連載コラム    
 
Topic 14 親水空間の確保・水系ネットワークの形成
  〜生きている川をつくろう〜
 
木内 千穂
 
 
●都市と水
 
 「親水空間」と聞くと、自然と触れ合えそうな感じがしてなんだか楽しそう、行ってみたいという気になる。けれども、実際訪れてみると、水の空間があるというだけで、想像したものとはちょっと違うじゃないかと思うことも多い。親水空間として整備された川辺の遊歩道は、なんとなく殺風景で、いつの間にかホームレスに占拠されていて近づきにくくなっていたり、事故防止のための柵が設けてあって水との距離感を感じてしまったりとなかなか魅力的な空間には出会えない。あるいは、実際に体験していなくても、都心の川は汚い、こんな汚い川には近づきたくもないとどこかで思っている人も多いのではないだろうか。どうして、そうなってしまうのだろうか。そもそも親水空間とは、どのような空間のことをいうのだろうか。
 
●水と賢く付き合う
 
 東南アジアの中で強く欧米の近代化の波を受け入れたタイは、数百年続いた水文化が激変している国でもあるが、いまでも人と水との関わりは色濃く人々の生活の中に息づいている。中でも、かつて「東洋のベニス」といわれた首都バンコクではチャオプラヤ川を中心に網の目状の運河が張り巡らされており、そこから西へ約80kmにあるダムナンサドゥアクでは、いまだに水際での生活が成立している。
 緩やかに流れる運河の両脇にはずらりと住居が連なり、ここにいると、運河が道路のように見えてくる。もともと「運河」「水路」を指すシャム語Khlongは、モン語※の「道」「路」を意味する語に起源し、シャム語化して「水路」を意味するようになったと言われている。私たちは運河になぜ家があるのかと思ってしまうが、彼らに言わせれば、運河だからこそ家があるのだろう。
 ここでは、早朝、夫婦で舟を漕いで駐車場へ行き、車に乗り換えて通勤するのは日常のこと。通勤・通学だけでなく、買物も食事も一休みも舟上で過ごす。「舟は重たいものを軽々と運べるから便利」と引越しも舟。この地域では、舟は単なる移動手段に止まらず、日常の様々なことが運河上で行われている。
 水害に対する認識も日本とは随分と違う。「増水になったら家具を2階へ運ぶんだ」「増水しても舟があるから大丈夫よ」と楽しそうに話してくれる。時々起こる増水にも負けることなく、脅威ともなる水との距離を全く感じさせない。
 
タイ・ダムナンサドゥアク地域の運河沿いに連なる水際住宅
 
 住居の床は水面から人の背丈ほど程離れてはいるが、運河との距離はとても近いようだ。生活と密着していれば、多少の距離も感じさせないのだろう。いずれの住居も運河を正面入口とし、住居前には階段と水面近くのデッキがある。デッキには柵が設けられていないため、運河の水に直接触れることができる。
 気候条件にあわせて、水の特性を使いこなすことにも長けている。この地域は40度近い高温・多雨多湿の地域であるにもかかわらず、水辺の開放感や素材の心地良さも重なってか、運河沿いの住居はかなり心地よい。伝統的な高床式住居の床下は風の通りみちとなっている。床下を通る運河からの冷気は、木製の床や壁にある隙間から住居内へ取り込んでいる。また、テラスが運河沿いに配され、ベンチやハンモック、景観に配慮して鮮やかな植物が置かれていることも多い。水のもつ特徴を活かし、工夫しながら快適な環境をつくり出しており、水辺から離れたいという住民の声を聞くことも少ない。
 
水際での憩い
水際の軽食屋
 
 更に、水と持続的につきあっていくための作法も忘れない。家庭ごみは運河沿いに置かれたごみ箱で回収されており、ごみよって運河は汚されることがない。運河を汚す原因となるトイレの汚水は、床下に配された浄化装置によって土中でバクテリア分解され、処理される。
 この地域の人々は少しでも楽しく、快適になるよう、様々に工夫をこらしながら暮らしている。それは、自然に逆らうことなく、でも負けることもなく、与えられた水辺という自然と賢く付き合うことで、それ以上の恩恵を得ているように思える。
 
●水と共に暮らす感覚を喪失した日本のまち
 
 東洋的自然観からか、それとも比較的温暖で暮らしやすい環境からか、アジアの歴史的な街や土着的な建物を見ると自然を重んじ、自然環境に歩調を合わせたものが多い。しかしながら、今の日本では残念ながらその知恵や工夫に出会うことが少ない。日本の都市では、この百年の間で大きく3つの段階で水との付き合い方を変えてきたように考えている。
 その第一期は、都市と水との関係が密接であった時期である。水は、人々の暮らしや産業を支え、人々の生活空間に当然のように存在していた。都市には大小様々な運河が張り巡らされ、活発な水運が行われていた。そして第二期は、高度経済成長期。急激な都市化や人口増加などから都市河川の水質は汚染され、台風の教訓等より都市部では洪水による被害から都市を守るために治水優先の整備が進められた。そのおかげで、安心して暮らせる都市となったものの、その代償に失ってしまったものは大きい。そして、第三期。汚染された河川の水質を改善し、都市間競争を勝ち抜くためにも地域らしさを回復し、喪失した水辺空間の再生を試みようとしている時期。我々は、今まさにその第三期にいるのだろう。
 問題は、第二期から第三期への過程の中で、水や緑は都市を構成する単なる一つの要素に過ぎず、拡大しようとする都市にとって重要でないものとして扱われてきたことである。「変化する自然環境」に合わせることよりも「常に安全で安定した自然」を手に入れることを生活の中で強く求めてきた。それは、経済成長を果すために必要なことであり、また、都市に住む人々の快適な生活環境を手に入れるためにも治水を優先させることは重要であったことは確かである。しかし、水を排除し、水を人から遠ざけたことによって、作る側も、使う側も水との上手な付き合い方を忘れてしまったことは少なくない。ダムサンサドゥアクのまちは、そのことを示唆してくれているように思う。
 
●生きている水があふれるまち
 
 岐阜県郡上八幡では、江戸時代初期に造られた用水がいまでも住民の生活水として利用されている。町中の至る所に水が流れており、水の利用方式は何世代も受け継がれ、井戸や湧き水、用水をうまく使い分けて暮らしている。山の湧き水はまず飲み水として使い、次に野菜、そして食器洗いに使用している。水の清さを維持するために、水の使い方には昔からルールを設け、住民が持ち回りで掃除をしている。また、子供たちの吉田川への「飛び込み」は大人になる伝統の儀式のようなものだが、最初は低い岩から飛び込み、成長するにつれてだんだんと高いところへ挑戦していく。このような自然の中での危険な遊びは行政によって規制されることが多いが、町民の強い希望もあって「飛び込み」は自己責任としており、規制していない。子供たちは、この川での体験を通して水との付き合い方をおぼえ、何が危険かを知ることができるという。
 
岐阜県郡上八幡・吉田川
 
 このような昔から受け継がれてきた水を大切に思う気持ちや、水の特徴を知り尽くした上での水との付き合い方のある生活風景は、私たち人間がもともと持っている、忘れてかけていた自然と共に生きる感覚を思い出させてくれるような気がする。生きている川とは、まさにこのように人と水とが互いに生かしあう川のことをいうのではないだろうか。
 
* モン語とは、クメール文字と並んでマレー半島や島嶼部を除く東南アジアの文字の形成に大きな役割を果たした古い文明語
 
 
 
   
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