連載コラム  
 
Topic 22 歴史的環境の保全
  〜何を残し伝えるべきか〜
 
木内 千穂
 
 
●まちの歴史とは何か
 
 最近、日本のまち並みは、無個性な場所に変わりつつある。地域性とは関係ない全国ブランドの住居や統一されたイメージをもつチェーン店の影響もあってか、どのまちに行こうと同じようなまち並みに見える。原風景といわれるような懐かしい風景の中にもヨーロッパ風屋敷が出現することも珍しくなく、それが当たり前のようになっているのではないだろうか。
 地域らしさを損なわないためにも、まちの歴史を保全することは必要不可欠となってきている。実際に、まちづくりのキーワードとして「歴史」が取り上げられることも多くなっており、歴史的環境を保全するための法制度も整ってきた。地域の歴史を守り、地域らしさを持続させるためにも保全しなければならない「歴史」とは何だろうか。
 「歴史」とは、人々が生きた証であり、地域らしさそのものである。濃い薄いあるにせよ、「歴史」のないまちはない。「歴史」は、過去から未来へ続く「時間」軸の上で、地域特有の「風土」、建物やまち並みなど歴史を視覚的に見せる「建造物」、まちをつくる主役である「人々」、歴史の舞台であり過去何が起こってどのような人々の営みがあったかを長い間記憶している「土地」・・・、これら要素が絡み合いながら積み重なっていくことで「歴史」はつくられる。これらを深く掘り下げて見ることによって、まちの「歴史」の輪郭がはっきりと見え、残さなければならないものが何なのか鮮明になってくると考える。
 しかし、まちづくりの中で、「歴史」の保全といえば、建造物の「かたち」を保存することであり、それだけで歴史が保全されるという考え方が一般化してはいなかっただろうか。
 
●土地は歴史を記憶する
 
 「歴史」はどこに記憶されているのだろうか。ドロレス・ハイデンは、著書『場所の力』の中で“都市のランドスケープはそこに住む人々の社会の記憶を収める蔵”とし、そこには人々によって共有された社会的活動の記録が残されているとしている。そして、たとえ再開発や都市再生によって“完璧なまでにブルドーザーの下敷きになってしまった場所でさえ、かつて庶民に共有されていた社会的意味、空間的対立の存在あるいは挫折や絶望の記憶を復元するような場所になり得る。”とも記している。
 すなわち、まちの風景は、人々の記憶を刺激し、過去の事柄を思い出させてくれるだけではなく、たとえまちの風景が壊されたとしても、かつての記憶を刺激するような場所になり得るというのである。
 また、“住民一人ひとりこそが都市の歴史を扱うプロジェクトの情報源”であり、“決して都市は一人の英雄的なデザイナーによって作られるものでない”とし、都市は土地の風土や生活様式と密接に関係しており、都市の風景は普通の住民たちがもつ普通の記憶によって形成されているという。
 だからこそ、表面的に見える「かたち(建造物)」が変化しようとも、人々が育んできた記憶は簡単には消すことはできず、建物やまち並みなど視覚的に捉えることのできる「建造物」だけではなく、それ以上に「土地」や「風土」、まちに積み重ねられてきた「人々の活動の記憶」も保全しなければいけないのであろう。
 
●多様な視点で歴史を見る
 
 「かたち(建造物)」と、「風土」や「人々の活動の記憶」との関係は、「ルビンの壷(杯)(*1)」の「図」と「地」の関係になぞらえることができる。
  ある魅力的なまち並みが存在しているとしよう。そのまち並みが、風土に根ざし、地域産業を育みながらつくりあげてきた過去があって存在していることと、過去がなく、人々も生活しておらず、ただ存在している(テーマパークのように)こととでは、同じまち並みでも印象は随分と違う。まちのお祭りが開かれた場合、背景となるまち並みによってそのお祭りの良さが引き立つこともあれば、そうならないこともある。魅力的な「図」が存在したとき、「地」となる背景にも魅力的なものが存在する。「地」に存在する魅力は、歴史的なまち並みを「図」と認識したときに、その空間の奥行きを広げる役目を果たしてくれるのである。

「ルビンの壷(杯)」
 ある一つの見方によって、見えやすい「図」の部分だけを見がちである。しかし、「図」の「かたち」を追求しながら、「地」の「風土」や「人々」の活動の記憶なども同時に追求していくことで、より魅力的なまち並みが見えてくる。また、見えづらく意識化しにくかった部分に光が当たり、まちの歴史的価値を鮮明に意識化でき、新たに発見することもあるだろう。
 
●土地の記憶から引き出す
 
 土地の記憶から地域らしさを引き出して、まちの景観を変えた町がある。富山県南部、富山市中心部まで約15kmに位置する人口2万2千人ほどの町、八尾町である。飛騨山脈と富山平野が接する交通の要地として、養蚕・生糸・和紙などの産業で栄えてきた。
 その後、近年の車社会の進展によって、道路が拡張され、切り取られた家々のファサードが近代的な建材やアルミサッシになったことから、まち並みが乱れてきた。そのことを危惧し、行政、地元の専門家、住民たちが協働して、まちの景観を考え始めたとのこと。
 きっかけは、昭和60年、八尾町文化会議を開催し、先端産業と伝統文化の共生について深く議論したことであり、その翌年から、八尾町は地域住宅計画推進事業(HOPE計画)を策定した。町中の住宅の写真を撮影し、この町の何が景観を悪くさせてしまったのか、どうすれば景観を良くできるかを考え、その後、行政は地元大工たちの協力を仰ぎ、賛同してくれた大工・工務店16社、建築設計事務所5社(現、有限責任中間法人「八匠」を設立)とともに、「八尾らしさ」を取り戻すための修景を進めた。石畳等の街路や電線類地中化、ポケットパークなどは行政が整備し、各住宅の建替えや改修は、住民たちが自ら行う。当初は条例などの規制も誘導もなく、一般的な改修より費用は高くなるが、まちの人たちは自ら八尾型住宅(*2)への建替え・改修を進めていったとのことである。
 
 
左)諏訪町本通り、右)おわらの映える団地を目指して八尾型住宅が建設されたウッドタウン上野かざみ台団地
 
 八尾には、まちの人々によって育まれ共有されてきた地域の活動の記憶があった。八尾の人々は土地に記憶されていた「地域らしさ」をうまく引き出し、飛弾の匠の流れをくむ大工技術や和紙など地域産業等、職人の技術を活かして、地元の建築組合を中心に「八尾型モデル住宅」を設計。その後、組合メンバーの一人が建てたモデル住宅に注目が集まり、そこから修景活動が町中に広まっていったのである。
 ここまでまちの風景を修景できたのは、土地の記憶から「地域らしさ」をうまく引き出せたこと以上に、共同で雪流しをする生活習慣や300年以上残る町の文化財“おわら風の盆”や“曳山祭”など、地域で大切にされてきたお祭りの存在やそれらを通して育んできたご近隣のつながりが、その支えになっていたと考えられる。
 
●本物の歴史を残す
 
 昨今、歴史的環境を保存するための活動が至る所で行われている。歴史を重んじることは、祖先から受け継いできた文化や伝統を守るという意味で重要なことである。しかし、人々の活動の記憶を無視し、ある時代の建造物やまち並みの「かたち」だけをただ再現したり、建物の表層のみを取り替えたりすることには違和感を覚える。「かたち(建造物)」は「かたち(図)」でしかなく、「かたち」だけに捉われては本当の歴史は見えてこない。「図」の背景にある「地」の部分にも注目すべきであり、「図」と「地」は表裏一体となって、まちの魅力を形作っていると考えるべきである。
 歴史的まち並みや伝統文化を伝え残していくためには、表面的で見えやすい「かたち」だけではなく、背景の奥底に埋もれている「土地」の記憶を掘り起こして「かたち」とつなげることによって、歴史的まち並みは奥行きを増し、魅力は倍増するのではないだろうか。
 
*1 「ルビンの壷(杯)」:デンマークの心理学者E.ルビンが1921年に発表。「図」とは形として認識される部分、「地」とはそのとき背景となる部分を指し、白を見ると杯に見え、黒を見ると向かい合った顔に見える。
*2 HOPE計画策定時(S61)に提案され、八尾の街並み景観に配慮し、八尾の町屋の伝統的様式や特徴あるデザインを取り入れていれている(2004年富山市八尾町資料より)
 
参考文献: ドロレス・ハイデン『場所の力』後藤春彦ほか訳、学芸出版社、2002年
 
 
 
   
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