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第22回NSRI都市・環境フォーラム

『地球環境問題と日本の選択』

講師:  小島敏郎 氏   

青山学院大学教授・財団法人地球環境戦略研究機関特別顧問

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日付:2009年10月21日(水)
場所:日本教育会館

                                                                            
1.人間と自然の関係の変化

2.気候変動の科学と政策決定

3.気候変動交渉と日本の選択

4.次の一歩を踏み出すための課題

フリーディスカッション

 

 

與謝野 定刻でございますので、ただいまより本日の第22回の都市・環境フォーラムを開催させていただきます。本日は、地球環境問題、とりわけ気候変動というグローバルな課題に関しての取り組みについての、我が国におけるこれまでの軌跡並びに今後の展望などについて、皆様とともに学びたいと存じます。
  本日講師としてお招きいたしましたのは、この分野の第一人者であられ、国内外で精力的にご活躍しておられます青山学院大学教授、財団法人地球環境戦略研究機関特別顧問であられます小島敏郎様でいらっしゃいます。
  小島様のプロフィールについてはお手元のぺーパーのとおりでございますが、ご高承のとおり、「地球環境審議官の小島敏郎」ということでご高名な方でいらっしゃいます。環境省地球環境局長のときに、京都議定書の目標達成計画の策定を指導され、その後、気候変動枠組条約などの地球環境問題についての国際諸問題を担当されました。また、「クール・ビズ」や「チーム・マイナス6%」などを提唱されて、地球温暖化防止国民運動にも精力的に力を注がれた方であられまして、現在は青山学院大学教授ならびに名古屋市立大学特任教授としても教鞭をとっておられる、我が国を代表するこの分野の国際的な専門家でいらっしゃいます。
  本日は、そのお忙しいスケジュールの中を貴重な時間を割いていただきまして、「地球環境問題と日本の選択」という演題での貴重なお話をお聞かせいただくこととなっております。
  それでは、前置きのご紹介はこれまでとさせていただきまして、大変ご多忙の中を本フォーラムにお運びいただきました小島敏郎先生を皆様からの大きな拍手でお迎えいただきたいと存じます。(拍手)

小島 小島でございます。ご紹介いただきましたように、現在は青山学院大学で教授をしております。
(図1)
  今日は、「地球環境問題と日本の選択」ということでお話をいたします。これまでの経過、それから、新しい政権が発足をしましたので、その見通しなどもお話をしたいと思います。
  選挙後、国会議員は、忙しい人はものすごく忙しく、忙しくない人はほとんど何もしていないという二極分化の状況があります。政権に入った忙しい人とお話をするのは時間的にもなかなか難しいのですが、政策は着々と進んでいるのではないかと思います。
(図2)
  このような状況を踏まえて、今日は、地球環境問題、特に気候変動と日本の選択というタイトルでお話をさせていただきます。
  お話のテーマは4つです。1つは、人間と自然の関係の変化。地球環境問題を全体にとらえたいということです。2つ目は、気候変動の科学と政策決定です。政策を決める、企業経営を決める際に、科学をどのようにとらえていくのかという課題です。それから、3つ目は、現下の気候変動交渉と日本の選択ということです。最後に、4つ目は、次の一歩を踏み出すために何が必要かということです。
  ここまでが用意したものでありまして、「もし、時間があれば…」というコンサートのアンコールみたいなタイトルをつけておりますが、時間があればもう少しお話をしたいと思います。

1.人間と自然の関係の変化

(1) 考えるポイント

(図3)
  まず、第一のトピックの「人間と自然の関係の変化」です。地球環境問題をどういうふうにとらえるかということです。
(図4)
  「考えるポイント」として2つ提起をしました。
  1つは、「地球環境問題の時代」という現在をどう認識していくか。私は、現代は、文明の転換期であるという認識を持っております。しかし、一体、そういう時代認識はあるのだろうかということです。 
  なぜ、文明の転換期か。4つの事柄を掲げております。第一、人間の活動は地球システムを変化させるほど強大になったということです。そして、第二、その変化させてきた地球システムによって人類の生存が脅かされる可能性が現実のものとなってきたことです。そこで、第三、これまでサステーナブル・ディベロップメント、持続可能な開発といわれていた持続可能性ということが極めて重要な課題となってきた、すなわち、将来にわたって生存していくためには未来を見通す知恵と勇気が必要だということです。第四、人類がつくり出した問題は人類によってしか解決できないし、人類によって解決できるという決意。これは、アメリカ人、特に上院議員がよくいうフレーズですが、昔の民主党の大統領がいったことのようです。私がこのフレーズを初めてこれを聞いたのは、バリ島でのCOPで、ケリー上院議員からです。なるほどアメリカの民主党の議員さんはこういうことを言うのだなと思いました。
  次のポイントは、「化石燃料に依存しない文明への転換」ということです。特に石油からの脱却です。そういう文明の転換という認識を持って化石燃料の上に成り立っている現在の文明を積極的に変えていくのか、あるいは最後まで化石燃料の文明に固執してラストランナーになっていくのか。「文明の移行」への姿勢が積極的か及び腰かということです。それによって政策の本気度、言葉をかえれば政策の実行力や企業の投資意欲が異なってきます。
  例えば、国際社会では、2050年目標が議論されています。2050年を想像してみれば、世界の自動車がガソリンやディーゼルで走っているとは誰も思っていないはずです。そういう世界を想定して、石油に依存しない文明への転換をいつ本格的に開始するのかということが企業戦略にも政策にも非常に大きな影響を及ぼしてきます。

(2) 人類の活動と環境の関係

(図5) 
  人類の活動と環境の関係を図示してみると、「図5」のようになります。地球は1つですから、大きな地球という自然の中で人間が活動しています。自然からいろいろな資源やエネルギーをいただいて人間が利用して自然に返していく。捨てていくわけです。ですから、人類は、地球からの資源の投入量を最少にして、人間の活動範囲の中ではそれを最も効率よく使い、そして地球に捨てるものを少なくするということが、基本となります。
(図6)
  ところが、成長の限界という議論がありますように、人間の活動が大きくなり、活動量が加速度的に増えてくると、いくら最適配分がうまくいっても、やはり地球は1個では足りないのではないか、という「有限の地球」という限界に直面する時期が来ます。その前に、人間はいろいろなことを考えて、限界を克服していけばいいのではないか、そう考えてきたわけです。
  いずれにしても、人間の活動量が増大し、適正配分もなされていないという状況の下で、地球環境問題が顕在化してきました。主に次の3つが顕著です。
  1つはオゾン層の破壊。国際社会は、この問題から地球的規模の環境問題に対処するルールをつくってきたと言えるでしょう。生命が海から地上に出てきたのは、オゾン層ができたおかげです。生命は強い紫外線の下では生きられない。その状況が紫外線を遮るオゾン層ができたことで変わった。それでようやく生命は海の中から地上におずおずと出てきたというわけです。ところが、そのオゾン層を人間が自然界にないフロンという物質をつくって破壊した。フロンによるオゾン層の破壊問題が起き、これへの国際社会の対応が、オゾン層保護条約、モントリオール議定書です。
  次は、1992年のリオサミットで署名式が行われた2つの条約、気候変動枠組条約と生物多様性条約です。今日、地球上で人類が繁栄することができているのは、気候が安定したという状況があるからです。ところが、人類は、地下に埋蔵されていた化石燃料を掘り起こし、これを燃やして空気中にCO2を還元しています。また、炭素を貯蔵していた森林を切り開いて宅地や農地にして、CO2の吸収作用を減らしています。このような人類の行為が空気中のCO2濃度を高くし、気候を変えていくようになっています。これも人類の生存を脅かしています。
  生物多様性の喪失も大きな問題です。この問題では、動物が好きだとかかわいいとかいう特定の種の生物の問題も当然議論になります。クジラの問題もありますし、ペットの問題もあります。モルモットなどによる動物実験が非人道的ではないかという問題もあります。そういう動物愛護の問題は欧米では日本以上に非常に強力ですが、今日の生物多様性の問題は増加する一方の人類の食料の供給をどうするか、あるいは新しく発生してくる感染症などへの医薬をどうするかなどのバイオテクノロジーをめぐる遺伝子の議論も大きな問題となっています。
  生物多様性条約の第10回会合が、来年2010年10月に名古屋で開催をされます。名古屋の市長が河村たかしになりました。私は、高校の同級生ということもあって、選挙の時からマニフェスト作り、そしてマニフェストの実行ということでかかわっていて、今は名古屋市の経営アドバイザーという肩書もありますので、生物多様性の問題を都市としてどういうふうに受けとめるかということについても、少しお話をさせていただきます。

(3) 環境資源の賢い使い方を通じた持続可能なシステム

(図7)
  さて、「環境資源の賢い使い方を通じた持続可能なシステム 」ですが、これも人間の生存にかかわる社会システムの課題です。持続可能な経済や生活をしていくために、「低炭素社会」、「循環型社会」、「自然共生社会」という3つのレジームを提案しています。人類は、産業革命以降、「化石燃料をエネルギー源とする科学技術の時代」を作り上げてきました。しかし、今、それによって2つの大きなリスクに直面しています。1つは「オイルピークのリスク」、もう1つは「気候変動のリスク」です。
  今後100年間を考えた時、この2つのリスクは現実の問題になってきます。100年というのはそんなに先の話ではありません。「化石燃料に依存する文明」から「化石燃料に依存しない文明」への転換は遅かれ早かれ不可避であると政策決定者や企業経営者が考えて行動するかどうかが、大きな分岐点です。
  循環型社会についても同様です。現代文明は資源を使い尽くす文明であり、資源を求めてあちらこちらを掘り、焼畑的に資源を掘り尽くし、使い捨ててきました。レアメタルでなくても、鉄鉱石などの資源でも、資源は自然に再生しないのですから、焼畑的な採掘をしていればそのうち無くなります。資源を再生しながら使う文明へ転換をしていくことも、遅かれ早かれ不可避です。
  人口が60億人から90億人になってくると、食料は大丈夫だろうかと心配になります。最近のマグロの話ではありませんが、多くの水産資源は既に過剰にとられています。こういう状況ですから、人間の食料を確保するために、バイオ技術、遺伝子組み換え技術とどのようにつき合っていくかということも考えなければなりません。

(4) 世の中はどう変わったか

(図8) 
  日本は戦後大きな成功をおさめましたが、最近はどうも調子が悪い。何が変わったのでしょうか。
  日本は国際的な条件の変化に適応できていないということが大きな原因ではないかと思います。1989年、東西冷戦が終わりました。東西冷戦が終わったということは、アメリカと一緒にやっていれば日本は大丈夫だ、中国やロシアは国際マーケットに出てこないし、途上国は相変わらず途上国のままだ、こういう固定化された秩序が一気に変わってしまったということです。ヨーロッパではEUが拡大して巨大なマーケットをつくる。ロシアは資源大国として北のサウジアラビアのようになっていく。潜在的な経済能力を持っていた中国がもうすぐ日本を追い越す。こういう時代に、日本はどう対応するのか、その進路が見えていないということでしょう。
  戦後の日本は、経済大国としてGDPをどんどん大きくしてきたし、更にGDPを大きくしていくことが日本の誇りだ、などと言っている時代は過ぎ去ったのではないでしょうか。GDPの大きさではすぐ中国に抜かれてしまうわけですし、そのうちインドなどもGDPを増やしてくるのですから、抜かれるようなものをよすがにしていて国民が頑張れるだろうかと思います。日本は、これから一体どのような社会づくりを目標としていくのか、そこを考えなければなりません。
  また、国内的には、日本人の質の変化があります。仕事があれば何でも勤勉にやるというわけではなくて、こういう仕事がいいああいう仕事は嫌だなどと仕事を選択するという気質の変化がありますし、少子高齢化によって数が減少していくとか労働力も減っていくという構成上の変化もあります。日本の中で自分は中流だと思っていたら、そんなことはない、いつの間にか下流になっていたということもあります。社会も、みんなが一致団結をして頑張ろうという状況でもなくなってきた。
(図9) 
  環境省の地球環境局長の時に「チーム・マイナス6%」という国民運動をたちあげました。これは、予算上は「大規模国民運動」ということになっていますが、これは「国民という1つの価値」を志向したものではありません。政治家は子どもからおじいちゃんまで感動するようなものをつくれと言います。しかし、紅白歌合戦を80%の人が見ていた時代はもう来ません。国民的な番組などないのです。国民的なスターもいません。国民的なスターは美空ひばりが最後かなと思います。GLAYのコンサートに30万人が集まりますが、子どもから大人、じいさんまでがそこにいるかというと、何時間も縦に飛びはねるおじいさんなんかいません。おばあさんもいません。GLAYを好きな若者が30万人集まるのです。人々が、それぞれの好みを持つという時代になってきましたし、号令をかけて国民が動く時代でもない。政治家は、すぐ国民運動と言いますが、多くの国民運動が、偉い人を雛段に並びたてて終わりというものになっている中で、「チーム・マイナス6%」がわずかながら成功をしたのは、あえて言えば「国民はという一つのカテゴリーに入る対象はいない」ということから組み立てていった独特の運動であったからだと思います。やはり世の中は変わったのだと思います。
 
(5) 都市の作り方を考える

 都市の作り方について、どのような条件設定をするべきか。日本の条件設定として、 「少子高齢化:増加する高齢者にとっての暮らしやすさを考える」と書きましたが、これは名古屋市を少しイメージしています。河村たかし市長がマニフェストを掲げて、名古屋を変えようとしていますが、地方自治体はなかなか動かないですね。名古屋は、戦後は100メートル道路をつくってモータリゼーションに適応してきたわけですが、高齢者は1回では100メートルの道路を渡れません。少子高齢化の時代は、1回信号が変わったらちゃんと横断歩道を渡り切れるような作りにした方がいいのではないかと思います。それから、人口増加時代のこれまでの都市計画は、「うちの町は人口が増える」ということでつくっています。だから、森を切り開き、田畑を埋め立てて、宅地をどんどんつくるのですが、日本の人口が減っていく時代には、どこの市もうちだけは人口が増えるなんてことはないのです。人口が減少していく、あるいは高齢化していくということを考えて都市計画を作っていく、つまり、拡大し続けてきた都市を、どのように畳んでいくかということを考えなければなりません。しかし、地方自治体の予算のほとんどはいわゆる固定経費で毎年毎年やってきていて、ほとんど変えられないようになっている。これがお役人の考えです。「肥大した行政サービス」が膨大な「固定経費」を作り出していますから、そこを根本的に変えていかなければ町のありようも変わりようがない。これは大きな事業だと思います。
  地方自治には「団体自治」と「住民自治」があります。これは教科書に書いてあります。国で今、国と地方自治体の分権の話をしているのは「団体自治」のことですが、そのもとにある「住民自治」が機能しているかどうかということをよく見なければなりません。「住民自治」が機能して柔軟に動くようにつくりかえていかなければ、幾ら国から地方に権限が移譲されても、日本は変わらない。余計悪くなると思います。
  都市のつくり方を変えるということについて、日本の条件設定として、人口の減少を前提とした都市機能をどう考えていくか、子どもが少ない、年寄りが多くなるということに対応した便利なまちづくり、バリアフリーにとどまらない街全体の改造が必要だと思います。すなわち、スプロール都市からコンパクトな都市にどうやって変えるのかです。
  人口が減るにもかかわらず単身世帯が増えるから住宅は必要だとは言います。しかしどうでしょう。業者は今でも森を切り開いて住宅をつくろうとしていて、住宅はスプロール化して増えていく。でも日本全体でみれば、住宅の数からすれば住宅は余っているし、これからも余っていきます。すなわち、使われていない住宅が増えていきます。町の真ん中の住宅や店舗があいてしまう。団地もあいています。家族が成長するにつれて団地から出ていって、違う場所に住むからですね。人口が増えてきた時代と減っていく時代は全く違う。
  今、河村たかし市長は、水、緑、風を利用した冷暖房に頼らない町をつくろうとしています。東京都もそういうことをやり始めましたけれども、そういう町をつくっていきたいと考えています。なかなか難事業ではあります。
(図10)
  それから、来年COP10、生物多様性条約の第10回締約国会議を名古屋で開催します。名古屋市でも生物多様性をどういうふうに受けとめるかという検討をしております。そこで、大切なことは、「都市は都市以外の資源によって成り立っている」ということです。つまり、都市は都市だけで自立をしていない。食料にしてもエネルギーにしても、都市の外に依存をしています。これがグローバルな視点でとらえた場合の都市問題であると言えます。
  生物多様性の議論では、企業に対してガイドラインをつくっています。例えば、スーパーマーケットについて言えば、スーパーのお店の屋上を緑化するということだけではなくて、スーパーマーケットで売っているものは一体どこから来ているんですか、原産地では森を破壊していませんか、あるいは工場では子どもを働かせていませんか、女性の人権を侵害していませんか、そういうサプライチェーンにおける人権や環境のことをチェックしなければならないということを企業ガイドラインとして企業に求めようとしています。銀行に対しても、赤道原則というガイドラインにより、環境を破壊するようなところに銀行は投資していませんかというチェックをするようになってきました。
  では、都市を経営する時には、そういうことを考えなくて良いのでしょうか。町の中さえ緑があって動物がいればいいのか。そういうことではないでしょう。国連の報告では、世界の資源の75%を都市が使っているという認識が書いてあります。企業に対して、サプライチェーンでの環境や人権の配慮を求めるのならば、世界の資源やエネルギーを使っている都市が生きていくということに対して、サプライチェーンに配慮しつつ行動をしなければならないと思います。これが名古屋市から発信をしたいと思っているテーマです。

2.気候変動の科学と政策決定

(1) 考えるポイント

(図11)
  話をもとに戻しまして、気候変動に入っていきます。
(図12)
  気候変動の科学と政策決定には、ポイントが幾つかあります。1つは、科学は方針決定の重要な材料であるということです。科学は、行動の指針、例えば政策や経営方針を決定する際の重要な材料です。しかし、科学には100%ということはありません。世間に100%確実な事柄はほとんどなく100%確実な儲け話は詐欺の場合が多いですよね。馬券の予想屋に大金持ちがいないように、100%確実なことはありません。やはりリスクはあります。
  科学の持っている確実性や不確実性を政策決定する人がどう判断をするかというところに、政策決定者や経営者の力量が出てきます。神様のご託宣を聞くわけではないのです。しかし、科学的証明がなされていないということは、皆目わからないということでは在りません。政策決定者は、100%の確実な証明ではなくても、その時点での科学的な資料が示している様々な要素を考えながら自分で判断するわけです。行動するリスクと行動しないリスク、両方あります。100%確実な科学的証明がないから動かない場合、動かないでいると安全かといえば、そんなことはなくて、動かないことには動かないリスクがあります。世の中が変わって自分だけが取り残されて、売っている商品が陳腐化してしまう、誰にも相手にされなくなるというリスクもあります。
  他方、ある程度科学的な証明があるから行動しようと判断する場合も、変わること自体にリスクがあります。とても怖いですね。今までヌクヌクとやってきたところから違うところへ進んでいく。そこにはリスクがあるわけです。
  政策決定者は、どの程度のリスクがあるかということを考えながら、どちらのリスクをとるか決断していくわけです。大変化の時代は思い切って変わらなければいけない、こういう決断もたいへんです。
  倫理的な観点も重要なポイントです。国際交渉の場で痛感することですが、気候変動による被害を金銭換算して説得することがあります。例えばハリケーン・カトリーナでアメリカが被った被害は日本円にして14兆円だと聞くと「大変な被害だ。」となります。他方で、バングラデシュで、サイクロンが来て何千人と死ぬ。何千人というのですが、金銭に換算すると14兆円にはとてもならない。ところが、交渉の場で、先進国の建物1つが1億円で、途上国の5000人と死んだ被害が1億円だと仮定した場合、それはイコールかと言えばそんなことはないですね。そんなことを言ったらバングラデシュの代表団が怒ってしまいますね。そんなことを言っていたら交渉になりません。「人の命5000人とビル1つを同じように考えているのか、あなたとは交渉できない」、こうなります。これはお金では片付かない倫理的な観点ですね。だから、世界のルールをつくっていく時に、単に金勘定だけでやっていては、ルールはできないと思うのです。
  それから、人間は将来を考える賢さがある。サルは朝三暮四でもだまされますが、人間はサルよりも賢い。しかし、実際には、人は必ずしも将来を考えて賢く行動するわけではありません。わかっちゃいるけどやめられないという部分もある。わかってはいるけどできないこともあるわけですから、人間は理解すれば行動するかといえば、それは可能性の問題だと思います。
 
(2) 気候変動の目標設定と不確実性

(図13)
  気候変動における科学の不確実性には、それぞれのステージに性格の異なった不確実性があります。
  第一のステージ。人間の活動として石油を燃やせば温室効果ガスが出るというステージを考えてみます。これは統計をとっていけば、すぐ出るわけです。時間的なずれは少ないし、不確実性は少ない。もちろん、統計をとっていけばわかるといっても、日本のように精緻にとれるところと、途上国のように統計の整備に問題があるところもあるので、不確実性がないわけではありません。しかし、これは論理的に考えれば、捕捉率は高い。
  第二のステージ。人間の活動から排出された温室効果ガスが大気中にどのくらいたまるかというステージを考えてみます。二酸化炭素は海や木や土の中でも吸収され、吸収できなかった部分が大気中にたまります。タイムラグはそんなに長くありませんが、炭素がどういうふうに吸収されていくかというカーボンサイクルについては不確実性があります。
  第三のステージ。さらに、大気中温室効果ガスの濃度が上がって、世界の気温が上がってくるというステージでは、タイムラグも長くて不確実性も高い。
  第四のステージ。そして、気温上昇ということが人間にとって、あるいは生態系にとっての気象災害として具体的にあらわれてきて、どれだけの被害が生じるかというステージでは、台風が来たら人が何人死んだというのはすぐ分かりますけれども、地域的にどのような影響が起きるかについては不確実性が大きい。
  このように、人間の活動によるCO2排出の結果が気象災害となって人間に戻ってくるまでには、いくつものサイクルをとっていきます。それぞれの段階にタイムラグや不確実性があり、不確実性はなくならないわけです。
  例えば、「ハリケーン・カトリーナや、あるいは日本に来たこの間の台風が、温暖化のせいですか」と質問があります。厳密には、そんなことはそもそもわかるはずはないのです。同様な質問を我々は過去に経験しています。四日市のコンビナートから煙が排出されて、四日市や楠町の住民や子どもたちが喘息になったわけですが、企業から「お宅のお子さんの喘息はわが社の煙突の煙から出た有害物質によってなったのですか、証明してくださいよ」と質問されても、そんなもの証明不可能なのですね。証明不可能なことを証明してみろと言って煙を出し続けていると喘息患者が増えていってしまいます。それでは問題の解決になりません。日本では、昔は、工場側は、こう言って胸を張っていたわけです。「うちの煙が喘息を起こしたことを、あなた、どうやって証明できるのですか」と。これは、「わが社が排出したCO2、あるいは我が国のCO2が排出したCO2がバングラデシュのサイクロンを起こしたのですか」、という質問と同じ性格のものなのです。四日市喘息のケースは、最終的には、疫学的な手法を用いて四日市の煙と喘息の被害との因果関係と寄与率を明らかにし、責任の割合を分担していったわけです。原因があれば結果がある。その原因と結果を統計的にとらえて、法律理論や制度的な革新を行って解決をしていったのです。法律理論も制度も進歩するのです。
  気候変動については、コンピューターの中でそれを再現という方法を用いています。喘息の場合は動物実験で、例えばラットを煙にさらして本当に障害が起こるのかという実験はできます。しかし、地球は1個しかありませんから、実験できません。もし実験してみようということで、これからもどんどん石油や石炭を燃やして、100年、200年後、「こういうことが起こりました、因果関係がわかりました」となっても、人間にとっては何の役にも立ちません。本当に起こってしまったら、地球はとんでもないことになって、かなりの人間が死んでいるでしょう。そういうことが起こらないように、コンピューターの中で地球をつくったり、いろいろな調査をしたりして、実験台がない部分、苦労はしていると思います。
 
(3)将来を見通す確かな眼

(図14) 
  いずれにしても、問題は排出と影響との間にタイムラグと不確実性がある気候変動という事柄に対するリスク管理です。人間はサルよりも賢くて将来を見通せる。でも、見通すべき将来が結構長いのです。人間が今やろうとしているのはCO2、をはじめとする温室効果ガスの排出をどう削減するかです。地球温暖化の防止のために人間ができることは、温室効果ガスの排出をコントロールすることです。気候変動については、「CO2濃度が安定する時期」、「気候が安定する時期」、「熱膨張による水面の上昇が安定する時期」などがあります。また、氷が解けて海面が上昇するということもあります。冷蔵庫の氷を出して氷が解ける温度の中に置けば、氷は無くなるまで解け続けます。解ける温度の中にあればグリーンランドの氷もずっと解け続けます。人間は、グリーンランドの温度を直接下げる方法をもっていません。だから、そうならないように人間ができることは、温室効果ガスの排出量を削減することしかないのです。
  海というのはなかなか難しい。熱膨張によって海面が上がるということだけでなく、CO2をどんどん吸収していくと酸性化して、海の生態系が荒れて、漁獲量が減るかもしれないなど、いろいろな影響が出てきます。
(図15)
  IPCCのモデルはいろいろありますが、温度上昇については、どのモデルをみても、今世紀末かなり気温が上がるということがわかります。
(図16)
  環境省にいるときに、ストップ温暖化の国民運動をしようということで、「みんなで止めよう温暖化・チーム・マイナス6%」を、小池百合子さんが大臣の時にはじめました。しかし、「温暖化をとめる」とはどういうことか。産業革命以前のCO2濃度280ppm、今は380ppmになっています。人間が出している二酸化炭素が年74億炭素トンで、吸収量は前の第3次報告書によれば31億トンです。人間は、吸収量の2倍ぐらい出しているわけですから、大気中濃度が上がっていくのは同然です。何しろ、吸収量の2倍以上出しているわけですから。これを借金だとすると借金はどんどんたまっていくわけです。
  サラ金の宣伝ではないですけど、計画的に、「収入と支出のバランス」を考える。とすると、排出量は半分以上削減しなければならない。収入と支出のバランスをとらなければならないからです。地球の吸収量を人為的に増やすことは、なかなかできませんから、温室効果ガスの排出を50%以上削減するということになります。しかし、一気に50%以上減らすといろいろ不都合が出てきますから、一気にはなかなか難しい。それで、「2050年ぐらいには達成しましょうね」というのが「2050年少なくとも半減」の目標です。
  現在の排出量は、依然として増加傾向にあります。サラ金からの借り入れはどんどん増えているという状況です。ですから、2050年に排出量と吸収量を同じにするには、どこかで、サラ金から借りるお金の増加傾向を止めて、サラ金から借りてくるお金をどんどん減らしていかなければいけない。これが排出量のピークアウトですが、ピークアウトの年はいつになるのかも大切な目標です。それは、2020年頃だろうか、というようにもう少し近い未来の目標が出てくるわけです。
  しかしながら、収入と支出がバランスした時に赤字が幾らになっているかも問題です。温室効果ガス濃度の目標を、450ppmとした場合、2050年までに排出した温室効果ガスによって、450ppmを超えてしまっているかもしれません。その場合は、2050年以降も、更に減らしていかなければいけない。2050年半減目標を達成すればそれで終わりということにならない可能性が高いと思います。
(図17)
  安定化の温室効果ガス濃度目標をどうするかは、何度上昇すると危険な人為的な影響になるかという科学的知見によって考えることになります。5〜6年前ですが、私がロンドンから帰ってきて地球環境局長になった時、日本では、経済界やエネルギー関係の専門家は産業革命からの温度上昇で3℃上昇ぐらいでも良いのではないか、と言っていました。安定化濃度目標は550ppmでした。でも、今年のG8での合意は2℃です。主要国会議、G8と、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ、G5、これに韓国、オーストラリア、インドネシアを加えた主要国会議でも目標は2℃という合意をしました。今日では、5〜6年前日本の産業界やエネルギー専門家いっていた3℃目標はもはや国際交渉の場では通用しません。COPではどうなるかわかりませんが、2℃というのが、世界的な目標だということです。
  2℃というのは2つの側面があります。2℃に抑えなければいけないということと、うまくいっても2℃くらいは上がるということです。ですから、平均温度が2℃上がった地球の気候に適応することができるように、適応対策も同時に進める必要があります。コップの半分もあるのか、半分しかないのかというコマーシャルもあります。2℃目標を達成するための削減対策は大変だということはその通りですが、しかし、2℃上がった地球に適応していく適応対策も同じように、あるいは、それ以上に大変です。適応対策が大変だということは、まだ十分議論されていませんが、次のIPCCの評価報告書では、もう少し明確に出てくるのではないかと思います。
(図18)
  ところで、環境対策には閾値があります。2℃が第1の閾値とすると、破局事象を起こすような第2の閾値があります。いわゆる正のフィードバックにより、地球の温暖化が進むような閾値です。例えば、ツンドラが解けて氷に閉じ込められていたメタンの濃度が上がり、温度が上昇する。これは地球のメカニズムです。また、海が暖かくなると海のCO2吸収能力も、落ちてきます。サイダーと同じですね。温めると炭酸ガスが出てくる。そういうフィードバックが働いて、もはや人間ではとめられない地球温暖化メカニズムにスイッチが入るということも考えておかなければなりません。人間が起こしたものは人間でとめられますが、地球のメカニズムにスイッチが入るともはや人間ではとめられません。そういう閾値を超えることは、どうしても避けなければなりません。もはや人間の努力で温暖化をとめられない状況に、地球を置いてはいけません。次のIPCCでは、こういうことも議論されていくと思います。

3.気候変動交渉と日本の選択

(1)考えるポイント

(図19)
  次は「気候変動と日本の選択」です。
(図20)
  ここでの考えるポイントを2つ挙げました。
  第一は、低炭素社会構築への基本姿勢です。日本でもアメリカでも、グリーン・ニューディールということが言われています。今、鳩山首相が「2020年25%削減」を掲げたので、経済界を中心に大変だと騒ぎになっていますが、大変といえば、大変なのは別に2020年だけではありません。アメリカは2050年、83%削減、日本は福田さんの時に2050年には60%から80%削減と言っていました。ですから、「2020年25%削減」というのは、「2050年80%削減」への1つのプロセスにすぎないのです。福田さんが2050年目標を掲げた時は、経済産業省や経済界の人々は、2050年は随分と先の話だから適当に受け止めておこうということだったのかもしれませんが、今はそうではありません。何故か。
  アメリカでは2050年に83%削減という法案を審議しています。また、アメリカは、次の枠組み交渉で、各国に対して2050年目標の設定と達成方法をどうするのか明確にすべきだというスタンスをとっています。米中の間で2国間の協議もしていますけれども、当然アメリカは中国に対しても2050年までの温室効果ガスの削減の目標と達成手段の明確化を求めていると思われます。
  アメリカの弱点と強みを考えてみます。アメリカの強みは、「2050年83%削減」、その達成方法としての「キャップ・アンド・トレード」の国内法や、スマートグリッドなどです。アメリカの弱みは、「2020年目標1990年比±0」程度といわれていた2020年目標です。実際には、現在上院で審議されている法案では「2005年比20%削減、1990年比7%程度の削減」となっていますが、これは、途上国の求める数値に及びません。アメリカは、2020年目標では弱みがありますが、他方、2050年目標では極めて強い立場にあります。日本はどうか。従来は、2020年も2050年の目標も両方とも弱かった。2050年目標は言ってみたが、まじめに考えていない。2020年目標は、鳩山政権になってようやく国際水準となったと思います。
  なぜ、「2050年80%削減」というIPCCの数値を肯定しているのか。もちろん、「気候変動リスク」に対応するためですが、もう一つ重要な観点は、「石油からの脱却」が安全保障の観点からも実現していかなければならないと考えていることです。アメリカの法案、EUの法案を見てもわかりますが、特にオバマ大統領は、石油から脱却はアメリカの安全保障であることを選挙の演説でも予算教書でも言っています。2つのリスク、「オイルピークリスク」と「気候変動リスク」を考えれば、エネルギーのほとんどを外国に依存している日本が、エネルギー安全保障として原子力と石油備蓄しか考えないというのではなく、根本的に「化石エネルギーに依存しない日本の構築」が必要だと、どうして考えないのでしょうか。今後100年石油をエネルギー源として日本経済が成り立っていくとは、常識的には考えられません。
  経済発展のためにCO2削減はできるだけ少なくするという議論もあります。日本の中にも、日本はCO2削減をできるだけしないようにしよう、外国にたくさん削減してもらおうという議論があります。日本は、一体いつまで、海外の化石燃料に依存した経済を続けられると考えているのだろうか、と思ってしまいます。ヨーロッパは、ロシアにエネルギーを握られているということに対して国家として危機感を持っています。だから、できるだけ自前のエネルギー、再生可能エネルギーをつくりたい。アメリカも、中東やベネズエラから石油を輸入することは国家の安全保障上問題であり、できるだけ外国から石油を輸入することから脱却をしたい。日本は九十数%、ほとんど外国に依存しているのにかかわらず、そういう考えが全く聞こえてきません。不思議なことです。
  安全保障のコストを考えながら、できるだけCO2を排出しない経済、すなわち化石燃料に依存しない経済に早く到達をする、そういう競争が始まっているのに、日本はそういう競争に参加してはいけない、最後についていけばいいのだという考えはどうでしょうか。
  そこで、第二のポイントは、低炭素経済を21世紀の経済戦略にしていくことです。低炭素社会に移行をする。オバマ大統領の演説を見ると移行という言葉を使っています。経済が新しいレジームに移行する場合には、いろいろな痛みが出てきます。アメリカは民主党の政権ですから、当然、労働者に対する配慮あるいは貧しい人たちに配慮するという政策が掲げられています。移行のためにコストはかかるけれども、他方で新産業の創出というプラス面がある。アメリカの活路はここにある。アメリカのグリーン・ニューディールには、単なる不況対策にとどまらないこういう思想が込められています。
  最近議論になっているスマートグリッドや送電網の議論は、アル・ゴア氏が副大統領であったときに、情報ハイウェー構想、すなわちIT革命を提唱してアメリカの産業を活性化させましたが、それに匹敵する産業革命です。アメリカの産業が世界をもう一回席巻するつもりです。だから、巨額の投資をする予定になっています。古い経済体制から新しい経済体制へと移行していくわけですから、当然勝者と敗者が出てきます。勝者企業がどれだけ速やかに出てくるか。情報産業でいえばマイクロソフトとかグーグルは勝者でしょうし、ヨーロッパでいえばQCELLというソーラーの会社が10年を経ずしてシャープに追いつき、抜き去っていく。こういう勝者と敗者いうものを見ていかなければいけない。現在の経済では勝者であっても、新しい経済では敗者となり構造不況業種なるかもしれません。日本の政策がいつまでもそのような将来の構造不況業種に固執していると、日本には勝者がいなくなるということにもなります。
  また、日本に閉じこもらないで世界をマーケットにする経営戦略、経済戦略というのも必要だと思います。例えば、日本の省エネ電球は世界最高です。しかし、ヨーロッパで見かけない。売っていないのです。それは、ヨーロッパに適合した電球を開発し、市場を開拓する販売努力をしていないからです。要は、売りに行っていないということです。不思議なことに世界に冠たる省エネ電球は日本に普及しているだけです。そんなことでは日本の技術で世界のCO2を削減なんてできません。だから、日本に閉じこもらないで世界をマーケットにする経済戦略、こういうことが必要です。

(2)国際交渉の積み重ね

(図21)
  地球温暖化対策をめぐる国際的な動きを見てみます。どのくらいのタイムスパンで物事を考えればいいかです。
  まず、最初に学者が気候変動は起こっているのではないか、理論的にはあるけど本当に起こっているかもしれないと警告してから条約が発効するまで10年かかっています。次に、第1回目の締約国会議があって、京都議定書が発効するまでも10年かかっています。現在、2013年以降の国際枠組の交渉が行われていますが、交渉がうまくいって2013年に発効したとすると、約8年です。これまでの10年からするとかなり交渉の速度は速い。うまくいけばいいなと思います。しかし、国際交渉がうまくいかなくて発効が遅れたとしても、これまでのことを考えるとそんなに悲観することもないのです。だからといってあんまりゆっくりしていてもいけない。こういう時間感覚で考えればいいのではないでしょうか。
(図22)
  気候変動枠組条約は、1992年のリオサミットで署名式をしました。条約には、一応全締約国の義務が書かれています。目標も書かれています。「温室効果ガス濃度を気候システムに対して危険な人為的干渉を及ぼすことにならない水準に安定をさせる」ということです。目標は濃度なのです。温度ではありません。だから、2℃で、450ppmぐらいかなという議論が出てきますが、これが条約の目標です。
  そして、誰が目標達成のための行動をするか。これについては、「共通だが差異のある責任及び各国の能力」に従って対策を取ることになっています。
  損害賠償では、例えば先程の四日市のコンビナートと喘息のケースでは、煙を出していた企業の連帯責任になりました。それらの企業責任の内部配分は寄与率で分けるということが、きっと公平なのだと思います。しかし、寄与率で配分したとしても、世界には豊かな国と貧しい国があります。幾ら裁判所から判決をもらっても、相手にお金がなければ出てきません。だから、被害者の損害を填補するという観点からは、資力のある人にお金を払ってもらわなければならないわけですね。削減する能力、技術がない人や国に対して、いくら「おまえの責任だ」といってもCO2は減っていかないし、CO2によって起こる今後の気象被害に対する適応対策はできません。したがって、問題解決には、責任と能力の両方が必要だということになります。
  中国やインドを含め、すべての国にとって必要なことは、それぞれ自分の国からどれだけの温室効果ガスが出ているかどうかを報告し、温室効果ガスを減らす、あるいは被害に対する適応を含む計画をつくるということです。2013年以降の交渉では、中国、インドは、このような自主的な削減、適応対策を具体化する形で次の交渉に臨んでくるでしょう。今年国連のサミットなどでの胡錦濤さんのスピーチなどを聞いていると、今後中国はどんなことをやってくるかということは大体見えてきますね。義務的な削減は引き受けないけれども自主的な削減は行う、その中身をこれから中国は具体的に出してくると思います。
  それから、附属書T国、ロシアを含む先進国の義務についてです。これは途上国が主張する京都議定書の改訂につながっていくわけです。国際交渉は積み重ねです。白紙でやっているわけではない。条約では、「2000年に90年比プラスマイナスゼロ」すなわち2000年までに温室効果ガスの排出を90年の水準に戻すという努力目標が、条約に書いてあります。条約の努力義務の目標が達成できないので、京都議定書の交渉に移っていくわけです。
  それから、途上国が、先進国に対して「金を出せ、技術をよこせ」と主張していますが、このことについても、OECD加盟国は資金供与と技術移転を行うということが条約に書かれている。
(図23)
  京都議定書は、これらの積み重ねの上に存在しているのです。先進国の条約上の目標は、2000年にプラマイゼロという努力目標でしたが、10年延ばして、2010年の目標は、プラマイゼロはないでしょう。こういうことで、目標年を10年延ばす分、先進国の削減目標は5%だということになった。これでも、この時はまだ緩やかなのですね。10年で5%というのは「100年で50%削減」という感覚であったのです。「世界全体で50%以上の削減、先進国は80%の削減」という現在からみると、相場観としては、今考えると緩やかな方です。経済界の方々は、「90年を基準にしていることがEUに有利で日本に不利だからけしからん」と言われるんですが、国際交渉の経緯から言えば、条約では「90年基準で2000年、0%」と書いてあったものが、「目標年が10年先になるので、削減目標は5%だね」ということなので、基準年が1990年であったことは、交渉上は至極当然のことなのです。
  当時の日本の交渉ポジションを子細に読んでみていただきたいと思います。当時の交渉ポジションは、このような経緯を踏まえて「基準年は1990年」としていたのであって、「基準年1995年というのはけしからん」というのは後知恵なのですね。基準年を変更しようというなら、その時の交渉ポジションの議論の時に言うべきです。
  京都議定書の削減目標は、最終的に日本−6%,米国(未批准)−7%,EU−8%となりました。目標年は2010年と特定の年に決め打ちすると、この年に何が起こるかわからないので、2008年〜2012年の5年間のスパンで考えましょうということになりました。この年に大洪水になるかもしれないし、原発が大地震でとまるかもしれないので、1年だけだと危ない。こういうことで5年間になったわけです。6、7、8の削減目標の数字は会議場で決まったわけではありません。各国の代表は京都の国際会議場にいたのですが、最終交渉は、総理大臣・大統領の電話交渉で決まったのです。当時の首相は橋龍さん、アメリカはクリントン・ゴアチーム、EUは誰に電話をしていたのかわかりませんが、EU議長、当時はフランス、ドイツ、イギリスという有力な3カ国とEU議長でEUを動かしていましたから、そこと電話交渉をして、6、7、8という数字を決めたのでしょう。京都の国際会議場には、首相官邸から「日本は6%削減だ」というお話が来たわけです。
  京都では、最終判断は、それぞれの首脳が電話で交渉しながら決めた。ということなので、今回のコペンハーゲンでのCOP15も、今度は胡錦濤さんも温家宝さんも入ってくるでしょうが、きっと最後は首脳が交渉することになるだろうなと思います。国際交渉というのはそういうものです。
(図24)
  京都議定書の意義については、いろいろな議論がありますが、先進国の率先した取り組みという条約上の原則を具体化した「小さいけれども大きな一歩」です。先進国が5%削減した程度では温暖化はとまりません。そんなことはわかっているのですから、そのことをとらえて、「日本や先進国が京都議定書を守っても地球温暖化防止に効果がない」、「だから、日本は京都議定書を守らなくてもいいのだ」という議論をするのは、筋が違うのです。最初の一歩を踏み出さなければいつまでも対策は進まない、こういう意味で、「小さいけれども大きな一歩」だと思います。地球温暖化を防止するには、世界の排出量の増加傾向を減少傾向に転換させ、排出量を半減し、その後も2℃目標を達成するための温室効果ガスの更なる削減をするというように、当然時間がかかります。しかし、京都議定書によって排出量の目録作戦などのインフラの整備、京都メカニズムの整備、温室効果ガス削減技術などが進みました。問題は京都議定書の第一約束機関の次です。この小さな一歩の次をどうするかです。
 
(3)条約の究極目的を追求する

 もう一度目的に戻ります。
(図25)
  国連気候変動枠組条約第2条は、「気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすこととならない水準において温室効果ガス濃度を安定化させる」という究極目標が規定されています。ここで注目されているのが生態系と食料と経済開発です。
(図26) 
  バリのCOPでも議論されて、コペンハーゲンのCOPでも考えられている数字は、IPCCのシナリオに基づいています。今年のG8サミットもこれをベースにしています。G8サミットでは、目標の気温上昇は産業革命から2℃以下としました。カテゴリーTのシナリオが2℃から2.4℃のシナリオで、これを見ますと2050年の世界の排出量は50%〜85%の削減です。温室効果ガス濃度は、概ね450ppm以下ということになります。二酸化炭素は現在380ppm程度ですから、既にカテゴリーTのシナリオの真ん中辺まで来ていることになります。これを見ると、2℃目標の達成は難しいですね。二酸化炭素の排出のピークはと言うと、2000年から2015年となっています。遅くとも2015年と言うと、2013年のすぐ後に来てしまいます。これはもっと難しい。それなら、2020年ぐらいまでには何とかピークを迎えてくれないかなとなります。排出のピークの辺になるとちょっと及び腰ですね。それでも2020年に世界全体の排出量がピークアウトするというカテゴリーUのシナリオになると、2.4℃から2.8℃ぐらいになってしまいます。それでは、いつピークアウトしなければならないのか、それは結構難しい課題です。
(図27)
  次に、先進国の排出削減についてです。450ppmのシナリオを見ていきますと、先進国であるアネックス1の国は、2020年は1990年基準で25%から40%の削減となっています。中国は、今年の6月のボンの事務レベル会合の前に表明したポジションペーパーで、先進国は40%削減をすべきであると言いました。日本は、鳩山政権になって25%削減をすると言いましたが、これは中国の主張には及びませんが、IPCCが示す数字の範囲内となっています。アメリカは2050年83%といいました。アメリカはこの表の450ppmシナリオの2050年の数字を言ったのです。G8では、「2050年に世界全体で50%以上削減、先進国は80%以上」に合意しました。アメリカは80%削減するつもりでいますから、これでいいのです。日本は、その覚悟ができているでしょうか。
  いずれにしても、先進国についての2020年25%削減という数値や2050年80%削減という数値は、IPCCの表の中であらわれている数字を基礎に、交渉や政策の中に主張されているのです。
(図28) 
  対策を講じていくためには目標が必要です。ゴルフをする時にどこにピンが立っているか、どこにカップが切られているかを見ないで打つ人はいません。目標がどこにあるかをまず見定めなければいけないですね。地球温暖化交渉では、今年のG8で、ようやく究極目標についてG8も新興経済国も2度以下ということで合意をしました。
  2℃目標を達成するために大気中温室効果ガス濃度は、どのくらいか。多分、450ppmということを想定しているんでしょうが、450ppmという数値はまだ文書にあらわれていません。そのためにはどのくらいの排出量に抑制しなければならないかということについては、2050年目標で、G8は世界全体で50%以上の削減、先進国は80%の削減で合意しました。中国やインドは、2℃目標についてはイエスと言いましたが、2050年目標についてはイエスと言わないのですね。イエスと言わない理由は推察できます。これは算数の問題なのですが、世界全体で50%削減ということは2000年には先進国と途上国の排出量は概ね半々というところですから、先進国が80%削減ということは、途上国は20%削減という計算になります。
  中国が、2050年に、例えば2000年基準で20%削減できるかということを考えてみます。2000年から2010年までにGDPは2倍、2010年から2020年までにさらに2倍、2000年比較だとGDPは2020年には4倍というのが中国の目標です。2020年には、中国の温室効果ガス排出量は、2000年比で考えても2倍から3倍になっているでしょう。省エネ対策に力を入れてもそのくらいにはなる。そこから2000年比80%削減ということは、2020年から2050年までの30年間で、2000年比200%〜300%という排出量から80%に落とすということになります。先進国が100%を20%に削減するのは大変だと言いますけれども、いかに中国が大変かということもわかります。先進国は中国に対してそれを求めているわけです。しかし、中国がやってくれないと世界が道連れになってしまうということも現実です。日本では、「中国は何もやっていない、先進国だけがやっている」と言います。本当にそうでしょうか。立場を変えていえば先進困が中国に要求している削減数値は、中国にとっては過大な要求ではないかとも思えるのですが、我々先進国は、それを実際に中国に求めているわけです。
  しかし、お互いが喧嘩していても、人類が気候変動による影響を回避できるということにならないので、何とかして温室効果ガスの排出量を減らしていかなければいけない。増加の一途をたどっている世界全体のピークアウトについて、EUは、最近、2020年前にピークアウトすべきだということを言い出しました。IPCCに忠実にいえば2015年なのですが、少し遠慮して2020年以前と言っているのでしょう。
  COP15では、2020年の排出量をどうするかが議論されています。しかし、2020年だけではなく、交渉は究極目標や2050年排出量などの対策全体を頭に置いて進められていくのだろうなと思います。G8と主要排出国は究極目標2℃以下ということを合意しましたから、次は2050年目標です。アメリカは2050年目標を強く主張してきていますから、COP15の交渉には、これも当然入ってくるでしょう。「次期枠組みにアメリカが参加しないといけない」ということは、他の国もアメリカの意見も良く聞かなければいけないということです。アメリカは、各国は2050年目標を立てるべきだと主張していますが、これに反対する理屈はあるでしょうか。ないのではないでしょうか。すると、日本も2050年目標の設定とその実現のシナリオや施策のパッケージを作らなければならないですね。次期枠組みにアメリカと中国を入れることが必須の条件ですが、アメリカが言っていること、中国が言っていること、これをまともに考える、そして、日本は何をしなければならないかということを、考えなければなりません。国際交渉というのは、ひとり勝ちもひとり負けもないわけですから、妥協するところを考えていかないとまとまらないですね。

(4) 動き出した日本の気候変動対策

(図29)
  麻生さんの時の中期目標に関連する資料を見てみましょう。私は、国際的な反応と国内の反応の余りのギャップに驚いています。
  私は、日本の代表団が「2005年比15%削減(1990年比8%削減)」の削減目標数値発表を、ボンの会議場にいて聞いていましたが、会議場の雰囲気はどうかと言うと、発表を聞いて拍手もブーイングもありません。「あ、そうなの」、「まさかこれで終わりじゃないでしょう」ということです。ところが、日本国内ではこの数値がぎりぎりの判断だというわけです。新聞でもそういう大本営発表が流布されていました。「まさかこれは終わりじゃないでしょう。最初の数字でしょう」という国際社会の認識とのギャップが余りにも激しい。日本の発表数値は、真水ベースの数値ですが、国際社会からすれば、「あ、そうか。国内の削減分なんだね。あとは中国やインドから買ってくれるんだね」ということです。中国は先進国は40%削減すべきと言っていますから、40%削減を主張している立場からは、残りの32%は吸収源と海外クレジットになることになります。だから、「8%なの、ふーん、それなら、残りは中国から買うの?」ということです。まさかそんなことはないけれども、そういう感覚ですね。
(図30)
  麻生政権は、1990年比8%削減がいかに大変かを一生懸命言うために、各世帯に民間設備投資、可処分所得、光熱費負担の面でたくさんのお金の負担がかかりますよと資料を作って宣伝しました。30%が90年度比25%ですね。鳩山さんが25といった途端に、自民党や経済界は三十何万円もかかりますよ、国民負担が大きいと言いました。メディアも洗脳されていましたから、貧乏になっちゃうじゃないですかというキャンペーンをやるわけです。それについては「本当なの」と言いたい。
  昨日か一昨日に新聞に載ったことですが、実は所得が上がるのだということがわかったという記事がありました。「わかった」というよりかは、実は、資料を子細に読んでいればこういう数字が出てくるのは当たり前なのです。2005年の可処分所得は479万円です。経済成長を見込んでいますから、479万円が591万円になります。8%削減だと479万円が587万円になります。これが25%だと479万円が569万円になります。つまり大幅削減をすると可処分所得は小幅の場合に比べて減少するのですが、2005年の所得である479万円から減少するわけではない。自民党は同時に所得を100万円上げると言っていたのですから、当然です。2020年には可処分所得は約100万円上がるのです。経済成長率1.2%から1.3%を見込んでいますから可処分所得も上がるに決まっているわけです。上がった部分から負担分が幾らかと計算して引いていくわけです。
  ところが、麻生内閣は、今の所得から30万円下がるという錯覚を起こさせる国民負担キャンペーンをやったのです。何故錯覚を起こさせるキャンペーンを展開したか。できるだけ、削減したくないからです。
(図31)
  もう1つ、麻生政権下での検討で重要なのはモデルの前提です。これは物すごく厚い資料の中のわずか1ページにしか書いていません。日本のCO2の排出量は、電力と鉄鋼の2つの業種で40%を超えます。残りは60%弱です。
  計算の前提として、大量にCO2を出している電力と鉄鋼の排出削減努力を最初に決めるんですね。発電所からの排出量を減らすためには、原子力発電所です。多少再生可能エネルギーなんか入りますが、それは電力会社の責任であります。まず電力会社の守備分野は表の内容で固定します。鉄は1億2000万トンを確保します。この量を前提として計算します。つまり、CO2排出の40%強を排出している2業種の排出削減努力をまず固定してしまうわけです。その後、日本としてどれだけ削減するかの数値は、残りの50数%の排出をしている部門で深堀をしていくわけです。だから、削減を深堀していけばしていくほど、家計にしわ寄せがくる。しかし、電力と鉄は削減努力が固定されているから、日本の削減率が深堀されても影響はない。こういう計算になっている。
(図33)
  なぜ、このような前提を置いて計算したか。これを見れば、麻生政権にどこが一番影響力を持っていたかがよくわかる。鉄と電力です。ところが、政権交代によって政治は動き出しました。3党の連立合意で、低炭素社会構築は国家戦略だ、温暖化対策の基本法の速やかな制定を図るという合意がなされました。鳩山さんはこれに加えて、具体的にキャップ・アンド・トレード、フィードインタリフ、地球温暖化対策税、この3つの法律をつくり、あらゆる政策を動員すると、何回も言っています。
  その3つの具体的な施策が導入されると、国内での削減の分担がどうなるかというのはこれから検討されるでしょうが、これまでの日本の政策が電力については配分後の排出量を計算し、電力からの排出量は6.何%ぐらいしかないということになっていました。ところが、キャップ・アンド・トレードを導入することによって、電力からの排出は排出源である発電所から排出されるCO2量で見るということになります。つまり、各家庭やビル・工場など電気を使っているところでCO2が出ているという計算ではなく、発電しているところでCO2が出ているという計算になる。だから、発電所からは33%が出ているということになる。それから、フィードインタリフを本格的に導入すると再生可能エネルギーによる発電を電力会社自らがするようになる。そうするとスペインやドイツのように再生可能エネルギーが、政策によって大幅に増える可能性があります。シャープの株が上がるとかいう話もあるかもしれませんが、ドイツでQCELLが一気に伸びたような新しい会社もできるかもしれません。政策の総動員ということによっていろんなことが変わってきます。
(図34)
  私は、自立した気候変動対策を本当につくる必要があると考えています。中国がどうだ、アメリカがどうだというのは、1つの前提で考えなければいけないですけれども、アメリカがこういったら右、左いったら左ということではなくて、世界の情勢を見て、世界が、あるいは文明がどういうふうに転換していくかを見極めることが大切だと思います。他が削減することを前提として日本はこれだけ削減するというのではなく、日本は、もちろん、いろいろなリスクがあるということを考えたうえで、自立した気候変動政策をつくってほしいと考えています。既に民主党の法案と自公の基本法は出ていますので、これを見ながらつくれば基本法はある程度できるでしょう。
  究極目標と2050年目標はやはり明確にしなければならない。基本法の中では究極目標が当然議論されるでしょう。議論しなくてもアメリカの圧力が来ます。それと、国際交渉での目標25%は、国内での正味の削減量と吸収量と海外クレジットの合計です。正味の削減量はかなりいけるでしょう。吸収量はわかりません。それから、海外のクレジットです。
  日本を低炭素社会に作り変えていく上で一番難しいのは、スマートグリッド、分散型電源、送電網の開放の実現です。今の変化はITの新しい会社が出てくるプロセスと似ています。アメリカでは、これは第2のIT革命に擬せられています。欧米でも分散型電源、送電網が進行していく。日本も、このことができるかどうかが鍵ですね。
  それから、自動車産業はどうなるのでしょうか。2050年には、ガソリンや軽油で自動車が走っているとは到底思えません。そうすると、自動車産業はエレクトロニクスの会社になっているんだろうか。パナソニックやNECが主要な自動車メーカーになっているのだろうか、全く違う会社が自動車をつくっているかもしれません。オバマ政権がやっているスマートグリッドを含めた分散型電源の革命というのは、プラグインハイブリッドと一体です。いつまでもハイブリッドではないでしょうから、プラグイン電気自動車にいつ転換するかがポイントになります。日本の自動車会社も、アメリカの戦略に対応して転換の時期を見誤らないようにしないとアメリカのマーケットで車が売れないということになると思います。アメリカは建物の省エネルギー化、カーボン・ニュートラル化にも非常に意欲的ですね。
  また、日本には、海外クレジット獲得と海外投資を結びつけていく戦略がありません。日本の経団連は、海外クレジットについて「クレジットを買うだけで国富が海外に流出する」と言っています。しかし、中国やインドを次の枠組みに入れなければいけないのに、海外クレジットなしで中国やインドを枠組みに入れることができるだろうか。例えば、25%削減を全部国内でやりますと国際交渉の場で胸を張って言ったとします。それはそれで素晴らしいことですが、中国やインドには何のメリットもありません。現在、CDMクレジットの半分は中国で、3分の1はインドです。CDMは中国やインドにとって、メリットを与えています。それもクレジットを買ってくれるだけではなく、先進国から投資が来るということを期待します。欧米は「投資のチャンス」と考え、日本は「国富の流出」と言う。いかに議論がかけ離れているか。日本も、海外クレジットを考えた投資戦略をつくっていかなければいけないですね。しかし、ここは本当に日本の弱いところです。

(5)日本にかけている政策のピース
 
(図35)
  日本の政策に欠けているピースは何か。第一は、途上国の巻き込みのためには海外クレジットは不可欠です。インドは、「先進国は、温室効果ガスを減らす責任がある。日本は25%でも40%でも、とにかく厳しい目標を立てるべきだ。日本は限界削減費用が高い。そう言うなら、40%全部インドでやればいい。お金と技術を持ってインドに来てください」と、公然と言います。「限界削減費用が高い。それは何の障害になるのですか。インドで全部やってくれればいいじゃないですか。それで何か問題がありますか」という人たちを相手に交渉をしているわけです。
  欠けているピースは何か。第二は、技術を急速に普及させるための革新的な制度です。日本は今まで技術は優れている、革新的技術も開発しなければならないと言ってきた。でも、本当に技術そのものがカギとなっているのだろうか。既に実用化されている技術でも、どうして日本では普及しないのだろうか。日本ではとにかく実証試験です。でも、実証試験を継続することが仕事になっていないだろうか。実用化してしまうと、実証試験をやっている組織は仕事がなくなるから、いつまでも実証試験をやっている、そんな気さえします。
  電気自動車についてですが、2年前、イスラエルの環境大臣が環境省に来ました。「日本には助かっています。日本のおかげです。イスラエルは2012年から電気自動車を実用化します。日本のおかげです」「えっ、日本は実証試験の段階ですよ」「いや、イスラエルでは実用化するのですよ」。イスラエルの実用化を事業化したのがアメリカのベタープレイス社です。日本にも会社をつくっています。ルノーの車体と日本の日産とNECの電池、インフラはベタープレイスがやる。イスラエルの政府と交渉してもう実用化です。イスラエルの大臣に「日本の電池技術のおかげです」とお礼を言われてしまったのです。
(図36)
  結局、技術はあっても、それを実用化するというシステムや制度ができない。つまり、革新が必要なのは技術というよりも制度ですね。「キャップ・アンド・トレードは嫌だ、フィードインタリフは嫌だ、税も嫌だ、あれもこれも嫌だ。嫌だ。嫌だ。」と言っているから、シャープはQCELLに抜かれてしまう。あっという間に抜かれるのです。ヨーロッパではソーラーも急速に普及しています。風力も日本のメーカーは、技術はあります。あるのですが、日本では商売できないからアメリカで売っている。
  どうして日本の技術が日本で普及しないのか。水ビジネスも同じですね。シンガポールの人が、「日本の技術は本当に素晴らしい。しかし、日本はシステムをつくる能力がないから、私どもが売ってあげますよ。」と言っている。日本の技術は素晴らしいが、商売としては納入業者ですね。ごみも同じです。焼却炉は素晴らしいです。でも、焼却炉の納入業者です。ごみのシステムを売っているわけではないですね。商売の胴元にはなり得なくて、単なる納入業者のうちの一人になっているというのが今の現実ですね。いろんな場面であらわれています。
  もちろん技術は必要ですが、その技術をどうやってお金にかえていくか、どうやって技術を日本国内で、そして世界に売っていくかが問題なのです。国内でも普及させ、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパ、イスラエル、シンガポールでも売るのです。日本の先端的な技術は、日本でしか売れない技術か、日本では売れず外国でしか売れない技術のどちらか、そんな気がします。
  なぜ国内で普及している技術が海外で売れないか。電球の話をしました。日本の優れた電球をヨーロッパには売りに行かない。そこそこ国内で儲かっているからリスクを冒さない。何故先端的な技術が日本国内で売れないか。電気自動車や風力発電の話をしました。それは先端的技術を普及させない障壁を打ち破る制度がないからです。政権が交代してそういう障壁を少しずつ崩せるのかもしれません。
  日本で普及している先端的技術は外国に行かない。日本では普及させてもらえない先端的な技術は納入業者として外国で売れる。非常に不思議ですね。
 
(6)未来から現在なすべきことを考える

(図37)
  「未来から現在なすべきことを考える」とあります。大きな変化の時代には、これは大切なことです。未来が線形に変化してトレンドで予測できる時代は、現在から将来を予測すればいいのですが、大きな変化の時代には、「未来から現在なすべきことを考えなければなりません。
(図38)
  また、大きな変化を実現する際には、「部門間の公平と世代間の公平」を考えなければいけません。
  キャップ・アンド・トレードを導入すれば、CO2排出量の計算は化石燃料を燃やしているところで計算することになります。その計算で行きますと、部門別のCO2考えると、特にエネルギー部門はこれまで6.4%ということでしたが、これが33.8%になるという実態が明らかになり、エネルギー部門は大きくなります。また、産業部門の排出量も約30%と多いですね。2050年80%削減を実現するには、60%以上の排出をしているエネルギー部門と産業部門、これを何とかしなければいけない。電力を作るための排出を発電所でカウントすることにすると、電気を使っている家庭に排出量は5%弱と極めて少なくなります。電力を使っている家庭やビルでCO2が出ていると計算するのは日本だけです。日本がやっている電力配分後の部門別排出量の表をそのまま海外に示すと、海外では日本はフランスと同じように原子力発電で全部やっているように見えることになります。なぜか。欧米は全部排出源で見ているからです。ヨーロッパでは、電力が国境を行き来します。スウェーデンでつくった電力をドイツは買っています。アメリカもカナダから電力を買っています。だから、発生地でCO2が排出されていると計算して統計をとります。これが国際的な計算方法です。
  もう1つ、世代間の公平を考えなければなりません。麻生政権のように2020年までに1990年比8%削減するという計算なら、2050年までに80%削減するには、後の世代は大変大きな削減をしなければなりません。しかし、京都議定書では、6%削減と言っていますが、国内での削減量は2010年で、0.6%しか削減しない計画になっているのですね。そこで、80%を削減するのに、2020年からは、20%、40%、60%,80%と、10年毎に20%ずつ削減するという数字を置いたとします。20ずつ削減するから公平のようにみえます。しかし、違う数字をつくってみましょう。10年後の人は、10年前の排出量を基準にすると何%削減しなければいけないかを計算します。2020年の人は約20%。2030年の人は、2020年排出量を基準にすると25%削減。2040年の人は2030年の排出量を基準にすると33%削減。2050年の人は、2040年の排出量を基準にすると50%削減です。これが公平ではないという見方もできます。
  今の世代が楽をしていると将来世代は大変なのですが、今の世代は将来には生きてない。だから将来に責任を持たない。こういう考え方もできますし、他方、現在世代は、後につけを回すのではなく、もっと大きな削減をしなければならないということも言えます。

4.次の一歩を踏み出すための課題

(図39)
  理念的には、二つの無責任論があります。時間の関係で、これは詳しく説明しません。何のために気候変動対策を行うか、「Top Down方式とBottom Up方式」についても時間の関係で、説明を省略します。
 
(図40)
  最後に、何故CO2の削減が難しいのかについて、話します。CO2の削減は難しい。つい二の足を踏んでしまうのですね。
  その理由は何か。第一に、産業革命以来の近代化モデルを変革する決断ができない。慣性の法則です。
  これまでこれでやってきたし、これからもこれでいこう。変わること自体が嫌だ、将来を見通せないリスクがある、先送りしたい、こういうことなのですね。でも、やはり経済成長と化石燃料の使用量のデカップリングは不可避です。しかし、実際にはデカップリングのシステムができていないから、化石燃料の使用量が減れば経済が減速する。経済を減速させてまでも温暖化対策をしようという国内の合意はない。できる限り交渉では自分の削減分を減らしたい。こういうことになっている。
(図41)
  なぜ削減が難しいかの理由の第二。目に見えていない危機に対処する決断ができないということです。
  気候変動による甚大な影響は、本当に起こるのだろうか、起こらないかもしれない、起こらないでほしい。だんだん「気候変動の科学」を、「影響が起こらないでほしいという願望眼鏡」で見るようになっていくのですね。だから、対策をしなくてもいいと言ってくれる懐疑論なんか出てくると、そこにすがりついたりする。嫌なことは考えたくない。今で手いっぱいで明日のことなんか考えない。何かあれば将来の世代がやってくれるだろう。これまでの、日本の経済界の主張は、煎じつめればこういうことなのではないでしょうか。しかし、ブッシュ政権の場合は、これを確信犯的、意図的にやっていました。日本の経済界の考えの総本山は、確信に満ちたブッシュ政権だったのですが、今はそれがなくなってしまった。
(図42) 
  最後の第三点は、倫理です。
  温室効果ガスを大量に排出している人は、地球温暖化による影響による被害コスト、つまり行動を起こさないコストを金銭評価しようともしないし、そのコストを誰がどの程度の負担をするべきかということも議論しようとしない。温室効果ガスを大量に排出している人は、そのことによって起きる気象災害で死ぬのは自分ではなく他人だと思ってしまうのですね。だから、自分が負担をしなければならないコスト論議は、極力避けたい。しかし、温室効果ガスの削減対策は、実施を迫られています。その対策を講ずるコストは計算しやすいので、対策コストは大変だという議論が声高にされることになります。
  なぜ、対策を渋るのか。結局、温室効果ガスを大量に排出している国と被害を受ける国、あるいは同じ国の中でも排出している人と被害を受ける人は同じではない。最終的には死ぬのは自分ではなくて他人だというところに行きつくのではないでしょうか。環境庁に入って、公害についてずっと考えてきましたが、先程の四日市の例で、仮にコンビナートの工場長さんや重役さんが四日市の煙が来るところに住んでいて、自分の子どもが喘息で死んだとしたら、工場を操業して煙を出し続けただろうかと考えるのです。実際には、彼らは煙の来ないところに住んでいたわけですが、仮に、自分の子どもが自分の会社の煙で喘息になって死んだとしたら、それでも会社が大切だと考えた出しょうか。チッソも同じなのです。チッソも途中から水俣病の原因を知っていた。では、仮に、工場長の息子が水俣病で死んだとしたら、それでも原因を隠し続けて、有機水源を海に捨て続けていたでしょうか。やはり死ぬのは自分じゃない、自分の家族じゃないというところが、公害を拡大させた根本的なことではなかったかと思うのです。
  気候変動も、根本的には同じで、温室効果ガス排出によって気象災害が起きてバングラデシュの人間が死んでも、死ぬのは自分じゃないから大丈夫だというところが、人の命よりも企業の対策コストを重視する対応になるのではないでしょうか。
  気象災害は大変で、私が子どもの時に伊勢湾台風が来ました。つい最近名古屋を直撃した台風も、伊勢湾台風とほぼ同じコース、同じ威力です。しかし、同じような台風で50年前は5000人死に、現在は、無くなった方はいましたが、十数人とか二十数人とか、そういうことだったのです。つまり、被害を最小限に抑えるための適応能力がいかに重要かということです。同じ規模の台風・サイクロンが来たとして、バングラデシュではたくさん人が死に、日本ではそれほどではない。バングラデシュには、天気予報が十分ではない。避難誘導や避難場所が十分確保できない。昔、伊勢湾台風が襲った時の日本と同じように、備えが無ければ多くの人が死んでしまいます。貧しい人たちが大きな被害を受けるのは、適応能力が備わっていないからという問題もあります。だから、気候変動対策には、温室効果ガスを削減する対策とともに、避けられない影響に対する適応対策も不可欠な対策となってくるのです。
  時間がオーバーしましたので、お話はここまでとさせていただきます。

フリーディスカッション

與謝野 小島先生、ありがとうございました。
  気候変動についてのこれまでの取り組みの軌跡の「トータルレビュー」に始まりまして、今後の取り組み方についての非常に含蓄の深い、また貴重なデータとともにわかりやすい識見等々についてご披瀝いただきました。また、海外諸国とのこの分野に置ける交渉あるいは技術交流についての基礎的な認識のありようについても大変示唆深いお話をいただきました。ありがとうございました。
  それではこの場でのご質問を2〜3お受けしたいと思います。貴重なチャンスでございますので、遠慮なくお申し出下さい。
吉村(グローバルウォータージャパン) 今日は貴重な講演ありがとうございました。先生がシステムの創造の中で、日本は単品の技術開発が得意だけれども全体のシステムが駄目ということでおっしゃっていました。最後に水ビジネスのシステムが、特にシンガポールに全部負けている。これはまさに私今闘っている最中でございます。
  やはり日本の制度が悪いのではないか、ということでしたが、もっとその他にもいろいろ材料があるような気がいたしますので、もう少し示唆に富むような、日本が将来単品ではなくてシステムで世界に出ていくために、例えばこういうふうにしたらいいのではないかというような、道しるべを教えていただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。
小島 日本では、上下水道というのは役所がやっているわけです。水ビジネスの業界では定説になっていると思いますが、ごみでも水のビジネスでも一番大切なのはお金をとることですね。ちゃんと使用料が入る。例えばごみ事業についても、ごみを出してくれる人がお金を払ってくれることが大切なわけです。水を使う人がちゃんとお金を払ってくれるシステムが大切です。水を使ってくれる顧客を開拓して、顧客からしっかりと料金を徴収してくるシステム、これが一番基本ですね。これを日本は役所がやっている。払わないところは強制徴収すればいい。だから、任意に金を払ってもらうというシステムを考える必要がないわけです。
  では、民間企業の役割は何か。日本では、水にしてもごみにしても、業者は役所にモノを納入する仕事をしているわけですね。だから、民間企業も、日本国内で全体のシステム設計ということが全然訓練されない。訓練されないまま外国へ出ていくとノウハウがないわけですから、それはやはりシンガポールのようにほとんど民営化しているようなところには負けます。アメリカのごみのビジネスも同じなのです。料金を徴収するシステムをつくってそれを売りに行くわけです。途上国で一番難しいのは料金をどうやってとるか。そこが一番苦労している。そこのノウハウあるいはシステム運営が一番欲しいところで、そこに金を払う。そういうことだろうと思います。
  それでは、日本でも、水行政やごみ行政を全部民営化できるか。きっと民営化してもうまくいくと思います。ただ、ごみビジネスは特有の問題が日本にもあります。けれども、それは別に外国でも同じですよね。ビジネスとして成長させるという訓練を国内で積んでいれば、そのシステムの動かし方という、途上国にとって一番厄介なところに途上国はお金を払うでしょう。その一番厄介なところについてのビジネスのノウハウを日本で積み上げることになっていないというところが、日本の弱いところなのだと思います。シンガポールには、そのことを言われるのです。シンガポールにはそういうノウハウがあるが、技術がないので日本のすぐれた技術を使わせていただいているのですと。日本は単なる納入業者で、いい技術があれば他の国、他の企業にいつでも乗り換えることができるとも聞こえるのですけれども、それが現実ですね。
與謝野 今の視点など、「胴元にはなれないが、何とか脱皮できないか」ということであると理解しましたが、引き続きご質問はございませんでしょうか。
(潟Aバンアソシエイツ) 今日は大変幅広くいろいろ我々の知らないことをお話しいただきましてありがとうございました。
  もともと環境省にいらしたと承っておりますが、今日お話を承っただけでも、環境省だけでおさまるような話でもなく、今回新しく華々しくデビューされた鳩山さんが国家として取り組むという姿勢でいった場合、各省庁総体として、あるいは国家戦略室、ああいうところが全般にわたってこれを取り仕切っていくとか、そういう方向性でないとやっていけないのではないかという気がします。そのあたりについての現状の対応省庁、それから全体の新しい方向性というのはあるのかないのかというあたりについてご意見をいただければありがたいと思います。よろしくお願いいたします。
小島 政権発足に当たっての連立三党合意の段階では、気候変動政策は国家戦略として取り組むことになっています。国家戦略として取り組むのだから、菅さんのところの国家戦略室でやることになると思うのですが、スタッフが十分ではないということがあって、まだ十分機能しているとは言えない。とりあえず2020年25%削減と宣言しましたから、麻生政権での数字を見直す作業は動き始めたという段階です。しかし、やることはたくさんあります。もっと重要なことは、三党合意や鳩山さんが約束をした制度をつくることです。それは、気候変動の基本法であり、フィードインタリフ、キャップ・アンド・トレード、気候変動税の三つの施策です。
  気候変動税は、当初民主党の中で自動車の暫定税率の話とリンクするのはよくないのではないのという人も結構いるようですけれども、でも、実態的にはやはりそうなる気はします。それぞれ税の理論は異なりますから、厳密に言えばリンクはしていません。課税対象が変わっていきますから。ただし、金額的には、基本的にはレベニュー・ニュートラル、税制中立で大きな税を導入することはいいことなのですから、絶好のタイミングだと思います。税についてはそうおもいます。
  キャップ・アンド・トレードは、日本がやらなくても日本以外はやります。米中は2国間で協議を始めるといって協議を始めています。2国間だけで2013年以降の枠組みをつくるわけではないですが、実はアメリカも中国も同じように「お金でシステムを動かしていく」ということに非常に近い制度感覚を持っています。アメリカだけでなくヨーロッパも含めて中国をキャップ・アンド・トレードのマーケットに引き入れていくのは大きなテーマとなっていますから、日本がいつまでも背中を向けているのはどうでしょう。いつまでも、鎖国をし、攘夷と言っているだけでは、日本は世界から遅れてしまいますし、孤立したシステムになってしまうと思いますね。情報社会なのですから、世界に目を開いてどういうところでお金が動いていくか、ビジネスが動いていくか、それにつれて技術が動いていくかというところを見ていかないといけないし、江戸時代じゃないのだからそれはできるはずです。今、日本は鎖国し攘夷を唱えるよりも、開国をしなければいけないと思います。
河合(樺|中工務店) 1つ伺いたいのは、我々サラリーマン、企業で働いていると、ついつい業績のことが心配です。今後建設産業が縮退していくということはわかっていて、環境のことを考えなければいけないというのはわかっているのですけれども、実際に動いている行動自体はバンバンつくるということを主眼にやっている。海外の事例、先程発電パネルの話が少し出ましたが、民間を環境に配慮した方向に持っていくのにどのようなことが実際にヨーロッパとかで行われているのか、話をいただければと思います。
小島 今日は、話しませんでしたが、アメリカの動向は注目だと思います。
  第一に、キャップ・アンド・トレード法案です。現在法案は下院を通ってこれから上院です。上院はなかなか難しいが、オバマ政権だからやるでしょう。
  第二は、建物のカーボン・ニュートラル化と省エネルギーの目標です。目標の設定が半端じゃない。最初に新築から始めるのですけれども、オバマ政権が2期8年続くとして、オバマ政権の政策を実行に移すと、アメリカに膨大な改築需要が起こるはずです。新築よりも既存の建物の方が圧倒的に多いですから。エネルギー効率基準を段階的に設定してエネルギー効率をどんどん高めていく、それを前倒しでやった者に補助金を出していく、そのお金は排出権取引のオークション収入で賄う、こういうシステム設計となるでしょう。
  アメリカの排出権取引の基本はオークション方式です。オバマ大統領は、当初から100%オークションを採用すると言っていましたけれども、今の法律は15%オークションから始まって2020年代半ばには100%にするという考えです。このオークションの収入というのは何十兆円という金額になります。そういうお金が送電網の開発や、建築の助成制度に回っていくわけです。電気自動車の開発にも回っていくでしょう。日本だと大きな額の財源の議論がでるとすぐ消費税の話になってしまいますが、アメリカのキャップ・アンド・トレードのオークション収入は莫大です。だから、このシステムが動き出せば、アメリカで省エネルギーやカーボン・ニュートラルの建築技術、改築技術ができてきて、それがオバマ大統領の言うように世界を席巻するかもしれない。アメリカの政策がうまくいけばですが、結構おもしろいことをやっていきますね。
與謝野  それでは、時間が参りましたので、皆さんにおかれましてはご熱心にお聞きいただき、またご質問いただきまして、ありがとうございました。また、小島先生におかれましては、これに対して真摯にかつ大変に含蓄深い知見の数々とともにご丁寧にご説明いただきまして、ありがとうございました。
  最後に皆様から大きな拍手をお贈りいただきたいと存じます。(拍手)
  ありがとうございました。                                   


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