連載コラム  
 
Topic 21 人々の行為やコミュニケーションを引き出す街路空間デザイン
  〜成長するアイデンティティとは?〜
 
亀井 未穂(元研究員)
 
 
●コントロールされた「ストラクチャー」
 
 街路空間について考える時、ケヴィン リンチは環境のイメージを形成する概念として、「アイデンティティ」「ストラクチャー(language)」「ミーニング」を挙げている。この中で視覚的、概念的に明確で捉えやすいのは「ストラクチャー」だろう。これは物質的特性や機能的特性を根本的に決定づける概念であり、色や形、素材、配置などを視覚的に理解することである。そして、マテリアルを組み立てたり、解体したりできるリアルな空間を構成している。
 この「ストラクチャー」を街路空間デザインとして、再構成し、コントロール化を試みた事例としてパリの「ミッションシャンゼリゼ」がある。これはシャンゼリゼ通り周辺の自動車の増加、業務用建築物の乱立などの環境悪化を懸念したパリ市が1992年に行った市独自の法定都市計画である。具体的には、車道駐車の禁止、歩道の改修、植栽の2列化、ストリートファニチャーの再配置と同時に、建築物の広告物やショーウィンドーに対するガイドラインの制定と地下駐車場の設置が実施された。
 

ミッションシャンゼリゼにおける改修道路断面図

 
 この改修による効果として、視覚的には街路空間の量感の近似性、外装のクオリティなどが保持され、機能的には快適で安全な歩行者空間の形成により街のにぎわいを創出することに成功した。
 街や街路空間の「アイデンティティ」形成には、商業施設誘致などの政策や、歴史的バックグラウンドも大きく関係しているが、このように「ストラクチャー」を操作することにより、街や街路空間の「アイデンティティ」を変化させることもできる。
 
●都市の中の「ミーニング」への愛情
 
 では、「ミーニング」とは一体何なのか?
 通常「ミーニング」は「アイデンティティ」の中に包括されるものと考えられるが、都市の記憶やストーリーになる要素と定義することもできる。
 例えば、「ストラクチャー」をそのまま別の都市にコラージュした事例としてはニューヨーク市ブロンクスの「ボールバード(大通り)」がある。
 これは、19世紀初頭にパリのシャンゼリゼ大通りの「ストラクチャー」をモデルとしてつくられ、当時はニューヨーク近郊の高級ベッドタウンとしての顔を持っていた。ところが、ニューヨークを襲った経済大恐慌以降、この地域は衰退してスラム化し、荒廃の一途を辿った。「ストラクチャー」は、パリのオリジナルと同じであるが、ブロンクスのシャンゼリゼ大通り(本当の名前はGrand Concourse)は犯罪の温床と化してしまった、このような過程に「ミーニング」を見出すことができる。
 すなわち、ブロンクスのボールバードにとって真実であったのは、華やかなパリのシャンゼリゼを夢見ながらも、荒廃し、スラム化したことである。しかし、その結果、この地域の活気づいた若者たちにより、Hip Hopミュージックやブレイクダンスなどのグローバルなカルチャーがこの地で生み出された。
 つまり、街の「ストラクチャー」は模造品であったが、その「ストラクチャー」を舞台に展開された人々の営み、コミュニケーション、文化という視覚的には直接表現されない事象が、街や街路の表層やアイデンティティを刻々と変化させ、たとえ同じ時期に「ミッションシャンゼリゼ」のような改修が行われたとしても、この二つの「ボールバード」が再び重なりあうことはないだろう。それが街の成長記録であり、「ミーニング」を形成するもので、引用された「ストラクチャー」は本来の意味を保ちつつも、ブロンクスのように異なった文脈の中で全く新しい意味を生み出すこととなる。このことが、地域に暮らす人たちにとって、とても大切な記憶となり、街への愛着や愛情となる。
 
●自然発生的な美しい街路空間
 
 「ストラクチャー」がコントロールされることなく、ほとんど自然発生的に形成された街路空間として「ヴェニス」がある。
 
歴史的街並みが連なる美しい水都「ヴェニス」
 
 ヴェニスは、本島4.5km2で観光人口を合わせても約10万人ほどであるが、特筆すべきは、ほとんど計画性が垣間見えないにも関わらず、偶然の産物かは定かではないが、都市や街路空間の形成に、いくつかの先進的解答を導き出しているように思う。
 その一例として、完全な歩車分離が成立していることと都市の無尽蔵な肥大化が起こらなかったことである。この街はS字型の大運河を中心とした水上交通で成り立っており、大運河が島の中心を横断していることと島周辺は海に囲まれているため、どの地域もほぼ徒歩10分程度で辿り着ける。また、自転車も禁止されているため、必然的に街路空間は歩行者空間となっている。さらに、「カンポ」と呼ばれる広場が、密集した居住空間であるからこそ、多目的空間として機能し、それゆえ必然的に人々の出会いと、集住のための生活ルールや地域コミュニティを、ここで生み出しているように感じることができる。
 このように、ヴェニスの街を構成するすべての「ストラクチャー」は、ヒューマンスケールであるばかりでなく、コミュニティを基本単位として、都市空間をほどよく分節しながら少しずつ生活の変化を受け入れつつ展開した街を形作り、偶然的事象が長い時間の中で相互に関係を持ちつつ連続し、存在させている。そして、その不確実性やランダムに繰り返される明暗の空間は、地域コミュニティに始まる「基本単位」から、その「集合体」である街全体に至るまで、いかなる場所においても、人々の営みが組織化されているような独特の感覚を喚起させる。つまり、「計画・規制・コントロール」とは違い、ヴェニスでは「ストラクチャー」も「ミーニング」のように有機的に生み出され、成長の過程を自然体で受け入れてきたのであろう。
 
●チャンス・オペレーションという可能性
 
 このように、偶発的で有機的な成り立ちを持つヴェニスにおいて、「ストラクチャー」が人々の手によって段階的に操作されたということに注目したい一方、「アイデンティティ」「ミーニング」においては、完璧に操作することは不可能で、時間やその空間を取り巻く事象に委ねることとなる。また、その過程で人々の日常の営みやコミュニケーションなどの行為が、ヴェニスの空間を性格づけたように、その都市・街の将来の方向性に大きな影響を与えると考えられる。そうであるならば、「ストラクチャー」が人々の行為の偶発性を引き出す手法を用いることが都市の価値を高めるために有効であるという考え方もできる。そして、その手法の一つに「チャンス・オペレーション」というものがあるのではないだろうか。
 「チャンス・オペレーション」とは、ある作曲家がジャクソン・ポロックの絵画からインスピレーションを受けて偶然性を意図的に喚起するようなオペレーション(操作)を行った手法のことである。
 このような手法を都市計画の中の例として見出すならば、トランジットモールは、ある種の「チャンス・オペレーションされた空間」ということができるのではないだろうか。なぜならば、トランジットモールという一つの空間の中に、公共交通、自転車や歩行者などを共存させることにより、新しい交流やコミュニケーションと、お互いに譲りながら街のアメニティを保とうとする社会性を誘発する計画的な操作をしているという捉え方ができるからである。
 「ストラクチャー」は、従来の交通エレメントであるが、その配置や構成、コンセプトなどの「操作」によって、人々の行動の可能性が拡がった交通空間としての「アイデンティティ」は、従前のものに比べ、はるかに豊かなものとなっていると言えるだろう。
 「チャンス・オペレーション」という手法が、空間を豊かにするだけでなく、人々の行為やコミュニケーションの新たな可能性を引き出すならば、「ストラクチャー」の構成によって街路や都市の「アイデンティティ」や「ミーニング」は、もっと予想外に発展し、オリジナルで深みのある都市の魅力をつくりだしてくれるのではないだろうか?
 
出典:日本建築学会「建築資料集成」「ヴェネチア」陣内秀信
 
 
 
   
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