連載コラム  
 
Topic 33 ユニバーサルデザインの徹底
  〜使いやすいことだけが全てじゃない!?〜
 
西尾 京介
 
 
●ユニバーサルデザインの浸透
 
 「ユニバーサルデザイン」は1980年代にアメリカのノースカロライナ州立大学、ロナルド・メイス氏によって提唱された概念である。日本でもひと頃は「バリアフリー」との混用や誤用が多かったが、最近では理解も進んできているように感じられる。ユニバーサルデザインのまちづくりに力を入れて取り組んでいる地方公共団体も数多く見られるようになっている。
ロナルド・メイス氏によると、ユニバーサルデザインは「改造または特殊化された設計の必要なしで、できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること」と定義されている。都市の重要な要素である公共施設や公共空間は、基本的に全ての人に対して開かれたものであるべき、という考え方が一般的であるから、都市におけるユニバーサルデザインの重要性は論をまたないであろう。
 
●「多様な人々」と「多数の人々」
 
できるだけ多くの人にとって利用しやすいデザインを考えるときに念頭におくべきことは何か。まず多様な人々への対応である。年齢、性別、人種・国籍、障害の有無、体格、価値観などが異なるいずれの人々にとっても使いやすいデザインを考えるということだ。出入り口の段差をなくす、力が弱い人にも使いやすくする、エレベーターなどのボタンを大きく押しやすくする、言葉がわからなくても理解できる図を採用する、など既に街のいたるところで、より多様な人々に受け入れてもらうための工夫が行われている。こうした取り組みは大変地道なものだ。試行錯誤を重ねながら、より多様な人々が利用しやすくなるための少しずつ努力を続けていくしかない。  
 しかし、他方で全ての人にとって使いやすいデザインはあり得ないことも確かである。その意味では、より多様な人々が使いやすくなるための取り組みには終わりがない。従ってユニバーサルデザインでは、「より多様な人々の利用」という視点と同時に、「より多数の人々にとって使いやすい」という視点も重要になってくるのだと思う。
 より多数の人々にとって使いやすい、という点からみると、超高齢社会の到来はユニバーサルデザインに関して我々に大きな問題を投げかけている。今、既に日本が高齢社会になっていると言っても、2010年現在、日本の人口に占める高齢者の割合は23%に過ぎない。しかし、これから40年経てば、人口の40%近くが高齢者という社会に変化し、高齢者こそが社会を構成するメジャーとなる。そうなると、都市を構成するためのあらゆる規準や単位そのもののあり方を見直す必要が出てくるかも知れない。今まではバスの利用圏がバス停から300mとか言ってきたが、もっと短く考える必要があるかも知れないし、標識の大きさや階段の蹴上げや信号の間隔など、ちょっと考えただけでもきりがないほど対応すべきことが思い浮かぶ。恐らく、こうしたことがまちづくりを考えていく上での大きな課題になっていくことだろう。問題は、この変化は急速なスピードで進行するために、「少しずつ努力を続けていく」だけでは、間に合わないような状況に陥るのではないか、ということだ。
 
●能力の開発を支援するデザイン
 
 そこで少し視点を変えてみることにしよう。それはユーザーの能力の衰えにあわせて、公共施設や公共空間を使いやすいものに変えていく一方で、ユーザー側の能力開発を支援するデザインを考える、という視点だ。使いやすくつくることは確かに大事なことだが、それは時として能力の開発機会を逸することにつながる場合もある。そこで主に身体の能力開発を意識した公共空間などのデザインのあり方も考えていってはどうか、というものである。
 最近では、都市公園でも健康づくりをテーマとするものが増えてきている。こうした公園では、筋力の強化や平衡感覚の訓練などに役立つ装置を備え付け、利用者の健康増進や体力維持の促進を図っている。しかしながら、いかにもそれらしく備え付けられた装置を使って健康増進に取り組むのは、何となく気恥ずかしくもあるだろうし、わざわざ利用するようなものだと、面倒がられてしまう場合もあるだろう。できることなら、なるべく自然なかたちでユーザー側に受け入れられるものがよい。
 その点、群馬県前橋市にある「ぐんまリハビリパーク」は、一つの参考となる事例であるように思う。循環器系の専門病院である群馬県立心臓血管センターに隣接した多自然型の河川公園である。この公園の遊歩道は4つのコースに分かれており、歩く人の体力や症状にあわせて利用することが可能だ。もちろん利用者は病院の入院患者だけでなく、通常の河川公園と同様、一般の人の散策にも利用されている。さらにこの公園で注目すべき点は、循環器の専門医の監修にもとづいて公園やその園路が設計されていることである。隣接する立地で同じ県立であっても、所管が違えば無関係に整備されることの方が多い状況にあって、専門の領域を超えた連携が行われることによって、しかるべき知見に裏打ちされたデザインが行われている。「能力の開発を支援するデザイン」にあっては、こうした領域を超えた連携が重要になっていくであろう。
 
一般の人とリハビリ患者があい混ざって利用するぐんまリハビリパーク
 
 ジェロントロジーという学問領域がある。人口の高齢化によって起きるさまざまな変化や問題を解決するために、医学、看護学、理学、工学、法学、経済学、社会学、心理学、倫理学、教育学など、自然科学と社会科学の枠組みを超えて包括する新しい体系として生まれた学問である。最近では、ジェロントロジーを専門に研究する機関として2009年に東京大学に高齢社会総合研究機構が設立された。例えば運動生理学の分野の専門家と都市計画の専門家が議論を重ねることにより、老化を防ぐ上で重要な意味をもっている平衡感覚を鍛えるためには、どのような道路の構造が適しているか、といった議論が行われているとも聞く。こうした取り組みがさらに幅広く行われていくことがユニバーサルデザインを考える上でも重要なことであると思える。
 
●ユニバーサルな地域社会
 
 もう一つ、ユニバーサルデザインを考える上で、忘れてならないのは、かたちや空間をデザインしていくだけでは限界があるということだ。都市空間の中で「バリア」とみなされる空間は無限に存在する。多数の人が利用する空間のバリアを減らしていくことは大切だが、全てのバリアを取り除くことはできない。ユニバーサルデザインやバリアフリーの議論の中でよく出てくるのは、ヨーロッパの都市はいたるところバリアだらけなのに、障害者などが意外に移動しやすいという話である。それは、段差や階段で立ち往生をしたら、ことさらに声をかけてお願いしなくても、隣にいる人々が当たり前のように手を貸してくれるからである。
 反対に、設備だけが整っていても、あまりユニバーサルデザインとはなっていないと思ってしまうような場面に出くわすこともある。例えば、ラッシュ時の電車を降りたサラリーマンが、二列に並んで、目を三角にしながらエスカレータの両側を歩いて登ってしまうような光景。その無言の圧力は、年寄りや体力の弱い人を押しのけ、高いバリアを張り巡らせている。
 これは空間の使い手の意識やモラルに関することで、暗黙の地域ルールの共有の問題でもある。ユニバーサルデザインには、地域社会自体をユニバーサルな思想で取り組むようにデザインすることも含まれるのではないだろうか。
 超高齢社会におけるユニバーサルデザインでは、人間が環境に順応できる優れたソフトウェアであることを見直し、その能力を鍛えることや、相互に支えあうモラルの形成など、空間と人間、社会を三者一体で改善していくデザインが必要とされるのである。
 
 
 
   
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