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日建設計総合研究所 
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第27回NSRI都市・環境フォーラム

『まちづくり市民事業の可能性』

講師: 佐藤 滋 氏    

早稲田大学理工学術院教授、都市・地域研究所所長・日本建築学会会長

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日付:2010年3月24日(水)
場所:日中友好会館

                                                                            
1. まちづくり市民事業とは

2. 社会的企業の勃興

3.イタリアでの社会的協同組合による先端の動き

4. 地方都市での試み

5.市民事業による中心市街地再生事業の連鎖

フリーディスカッション

 

 

 ただいまから第27回都市・環境フォーラムを開催させていただきます。本日は、お忙しいところ、また、雨の中、お越しくださいまして、まことにありがとうございます。
  本日のご案内役は、私、日建設計広報室の谷礼子でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、本日のフォーラムは、ご案内のとおり、日本建築学会会長でいらっしゃり、現在、早稲田大学理工学術院教授、都市・地域研究所所長でいらっしゃる佐藤滋先生からお話をいただきます。
本日は、「まちづくり市民事業の可能性」と題してご講演をいただきます。佐藤先生は、長年にわたり、市民参加によるまちづくりに取り組んでいらっしゃいます。詳細につきましては、お手元のレジュメのとおりでございます。
それでは、早速ご講演をお願いしたいと思います。皆様、盛大な拍手で先生をお迎えくださいませ。(拍手)

佐藤 皆さん、こんにちは。今日のこの講演の日取りは大分前に決めました。今になって考えてみると、とんでもない日に設定したと思います。私は大学にいますので、3月中ぐらいでいろいろなことが終わって、この時期になれば、大分体もあくということで設定しました。年度末の押し詰まったところでおいでいただきまして、本当にありがとうございます。
 今日は「まちづくり市民事業の可能性」ということでお話ししたいと思います。「まちづくり市民事業」という言葉は想像がつくと思います。まちづくりの中で市民が担い手になって行っていく事業ということです。ただ、私もそんなに長いことこういうことを検討しているわけではありません。季刊「まちづくり」という雑誌がありますが、そこが2009年の1月号に、まちづくり市民事業論序説、特に、地方都市のまちなかの再生にこういう事業がどのように今展開しているかという特集を組みました。
 こういう言葉を使っていろいろな動きを再定義してみる、整理してみるといろいろなことが見えてくると思います。今日は、経験豊かな皆様方、特に今日は民間の方が多いと思いますので、僕の話は、そういう立場から見ると、多少甘いのかもしれませんが、是非コメント、助言をいただければと考えています。
(図1)
 広い意味での建築、すなわち構築環境(ビルトエンバイロンメント)の多くの課題を抱えたまま、従来型の需要は急速に減退しつつあります。しかし、高齢化、防災などの問題がある。特に首都直下型地震は30年のうちに70%の確率でくる。また、長周期の地震動が東京を襲う。これは東南海・南海で地震が避けられない状況になってきています。地球環境の問題もあります。とにかく問題は山積しているわけです。そういう中で、公共事業、民間事業、公共セクターとありますが、我々が例えばまちづくりで公共と話をしても、自治体が直接そういうものに乗り出すのは非常に難しい状況になっている。
 あるいは民間でも、多くの問題を抱えている東京で、防災まちづくりを民間事業としてやっていけるかというと、とても採算が合わない。だからそこが抜け落ちてしまう。地域の実需はあるけれども、なかなか市場に乗ってこない。
 そういうものを掘り起こして、地域循環型の経済を推し進めるまちづくり市民事業というものをイメージしてみようと考えました。その可能性を事例で検討してみましょうということです。
 1から5までの構成でお話をしたいと思います。1(まちづくり市民事業とは)、2(社会的企業の勃興)、3(イタリアでの社会的協同組合による先端の動き)のあたりは軽くさらいますけれども、4(地方都市での試み)では、地方都市で行われているいろいろな事業を紹介します。まちづくり市民事業を考えた時に、まちづくり市民事業の定義がされていて、やってみようということではない。こういうものが見えてきた、徐々に見えつつある、そういう目で見ると定義が見えてくるということだと思います。そういうふうに見えてきているものを5つの類型に従ってお話ししたいと思います。
 特に地方都市の問題を取り上げます。地方都市ではいろんなことが取り組まれている。そういうことをもとにして、市民事業による中心市街地再生事業の連鎖的なものがどのように組み立てられ、見えているかということをお話ししたいと思います。

1.まちづくり市民事業とは

(図2)
21世紀初頭の新しい時代状況です。これはいうまでもないことですけれども、歴史的なパラダイムの変換があって、特に一番下のところ、公共セクターと民間営利セクターの限界の部分、限界というよりそこから抜け落ちてしまう問題、そういうものが重要なものとしてある。
鳩山総理も、新年の所信表明で、「新たな公共」ということを言いましたが、新たな公共や担い手が登場してきました。私は、それに支えられている社会を地域協働社会という言葉で表現しています。地域がともに働いて支える社会である。
それと、今日お話しするまちづくり市民事業と地域協働社会は、どっちが先でどっちが後でとはなかなか言えないわけです。まちづくり市民事業を少しずつ進めることで、地域協働社会の実態が見えてくるし、あるいは地域協働の社会の中からまちづくり市民事業を生み出そうとしています。
(図2)
こんな構図を私は描いています。まちづくりを取り巻く21世紀社会の構図ということで、1つはグローバリゼーションへの志向、地域性への志向というものがある。横軸に存在論的な世界。現実にあるものをちゃんと認めていこうという志向。これは人によっていろいろあると思います。もう1つは、合目的的な世界観がある。市場経済の世界システムがここにある。これがどんどん大きく成長していって、存在感を増している。ただ、限界が最近は見えてきている。こちらには、地域性に志向して、そこにあるものに価値を見出そうというものがあり、地域共同体や、狭い意味でのまちづくりがこういうところにある。
この2つは、対立軸と書いてあるけれども、対立するまでもなく、完全にすれ違っているという中で、ここから抜け落ちてしまうところが大きな問題としてあります。 ここで、協調軸。ここの部分とここの部分はないのかということです。ここの部分とここの部分にきちっとしたものが見えてくると、この2つは協調できて、しかも全体として次の21世紀の社会をつくっていけるのではないか。存在論的な世界観を持ちながら、グローバリゼーションを志向する。その対角線上にはボランタリーな地域経済の生成が位置する。 まちづくり市民事業というのは、ここのところに生まれてくるものだろうと。地域性や場所性は志向しますが、合目的的な世界観が基礎にある。収益を上げるような事業、それも地域の中で循環をさせて、そして社会に対して再投資をしていく。社会的な使命を担った事業、しかもボランタリーな地域経済として生まれてくる。ここにはNGOやNPOのネットワークがかかわっている。この2つは対立しないで協調的な関係にある。こういうところに存在感が出てくると、この辺のところともいろいろな関係が出てきて、ソーシャルビジネスや世界市場の中で社会的な事業を展開する主体があらわれてくる。まちづくりとNGOやNPOの関係も出てくる。こちらももちろん協調的な関係になってくる。企業のCSR活動みたいなものも出てきて、こちら側との調和的な関係が出てくる。こういうものがきちっと存在することが価値観として重要ではないか。
(図3)
 地域社会を支える仕組みとして、これは私も昔から書いている、使っているものですが、行政、住民、企業があって、その中にNPOやいろいろな中間的な組織が出てきた。こういうものが担っているわけです。自生的にいろいろなものが出てきていますけれども、そういうものはどんなふうに地域社会を担っていけるのかというのが大きな問題であろうと思います。こういうものを社会の中にどういうふうに本格的に位置づけて、担い手として組み立てていくのか。
(図4)
 地域協働社会の運営や共治の仕組みがいろいろな形で出てきています。多主体による共治のまちづくりシステムが徐々に見えてきているわけです。市民セクターや中間組織、まちづくり会社、公益法人などは、今や、ある意味ではやり玉に上がっていますけど、本来的な意味では公益法人というのはこういう時代において実に重要な役割を担うわけです。 地域福祉や中心市街地再生、農村との連携、こういうことを本格的にやっていこうとすると、新しい地域社会の仕組みが必要になってきて、コミュニティビジネスやワーカーズコレクティブ、社会福祉法人、生まれ変わった社会福祉法人あるいは社会福祉協議会、協同組合などが、いろいろな役割を担う可能性が大きい。こういうものを総称するものとして、社会的企業、ソーシャル・エンタプライズという言葉もが使われていて、こういうものも新しい公共の担い手として、しかもNPOとは違う、事業を直接やって収益も上げて、でも、それを社会に還元していくという主体、こういうものもあらわれてきている。
(図5)
 それから、多様な地域運営の布陣で、地域運営をどのように進めていくかということが重要です。まちづくり協議会や決定組織がありますけれども、そういう組織は、これまで、いろいろな経験を今まで積んできた。フォーラム、アリーナ、プラットホーム、パートナーシップ。それぞれが、役割を担っていく。フォーラムというのは情報交換です。アリーナというのは協議して決定する。プラットホームは事業を生み出す。狭い意味でのパートナーシップは事業を行う主体。そういうものがそれぞれ地域運営の中で見えてきている。こういうことの条件の中で、地域協働によるまちづくり市民事業というのは生成してくると見るわけです。
 まちづくり市民事業とは何か。地域社会に立脚して、市民による協働の組織による、地域の資源と需要を顕在化することによって進められる自立したまちづくり事業の総体。だから、市民の協働、地域、資源、需要を顕在化すること。自立している。こういうものをまちづくり市民事業と私はいっています。
(図6)
  これは仮定のシナリオですが、市民事業はどう現れてくるのかを考えました。3つのことがいえると思います。地域協働のまちづくりの中核となるのはまちづくり市民事業である。それは現代社会のさまざまな問題への対応として登場したもので、地域再生の担い手となる可能性がある。これは1つの仮定ですね。それから、まちづくり市民事業というのは、いろいろな試行錯誤の結果、中間セクター、サードセクターといってもいいと思います。社会性のある事業という一般的な意味。まちづくり市民事業というのは、言葉の上ではそういうことで終わってしまうと思いますけれども、そうではなくて、まちづくり市民事業は、多主体の協働と連携によって実行されていく。ですから、広がりがあるということです。つながりがあって、広がりがあって、地域の中に展開していく。これらの多様な実験的な試みによる可能性をより拡大していく。それは地域を運営する仕組みになっていく。単なる事業を1つやるということではなくて、その事業が多様な主体が組み合わさることによって、地域社会全体を運営するとか、あるいは計画の主体、計画を実行する主体、そういうものを構成する可能性が見えてきて、それを拡大するのが当面の目標です。そういうことの中から次の制度設計が見えてくる。  こういうことを一昨年の暮れに書いたわけです。この1年間は、社会的、政治的な激動があって、そういう中でこういうことが見えてくるのか、ということです。施策の中では「新しい公共」という言葉が言われているわけですが、政治家の口から施政方針演説でいわれるということは、非常に大きな変化だと思いますし、「地方分権」という言葉ではなくて、「地域主権」という言葉がいわれるということも非常に大きなことです。ですから、そういう可能性を拡大することによって制度設計が見えてくるだろうと思います。  まちづくり市民事業を核として、その連携によって市民事業を再生するプラットホームとしての地域運営があります。1つの事業をやって次から次へと、連鎖する。そういうものが見えてきて、プラットホームとしての地域運営の布陣が形成されつつある。この布陣が地域における柔軟な事業展開を連続させるモデルとなる可能性が見えてきている。こういうふうに読むわけです。  そういう可能性を雪だるまのように拡大することによって、先ほどの右の下にあった部分が大きくなって、それが地域社会を運営していくということになってくる。

2.社会的企業の勃興

(図7)
地域協働社会、こういうものが21世紀の社会だとすれば、何を準備するのか。ヨーロッパやEUでは、連帯経済や第3の道、チャリティー、伝統的な協同組合の革新、公共部門の切り離しなど、広い意味での多様な社会的企業が勃興しているといえます。そういうものの存在感が非常に大きくなってきている。でも、それはEU全体で何かということより、それぞれの地域、国の政治社会的な状況、経済的な状況、歴史的な状況の中からいろいろな形の社会的な企業といえるものが見えてきている。こういう研究がEUの中ではやられるわけです。  アメリカではCDC、NPOなど、社会的ミッションを拡大させる企業、つまり、企業的NPOとかNPO的企業というものが存在感を増している。これがアメリカ社会の中でどのくらいの力を持っているかというのは、いろいろな議論があると思いますけれども、最先端のところでいろいろな取り組みをしていて、大きな存在感を持っている。    それでは、日本はどうか。日本の中にも伝統があるのか。何もないところでいきなり制度をつくって、ポーンと物をつくったからといってそれが動くわけではない。  まちづくりという言葉は非常に広く使われています。日本建築学会の中で、まちづくり支援建築会議というのがあります。その中で教科書を10冊つくりました。「まちづくり教科書」という本です。10冊の本にいろいろなテーマがあります。この言葉が非常にあいまいに使われているので、これをきちっと定義をしてやりましょうということで本をつくりました。これは割と売れている本なので、よろしければ見ていただきたいと思います。 70年前後からまちづくりということが盛んにいわれてきている。今これを振り返ってみると、まさに時代を画するような思想、当時でいっても、地域主義とか参加と分権、環境的な問題への志向とか、いろいろなことがこの中からいわれてきて、そういうものが出てきていると思います。  それから、再開発や区画整理事業は下手をすると、大変な批判にさらされているわけですが、実は、関東大震災のときに新しい都市計画の仕組みを実験的につくって、その中で区画整理事業は、権利の変換など非常に複雑なものを事業組合をつくってやっていくということで生まれました。再開発事業などもそうです。これは権利を共同でつくり、交換をしていく。まさに協働の精神ですね。そういう事業組合のような伝統もある。それから、商店街振興組合、社会福祉法人、協同組合、NPOの台頭、中間支援組織、いろいろなものが見えてくる。でも、これがバラバラにあってなかなか組み立てられない。ですが、新たな公共とその担い手としてこういうものを再定義して、全体としてどんなふうに組み立てていくのかということを考えていくと、次のものが見えてくるんだろうと思います。
(図8)
社会的企業、ソーシャル・エンタープライズが見えてきています。EU域内にどんな社会的企業があるかというのをまとめて、理論化した本が2001年に発刊されました。これは非常に影響力があったと思います。  ただ、社会的企業という言葉がそんなにポピュラーな言葉かというと、そうでもなくて、私が都市計画や建築の専門家に、「あなたの国のソーシャル・エンタープライズはどうなってますか」と聞くと、「そんなものはない」と答える人も結構います。普遍的なものではないけれど、最先端の動きの中で、社会的企業というものが位置づけられている。ソーシャル・エンタープライズは、EUの存在感、EUにおける基本理念のようなものを持っているんだと思います。要するに、国境を外して、都市や地域がそれぞれ自立して、ネットワークして連携していくという社会の中で、社会的ミッションの担い手になるのは、国家やグローバルな企業ももちろんありますが、都市を構成する市民の組織もあります。地域を構成する社会的なミッションを持った主体というものが重要になってきます。  日本でも社会的企業についての本がたくさん出ています。でも、政府ではなかなかこの言葉を使っていなかったと思います。つい最近、2月になって公募した、補正予算でやったものだと思いますが、内閣府の地域社会雇用創生事業というのは始まりました。非常に大きなお金が動くわけです。この中に、社会的企業の支援基金の造成が目的として書かれています。今、社会的企業は、政府の非常に大きな施策の中にも明確に位置づけられています。  10の組織だったと思います。NPO等と公共、自治体などですが、大体はNPO等が採用になったと思います。グラウンドワーク三島という、三島の源兵衛川の河川の再生に取り組んだ、日本で初めてグラウンドワークという言葉を使ったNPOがあります。ここが採択になっている。ここではどんなことをいっているかというと、本事業を通して、地域レベルの草の根ネットワークを最大限に活用した研修人材の発掘、研修先、NPO、社会的企業の支援を図ってまいります、ということです。社会的企業というものを推し進めていこうということが、いろいろなところで、最先端の施策レベルでも出てきたと思います。

3.イタリアでの社会的協同組合による先端の動き

(図9)
まちづくり市民事業ということをいい出したので、ヨーロッパで具体的にどういうものがどんなふうに動いているのか、最新の動きを見に、イタリアに去年行ってまいりました。おつき合いしている大学、研究者、実務家がいますので、イタリアの社会的協同組合のことを見てきました。いろいろなところでこういう動きは紹介されていますけれども、基本的に、改めて再認識したのは、ヨーロッパというのは安定的な社会的な制度があって、それによって支えられていて、プランナーや建築家は、何かことをやろうとしたときに非常に恵まれているということです。都市計画など恵まれている。それに引き替え、日本は制度も何もないので、無駄な努力もしなければならない。それはそれで面白いよといういい方をしていたわけですけれども、制度的に恵まれている一方で、イタリアでも極めて新しい動きを自らつくり出していこうと取り組んでいるということが非常に印象的でした。  イタリアの社会の中では、協同組合というのは存在感を持っているわけです。コープですね。1991年の法改正で従来の協同組合とは別に、地域の普遍的な利益を実現するための社会的協同組合というものを位置づけた。これは革新系だけではなくて、キリスト教団体が一緒に推進した。そういう意味で地域の普遍的な利益を実現するということです。  協同組合というのは、組合をつくって、利益を得て、それを配分してもいいわけです。この社会的協同組合というのは、利益を上げてそれを社会的に再投資をする。2つのタイプがあるんだそうです。質の高い社会的なサービスを供給するものと、労働の参画、要するに、マイノリティー、社会的な弱者を雇用するというのがあって、これがいろいろな形で公的な支援等の中で意味を持ってくる。  イタリアには、多様な社会的ミッションを持った社会的協同組合が生成をしていて、障害者の福祉、農村と都市との交流、スローフードなんかはまさにそういうものです。それから、地域再生、住宅、そういうところで随分頑張っている。それから、もともとあった協同組合からスピンアウトして、新しい実験的な取り組みをする組織をつくり、それからそれがネットワークしていく。これは日本と似ているなという感じを受けました。
(図10)
今日は、2つの事例を紹介したいと思います。これはANDRIAという住宅協同組合ともう1つの組合です。これは社会的協同組合ではなく、通常の住宅協同組合だといっていました。住宅協同組合が今どんな動きをしているか。新しい社会的なミッションを切り開いていくということをやっている。 私の友人のジャン・カルロ・フレンツです。この人はアメリカのCDCなどの研究をずっとしていて、こういう社会的なムーブメントに非常に詳しい。とにかく面白い事例を紹介してくれということで、3日間つき合ってもらいました。こちらの人がANDORIAの中心となって活動している建築家です。 ANDORIAという協同組合は、エミリアロマーナという北イタリアの豊かな工業地域の中で新しいミッションを切り開く事業をやっています。
(図11)
コレッジオ市を拠点にしてやっています。先ほどのジャン・カルロ・フレンツというウルバニストが、ここのマスタープランをつくるときに、このANDORIAと協同したということです。マスタープランの中で。中心市街地の歴史的な建築のリノベーションの事業をANDORIAが関わってやりました。
(図12)
  その中で、この協同組合を典型的にあらわしているのは、コレアンドリンという子どもをターゲットにした、子どものための住宅開発です。しかも、マイノリティーの子どもの問題が初めは非常に大きかった。実験的なネイバーフッドをつくり上げていくということをやりました。
(図12)
  こんな絵がかかれています。日本の最先端の建築のデザインからいったら、こういうテーストはどうにも信じられない。こういうものを子どもと一緒に、長い時間をかけて地域社会と一緒につくっていって、居住者を呼び込んでいって、子どもの環境をつくっていく。
これは日本でもやりますね。ワークショップをやって、子どもにとってどういう環境がいいか考えさせる。非常に大きな模型をつくって、その中で組み立てをやる。  こういうことをしながら、社会から支援を受けて、社会的な資本を蓄積していって、それをまた次の社会的な使命のあるものに再投資することをやっている。  ここの協同組合を核にしながらいろいろなNPOをスピンアウトさせていって、それでまたネットワークをつくっていくということをやっている。  次のターゲットは環境の問題と彼らはいっていました。そういうことをやることによって社会から支援を受けていろいろな資金を導入して、その中から収益を上げて、それをまた社会に対して還元していく。その中からいろいろなネットワークをつくって、社会的なムーブメントをつくっていくということをやっている。
  (図13)
  もう1つの例です。若い結婚したばかりの夫婦のためにがらんどうの住宅をつくって、後で中の部屋や内装をつくっていく。ですから、初めは非常に安いお金でつくっていける。これは最先端の社会的な需要に対応したものをつくった例です。
(図14)
もう1つ、こちらの方がそういう意味では僕は感心しました。SEFIM。先程のジャン・カロル・フレンツ教授は、フェラーラ大学の都市建築学部出身で現在は経済学部の教授です。フェラーラというのはボローニヤの近くにあって、ボローニヤとある意味では対抗して、競争するようないろいろな施策をやっている。ボローニヤは大変有名です。都市計画、歴史的環境の保全、修復、そういう基礎的なことをリードしている。このSEFIMというのは、社会的協同組合なわけです。住宅の協同組合というのは伝統的にあります。住宅協同組合という1つ1つの組合がある。しかも、管理を組合がやっていくわけです。日本と同じです。それが立ち行かなくなってきた。それを統合して1つの住宅協同組合にして、そこをベースに、建設を担う協同組合あるいはリノベーションを担う協同組合、管理を担う協同組合をつくって、最後に、そのヘッドクォーターとしての社会的協同組合SEFIMを立ち上げて、企画やプロジェクトの創出をやっている。社会性のある非常に面白いプロジェクトを進めています。
  (図14)
 この人が理事長です。この人は建築家ではない。見るからに、運動家という感じの人です。前歴を聞いたら、レーガという協同組合の大組織の中で頑張ってきた人です。   その人が、新しいSEFIMで、建築家を抱え込んで、住宅開発、都市開発の企画運営をしています。先程述べたように住宅の協同組合を1つに統合してまとめ上げてて新しい協同組合ができていく時に、そのディレクターに立候補をして選ばれた。もう一人は建築家です。フェラーラ大学というのは古い大学ですけれども、その中で建築都市学部を1990年代の初めに新しくつくった。イタリアの建築教育は物すごい大人数教育です。僕もローマ大学に行きましたが、学生であふれていて、どうしてこんなところで教育ができるんだと、思いました。  パオロ・チェカラリーというベネツアの学長をやっていた人が、これではどうにもならないというので、フェラーラに移って、そこに新しい建築都市学部をつくったんです。僕らも彼らと一緒に国際ワークショップを毎年やっています。それは新しい教育の実験なんです。数年たって、イタリアでナンバーワンにランクされました。そういう大学の彼は1期生で、ここに入って頑張っている。非常に面白いといっています。
(図15)
ここで今どんなことをやっているのか。新しいプロジェクトということで紹介されたのは、高齢者福祉です。いろいろな賃貸住宅、社会的な住宅、マーケットの住宅、福祉の施設などに、さまざまな障害者を入れ込んでいくようなサービスをこのフェラーラの郊外でプロジェクトにしていくということを今取り組んでいるわけです。 地方政府も、社会住宅の領域を非常に小さくしていますから、こういう問題が抜け落ちてきてしまう。民間も手が出せない。そういうときにこういう社会的企業が事業を行う。バックにいろいろな住宅組合、組合住宅を大きく持っていて、それの運営・管理をする、そういうヘッドクォーターが、地方政府の事業コンペで新しいプロジェクトを提案して、実施する。高齢者住宅やいろいろな住宅を組み合わせて、社会的なミッションをその中に組み込んでいくという事業です。これはやりたいですね。僕らもこういうことを提案したい。例えばURが土地を持っていて、それを事業化するときに、やはり高く買ってくれるところに行ってしまう。事業の内容ではなく、値段になってしまう。ここの場合は、もうそういうことを政府でできなくなっているから、それができる主体を組み立てていって、やっていくということです。 いろいろな社会的な協同組合は、他にもあります。就業者の問題、緑の問題、環境の問題など、いろいろやっているものがある。そういうところとはどういうふうに組むつもりなんだと聞いたら、実は昨日、そういう人たちと一緒にこのプロジェクトをやるという会議を持ったところだといっていました。 フェラーラには20ぐらいの社会的協同組合がありますが、その半分ぐらいのものが組み合わされて、そういう事業に取り組むんだといっていました。そういう意味でいうと、社会的な協同組合、社会的企業がヘッドクォーターを持ちながらいろいろなネットワークをして、ほかの分野のものとも組みながら、新しいプロジェクトをつくっていくという動きがあるということが確認されたわけです。 ですから、日本でもそういうことを考えるというのは多分間違いのないことで、そういうものをつくっていかなければいけないんだろうと思うわけです。

4.地方都市での試み

(図17)
日本のまちづくり市民事業の展開を紹介します。見えてきた5つの類型があります。ただ事業をつくっていくだけでなくて、その事業がどんなふうに組み立てられていって、最終的には地域社会を運営していくのかということも含めて5つの類型といっています。  ひとつは、商店街振興組合がプラットホームになって事業化するというのがあります。振興組合というのは地べたにくっついていますから、そういうところから事業化していくというのが1つ見えてきている。  それから、まちづくり会社というものをつくる。まちづくり会社というのはいろいろな形態があります。例えば第3セクター。3セクも目のかたきになっていて、制度的には足りないところもあると思いますけど、頑張っているものは非常に頑張っています。そういうまちづくり会社がコアになって、市民事業をつくり上げて、NPOなどとネットワークをつくっていくというのがもう1つです。  それから、共同型の再開発事業から市民事業の仕組みが生成していくというのがあります。再開発事業というのは、先程申し上げたように、まさに共同事業なわけです。本来の意味での地権者が共同してやっていく。その中で事業を運営する会社をつくったりというのが一般にやられるわけです。そういうものから市民事業の仕組みが生成していく。拠点事業型というものは、まさに、冒頭にご紹介したような社会的企業のことです。先程のグラウンドワークス三島もこの形です。
(図18)
  もう1つは、自生型と書いていますけれども、地域の需要の中から自生してくるようなものがあります。これが一番難しいのではないかとは思います。こういうものがフツフツと同時多発的に不連続に出てきて、それがネットワークされていくという例です。今日はこの5つを紹介したいと思います。  そういうことでいうといろいろな仕組みが、足りないけれどもできてきていることは間違いないです。有限責任事業組合、LLP、合同会社、これも新しくできてきた。民都機構も住民参加型まちづくりファンドというものをつくって、社会的使命がある事業の中に投入していくことがやられている。しかし、本流ではなくて、実験的なものといってもいいかもしれません。  それから、協同組合の活動をより社会化していく。共同購買の生活協同組合が福祉の事業に乗り出していったりということは一般にされている。  日本の協同組合は非常に社会的なミッションを持った事業をやっている。まさに食の安全など、生協の中でもいろいろな生協があって特色を持っています。そういう意味でいえば社会的なことに乗り出しているものが多く、可能性は非常にありそうです。
(図19) 
ここで、市民事業を支える3段階の仕組みがあります。  1つは、事業そのもののスキーム。事業も1つの主体がやるのではなくて、多様な主体が連携して組み立てていく。これが1つの段階です。その次に、そういう複数の事業が組み立てられていき調整やネットワークをしていくような段階があります。エリアマネジメントという言葉が普及していますが、まさにこの段階だと思います。今、このくらいの段階のところまでは来る。 次に、まちづくりパートナーシップ。これは言葉が練れていませんが、地域のまちづくり主体の連合組織として、行政や民間企業も入ってくる段階。統括している。参画している。計画作成、運営をする。補助金とかファンドの受け皿にもなるというものが、次の段階には必要になってくる。今後、こういうものをどんなふうにしていくか。やはり、決定権や計画権、資金、そういうものがあって、全体を組み立てていくと非常に強くなります。
(図20)
  地域連携の形態、言葉としてはこういう言葉を使っています。ネットワークというのは情報交換。アリーナというのは討議をして決定する。事業を組み立てるためのプラットホームがあって、事業を行うパートナーシップがある。これを使い分けていく。役割を明確にしていくことが必要である。
(図21)
  最初は、プラットホーム型では商店街や商店街振興組合、まちづくり協議会などがプラットホームになって、事業組織を適時生み出し、地域内で事業を展開していく。まちづくりパートナーシップへの展開が可能になってくる。
(図21)
  事例として2つお話ししたいと思います。これは川口の樹モールという銀座商店街がやっていることです。樹モールを中心にフリーマーケットをやったり、社協とかNPOをまとめていって、協働の取り組みをやっている。こういうものが動いてきている。こういうベースはいろいろなところにあるんだと思います。
(図22)
  私が長いことつき合っている鶴岡市の例です。ここに山王商店街というのがあります。中心の商店街です。地方都市の状況は説明するまでもなく非常に厳しい状況です。しかも、中心から外れたところでやっていることです。これは、小渕政権のとき、「歩いて暮らせるまちづくり計画」を地域でつくって、それを優先的に事業化するという、コンクールみたいな形で採択したわけですけれども、小渕さんが亡くなったために優先的な事業化がなかなか難しくなった。結局、まちづくり交付金などの制度でつくることができました。 銀座商店街の中に元気居住の拠点をつくりました。ここにアトリエコアラというのがありますが、これが我々の大学の研究室のまちなかアトリエです。これは2000年当時ですから、結構新しかった。今は大学がまちなかに研究所をつくって、国も支援するようになりました。何かよくわからないけど、ここがあいているからとにかく入っていって、そこでみんなで計画をつくったり、議論しようよということでつくりました。
(図23)
  山王商店街は、ナイトバザールなど、頑張っていろんなことをやっている商店街です。ですけれども、都市計画道路の拡幅事業がかかっていまして、そういうものをどういうふうに扱うかということが1つ大きな問題になっていました。  ここでは、都市計画道路の拡幅がありましたが、これをやめることにしました。都市計画での道路拡幅はやめる。そのかわり、いろいろな事業をこの中で生み出していきましょうということになりました。道空間再生プロジェクトとして、歩道と道路の段差をなくす。鶴岡ですから雪が降ります。無散水で、歩道だけでなくて、車道も全部、地下水をくみ上げて融雪する仕組みをつくりました。ナイトバザールは、道路の車をとめてバザールをやるんですが、ナイトバザールのイベントに対応して、冬でも前面雪がなくなって、そこにいろいろな設備も入っている。まさにバザールをやるための道路空間を整備しましょうということを考えました。道路の事業ではなく、沿道のまちづくりの事業に波及していくということです。
(図23) 
まちづくりの拠点をつくって、ワークショップをする。住民の人たちが自ら模型を使ってまちのイメージをつくっていく。  そういうプロセスで、このまちでは拡幅事業は必要ないということになりました。拡幅して補償金をもらうというものではないやり方でやっていきましょうということになっていったわけです。何度も模型をみんなでつくり議論しました。
(図24)
  駐車場やアクセス道路、拠点を整備しましょうということになっていったわけです。模型でシミュレーションをやったり、あるいはまちづくり協定をつくったりということをしました。
(図25)
  こうなったときに、問題は道路の拡幅事業なら公共事業としてやっていきます。しかし、にぎわいゾーンやふれあいゾーンを一体として整備をしていくということになり、それに合わせた基盤整備を裏側も含めてやっていくとなると、これは誰が担うのかということに当然なっていくわけです。  市役所としてはこの企画をつくって持ってこいというわけです。我々も入っていますけれども、主体がないわけです。商店街振興組合のまちづくり委員会でつくれといったって、そうはいかないということになるわけです。
(図26)
ここで、振興組合の外側に商店街有志によるアクティブ山王というLLP、有限責任事業組合をつくって、ゾーン整備の研究会をつくって、振興組合がベースになって事業を組み立てていくという体制にしていったわけです。
(図27)
  道広場や個店の改修、ゾーン整備、そういうものを三位一体で行う。公共投資をおさえて、いろいろな整備をやっていけるということで、行政としても、地元としてもいいやり方です。しかし、これは行政では担えない、まちづくりの市民事業として組み立てていかなければならないということになります。
(図28)
商店街振興組合という組織があって、日常活動をずっとやってきていますから、そういう組み立てをこの中でやっていけるだろうと思います。  この中では、まちづくりのガイドライン、協定のようなものをつくっていますから、そういうものを実現していくためには、建築主、施工者、建築家、そういうものが家づくり研究会というものをつくって、モデル設計をやり、モデル設計を地権者の人たちが採用しというプロセスで、デザインを自分たちで管理をしようという体制になっています。ただ、これはなかなか難しいことももちろんあります。ですけれども、商店街の振興組合、商店街というプラットホームの中で、そういう事業を組み立て、デザインを誘導し、全体をつくり上げていくという、まさに本来なら公共がやるようなことをその中でやっていくという体制が今進んでいるわけです。
(図29)
  市民事業としてのゾーン整備をやっていく。それぞれがまた事業主体をつくっていって、組み立てていく。全体はプラットホームとしての商店街振興組合がこれを担っていく。
(図30)
もう1つ。ここに松文という撚糸の工場がありました。これは優良企業ですけれども、そこの工場の跡地があります。地元の金融と地元としては有力な会社が出資をした非常にセンスのいいまちづくり会社のシネコンができている。木造の工場をリノベーションして、今度4月にオープンします。
(図31)
  山王まちづくり会社という株式会社を立ち上げました。専門家がつくっているNPOもありますし、市も、まちづくりの資金を提供するいろいろな組織もある。NPOも公益のNPOなどいろいろな組織があって、そういうものが支えているわけです。バラバラな構図では、事業をやっていくときに大変だと思います。  ですから、ここで中間支援組織がきちっとできる、または資金の提供を一元的に管理するような地域の金融機関がそういうものの受け皿になるなど、整理をしなくてはならない。資金やノウハウを提供する仕組みをきちんとつくるということをする。バラバラな主体がバラバラに関与していたのでは、なかなかうまくいかない。
(図32)
もう1つ、えんま通り商店街。これは中越沖震災復興事業です。東京に直下型地震が起きたときにはこれと同じようなプロセスでやっていかなくてはならないのではないかということで、震災の次の年の3月からこれに入りました。
(図33)
えんま通りというのは一番大きな被害を受けたところです。被害状況は、たくさん空き家ができて、半壊、全壊、半壊でそのまま建っているようなものもあるという状況です。こういうところをどのように再建をしていくかというときに、ここにも都市計画道路がかかっていまして、地元の自治体は道路拡幅をして、補償金を入れて、復興しようというシナリオを描くわけです。公共のお金の入れ方、支援の仕方がこれしかないわけです。
(図34)
  震災直後にえんま通りまちづくりの会というのが立ち上がった。ここに地元の大学が入った。初めは5大学ぐらいありましたけれども、最終的には地元にある新潟工科大学が残った。
(図35)
  えんま通りの復興協議会ができて、それでやったんです。道路の拡幅をして、それで復興していこうということをここでは決議しました。でも、ここで道路の拡幅は通常なら必要ない。どうにも動かないということで、具体的な計画作成のために「支援する会」をつくりました。三井所先生のアルセッドと我々のチームと一緒に支援する会というのをつくりました。一方で行政と地元代表のも入った復興推進会議というのができました。
(図36)
我々は4月に本格的に動き始めて、とにかく地域の中でどういうイメージをつくるかということで、100分の1の模型を使ってみんなで復興のイメージをつくっていくことをしました。  これは、やはり効果があります。ビジョンを共有していって、普段、商店街といっても形になっていないビジョンを、こういう形にしていく、こういうものを実現するためには何をやっていったらいいかという議論をしていくということです。  ここにもそういうまちづくりの拠点があって、そこで週に1回、地元の新潟工科大学の田口先生が入って、毎週議論を積み重ねて、イメージをつくっています。震災1年目の7月18日に、3カ月という短い時間でしたけれども段階的に協働事業を組み立てゆく基本計画が合意されて、市長に示していく。そんなプロセスを踏んでいったわけです。
(図37)
  ここのシンボルとして、創造的な再建をするなど、幾つかの方針をつくってきました。ウナギの寝床みたいなところですから、裏側に緑をつくるなど、幾つかの事業の単位で事業の組み立てをして、全体でのまちづくり会社をつくって、それが、例えば復興資金の受け皿になって、それを1つ1つの事業組合、事業会社に配分していく。そういうものでないと、国のお金もなかなか入れられない。ですから、全体がプラットホームとして機能していく。できれば、資金の受け皿だけではなくて、決定権もあるといいわけです。先程示したようなまちづくりガイドラインをつくって、方針もつくって、1つは、高齢者住宅のプロジェクトがあり、もう1つは、こういう現地居住にぎわい拠点を創出するなど、幾つかのプロジェクトがあって、ガイドラインに沿ってやってもらいたいんですけれども、中にはこれを守ってこないものがあったり、その辺の協議が非常に難しくなっています。
(図38)
 プラットホームというのは事業を生み出すだけで統括できないわけです。まちづくりパートナーシップといって、計画権もあり、決定権もあり、資金の運営権もある、計画の指導権、地区計画をちゃんとつくって強制力を持つ、社会的にこの組織にはそういうものがまだまだ認められていない。こういうものを制度化していかないと質の高いものにはなっていかない。1個1個の中で切り離されて、プラットホームで生み出すまではできるけれども、生み出した後、全体をきちっとしたものにまとめ上げていく、計画に従わせるなどそういうことができないところが、市民事業としては課題だと思います。
 

5.市民事業による中心市街地再生事業の連鎖

(図39)
次に、商店街というプラットホームがあって、その中に、まちづくり会社というコアがあって、そういうところを中心にいろいろなものが展開していくものがあると思います。
(図40)
  これも幾つかの事例をお見せしたいと思います。まちづくり会社から事業運営のための組織が出てきたり、小規模な事業をコーディネートさせるためのコアとなるまちづくり会社が出てきたりという動きがある。まちづくり会社が中心になってやっていたまちづくり活動の実績が、人的なネットワークやノウハウ、信頼を蓄積している。小さな町ですけど、花巻市にある東和町です。合併して花巻市になりましたけど、土澤という城下町があります。宮沢賢治の舞台になっている商店街として知られているところです。
(図41)
ここに土澤まちづくり会社いうがあって、いろいろなモデル事業をとってきてやっています。ここも道路の拡幅がかかっています。社会実験をやる。こういう資金をとってくる。常勤の職員もいて、それを支える非常に知恵のある人たちもいて、いろいろな事業をやっています。ここには萬鉄五郎美術館というのがあって、そこの学芸員の人など、文化的な活動もやっている。ソフト事業をすごくやっていて、人的なつながりもある。
(図42)
この中で、いよいよ住宅をつくっていく事業をやりましょうという段階に入って、「新長屋暮らし」というのをやっています。要するに高齢化が非常に進行しますから、商店街の再生や高齢者の住まいづくりをやっていかなければならない。これに取り組むのはなかなか難しいわけです。  このまちづくり会社の活動があるために、まちづくり会社が共同建て替え事業をコーディネートするということをやりました。
(図43)
我々の仲間が支援しています。一部コーポラティブで、一部賃貸で、中に商店を入れるという共同建て替えの事業を組み立てる。出資として、まちなか居住再生ファンドという政府の資金が入っているものを入れようとしましたが、これは駄目になりました。小さ過ぎる。総事業費が4億円ぐらいなので、そんなものにはこのファンドは入れられない。住宅金融支援機構の融資、これも相談したら駄目になりました。地方都市でこんな事業をやって、危なくて仕方ないということです。一部で賃貸部分がありますけれども、こんな田舎で賃貸なんかに入る人がいるのかといわれて、安全側、安全側で来られて、これも駄目ということです。
(図44)
最終的には、補助金は出るんですけど、借り入れがなかなかできない。4月に着工ということで何とかその辺をクリアしようということでやっていますけれども、土澤まちづくり会社というのがあって、そこからLLC、合同会社を立ち上げて、専門家がこの中に加わっています。建物ができてからは、LLCが運営するという形にしています。  まちづくり会社というものがあって、ある一定の信用を得て、人的なネットワークもつくっていくと、次の段階に移ることはできる。こういうものがコアになって、いろんな展開ができてくるだろう。
(図45)
身の丈に合った優良建築物整備事業は補助金が出るわけです。これは優良と自治体も認めたものに対し、要綱もつくってやるんですが、地元の金融機関がこういう事業に対して踏み込んでいけない。ですから、こういうものを進めるためにはやはり事業の制度にある種のパッケージになったような交付金ができることが必要です。だから、もう一歩のところです。こんな地方の田舎の町でも、3セクが頑張っているようなところはたくさんあるわけです。
(図46)
  土澤まちづくり会社が最初はコアになっていますけれども、その次の段階の土澤長屋暮らしというLLCができることによって、いろいろな組織がネットワークされていって、地域の中で新しい主体が形成されてくるというストーリーです。ですから、コアになっているものが非常に強くて、突出してきたら、そこを中心にしていろいろな事業が展開できるだろう。
(図47)
  東京に移ります。これは有名な向島一寺言問防災まちづくりの会です。小さな事業をいろいろやっていて、ここの集会所に行くと、まちづくりの賞のトロフィーや賞状が壁にたくさん並んでいるところです。非常に楽しい。最近ではちょっとした観光地にもなっているところです。
(図48)
ソフト事業や小さな事業、路地尊や雨水を利用するなど、防災まちづくりだけど、ソフトから入ろうとしたものです。アートロジィ、芸術家が入ってきて、古い長屋の改修をやって非常に盛り上がる。そういうもののベースになるような組織として向島学会というNPOを立ち上げてやっていく。ここまでは土澤と同じなんですが、ここから先がなかなか進まないわけです。
(図49)
まちづくり用地がこの町の中には点々とあるわけです。それを使って事業化をしていこうということで、こんなスキームを書きました。
(図50)
先程の土澤と同じようにコミュニティレストランがあったり、介護拠点があったり、住宅があったり。そういうものができていくと、今地域内で居住の循環がうまくいかないものがうまく循環していく。だれも反対しません。やりたい人もたくさんいます。
(図51)
マンションに住んでいる人や長屋に住んでいる人が、それを処分してここに入ってきたいとみんないいます。ですが、これができないんです。踏み出せない。 ここでは主体がいないんです。だから、まちづくり会社のようなものも組み立てられないし、東京の場合は23区の制度が自治体としてはまちづくりを進めていくのに弱くて、結局ここまでは来るんですけれども、だれも行政的なバックアップをしてくれない。東京都はそんなところに出てこない。URに頼もうか。URがやることもうまく条件が合えばできますけれども、市民事業としての組み立てがどうにも見えてこないんです。主体が形成できないという問題が東京では非常にある。
(図52)
ただ、先程お見せしたようなことでこの辺のところは何とかやっていかないと、やはり市場経済からは落ちちゃう。公共事業としても落ちちゃう。大規模な事業、URなんかが取り組むような事業からも落ちてしまうというところで、一番問題のあるところが、どこからも手がつけられない状況です。ですから、これは市民事業としての主体形成を何とかしていかなくてはいけない。URも、もちろんこの近くで事業に取り組んでいます。大規模な事業だけでなくて、木賃の共同建て替えのような事業にも取り組んでいますけれども、まだまだこの辺が課題だと思います。
(図53)
事業拠点の展開型ということで、共同型再開発などの事業をつくっていく。そういうものを中心にして、運営会社やまちづくり会社が自立していくというものを説明します。 これは高松の丸亀町の再開発がいい例だと思います。ただ、これを市民事業というか、市場経済の中で頑張る事業だというか、評価は分かれると思います。
(図54)
一番古い例としては、仙台の141という共同型の再開発でやっているものがあります。それが割とうまくいって、ここで頑張った商工会議所の有力メンバーあるいは商店街のメンバーが、この一番町のモールや定禅寺通りの整備、ソフト事業でジャズフェスティバル、そういうものをやりながら、こういうものが拠点になってまちづくりを市民事業として展開している。
(図55)
これは日本独特の再開発事業に住民が本当に主体的に取り組んだときに、可能性が出てくるものです。
(図56)
高松の例は私が紹介するまでもないと思います。ここの部分の街区が、A、B、Cと展開していって、ここでは、ホームページに置かれているものですけれども、高松のまちづくり会社がこの事業の中でできていって、タウンマネジメント委員会、街区再開発事業、が展開する。要するに、核になる再開発事業があって、そういうものの中から市民事業的な展開をしていく。ここでは、居住の問題や教育の問題にも取り組んでいます。まさに市民事業を増殖していくというものがここの中では起きてきていると思います。
(図57)
これは、我々が取り組んでいる事業です。大火後の整理で、防火建築帯がつくられたものです。40年、50年たって相当傷みが来ている。全国でやったものです。防火帯や防災建築街区造成事業です。後で組合をつくってやりますけれども、こんなようなものです。これは再開発する1つのモデルです。1階が店舗で、上が住宅。土地の権利を交換しないで、その上に壁をつくってやっていくという事業です。こういう単位が広幅員の道路にずっとある。これをただ1個の事業でやるのではなくて、どういうふうに全体に波及させていくかということを今のようなストーリーで考えていかなければいけない。
(図58)
1つはこんなものです。次、次にやっていく。全体をマネジメントすることによって、1つの事業で得たノウハウで次に展開していけるだろうと思います。
(図59)
そういうものを核にしている一方で、ここでは地方の都市なので、コミュニティ協議会というものが非常に強い力を持っていて、信頼感がある。協議会がまちづくりのベースになっていって、事業をやるところと連携していく。事業をやる主体のまちづくり会社を事業単位でつくるんですけれども、それをただつくるのではなくて、市民まちづくりプラットホームとありますけれども、そういうものを組みながら全体を仕組んでいこうということをやっています。これはうまくいくかどうかわかりませんけど、事業は少しずつできていくと思います。そういう事業を進めながら市民事業を展開していく。
(図60)
次は、社会的企業型です。先程のイタリアの例がまさにそういうものです。生活協同組合、農協、社会福祉法人などがこういうのをやっています。
(図61)
時間がなくなってきましたので急ぎます。特に、地域福祉のまちづくりということで、社会福祉法人や介護事業者、介護と住宅を組み合わせるような事業が、社会的企業で進められている。生活科学運営、これは株式会社ですけれども、介護保険がない1980年代からケアつき住宅を頑張ってやっていた。民間企業ですけれども、まさに社会的企業だと思います。日暮里コミュニティなどをつくっていって、ケアつき住宅などをそういうものを組み立てながらやっています。
(図62)
こういう社会的企業は最近非常に勢いがある。「コトラボ合同会社」、これも横浜で活動しているユニークな力を持っているものです。「えがおをつなげて」という農業関係の組織、これも相当力を持っています。単純な形から非常に複雑な形、多様なネットワークを広げていって、大学と組んだり、CSRをする企業と組んだりという形になっています。
(図63)
これもホームページに非常に詳しい。ご存じの方も多いと思います。耕作放棄地を開墾をして、市民を巻き込み人材育成、ツーリズムとも関連させる。雇用を生み出すということをやっています。こういうものが社会的企業としていろいろな事業を組み立てるというもう1つの型だと思います。
(図64)
最後に、自生型です。これはなかなか難しい。要するに、そういう頼りになる組織がない中で、地域の需要からフツフツと組み立てていく。先ほどの鶴岡の我々が拠点を置いたところがありましたけど、そこも含めた元気居住拠点というのを計画したわけです。
(図65)
市の開発公社の所有地に短中期滞在型とシニアの住宅と介護施設なども含めたプロジェクトを構想しました。病院の跡地があって、これと連携させてシニア向けの元気居住拠点と医療ケアつきの機能を持つ。これは2000年の初めごろだったと思いますが、考えました。
(図66)
敷地にはシニアセンターやNPOの活動拠点、介護事業者が入るというものが1つ、それから高齢者向けのケアつき住宅、これは民間の三井病院という病院の跡地のものが1つあります。
(図67)
この2つの事業は、最初は当然ながら公共が持っている土地を優良建築物の事業で事業化をして、そこにいろいろな施設が入るか、その横の民間のやるものでつくっていって、全体を支えるということを考えたんですが、結局、ここでは自治体は踏み出さなかったんです。踏み出さなかったのは正しいかもしれません。このスキームのものを先にやらざるを得なくなったわけです。
(図68)
いろいろな事業の検討をしたんですが、最終的には、LLCを立ち上げたんです。有限責任事業組合。そこにいろいろな専門家が集まって事業化をしていく。そこが始まって、LLPクオレの会というのが動いて、いろいろな人たちが主体的にそこに参加することになったら、急に事業が進むようになった。みんながやる気になって、入居を希望する人たちが集まってきて、勉強会・ワークショップをする。配食サービスを我々がやりますとか、そんなものができてきて、主体が形成された。地域の中から自生的に持ち上がってくるというのは非常に面白いと思いました。かかわった専門家も頑張って事業化をした。
(図69)
ここには都市計画道路に飛び出したまま残してあった蔵がありました。ここでNPOの活動拠点、郷土色レストランを、市民が出資をして運営をするということができた。ここの地域は元気居住なんてことをいっていましたので、国交省、経産省の事業だけでなくて、厚労省の福祉のまちづくりの事業、国交省と厚労省が組んでやるような事業のモデル地区にもなって、ここに包括支援センターができて、近くにある歴史的な建築をまた買い取って、それをコミュニティレストランなんかにする。それは先程のまちづくり会社がやるという形になってきました。これは完成しました。
(図70)
小さな事業ですけれども、これも初めは、こんな単純なものから徐々にLLPができて、いろいろな主体が組み合わされて、事業化をしていく。
(図71)
それから、クオレが設立されて以降は、有限責任事業組合でやった事業を合同会社に移してそこがやっていく。こういうものが動いていくと、ここにまちづくり鶴岡という、商工会議所が中心になって、地元の金融機関などが出資するまちづくり会社ができて、それがまたいろいろな事業をしていく。1つの自生的な事業がまた別のところで自生的な事業を生んで、それぞれの場所で、先程の山王商店街、銀座、城郭の中で、幾つかのエリアでマネジメント組織ができて、全体としてはこういう形で人の関係がみんなつながっているわけです。 ですから、行政が計画をつくっているというよりも、まさに住民の組織の中で計画はどんどん生まれてくるわけです。見方を変えれば、計画の主体はこういうところに移して、行政はそこに参加しているというふうにした方が、いいのではないか。公共的なものとして位置づけなければならないものだけは位置づけていく。
(図72)
そういうものがいろいろな形であります。民都機構のまちづくりファンドが入っているところがどんなふうになっているかを見てみると、僕もびっくりします。古い町家を改修していますが、ここは自治会連合会と障害者支援のNPOが組んですごく力を発揮します。民都のお金も入っていますけど、地域からの寄附金などで運営していく。
(図73)
障害者が奥の喫茶店で働いて、町の集会がこっち側であって、そういうものが一体として運営されている。多分こういうものがまた次のいろいろなものに展開していくのではないか。これはここだけではなくて、いろいろなところで今ある。
(図74)
最後に、まちづくり市民事業に何が可能か。多主体がコラボレーションすることによって、創造的なソリューションができてくるのではないかと思います。そしていろいろな施策が統合される。 基礎的な需要を満たされてしまっている中で、新しい価値や需要を生み出していくことがされるんだろうと思います。政府はセーフティーネットをやっていく。収益企業は市場価値の中で行く。市民事業は多様な社会的なミッションを取り組んで循環させる。そういう多主体が連携することによって、調和のとれた地域社会を再建することが大事であり、まちづくり市民事業が今のような形で本格展開をして、地域の中で連携組織となり、それを支える仕組みを、社会的な制度としてつくっていくことが大事だと思います。そういうことができた上で、まちづくり市民事業というのはいろいろな可能性を我々の世界にもたらすのではないかと思います。 以上です。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 
 
フリーディスカッション

 

 
 大変生活に密着したお話でしたので、興味深く拝聴いたしました。ありがとうございました。
それでは、会場の皆様、先生に何かご質問のある方はどうぞ手をお挙げください。
奥村(奥村建築・都市研究所)今日は多岐にわたってご紹介をいただきまして、ありがとうございました。
私も、いろいろ地域活動やNPOにかかわってきましたので、幾つか悩みがあるんです。その中で一番大きい問題は多分資金の問題だと思います。いろいろ助成金はあるんですが、5割いただいても、残り5割は負担しなければいけない。そこら辺が非常にネックになっている。それから、NPOにしても、利潤が上がらないことには次の展開がないので、その辺のお金の回り方みたいなもので、どこから資金を持ってくるかということで何かいいお話はないでしょうか。
佐藤 私からはなかなか答えられないところです。要するに、最後の例の自生的という中で出てきたのは、入居する人が出資をして一緒に事業をしていく、そういうことですから、参加する人のモチベーションを高めて、協同で事業をしていくのが、先程の住宅の場合には重要なのではないかというのが1つ。
 それから、途中でもお話ししましたけど、補助金と我々が一緒にやっている実務家の人たちは、信用供与とそれに伴う融資をセットにしてくれれば、利子は払える。今は低金利だからと思いますけれども、そういう仕組みはなくて、補助金は補助金で来るけれども、融資は非常に厳しい条件でしか認められないので、とても厳しいということはいっています。
 ですから、社会的な企業と社会的なミッションを持った組織を、社会的に前面に押し出していく。新しい価値をつくり、社会の問題に対して解決をしていくということを考えるならば、鳩山政権の中で、4月に「新しい公共」というものの政策の枠組みをつくるといっていますけれども、今ここまで来ているわけですから、おっしゃったようなことは、そこがうまくいけばもう1つできてくるのではないか。補助金やいろいろな小さな資金はありますね。民都機構のまちづくりファンドなんていうものも、それがNPOにも行くことになっていて、特定の景観形成機構、自治体が認めたような都市再生プロジェクトなど認められたものに対しては得られるようになっている。見ていれば、ちょっとおっかなびっくりみたいなところがありますね。本格的にそういうものを制度化していくことが大事だし、それは我々のような職能の中からアピールしていかなければいけないのではないかという気がします。
奥村 関連ですが、NPOやこういう社会的な事業は、最初のところが乗り越えられないと見せるものがないので、なかなかそこは難しいかなと思います。企業だと資本金があって、実物をつくって見せられるというところで、それが売れるか売れないかというリスクがありますけれども、物が見せられる。ところが、こういう事業体ですと、残り半分とか残り何十%が負担できないために、そこが乗り越えられないということがあって、そこら辺、いい制度ができるといいなと思っております。
海老塚(都市再生機構) 個人的な関心から、私は民間非営利組織による住宅事業に関心を持って、欧米、アメリカですとCDCや、イギリスのハウジングソシエーションの研究所と長くつきあっていました。日本でもそういうことができるのではないかということで、3年ほど前に博士論文にまとめて、去年、わかりやすく、「NPOが豊かにする住宅事業」ということで、筒井書房から本をまとめました。
 どうもNPOというとしっくり来ない。住宅事業は、10戸つくっても1億円〜2億円しますので、なかなか資金の手当てもできないし、NPOの住宅事業はどうも合わないなと思っていました。今日お話があった社会的企業、こういう言葉をはっきり使った方が、スタッフの給料も出ますし、事業もしやすいので、いいのではないか。NPOは使わないで、社会的企業にしたほうがいいのかなと思っております。
 ただ、日本各地でこの手の取り組みが行われていますが、皆さん、概念があいまいで、広げるためには、私は、はっきりと焦点を絞ったほうがいいのではないかという感じを持っています。今日の先生のお話も、まちづくりという広い話の中で、全体的にいろいろなお話を聞かせていただきましたが、私は、住宅事業型の社会的企業をふやすというふうに焦点をはっきりさせて、それの仕組みづくりを、できれば制度化するなり、法律をつくるなりしたらと思います。イタリアでは90年代に新しい協同組合法ができた。イギリスでもディベロップメントトラスト法が92年にできて整備されて、今数がふえていると聞いています。日本でもそろそろ焦点を絞り込んでふやす必要がある。
 低所得者向けの高齢者住宅事業とか、フリーターの若者が今なかなか住宅がなくて困っています。私が関心あるのは、空き家を利用したり、UR賃貸住宅も郊外ですと結構空き家が多いので、こういうところをシェア居住をしながら住宅供給する。古い1戸建てを託老所的に住宅事業をする。ニーズは相当あると思うんです。こういうことを事業化できるような、ポイントはプロジェクトマネジャーが大事だと思います。数をふやすためにはプロジェクトマネジャーたる人材を育成するためのもの、アメリカだとインターミディアリーになりますけど、日本の場合はもしかしたら、協会的なものかもしれません。そういうものをきちんと設立して、教育をしたりする。
 資金が問題なんですが、日本は今貯金を持っている人が多いですから、私は私募債で資金が集まるような気がしています。そういう仕組みで、地域で一番大事なのは住宅ですので、そういう住宅事業型の社会的企業をふやす協会の設立みたいなところに大学の先生方にご協力いただけるといいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
佐藤 今日は5つの類型と示したわけです。1つは、今おっしゃられたことがあって、そういうものをどういうところから生み出していくか。完全に新しいところで生み出すというのも1つの手かもしれませんが、例えば、分譲集合住宅の管理組合組織、そういうものから生み出していくというのもあるでしょう。これは建て替えのときですね。それから、先ほどから紹介しているようないろいろな日本に今まであったような伝統的な組合、そういうものの中から生み出すこともあるでしょうし、僕はいろいろなタイプのものが生み出されていって、地域の中で育っていくのかなと思っています。
 ですから、おっしゃるように、住宅建設のための社会的企業、もちろんそれが1つ重要な柱だと思いますが、URなんかがそういうものにスピンアウトしていくようなものがあると思いますが、海老塚さんなんかはそういうものをやればいいと思う。まさにノウハウもあるし、信用もあるわけです。地域の中にそういう関係をつくっていけば、そういう場所は幾つもある。タンスの中に貯金もあるし、土地もある程度東京なんかでは持っている。それをどうやって組み立てていくかというところですね。もう一歩のところで進まない。問題は見えてきているのではないか。何を突破しなければいけないかというところだと思います。
 正直いってまだモヤモヤしています。簡単な答えは出てこない。でも、壁が見えてきているというか、突破しなければならないターゲットは見えてきているので、僕の立場としては幾つかそういう可能性のあるものを示していって、形にしていくということが、重要なのではないかなと思います。
海老塚 大体賛成なんですけど、各地でいろいろな動きがありまして、例えば介護系の人たちがやむにやまれず、高齢者住宅を自らつくったりというのが結構あるんです。だから、私は必要なのは、各地でいろんなノウハウを持って工夫しながら、私募債を利用したりしてやっているその辺の情報を1つのところにまとめて、わかりやすく、研修テキストのようなものをつくって普及していくようなことではないかと思います。国が制度化しなければいけないのかもしれませんけれども、ノウハウが伝達できるような協会を設立すると、交流を強くして、そういう組織が広がって、アメリカのCDCも1970年代ぐらいにでき上がって、インターミディアリーに、今2000とか2500人と全国でふえています。インターミディアリー的な普及組織が必要な気がしております。
河合(樺|中工務店) 佐藤先生から1つ、地域再生という側面からの考えを教えていただきたいんです。住環境やまち並みの環境を整備しても、結局職がないとそこに流れていかないというか、循環していかないと思うんです。その背景として、今解決しなければいけない問題ばかりたくさん社会に出てきて、社会保障の問題を見ても、お金がかかることがたくさんあります。その中央の富を地域に回す流れ自体が、もう成立しなくなってきていると思います。税金を払う人と使う人の構成を見てもそうだと思います。
 そのときに、地域再生する上で、どういう町だったら、先生が手がけてもいいかという判断をされるのか。判断基準を持っておられるかということを教えていただきたいと思います。というのは、限界集落みたいなところで、すごくお金をかけて水道や公共インフラをするのが本当にいいのかという議論も最近出ているかと思います。そのうち都市についてもそういう話も出てこようかと思うので、その辺の考えをお聞かせ願えればと思います。
佐藤 今、大学でやっているプロジェクトは、都市・地域研究所という組織があって、それは地域と連携する研究を進めています。オープンリサーチセンターという文科省の認定を受けています。ですから、社会と連携して研究や教育をしていくという中でやっているのは、だれも手を出さないところです。ですから、そういう意味でいえば、うまくいきそうなところというよりも、どうにもなりそうもないところにかかわっていくのは、大学などがやることだと思っています。そこで何とかやっていかなくてはいけない。
 ただ、可能性はある。先週末も、鳥取で、「景観まちづくり大会」がありました。先ほど例の1つは鳥取です。中心市街地の連合自治会の範囲を対象に、まちづくりのプラットホームをつくって、その中で幾つかプロジェクトの提案をしてたんです。提案しただけで我々はあまり直接関係していまなかった構想の一つですが、商店街振興組合が、まちづくり会社を設立して、昭和の初めのビルを買い取って、リノベーションして、賃貸に出すという事業化をしたことが報告された。
 それから、非常に難しい状況に落ち込んだ米子の商店街、5年前は本当に死んだようだったということでした。ここは、建築士会、地元のコンサルタントや、地域の中の海外から帰ってきた人たちが組み合わされて、非常に面白い動きが出てきました。だから、これはちょっと楽観的過ぎるかもしれないですけれども、やっぱり、そういうところがある。鳥取でいえば米子があって、倉吉は重要伝統的建築物群保存地区で補助金が入ってやっていて、まちづくり会社「赤瓦」というのをつくっている。
 だから、そう悲観したものでもない。ただ、競争関係でしょうから、全体の需要がどういうふうにあるのかというのはなかなか難しい。山村や農村との関係づけで、そこに都市からも人が行くとか、地域の資源が循環していく仕組みを一方でつくっていく。もちろん、これだけでいくわけではありません。全体大きな経済を動かしている市場経済が健全でなければそれは動かないと思いますけれども、そういう可能性はそれぞれの場所にあるんだと思います。
 ただ、だれかが動いて進めていかないと、それは動かないわけです。ですから、地方でも全くそういう動きがないところは逆にたくさんあるということもいえると思います。
 ありがとうございました。
 それでは、質問はこれまでとさせていただきます。佐藤先生、ありがとうございました。(拍手)

 



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