深澤直人さんや佐藤卓さんに入っていただいて、審査をしましたが、この時は167点の応募作品が集まりました。全て力作で、面白いアイデアが盛りだくさんに出てきました。これも思わぬいろいろな展開がありまして、実は優秀作品の中から、無印良品が興味を持って、幾つか商品化を検討したりしました。これはいろんな事情で最終的には商品化はならなかったのですが、1年目のコンペでそこまでいったということで非常に脚光を浴びました。
  今年も、豊洲での大規模な防災展覧会に合わせてコンペをやりました。今年は200点ぐらいの作品が集まりました。今話題になっているナガオカケンメイさんや、去年に引き続き佐藤卓さんに審査員に入っていただいて、また違う視点で防災グッズの審査を行い、5点の優秀作品が選ばれました。
(図41)
  そのことがきっかけになって、無印良品さんと今、防災グッズの企画物をやっています。これは今年の1月17日絡みで3週間ぐらいやった展覧会です。無印良品さんは現在、商品を7000アイテムぐらい持っているんです。最初この展覧会の企画は、私が出版に協力した「イツモノート」の本の販促のイベントとして設定されたものでした。それだと無印良品さんでやる意味が弱いんじゃないかと思いまして、有楽町の無印良品の店に実際に行ってみて、中を歩いてみました。7000アイテムですから、よく見ていくと、防災グッズが全部並んでるんです。それをセレクトして並べてみたらどうだという提案をしたんです。普段から買っておられる方にしたら、普段使っているものを集めたら防災グッズになるかもしれないぐらいの話で、そういう視点でやらせていただきました。
(図42)
  この時も、みかんぐみさんと一緒に会場構成をやらせていただいたんですが、積み上げているのは収納ボックスです。収納ボックスを積み上げて展示会場の什器にしています。実際にその時にブックレットも作りまして、普段売っている無印良品の商品を「防災」という切り口で紹介し、その商品を通じて震災の時の状況をお伝えするということをやらせていただきました。
(図43) 
  ここで宣伝したいのですが、明日(8月29日)から3週間ぐらいですけれども、有楽町の無印良品の3階・アトリエムジというコーナーで、展覧会を行います。展示は殆ど同じ1月の時と同じ設営で、こんな空間が今日会場にできていました。会期は約3週間だったと思います。
(図44)
  殆ど同じ展示内容なんですが、今回は少し進んだ企画も展開しておりまして、まだ販売にはなっていんですけど、新しい防災セットの提案が幾つか並んでいます。この提案型の防災セットについては今回の2〜3週間で、いろいろな消費者の声を集めて、次の1月には商品化しようという意気込みで取り組んでいます。
  そういうふうにして無印良品という1つの、私たちからするとメーカーであり、ショップがチャンネルとなって、防災のことを伝えてくれています。防災のことを伝えようと思っても、いろいろなチャンネルを使わないと人に伝えられないというイメージがあるのですが、無印良品ならファンも多いですし、次々新しい商品を売り出している、時代をリードしているメーカーの1つです。こういうところと防災グッズという切り口で展示をすることの意味というのは、普通にショップの方から見た販促であるとか、商品をPRするということ以上に社会的に意味があるのではないかなと思っていまして、こういう企画を協力してやらせていただいています。
(図45)
  実際に、横浜の「地震EXPO」の時には、防災とデザインという切り口でシンポジウムをやったり、ゲームを使った防災教育という視点でやったりしていましたが、1ヶ月間の会期中で私が一番面白かったプログラムがこれです。3,000uあるアートセンターで電気、ガス、水道が使えないという設定にして、全部元栓を締めて、サバイバルな状態で1泊2日のキャンプを実施しました。参加者募集をしたところ結構意識の高い方々がたくさん集まりまして・・・。このキャンプは面白かったですね。
  このキャンプに関しては、主催者側では、ほとんど何の準備もしなかったんです。何人かの参加者は怒っていましたけど・・・。「主催者側は何をやっとるんだ」と。「地震は何の前触れもなく急にやってきますよ」という話をそういう方には説明しました。そうすると、最初はブツブツいっていた人もライフラインのストップに備えて動き出すんですね。トイレの水も流れないわけですから、センターの前に海があったんで、海の水をみんなでくみ出したり、夕方になると、その日の寝床をみんな心配し始めるわけです。廃材とか出してあったので、組み立て始めて寝床づくりが始まりました。そういう臨機応変な対応力が問われるという点でこのキャンプは非常に面白かった。
  そういうプログラムも実際に、リアリティーという意味でやらせていただきました。
(図46)
  神戸でこの「地震EXPO」を受けて同じような展覧会をしました。「ブランディング」という分野ですけれども、防災のイベントとは思えないようなグラフィックデザインの展開は、先ほどご紹介したデザイナー寄藤文平さんと協力して、その都度その都度イベントごとのカラーをつくり出すやり方でやっています。また、この時には展示会場の空間構成はみかんぐみの曽我部さんではなくて、関西のアーティストで小山田徹さんという方とコラボレーションしました。展示構成のアイテムとしては、「地震EXPO」の時のペール缶にさらに脚立が加わりました。脚立でサインボードを作ったり、高さを合わせていくとテーブルで什器になったり、これで屋台を作ったり、いろんなことができるわけです。
  この時は、HAT神戸という1つの地域にあるJICの施設や人と防災未来センター、県立美術館などの県関係の施設の使えるスペースを全部使って12日間のイベントを行いました。
(図47)
  その時の災害用シェルターづくりのプログラムでは、先程の脚立とブルーシートでこんなテントを小山田さんが作ったり、卵パックを積み上げて作ったシェルターもありました。子どもたちが一番びっくりしていましたね。自分が普段食べている卵のパックで家が作れるんだと言って・・・。いろいろな建築家とかデザイナーさんが、予算が殆どないなかで、お金の問題を度外視して取り組んでくれました。建築家のチームの方からぜひ取り組ませて欲しいとか、打診をすると声をかけてくれてありがとうと御礼を言われたりするぐらいの話で、プロジェクトチームをそれぞれ作って念入りに準備をされて、毎回面白い提案をして下さいます。
  こういう社会的な取り組みは、建築家にとっても重要な機会だと言っていただくことが多いです。
(図48)
  今日PRする2つ目のイベントです。今ご紹介した2つの大規模な展覧会を受けて3回目が、明日から豊洲で始まります。今回は視点を少し変えてみました。2つの施設を使っているんですけど、1カ月という期間をまず止めました。実は結構運営も大変なこともあり、1カ月という期間でやるよりは、もう少し短い期間で凝縮してやった方がいいんのではないかという反省がありました。今回の会期は3日間です。
  さらに言うと、アートセンターや県立の施設でこれまではやってきたんですけど、そこは、普段一般のファミリーの方々がそんなに頻繁に行く場所ではないんです。集客という意味では、たくさんの人に見てもらいたいわけですけれども、思ったよりも来場者が少なかった。そういういろいろな反省を受けて、今回「ららぽーと豊洲」というショッピングセンターの中の催事場を使って開催します。ショッピングに来て、歩いていると、少し広めの吹き抜けのところで、さっきのシェルターがポコポコ並んでいたり、もうちょっと行くと、今回の防災グッズデザインコンペで選ばれた優秀作品の模型がずらりと並んでいたり、そういう構成で、ショッピングセンターの中に「防災の展示」を挿入する、そんな企画でやっております。
(図49)
  もう1つ、「イザ!カエルキャラバン!」的な活動系防災プログラムは、去年と同じ会場ですけれども、東京ガスの「ガスの科学館」という企業ミュージアムで展開をさせていただいています。
(図50)
  これが「ららぽーと豊洲」です。有名な「キッザニア」の入っている施設です。右の下の方が「ガスの科学館」です。すごく立派な建物です。
(図51)
  今回はさらに、イベントのイメージを子ども向けに絞り込んで作っています。「BO−SAI」という、サイが棒になっているという駄洒落でキャラクターをつくっています。それぐらい肩の力を抜いて「防災」のイベントを展開する。キャッチコピーも「このサイ、BO−SAI」みたいな・・・。全部駄洒落になっています。そういう切り口でイメージづくりをやっています。
(図52)
  今回の展覧会では、かなりノベルティグッズも作っています。ガムテープが実は伝言メモになるというのは有名な話です。あえて伝言もできるように、オリジナルのビジュアルを印刷したガムテープを作りました。これは防災ハンカチです。防災グッズで僕が一番推奨しているのが大判ハンカチなんです。これが実物です。
  なぜ大判ハンカチなのかというと、普段からハンカチは絶対に身につけますよね。タオル地の小さなタイプのものを持っている人が意外に多いんですけど、大判にしていただくことで、いざという時に、まずマスクになります。傷口に巻く包帯になったり、血が出ている人がいたら、関節を縛る止血帯としても使えるわけです。だから、普段身につけているものを大判のハンカチに変えただけでその人の防災力は、バロメーターが上がるようにピピピッと3つぐらい上がるわけです。そういうことをまずやった方がいいんですね。これを持つだけでいざという時に気持ち的にも相当余裕ができるというメリットもあります。
  防災グッズセットを全部揃えて家に常備するとなるとそれなりの金額がかかりますし、エネルギーがいります。でもこの大判ハンカチなら気楽に買い求めることができます。いろんなショップで大判ハンカチは売っていますけど、僕もある時期に6枚大判ハンカチを買いまして、今では毎日持ち歩いています。
  そういうふうに大判ハンカチを持ち歩くことを推奨しているんですが、その啓蒙のためにイベントのオリジナルグッズとして大判ハンカチを作りました。これはかわいくて評判はいいです。ここに大判ハンカチの使い方がイラストで絵解きされているんですね。使い方も防災機能だけでなくて、普段からナプキンになるよとか、普段使いでも便利だということが描かれています。
(図53)
  すごろくが描かれたり、ゲーム盤が描かれたりというのが、どういう意味があるかというと、これも被災者の声から生まれた結果でして、殺伐とした避難所では、子どもたちの遊び道具すらない。そうすると、あちこちで喧嘩になったりする。そんな時に、例えば、ゲーム盤があって、石か何か拾ってきて、マジックで片面を塗ったらオセロぐらいできますよね。そういう工夫で大判ハンカチが一枚あることで子どもたちの遊び道具になる。もう少し言うと、避難所がそういう状況になるよということも暗に伝えたいと考えているわけです。
  そういうこと避難所の状況も知っておいた方がいいわけです。震災のリアリティーというのは、特に被災されていない方にはなかなかわからないと思いますので、そういったメッセージも含めて今回ノベルティグッズを作っています。単純に意味もなくノベルティグッズを作っているわけではなくて、防災のメッセージを全てに宿らしています。そこにデザインが入ることで、もらってうれしい防災グッズにしたいというのが狙いです。
(図54)
  「BO−SAI」。会期中の3日間私も会場におりますし、明日は、いろんなアーティストとか建築家のチームが来て、ららぽーと豊洲のなかで実際に制作もしていますので、足を運んでいただければと思います。
(図55)
  それから、各種防災グッズや、私たちが企画して出版もされている本や開発したゲーム、などいろいろとオリジナル・グッズも揃えて、ガスの科学館の方で、2日間、30、31日と、先程のセレクトショップも展開しています。
  ですので、もし興味を持っていただけたら是非のぞいていただきたいと思います。
 

3. 教育+arts

(図56)
  続きまして、「教育+arts」のお話です。教育に対しては私いろいろな思いがあります。自分にも3年生と5年生の子どもがいるんですが、僕は先日子どもの授業参観に行って唖然としたんです。図工の時間だったのですが、そこでは、こんな授業をしていました。1枚の紙をみんなに渡します。「はい、今日は紙で帽子を作りますよ」と先生が今日のテーマを発表するわけですが、実は紙には全部折り目がついているんです。折り目に沿って、みんな同じ形に折って、同じところをホチキスでとめて、先生が用意した同じ飾り物を適当につける。飾り物のバリエーションは3つか4つしかなかったと思います。結果、似たような帽子を30人以上の子どもたち作っているわけです。
  どうしてこんなことになるのか?作れる子と作れない子がいると困るからだというわけですけれども、かなりやばいなと思いました。それが別に不思議な話ではなくて、結構一般的な話だというのは後からいろんな人に話を聞く中でどんどんわかってくるわけです。
  こういうことに対して、作れない子どもがいることに対して文句を言う親の問題の方が大きいのかもしれませんけど、私たちの活動としては何とかそこに楔を打っていきたいと思っています。
(図57)
  2001年に始めたのが、「Nature Art Camp」というプログラムで、森の中を舞台にアーティストが子ども向けの教育ワークショップを作るというプログラムです。
(図58)
これは自然の家という場所です。六甲山系の1つ摩耶山上にあるんですけど、湖があって、横に10分程度で登れるような小さな山があって、小川があってというコンパクトな自然が用意されていて、甲子園球場が30個ぐらい入る広大な敷地を持っている野外体験施設なんです。ここを舞台に6年間いろんなプログラムをさせていただきました。
(図59)
この時に私が大事にしていたのは、今お話ししたエピソードにも通じる話ですが、結果ではなく、プロセスでした。子どもたちがそのプログラムに対してどれだけトライをしたのか、考えたのか、取り組んだのかということを重視しました。
(図60)
  講師役となるアーティストには、「森を舞台にして、今までやったことのないワークショップをやってください。どこかでやったワークショップは持ち込まないでください」とお願いしました。また、「この森に初めて出会って、あなたがインスピレーションしたものをやって下さい。そして、子どもたちのなかに潜在的にある自立性とか自主性、創造性を伸ばして欲しい。それから既成概念にとらわれない、そういう新しい発想を大事にして欲しい」ということも合わせて頼みました。
(図61)
  よくあるんですけれども、山の中に行くとアドベンチャー系、クラフト系のプログラムばっかりになってしまうんですね。それは止めて下さいと頼みました。六甲山というのは神戸の町から30分ぐらいで行けるんですね。ということは都市の裏山なんです。だから、都市的な、先進的なプログラムをどんどん森に持ち込んで下さいとお願いしました。
(図62)
  この画期的なプログラムは2006年で終わってしまったんですけど、僕は最終的にこのプログラムはこういう意味を持っていたのかなと整理しています。アーティストという存在は、僕から見ていると、「ガキ大将」みたいなんです。要するにとんでもないことを言い出すわけです。普通ではあり得ないような、こういうことをやろうと子どもたちに呼びかけるわけです。それは山や森に出会って発想するプログラムなわけです。だから、自然との協調というか、コラボレーションができてくるわけですけれども、そこに子どもたちとか大学生のスタッフが、よし一緒にやるぞ!と、チームになって取り組んでいくプロセスがある。
  実は、昔はこうしたことが普通に町で繰り広げられていたように思います。私自身、近所でそんなふうに遊んでいたような気がします。ところが残念ながらこれも今はあまりない。下町はどうかわかりませんけど、ニュータウンなんか特にないでしょうね。同世代の子としかほとんど遊ばなくなってきている。アートワークショップは、何年か前から結構ブームで、重要視され始めているんですけど、ある方がそうした風潮を捉えてこんな風に言っていました。地域とか街中での遊びの形態が変わっていくのと相まって、ワークショップの重要性が語られるようになってきたのではないかと。昔はそんなことがなくても、町で普通にみんなやっていたことが今はどんどんなくなっていることに対して、アンチテーゼ的にこういうワークショップのようなことが重宝されるようになってきた状況があるようです。
(図63)
  これは2001年からのアーティストのリストで、現代美術のアーティストが多かったのですが、建築家も招聘して実施しました。こうしたことを沢山やってきたわけですけれども、その中で2つだけ僕が今でも記憶に残っているプロジェクトを、僕の言い回しで言うと、「強度」を持ったプロジェクトを紹介したいと思います。
(図64)
  1つ目は、森のレストランファーブルという、先程紹介した「地震EXPO」の会場となったバンクアートの運営を現在されているPHスタジオの池田さんという方が来られてやったプログラムです。自然の家に彼が来て、使われなくなった温室を見つけたんですね。これは神戸市の施設ですから、学校の先生が担当になって入れ替わり立ち替わり来るんですね。何年か前に学校に戻ってしまった理科の先生で、昆虫のことが好きだった先生が、ビニールハウスの温室を昆虫の館として作ったわけです。2、3年してその先生が学校に戻ってしまうわけですが、次の担当になった先生がビニールハウスを受け継がなかったので廃墟のように残ってしまっていたものです。それを見て、彼は不思議なレストランを作りたいと言い出しました。そして、そこがアーティストだな、という独特の感覚があるんですけど、昆虫の館だったから、少し気持ち悪いんですが、昆虫をテーマにしたレストランにしたいと言い出した。そこが企画の作り方というか、フレームの作り方の妙なんですよね。要するにテーマは昆虫です。だから、昆虫の形自体がモチーフになっている感じでした。それが1つすごく重要なファクターとしてあります。
(図65)
  そして、この森の敷地の中に工房を作っていくんです。「テントウ虫」という工房では食器を作っています。「フンコロガシ」という工房ではユニフォームを作っています。「ホタル」という工房では、ろうそくなんですが照明器具を作っています。「オオクワガタ」というところでは大きな家具を作っている。よくよく見ていくとクラフト教室的な要素の結集なんですけど、やっているイメージが全然違うんです。この写真にあるように、「カナブン」工房では看板を作り、「オオクワガタ」工房ではこういうイスを作ったり、昆虫というテーマは絶対外せないでやっている。「フンコロガシ」工房では照明器具を竹に穴をあけて作っている。こういうアイデアは全部子どもオリジナルで、本当に子どもってすごいなと感心させられます。「カイコ」工房では、その辺の実を摘んで、草木染めでテーブルクロスを作ったりするわけです。
(図66)
  そんなことを子どもにさせながら、一方で、アーティストと大学生のボランティアスタッフはレストランの内装改修工事をしていく。この時も子どもたちが事前に描いて集めたイラストから、お金がないから、カラートーンをくり抜いて昆虫のモチーフを作りガラス面に張って、ステンドグラスみたいにしていく。要するに、レストランという器をアーティストが作って、子どもたちがその器の中にいろんなものを持ち寄っていれていくわけです。できたレストランの中に子どもたちが作った家具や食器、テーブルクロスなどが収まってレストランが完成する。最後に全員揃ってパーティー。ビールでも飲みたい気分ですが、ここは学習施設、ジュースで乾杯というプログラムです。
(図67)
  こういうのを見ていると、やはりフレームの作り方に非常にうまさがある。展開力があるんですね。だから、同じことを単純にオーソドックスな枠組みでやっても多分ここまで盛り上がらないと思うんです。その辺がアーティストの発想だなと僕は思いました。
(図68)
  もう1つ、これもすごいプロジェクトでした。2006年、イベントの最後の年にやったプロジェクトで、世界で初めての湖上コンサートに100人の子どもたちと取り組みました。先程写った湖をアーティストが見に来て、「あー、あー」なんて叫び出すわけです。そうすると、周りがすり鉢状に山になっているので、音が全部返ってくるんですね。それが湖の真ん中に返ってくるということにアーティストが気がつく。ここからが面白いんですけど、湖上コンサートというと、普通は湖上にステージを作って、そこで音楽を演奏して、湖のほとりでみんなが鑑賞するというのが一般的なのですが、これは違うんですよ。湖のほとりに子どもたちが並んで音楽を奏でる。それを招待された親が、湖の上にカヌーで出て、音楽会を聞きいるわけです。つまりお客さんの方が湖の上にいるんですね。
(図69)
  そういうことを考えちゃうんです。これは既成概念では絶対できません。そういうことをやるぞと100人の子どもたちに呼びかけるわけです。KOSUGE1−16、彼らはすごくいい作家ですけれども、彼らはそんな奇想天外なプログラムを実施しました。
(図70)
  そうすると、3日間のプロジェクトなんですけれども、まず楽器づくりから始まります。楽器を作って、次にみんなで練習して、衣装まで作っていく。コンサートという1つの場をみんなで作っていくんです。親が最終日に来ますから、その日は皆すごく張り切っている状態です。
(図71)
  湖までの小道を子どもたちが取り囲んで親を出迎える時に、みんなそれぞれ集落を作っていたので、それぞれの集落の音楽を奏でて迎えたりということをしました。これはコンサートの本番直前ですけれども、みんなすごくいい顔をしています。最後に、親を湖に連れていってコンサートを聞く。
(図72)
  先程のレストランづくりもみんなでレストランを作っていく。コンサートもみんなでコンサートという1つの場を作っていく。これはプログラムを魅力的にするうえでとても大きい要素だと思います。それぞれの集落毎に中では小さな喧嘩があったりと、裏話はいろいろあるんですよ。でも、そういう時、絶対むやみに手を出さないんですね。ちゃんと子ども同士で話し合って解決させたりしながら、それを乗り越えて1つの場が作られていく。こういう体験は子どもにとっては多分一生忘れられない体験だと思うんです。
(図73)
  そういうことをずっと6年間同じ場所でやっていたわけです。そうすると、同じ場所にいろんなアーティストが来て、みんな場の料理の仕方が全然違うんですね。コンサートをやりたいと思うアーティストもいたら、火の音楽会といって、キャンプファイヤー場で火を使った音楽会をやりたいという作曲家がいたり、いろいろと面白い企画を打ち立てるので、その度毎に私は調整であちこち駆けずり回らないといけないんです。でも、やはりそういう場を作っていくというプロセス、とんでもないことを言いだしたりするんですが、最後にはきちんとそれが形になって、豊かな体験の場になるのはアーティストの力でありアートの力だと思います。そういう場を最後まできちんと作り上げられるかどうかは1人1人のアーティストの実力が問われるわけですが、そういうアーティストを呼んでこれたら、普段絶対できないプログラムができるということをこの時学ばせていただきましたし、この時ほど既成概念にとらわれている自分に反省したこともなかったと記憶しています。
(図74)
  火の音楽会をやりたいということになって、作曲家が、最終的にはピアノを燃やして、ピアノと炎の共演をすると言い出したんです。そうすると、当時の市の教育委員会からすごい圧力がかかって、やめろとストップがかかった。ピアノを焼くとは何事だ、音楽に対する冒?だ、みたいな話が噴出したわけです。そのとき、最初私もすぐにあきらめて「そう教育委員会が言ってますからやめましょう」とアーティストにお話したら、アーティストからえらく怒られました。「それを調整するのがあなたの仕事でしょ。記者が丹精こめて書いた記事が掲載されている新聞紙を燃やすのはよくて、ピアノを燃やしたらだめという理屈がわからない。もともと焼こうとしているピアノは廃棄処分になるピアノじゃないか。しかも、僕は、燃やして遊ぼうと言っているのではなく、炎とピアノの共演をするんだ」といって譲らないわけです。この時は相当困りました。しかし悩んだ挙句、覚悟を決めて、「わかりました。あなたを信じてやりましょう!」とお伝えして、後は、ピアノのメーカーであるヤマハに行って、ピアノの構造に関して詳しい回答をもらって、弦が切れても大丈夫とか、飛ぶとしたらこの角度からこっちにはいかないからそちらの方向に子どもを並ばせようとか、ダイオキシンの問題が大丈夫なのか裏を取りに行ったり、そんなことを全部一つ一つ抑えながらプログラムの実現を推進しました。結果的にこのプログラムも無事実施できました。
  でも、やっぱりどのプログラムもやってよかったというものばかりなんです。それは、先程のフレームの作り方と強度が違うんですね。プログラムが持っている強度が本当に全然違うんです。それこそが「アート」の力なのかなと今も思っています。
 
 
4.まちづくり+arts

(図75)
  最後は、「まちづくり+アーツ」のお話です。まちづくりの分野の話になると、一般的にまちづくりにアーティストが関わるというのも当然ありますが、僕はまちづくりに一緒に取り組んでいる一般市民の方から出されたアーティスティックな発想に驚かされるといった事例に注目しています。そのいくつかを紹介します。
(図76)
  1つは、明日香村で行われている「万葉のあかり」です。これはもともと町並み整備、街路景観整備の調整役で依頼を受けて取り組んだ仕事で、1回目の村の寄り合いに参加して事業の説明をしたら、もうすでに風致地区がかかっていまして、相当規制が厳しい地区なんですね。「またさらに規制をかけに来たのか、おまえは!」と、えらく怒られて、「そんなものやる気あらへんで!」と言い出されたので、「わかりました。じゃあ皆さんがやりたいことをやりましょう、何がやりたいですか?」と切り返したら、「わしらは観光マップを作りたいんや」とおっしゃるので、「じゃあ観光マップを作りましょう」と提案して、観光マップづくりのワークショップを始めたんです。
(図77)
  この持っていきかたは、当時村の役人にかなり怒られました。でも、やりたくないと言っている人たちに無理させることはできないじゃないですか、と説得して何とか承認を頂き新しい方向性でスタートを切り出しました。
  いろいろ町のいいところ、誇りに思っているところを出してもらいました。例えばここからの景色はすごくいいとか、この施設はいいとか、どんどん付箋を張っていくんです。地域のお宝マップづくりのワークショップ手法です。それで、出尽くした状態で、一呼吸置き、「じゃあ、1つ1つ見ていきましょう。マップとして印刷するベースになりますからね!」と言って、「この付箋の情報は入れますか?どうですか?」と一つ一つ確認していったら、「そこまでのもんやないや」みたいなことでどんどん付箋がとれてなくなっていく。それで、最終的にほとんど付箋がなくなって、結果的に残ったのは名所旧跡だけなんですね。そうすると、皆さん気づくわけです。「わしらが作ってきた誇れるものはほとんどないやないか・・・」と。その辺からこちらに頼ってくる部分が出てきて、「兄ちゃん、何かええ話はないんか。何をやったらいいのか提案はないんか?」みたいな話を振ってくるので、その当時も、ちょこちょこ巷では始まっていたんですが、私は灯りのプログラムがいいのではないかということだけをご提案しました。
  ただ、その当時もすでにいろんなところで「灯り」のイベントが始まっていましたから、ここオリジナルの「灯り」がなかったら残りませんよという話だけはさせていただきました。
(図78)
  そうすると、この写真に後姿が映っている主婦の方が、「ほな、万葉集の里やから、明日香の地を詠んだ万葉集の首を書いたらええやん、行灯に!」と提案なさったんです。「それすばらしいアイデアですね!」ということになって、その案がどんどん進み始めました。そうなるとここの村の人はすごいんですね。全部自分らで作ってしまうんです。人に頼むのが嫌な人たちで、行灯を全部手づくりで作ってしまう。地元の森林組合の人が木を切り出して提供し、それをみんなトントン釘で組み上げていって、このおばちゃんが実はふすま屋さんなんですが、和紙を張るのを手ほどきしながら皆で和紙を貼るところまでやってしまうんです。
(図79)
  そこに万葉集をどんどん書いていくんですが、その万葉集の首の書き込みは地元の書道クラブのおばあちゃんが担当しました。要するに、オール内作なんです、1個たりとも外注はしない。初年度で、びっくりしましたけど、300個行灯を作ってしまいました。そうしたら、テレビの取材も来てしまって、最初は街並みのきれいな通りにポンポンと並べたんですけど、「相当これはいいぞ」という話になりました。
(図80)
  このプログラムの立ち上げの時に一つだけ私がこだわったのは「灯り」の質でした。村の人は、どちらかというと楽な方を選択したがるんですね。行灯の企画を進めるなかである日、「兄ちゃん、100円均一ショップで買ってきたこのライトでええかな?」と言われたんです。「それはだめですよ。絶対あきません。ろうそくにして下さい。」電気の照明だと明らかに灯りの質が変わってしまう。ろうそくは一回一回交換しないといけないし、防火対策も必要となる、ちょっとお金もかかるかもしれないけど、ろうそくにして下さいと頼みました。最初は反発もあったので、それなら、実験して見比べてみましょうとお話して2つの行灯に照明器具とろうそくを入れてみたんです。そしたら、みんなこっちだということになって。全員一致でろうそくに決まりました。こだわったのはそこだけです。後は地元にお任せしてどんどんイベントが育っていくわけです。皆さん器用で結構作るのも早いしうまいんですね。書道クラブの方もお上手に百人一首の首を書いておられました。
 
(図81)
  その後私も忙しくなったせいもありだんだんと行く回数も減ってきたのですが、地元の方ではどんどん盛り上がって、行灯の数も初年度300個が次の年になったら600個になっていて、その翌年は800個に増産されていました。ただ、その頃になると当初の私の任務は町並み整備の話でしたので、村の役人にいよいよ「永田さん、そろそろ街並み整備の話も詰めていきましょう」と言われて、もう一回町並み整備の話の相談に行くことになりました。
  そうすると、これは想定外の話だったのですが、予期せぬ展開になりまして、住民の方々から最初の時は町並み整備に反対だったのに、行灯のイベントを毎年やっていて、自分たちで作った行灯にも相当な思い入れが生まれていて、とても大切なイベントだからもっともっときれいに見せたいと思い始めてはったんです。そしてどこからともなく、行灯がもっと映える、一番きれいに見える背景としての町並みをどうやってつくっていけばいいのかを考えようやという話になっていったんです。
  実際に、この町並み整備のお話は、後に、ランドスケープの事務所も入って、「行灯の映える町並み」というテーマを掲げて検討が進み、村民の意見をまとめて提案書も作り、企画書も作って全部村に納めたんですけど、村の財政難で残念ながら町並み整備はその後完全に止まってしまいました。
  ただ、この頃から、村の人は相当すごいんですが、「あかん、あかん、行政に頼っても結局そんなことにしかならへんのや」と見切りをつけられ、今は自分たち中心でどんどんこの行灯のイベントを育てていっています。
(図82)
  そうすると、私としては彼らに最後に1つだけプレゼントをして完全に足を抜こうと思いました。彼らの様子を見ていると、広報が弱いんですね。すごくいいことをしているのに、それを広報するようなチラシやポスターがちゃんと作られていない。お客さんはそれなりに来てはいるんですけど、何となくこじんまりとやっている感がある。そこで、私の方で自腹を切って、プロのデザイナーを入れて、イベントのイメージを発信するロゴとマークをつくってプレゼントしました。
(図83)
  次にプロのカメラマンを入れました。シャッターチャンスは一瞬しかないので、撮影は大変でした。だんだん暗くなっていきますね。その一瞬を逃すと撮れない。何カ所か撮らないといけないので、駆けずり回って撮影を行いました。ベストショットを何点か撮影しました。建物をちゃんと見せたいところは少し明る目の時を狙って撮りました。いつものイベント時にはこんなにたくさん行灯を並べないんですけど、撮影用にたくさん並べています。そういうベストショットとして今後使える写真を撮って村の人にプレゼントしました。
(図84)
  そうしたら、ロゴマークや写真がちゃんと使われて、こういうポスターができたり、ホームページにどんどんアップされたりしています。カレンダーにしたいと頼まれてさらにデザインしたり、お土産用にポストカードができたり。先程の+artsでいうと、発想したのは村の人なんですけど、最終的にイベントが成長してプロモーションするタイミングで、デザイナーとかカメラマンの協力を仰ぐという、まさに「arts」が貢献できる場面があるんですね。これがイベントが乗っていける最後の一押しになる。今はこのイベントはどんどん地元が発展させているんですけど、重要なのは、並べ方とかも殆ど口を出さないでお任せしてやってきて、イベント全体を自分たちで作ってきているので、そうなったんだと思います。最初から私が入って引っ張って作ってしまっていたら、全部私に聞いてくるような体質になってしまったと思います。自分たちで発展させてきて、なんとなくマンネリ化してきたから、このままではだめだという話になって、どこか1つの拠点に行灯を上に積み上げて、やぐらみたいなのをつくり始めたり、行くたびにスケールアップさせておられます。誰も照明デザイナーなどプロが入らず発展しているのはすごいと思います。
  だから、1つの灯りという要素でここまで村が盛り上がって、しかも若い人がどんどん入ってきています。他にもやり方は無数にあると思いますが、1つのまちづくりの手法としては、自分たちで立ち上げ、プロセスを共有し、まちの誇りとなるものを獲得する、そこの意味は本当に大きいような気がします。
(図85)
  まちづくりという視点では、これは神戸の古い町ではなくて、六甲アイランドという人工島の事例です。美術館が行う地域貢献的なイベントの相談があって、やり始めたんですが、ここではまた全然違うやり方をしています。キャラクターを新たに作って、当初からそのキャラクターを育てていくような手法をとっています。
(図86)
  この緑道を普段ほとんど人が歩かない。これは美術館と町をつなぐ緑道なんですが、この緑道にどうやって人を呼び込んで、舞台として光り輝かせるか、そのための仕掛けとして、まずやったのは、若いアーティストにブースを出してもらって、コミュニケーションをテーマにしたワークショップをどんどん展開してもらう「アート・ストリート・ギャラリー」でした。「アートで新しい人工島の祭りが作れるか?」という実験を私たちとしてはやらせていただきました。今も継続していまして、今年も開催する予定です。
(図87)
  このアート・ストリート・ギャラリーは、いろんな作家が来て、緑道や横に流れる人工の川を舞台にいろんなワークショップを展開します。
  初年度はこの「アート・ストリート・ギャラリー」しかありませんでした。予算的にもそれが精一杯でしたし。ただ、やっぱりこれだけでは弱いんですね。この中に高校の美術部が出てきたり、どんどん地域と絡めていったんですが、それでもやっぱり弱い。そこで次にやった仕掛けが、また、灯り好きやなと思われるかもしれませんが、明日香村とは違う「灯り」を持ち込みました。
(図88)
  この六甲アイランドでの「灯り」は、地元の小学生にアーティストになってもらいました。つまり、小学校でワークショップを実施し灯ろうづくりをやってもらいました。牛乳パックの中に蝋を流し込んで外が乾いたぐらいで中身の蝋を捨てると、筒状のものができて、それが「灯ろう」になる。これにマジックとかポスターカラーで、毎年、「夢」とか「友達」とか、テーマを決めて、子どもたちに絵を描いてもらう。それが1000個ぐらい集まって、先程の緑道が1時間でアーティストのワークショップからこの灯りのギャラリーに早変わりするという仕組みなんです。
  これはこれでまた効果があるんですね。というのは小学生が描いているということはその家族がたくさん観に来るんですね。その時には美術館も夜にナイトコンサートを開催されて、そういった連携イベントを盛り込みながら、昼だけの盛り上がりではなくて、夜の盛り上がりを作っていきました。しかも、夜の「灯り」イベントはやっぱりきれいですし、感動を生むんですね。そういう感動があると次につながっていく。そんな構造になっています。
(図89)
  実は、これは内情をお話しすることになるのですが、今年も継続するにはするんですが、悲しいかな、こういうアート系のイベントは年々予算が減っていくんですね。どんなに頑張っていても残念ながら減る。今年も相当厳しい予算でやっています。これは予算が厳しくなってきたことも含めて、私の持論でもあるんですが、そろそろ私たちは足を抜いた方がいいのではないか、地域主体でやっていくようにした方がいいのではないか、ということになってきておりまして、そういうことを見越して、この「灯ろう」の作り方だけは早目に変えておきました。これだけ写真がなくて、申しわけないんですが、牛乳パックで作ると、蝋を溶かして流し込んで、・・・と作業がかなり大変なんです。1000個作るとなると、張り付きのスタッフが2〜3人必要になるぐらい大変な作業なので、これが地域の人であったり美術館のスタッフがサポートするにはハードすぎて続かないだろうと思いました。熱い担当者がいるときはいいですが、そうでないときにこの作り方が大変だからやめてしまった、みたいなことになってしまったら元も子もないので。
  私が一昨年ぐらいに変えたのが不燃紙を材料にしたスタイルでした。不燃紙で筒にして、蝋の丸い土台を作ってもらって、そこにポコンとはめるだけ。子どもには不燃紙を渡して、そこに絵をかいてもらう。両面テープでペチャッ端と端を貼り付けて筒にして、それを土台の上にスポンとはめたら「灯ろう」ができる。これは非常に楽で安いんです。1個当たり200円くらいでできます。この作り方を提案した。実は今年から私たちの予算がなくなってきたので、ほとんど積極的には関われていないのですが、この「灯ろう」づくりのプログラムはすでに今年の分も動き出しているようです。小学生もどんどん描いています。
  ということは、そういう無理のない「持続可能な仕組み」が重要なんです。継続していける仕組みやフレームはやはり誰かがどこかのタイミングでちゃんと最初に整備してあげないといけないわけです。それを受け継いで伸ばしていくのは、実際には地域の人なんですけど、そこだけは入念に考えないといけない部分ではないかなと思います。
  これは私の読みですけど、どんどんこのイベントの予算が減ってきているので、恐らくアート・ストリート・ギャラリーの部分は今後減っていくだろうと思うんですね。でも、この「灯り」のイベントは残るだろうと思うんです。これが残ったら私の中ではそれでいいと思っています。地元の小学生がみんなで作った1000個の灯ろうが街の緑道にずらりと並べられて、感動できるイベントが地域に定着しているというのはすばらしいことだと思いますし、そんな町に暮らしているというのは誇りにつながると思うんですね。それだけでも十分ではないかと思っていて、そういうふうに継続を考えていくというのも、実はアートイベントでは毎回考えておかないといけないことなのではないかと思っています。
(図90)
  此花でやっているまちづくりは、総合的な事例としては結構面白いことを仕掛けています。少しだけお話します。此花区はテーマコミュニティーといって、福祉と教育と防災という3つの枠組みで区民を集めたワークショップを展開しました。できる限り動員はやめてもらいました。つまり有志の方々が集まって、その人たちでいろいろなプロジェクトを企画し、立ち上げていきました。
  福祉の方は、まず福祉のバリアフリーマップを作った後、イベントをみんなで立ち上げました。「ホットハートふれあい祭り」といって、各連合町会で「ふれあい喫茶」という取り組みをやっているのですが、それを一堂に集めて、軒を並べてもらって、文化祭のようなイベントを行いました。それぞれの「ふれあい喫茶」同士の交流も生まれたりしました。地元で手伝ってくれる人が足らないのでPRしてもらったり。そういう形で場を作って、前のステージでは地元のいろいろな音楽サークルとか高校生のブラスバンドに出演してもらって、コンサートを展開しました。そういった文化系の地域イベントと食を絡めたんです。これが、結構あたりました。文化系のイベントは、通常閑古鳥が鳴いているケースが多くて、いつも集客に困っておられたんですが、前で観客が食べていることさえ許してもらえれば、1回のイベントで1500人とか2000人が観に来るんですね。地元の人が相当たくさん来られます。
  そういうイベントを2004年に立ち上げて、すごい集客だったので大変でしたが、切り盛りされた区民の方は楽しかったようで継続してやっていこうということになり、形式的には私たちがどんどん足を抜いていきながら、地元で実行委員会を作ってもらって、地元主導で今ではこのイベントは継続開催されていまして、区の恒例行事の一つとなっています。
(図91)
  これは継続した地域のお祭りになったんですが、一緒に当時取り組んでいた福祉のメンバーはその後も様々な事業に自主的に取り組みました。イベントを仕掛けるというのは、表面的に見るとよく思わない方もいます。イベントを打ち上げ花火的に見られてしまうんですね。その時はいいがその後は何も残らないといった声をよく耳にします。イベント主体のまちづくりはまやかしだと言われたりしたこともあります。でも違うんですね。イベントはプロセスなんです。イベントを一つ一緒に越えると、本当に住民の人の結束ができて、次のテーマを見つけて展開していくんですね。だからイベントはまちづくりが活性化するための一つの越えていく山のような存在なんですね。そういうふうに私はイベントを位置づけています。
  この時も、そういった展開が本当に実現したんですね。この福祉のチームの人たちが、私が足を抜いてから「福祉サロン」を地元で立ち上げて、ひとり暮らしの高齢者のために月に1回土曜日に集まるサロンを運営し始めました。またその他にも「チャリティーコンサート」を企画して、区の役人を動かして、自分たちでコンサートを毎年開くようになったりということが起こりました。
(図92)
  教育をテーマにしたワークショップの方も、PTAの方々を中心にいろんな子ども向けのイベントを実施しながら、日々の活動にも転じていくスタイルで取り組んでいるのですが、活動し始めて3年目ぐらいから、先程ご紹介した「かえっこバザール」というプログラムを、これも地域にプレゼントする気持ちで導入したのですが、此花区の教育の集まりの方々にノウハウをお渡ししていっています。その「かえっこバザール」を使って、私たちは全国的に防災教育を展開していますが、此花区では防犯教育に取り組みました。体験コーナーのテーマを「防犯」に変えるだけなんですが、そういうふうにしてどんどん取り組みが成長していっています。防災マップづくりの方も、先程ご紹介したものをみんなで作っていく取り組みを実施ました。
(図93)
  そうすると、それぞれのテーマの取り組みが一段落つくぐらいの時期になってきて、もうそろそろ足を抜けるかなぁ・・・と思っていたら、それぞれの取り組みが行政の縦割りみたいになってしまって横のつながりがないのはまずいのではないかということが1つ出てくるわけです。同じ地域でいろいろ活動ができていくと、結局は同じ人がいくつも掛け持ちでそれぞれの活動に参加して忙しくなってしまったりするわけです。ですから、いろんな活動を立ち上げた中で、それらを横に串刺しにするような枠組みが必要ではないかということになってきて、区役所からの依頼を受けて自分でも必要だと感じて取り組んだのが、地域の「まちづくりサークル」の立ち上げです。町内会という既存の枠組みだと、行かないといけないという義務的な要素が強く、子ども会もそうですけど、役になったら大変だということでどちらかというと重荷になる。そうではなくて、気軽に行けるサークルみたいなものを作りたいと思い、それまで立ち上げてきた3つのワークショップの取り組みを、「かえっこ」を介在して一つの場でできないかみたいな提案をしました。つまり、これもイベントがプロセスになっていて、この「かえっこバザール」がベースになった「かえっこフェスティバル」みたいなお祭りを立ち上げて、今まで各方面でばらばらにイベントをやっていた人たちを対象に一緒にやりませんかと呼びかけてみました。
  そうすると、呼びかけに対してたくさんの人が来てくれたんです。子どもだけのクラブみたいなものを作って、彼らにも、当日のプログラムを作ってもらいました。お客さんとして来てもらうのではなく、スタッフとして参加してもらうわけです。そのほか、同じ現場に防災のコーナーもあれば、福祉のコーナーもあり、さらに子どもらが作ったプログラムもあったりして、全部で15個ぐらい、ワークショップコーナーの数としては多過ぎるかなとも思ったんですけど、せっかくなので全部実施しました。始まって、会場が狭くて入り切れないぐらいでしたが大盛況でした。そういう形でまちづくり活動の横のつながりが生まれつつあるというのが今の此花区の状況です。それが昨年度までの動きです。
(図94)
  昨年度の終盤、さらにいい展開が生まれてきたのは、私たちが調整をしながら進めていったイベントだけではなく、こんなことをやって欲しい、やりたいと自主的な意見が出始めてきて、その成果として「パソコン教室」が始まったり、「食育の先生の講演会」をやったりというのが実現しました。こうなると、やりたいと思ったことが実現できる、自分たちが企画してできるんだという雰囲気が生まれてきたんですね。
  さあ、そろそろ総仕上げ、私たちも此花区から本当に足を抜く時が来たぞということで、本当に今年度で最後にします、とお話して、今取り組んでいることがあります。この街には、自主的なまちづくりを引っ張っていくリーダーが少ないですし、まちづくり活動を円滑に運営をしていくノウハウがまだ不足しているんですね。そこで、区内でいろんなまちづくり活動を実践されている人に集まってもらって、そういう人たちの応援講座という講座を企画しました。私たちが新たなまちづくりサークルとして立ち上げた「かえるクラブ」のメンバーじゃなくても参加できるようになっています。どなたでも自由にご参加下さい、と呼びかけたら、PTAの方や子ども会の方も困っておられたんでしょうね、説明会にざっと40人ぐらいの人たちが来てくれました。
(図95)
  そういう人たちを対象に、これから講座が始まります。1つはブログの講座。ブログはコミュニケーションツールとして活動されている会のことを発信していく意味でも非常に使えるツールなんですね。このプログの講座を、先程の藤浩志というアーティストが来てやってくれたり、他にセンスのいい会報とかチラシを作るための講座、イベントの企画のイロハを教える講座、最後にNPOの設立支援、協賛金、助成金のとり方を教えてくれる講座などをやります。この4つについて、よりすぐりの講師を選んできて、今年連続講座の形で実施して、私としての此花区への関わりはそれで終わりにしようと考えています。
  そこからリーダーが育つか育たないか、受講した方々がまちづくり活動の運営をしていけるかどうかについては、できなければできないでしょうがないといつも思っています。そう言ってしまうと行政から怒られちゃうんですけど、やりたくない人、がんばりたくてもできない人の首に縄をつけて無理やりやらせるなんてことはできないんですよね。だから、こうやってトライをして、まちづくり活動に目覚める人がいたらそれでいい。それがいなければ、それぞれの活動にこのノウハウを断片的にでも持って帰ってもらって、そこでの個別の活動が豊かになれば、それはそれで此花区としてはいいのではないかと思っています。
(図96)
  私の方は、そんなわけで此花区役所とはだんだんと関わりの度合いが減ってきているんですけど、それとは反対に、此花区には大地主の会社がありまして、その会社が地域活性化したいというので、まちづくりに行政ではない新しい軸を作るという考え方のもと側面的にご協力をし、若い人を地域に呼び込むためのプロジェクトを始めています。
(図97)
  「此花アーツファーム構想」といいます。大地主さんの不動産会社が空き家をたくさん持っているんですね。この空き家を使っていろんなことを始めています。
(図98)
  きっかけは私が講師を務めていた大阪大学の学生対象の演習課題で、この町を活性化させるために、こんな空き家があるけど、どんなことをしたらいいと思うかという提案をさせたんですね。そうすると、去年までの学生はこんな町に住みたくないという子が多かった、私はニュータウンでいい、と。でも、今年のメンバーは違っていて、この町は楽しそうやし、下町的な情緒があって温かそうな感じがする、みたいなことを言うんですね。下町の方がいい、銭湯なんかがあるのがいい。住んでみたいと言い出したんです。その後、実際に引っ越してきたやつもいたんですけど、ちょっと試しにユースホステルみたいなもので、試しに住んでみたいと言い出しました。それなら、そういう提案をしてみたらと話をして、不動産会社の社長に提案したら、「面白いな、やってみよう!」という話になって、プロジェクトがスタートしました。
(図99)
  今幾つかの空き家でプロジェクトが動いています。これはメリヤス工場だった建物を、先程のアーティスト・藤浩志が、アーティスト、クリエイターの作業場としてここを活用していくといった企画を打ち出したり、たばこ屋さんだった角の一軒家を、いろんな大学の出張ゼミをする場所にしましょうとか、1人のアーティストが商店街にある空き物件に引っ越してきて、商店街の名物をつくりたいと構想を膨らませたりしています。
(図100)
  これは実際に空き家を教材にして、プロの家具職人が部屋の改修講座を、インテリアをやっている学生向けに教えるというプログラムで、実は明後日からスタートすることになっています。すでに6人ぐらいの受講生が決まっています。
 
(図101)
  もう1つ面白いのは、プロが教えるのではなくて、自分たちで見よう見まねで改装をしました。この自分たちで改修した部屋に今、1カ月から1週間単位でどんどん女子大生とか大学生が交代で住み始めています。お風呂代とか一部の生活資金を私たちが出してあげているんですけど、彼らが何をしているのかというと、ブログを使って自分たちの足で稼いだ街の情報をレポートしてくれています。
(図102)
  私は、若い人たちにこれからこの街にどんどん住んでもらうんだったら、若い人たちが見た街の魅力をレポートした方がいいのではないか、それが本当の不動産情報になるのではないかと考えて、この部屋に住むのに家賃をとらない代わりに、街で食べ物を食べに行ったら、そのお店の情報をブログでアップしてね、何か面白いものを見つけたらアップしてね、とお願いして、いろんな学生が数珠繋ぎのようにブログを更新してくれています。若い人から見た街の情報がどんどんストックされていく感じがとても面白いですよ。
(図103)
  もう1つ、これはプロジェクト始動の際の最後に仕掛けたことなんですけども、浅井君というアーティストを街に招聘しました。これがまた面白いいアーティストで、覚えていただくとこれから多分すごく伸びてくる作家だと思います。絵を描くのが大好きなんですね。いつでも絵を描いていたいという特殊な性格の人なんです。エピソードがあって、一緒に御飯を食べに行くと、よく紙のシートが敷いていますね。あれにおはしの後ろを使って「おしょうゆ」を墨汁がわりにして絵を描き出すんです。3度の飯よりも絵を描きたい。今どき珍しい絵を描くことに純粋なアーティストなんですけど、いろいろな素材を使って絵を描いています。
(図104)
  例えば、彼の有名な作品としては、インドネシアで、何も絵の具を持っていかずにその土地の土を4種類選んで、それを溶かして絵の具にして絵を描いたというものがあります。彼は8月中旬に約1週間此花区に来たんですけど、ガムテームで植物の絵を描きました。何を材料にしても絵が描けるんですね。だから、町をキャンパスに絵を描いて欲しいと思って私は彼を呼びました。何故彼を呼んだのかというと、この町は若い人たちが何かやろうかと思った時にそのことを受けとめてくれる町なんだということを発信したかった。そんな町って今なかなかないじゃないですか。彼は、そんな町のシンボルなんです。自分は絵を描きたい。町をキャンパスに絵を思いっきり描くということが彼のやりたいことで、それをこの街が受け止めているということが見せたかったんですね。
(図105)
  今回は、不動産会社のサポートがあるということが大きいんですけど、いろんなビルの壁面に絵を描きました。そうするといろんな効果が生まれます。町の人が見に来てそこでアーティストと交流し始めたり、地域の人が全然変な目で見ずに、親しげに話しかけてきて、記念写真を撮ったりしていました。今、この地域ではかなり話題になっているようです。
  この流れを受けて、大きなアートイベントを12月に開催するんですが、区役所の方が私たちに、組ませてくれないかと相談してきたりしています。
(図106)
  そんなふうに1人のアーティストが関わることでも町が変わるきっかけになる可能性があると思います。彼が1人来て活動しただけで、こんなに話題になるとは私も思ってもいませんでした。彼は、また11月から1カ月間此花区に滞在することになっています。その時に彼がやろうとしていることは、今度は地域の人と絵を描くことです。具体的には地域の子どもたちと、その不動産会社が所有している私道に絵を描きたいと言っています。「止まれ」という白い文字がよく道路に書いていますが、あれは、白いシート状の素材をその文字の形に切ってバーナーで路面に焼きつけているだけなんですね。そのシートで子どもたちと植物の絵を作って、横浜のどこかの地域で180メートルの長さの私道に作品を作ったらしいんですが、それを此花区でやりたいと言っています。
  彼の思いのなかでは、高齢者の方とも絵を描きたいと考えているようです。この地区は高齢化していますから・・・。あとは、お風呂屋さんの煙突に描きたいとも言っています。そういうことを受けて、今私たちの方で地元の人たちに一緒に彼と絵を描きませんかと呼びかけていますが、結構盛り上がってきています。一緒に描きたいという人がどんどん出てきています。
  そうやって地域も巻き込まれていく。1人のアーティストの存在によって、そういうことが起こりうる可能性があり、それが現実に起こっているのが此花区の状況です。
 
 
5.不完全プランニングのすすめ

(図107)
  ずっとここまでご紹介してきた事例はバラバラのように見えるかもしれません。それらを横串に刺すものがないように映っているかもしれません。でも実はそんなことはなくて私が取り組んできたプロジェクトでずっと大切にしてきていることがあります。それはこれからも大切にしていきたいと思っていることですが、それは「不完全プランニング」というとちょっと語弊があるかもしれませんが、イメージとしてはそんなことかなと思っています。
  何か凝り固まっていたり、完璧にできあがっているものは、例えばそれに誰かを巻き込んだ時にやらされている感が生まれてしまうんです。なんとなく自分のものにはなり得ないわけです。だから、イメージ的で申し訳ないのですが、すきだらけで、脇がすごく甘いみたいな、緩いそういうプランニングが実は重要なのではないかと思っています。それはスタンスの問題かもしれませんが。
(図108)
  ただ、全部緩くていいかというと、実は違うなと思っています。先程の「Nature Art Camp」のレストランのプログラムや、コンサートのプログラムもそうですし、「かえっこバザール」なんかもその典型なんですけど、そのものの本質というか、そのもの自体は非常に楽しかったり、感動的であったり、非日常的なことであったりすることが重要な気がします。そこに僕はよく言うんですけど、ある種の強度が必要だと思います。強度がありつつ、でも何か変わりやすくなっている。境界の部分はすごく緩い。
  そんなことを考えていて、最近いろいろな人と会ってそんな話をぶつけるわけです。いろいろなアーティストと話をしたり、デザイナーと話をしたり。そうすると、同じようなことをいろんな分野で言っている人が実は今は結構多いんです。
  先程ご紹介した「かえっこバザール」はまさにこれの典型で、いかようにも変えていくことができる。プログラムの中の体験コーナーを防災訓練に変えて、防犯教育に変えて、好きにしていいよ、みたいな感じです。しかも、会場の演出もルールもそんなに縛りが厳しくないので、地域の人は自分たちでポスターを作ったり、子どもたちがかかわって衣装を作ったり、いろんなことをするわけです。そういうふうにして自分でカスタマイズしやすいようになっています。しかも、ルールも変えていいと言われているぐらいですから、自分たちのものとしてみんなが獲得している。
  今度、11月に「かえっこサミット」が水戸芸術館であって、私も出席します。金沢や山梨などいろんなところで、「かえっこ」を軸にまちづくりをバンバンやっているところが出てきているんです。それくらいプロジェクトとして、フレキシブル性を含めて、不完全なんですけど、それがどんどん育っているという感じがあります。
(図109)
  もう1つの事例です。これはランドスケープの世界で、私の親しい友人がやっているプロジェクトで、「マゾヒスティックランドスケープ」という事例があります。すごい名前です。これはこの本に詳しく書いています。この本も是非読んでいただきたい面白い本です。
  「パブリックスペースはつくり手が与えるものから、使い手に獲得されるものへと変化することが求められている。それを可能にするのは、一方的に意味を与えるデザインではなく、一歩控えて場所の多義的な可能性を示すマゾヒスティックなデザインだ」と。それがこれからのデザインのキーワードではないかと彼らは問うているわけです。
  要するに、ガチガチっとつくられた空間、しかも、いろんなものを規制する、使い方はこうでしょうと言われているような空間は非常に厳しくて、やはりもう少し包容力があって、ただ、包容力がある中で独自のカラーを出していくというのは相当技術が要ると思うんですけども、そういうことをトライすべきではないかというふうに言っているわけです。これはたくさんのリサーチから裏づけした提言を展開している本です。
(図110)
  もう1つ、ナガオカケイメイさんとこの間話をしていた時に、「D&DEPARTMENT」の話になりました。これも今、旬の話ですね。彼は9月1日まで銀座の松屋で物産展という展覧会をやっているみたいです。そのナガオカさんの、「NIPPON PROJECT」なんですが、全国各地で展開しようというショップ「D&DEPARTMENT」、いろいろ古いものをリニューアルしたりしながら、日本の伝統的な工芸とかそういうものを見直そうというプロジェクトがあります。全国でこのお店を1軒ずつ各都道府県に作ろうとしています。これのやり方が非常にうまいなと思いました。
  「D&DEPARTMENT」というのは、商材を沢山持っていて、人気グッズもあります。でも、その商材は3分の1だけしか全国のお店には卸さないんですね。残りの3分の2は、その地域のお店の店主が自らその土地の作家を探したり、商材を探すという仕組みになっています。
(図111)
  絶妙な、すばらしいバランスだと思うんですね。3分の1というところに意味があって、3分の2だったら、違う方向性になってしまうんですね。3分の2を自分たちが見つけてこないといけない。でも、3分の1は支えてくれるものがある。そのバランスの作り方はすごいです。このプロジェクトに今、各地方都市の若い人たちが何千万という借金をして自分のお店を作ろうということに立ち上がっているそうです。それをナガオカさんは支援しているわけです。
  これもやっぱりフレームの作り方の「妙」のような気がします。何か関わりしろと言うか、のりしろを作っていく、緩さというか、そこの意味の重要性を説いていくのもありじゃないかと実は考えているところです。
  ですから、自分の立ち位置としても、最初は「プロデュース」していく立場でも、だんだんと「ファシリテーター」、盛り上げ役になっていって、最終的には「アドバイザー」として徐々に存在感を消していくということを地域のまちづくりでも目指しているわけです。
(図112)
  そのために重要なのが、照れくさい言葉なんですけど、まちづくりに対しては「愛」が必要ではないかと思います。要するに、愛情があることで相手を認めて信じることができる。六甲アイランドのプロジェクトで灯ろうの作り方を変えたのも、地域の人たちを愛するが故の方策なんですね。「愛情」を持って、「謙虚さ」と言うか、「作法」とも言っているんですけど、それを持つことが重要なんですね。プランナーの人はプロジェクトが大きくなればなるほど、語弊があるかもしれませんけど、自分の我を通したり、自分のカラーを押しつけようとしている人が多くてしんどいです。
  そうではなくて、誰のためのものなのか。自分の立ち位置はどうなのか。自分の役割としては最後どうあるべきなのかということをちゃんと描けている人、そういう感性の人で私が共鳴できる人になかなか会えなくて寂しい思いをしている日が多いですね。本当に残念なのですが・・・。
  本当のプロデューサーは今非常に少ないと言われている時代なんですけど、今後愛を持って自分の立ち位置に対して、ある種の作法を持ってやれる人が出てこないと、ちょっと世の中的にしんどいんじゃないかと思っています。学生には事あるごとにそういうことを言っています。
  プロデュースという分野に進む人は少ないんですけど、もっともっとたくさんの人がこの道に進んで、一緒にやっていけるようになったらいいなと思っています。
  少し延びてしまいましたけど、これで私の話を終わらせていただきます。(拍手)
 

 フリーディスカッション
 
與謝野 永田先生、ありがとうございました。
  大変に豊富な実践経験にもとづく示唆深いお話をいただきました。「不完全プランニング」という言葉の深い意味合いが実に深い意味を伴っていることに今気づいた次第です。難しい論理よりも先ずは実践を通じてその作法を学ぶという生き方について、非常に生き生きとしたお話とともに、貴重なノウハウとしてご披瀝いただきました。ありがとうございました。せっかくでございますから、ここでご質問を2〜3お受けしたいと思います。どうぞお申し出下さい。
河合(樺|中工務店) 今日は楽しい話をありがとうございました。
  2つ質問があります。
  1つ目が、アーティストが入ると今まで得られなかった視点みたいなものが得られて、急に人が集まってきたり、エンジンみたいにモーターが動き出したりする。それっていうのは何なのかなというか、アーティストというのは一体どんなものを持ち込んでくれるのかというのが1つお伺いしたいことです。
  もう1つは、永田さん自身がいろんなプロジェクトに体ごと体当たりに入っていかれているんですけれども、最後はそこの地域に任せて出ていくというスタンスをとられている。そういう形をとるようになったきっかけというか、モチベーションというか、その辺を教えていただきたい。
  その2点お願いします。ここまで
永田 前者の方は、私はアートをプロジェクトに持ち込む時の意味は実は大きくわけて2つあると思っています。アーティストの既成概念にこだわらないユニークな視点とか新しい発想はもちろん大きな意味をもっているんですが、アーティストが展開するアート自身にも、2つ重要なポイントがあるわけです。
  1つは、メッセージ力なんです。人に伝える力というか、先ほど述べた「強度」を持っているんですね。というか、私が仕事を依頼するアーティストの方々はそういう「強度」を持っている方が多いですね。そのメッセージ力をもったアーティストを選んでいるというか。
  もう1つは、「感動」を与えるということです。既成概念にとらわれてない表現だからなんだと思うんですけど、普段の日常では味わえない「感動」がある。
  この2つを指して、よく「打ち上げ花火的」な意味と、何だろうと考えさせ問いかける「推理小説的」意味があると。アートの効能を表現する方もいるんですけど、アートのよさは、すごい!と感動する部分とその後ジワジワくるそうなんだというメッセージなんじゃないかと思っています。
  アートを毛嫌いする。大阪でも橋下知事が大阪のアートのお祭りに大反対をして、すごい問題になったんです。あれも間接的にお聞きすると、自分が現代アートがよくわからないからアート反対という考え方のようですが、私はちょっと違うんじゃないかと思っています。いろんなアートがあるし、わからないではなくて、そこに一回触れてみようというトライというか、アートに近づいてみようという受け手側の積極的な意識が重要で、アートというと拒否反応を示す人が多い社会風潮にまだまだ問題があるし、それを触媒になってきちんと伝えるコーディネイターの存在が必要だと思っています。。
  だから、最近は私がお付き合いしているアーティストの方でも、アートという言葉をあえて使わない方がいいんじゃないか、みたいなことをいう方がおられるぐらいです。もっとわかりやすく説明したほうがいいんじゃないかと。僕の中のアートの果たす役割というのはそんなイメージです。
  2つめのご質問に対するお答えですが、スタンスとしてまちづくりの仕事で足を抜くことに主眼を置いているのは、これも本当のことを言うと、ずっと関わっているほうが実際には仕事になるのでいいんですね。どちらかと言うと、もう少し来てくれ、来年も面倒見て欲しいと言われることが多いんです。でも、これも語弊があるので言ったらいけないことかもしれないんですが、私は学生時代も含めて関西にずっといますが、周りのまちづくりコンサルタントは、ずっとその地域に張りついている人が多かった。それがすごく役に立っているし、すごく頼りにされている意味ではいいと思うんですが、役所の人も何年かで異動して変わってしまうので、コンサルタントの人が一番よくその地域のことを知っているからその人に頼らざるを得ないみたいなことも含めてずっと関わっている。そうすると、地元の人たちとうまくパートナーシップの関係ができていればいいんですけど、その人が中心に展開してる、みたいなことになる。それは、どこかで本当のまちづくりではないんじゃないのかという違和感がずっとあって、表現が不適切かもしれませんが、コンサルタントがやっているカルチャースクールみたいな雰囲気がまちづくりのワークショップになっているイメージがどうしてもあって、それは違うだろうと思うようになったということです。
  住民主導とか住民主体と言うんだったら、本当に誰もいなくなっても、自分たちでやっていけるような枠組みが作れないかということが、私の中ではまちづくりの仕事に対する挑戦であり、それができなければ住民参加のまちづくりを語ったらだめじゃないかとすら思っているぐらいなんです。
  そういうことが背景には実はあります。
赤松(まちづくり神田工房) 先程の方のお尋ねとかぶるかもしれませんけれども、予算が右肩下がりになる。それから、ずっと関わるのはどうかなということがあったわけです。例えば、アーティストが関わる部分と市民自らがクリエイティビティを発揮してくる部分と、その期間はどのくらいか。数年置きにかかわる、或いは彗星みたいに時々やってくる。そういう関わり方も駄目なのかどうなのかということが1つ。
  それから、もう1点は、空間のあり方についてなんですけど、目的空間であったり、機能空間であったりというものが遊休化したり、使われなくなったりという状況が生まれて、それをまた最後のところで、阪大のプロジェクトではありませんけれども、全然違う使い方をした時に、結果として多目的な空間になる。そういう空間の非計画的なアプローチというか、それが、結果としては空間を活性化するというか、いいものにしていくというお考え、アプローチでよろしいのかどうか。
  この2点をお尋ねしたいと思います。よろしくお願いします。
永田 前者の方は、アーティストがたまに来るとか、絶対手を出し続けたらあかんとかそういうことではなくて、主体性の問題だと思っています。例えば先程の明日香村のお話のように、立ち上げにかなり強く関わって一旦うまく立ち上がったら、ずっと引いていたわけですけど、プロジェクトが進む中で何かのタイミングでまた呼ばれていった時に、このあたりが足らないなぁと思ったら、プロのカメラマンを連れて行ってベストショットを撮影したりします。そして、写真をプレゼントしたら、またその後はすっと引くんですけど、そういうことは別にあってもいいと思うんです。どうしてかと言うと、それは住民の人が主体的に普段やっているからです。でも住民だけの展開ではどうしてもおぼつかない、傍から見ていると絶対足りないと思うところがあるわけです。
  今年やろうとしている此花区でのまちづくりリーダー養成講座も、その地域の今後の発展を考えた時に、足りないと思うところがあるのをどうやって埋めてあげられるかなというのをお付き合いしながらずっと考えていて、私たちも考えているわけです。
  そういった意味で、主体性を持って地域の人たちがまちづくり活動をやり始めているところについては、アプローチの仕方は、絶対関わらないということではなくて、関わり方に対するこちらの「作法」さえきちんと持っていれば、関わることも構わないと私は思っています。
  もう1つの方は、空き家のことをおっしゃったんだと思うんです。空き家は、面白いなと思っているのは、此花区の町にある空き家の家賃は、8000円とか1万円のものもまれにあったりするんです。それでも借主がいないということは、今の不動産の流れとか、あそこの町で部屋を探している層から見ると、全く魅力を失っているものが沢山残っている、溢れているということだと思うのですが、そこに全然違う文脈から来た若い学生たちやアーティストたちが面白いと言ったり、いいと言う。全然違う視点で町や空き家のよさを感じ取って、自分たちの空間として獲得していくというのはやっていて面白いですね。ものの「価値観」って、その対象となる人の考え方や捉え方によって180度変わる可能性があることがとても面白いなと思うんです。
  ある1つの価値観では、見捨てられたものが、違う人の価値観で見ると、それは面白いと思う可能性があるということ、その視点を忘れてはいけないというのが私が大切にしているポイントで、空き家もそういう考え方でアプローチした時に、多分もっともっといろいろな人たちが面白いと思ったりするだろうし、新しい空き家の使い手が出てくるんだと思います。
  そうしてこの町での取り組みがどんどん広まっていくと、単純にこの町のよさや空き家の存在が知られていないから見捨てられていたのかもしれない、みたいなことが浮き彫りになってくると思うんです。そういうふうにどんどんいい回転をし始めると、今はたくさんある空き家に新しい風が入ってきて、それがこの地域のまちづくりの活性化につながって欲しいなと思っています。そのために、いろいろ企画をしています。そういうふうに成長していくのがいいだろうなと。
  そうなっていく時に1つだけ重要だと思って、不動産会の社長にお願いしているのは、そういう新しい風が吹き始めてきた時にむやみに家賃を上げないで欲しいというということです。いま動き出している活動が単純な「営業行為」で「商売」のためだけになってしまった瞬間、私は思い切りかみつきますよと言っています。そのためだけにやっているんじゃないということをわかって欲しいという思いです。
  地域が活性化して空き家の稼働率が上がればそれだけで不動産会社は今よりは潤うと思うんですね。でもそれ以上のスケベ根性はいけません。そこでさらに儲けようなんて商売ッ気に走ったら興ざめですね。それはやはり間違ってもしてはいけないと思っているので、そこだけはわかっていただきたくてお願いをしています。
與謝野 ありがとうございました。まだまだご質問をお受けせねばとは思いますが、残念ながら時間が参りました。本日は、示唆深い貴重なお話の中で、まちづくりに取り組む視点についての新しいとらえ方の潮流のお話から、それを捉える「+arts」という視座、さらにはこれを実践する基本認識とバックとなっている時代感覚などなどについて、豊富な具体例とともに、まことに生き生きとしたお話をいただきました。この本日のフォーラムでなければお聴きできない貴重な知見の数々もご披瀝いただきました。本日の永田先生のお話から多くのことを感じ取っていただき、皆様の日ごろのお仕事に生かしていただければ、主催者側としましてもまことに幸甚至極でございます。
  それでは、最後にいま一度、永田宏和様に大きな拍手をお贈りいただき、皆様とともにお礼を申し上げたく存じます。(拍手)。ありがとうございました。
                                

 


 




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