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日建設計 
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第28回NSRI都市・環境フォーラム

『東京まち歩き、建築歩き』

講師:  鈴木 伸子 氏   

月刊「東京人」副編集長

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日付:2010年4月14日(水)
場所:NSRIホール

                                                                            
1. 「東京人」とはどのような雑誌か

2. まち歩き

3.ブランド

4. 丸の内 

5.戦後モダニズムの建築

6.和の建築

7.湾岸建築

8.鉄道関係

9.これからのまち歩き

フリーディスカッション

 

 

 大変長らくお待たせいたしました。ただいまから第28回都市・環境フォーラム を開催させていただきます。 本日のご案内役は、私、日建設計広報室の谷礼子でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
  さて、本日のフォーラムは、ご案内のとおり、月刊「東京人」の副編集長でいらっしゃる鈴木伸子先生からお話をいただきます。 本日は、「東京まち歩き、建築歩き」と題してご講演をいただきます。鈴木先生は、「東京人」の副編集長でいらっしゃり、また、まち歩き、建築探訪の達人でもいらっしゃいます。また、たくさんのご本もご執筆されていらっしゃいます。詳細につきましては、お手元のレジュメのとおりでございます。 それでは早速、ご講演をお願いしたいと存じます。皆様、大きな拍手で鈴木先生をお迎えください。(拍手) 先生、よろしくお願いいたします。

鈴木 雑誌「東京人」の鈴木と申します。今日はこのような席に伺わせていただきまして、本当に恐縮です。こんな席でお話しさせていただくほどの者ではないのですが、日建さんにお声をかけていただきまして、伺わせていただきました。
 


1.「東京人」とはどのような雑誌か

(図1)
 まず、「東京人」という雑誌についてお話をさせていただきます。  最初は、東京都の広報誌として86年に創刊しました。当時は、鈴木俊一都知事の時代です。現・都知事の石原さん、その前の青島さん、さらにその前が鈴木さんでした。4期16年間という長期間にわたって都知事をなさった方で、文化戦略にも熱心で、ニューヨークに「ニューヨーカー」という雑誌がありますが、この本のように、東京にも「東京がいいまちだ」ということを宣伝できる本が欲しいと、「東京人」の創刊を意図されました。 「ニューヨーカー」はニューヨークの洗練された都市文化を体現する雑誌だということで、それにならって、「東京人」という名前で本をつくろうということになったのです。「ニューヨーカー」は文芸誌ですが、「東京人」は、粕谷一希という、鈴木都知事の友人だった元「中央公論」の編集長が、編集することになりましたので、文芸誌ではなく、粕谷がそのキャリアと人脈を活用して総合誌として、都市を楽しみ、都市を味わう雑誌を作ろうということになり、最初は季刊で創刊しました。  当時、86年というのはバブル経済が膨らんでいる時期で、東京都としてもお金があったんですね。文化関係に予算を使おうということで創刊されたのです。  雑誌創刊のもうひとつの背景としては、都市論ブームがありました。江戸東京博物館というのが両国にありますが、あのような施設をつくって、江戸東京の歴史や文化について知ろうという機運が起こっていました。アカデミズムでも、都市論、江戸東京の歴史で新しい視点の研究が増えてきて、そういったものが「東京人」の創刊当時の主なコンテンツ(内容)になったわけです。  今年で、いつの間にか創刊25周年になりました。よくこんな長い間やってこられたと思ったりもします。  長い間、東京都が編集予算を出してくれていたのですが、15年ぐらいやったところで、あとは自分たちでやってくれということになりました。東京都の税収もバブルのころよりは随分減ったので、2001年の6月号から、私が社員として所属している都市出版という会社の発行になっています。 
(図2)
 「東京人」は、毎号特集企画をたてている雑誌です。特集のテーマは、落語、鉄道、古本、居酒屋、喫茶店、建築・・・。それから今は、江戸ブームですが、江戸時代の生活文化など、毎号いろいろな特集をやっています。テーマとして長い間いろいろやってきましたが、今申し上げたようなテーマが比較的人気があるという感触で、それで徐々に編集内容の傾向が決まってきたかなという感じがします。  そのなかでずっと続いてきたのが、「まち歩き」というテーマです。今ちょうど世の中がまち歩きブームになっているのも、私たちがやってきたことがようやく成熟してきたのではと、自負する部分もあります。  まち歩きというのは、東京では、何をテーマにしてもできるわけです。例えば、坂、川、橋、路地、そういった地形。江戸、明治という時代。夏目漱石や荷風が歩いたまちのような作家関連のテーマでもできますし、神楽坂、谷中、銀座など、まち自体を特集のテーマにして、そこを歩くということもできるので、今は何の特集をやっても、まち歩き企画は、毎号のように必ず入るテーマになっています。  当初から随分雑誌の性質も変わってきました。最初は、何しろ「中央公論」の編集長をやっていた人が編集長だったものですから、この雑誌の使命はよい論文を載せることだということで、創刊した頃はまち歩き要素はかなり少なかったと思います。  その後、だんだんと編集スタッフの世代も交代してきまして、読者の要望もあって変化してきました。紙面が非常にビジュアル化したということもあります。当初は文字主体の紙面だったのですが、写真やイラストを多用して、地図も極力載せるようにし、東京のまちの魅力的な部分をわかりやすく伝えるように努力してきました。  最近まち歩きがブームになってきたと実感するのは、周りで、「まち歩きが趣味」という人が増えていることです。「この前の休み、ここに行ったらおもしろかったよ」という話を聞くことも増えましたし、テレビ番組でも、平日の朝にやっている俳優の地井武男さんの「ちい散歩」という番組が非常に人気です。その番組を書籍化した本が何十万部も売れているという話もありますし、タモリという日本で非常にビッグなタレントさんがNHKで「ブラタモリ」という番組を始めて、東京をあちこち歩いています。「ブラタモリ」は私が見ても、非常におもしろい番組で、東京の地形を楽しんだり、日本橋や秋葉原など、いろいろなまちの意外な顔を見せてくれたりして、「まち歩き」がここまでテーマとしてメジャーになったかと感慨深く思う現象でもあります。テレビ番組で、タモリさんは地形を切り口に、地井さんは商店街のおじさんとの触れ合いを切り口にと、いろいろな方法で東京のまち歩きの楽しみを提示していますが、今日は日建設計さんに伺っていることもありますので、これから、「東京の建築まち歩き」というテーマでお話ししてみようかなと思っています。  建築でどうやってまち歩きするんだと言われると悩んでしまいますが、とにかく東京にはたくさん建築があるというのは確かだと思います。それもわざわざ見に行くべき建築がある。  「東京人」でやってきた建築特集の表紙をいくつか画面でお目にかけますと、同潤会アパートの特集を最初97年にやっています。同潤会アパートとは、関東大震災後の復興期、昭和初期に造られた近代的な鉄筋コンクリートの集合住宅です。これは、ほかの雑誌ではあまり特集しないものもやってみようかということになって発案された企画なのですが、これがすごく評判がよかった。みんな、そんなに同潤会アパートが好きだったのかということで私たち編集部の方がかえって驚いたという結果が出ました。その反響が大きかったので、2000年にまた同潤会アパートの特集を別の切り口でやっています。
(図3)
  同潤会みたいなレトロなものがみんな好きな理由ですが、当時バブルの後で、東京では古い建築がたくさん壊されていました。その反動もあって、こういうものを大事にしようというが、「東京人」の読者にも多くて、その共感を得たのかなという感触を持ちました。  99年には、大正時代の建築で東京に残っているものでこんなのがあるよという特集をやりました。「大正はいから建築」特集です。それも非常に評判がよかったので、次は昭和を対象に「昭和モダン建築」特集をやりました。
(図4)
 それから、古いものだけでなくて新しいものもやろうということで、現代建築の特集を99年、2000年とやっています。
(図5)
その頃また都心再開発が進むようになり、古い建物を保存しながら新しい建物をつくるというケースが増えてきました。2003年の特集「たてもの保存物語」では、表紙になっている小笠原伯爵邸など、昭和初期の邸宅建築を保存しながらレストランとして活用したり、銀座の交詢社ビルを部分保存しながら新しいビルを建てるというプロジェクトなどをレポートしています。  そのほかにも歴史的な建物を見に行くと、お庭と一緒に建物が素敵に見えるところが多い。お庭とお屋敷、例えば三井倶楽部や旧古河庭園のようなところを探してみると、東京にあちこちあるので、「お庭とお屋敷見学ブック」という特集もやっています。
(図6)
また、2002年には同潤会アパート特集をもう一度やっています。このころ続々と同潤会アパートが壊されて再開発されていった時代です。その特集では、今、表参道ヒルズが建っている青山アパートが壊されてしまうというので、その開発をなさっていた森ビルさんの協力も得て、天才写真家のアラーキー先生に写真を撮っていただいたり、ちょっと変わったこともやってみたりした企画内容になりました。 
(図7)
それ以後、「東京人」の建築特集は、だんだんジャンル別に細かく分け入っていくようになりまして、美術館建築の特集、宗教建築の特集といったテーマ別に建築を紹介しています。 
(図8)
これは去年の特集企画ですが、年間で2つの建築の特集をやっていて、その1つはかなり特殊なテーマで、「模型」の特集です。大規模な建築をつくるときは必ず模型を作りますね。その模型だけをひたすら集めて眺めてみようというので、東京でよく知られている建物の模型を、日建設計さんをはじめとした設計事務所、デベロッパーやゼネコン、建物の施主さんなどに見せてもらいに行きました。  特集では、模型がプロジェクトの中でどういう役割を果たしていて、模型としてのおもしろみがどの辺にあるかということを企画のテーマにしてみました。これは取材していてもとてもおもしろい特集でした。  もう1つ、「和の建築」という特集を秋にやっています。東京は、京都に比べると、都市の歴史が違いますから、本当に古いいいものは少ないんですが、それでも、江戸、明治、大正、昭和と見るべきものがあります。和の建築をあちこち見に行ったのですが、そのありがたみは、その時代の建築の専門家の方に解説していただかないとよくわからない部分がありまして、そのあたりを追求しながらつくってみた特集です。
(図9)
先ほどの「模型」の特集では、日建設計さんが東京でつくっていらっしゃるものを2つ取材させていただいたので、それをここで皆さんに見ていただきたいと思います。1つは、今押上に造っていて再来年に完成するということで非常に注目されている「東京スカイツリー」です。この模型は、取材撮影時には、東武線業平橋駅前の東武鉄道の本社玄関に展示されていて、そこに伺って撮影させていただきました。建物設計に関しては、日建のご担当者の方に、どういう点で設計に留意されたかなどをお聞きしまして、いろいろとおもしろい話が伺えました。 
(図10)
もう1つが「八重洲プロジェクト」。丸の内の煉瓦駅舎ではないほうの、高層建築の八重洲側を日建設計さんが担当していらっしゃいます。これも非常に大規模なプロジェクトで、約3年後の竣工予定です。2棟の超高層の間に「グランルーフ」という大きな屋根をかける工事をこれからなさるということです。  お話をうかがったところ、この模型をつくったことで、クライアントなり行政なりを説得するのにかなり役立ったということでした。これを持って、こういうふうになりますよということを実際に見せながらプレゼンテーションできて、この建物の形が実現したというお話を伺って、特集のテーマである「模型の効用」というのを感じた次第です。  そんなことで「東京人」では、さまざまなテーマで建築の特集をやってきた歴史があります。当初は、この雑誌の特集に建築がテーマになるとは思っていませんでした。建築なんてそこらへんにあるものだろうという感じもあって、特集のテーマに据えたのは、91年の「建築を見に行こう」が最初だったと思います。86年に創刊して5年ぐらいは建築に対して無自覚だったのかもしれないと反省しています。  そうはいっても、「東京人」が創刊したときは、編集長だった粕谷のほかに、国立西洋美術館の館長をされていた高階秀爾先生、東大で比較文化の教授をされていた芳賀徹先生、建築家の芦原義信先生が編集委員でいらっしゃった。そのメンバーから考えても、建築に対しての視点、意識は、創刊の「東京人」の時点ではあったと思われるのですが。  芦原義信先生は、東京オリンピックの駒沢会場の計画や体育館、銀座のソニービルを設計された方で、ちょうど創刊したころは、東京芸術劇場を池袋につくっていらっしゃいました。  90年代はじめまでは、先ほど申し上げたように、時代の状況がバブルだったので、いろいろな建築が東京にできてきました。例えば、鈴木都知事がやったプロジェクトで、東京ルネッサンスの一環として、都庁を有楽町から新宿に移す。設計はコンペをやって丹下健三さんがなさった。その移した有楽町の都庁の跡地に東京国際フォーラムをつくる。それもコンペで、ラファエル・ヴィニオリというベネズエラ人の建築家の作品ができた。また、両国の江戸東京博物館の設計は菊竹清訓さんがなさっています。そういった東京都による大きな建物が都内にたくさんできたという現象がありました。  それと同時に、外国人建築家の作品がこの時期にやたら都内にできました。リッカルド・ボフィルやマリオ・ボッタ、ノーマン・フォスターなど世界的に活躍している人が、次々と都内に建築をつくり出した。それらは、今見るとわりと小規模な建築が多かったようです。  そのように東京に新たな建築がたくさんできたところで、これは特集としてテーマにした方がいいのではないかということになり、90年代ごろから、ぼちぼちと建築特集をするようになりました。  同潤会アパートも、たびたび特集テーマにして来ましたが、「東京人」の読者は、古くて手ざわりがある古本みたいなものが好きらしいのです。例えば、古書街である神保町の特集をやると、非常に売れ行きがいい。 そんなことで、東京の歴史的建築と最新建築両方を取り上げるような状況になっていったのです。


2.まち歩き

 建築をテーマにした「まち歩き」を、どんな企画として誌面化できるか、「東京人」でもずいぶんと記事として形にしてきました。だいたい「まち歩き」というのはどういうことなのかということを、この度皆さんにお話しする機会に、改めて考えてみました。  まち歩きは散歩とどう違うか。違わないようにも思いますが、家の近所を歩くとか、犬と一緒に散歩する、そういうのが散歩だとすると、まち歩きはまちを歩くから「まち歩き」なのではないかと思います。目的地やテーマがあることが多い。大げさに言ってみると、一種の観光です。  例えば、電車に乗って目的地に行って歩いたりする人は、わりと「まち歩き」愛好者には多いですね。そこで写真を撮ったり、撮った写真をブログに載せたり、自分なりのテーマ性に沿った「まち歩き」をやっている人が多い。  1人で歩く人もいますが、連れ立って歩かないと不安だとか、そのほうが楽しいという人もいます。人それぞれです。私は1人派ですが、大勢で歩きたいという人も多くて、その人たちが今の「まち歩き」ブームを圧倒的に支えているのだろうと思います。  先だって聞いた話ですが、東京メトロでは、メトロ沿線の「まち歩き」に参加する人を駅のポスターで募集していて、それに2万人の応募者があったというのです。一体どこからどういう人が来たのか、それを知りたいものです。そんなに「まち歩き」をしたい人がいるのかと驚きました。  また、中央区では、「まち歩き」ガイドのボランティアの方たちがいて、その活動がとても盛んだということです。私などは、今日はあっちに行ってみようかな、こっちに行ってみようかなと、1人でフラフラ気の向く方向に行ってしまう派なんですが、そうやってだれかに案内してもらってまち歩きしている人も多くいらっしゃる。  もうひとつ、まち歩きブームと同時に注目されていることとして、「観光」という行動があると思います。国土交通省、観光庁などが「ようこそジャパン・ビジットジャパン」のキャンペーンなどをやって、海外、アジアの観光客にもっと来てもらおうとしています。東京についても東京都が外国人観光客を誘致しようという努力をしています。そういう人たちに東京を歩いてもらおうということも考えられると思います。  実際に東京を歩いている東京及び東京近郊の人も、地方や外国に行って、「観光」という行動をして、これと同じことを東京でやってみたらおもしろいんじゃないかなということに気がついたから、東京「まち歩き」がさかんになってきたのではという気もします。  例えば、外国に行くと、建物を見に行ったり、まち並みを見にいったり、そういった行動を意識的にするわけです。昔の観光旅行というと、バスに乗って目的地に連れていかれて、着くとガイドさんについてダラダラとその後をついて回るというスタイルが多かったんですが、最近は自分でコースを回る、ガイドブックに載っているところを回る、そういった形に変わってきた。  ガイドブック業界でも、「ブルーガイド」という老舗と言えるガイドを出している会社の人に聞いた話ですが、昔風のガイドブックではなく、「てくてく歩き」という、歩いて観光コースを回るシリーズの売れ行きが非常によくなってきているということです。  「まち歩き」という趣味は、「東京人」は創刊25周年ですが、ここ10年、15年ぐらいで定着してきたものかなという実感を持ちます。 「まち歩き」の元祖は、「東京人」を編集しているとたびたび登場してくる人なのですが、永井荷風という作家だと言えるでしょう。明治に生まれて昭和30年代に亡くなった人です。『?東綺譚』という作品で玉ノ井の遊女を描いたり、自分の生涯をずっと『断腸亭日乗』という日記に書いたりという作品を残した人が、散歩文学の元祖みたいに言われています。その荷風の『日和下駄』という随筆がありまして、大正6年に書かれたものです。そのころ、散歩という行動はあまり日本人には親しまれていなかったものらしい。江戸、明治、大正期において、人びとにはそれほど余裕はなく、徒歩は移動手段でしかない。用がないのに歩く人はいなかったし、そんなことをしているとあやしまれるという風潮だったそうです。  それを用もないのに散歩を続け、東京を景色としていい場所だと評価して、最後の江戸の名残を文章にしたためたということで、『日和下駄』は今読んでもおもしろい作品となっています。岩波文庫の「荷風随筆集」という本に収録されていますから、手軽に読むことができます。それを見ると、章ごとに、崖や坂、水、路地というテーマに分かれていまして、それが今見ても全然古くないのです。東京「まち歩き」のエッセンスは当時からずっと変わっていなくて、さすがに近代化して都市としての東京の姿は変わっているけれども、今昔を通じて、歩くに値するおもしろいまちであるのかなということを思います。  「まち歩き」をするのに、建築をその中にテーマとしてどうやって取り込んでいこうかということをまじめに考えてみたのですが、「まち歩き」する時は、まち並みを 楽しんだり、いくつかのポイントを前もって設定してその間をつないで歩くということもできるわけです。そうなると、建築から建築を渡り歩いて「まち歩き」をするということも当然できる。  例えば、京都に行ってお寺を参観するということはよくあるでしょう。お寺というものも広く考えると「建築」です。パリに行って観光すると、エッフェル塔や凱旋門、ルーブル美術館などを巡りますが、あれも広く考えると「建築」。東京には見て歩くべき建築がたくさんあります。古いもの、新しいもの、それぞれ織りまぜながらも見て歩いたらおもしろいのではないか。そして、歩くときには、ある程度統一したテーマで歩けるルートを考えていったらよいのではないかと思うのです。  おすすめできると思ったのは、白金あたりに行きますと、大規模なお屋敷が今でもいくつか残っています。今でもそこに住んでいるお金持ちはさすがにいなくて、美術館になったり、結婚式になったりしています。例えば、東京都庭園美術館はかつて朝香宮様のお屋敷でしたが、お庭も立派です。その近くには八芳園という結婚式場がありますが、久原房之助という有名な財界人の屋敷だったところです。その近くには畠山記念館といって美術館になっているところがありますが、ここは荏原製作所の創業者の自邸だったところです。いずれも改装されていますが、今でも古い建物とお庭があって、その3カ所を続けて歩くだけでも、立派なお屋敷の建物と白金台のまちの雰囲気が味わえます。 そこからもわりと近い品川駅の高輪口に出ますと、原美術館という昭和初期の実業家の原さんという方のお宅を改装した美術館があります。銀座の和光や、東京国立博物館の本館を設計した渡辺仁の作品である邸宅を現代美術の美術館にしていて、その組み合わせの妙が持ち味です。そのさらに近くには、元宮様のお屋敷の敷地だった新高輪プリンスホテルがありまして、今でも竹田宮様のお屋敷が残っていて、宴会場に使われています。高台にあって、地形も広々として風通しもよく、道も広くて、緑もたくさんある。そこにお屋敷があるということで、このあたりを歩くと、品川高輪の邸宅地としての歴史を実感できると思います。


3.ブランド
 
(図8)
  ブランドショップというものを皆さんご存じだと思います。建築はお仕事柄よく見ていらっしゃる方が多いと思いますが、この10年ほど、東京にヨーロッパのブランドショップがたくさんできました。主に表参道、銀座に集中しています。例えば、これは青山にある建築で、最初に見たときは、私も「すごいものをつくったな」と驚きました。「プラダ」という、イタリアのバッグや靴や洋服をつくっているメーカーの東京のお店です。ヘルツォーク&ド・ムーロンという北京オリンピックのスタジアムを建築した前衛的といったらいいのか、おもしろい建築をつくる人たちがデザインしたものです。外から見てもかなりインパクトがありますが、中に入ってみるとまたおもしろくて、わざわざ見に行く価値がある建築だと思います。いらしたら、ぜひ中に入って上階まで上がって見られることをおすすめします。
(図9)
 このほかにも、表参道にはたくさんのブランドのショップがあります。「ルイ・ヴィトン」のショップは青木淳さんという方の設計。
(図10)
そのはす向かいには、隈研吾さんがつくった「ルイ・ヴィトン・モエ・エ・ヘネシー」というブランドグループのビルがありまして、一階には四つのルイ・ヴィトングループのやっているブランドショップが入っています。 
(図11)
 黒川紀章さんが設計したビルの中には「バーバリー」のブティックが入っていたり、先だってプリツカー賞を受賞された妹島和世さん設計の「ディオール」のビルなど、軒並み有名ブランドが並んでいます。
(図12)
「トッズ」というイタリアの靴とバッグのメーカーのショップは、伊東豊雄さんが設計したもので、これも表参道のケヤキ並木を意識したなかなかおもしろい建物です。表参道、青山では充実したブランド建築散歩ができます。  ここで建築散歩をする時は、「プラダ」と同様、外から見るだけでもおもしろいですが、内部に入ってみることで、その建物が何倍にも楽しめます。入りにくいといえば入りにくい店なのですが、お店側も建築を見にくる人に慣れているところが多いので、あたたかく迎え入れてくれます。
(図13)
 銀座にもたくさんブランドのお店があります。これは、エルメスのショップで、ビル一棟ごとレンゾ・ピアノがデザインしています。 エルメスは、この銀座店が非常に評判がよくて、売上げもあがったようで、これをつくった何年後かには、この裏にもう1棟別館をつくっています。
(図14)
このほかにも銀座には、シャネルのビルが松屋の向かいにありますし、晴海通りにはアルマーニのビルがあります。二丁目のティファニーはファサードのデザインを隈研吾さんがやって、すごくきれいになりましたね。
(図15)
 私がすごくおすすめしたいのは、銀座通り沿い松坂屋の先七丁目にある、「スウォッチ」という、ヨーロッパのさまざまなブランドの時計のお店が入ったビルです。坂茂さんという日本の建築家の方がデザインしたものですが、なかなかインパクトのある建築です。1階にはいくつか、時計ブランドごとのブースがあって、そこに入っていって、ボタンを押すと入口が閉まり、それが自動的にエレベーターになって、いつの間にかそのブランドのショップがあるフロアまで連れていかれてしまう。これを最初に体験したときには非常に驚きました。今までの日本人の発想にはなかなか見られない大胆なコンセプトの建物ですね。道を歩いていてちょっと興味を引かれて、そこに迷い込むと、実際に超高級ブランドの何百万もする腕時計屋さんに入ってしまうと、ここからどうやって抜け出したらいいか困ってしまうんですけれども、遊園地感覚で楽しめるところなので、ここもいらしてみるとおもしろいと思います。  先ほども申し上げましたが、ブランド建築では、外から眺める、一階に入ってみる以外に、上の階に行ってみると、また違った楽しみ方ができます。中にはカフェなどもあって、値段はちょっと高めですが、お茶を飲めたりします。一番上のフロアにはギャラリーがあったりして、無料で現代アートなどを見せているところもあります。エルメスのギャラリーでは、藤森照信さんの建築の展覧会をやったり、今度は、以前に首相をなさっていた細川護熙さんの展覧会など、いろいろ変わったことをやっています。  ヨーロッパ、アメリカのファッションブランドは、最近アートへの取り組みに熱心で、有名な現代美術家とのコラボレーションをやっていたりするところが多いのです。そういうことに取り組んでいないところは、むしろ遅れているのではないかと見られるぐらいで、エルメスをはじめ、シャネルなども一昨年でしたか、ザハ・ハディドという女性の建築家がつくった非常に不思議な宇宙船みたいなブースを代々木の体育館のところに持ってきて、その中でいろいろなアートを見せるイベントをやっていまして、建築アートにはみんな非常に意欲的です。  新しいブランド建築はもう一通りできてしまったので、最近、鎮静化ぎみですが、とりあえず順番に見ていっても、まだ十分楽しめると思います。


4.丸の内

(図16)
 歴史的な建築まち歩きとして、王道的な場所なんですが、丸の内を歩くのもおすすめです。丸の内には最近、明治のレンガ建築「三菱1号館」が復元されたのも話題になりました。写真は、東京駅の丸の内側の赤レンガ駅舎。去年の写真ですが、今は工事用の仮囲いで建物は全然見えません。この赤レンガ駅舎は、2013年に、戦前の空襲に遭う前のタマネギ型の屋根に吹きかえられて復元されます。それも楽しみです。
(図17)
 東京中央郵便局も今工事中ですね。一時、建物が取り壊されたことについては、自民党政権時代に総務大臣だった鳩山邦夫さんが出てきてすごくもめていました。この後ろにJPタワーという超高層を建てながら古い建物を保存するというプロジェクトが進んでいるところです。今見に行くと、表側の何メートル分かしか残ってなくて、こんなに壊しちゃって大丈夫なのかと思うんですが、果たして昔の郵便局の高い空間の執務カウンターのところが残るのか、不安な感じではあります。これは昭和初期にできたインターナショナルスタイルの建物で、私は、これがすぐれた建築だということを専門家の人に言われて、初めてそうだったのかと思った記憶があります。昭和初期に、ブルーノ・タウトという有名なユダヤ人の建築家がこの建物をたいへん評価したという歴史もあります。
(図18)
 銀行倶楽部です。これはお堀の近くにありまして、下がレンガ建築で、上のほうに視線を動かすといつの間にかビルになっているという不思議な建物です。これは私も、何でこういうことになったのかと思っていたのですが、この建物は歴史的な価値があるし、愛着がある人が多い、けれども、再開発はしないとどうにも立ち行かないということで、折衷案としてこうなったらしく、これに対しては、なんでこんな中途半端なことになったんだという批判もあったようですが、保存派の人に聞くと、このような例を経てきたから、ようやく今、建物を保存しようという時代になってきた、これは過渡期の例として意味があったんじゃないかという前向きな評価をされていまして、私もそれを聞いて、ああそういうものなのかなと思った次第です。
(図19)
 今年の4月に本格オープンした三菱1号館です。建物内には美術館も入っています。明治時代の建物で、丸の内にできたオフィス建築の第1号をまったく忠実に構造から復元したもので、もとは鹿鳴館をつくったコンドルが設計したもの。これも昭和40年代まではオリジナルの建物が建っていたんですが、都心の一等地に建つ建築というのは、どうしても経済性に左右される存在ということがあって、高度経済成長期に解体されました。しかし、当時は今ほどは問題になりませんで、しかし今になって、それを一から復元しようという英断が下されまして、レンガを焼くところから始めて、構造から復元したという大プロジェクトです。見に行くと、なかなか立派なものができていて、これでまた東京駅のレンガ駅舎が復元されると、丸の内の街並みも違ってくるかなという予感がします。
(図20)
 明治生命館も昭和初期にできたものです。岡田信一郎が設計して、石でつくった建築としてはすごくすぐれたものということです。これも背後に超高層棟をつくっての再開発で残った建物です。やはりこういう建物を残すにはどうしても経済性の上でのプロジェクト全体の採算が大事になってくるようです。歴史的な建物を残すから高層棟の容積率にボーナス分を上積みしてもらうとか、そういうことがだんだん認められるようになって建物が残るようになってきたという背景もあります。  この明治生命館は、建物の中の執務室、生命保険会社としての事務が行われていたところも見学できるようになっていて、建築まち歩きのコースとしても見ごたえのあるものになっています。
(図21)
 これは新しいものですが、丸の内と言っても有楽町の駅前に近いところにある、「東京国際フォーラム」です。最初にお話ししました東京ルネサンスのプロジェクトの一環でつくられたもので、巨大なガラス棟とホール棟があります。これも外から見てもいいですが、中に入ってもすごくきれいな建物です。壁面をずっとスロープで上がっていけるようになっています。  丸の内は古いものもありますが、こういう新しいものも中には点在していますし、建築として楽しむかどうかは別かもしれませんが、丸ビルや新丸ビル、仲通りも新しいお店がたくさんできていて楽しめます。  時代は江戸になりますが、皇居もありますので、江戸時代の番所など古いものを見にいってもおもしろい。すぐ近くですので、そこまで足を延ばしてみてもよいと思います。


5.戦後モダニズムの建築

 戦後モダニズムの建築に最近注目があつまってきたと実感しています。「東京人」では、同潤会アパートなり、明治、大正、昭和の建築など、昭和の戦前以前の建築はずいぶん特集してきました。築五十年以上という基準があり、十年ほど前まではアカデミズムの世界でも、戦後のものはまだ評価されていない傾向がありました。  しかし今や戦後六十五年。研究者や書き手の方々の世代も大分若くなってきて、今30代、40代ぐらいの建築家及び研究者で、戦後モダニズムを研究している、評価している人が多くなってきた。例えば前川國男、坂倉準三、村野藤吾など、巨匠といわれている方々がいますけれども、それ以外に、名も知れぬ建築家がつくったビルが山ほど東京にあって、それが高度経済成長期の日本を支えたという評価が生まれ始めている。 
(図22)
その中で、なぜかとても人気があるものに、「新橋駅前ビル」と「ニュー新橋ビル」というのがあります。片方は汽車ポッポがある烏森側にあり、もう片方は汐留側にあります。昭和20年代に闇市だったところをそのままほうっておくわけにはいかず、ビルに統合したという建物です。
(図23)
今でも地下に行くと、飲み屋街になっていまして、戦後の雰囲気を残している。 建築の学生さん、院生、研究者の人にとっては、あそこは非常におもしろくて研究に値するし、保存するべきだという意見があって、それを最初に聞いたときは驚きましたが、そういうものも戦後60年たって価値を持つ時代になってきたにかなと思います。  最近の「東京人」の記事にも載せましたが、超高層ができる以前の虎ノ門や新橋に点在する森ビルのナンバービル、大手町の古めのオフィスビルなどを「戦後ビル遺産」と名づけて価値づけていこう、できれば保存していこうという話があります。若手の研究者たちによると、歴史的意義があるし、建築としても価値があるという評価がされています。  私が「東京人」で建築特集をやってきた時代でも初期は、昭和が終わってまだ余り時間がたってなかったということと、アカデミズムでそういうものを認めてなかったということもありますが、やはり今、かなり状況が変わってきたなと思います。私自身も、今注目すべきものは戦後モダニズムと戦後ビル遺産だろうと思います。  そこで、戦後ビル遺産に関して、どのような建築まち歩きができるかというと、やはり新橋に行っていただくのがいいと思います。それも夕方になるとかなり新橋らしい雰囲気が濃くなってきて、烏森の機関車前の人混みは100%おじさんとなっているところで、闇市の名残のあるニュー新橋ビルと汐留側の新橋駅前ビルの両方を探検していただくのがいいかなと思います。  そのほか建築家別でいいますと、これも点在していますので、線としてまち歩きするのはむずかしいんですが、丹下健三設計の代々木の体育館や、黒川紀章設計の中銀カプセルタワーは、海外からわざわざそれを見るためだけに来る人もいるような作品です。たとえば明治神宮と、たとえば銀座でのショッピングと組み合わせたりして見に行くのが、1つの建築まち歩きコースになるかなと思います。  それから、もう一つ提案したいのが六本木の建築散歩です。ここ7、8年ほどの間六本木地区がかなり再開発されて変わりまして、ミッドタウン、六本木ヒルズ、国立新美術館という、3つの美術館がある地区が生まれて、それを「アートトライアングル」として、3つの美術館を回って散歩しようということが提案されています。それぞれ有名な建築家の方がつくっているものなので、その3つを回るというのも、建築まち歩きとしておもしろいと思います。 なかでも東京ミッドタウンは、アメリカのSOMという建築組織と、日建さんが一緒になさったプロジェクトです。中には安藤忠雄さんがつくったギャラリー、隈研吾さんがつくったサントリー美術館もあります。いろいろな建築家の作品が楽しめる場所です。  六本木ヒルズの森タワーは、KPFというアメリカの事務所が設計したものですが、タワーのほかに江戸時代の大名庭園を復元した区域などいろいろなものがあって楽しめます。  国立新美術館は、黒川紀章の遺作になりまして、外から見てもなかなかインパクトのある建物なのです。この3カ所の美術館を回るのも一つの方法ですし、そのほかに、東京ミッドタウンには、ミッドタウン内を見せるガイドツアーというものを用意されているので、それに参加してみられるのもよいのではないかと思います。


6.和の建築

(図24)
 次は、東京都内にある和風建築についてお話しします。東京には、京都や地方都市ほど、和風建築で古くて価値のあるものは、それほどないのですが、お屋敷、お寺を中心にいくつか見るべきものはあるということで、特集を組みました。  この写真は、文京区の小石川にある銅御殿(あかがねごてん)です。今は、大谷さんという方のお宅で、予約制で一般に公開されています。国の重要文化財にも指定されている、大正時代にできたかなり立派なお屋敷です。この写真は門ですが、たいそうな銘木を使ってつくられたもので、主屋も3階建てで大きな建物です。  「和」の建築の取材をした時に実感したことですが、いくら価値のある建築でも、そのありがたみというのは、専門家に解説してもらわないと今ひとつわからないものだということです。この銅御殿も、樹齢何年のどこで採れたヒノキを使って、大工の棟梁がどういう技を凝らしてつくったものであるということを説明されると、そこで感心する度合いが、プラス50ポイントくらい一気にあがる。そういう奥深さというか、一見素人にはわからないものが、「和」の建築の真髄にはあるようです。  例えば桂離宮や二条城なども、本物を見ればすごいと思うし、最初から価値ある建築だという情報を知っているので、とりあえず見る前から感心するつもりになっているものですが、東京で初めて見るお屋敷では、専門家に解説されてその意外なありがたみに感心するという体験を何度もしました。
(図25)
これは千駄木にある某お屋敷で、安田邸という登録文化財の邸宅の近くにあるものです。立派なお茶室をいくつもお持ちで、それを非常によく手入れされて大事に受け継いでいらっしゃいます。こちらも、ここのお茶室のこの部分は、どこかの有名なお茶室の写しであるとか、ここの庭の石はどうだとか、いろいろお話を伺うと、じわじわとその奥行きの深さがわかってきます。  こういう建物に取材で伺うと、日本建築は維持していくのがすごく大変だなということを感じます。撮影するときに庭に打ち水をしなければいけない。ホースでまけばいいというものではないので、じょうろで撒くと時間がかかるし、大きな建物ですと、雨戸が閉まっていて、それを全部あけるだけで1時間ぐらいかかったりして、これは毎日はやっていられないなというところがあります。日本建築は日本の風土の中で生まれたものとはいえ、今の時代そうやって維持したり、修理したりというのはすごくお金もかかるし技術も必要で大変なことです。  こういった和の建築をどういうふうに建築歩きするかを考えてみましたが、千駄木のあたりは、この家のほかにも、先ほど申しあげた安田邸があったり、登録文化財に登録されている島薗さんというお宅があったります。また、近くには森?外が住んでいた団子坂という坂もあって、?外旧居跡の記念図書館が改装建築中です。こういう和のお屋敷が残っている界隈は、今もってまち歩きエリアとして楽しめるところなのです。 最初の銅御殿も、小石川植物園の近くで、植物園の中には、東大構内にあった旧東京医学校本館の移築建物があります。明治時代の建物で重要文化財に指定されているものです。このほかにも小石川周辺には、風情のある坂道があったり、元東京教育大の敷地だったところに江戸時代のお庭の遺構があったり。いい建築がある周りにはいいまち並みがあるということで、こういった「和」のお屋敷系ですと、まち並みと一緒に建物を見に行く、それもできれば解説つきでというのが、その接し方としてよいのではと思います。


7.湾岸建築

(図26)
 そのほか、建築まち歩きとして、こんなのはどうかというのを2つほど考えてきました。  東京港の臨海部・湾岸というのは、いろいろな変わった建物があるので、まち歩きのテーマにはおもしろいかなと思います。湾岸というと、お台場や青海、豊洲、東京湾を隔てた埋立地の区域にあたりますが、たまに出かけてみると、都心部とはまったく違った東京が広がっていることに驚きます。まず、お台場あたりを眺めて一番目立つのは、フジテレビの建物です。東京ではテレビ局の移転が相次いでいますが、フジテレビはその中でもいち早くこの湾岸部に移転してきています。この丹下健三設計の建物は、今でも湾岸部一のインパクトのあるものだなと思います。
(図27)
 これは日本科学未来館という、一種の博物館です。日建設計さんの作品で、宇宙飛行士の毛利衛さんが館長をされていて、いろいろおもしろいイベントや展覧会が行なわれています。ここはゆりかもめでも行けますが、フジテレビから歩いて行くこともできます。その間も緑地がずっと広がっていますので、歩いても気持ちのいいところです。
(図28)
 その先にテレコムセンターというお台場の凱旋門みたいなものがあります。この臨海部では比較的初期にできた建物です。一種のランドマークになっています。
(図29)
 そのまた向こうには、大江戸温泉物語という、何とも言えない不思議な建物が建っていて、最初これを見たときは驚きました。内部は、健康ランドというか、温泉になっていて、いわゆる昔のお風呂屋さんみたいな建物が突然、湾岸、青海の、本当にこの先は海というところに建っていて、かなりインパクトがあります。
(図30)
ゆりかもめに乗っていきますと、豊洲の方に丸い建物があります。これは一体何だろうなと以前から不思議に思っていたんですが、東京電力のデータセンターらしいです。丸い形をしているのもシンボリックでおもしろいと思って前から気になっていた建物です。手前の緑地になっているところに築地から移転してくる新しい豊洲の市場ができるらしいです。
(図31)
これは国際展示場・東京ビッグサイトです。これも何でこんな形にしたんだろうと思うような建物で、湾岸部でなければつくることが許されないようなものだと思います。2016年のオリンピック候補地のプランでは、ここがメディアセンターになるという予定になっていましたが、落選してしまいました。  ここではいろいろな見本市が行われています。私が行った日はそれほど大きなイベントはなかったんですが、毎年ここでコミックマーケット(コミケ)という有名なイベントが開かれて、その日に行ってみると、いわゆるコスプレをした人などが山ほどいて、驚くような混雑ぶりだということです。


8.鉄道関係

(図32)
 もう1つ、皆さんに私がおすすめしたいのは、鉄道関係の施設を見て歩くということです。鉄道はあくまでも鉄道で、建築でないではないかと言われてしまえばそれまでなんですけれども、レールも駅も人間が設計してつくった構造物であるという点では、広く建築ととらえることができるのではないか。そうすると、また別の見え方がしてくるかなと思い、あえて強引に鉄道を建築の一ジャンルと定義づけてみました。  都内には鉄道の産業化遺跡というので、本当に価値のあるものがあります。新橋、有楽町のあたりのレンガのガードは明治後期から今日まで使われているもので、これだけを改めて見てもかなり美しいし、構造物としてもすごいものだなと思います。このレンガ沿いを歩いてみると、かなり見ごたえがあります。
(図33)
このガード下は、新橋駅側から有楽町の駅の近くまで来ると、結構お店が入っていたりします。ガレージや倉庫がわりに使われているところもあって、その利用のされ方もおもしろい。装飾も場所ごとに違っていたりして、けっこう楽しめます。
(図34)
 これは総武線の鉄橋を、御茶ノ水と秋葉原の間の昌平橋から見たものです。この二つの鉄橋は昭和の初期に関東大震災の復興でつくられたもので、デザインもかなりモダンですし、今でもこれが機能しているのはすごいことだと思います。
(図35)
 これも総武線の秋葉原から浅草橋にかけてのガードです。この区間は地上4階の高さを総武線が走っていて、その下にアーチ状の高架があります。ガード下はほとんどお店が入っていますが、駅から遠くなってくると、この写真のようにあいているところがありまして、これを見ると、実は高架自体がこういう形だったのかというのがわかります。昭和の初めにこんなにすごいものを作っていたのかと驚きます。この種の構造物を見ると、これは鉄道でもあるし、建築でもあるなという感じがします。
(図36)
御茶ノ水の駅は、昭和初期にできた非常にモダンな駅で、竣工当初もかなり話題になった建物ということです。これは水道橋寄りの、ホームにおりていく階段ですけれどもが、蛇腹状になっていて、昭和初期の意匠を感じるつくりです。実は20年ぐらい前に、御茶ノ水駅のリニューアル案のコンペをやっていて、採用された案は決まっているはずなのに、それがまだ実施されていません。この階段は、コンペで新しい建物ができても、なくならないでほしいなと思うデザインです。
(図37)
 次は上野駅です。上野駅は東京駅に比べて余り注目されていないんですが、駅前の歩道橋から見ると結構立派な建物で、皇室用の貴賓室だった部屋が残っていて、今ではそれが「レカン」という高級レストランになっています。上野駅は、磯崎新氏が設計して高層の駅をつくるという話がバブル期にあったんですが、それも反対運動があって中止になり、今もこの昭和初期の駅が存続しているわけです。  10年ぐらい前に、駅の内部が「アトレ」というJRのエキナカ商業施設に改装されて、驚くほど変わりました。そのエキナカ商業施設とこの古い昭和モダンの感じがちょうどいい具合にミックスされて、よくなったかなと思います。
(図38)
 これはまた建築まち歩きにはぜひお勧めしたい場所で、東武伊勢崎線の浅草駅です。後ろに見えるのが、松屋のデパートの建物と東武の浅草駅が入っているビルです。  この前新聞で読んだのですが、この浅草の松屋というのはお客さんがあまり来ないので、7階建てのうち3階までしかデパートとして営業していない。すでに地下鉄の乗り入れ駅は押上に、JRとの乗り換え駅は北千住へと、拠点駅が移転してしまっているため、ターミナルデパートとしても、なかなか厳しい状況に追い込まれているらしいです。昭和の初めにできたデパートの建物から延びている、伊勢崎線のホームが隅田川の鉄橋に向かって90度くらいあるのではないかというほどの急角度で曲がっているので、それだけでもちょっとしたスペクタクルで、ぜひこのホームの先端に行って、その急カーブを確かめてみられることをおすすめします。
(図39)
 こういう感じで、この先、隅田川を渡るために、急に線路が曲がっています。東武線のホームの先端では、電車とホームの間があいているところでは30センチほどあるのではないでしょうか。
(図40)
原宿駅です。原宿駅も都内の駅建物としては古くて、象徴性があります。明治神宮ができて、その乗降駅ということでこれだけ立派なものが建てられました。後ろの明治神宮の森がこの建物を際立たせているのがいいと思います。図らずも代々木のNTTドコモのタワーが見えていますが、それも借景となっておもしろい風景になっています。
(図41)
地下鉄銀座線の駅は、昭和初期のものがそのまま使われているのが、歴史性を感じさせます。今は新しい地下鉄はみんなシールドマシンで掘っているので、トンネルの風情も違うし、駅自体が昭和のタイムトンネルのような感じもします。そういう視点で銀座線の駅を見ていただくと歴史的建築としておもしろいと感じられると思います。
(図42)
 日暮里の駅です。右側の屋根を支えている金属は、古レールです。全国的に、古いレールを駅の建材として利用しているところは多くあります。多摩美の先生の岸本章さんという方が、『古レールの駅』という本を鹿島出版会から出していらっしゃって、たいへんおもしろく読みました。  日暮里の駅も古レールをたくさん使ってあります。この屋根を支えている部分が非常にいい感じだなと思っていつも眺めています。このほかにも、水道橋、浅草橋などの駅でも古レールが使ってあって、そのデザインを見て歩くと建築専門の方にも楽しめるのではないかと思います。
(図43)
 飛鳥山の跨線橋も、非常にいい眺めです。これも古レールを使ったものです。これは人が渡るための人道橋で、王子の駅のホームから見えて、渡るとそのまま飛鳥山の公園の中に入ってしまうという不思議な橋です。古レール物件としておすすめです。
(図44)
有楽町の東京国際フォーラムの向かい側に、東京交通会館という昭和30年代の終わりにできた、上に回転するレストランがある建物があります。3階に、このように新幹線がすぐそばに見える展望デッキがありまして、お花が植えてあって、憩いの空間として演出してあり、私のお気に入りの場所です。そばにカフェテラスがあって、お茶も飲めます。国際フォーラムの下を新幹線が走っていくのが見えてすごく楽しい。新幹線は、この前500系車両が引退して残念ですが、ここにはかわるがわる新幹線がやってきて、子ども連れも多く、大人が1人で行っても恥ずかしくない場所です。  有楽町、東京駅、浜松町駅、田端や日暮里などは新幹線がよく見える場所がたくさんありますので、鉄道好きの方がまち歩きするのにはいいと思います。


9.これからのまち歩き

 最後に、これからどのあたりが東京まち歩き、建築歩きで盛り上がるか、注目が集まるかをお話ししたいと思います。  なんと言っても今、すごく盛り上がっているのは東京スカイツリーですね。実際建物ができるのは来年の11月で、建物に入れるようになるのは再来年の5月ぐらいという話を聞きました。でも、今現在においても、建設途中のスカイツリーを見物したり写真を撮ったりしている人たちを、浅草の吾妻橋でも、押上の駅前でもたくさん見かけます。浅草や錦糸町、向島など、周りのまちがこれで何とかたくさん人に観光に来てもらいたいと頑張っているし、地元の墨田区もまちづくりに熱心です。  もう1つは、東京駅です。丸の内側と八重洲側とも駅舎が改修中ですが、2011年度に丸の内赤レンガ駅舎の復原、13年度に八重洲側の建物も完成する予定。丸の内の駅前広場は、車を入れず歩行者用の広場になるということです。 そのころには東京中央郵便局再開発のJPタワーもできているはずですし、レンガ駅舎の中には東京ステーションホテルも高級ホテルとして復活するという話を聞きました。  八重洲側では、日建さんの設計で、低層の商業ビル「グランルーフ」の工事が進んでいます。鉄道会館という昔大丸が入っていたビルを壊して、そこに新しい建物を造るのですが、何しろ上を鉄道が走っても大丈夫なように頑丈に造った建物だったので、壊すのがたいへんだという話をJRの人に聞きました。  このスカイツリーと東京駅という2つの場所には、これからも注目していきたいと思っています。   今日はとりとめもない話を延々としまして恐縮です。ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)


フリーディスカッション

 鈴木先生、ありがとうございました。私も個人的にまち歩きが好きですので、今日は大変興味深く拝聴いたしました。また、ぜひ訪ねてみたい建物、地域をご紹介いただきまして、ありがとうございました。  それでは、会場の皆様方、先生にご質問のある方はどうぞお手をお挙げください。

與謝野 会場からのご質問が出る前に、私のほうから1つご質問させていただきます。  まず、今日は東京の中の建築、まちを文化的、観光的な視点からガイドをいただき、貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。  いろいろ拝見している中でふっと思ったのは、同潤会アパートのシリーズで大変な評判を得て、関心を高めた。あるいは鉄道建築、レンガ造、要は時の刻みが深く刻まれている建築に人間というのは何故か心の安らぎを覚える。それは一体何なのかなというあたりは、まち並みの景観に厚みを持たせるという意味において何か学び取るところがあるように感じます。一種の自分探しなのか。例えば、パリやロンドン、スウェーデン等の自分が一度も住んだことのない古いまちに行っても、何か安らぎを覚えるものがあるように思いますので、人間共通の感性かなと思いますが、そのあたりについて鈴木さんのお考えなり感じられたことがあれば、ご紹介、ご披瀝いただければと思います。

鈴木 何が古い建物の魅力なのかというのは、一言ではいえない難しさがありますけれども、やはり安心感というのは大きいかもしれませんね。東京のまちは、何だかんだいって都心には古くからの歴史があるところが多いですから、まるっきり全部新しくなってしまったところはかえって少ない。例えば、原宿あたりでも一歩裏に入ると古くからの家があったり、商店があったりして、ちょっとでもそういうものがあると安心します。  この前、大崎というまちに用があって行ったら、今まちじゅう全部が再開発されていて、駅からデッキでビルの中に直接入る仕組みで、大崎のまちの地面を歩く経験を持たないで、大崎のまちの用が終わるんです。一昔前の大崎のまちのことをテーマに原稿を書くために取材に行ったのですが、これでは何も書くことがない、どうしようかと思って、地図を見たところ、大崎総鎮守という居木神社があった。そこは意外に古い神社で、境内の風情もよい感じで、そのあたりを歩いて、ちょっと安心しました。まちには、そういうものが1つでもないと、人間、不安になるものだなと改めて感じた経験です。  例えば、丸の内なども三菱1号館を壊してオフィスビルをつくっても、以前の明治時代の建物を復原したり、意識的に古いものをまちの歴史として残していこうとしています。まちの歴史があることをアピールすることがそのまちのアピールポイントになるという時代になってきたのかなと思います。それはやはり安心感と歴史への尊敬というか、そういう価値観が広く支持されるようになってきたのかなと思います。

堀江(新潟工科大学) 私も東京で生まれて育ったわけです。今は東京以外のところに住んでいますが、基本的には東京が好きで、「東京人」を創刊号からずっととって読んでおります。  今日のお話を伺いまして、やはり東京のいいところを見て歩きたいという人はたくさんいるわけです。例えば、丸ビルも建て直した結果どういうふうになったか見に行きましたところ、最上階のところはフランスレストラン、中華レストラン、日本のレストラン。いいところは全部そういうレストランが占めてしまって、景観が全然見えないわけです。新丸ビルのほうは、少し東京駅近辺の一部分が見えるだけで、これも全体がよくわからない。  森ビルのほうは、今度はよく見えるんですが、それを見るためにかなり高いお金を払わないと見られない。  私は、ある一定階以上のビルをつくる場合には、高いところは安い料金で、できれば無料で東京を見ることができるというふうにすれば、もっと東京のよさが上からもわかるのではないかと思います。スカイツリーがどういうふうになるかわかりませんけれども、やはり東京というまちをよりよくするには、そういう公共の空間をひとり占めするのではなくて、高い建物を建てた以上は高い空間のあるところについては、条例で無料で市民が見られるようにしなくてはいけないというふうにしたらいかがかなと思うんです。景観という立場からもう一遍東京というものをよく見てみるということが重要だと思いますが、いかがお考えでしょうか。

鈴木 景観ということがここ10年ぐらいすごく配慮されるようになって、今も皇居沿いの建物の高さ制限をしようとか、新宿区もそうですが、建物の高さ制限をつくっている区も増えています。その一方で、都市再生法で特区に指定されると高い建物が建てられるということもあって、非常に高い建物が東京にたくさんできていて、その建物に魅力を与えるため、丸ビルのようにレストランをつくったり、六本木ヒルズの森タワーのように、美術館、展望台をつくって、そこから眺めを楽しめるようにするなど、それぞれの趣向を凝らしています。  むずかしいところは、商業建築は、経済的に採算が取れないと成立しないということで、たとえば行政が主導して容積率をプラスしたら一番上のフロアを公共性のある無料で楽しめる空間にするということも、1つの手かなとは思います。  例えば、都庁などではただで展望台に入れるわけです。あとは、王子の駅前に北とぴあという北区の建物があります。17階建てですが、やはりただで入れる展望台がある。一時期、バブルのころにあちこちの区に高層の区役所ができたときには、無料の展望台がずいぶんできました。文京区、練馬区、北区、世田谷区のキャロットタワーなど、公共のものでは都庁を初めいくつかあるんですね。  民間のものですと、建物の保存などもすべて経済原理に左右されるということがあります。いろいろな例を見ていると、それは株式会社で株主に対して利益を還元しなければいけないとか、結果的に採算のとれるプロジェクトにしなければいけないとか、そういうことで一般に無料で開放するのがむずかしい部分があります。それを行政が主導すると、若干変わっていくことはあるかなと思うので、堀江さんのご意見には私も賛成です。

市原(NPO法人シニア大樂) 質問ではなくて、知ったかぶりで申しわけないんですが、鉄道建築で興味を持ったんです。京成の博物館動物園駅、東京国立博物館の隣ですね。そこは厳然として残っている変な建物なんですが。その地下にプラットホームが残っていて、ネズミなどが走っていくところもあるというおもしろいところです。   それから、もう1つは、富士山が見える駅のホームがあるんです。23区内にあります。私の知っているのは東京拘置所のある小菅の駅、そのお隣の五反野の駅のホーム、冬になるとここから富士山が見えるんです。 もう1つ、知ったかぶりで恐縮ですが、上野の駅の真ん前に営団地下鉄、今はメトロですが、本社ビルがあるんですね。その昔の建物に巨大な時計がはめ込んである。その建物をモチーフにして絵を描いた、その絵が新潟美術館を埋め尽くしたという展示会がありました。1人の作家の方がお描きになった展示会でした。それが先ほどの鉄道建築で懐かしく思いました。知ったかぶりで恐縮です。

鈴木 どうもありがとうございます。五反野と小菅にはぜひ行ってみたいと思います。小菅は以前に東京拘置所の中に監獄建築のすごくすぐれたものがあるのですが、それが残っているかを確かめようと思って行ったことがあって、すごく見晴らしがいい駅だったのを覚えています。  博物館動物園駅も、たしか「東京人」が創刊したころは、まだあの駅はやっていたと思うんです。もう閉鎖されてずいぶんたちますね。国会議事堂のてっぺんの部分みたいなおもしろいデザインの駅です。今でも上野公園を東京芸大のほうに歩いていくと見えまして、いつも存在を確認しているので、同好の士がいらしたと思ってたのもしく思いました。ありがとうございます。

土堤内(潟jッセイ基礎研究所) 今日のテーマは「東京まち歩き、建築歩き」ということで、鈴木さんは建築に注目してお話をされたと思います。実は、日建設計さんもそうですが、建築をやっている人間はどうしても建築に注目をすると思うんです。一方で、まちというのは建築と建築の間に道路や河川敷、鉄道敷、公園のオープンスペースがすき間を埋めているわけです。ですから、まちを見るときに、地と図を反転させて、建築ではなくて、今いったオープンスペースに注目して見ると、実は全く違う都市の姿にそこに見えてくると思うんです。  そういう意味で、東京をそういうオープンスペースから見たときに、何かすごくおもしろいなというところが、鈴木さんの中におありになったら教えていただきたいと思います。

鈴木 オープンスペースって、広場とか道とか、そんな感じですか。

土堤内 ちょっと比喩的かもしれませんが、東京の風景を1枚の写真に撮ってみると、そこには建築が写り、道路が写り、空が写り、公園が写る。オープンスペースと建築がセットになって写るわけです。だけど、我々がまちを見るときに、どうしても建築というものに注目をして、そこだけを見てしまうことが結構多いと思うんです。だけど、今いった地と図というものを反転して見ると、実は違う都市の姿が見えるのではないかと思うんです。  東京でも、例えばスカイツリーというものを建物として見るのと、周りの空というものから見ていこうとある。あるいは隅田川というオープンスペースから見ると、そこに違う都市の姿が見えるような気が私はするんです。そういう意味で、鈴木さんの中で何かおもしろい体験、風景があれば、教えていただきたいなと思いました。

鈴木 以前に建築家の隈研吾さんと、一昨年まで東大にいらした建築史家の鈴木博之さんに、対談をしていただいたことがあって、テーマは「再開発で都市の顔をつくることができるか」ということでした。  例えば、 再開発が進むなかで、誰もがイメージを共有できるような「都市の顔」をたとえば建築でつくることはむずかしくなってきている。それよりも「歩ける、いい道」、たとえば表参道みたいなものが、「都市の顔」として有効なのではないかと。  最近それが実現化している部分も感じられて、六本木ヒルズのけやき坂通り、丸の内仲通りなどもそういう部類に入るのかもしれません。  オープンスペースについては、東京には空がないとか昔からいわれていますけれども、この前日建の方がおっしゃっていて、「そういうことだったのか!」とある種感動したのは、鉄道の線路の上の空間は風の通り道で、オープンスペースだということです。新宿の駅の南口に、線路が見えて、デッキの橋がかかっているところがありますが、あそこはすごく広々としていい空間だなと思います。あのスペースがあるので、線路の両側の建物が引き立つ。それも東京の貴重なオープンスペースでしょう。  あと、意外に広々とした空間と思うのが、丸の内側から見た八重洲側に向いた景色です。今ちょうど工事中ですけれども、丸の内の駅舎を正面に見て、駅がありまして、左右にグランド東京のサウスタワーとノースタワーというガラス建築の高層棟が建っていて、本当に東京の真ん中でありながら、広々と視界が開けている。あそこがあいたことによって東京湾に風が抜けるようになり、ヒートアイランドなど環境的なことにもプラスの影響が期待できると聞いています。

 ほかにどなたかいらっしゃいますか。いらっしゃらないようでしたら、弊社の顧問の輿謝野が、今の方のご質問で、僣越でございますが、一言ご紹介したいところがあるようですので。

與謝野 先ほどの知ったかぶりのお話と今の地と図の話の中で、もしご存じなければここに行かれたほうがいいというところがあります。それは錦糸町の浜側の横十間川という昔運河だったところです。もう30年ぐらい前ですけど、そこのウォーターフロントのデザインをある専門家がされて、木々が非常に繁茂して、かつおもしろいことに、そこにアパートがあって、アパートの間に運河がある。そこから蛇行するように、スケールを小さくした運河になっています。自分の家の前の通りを川に見立てて、ボートでそこが日常のお遊び空間になっているんです。横十間川の景観は、東京が水の都であるという別の顔がありますので、知ったかぶりのご紹介をさせていただきます。是非行かれるといいと思います。

それでは、質問は以上とさせていただきます。皆さんよくご存じと思いますが、今日鈴木先生が雑誌「東京人」をお持ちくださいました。ラックに置いてございますので、お時間のある方はご覧くださいませ。 鈴木先生、どうもありがとうございました。すばらしいご講演をいただきました鈴木先生に盛大な拍手をお送りくださいませ。(拍手)。  以上をもちまして本日のフォーラムを終了させていただきます。本日はまことにありがとうございました。(拍手) (了)  

 



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