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第14回NSRI都市・環境フォーラム

『コンパクトシティは可能か』

講師:  海道 清信 氏   名城大学都市情報学部教授

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日付:2009年2月25日(水)
場所:ベルサール神保町

                                                                            
1.持続可能な都市像としてのコンパクトシティの理念と政策

2.成熟しつつある都市、地域空間の変容─名古屋都市圏を中心に

3.コンパクトシティの計画とデザインを考える

 

フリーディスカッション

 

與謝野 皆さん、こんにちは。定刻となりましたので、第14回目、通算で254回目のフォーラムを開催させていただきたいと思います。
  本日は、皆様におかれましては、大変お忙しい中を本フォーラムにお運びいただきまして、誠にありがとうございます。また長年にわたりまして、本フォーラムをご支援いただきまして、大変高い席からではございますが、厚く御礼申し上げます。
  さて、ここ数年来、少子高齢化と人口減少等の大きな社会動向を受けまして、既存及びこれからの都市の構造が今後どうあるべきかについて、産、官、学、3界の分野で大変に議論が活発化しております。そうした議論の中でとりわけ注目され、また政府の政策として一部実践されつつある都市像が「コンパクトシティ」であります。
  そこで、本日のフォーラムは、このコンパクトシティについての第一人者をお招きいたしまして、皆様とともに今後の都市構造のあり方等について、理解と認識を深め学習していきたい、とこのように考えております。
本日お招きいたしましたのは、この分野で大変ご活躍されておられます名城大学都市情報学部教授の海道清信先生でいらっしゃいます。海道先生のプロフィールにつきましては、お手元、受付でお渡ししましたペーパーどおりでございますが、京都大学大学院を卒業された後、地域振興整備公団に20年ほどお勤めになられ、1995年に名城大学に移られまして、2002年より現職をお勤めになっておられます。ご専門は、「都市整備論、都市開発論」でいらっしゃいます。
  海道先生からは、今日は、コンパクトシティの理念と政策、そして英国ほか国内外での実践モデル分等をご紹介いただきまして、さらにこれらを通じてのコンパクトシティのデザイン、計画の方法論にいたるまでの広範な知見をご披瀝いただくものとお聞きしております。
  本日の演題は、前に掲げておりますとおり、「コンパクトシティは可能か」としておられます。それでは、ご多忙の中を遠路、名古屋からお運びいただきました海道先生を、皆さんからの大きな拍手でお迎えいただきたいと存じます。それでは、先生、よろしくお願いいたします。(拍手)

海道 ご紹介いただきました名城大学の海道です。よろしくお願いいたします。
  今日は「コンパクトシティは可能か」というテーマでお話しいたします。その趣旨は、コンパクトシティとは一体何か、そして、それが日本の都市や地域の中で実現できるのか、どういうふうにすれば実現できるのか、或いはどういうものができればコンパクトシティと言えるのか、その辺を皆様とご一緒に考えてみたいということでございます。
(図1)
  レジュメで予めご紹介しましたように、今日の話は大きくは3部に分かれています。
  最初の方では、抽象的なお話が中心となりますが、コンパクトシティについての基本的な考え方について述べてみたいと思います。
  2番目に、私が勤めています名城大学のメインキャンパスは名古屋市内にありますが、私がいる都市情報学部のキャンパスは岐阜県の可児市にあります。そこで、全体として名古屋都市圏をとりあげて考えてみたいと思います。皆様は、東京圏を中心にしてご活躍の方が多いと思いますが、名古屋都市圏について、最近の状況を少しお話しいたします。
  最後は、もう少し具体的な方法論について、触れていきたいと思います。
  今日の名簿を見ますと、幅広い皆様がご参加ですので、どこまで皆様のご関心に応えられるかわかりませんけれども、今考えていることをできるだけご紹介したいと思います。
  最後は、30分ほど意見交換がございますので、よくわからないことがありましたら、私も全てわかっているわけではないので、皆様といろいろ議論できればと思います。よろしくお願いいたします。

1.持続可能な都市像としてのコンパクトシティの理念と政策

(図2)
  はじめに、コンパクトシティとは一体何かということです。地域や時代によって、そのとらえ方は全く違うと思います。都市デザインの言葉としてコンパクトシティというのは、例えば、ダンツイク・サーティ『コンパクトシティ』(1973年)によるものなど、昔からあったわけですが、都市政策として登場したのはヨーロッパで、1980年代の終わりぐらいからと考えています。
  全体としては先進国の都市政策として、いわゆる成熟社会の都市像ということで位置づけられるのではないかと思います。成熟社会とは何か。日本も今大きな転換点に立っていますが、一歩下がって考えてみますと、ガボールという方の本の引用ですが、「成熟社会とは、人口および物質消費の成長はあきらめても生活の質を成長させることはあきらめない世界」であると書かれています。わかったような、わからないような言葉ですが、成熟社会とは、量的な拡大はそれ程求めず、質的な向上を図る、ということになります。
  都市に置きかえますと、これまでは郊外へ郊外へ、都市は広がっていきました。ところが、日本でもようやく郊外拡大の時代が終わって、中をどうするのかという時代に入ってきた。いわゆる都市再生の時代ということになるわけです。そういうことが成熟社会の都市のあり方ということで考えられるのではないか。
  ただし、東京でもそうですし、名古屋都市圏でもそうですが、全部がただシュリンキングシティということで縮小しているのかというと、そうではありません。都市の中は非常に複雑で、成長しているところもあれば、衰退しているところもあるし、安定しているところもある。いろいろあるわけで、この一言では片づけられません。しかし、全体的なイメージ、或いは位置づけとしては、コンパクトシティは成熟社会の都市像という形で位置づけられるのではないかと考えています。
(図3)
  振り返ってみて、20世紀の都市とは一体何だったのか。このことについては、いろいろな方が述べられていますが、これは青木仁さんの言葉です。「20世紀の100年間、日本社会は大きな変貌を遂げた。高度経済成長は急激な都市化と都市の拡大を招来し、19世紀に頂点に達した近世日本型都市システムは、20世紀の近代都市システムに置き換えられていった。都市が被った変貌は、・・・自動車交通への対応・・・土地の高度利用の実現である」。ここにあるように、特に20世紀後半については、自動車を中心とした都市につくり変えていく、或いは自動車利用を前提として都市へと発展させていくということが基本的な考え方だったということは否めない事実だと思います。
  そして、都市の構造、都市のあり方、都市計画の方向、或いは都市開発は、全て自動車をどう使うのか、ということによっています。特に、日本でも殆どの地方都市或いは東京圏でも少し郊外になれば、基本的には自動車交通を便利にするという形で都市がつくり変えられてきた、或いはつくってきたということが言えるのではないかと思います。
  その結果生まれたのが、この写真にあるような郊外の1つの風景ということになります。これは実は金沢市の駅西の区画整理地区です。基盤整備がきちんとされて、その上に大規模集客施設的なものが立地していますが、大きな駐車場を整備して、これだけの車を集めて利用するという形で都市がつくられているという1つの典型なわけです。この写真は金沢中心部から移転した県庁の上から撮ったものです。
(図4)
  これはサリンガロスというオランダの学者の方が述べた言葉です。「心ある人は誰も20世紀のまちはどこか間違っていると感じている。不幸なことに決定を変える力は政治に近づき過ぎて」、力のある方は力をうまく発揮できていないのではないか。サリンガロスは、ニューアーバニスト――これはご存じのように、アメリカの現在の都市開発、都市計画で非常に力を持っている考え方なわけですが――ニューアーバニストたちの考え方が有効ではないか、と言っています。
  左の図はスマートコードというものですが、これは、ニューアーバニストたちの都市計画の基本的な考え方です。都市の中心から郊外にかけて、5段階ぐらいの密度を設定し、それに応じて都市空間のデザインをしていくという考え方です。
  サリンガロスの言葉の後段には「都市の複雑さをあまりにも単純化したモデルは我々の都市を破壊した」とあります。この単純化したモデルというのは、1920年代から30年代にかけてコルビジェが提起した大都市像です。高速道路、高層ビルで都心をつくるというものが現代都市のモデルになった。しかも、その都市像を余りにも単純化し過ぎて適用したために、都市の持っている魅力を一方で破壊してしまったのではないかという提起を彼はしているわけです。
(図5)
  今日のお話のテーマはコンパクトシティ論ということですが、非常に幅広い話になるかと思います。私自身がコンパクトシティという考え方を、余りにも議論を展開し過ぎているということもあります。そこで、ここでは都市を巡るいろいろな理論や都市論をもう一回整理してみることにしました。
  「1.都市の理論」とありますが、これは、「都市経済や都市文化、世界都市、創造都市、サステナブルシティなど」に対する議論を言います。
  「2.都市形態論、都市構造論」とありますが、ここにコンパクトシティが位置づけられるわけです。アーバンモフォロジーとありますが、これは、特にヨーロッパでは盛んです。都市の空間構造を詳細に考えて行くために、中世都市の空間構造パターンを研究するなど、いわば狭い範囲の都市空間論、都市形態論のことを言います。
  その他に、「3.都市政策論」、「4.都市の計画理論」、「5.都市のデザイン論」があります。今日のテーマであるコンパクトシティは、都市の形態論にあてはまるわけですが、その中に都市の理論や政策論、形態論、デザイン論も絡めて、これから話を進めていきたいと考えています。
(図6)
  まずは第1部ということで、理念と政策について考えてみたいと思います。
  日本、或いは世界の都市は、20世紀に入る前、19世紀の半ばまでは全ての都市はコンパクトであった、或いはコンパクトシティであった、ということが言えるわけです。
  日本の場合はどうかというと、1960年代に急速に自動車交通が発達し、都市化が進み、都市の人口が増えていく中で郊外化が進んでいきましたが、それまでは日本の殆ど全ての都市もコンパクトでした。
(図7)
  これは金沢です。私、生まれが金沢なものですから、よく金沢の例を出します。これは江戸時代の地図ではなく、1960年の国土地理院の出している市街地図です。金沢の場合はお城が真ん中にあるわけですけれども、半径が約2キロぐらいで市街地がまとまっていた。直接関係のない話ですが、私の実家は、城下町の西の一番端っこ、北国街道に接していました。町内には農村を相手にした商売の家がたくさんありました。例えば、竹細工屋さんや農機具屋さんなどです。家の裏に行くと田んぼが広がっていた。こういうところで私の子ども時代を過ごしたわけです。
  この地図は1960年、昭和35年ですが、金沢はコンパクトにまとまった町でした。江戸時代の金沢は人口12万から15万人ぐらい。江戸時代の町の人口密度は武家地と町人地で大分違っていましたが、江戸の町は密度が高くてヘクタールあたり400〜500人。金沢でも同じく330人ぐらい。そして城下町の端から端までずっと歩いても50分くらいという都市規模でした。
  明治になって、武家地に家がどんどん建っていく。人口は20万人ぐらいになる。密度は全体としては下がってきたという形が、1960年、今から50年近く前の金沢の姿だったわけです。他の多くの城下町都市、港町、地方都市でも基本的にはコンパクトな都市が形成されていたというひとつの事例としてご紹介しました。
(図8)
  その後どんどん市街地は広がっていきます。この写真は、岐阜市と名古屋市の中間にある、どこでもよく見られる沿道型の商業施設立地ですが、このように車で便利に使われるような施設がどんどんつくられていきました。いわゆる郊外の典型的な風景です。日本の郊外にゆくと、どこでも同じような風景が広がっています。
  このような風景は、今は見なれているわけですけれども、40〜50年前にはなかった風景で、せいぜいこの20年、30年のうちにできた新しい町です。
  この写真は、名古屋市の中心部金山駅のそばの「アスナル金山」という北山創造研究所がデザインしたショッピングセンターです。金山はJRと名鉄、地下鉄が交差しているところで、実はこの土地は15年間の暫定利用ということで、つくられたショッピングセンターです。珍しいことに暫定利用ということもあってか、広場型で周りにいろいろなお店があって、いつも賑わっている、という場所になっています。
  東京にもいろいろあると思いますが、こういう都心に近いところでは、広場的な賑わいが新たに作られると同時に、都市の郊外には沿道型の施設がどんどん広がっていく、というのが現代都市の1つの姿ではないかと思います。
  ただし、都心の賑わっている施設を称賛して、沿道型施設を否定するということはできない。両方がいかにバランスよく共存できるかということもある程度考えざるを得ない。100年後になったらどうなるかとなると、難しいと思いますが、数十年単位で考えると、両方をいかにバランスよく――バランスよくというのは、部分的には衰退させていく、整理していくということももちろん含めてですが――考えていかざるを得ないのではないかと思います。
(図9)
  コンパクトシティの反対は、拡散した、スプロールした市街地や都市ということです。それがもたらす様々な問題がいろいろなところで言われています。都市の形としては都心の空洞化と郊外の分散的な立地、そして車を使わざるを得ない生活などです。そういうことが原因でもたらされる様々な課題としては、自然や農地の浸食、地球環境問題で問題になっているCO2の発生、日常生活の不便さ、乱雑な景観、そして低密が故に、人間関係や親子、家族関係も薄くなっていくこと、行財政的には、整備や維持管理にお金がかかるということが上げられます。
  ヨーロッパで1980年代後半、或いは90年代の都市論、都市政策で、コンパクトシティを扱うようになった背景には、CO2の削減ということがかなり大きな狙いとして出てきていたわけです。
(図10)
  最初、国連がサステナブル・デベロップメント(持続可能な開発、或いは発展)を提起したブルントラント委員会のサステナビリティーの報告書(1987年)を発行し、EUが『都市環境緑書』(1990年)を出して、望ましい都市像として中世都市をモデルとしたコンパクトシティを提起しました。その結果、EUの力で、ヨーロッパでは、90年代からずっと、各国政府が、コンパクトシティを政策として取り入れていくということになりました。
  もちろん、それ以前の時代にイタリアの中心市街地の再生や北欧、ドイツの都心のモール化が進められていましたが、基本的には、EUが『都市緑書』で提起したということが、政策としては大きなきっかけとなりました。
  そして、それらに共鳴する形でアメリカではニューアーバニズムという考え方が
90年代から取り入れられていったということになります。
(図11)
  日本の場合は、2000年以降、ヨーロッパよりも少し遅れて、各自治体の都市計画マスタープラン等で、コンパクトな町、コンパクトシティという考え方が少しずつ取り入れられるようになりました。
  そして、今日、中央政府が推奨し、自治体がそれを受け入れていっている。中心市街地活性化政策が転換されて、まちづくり3法という形で都市計画法と活性化法が2006年に改正されたのが大きなきっかけになって、いわば政府公認の都市像という形で、日本でも受け入れられるようになった。
  ヨーロッパでも、先程言ったEU公認の都市像ということで、ヨーロッパ政府、各国の中央政府の都市政策に取り入れられていますので、基本的には、都市デザイン論としてのコンパクトシティではなく、都市政策としてのコンパクトシティ、つまり政府の方から推し進めるコンパクトシティという性格を持っていることになります。それは何故かと言うと、個々の開発を容認し、自由な開発に任せると、基本的には自動車利用を前提に都市は拡散していくというのが20世紀後半の都市の姿なわけです。
  それに対して、都市をコンパクトに集約的にしようということになれば、都市計画システムにより、規制誘導、或いは開発策を導入しなければできないということになり、行政主導でつくられる都市像がコンパクトシティということになるわけです。
  そういうことでEUでも日本でもコンパクトシティをめざす方向になっている。ただし、アメリカの場合は、ニューアーバニズムというのは不動産開発的な視点、或いは政策というよりも都市の思想としてつくられているということで若干違うかなと思います。
  コンパクトシティについての私の理解は、皆様は違った理解をされているかもしれませんが、基本的な空間の形としてはスプロールしてない市街地、一定の範囲の中に多様な用途が混在し、複合している。そして中心市街地に活気がある。或いは人口数十万人になれば段階的なセンターが位置づけられる。全体としては密度が高いというものだと思っています。
  ここに示すのは石川県の都市計画マスタープランの指針が出た時に地元の新聞が取り上げた記事です。日本では人口減少に対応する都市像としてコンパクトシティが理解されています。そして、中心市街地の活性化と郊外スプロール、特に都市計画法の改正の後は大規模集客施設の立地の規制ですとか、市街地調整区域での開発の規制強化、そういう方向での理解が日本ではされているということになります。
  それによってどういう効果があるかということですが、交通についてはマイカーにできるだけ依存しない生活になる。徒歩や自転車の利用が便利ということです。環境的には自然環境、省エネ、CO2削減に効果がある。都市機能的には賑わいがある町、コミュニティの形成に効果があり、行財政的には効率的な都市経営ができる。社会生活としては、暮らしやすい、交流しやすい、そういう効果が期待されるということが言えるかと思います。
(図12)
  それを単に中心市街地活性化とスプロールの抑制だけではなくて、日本的に理解すると、これは私の考えですが、様々な施策を組み合わせることによってコンパクトな町、コンパクトシティに近づけることができるのではないかと思います。
  中心市街地、一般の市街地、それから郊外。そして1つの都市だけではなくて、広域連携の話も出てきます。進め方としては、行政主導が必要になりますが、成熟都市の1つの特徴だと思いますけれども、一方的な新規開発ばかりではなくて、既成市街地の再開発ということになれば、市民参加、NPO等の役割は非常に高くなってくる。市民社会の進展と都市の成熟が並行して進んでいくということで、進め方についても従来よりも市民や住民参加型で進めないとコンパクトシティは実現しないだろうと理解しています。
(図13)
  今のお話は1つの都市の話ですが、もう少し都市圏にも広げて考えると図のようになります。これはニューマン等の描いたものを少しきれいに描いてみたものです。伝統的な公共交通が便利な中心都市と郊外に駅を中心とした都市がある。これはオーストラリアをモデルにした例です。そういう伝統的な都市圏が、車利用を前提として市街地がどんどん広がっていってしまう。そして、公共交通がだんだん弱ってくる。それに対して、公共交通を便利に使う。分断された自然を連続させる。そして、日常生活圏で都市を再構成する。そういう形で都市圏を再生、再構成するということになるかなと思います。
  これはサイバーシティ的な都市イメージになっているのではないかなと思います。ただし、すべての市街地を一定の、例えば800メートルや1キロのまとまりに集約するということはなかなか難しいので、この図ではすごく妥協して、郊外では都心よりも生活圏の広がりは広くせざるを得ないのではないかということで描いています。郊外もどんどん縮小して、駅の周辺の徒歩圏で全部集約すれば、よりサイバーシティ的なイメージが強くなってくるのではないかと考えています。
(図14)
  社会、経済、環境、都市経営的にコンパクトシティは有効な考え方ではないかと考えられていますが、特に経済面について考える必要があります。
  最初に私がコンパクトシティについて勉強しようと考えた時に、社会生活、環境面、都市経営面ではコンパクトシティはスプロールした町よりも明らかに有利な考え方だと理解できました。しかし、経済の面ではどうなのか、必ずしもそうではないかもしれないと思いました。経済面でもコンパクトシティという考え方が有効であるといえなければ、持続可能な都市像とはいえないのですが、その時には、必ずしも明確には自信がありませんでした。
  そこで、ここでは少し経済面から考えてみます。世界の経済発展の基本ですけれども、農業革命があって、次に産業革命があって、多くの日本の現代都市は19世紀から20世紀にかけて工業を中心として都市ができてきました。
  しかし、今日の社会では、工業都市からサービスや文化を基本にした産業構造への転換が求められています。
  イギリスの例を後からご紹介しますが、「都市は経済活動のエンジンである」という言葉があります。これはキャステルという都市の思想家が唱えて、それと同じ言葉をイギリス政府の報告書にも、いろいろな都市の基本政策にも書いてあります。「都市は経済活動のエンジン」、或いは「都市の中心部というのは経済活動のエンジンである」という理解がイギリスではされているわけです。
  それから、北欧の都市政策を始め、ヨーロッパの多くの都市でも、都市計画と経済政策は両輪として、一体として位置づけられています。
  それは産業構造が工業から都市型経済に移っていくという背景があるのではないか、と考えます。従って、コンパクトな都市につくり変えていくことは現代社会、特に我々が対応すべき成熟した社会の持続性を実現するための意識的、意図的、戦略的な取り組みではないかと考えられます。
  一方、インターネットなどによってサイバースペース、デジタルな仮想空間が非常に発展しています。1970年代の日本の国土政策では、高度情報化、国際化が重要だとされ、都市はだんだん要らなくなるのではないか、低密な自然の中で人々はサイバースペースの中で仕事や生活をするため、都市は要らなくなるのではないかと考えられていたわけです。
(図15)
  「高度情報化による分散と集中のパラドックス」ということがあります。これは、ピーター・ホールというイギリスの都市の思想家の本の中で言われていることです。高度情報化が進むと我々の世界はグローバル化し、サービス機能や金融機能が広がっていく。それは「距離の死」を意味し、距離がだんだん必要なくなってきて、サイバースペースでやりとりすることによって、いろんな経済活動や情報のやりとりができるようになる。
  しかしながら、一方で、buzz and fizz、つまり酒場などのざわめきの中でいろいろな情報交換ややりとりが行われるということが必要になる。そして、このbuzz and fizz的な環境が都市観光にとっても非常に重要なんだということを彼は言っています。
  そして、現実に、我々は毎日Eメールをやりとりして、或いはマウスをクリックすればインターネットで世界中のあらゆる情報が極めて早く、安く、簡単に手に入れられるようになっている。Eメール、携帯電話とは何かというと、人々と人々を結びつける手段です。かつては電話とか手紙でしたが、人と人との間、組織と組織の間のコミュニケーションがより高度に緊密になってきたことを表しています。
  しかしながら、それなら何故直接的な交流が必要なのかというと、我々は生身の肉体を持った人間だから、ということになるのではないか。そういうふうに脳の構造ができていると言えるのではないか。
  もっと情報手段や技術が発展して、あたかもそこにいるような世界を実現できれば――例えばコンピューターができて数十年、パソコンができて10年、20年しか経過していない今日から、さらに数十年後にはバーチャルな世界が想像できないような発展をとげるだとうと考えられますが――また違うかもしれないが、最後は人間という肉体的なもの、動物的なものに、創造の源泉があるということになると、やはり直接的なコミュニケーションは欠かせないのではないか。そうした直接的体験、コミュニケーションを共有すること、同じ時間と空間の中で理解と創造が生まれる。
  今日のこういう集まりでも、毎回素晴らしい講演録が出るわけです。ですから、皆さんは直接参加されているわけですが、今日来なくても講演録を見ればいいのではないかとも考えられます。しかしながら、講演録で読んで考えるのと直接自分がこうして参加してそこで考えるのとは全く違うんですね。講演を聞きながら会場の雰囲気や時間の流れの中でいろいろなことを考えるというのは、紙の上に書いてあるものを後から読むこととは根本的に違うということが経験的に理解できると思います。
  つまり、幾らコミュニケーション手段や、バーチャルな世界が発展したとしても、直接的にその場に参加して交流する価値はなくならないのではないか。バーチャルな高度情報やインターネットの世界が広がれば広がる程、直接交流の価値が大事になってくるのではないか。私はそういうふうに考えています。
  そういう面で、都市が電脳空間のように整然と空間的に機能的になればなるほど、より人間的なスケールや有機的な空間を我々は求めるようになるのではないかと考えています。
(図16)
  現代都市論者として有名なJ・ジェイコブスは、2006年に亡くなりましたが、彼女が1960年代に、近代都市計画を批判した基本的な主張と、同じ考え方に立っています。黒川紀章さんが日本語に訳された本(『アメリカ大都市の死と生』、鹿島出版会)は、原著で600ページぐらいあるうちの前半しか訳されていませんが、後半のところでこういう文章があります。
  「活気のない退屈な都市は、自分自身を破壊するシーズを内包している。しかし生き生きとして多様で濃密な都市は、自らを再生する種を持ち、諸課題と外部の必要性に対応できる」。
  ジェイコブスは、理論的にこうだということではなくて、ニューヨークの下町を舞台にいろいろな事例の中でそういう確信を持って話をしています。
  そして、都市というのは多様性と人間スケールの空間が重要ではないかということを言っています。
(図17)
  そういう意味で、都市における多様性と密度がコンパクトシティの大きな特徴となります。左側はミュンヘンの中心部で、右側はアメリカのエッジシティの写真です。
  社会的には寛容性、イギリスの言葉ですと、インクルーシブな社会をつくっていく。そして、創造性とか柔軟性が都市における多様性の価値としてあるのではないかと考えています。
  機能的にはエッジシティで十分ですが、それだけが都市の役割ではない。多様性を持ちインクルーシブな都市空間を意図的につくり出そうとなると、アーバンデザインの仕事になるわけです。
(図18)
  これはイギリスのアーバンデザインの価値評価を示しています。Cabeという政府が支援して作ったデザイン支援組織の『アーバンデザインの価値』という中に書いてあるいろいろなデザインの価値を評価する時の指標です。地域の文脈に対応すること、連続性と囲い、公共施設の質、移動のしやすさ、わかりやすさ、順応性、多様性ということをすごく重視している。
(図19)
  ここからは、イギリス政府のコンパクトシティ政策の説明です。
  先程述べたように、コンパクトシティはヨーロッパ発の考え方として出てきているわけですが、コンパクトシティ政策を政府、或いは行政が主導する時には、それは理由や背景があります。
  日本では、コンパクトシティの必要性は人口減少、高齢化社会に対応して、或いは成熟社会だからということで理解されていますが、世界的に見ると必ずしもそうでもありません。オーストラリアや途上国、中国でもコンパクトシティという考え方が注目されています。
  それぞれの国がそれぞれの文脈の中でコンパクトシティを位置づけている。それを理解しておくといいのではないかということで、イギリスの例を紹介します。
  イギリスの幾つかの背景を述べますが、1つは、人々の移住の流れ方。それが日本とはすごく違う。基本的に人々は大都市から郊外や田園地域、地方都市に移っていきます。
  実は、私がコンパクトシティの勉強をする時に師事を受けたオックスフォードブルックス大学のジェンク先生が昨年大学を辞めました。僕はオックスフォードの町には1年間だけしか住んでいなかったんですが、すごく好きな町です。ところが、ジェンク先生はオックスフォードを離れて、イギリスの南の方の町に移住する。特に地方都市、田園都市で南の暖かいところが退職者に人気があり、そういうところに移住するという流れがあるわけです。
  イギリスの場合の大都市というのは、労働者がいて、過密でスラムがあって、あまり文化的にも良くないということで、地方へ地方へ、田園へ田園へという流れになっていますので、コンパクトシティ政策によって大都市や都市の魅力を高めようというのがイギリス政府の1つの狙いであるわけです。
  もう1つは、ロンドン周辺にこれから住宅供給をたくさんしないといけないので、新規の住宅供給を高密度、多機能で行おうということです。次の2012年のロンドンオリンピックの会場もそこの1つになるわけです。ロンドン周辺にどんどん人が集まる。そこをコンパクトシティの考え方で、都市整備をしていこうという2点あると思います。
(図20)
  イギリスには、戦後のグリーンベルト政策や複合機能ニュータウンや都市開発公社の市街地開発、ブラウンフィールドの高密度、複合機能の開発の流れがあることもあり、今日の政府のコンパクトシティ的政策の特徴としては、ブラウンフィールドに高密度、複合機能開発、特に住宅地開発は一定の戸数以上をつくる、つまり既存の宅地を使うということが非常に強い考えとしてあります。
(図21)
  それから、中心市街地の活性化では、シーケンシャルアプローチという考え方があります。大規模な商業施設の立地を計画する時には、まず都市の中心部で考える。その次はタウンセンターのフリンジで考える。それから町のフリンジで考える。さらにそれでもどうしても駄目であれば郊外へというアプローチをしていくという方法です。
  それから政治的な面でも、カントリーサイドを守れということがあります。或いはグリーンベルトを守れという国民的な力がすごく強い。日本と違うのは、農民の力は殆どありません。日本の場合には、郊外のスプロールを誘因しているのは農地を持っている人たちです。農業政策、農村活性化という名目のもとに、日本は郊外にスプロールが誘因されていますので、イギリスとは政治的にはかなり違うということになります。
  さらに、土地の所有形態も日本では非常に細分化されて、しかも土地所有者の開発権が非常に強い。しかし、イギリスの場合、特に都市の中心部に行くと大規模所有で借地形式が多い。郊外の田園地帯になれば、これも大規模所有のところが多い。オックスフォードの郊外都市で新しく150ヘクタールぐらいの開発をする時には、数人の地主を説得すればできる。日本のような都市の中心部、郊外、いずれも所有形態が細分化されて開発権が強い、という事情とはかなり違うということがあるかと思います。
(図22)
  もう1つ、シティセンターの活性化を、イギリス政府が経済政策の1つのてことして行っていました。イギリスは、昨年からの金融、経済危機の中でポンドがすごく下がってしまい、そこにイギリス経済のものづくりの底の浅さが出たわけですが、その前の1990年代から2000年にかけてはブームタウンというものが各地に出現し、住宅価格がすごく高騰して、住宅政策の必要性をもたらしたわけです。
  都市の再開発が経済発展をもたらしていると考えられていたのですが、それが今日は破綻してしまったという状況にあります。
  それから、多様化やインクルーシブということでは、イギリスは移民の人口が凄く多く、市街地や居住地が階層によって分断されている、そういう背景もあるわけです。
(図23)
  そして、もう1つ。開発政策ということで、低密で分散単一機能から高密度で複合機能になれば、民間デベロッパーの開発がしやすくなる、ということも背景にはあると言われています。
  ただし、イギリスの場合、プランニングシステムによってはかなり詳細に計画的に規制・誘導できるのですが、それだけで時代や社会の変化に対応できないという理由から、計画政策の戦略化、スピードアップと同時に市民合意システムの重視、アーバンデザイン重視というものがあわせて出てきているのではないかと理解しています。

 

2. 成熟しつつある都市、地域空間の変容─名古屋都市圏を中心に

(図24)
  次は、名古屋都市圏について少し考えてみたいと思います。
  名古屋都市圏というのは東京、大阪に次いで3番目の規模の都市圏ですが、東京や大阪とかなり様相が違うということが言えます。
(図25)
  名古屋市の場合には、東京に比べて、或いは大阪に比べても人口密度が低い。そして、集積も少ない。しかし、地方大都市に比べると高い。つまり、名古屋都市圏というのは大都市の一番下で、地方都市の上ということで、名古屋市の政策というのは大都市政策でもあり、地方都市政策でもあるのではないか。そういうことで1つのモデルになり得ると理解をしています。
(図26)
  名古屋市の人口についてですが、名古屋市が市制をしいてから100年ちょっとになりますが、名古屋市はもとは城下町から大きくなりました。太平洋戦争の時に、疎開で人口が急減して、戦後また増えていっています。
  21世紀には、これから数十年にわたって人口減少が続き、高齢化が進むのではではないかと予測されます。
(図27)
  一方で、東京でも地方の大都市でもそうですが、都心部での人口回復傾向が見られます。名古屋の場合は東区と中区が都心部なわけですが、1960年代からずっと減少傾向でしたが、90年代の後半から人口が増加しています。世帯数で見ると急速に増えているということですが、特に、ワンルームマンションもたくさん増えて、単身世帯の増加もあってのことではと考えられます。都心部での人口の回復が顕著になっているわけです。
(図28)
  都心部と郊外と関連させてお話しします。都心部は、東京でも現在ではどれくらい機能しているかは別として、こういう繊維問屋街が馬喰町や横山町にあります。名古屋市の中心部は、西の方が名古屋駅で、東の方が栄という2核の構造ですが、この栄と名古屋駅の中間の錦2丁目に繊維問屋街があります。となりの錦3丁目は、いわゆる歓楽街です。
  現在はトヨタ自動車の業績の低迷で、この錦3丁目の飲み屋さんが何百軒と倒産しているという話を聞きました。2丁目の繊維問屋街は、今でもあって、トラックが出入りしています。こういう碁盤目状街区割が名古屋の中心部の特徴です。錦2丁目には長者町というところがあります。そこの地主、ビルオーナーや経営者たちが、繊維問屋街が衰退して空きビルがどんどん増えているため、そこの再生に取り組みたいということで、まちづくり協議会をつくっていろんな取り組みをしています。
(図29)
  産業構造の転換、或いは流通の転換で町がどんどん変わってきています。繊維問屋がたくさんありますが、空き地や駐車場がどんどん増え、コインパーキングがたくさん増えているということで地価も下がってきている。
  全体として町が自動車利用になっているので、都心でも自動車を使っている。多分東京に比べるとかなり駐車料金は安いのではないかなと思いますけれども、町がそうなってきている。
(図30)
  一方で、新しい機能としてマンション、ホテル、或いはサービス、飲食が増えています。全体としては都市空間のサービス空間化、複合機能化が進んでいる。
  京都府大の宗田先生の言い方をすると、都心の女性化ということです。女性が好むような施設がどんどん増えていって、再生している、人気のある中心部は女性化していると言われています。そういう傾向が錦2丁目でも見られるということになります。
(図31)
  イギリスの都市でもそうですけれども、センターとインナーシティ部の中間にあたるいわゆるセンターフリンジのところに、かつての産業区、イギリスの場合ですと、産業革命の時につくられた産業空間があり、日本の場合は、繊維問屋街などがありますが、そこで町がどんどん変わるという形になっています。そこは都市再生の対象としては、「交通利便」「安価な地価・家賃」「利用可能な建物」「一定の歴史性、産業遺産」「隠れ場所的」というような特徴のあるところで、ここが都市再生の1つの魅力ある場所ではないかなと考えています。
  都心部はそういうことです。
(図32)
  次に、郊外に行きます。私の大学は岐阜県可児市というところに学部があります。大学に来て14年ですが、可児市やお隣の多治見市というところに住宅団地がたくさんありまして、大学に来てからまずはその住宅団地を調査しました。すでに、10年以上調査しています。あとは岐阜市の団地も調査してきました。こうした郊外住宅団地の調査の概要を示しています。
  名古屋市中心部の東区、中区あたりが広域通勤の中心です。名古屋都市圏にはいくつかの方面の特性があります。南西の三重県の津方面、西北の岐阜市方面、南の方は東海市など製造業関係が多い。東部は岡崎市とか豊田市。東北部の多治見市や可児市といったふうに、何方向かに都市が発展している。東の豊田市や岡崎市、東海市あたりはまだまだ開発がされていて人口が増加し、地価も、坪40〜50万ぐらいです。ところが、可児市や多治見市は今、坪15万ぐらい、下手をすると坪10万ぐらいの住宅地がどんどん出てきているということで、方面別にかなり発展の構造が違ってきているというのが現在の名古屋都市圏の状況です。
  もう1つの特徴は、岐阜や岡崎、津、豊橋は一定の地方大都市的な性格を持っていますが、名古屋市の周辺にそういう自立的な都市があるというのも、東京や大阪とは少し違うのではないか。そうした都市圏構造とも関連して、郊外住宅団地の変容が進みつつあります。都市構造の特徴が郊外住宅団地の変化の方向もある程度制約または方向づけているということが言えるのじゃないか。全体としては、名古屋都市圏は、ヨーロッパ連合、EUが言っているポリセントリック(多中心)な構造になっていますが、伝統的な郊外都市の自立性というのはだんだん小さくなってきているということが言えると思います。
(図33)
  郊外住宅団地には、通勤先との関係で見た時に、郊外都市のための住宅団地、名古屋市への通勤のための住宅団地、それらの両方の性格を持った団地と大きく3つに分けられます。
  そして、一般的な通勤手段としては地方大都市のための住宅団地は公共交通が不自由なため車利用が中心。名古屋市への通勤では鉄道が割と使える。中間的な団地は鉄道も車も両方という形で主な通勤手段、交通の立地条件も少し違うという特徴が見られます。
(図34)
  今、可児市などで20〜30年前に開発された住宅団地が大きく変わろうとしています。このグラフの団地は単一階層が一時期に集中入居した団地です。今週、朝日新聞にユーカリが丘の記事が載っていました。できるだけ団地の中の入居階層を多様化するためには、年齢や所得、家族構成が単一な階層を入れると問題が大きくなるので、ユーカリが丘の場合にはゆっくり開発していくという内容の記事でした。
  多くの郊外住宅団地は、民間による開発で、しかも中小規模、戸建て団地で、一時的に大量にできるだけ早く売り抜ける、あとは知らないという構造をもったものがほとんどです。そのために特徴的なのは、このグラフが示すように、当初の入居時の1985年、つまり今から20年前の年齢階層構成が、子どもが、小学校低学年、親が30才代後半でしたが、2005年には、子どもはどんどん自立して団地から流出し減っていく一方で、親はそんなに減らない、という特徴を示しています。
  将来の人口をコーホート法で算定し、将来どうなるかみてみると、高齢者がどんどん増えて、子どもが増えていかないため、これから人口減少や高齢化が非常に進んでいってしまうと考えられる。これはある団地の予測結果ですけれども、ほかの団地でもやってみると、大体同じ結果になってします。これから20年後には、2人に1人が65歳以上というのが典型的な住宅団地の予測になります。このままでは郊外住宅団地の持続性は失われてしまうのではないかということが危惧されています。 
(図35)
  住民アンケート調査をして、住環境評価をすると、町の雰囲気とか公園、自治会活動は満足度が高い。
  一方で、歩きやすさや通勤、通学、買い物、医療施設では割と不満が高い。重要性ということで、今後そこに継続的に住む時に何が必要かと聞いてみると、日常の買い物や医療施設について何とかして欲しいという結果が出ている。日常生活を便利にしないと生活できませんよというわかりやすい結果です。
  もう1つ最近凄く不安が高まっているのが町の安全性です。高齢者が増えて人口密度が低下してくるということで、犯罪への不安が高い。町の安全性については今はそれほど不満は高くないんですが、今後は町の安全性について気になっているというのが今の住民の評価になっています。
(図36)
  空き地、空き家については、何年か調査してきましたが、現在の空き地、空き家の率は団地によって凄く違う。建て売りで一気に開発されたところでは、実は空き地、空き家は少ない。宅地分譲で少しずつ開発されてきたところは結構高くて、3割、4割の空き地率というところもあります。
  現在の空き地は、空き家になってそれが衰退して空き地になったというよりも、ビルドアップ途中で市街化がとまってしまったという形での空き地がほとんどです。空き家率はまだ数%で、それほど高くないというのが現状になっています。
  しかしながら、空き地についてみると半分ぐらいが放置されている。空き地率が少ないところは共同駐車場とか家庭菜園ということである程度使われているんですが、空き地率が3割とか4割になってしまうと、使い切れなくて放置されている。
  そして誰かが土地を持っているわけです。特に空き地率が高いのは名古屋市内の人が持っているところが多くて、今後とも高く売れないし、活用する方法もなかなか出てこない。現在は衰退という形はそれほど明確ではないんですけれども、これから10年、20年後には空き家が空き地になっていく。特に空き地率が高いところではそういう傾向が出てくるのではないかというのが今懸念されるところです。
(図37)
  左は、可児市の中の桜ヶ丘ハイツというところです。見てもらうと住宅地の幹線道路は電柱が後ろの方に回してあって、歩道も植栽してあります。右は普通の団地です。電柱があって、敷地が狭いために路上駐車がたくさんあるという様子です。郊外住宅団地が将来どうなるかということについては、団地の整備水準というものもかなり影響するのではないかと考えています。
(図38)
  全体としてこれから郊外はどうなるのか。これをコンパクトシティとの関係でいくと、郊外住宅団地を全て持続可能にするということは現実には難しいし、そういう方向で政策をしない方がいいのではないかという考え方がもちろんあるわけです。
  そして、人々は便利な市街地に移住させるという政策を積極的にとって、低密で分散的な郊外の居住は高くつくんだということで、財政的にも、市民負担をすべきだとする、郊外居住者にとってかなり厳しい考え方もあるわけです。
  しかしながら、私としては、全部そういうふうに強制的にやるのは乱暴かなと思っています。この20年間ぐらいであれば、既に衰退の兆候がかなり出てきていますが、住民同士の助け合いなどもいろいろなところで進められているので、かなり規模が大きくて自立性も整備水準も高いところは行政がそれほど手助けしなくても、結構頑張っていけるのではないか。そういうところは、持続性も高いし、無理やり都心に住まわせるということではなく、郊外居住地として維持してもいいのではないか。
  ただし、反対に、やはり立地条件も悪いし、整備水準も悪い。規模が小さい、分散的というところは自然に返す、または他用途に転換、そういう形を促進するような方法が必要ではないか。その中間は中間でいろいろなシナリオがあると思います。
  もう1つは、郊外住宅地は都市圏の一部であるので、そこだけが頑張ろうと思っても頑張れない。従って、都市圏全体の持続性と非常に関連している。だから、従来住民が生活的にも、通勤、就業としても依存している都市が衰退すれば、その住宅団地も衰退してしまう。つまり、特にこれからは、住宅団地そのものだけではなくて、都市圏の持続可能性というのが、郊外団地の運命、将来に非常に大きな影響を与えるのではないか。
  ですから、これは都市圏全体としてはある程度維持するような施策が必要ではないか。その中で郊外団地も位置づけていく必要があるのではないかと考えています。

3. コンパクトシティの計画とデザインを考える

(図39)
  最後に、計画とデザインということで、これもいろいろなとらえ方がありますので、具体的なプロジェクトをお示しすることが皆様の興味と合致するかもしれません。しかし、本日は都市圏的な考え方を中心に最後にお話ししたいと思います。
(図40)
  もともと、ある先生が言われていたんですが、都市をコンパクトにするというのは都市計画そのものです。つまり都市を分散的にするというのは都市計画の思想にはないんだということです。だから、コンパクトシティというのは都市計画そのものであって、今さら特に言うことはないんだということを言われていたわけです。
  まさにそれは真実で、ある一定の密度や機能で一定のところに配置してつくっていく、人々にとって魅力ある場所にしていくというのはまさに都市を計画する、デザインするということそのものであるわけです。
  そういう面で日本の場合に、計画する文化、或いはアーバンデザインの文化というのがまだまだ根づいていないというのが、今日の21世紀初頭の我々の状況ではないか。だから、このコンパクトシティというのはいろいろな意味があると思いますが、日本の計画や都市デザインの分野で、都市を計画することやアーバンデザインの重要性、価値を社会に知らせるためにも、重要ではないかと考えています。
  都市の中にはいろいろなインフォーマルやフォーマルなパブリックスペースがあったり、いろいろなシステムがあったり、歴史文化があるわけですけれども、基本的には計画する文化、或いはアーバンデザインの文化を日本の中で根づくように、そういう方向で何とかできないだろうかというのが私の期待であるわけです。
(図41)
  ヨーロッパでコンパクトシティというのが政策として取り入れられているということを最初に述べたわけですけれども、都市が計画されねばならないということは、何も20世紀の末になって出てきたわけではなくて、都市が共同体であるというところから、おのずと導かれる基本的な文化であり考え方であるということが言えると思います。
  これは、ドイツのアーヘン、ケルンの西の方、オランダの国境に近い町です。後ろにあるのはテレビ局で、日本でもよく見るビルの形をしています。中心部にある大聖堂、横に再開発した小さい広場がありますが、新しくできた広場から大聖堂が見えるように、建物の真ん中が切り下げているわけです。ここの通路からずっと歩いていくと、大聖堂の方に向かって行けるようにデザインされています。
  ヨーロッパでは、公共空間のコントロールということについては、市民が合意している。これは水島さんという方の本にあったことですが、公共空間というのは建物で囲われた場所になるので、建物の表面30ミリは公共に属する。中は個人の自由、或いは企業の自由に使うことができるが、公共空間を囲っている表面は、公共のものである。従って、ここに対しては公共、或いはコミュニティがいろいろ注文をつけることは当然である、ということを言っているわけです。
  これは公共空間に対する考え方なんですが、中世都市の成り立ちからすると、中世都市の周辺に市壁があって、都市間の競争、或いは戦争に耐えられるように都市をつくっていく。そのための精神的な支柱としての大聖堂。市民の自治活動の中心としての市役所。そして、商業活動、経済活動の中心としてのギルド(同業者組合)の事務所。そういう建物が広場を中心にしてつくられているわけです。
  都市の中で勝手に建物が高かったり低かったり大きかったりというものがつくられてしまうと、市民が1つの都市を守れない。そして、いざという時の連絡や意思疎通も十分できない。そのため、都市共同体という形の中でこういう意識が、中世数百年の中で作られていったと言われています。
(図42)
  ところが、日本の場合はどうか。これは先程の金沢駅の西です。金沢は凄くいい町で、私も好きです。東には茶屋街や歴史的町並みがあるんですが、西の方は区画整理をして、車に対応するまちもつくっていっているわけです。
  こういう基盤整備や土地区画整理をして、その上には相当自由に建築ができる。こういった仕組みが、ある面では、日本の経済発展を支えてきたという面も確かにあるわけですが、我々がこれから成熟した都市を期待するということからすると、これまで、20世紀的都市をつくってきた仕組みを変えていく必要があると言わざるを得ません。
  よく言われていますが、日本の都市計画は、計画、規制、誘導手段が弱くて整備的な手法が中心、そして土地の権利者の権利が非常に強い。いわゆる建築自由がある。それから、開発利益の公共還元が非常に弱い。さらに、土地建物、例えば中心市街地のシャッター通り、或いは空き家に対する管理についても、権利者に任せられているというのが日本的な特徴かなと思います。
(図43)
  その点で、数年前に導入された京都市の新景観政策というのは、ある面では日本の計画文化を変えてゆく上で画期的な事件ではないかなと考えています。
  具体的には、建物の高さ規制やデザイン規制、眺望、借景の重視、屋外広告物の規制、町並みの規制ということがありますが、特に画期的なのは、大量の既存不適格を恐れずに規制強化をする。特に都心部については、高さ規制10メートルや30メートルを導入して、すでに建っているマンションの半分ぐらいはそのままでは建たない。建て替える時には高さを下げないといけない。細かい建物デザインについても規制があります。
  これは日本の従来の都市計画の仕組みでは全く考えられなかったわけです。日本では、従来は既存不適格についても、望ましい町にしたいんだけれども、大量に法律や仕組みに対する違反が出るので、緩やかにせざるを得ないということで、現状に追随した形で規制が作られてきました。しかし、京都市の場合は、それを恐れずにやった。
  この前、都心部に物件を探している方に聞きますと、逆に不動産業者の方は、建て替えがこれからほとんどできなくなってくるので、建て替えしなくてもいいようなマンションを売り物に、したたかにというか、そういう方向で考えて売り出しているらしいです。
  僕はこの京都市の詳細なプロセスは知りませんが、この政策についての市民の支持が、7〜8割賛成だったということと、京都商工会議所がこの政策について賛成したことが大きな推進力になった。1000年単位で京都の魅力を維持するためには、一定の規制強化は望ましい。それによって京都の価値を守っていくという方向で、行政、市民、産業界が一致したということが背景にあります。
  現在各地でも、都心部のマンション紛争が凄く増えてきて、高さの絶対規制を導入しようということで取り組んでいます。この近くですと、つくば市などもやっているわけです。名古屋市も絶対高さ規制への動きがあって、これから景観というのが1つの手がかりとして都市に計画文化を導入するという動きが出てきているという点では凄く期待できるのではないかなと思います。
(図44)
  コンパクトなまちづくりの典型例としてよく出されるのが富山市と青森市です。これもご存じだと思いますけれども、富山市の場合には、新しいLRTを富山駅から港まで従来のJRの路線を買い取って整備しました。1日5000人ぐらい、当初予想の2倍ぐらいのお客さんが乗るということで成功している。
  そして、LRT駅を含めた駅を核にして集約的な開発をする。さらに都心部の再開発で商業的集積やまちなかでの住宅の供給の促進に取り組んでいます。
  富山市の場合には、県庁所在地の中でも凄く市街地が低密に分散しているところですが、市長さんの決断によって都市計画の政策転換をしたというのが1つの特徴なわけです。
(図45)
  青森市の場合には、同じ市長さんが20年ほど続いていて、コンパクトシティ政策を継続してきた例といえます。富山市のように交通ではなくて、土地利用規制というものでコンパクトシティをつくろうとしています。市街地を3層構造にする。その象徴的なものが都心部の再開発ビルのアウガです。青森市については長期的、継続的にコンパクトシティ政策に取り組んできているということで、建築学会などでも調査研究された論文が報告されています。
  コンパクトシティ政策によって、確かに中心部の人口の回復があるということで、この政策は成功を示しています。ところが、一方で、都市全体が成長しないので、中心部に人々が集まるとなると、郊外が衰退してしまう。郊外には、経済的、年齢的に移動できない人たちが、「沈殿」という言葉をよく都市計画などでも使いますけれども、当該者にとっては余りうれしくない言葉ですが、郊外に取り残されてしまうという状況も一部出てきているということです。
  従って、都市全体としてはコンパクトにつくって、都心部の活性化、そして賑わいを作るということはいいのですが、その時に、全体の量が増えない状況で、都市の中心部に一極的な形で都市が再構成されることによってマイナスも現実に見えてきつつあります。それをまたカバーしていくような政策もしていかないといけないという課題が出てきているとその論文では書かれています。
(図46)
  時間がないので、駆け足になりますが、ヨーロッパモデルとしてはバルセロナがヨーロッパの都市の中では高密な都市としてあげられます。中心部に中世都市、その周囲に20世紀最初に計画的に開発された都市。さらに外には20世紀後半に開発された市街地があります。
  都市の中心部に文化的な機能を入れて、建築で囲った広場をつくって、賑わいを作り出すという1つのモデルをバルセロナモデルという形でつくられていることが有名な例です。
(図47)
  実は、ヨーロッパの都市も、アメリカほどではないわけですが、郊外化、低密化は進んでいます。EUの関連した研究所が出した報告書ですと、調査都市の中でミュンヘンが戦後コンパクトシティ政策を継続して、市街地の拡大の中でも、人口密度は低下しなかった唯一の都市と言っています。意図的に都市政策として、市民と行政と専門家が共同してコンパクトな都市づくりの取り組みを進めている。
  だけど、ほとんどの都市は、スプロール化が進んでいます。先日スウェーデンから研究者の方が来られて、スウェーデンでも郊外化は進んでいるので、郊外に多機能、複合機能型のニュータウンをつくりたいという話をされていました。僕のイメージですと、北欧の都市は割とスプロールが抑えられているというイメージを持つのですけれども、やはり郊外化が進んでいる、それを何とかしたいということが各国で大きな課題になっているということがあるようです。
(図48)
  これはアメリカのシアトルの事例です。アーバンビレッジ戦略を示しています。シアトルはかつてスプロールが全米でも最高だと言われる程でしたが、90年代からアーバンビレッジ戦略で、都市の中に成長拠点(アーバンビレッジ)を設定して、就業や住宅開発をそこに集中させるという政策をとっています。
  そして、富山市のコンパクトシティ政策と似ているかもしれませんけれども、都心から北のサウス・レイク・ユニオンまで路面電車を走らせる。南の空港へ向けて、ライトレールリンクを今年開業し、その周辺に複合機能開発を今進めています。
(図49) 
  アメリカの都市計画では、シアトルとポートランドが2つ有名ですが、ポートランドのセントラルシティは都市の中心部ですが高密・多機能で、デザイン主導の町がつくられています。セントラルシティから伸びる幹線道路沿いにもデザイン主導の町をつくっていこうという取り組みが進められています。
(図50)
  ポートランドは、路面電車と郊外電車が都心に入ってきているんですが、非常に賑わいがあって、ヒューマンスケール、全米で一番住みたい町と言われています。
  セントラルシティのエッジ部分で路面電車が走っているところで従来の工場や倉庫があるところ(パール地区)をレストランや住宅につくり変えていくという形で再生しています。現在も路面電車を延長するという取り組みがされています。
(図51)
  ポートランドの郊外になると、これが有名なスマートグロースによる成長限界線です。日本ですと市街化調整区域にあたるのですが――日本の場合ですと調整区域でも住宅がいっぱいあったりするんですけれども―。成長限界線を設定し、90年代に先程述べたマックスという郊外電車ができた時に、駅の周辺には高密度、多機能な市街地をつくるというゾーニング、用途地域制を導入しました。
  アメリカで最新のTOD、公共交通指向型開発のモデルと言われているのが、ポートランド郊外のヒルスボロー市のオレンコステーションです。現在も開発中です。ただし、ここも現地に行ってみると、パーク・アンド・ライドの駐車場が駅の前にあったりして、余りどうかなという感じもします。TODといいながら幹線道路を挟んで商業・業務・住宅開発もみられ、いわばアメリカ型とも言えます。
  日本の都市計画は、先程見ましたように、いろいろ課題があるわけですが、従来は道路を中心にして沿道型の用途指定がされ、こういう鉄道駅周辺については、調整区域であってみたり、用途的に特別に考えられていなかったりという形が一般に見られます。
  これからの日本ではTOD的な公共交通主導型の都市計画で考えないといけないのではないかと思います。
(図52)
  郊外の計画的対応についてのロンドンの例です。ペデストリアン・シェドという徒歩圏、800メートル圏域ぐらいで郊外を再編成する。多段階のセンターを位置づけるというのがロンドンの政策です。これに従って、いろいろな開発誘導をしようという取り組みがされているようです。
(図53)
  次は名古屋です。名古屋市も、現在、都市計画マスタープランを検討中、準備中です。市内には180ぐらい駅があるんですけれども、駅の周辺に高密度な町をつくっていこうとしています。これを「駅そば生活圏」と名古屋市は言っています。駅から800メートル圏域ぐらいに密度の高い町をつくっていこう。そして、全体として車の利用を減らし、日常生活が便利なようにつくっていこうというのが今の戦略的な方向です。これは地球温暖化戦略の中で議論している資料なのですが、都市計画マスタープランとして1〜2年後に出てくるようです。
(図54)
  「駅そば生活圏」も全然できてないところに無理やりつくるというのは難しいですが、東京なんかでもそうだと思いますけれども、駅の周辺に人々が既に住んでいて、密度が高いという現実があります。
(図55)
  マンション建設を見ても、特にファミリー向けのマンション建設は、この20年間、だんだん駅の周辺に寄ってきているという傾向が見られます。現在の都市の変化をうまく誘導していこうということになっていると思います。
(図56)
  「駅そば生活圏」は、どれくらいの密度でどれくらいの圏域でというのは今からの課題として、検討していきます。密度と面積によって町の機能は変わってくるのではないかと思います。
(図57)
  「駅そば生活圏」の再生の具体的方法、手法は、今検討中です。名古屋市も幹線道路沿道を基本にした都市計画、基盤整備を進めてきているわけですけれども、どこまで成功的にできるかというのがこれから大きな課題になると思います。ここに書いているいろいろな方策は私の提案です。
(図58)
  最後に、中心市街地についてもう一度考えてみたいと思います。2006年に中心市街地活性化法が改正された時、中心市街地というのは、時代とともに変わっていく。活性化政策をしても、頑張らない商店主や地主を公金でもって応援するだけではないかという批判も国民の一部にありました。
  こうした議論は日本の場合に、中心市街地はどこかという市民の合意がなかなか得られない。それを守ろうということについてもなかなか得られないところにひとつの原因があると思われます。
  これはイギリスのアビンドンという小さな街です。観光的にも余り有名ではないところですけれども、オックスフォードの北の方、20キロぐらいのところです。もともとはイギリスにはローマ帝国がつくった都市が結構ありますが、ここもローマ帝国がつくった都市が基礎になってできた町の一つです。ローマが衰退した後中世のイギリスはほとんどの町が衰退して原始に返るようなことになっていましたが、その後中世都市が再生されるわけです。この町もそうした町の一つで、その後、ローマ時代以来の歴史がある。そして、中世には市民と僧院とが戦いました。オックスフォードの場合も同じように王様と市民が対立しましたが、そういう中でチャーターという市民憲章が成立したということがあったわけです。そして、地場産業、ここは羊毛産業ですけれども、が発展して都市が拡大していくという歴史なわけです。
  つまり、町の形としてもローマ以来、或いは中世につくられた厳然とした町があって、建て替わったりもしているので、全部中世の建物ではありませんけれども、中心部、まちの成り立ちははっきりとしている。
  そして、市民は町を治めるということを中世以来やってきたということで、中心市街地がどこかという議論は、こうした都市では出ようがないわけです。しかしながら、日本では状況がすごく違う。
(図59)
  今の活性化法の1つのモデルになっているところ、四国の丸亀商店街です。ここには視察団が殺到しているようです。様々な新しい取り組みで知られていますが、タウンマネジメントということで、再開発とタウンマネジメントがうまく組み合わさって、活気が取り戻された。そして、地価が上がって、利用者が増えて、売り上げが増えて、税金も増えてという形ですごくうまくいっているわけですね。
  しかしながら、この丸亀商店街の周辺には4つか5つぐらいの別の商店街があって、そこは相当衰退しています。ですから、日本の場合には、ここでも江戸時代から少しずつあったと思いますけれども、今のような形の町ができてきたのは数十年の歴史しかない。どこが生き残るのかとか、或いはそこが市民にとって大事な場所だというのは、今からつくっていかないといけない。或いはハンディといってもいいかもしれない。そういうのを我々は持っているということも示しているのではないかと思います。
(図60)
  私の学部は岐阜県可児市にあるんですが、木曽川を挟んで北の方に美濃加茂市というところがあって、ここはブラジル人を中心とした外国籍の市民の比率が10%以上と凄く多い。昨年からの経済不況で、ブラジル人の方は短期の契約がほとんどなため、クビ切りや様々な問題が新たに生じています。ここの駅前商店街を何とか再生できないだろうかということで、今学生と取り組んでいます。
  江戸時代はここに中山道の太田宿があって、その後JRの駅前に商店街ができてきて、さらに、現在は駅の北一帯に郊外型のショッピングセンターや沿道型施設がたくさんできている。そういうところをどうしていったらいいのかということです。
(図61)
  先程のアビンドンみたいに、この駅前商店街が中心市街地だとなかなか言えない。そして、現実に旧中山道のところでは住民の方が活発にまちづくりの活動をしているんだけれども、駅前商店街のところは残念ながらまだ弱く、今から少しずつ取り組んでいるというところです。
  ですから、ここが町の中心部だし、中心市街地を活性化しないといけないというのは、21世紀に我々に求められている大きな課題ではないか。中心市街地だから何かしないといけないということを市民に理解してもらって、つくっていくのはこれからすごく努力しないといけないのではないかと考えています。
(図62)
  そのためには、専門家も頑張らないといけないし、市民の理解も得ながら取り組みを進めていかないといけないのかなと考えています。
  長時間にわたりまして、いろいろなことを言って皆様の印象に残ったものがあるか心配ですけれども、私の話は以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)


  フリーディスカッション
 
與謝野 海道先生、ありがとうございました。
  コンパクトシティの現政策等についての基本編と、実に様々なコンパクトシティの実践編を交えてのデザイン、計画の要諦等々について体系的にお話をいただきました。
  それでは、ご質問の時間をとっておりますので、ここで折角でございますから、会場からのご質問をお受けしたいと思います。どうぞ挙手の上、お名前をおっしゃっていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
水谷(日本上下水道設計梶j 45枚目のスライドで、コンパクトなまちづくりで青森市さんの例を出されたと思います。町の中心部に人口を集中することで、郊外部のところは沈殿現象とおっしゃられたと思うんです。実際の当社でも地方の町が人口が減ってきて、下水道のサービスをどう維持していくんだろうかという問題が実際に起きつつあります。そういう沈殿に対して、都市計画の面から見ると、どのようなことを考えていけばいいのかについてサゼスチョン等があったら教えていただきたいと思います。
海道 現実問題としてこれからたくさんの自治体が知恵を絞らないといけないことです。三重県の四日市の例を聞いたことがありますが、調整区域にかなり大規模な住宅団地がつくられています。公共下水道を整備するということで、従来はコミュニティプラントで、各団地単位で整備していたものをつなげて集中的な処理をするという取り組みをずっとやってきています。集中的に公共下水道で処理をする方向で日本はずっと整備をやってきたわけです。
  しかし、今それが、これから人口減少や低密度化の時にマイナスになりつつあるというのが現実の問題だと思います。これをどうするかとなると、1つは、もう一回分散的な仕組みに変える。それぞれの地区で、もっと小さくやれば各家庭で、エネルギーは太陽光とか風力で分散的な発電の仕組みをやろうということですけれども、下水道についても分散的にやったらどうかというのはアイデアとしてはあるのではないかと思います。
  下水道では幹線の維持が凄く大変になって、枝管のところの人口が減ってしまうとか、ある限界を超えれば、そういう方法しかないんではないか。だけど、そこまでいくと、公共下水道全体のシステムが維持できなくなってしまい、連鎖反応でまた難しいこともある。あとは端末のところの密度を高めていくということで、管渠のシステムを維持するということも他の方法としてはあるのではないかと思います。
  最後、郊外住宅地はこれから大変ですねみたいな話になってしまいましたが、人口がこれから減って世帯数が2割も3割も減っていった時に、特に戸建て住宅団地が多いところは、従来のような形の住宅団地を維持できない。そうすると、一定の範囲の中で建て替えるとか住宅団地自体も再開発する。そういう形の再開発がこれから必要になるのではないか。その時に今の下水道とかごみ、福祉サービス、そういうのも全部再構成する必要があるのではないかなと思います。
  ただ、今日明日どうなのかというまだそこまでいっていないので、多分10年ぐらいのスパンで今から大きな問題になってくると考えています。しかし、これはほぼ確実に起きる状況だと思いますので、今からその地域の特徴に応じていろんな取り組みをしていかないといけないということしか、今は言えません。
  各自治体でも、やっと郊外住宅団地ということが大きな問題になるのではないかということで、行政、あるいは地方議会の中で少しずつ議論が始まったところです。
高山(ポラス暮し科学研究所梶j 先生、今日はどうもありがとうございました。
  ニューアーバニズムから含めて、海外のいろいろな事例や、日本国内で今どんなふうに進んでいるか、大変勉強になりました。ありがとうございます。
  2点ほどお聞きしたいんですけれども、1つは、アーバンビレッジ。チャールズ皇太子がご自分でも関与されているし、イギリスも政策的に取り上げておやりになっている。今日のお話にもアーバンビレッジというのが1カ所出てきましたけれども、コンパクトシティの英国版をアーバンビレッジと考えてよろしいのか、それとも再開発とかあるスポット的なゾーンの開発にイギリスの場合には用いられているのか。まず、イギリスのアーバンビレッジとコンパクトシティと、その辺の解釈を教えて下さい。
  もう1点は、米国のアーバニズムのことですが、今日のお話ですと、英国でリージョン、シティ、タウン、ビレッジ、空間構成を明確にとらえて、対策が講じられている。そういう中で、シアトル市の例を見せていただきました。私は、住宅屋なんですが、アーバンビレッジという冠で、10戸ぐらいの単位で、真ん中にコモンを取り囲むような形の開発が出てきて、注目されています。そういう意味では、リージョン、シティ、タウン、ビレッジということからいきますと、これからの私ども住宅屋としては何らかの形で新しく住宅開発されていくと思うんです。
  されていく中でも、10戸とか小さい単位で、或いは100戸とか200戸とかやる場合でも、今日のコンパクトシティという話を受けて、そういう最少の住宅はどんなふうにやったらいいのかというところで、何かヒントになるようなことをいただけたらと思うんです。
海道 イギリスでアーバンビレッジというのは、ある面ではチャールズ皇太子財団の登録商標みたいな形で使われている面があります。
  イギリス全国で40〜50カ所アーバンビレッジと言われているものがあります。2つのタイプがあります。1つは、かつての公営住宅団地の再生としてアーバンビレッジの考え方を使っている場合。あとは、郊外の新規開発でアーバンビレッジという考え方を使う場合です。
  公営住宅の場合には、建て替えをする場合が多いわけですけれども、割とヒューマンスケールのもの、住宅以外の機能を入れる、参加型で行っていく、そういう考え方で団地再生をするという時にアーバンビレッジの考え方が使われます。
  先程言ったチャールズ皇太子財団というのは、民間ですから、そこが支援をして、そこで指導料や設計料をもらっていると思います。
  新規開発については、パウンドベリーなど皇太子自ら開発しているところもあります。これも高密度、多機能、公共交通指向という考え方で進めているわけです。
  イギリス政府の住宅政策の方針で開発の時には必ず低所得者用の住宅も30%以上入れるようにということもありまして、高級なものばかりでなくて、中低所得者用の住宅も入れている、そういう形でやっています。
  それから、アーバンビレッジの考え方の中は、高密度という面で、イギリス人好みの町の姿があります。いわゆるネット密度は低密にする。つまり、高密な街区型住宅地をつくって、その周りに広大な緑を配置する。広大な緑とその横に高密度な住宅地をつくる。いわゆるイギリスの田園、カントリーサイドと同じようなイメージです。そういう基本的なコンセプトで開発している。これはアメリカのニューアーバニズムの開発と同じようにかなり成功しているのではないかと思います。
  デザインのコンセプトは、古い村のデザイン。今日は示しませんでしたけれども、いわゆる中世の村の、2階建てとか3階建ての建物に煙突があって、伝統的なレンガを見せたり、通りからは駐車場が見えないようにする、道路を曲げる、そして広場をつくるというデザインコードでつくっているのがイギリスのアーバンビレッジの方法ではないかと思います。
  アメリカの場合には、ご指摘のように、地区から、都市のレベルから、州のレベルから、全て州によって凄く違うと思いますけれども、シアトルの場合には、地区、市都市連合、州、それを全て関係づけています。というのは、例えば10年間でどれくらい住宅を供給するかというのは、州全体で、例えば1万戸、都市圏で5000戸、市で1000戸、この地区で100戸という形で全て、極端にいえば割り当て制みたいな形で設定をして、その中で開発を進める。
  ただし、社会主義国ではないので、民間開発が主導ですから、計画達成の点検をしながらどれくらい開発されているのかということを、チェックしながら、計画的に進めているわけです。
  そして、ご指摘のように、アメリカのアーバンビレッジの場合には、イギリスとはかなり違います。イギリスは先程言った皇太子が主導ですけれども、アメリカの場合にはそれぞれ不動産会社が、ネオ・トラディショナル・デベロップメントNTDといったモデルで、お客さんが好むようなイメージでつくるという中でアーバンビレッジというのがあると思います。
  アメリカではアーバンビレッジというよりも、ネオ・トラディショナル・デベロップメントという考え方の方が一般的ではないかなと思います。
  ただ、基本的な方法は割と似ていて、いわば日本的な住宅地づくりなんですね。大体150坪ぐらいで間口も狭くて2階建てで、道も狭いという形です。鉄道があれば鉄道のそばですけれども、鉄道がなければバスのそばだし、それで、一応公共交通が使えますと言っている。複合機能型ですよということも言っていますけれども、結局不動産的に魅力を付けているだけで、本来の多機能複合機能、公共交通指向という意味ではうまくいってないのではないかという批判もあります。
  一方でこうした開発は中低所得者向けの住宅開発で、金持ちは1000坪とか広いところに住みたがる。だけど、サブプライムローンの関係かわかりませんが、割と密度高くてアフォーダブル住宅という割と値段の安い住宅を供給することの1つのキャッチフレーズとしてニューアーバニズムといっているだけだという批判をしている方もいらっしゃいます。
  いろいろ批判もあったり、推進する方もいらっしゃるわけですけれども、ただ、確実にニューアーバニズム、或いはアーバンビレッジみたいな考え方でつくられた住宅地が人気があって、不動産市場の中でも高く評価されているということが現実にあります。単に誰かが理念的に言っているということより、アメリカ国民の間にも支持がもちろんあるという理解をした方がいいのではないかと思います。
  それから、10戸とか数十戸単位で開発することについてですが、いわば日本のミニ開発ですね。それをどういうふうにしていくかという時には、日本は市街化区域の中であればどこでも開発してもいいので、コントールできないわけです。だけど、欧米の場合には、基本的にどこでどういう開発をするかについては、1件1件審査があります。特にイギリスの場合には公共交通の利便性がないとか、離れたところに数十戸の開発をするというのは許されない。今日のイギリス政府の方針の中で、郊外のところ、農村を強化するという考え方もあって、農村に5戸とか20戸とか、そういう開発を埋め込んでいく。農村はそのままでいくと一部の人しか住めないし、日常生活を賄うだけの人口がないので、村を強化していくために、新規開発をそこにくっつけていくということを新しい住宅政策でも割と強調していますので、そういう方向もこれから出てくるんじゃないか。
  つまり、コンパクトシティということで都市の再開発とか複合機能開発とかいうイメージもありますけれども、イギリスの場合は農村に住みたがる。人気があるので、供給をちゃんとすれば、結構売れると思います。そういうこともあってそういう施策もされていると思います。
  アメリカの場合には、周りに全然何もない砂漠のところに数十戸の住宅をつくるというのもあるんでしょうが、日本と違って、土地と建物と一体で開発をして、宅地を売るとかいうことではなく、町の景観とか環境を売るというのが基本だと思います。魅力のない形で、離れたところに小さいミニ開発があるというのはちょっと考えにくいかなと思います。
  シアトルの場合には、アーバンビレッジという開発拠点を決めていますので、その拠点の中で今再開発が盛んにされています。そこでは、公共交通サービスと一体的にやっていますが、デザインレビューというのをシアトルの場合はきちんとやって、1年間ぐらいかけてデザインを専門家が審査をする。市民も意見を言えるという仕組みがあります。見ると余りよくないのもありますけれども、仕組みとしてはデザインレビューというやり方でされているので、町のどこにどういうものをと考えて、それを実施する手段を持っていると言えると思います。
三橋((有)シーエルシー) 日本で中心市街地活性化法が施行されてから11年経っています。私の仲間も全国で中心市街地やTMO、中心市街地活性化協議会という法制度の枠の中で頑張っている方が多くいます。基本的には現在もエスカレーターを一生懸命駆け上がるぐらい苦労している。一部、高松の丸亀や、青森だって経営が大変なところもあるし、いろいろな方がいるんですが、私の感想では非常に苦労している。
  その中で専門家の頑張りとか市民の巻き込みという先生のお話がございました。専門家自体はいろんな形で頑張っているとは思うんです。もっと専門家が頑張って、今後の環境や人口減少を考える場合に、コンパクトシティや中心市街地活性化、都市機能の集約化は重要だと思うんですが、ただ、個々の専門家が頑張る、学者が頑張る、国の政策をポンと出す、一部行政が頑張るといっても、なかなか日本の場合難しい。そういう時に専門家の頑張りようで、違うフェーズのことをしなければ、日本はわかっていながらずっと沈んでいくという感じがします。その専門家の頑張りようの新しい仕組みや提案みたいなものがあれば教えていただきたいと思います。
海道 先程の美濃加茂も、去年の秋からやっていますが、増えてきている外国人の方が気軽にやってこれるような町にすると、お店にとってもいいし、外国の方もいいし、市民にとってもいいんじゃないかという単純な考え方で毎週そこでゼミをやったんです。しかし残念ながら中心で頑張るべき地主の方、商店主の方がまだ本当に危機感がない人が多い。自分の店を中心に考えるとあきらめてしまっていたり、行政依存の考え方から抜ききれない人が多い。もちろん、全員ではないんです、頑張っておられる方も少なくないのですが、しかし、はやらないお店に行っても埃まみれのものを平気で並べているし、100円ショップに行ったらたくさん買えるものを300円ぐらいで平気で売っている。町の通りもかつては頑張ったんだろうけれども、魅力のない通りになっているという現実を見て、これが現実かと、いろいろ言ってもなかなか難しいなという現状にぶつかったんです。
  ところが、南の方の旧中山道のところに行くと、いろいろな人たちが取り組んでいて、そこの取り組みを駅前の方につなげていけるような取り組みができないだろうかということをいろいろ考えてやっています。
  今言われました専門家の頑張りということですが、美濃加茂の駅前も実はバリアフリー工事をやるということで道路の改造をやろうとしています。県道になっていますので、県の道路担当が計画案を示して住民説明会をやったのですが、反対があってうまく動かない。だけど、行政の方としてはやってみたい。何で反対するかわからないというのが現状でした。つまり、市民、経営者、行政が1つの方向を向いて頑張ってないというのが1つあります。
  それと、方法としても、やはり開発整備というか、道路という形での開発が先行していますが、バリアフリーですから、人が来ないと全く意味がないと思うんです。それを考えずに道路空間だけで何とかしようということで、それを整備する中で町の活性化の主役になるべき周りの人たちが参加するような形になってないというのが現状です。
  それを何とか乗り越えないといけないと思いますし、丸亀商店街の教訓の1つもそれがありました。専門家の支援が凄く重要かなと思います。
  ただ、沖縄のある再開発関係者は、専門家なんか役に立たないからと言われた。愛知県であった全国の商店連合会の大会に行ったら、「私たちは専門家は要りません。自分たちで頑張ります」ということを分科会で議論したそうです。専門家の何が期待されているのかということも問題だと思います。
  私は、市民と権利者、商業者だけではなくて、専門家が一緒に参加して、ビジョンを描き、前に進めていくというのは凄く重要だと思います。ただし、今それが頑張れるような仕組みができてないのではないか。中国地方のあるまちでも、タウンマネジャーが国の中小機構の方から派遣されていきましたが、地元に受け入れられなくて、結局やめてしまったと聞きましたが、それは仕組みの問題も結構あるのではないかと思います。
  仕組みの問題のひとつは、計画したりデザインする専門家が頑張れるような予算、体制ができていないことです。
  端的に言うと、例えば、シアトルでも、各近隣地区ごとに近隣計画を作っています。3年とか4年ぐらいかけて1カ所に数千万円、或いは1億円ぐらいの予算をかける。オースチン市が含まれるテキサス州の中央地域では、都市の将来ビジョンを作っています。3〜4年かけて、3億とか4億の予算をかけて広域の自治体が金を出し合って、市民参加型で調査をして計画をつくっている。
  それに比べると、日本では調査や計画、デザインにかけるお金と時間が余りにも少な過ぎるということがある。実はトヨタの経営が大変になっているということで愛知県や岐阜県も凄く影響を受けて、市の予算が削られる。愛知県も岐阜県も県の職員の給与を下げようという時期ですが、それをとらえて、物をつくるのは大事なんだけど、調査や計画やデザインのためのお金にもっと予算を振り向けるような仕組みにしていかないといけません。それによって飯を食っている人はたくさんいるので、建設を全部とめるわけにいかないと思いますけれども、大きく調査や計画、デザインの分野にかける時間や費用を抜本的に高めて、そこの中で専門家がちゃんと頑張れるようにする。そして、時間をかけて住民や市民と一緒にやれるようにするということを整えておかないと、乏しくなる一方の予算では、なかなかちゃんとした専門家の参加も市民さんかもできないなと思っているところです。
  あとは、うちの大学も行っているんですが、各地で大学がまちづくりに参加して、いろいろなアイデアで取り組んでいるのがあります。そして、結構それなりの成果を上げている。地域の中にはいろいろな専門家の方がおられると思うので、東京から地方に出かけるというのももちろんあると思いますけれども、地域の中でもいろいろなネットワークをつくっていけるような仕組みをつくる。それは行政と地元の商店街が信頼関係がないとできないと思うので、そこがプラットホームと言いますか、仕組みを作っていって、そこで頑張れるようにするということが凄く重要じゃないかなと思っています。
  よく専門家ということで、行政の委員会に参加するだけでは専門家の参加といっても大きな限界がある。やっぱり地道に継続して参加するような形がとれないと難しい。
守屋(神奈川県) 神奈川県の平塚土木事務所というところで開発許可をしております守屋と申します。本日はありがとうございました。
  38番目のスライド、一番最初にご質問された方と少し質問が重複する部分があろうかと思います。コンパクトシティを目指す中で、郊外をどうするかということです。先程の先生のお話の中で、持続可能性のある郊外団地がある。そこをさらに持続させていくためには、もう一度そこを開発するようなことが考えられるのではないかというお話がありました。もう一方で、持続可能性のない郊外地をどう、具体的に自然回帰とか他用途へというところが、一律に再建築禁止みたいものにするのもなかなか発想できない。では、何もせずに単に市場に任せて放っておくというのも、スラムができるようなイメージがあって、やはりそこは社会的な制度を持って誘導していかなければならないのかなと考えました。
  もしそうだとすると、そのための何かイメージみたいなもので結構なんですけれども、アイデアがあれば教えていただきたいと思います。
海道 いずれにせよ、今、可児市でも多治見市でも、1ヘクタール以上の団地の数は多治見市で80カ所ぐらい、可児市だと40カ所ぐらい、岐阜市でも50カ所ぐらいありますが、例えば判定基準で、あなたのところは駄目ですよと言って、死刑宣告をして何もしない。住むんだったら金を出せ、頑張るところは自治会活動とかNPO活動を支援するというのは1つのシナリオとしてはわかりやすい。
  しかしながら、全ての土地は誰かが持っているし、住んでいる。個人の資産ないし生活の基盤になるわけですから、それを行政なり何なり外的な基準で死亡宣告をして、延命治療をやめさせるということは、やはり凄く難しいし、反社会的な行為だし、支持も得られないと思います。
  ですから、客観的に見ると非常に難しいところでも、日本の場合はアメリカと比べて車さえあれば、15分か20分のところに病院があったりスーパーがあったりするわけです。住宅地としておたくは駄目だと言うんだけれども、全く住まい方を変えれば住宅地として使えるところもある。しかし、離れたところに宅地面積が60坪の家が15軒あって、坂道で、道路の維持管理も大変だ、しかも下水道も維持するということになって、公共が最後の1軒まで面倒を見るには、それもまた社会的なコストが非常に高くなります。ある段階で、社会的なコストが高ければ、そこで快適に暮らしたいという方がおられれば、それなりの費用を負担してもらわざるを得ないんじゃないか。
  例えば、60坪の家5軒分を300坪でゆっくり暮らしたいということであれば、それでも構わない。ただし、それに伴う費用は発生するということで、何らかの負担をする、そういうのはアイデアとしては1つ考えられる。
  或いは、地球環境問題から言って、車の利用を前提とした住宅地を残すということ自体がいけないのではないか。全て公共交通の利用ができないような住宅地は悪であって、なくすような方向で政策を進めるべきであるというのも1つの考えとしてはあると思います。ただし、一家5人で車3台ないと生活できないところは全部やめなさいということもできないと思う。これから、10年、或いは15年、20年の中で、基本的な方向を決める。やはり自然の中でゆったり暮らすためには社会的コストがかかる。それからできるだけ車を使わないようにするという大きな基本的なところを数十年先のビジョンを描きながら、少しずつそれに向けて対応していくというぐらいしか今のところは考えられないかと思います。
  徐々に変わっていく段階で、今、宅地管理が凄く問題で、空き地が2割、3割あるところは、一応草刈り条例があって、草刈りをするようにしているんですけれども、擁壁が壊れてしまったりというところがあって、管理が放棄されている空き地が結構あるんです。空き家についても、本当にボロボロになっていたり、誰か入り込んでしまったら問題になるようなところも結構あるので、それに至る段階で宅地管理や住宅管理については、ある程度強制的に費用をとってさせる。草刈りを自治会や自治体が行って費用を徴収するとか、老朽化が進んだ建物については強制的に撤去するとか、良好な住宅地として維持が必要なものについては、新しい仕組みを作らないといけないと思います。所有者の権利としてではなくて、宅地あるいは住宅の所有者の義務として何かやってもらうという必要もあるのではないか。
  実は郊外住宅団地は、だんだん地縁化、血縁化しつつあるんですね。従来は遠くに通勤するということが開発されたのが、親子で住むとか近くに勤務先があるという理由で、親元に戻ってくる。長男が住む、或いは農家の二〜三男の方が住むということで地域化していく傾向が見られます。
  そうすると、郊外住宅団地ではなくて、地域の生活拠点として生まれ変わっていく可能性もあるので、名古屋から1時間だから遠いとか、そういう基準ばかりではなくて、それぞれの地域での生かし方を考えておかないと、何か一面的なことだけで切り捨てるということはいろんな面でよくないのではないかなと思います。
與謝野 ありがとうございました。
  それでは、せっかくの盛り上がったところでございますがここで時間が参りました。会場の皆さんにおかれましては、ご熱心にお聞きいただき、またご質問も種々いただきましてありがとうございました。また、それに対しまして海道先生から非常に誠意あるご丁寧なご回答もいただきまして、誠にありがとうございました。
  それでは海道先生に今一度大きな拍手をお送りいただきたいと思います。(拍手)                      

 



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