連載コラム  
 
Topic 39 屋外広告物によるまちづくり
  〜屋外広告による「プラス」の景観づくり〜
 
西尾 京介
 
 
●まちづくりと屋外広告物行政
 
 駅前などに立って街を眺めてみると、建物のファサードの大部分が屋外広告に覆われている、などという光景を目にすることがある。屋外広告物は都市の景観に大きな影響を与える要素である。それだけに景観行政の重要な分野一つとして屋外広告物の規制が位置づけられ、取り組みが進められてきたが、日常的にはあまりその成果を感じていない、というのが多くの人の感覚ではないかと思う。本稿ではこの屋外広告物とまちづくりについて考えてみたい。
 まず、屋外広告物行政が歩んできた道を振り返ってみるとしよう。日本における屋外広告物の規制の歴史は意外に古く、戦前では明治44年の「広告物取締法」に遡ることができる。戦後も、昭和24年には既に「屋外広告物法」が制定され、この法律が改定を重ねながら現在に至っている。この法律の第一条にある「目的」をみると、「良好な景観を形成し、若しくは風致を維持し、又は公衆に対する危害を防止するために」とある。このことから、法律制定の趣旨としては景観形成もさることながら、安全対策もまた重要であったことがわかる。当時は屋外広告物掲示のルールがなかったため、その大きさや構造など基準のない広告物が好き勝手に公共空間を占用しており、混乱していた状況であったことがうかがえる。邪魔な物件を制御する−、基本的にはそれが屋外広告物行政の出発点であったということができるだろう。

 その後、都市景観に対する意識は確実に向上し、屋外広告物を規制する条例も各都道府県や市町村で広く普及し、その成果を挙げてきた。例えば、屋外広告物の条例では、高速道路周辺の一定の範囲を屋外広告物の掲出禁止の区域としたりするが、その成果によって、我々は地方にドライブに出かけても、沿道景観の中に旅情を台無しにしてしまう広告を見ずに過ごすことができる。また、閑静な住宅街が不要な看板だらけになったりしないのも、成果の一つといえるだろう。さらに2004年の景観法の施行に伴い、屋外広告物法の一部が改正され、都市景観行政との連携がさらに強く意識された施策体系に深化してきている。

 しかし、このような取り組みにもかかわらず、特に業務商業地等における屋外広告物景観は、なかなか改善されない実態があるのも確かなことのように思う。筆者はこれに関して、三つの点に課題があるのではないかと考えている。
 
●デザインの質を問う仕組み
 
 まず一点目は、屋外広告物に関するデザインの質を問う仕組みの必要性である。先ほども述べたように、これまで屋外広告物行政は、無秩序なものや乱雑なもの、変わったもの、つまりは悪いものを取り除く規制、いわば「マイナス」の思想で施策を行ってきた。しかし、同時にそれは、より質の高いものを問う姿勢に乏しく、これを育てる環境を整備することができずにきてしまったのではないだろうか。
 例えば、パリの街を飾る「コロン・モリス」と呼ばれる広告塔。歩道に置かれたこのおしゃれな円柱の広告塔は、19世紀半ばにパリの街に登場し、簡易トイレから掃除用具置など用途を変え、デザインを変えながらも今なおパリの街を彩り続けている。パリの街でコロン・モリスを手がけるドゥコー社の合弁会社による広告付きのバスシェルターが、近年、日本の各地で導入され、話題を呼んでいるが、このような洗練された広告メディアの活用はまだまだ未成熟である。道路空間の安全性確保の課題などもあるが、さらなる進歩が期待されるところだろう。
パリの「コロン・モリス」
 また、最近では屋外広告行政においても、規制だけではない、広告の表彰制度のような新たな取り組みを行う動きがでてきた。例えば、富山県では、「富山らしい、生き生きとしたまちづくりに寄与する屋外広告物」を「景観広告」と位置づけ、平成20年度から「景観広告とやま賞」の表彰を行っている。このような例はまだ少ないものの、従来の屋外広告物行政とは異なる取り組みとして注目される。
 
●単体から集団へ
 
 しかし、いかに個別の広告物の質を高めても、それだけでは限界がある。我々の目は多数の広告を一体のものとして捉えているが、屋外広告物規制は原則として広告物単体を対象としており、複数の建物の広告物を調和あるものへと誘導する術がないからである。まちの魅力を高めるためには広告も集団でのコントロールを行う必要がある。これが二点目の課題である。
 広告を集団規定するのは簡単なことではないが、「集団の広告」を活用する方法もあるのではないか。最近話題に上ることが多くなった「エリアマネジメント広告」はその一つの可能性を示しているように思う。
 エリアマネジメント広告は、地域のまちづくりとして行われるエリアマネジメントの一環として、特定のゾーン内において、一元的な管理のもとに広告を掲出する手法である。その広告収入をエリアマネジメント事業の原資の一部に活用するとともに、広告を一元的に管理することによって一定の質を確保し、都市の景観形成に役立てようという狙いがある。一定の地域を単位としてエリアマネジメントに取り組む地区に限定はされるものの、このような取り組みも一つの注目される動きと言えそうである。
 
●広告による「地域性の創出」
 
 デザインの質が改善され、集団規定が可能になったとしても、なお残された問題がある。それが三点目の課題、「地域性の創出」である。
 屋外広告物に限らず、都市景観の議論には、何が美しく、何が醜いかをどのように決めるのか、という議論がつきものである。これはなかなかに難しく一筋縄ではいかない。こうした点を考えると、美という絶対的な評価軸だけではなく景観の個性、すなわち地域性の創出もまた重要なテーマだろう。
 しかしながら、屋外広告による地域性の創出は、容易には実現しない。なぜなら屋外広告というメディアは必然的に「普遍性」というベクトルをもったメディアだからだ。屋外広告には、大きく分けて二つのカテゴリーがある。自らの敷地や建物に掲載し、その存在をPRする「自家用広告物」と、自分の敷地や建物以外のところへ掲載する「一般広告物」といわれるものだ。一般広告物は、商品や企業などその広告の対象がグローバル化していけば、広告もまた、地域を問わず普遍性のある、画一的な内容になる必然性を備えている。簡単にいえば、全国どこへ言っても同じ看板が見られるということだ。その意味で、一般広告物は本質的に「地域性」に同調しにくいものであり、景観の地域性の破壊へとつながることもしばしばある。一般広告物が地域の特徴を形づくるのは、それ自体の表現が極めて個性的な場合に限れられる。(例えば、広告で埋め尽くされた独自の景観をつくっているニューヨークのタイムズスクエアや表現方法が極めて独創的である道頓堀のグリコのように)。
 一方で、自家用広告物は、小規模な店舗なども含めて、その場所にしかないものをPRしているという点では、幾分、地域性はあるといってよい。しかしながら、ここにも困難は伴う。現代においては、企業そのものの「メガ化」が避けられないからだ。市場経済のシームレス化はここにも影響を及ぼし、地方の県庁所在地などへいくと、「支店経済」などと呼び習わされるように、ナショナルブランドの企業が駅前に幅を利かせて並んでおり、どこも似たような景観になってしまうことになる。
 これに対する有効な処方箋はまだ見つかっていない。しかし、私は、最近急速に市場を伸ばしつつある「デジタルサイネージ」(電子看板)にその一つの可能性があるのではないかと思う。デジタルサイネージといえば、山手線内のトレイン・チャンネルのように、全国に流すCMなどを流しているイメージがあるが、実は、特定層に焦点を絞った広告メッセージが発信できるという特徴がある。インターネットを使ってリアルタイムに操作が可能で、表示する広告の内容をいつでも変更できる。こうした特長は、地域のマーケット特性にあわせた広告媒体としても活用しうる可能性を備えている。
 
デジタルサイネージ
 
 今後は、屋外広告物行政の枠を超えて、多様なメディアと方法で、都市に新たな価値をプラスする屋外広告のあり方を考えていく知恵が問われている。
 
 
 
   
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