連載コラム  
 
Topic 12 廃棄物の適切な処理
  〜廃棄物処理の「見える化」のススメ〜
 
吉田 雄史
 
 
●廃棄物=資源という認識
 
 人間が生活すれば、毎日ゴミがでる。そのゴミをどのように処理するか、都市が有する問題としては重要な視点であるにも関わらず、かつては積極的に語られることは多くなかった。ゴミは「目の前から消えること」に価値があり、その点から経済活動の外にあるもの、すなわち「外部不経済」であると捉えられており、その結果として市場経済の拡大に伴って事業者は大量生産を行い、大量のゴミが発生し、それを捨て続けるという悪循環に陥った。1990年に明らかになった瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)における産業廃棄物の不法投棄事件などはその現れである。
 資源を加工して財を生産する諸産業を、動物の循環系に例えて「動脈産業」と呼ぶのに対して、排出された不要物や廃棄物を集め、社会や自然の物質循環過程に再投入するための産業を「静脈産業」と呼ぶ。動脈の動きと静脈の動きが上手く働かないと人の身体が機能しないのと同様、静脈産業の一部である廃棄物処理は、都市が生き続けるための不可欠なプロセスといえる。すなわち廃棄物を資源と認識し、そこから得られるエネルギーも含めて上手に活用していこう、という姿勢がようやく当たり前になってきたといえよう。
 
●適切な廃棄物処理のために
 
 廃棄物が適切に処理されて、その結果として清潔な環境を維持している都市が高いバリューを有する、という点に異論はあるまい。またエネルギーの有効活用という視点からいえば、廃棄物の「地産地消」が最もコストパフォーマンスに優れる。輸送のムダをなくし、廃棄物から生まれる再生資源・廃熱等もその場で利用するのが最適である。しかしながら廃棄物処理施設は住民にとってのNIMBY(迷惑)施設として認識されてきた経緯があり、理屈ではわかっても本能的には廃棄物と身近に付き合うというのはなかなか難しい。
 ここで処方箋のひとつとして主張したいのが「見える化」である。臭い物に蓋をする、という発想でなく、様々な形で視覚化させてやることが、適切な廃棄物処理、すなわちバリューの高い都市へと繋がる道ではないだろうか。今回のコラムでは、そのような「見える化」の取り組みをいくつか紹介したい。
 
●分別〜収集プロセスの「見える化」
 
 環境先進国の多いヨーロッパにおいては、廃棄物収集・処理プロセスも環境配慮方策の一環として位置づけられている。廃棄物収集インフラとして目にするもののひとつに、真空集塵システム※がある。例えば環境配慮団地として名高いスェーデン・ストックホルム市にあるHammarby Sjostadでは地下廃棄物マネジメントシステムを導入している。円筒状の分別用ゴミ箱(挿入口)を共用部に配置し、分別されたゴミがコンピュータ制御によって定期的に、地下に設置されたパイプラインを通じて負圧により時速70kmで処理場に運搬されている。
 このシステムが目指しているのは、ゴミ収集車が地区内を走り回るという景観を無くすとともに、衛生上の問題をも解決する(1日のうちに何度も廃棄物が送られるため常に清潔)という、良好な居住環境に配慮した次世代型の廃棄物処理スタイルである。ただここで特筆すべきは、システムそのものよりも、住民がゴミを持ってここまで来て、分別種類ごとに挿入口に入れ、それが処理場まで運ばれる、というプロセスを「見える化」しているという点にある。
 上記に加えて、ゴミ収集スペースのデザイン性があげられる。下の写真はスペイン・ビルバオ市におけるゴミ収集スペースであるが、そのビビッドな色合いやユニークな形状など、凡そ従来のイメージとは異なるデザインがされている。それはストリートファニチュアとして機能するとともに、「ここにゴミ箱がある」ことをアピールしているようにも見える。
 
 
団地共有スペースにおける真空集塵システム
の挿入口(ストックホルム・著者撮影)
  真空集塵システム挿入口のデザイン
(ビルバオ・著者撮影)
 
 下の写真は、前述のHammarby Sjostadにおける分別コーナーのサインである。イラストを加えることにより、ここに何を捨てるべきかが一目でわかるようになっている。デザインによる付加価値がその存在感を高めている例といえるだろう。
 
  
ゴミ分別コーナーのサイン(ストックホルム・著者撮影)
 
真空集塵システムは、日本国内でも主として1970年代から80年代に計画された大規模開発において同様のものが導入されている。しかしいくつかの地区では、運営コストの圧迫やリサイクル需要への未対応の点などから、利用量が伸び悩み、利用停止に踏み切らざるを得ないところもある。将来需要へのフレキシビリティを想定していなかったことが一因とも言われているが、詳細な原因についてはここでは言及しない。
 
●迷惑施設の「見える化」
 
 ゴミ処理場は、基本的には住民にとっての迷惑施設であったことは前述のとおりだが、近年では逆にこれを都市の象徴物として活用しようという動きがある。
 1990年に建築家フンデルトヴァッサーがウィーン市内のドナウ運河沿いに設計したゴミ焼却場は、その本来の機能と思わせないようなファサードデザインを意図的に施すことで、市街地に近い場所への立地を実現した例である。今や観光拠点として来訪者で賑わっているという。一方2004年にオープンした広島市環境局中工場(谷口吉生設計)は、外観は工場然とした反面、内部を“見せる清掃工場”としている。施設中央部を貫通する「エコリアム」と呼ばれるガラスの通路では、ガラス越しに実際に稼動しているゴミ焼却装置や職員の作業風景を見ることができる。これは迷惑施設の「見える化」を図るだけでなく、あたかも市民が芸術作品を鑑賞するかのような体験にまで高めようという意図が感じられる。
 
 
ウィーンのゴミ処理場   広島市環境局中工場のエコリウム
上記2点写真提供:http://www.arch-hiroshima.net
 
●一般廃棄物処理に関わるコストの「見える化」
 市民の消費生活においても「見える化」は必要である。現在日本でもエコバッグやエコポイントなどの運動が広まっているが、こと家庭における廃棄物に関していえば、分別まではするがその分量についてはほとんど意識されなかった。環境に優しい究極の廃棄物処理方策は「廃棄物を出さない」ことだが、日本においては収集・選別の経費は原則として自治体負担、すなわち税金から出されており、そのコストは市民にとっては「見えない」状況であった。近年有料化を実施する自治体が増え、住民にとって直接コストとして「見える化」されたことにより、家庭ゴミの減量効果も見え始めている。それらのコストを生産者の責任として商品価格に反映させているのが「拡大生産者責任」と呼ばれる考え方で、ヨーロッパ(ドイツのDSD(Dual System Deutschland)など)で行われている。どちらの「見える化」も生産者含め市民にとって「モッタイナイ」の意識を広め、長期的には社会全体として省廃棄物化に向かっていく契機となりうる。
 
●「見える化」の先にあるものは
 
 上記の「見える化」の試みは、廃棄物処理という都市活動に光を当てることであり、それは市民にとってかつては意識の外にあった「静脈産業」を正しく認識し、生活の一部として同化させた上で、循環型社会を構築していくプロセスといえよう。言い換えれば、清潔な環境を維持するという都市のバリューは、かつては廃棄物を生活の「外」に追い出すことで実現したものを、今後は生活に密着した身近な場所において廃棄物の「地産地消」を実現するという高いハードルを超えることにより、初めてその価値が確保されるという時代を迎えるということでもある。
 今回紹介している「見える化」は循環型社会構築に向けてのほんの第一歩でしかない。ただ、この一歩がより大きな一歩に繋がるよう、知恵と実践、そして試行錯誤を繰り返していくことが重要となるだろう。
 
参考文献:
・ごみから考えよう都市環境(川口和英/技報堂出版)
・これでわかるごみ問題Q&A(熊本一規/合同出版)
・月刊廃棄物(2009年8月号)
・平成19年度版 環境・循環型社会白書
・archi-hiroshima 環境局中工場(ウェブページ)
・日経アーキテクチュア(2004/7/12)
 
 
 
   
トップページ
50のトピックス
知のポリビア
研究会について
お問い合わせ

 

 
Copyrights (c) 2009 NSRI All rights reserved