連載コラム  
 
Topic 40 異なる世界を内包する街の魅力
  〜「異界」の存在を許容できる街〜
 
吉田 雄史
 
 
●都市における「異界」とは
 
 今回は、都市における「異界」を題材としたい。
 「異界」とは一般的に、「普通の人間には行くことが出来ない世界、あるいは同じ世界の中にあるにもかかわらず、普通の人が暮らしている社会とは、視点・価値観・環境などが著しく異なっている場所」(Wikipediaより)とされている。それでは、実際に我々が暮らす都市における「異界」とはどのようなものだろうか。

 本トピックにおける「異界」は、“街を歩き、街並みを眺めていて、ふと違う雰囲気を感じるところ、五感で何か異なるものを感じるような空間・場所”と定義した。端的にいえば「おや、ここはちょっと違うぞ」と思わせる「あやしい」空間と言い換えてもよい。例えば、夜の繁華街を歩いていて、呼び込みなどがたむろする通りに出くわしたときや、狭い路地に飲み屋が密集し、ヤミ市を思わせるような界隈に差し掛かったときなど、このようにディープでとても健全とは言い難い雰囲気を醸し出すエリアは都市の「異界」と言えよう。そして、かつての赤線・青線のようなエリアも「異界」の代表的事例と呼べるだろう。

 これらのエリアが存在していることが、結果として都市全体のバリューに何かしらの影響を与えているのではないか、という仮説に立って試論を展開したい。
 
●都市のなかにおける「異界」の意義
 
 「異界」は必ずしも自然発生的に生じたものではない。江戸時代から幕府は都市計画の一環として、盛り場・遊郭・刑場等を計画的に配置してきたし、明治時代においても開拓地や居留地など新たな都市を計画する際に、そういったエリアを同時に設けることは珍しいことではなかった。特筆すべきは、そのようなエリアが配置されるのは都市のエッジ部分であり、明らかに市民が生活するエリアとは対比的に捉えられていた、という点である。すなわち「異なる世界」として、明確に「見える化」がされていたのである。
 江戸時代の落語のなかで、いわゆる「悪」が起こる場所を分析することにより、江戸の都市構造を読み解こうという試みがある(「江戸都市のなかの異界/内藤正敏」)。それによると、江戸には二大他界空間があり、ひとつは浅草寺から隅田川に至るエリアで、吉原遊郭や小塚原刑場や被差別部落等を含んでいる。もうひとつは増上寺より南側の品川宿や鈴ケ森刑場等を含むエリアで、どちらのエリアも落語のなかで「悪」が語られる場所であり、これらの場所が江戸の非日常空間として認知されていたことが述べられている。
 すなわち「異界」は決して、庶民の生活から隔絶されたものではなく、近寄りがたい異なる世界でありながらも、互いに影響を与えつつ「共に存在」していたものなのである。
 
江戸の二大他界空間(参考文献(2)より引用)
 
●「異界」が失われつつある現在の都市
 
 このような都市の「異界」が、現在では確実に失われつつある。「最近は警察関係の取り締まりが厳しいせいもあって、歌舞伎町ですらテーマパークの中を歩いているような気分になってしまう…(中略)…「逸脱」したものの代表が歌舞伎町だったわけですが、「危険なワールド」というテーマに沿って規制、統制された店が並ぶ今の歌舞伎町の方が、よほどテーマパーク化していて、幻想に近い」と隈研吾氏は述べる。
 高度経済成長期における郊外ニュータウンの開発に始まるいわゆる「正しい」都市計画は、公共性という名の下に「安全・安心」「快適」な都市像を描いた。一方で三浦展氏は、地方のロードサイドに並ぶ大型ショッピングセンターやファーストフード、ファミレス等の画一化・均質化された郊外の姿を「ファスト風土化」と呼び、その病理を描いた。「ファスト風土化は、昔からのコミュニティや街並みを崩壊させ、人々の生活、家族のあり方、人間関係のあり方をことごとく変質させた」のではないか、と述べている。
 明らかに現在の都市から「異界」と呼ばれるような空間・環境は駆逐され、それに伴う弊害も起きているようである。それでは「異界」が“見えなくなっている”ことで、都市に何が起きているのだろうか。
 
●人間らしく生きるための「異界」
 
 近代化とは、世界の均質化を進めることと同義であったとすれば、都市の近代化は、かつて存在したトンがったり凹んだりしていた部分を平らに慣らすことをよしとしてきた。一方で、都市は人間という均質でないものが集まって住むシステムであるならば、都市の均質化は常に課題を内包していたこととなり、その課題を見えないものにしてきた近代都市計画の行き着く先には矛盾が露呈することは必至となる。例えば、ニュータウンの整然とした住宅街における独居老人の問題は、その最たる例になるだろう。課題として明らかに見えていればまだしも、意図したものではないとはいえ結果として顕在化しないが故に、問題をより複雑にしている。
 すなわち見える「異界」は、都市に「あった方がよい」存在である。ムリに隠そうとせずに「遠く」ても「見える」ことで存在感を保ち続けることが、人間らしい生き方のできる都市のあり方を示していると言えるかもしれない。また、簡単には足を踏み入れづらい「異界」という存在感が、それ以外の都市生活を成り立たせているという見方もできる。“見える異界”により、何があるかわからないが、それを畏怖する謙虚さを、都市に住む我々は失わずいるべきであろう。
 
●都市の「異界」を捜し求める人々
 近年「工場萌え」「廃墟マニア」が話題になっている。工場は、元来都市のエッジ部に立地し、迷惑施設として見なされてきたが、その特異な空間や景観(といっても全てが必然性のある形状なのだが)が近年脚光を浴びている。廃墟は、かつては人々が生活した場所が、何らかの社会的経済的理由により朽ち果てた結果であり、その特異な景観よりもむしろその景観が成立するに至った生々しい歴史が人々を惹き付ける魅力かもしれない。これは都市に失われた「異界」を捜し求めるムーブメントの一種ではないか、と筆者は解釈している。これらに共通するものは、郊外ニュータウンや大規模ショッピングモールからは感じることのできない、「ナマの」感触であり、明確な「非日常性」である。筆者含めマニアの方々が探し求めているのは、我々が生活している都市の表層を一皮剥いた後に出てくるような「中身」を垣間見るようなエキサイティングな感覚ではないだろうか。
 
●都市の真ん中で輝き続ける「異界」
 
 「異界」が大都市のど真ん中に存在し、かつそれが積極的に認識されている例を紹介しよう。コペンハーゲンの中心部にクリスチャニアというエリアがある。塀で囲まれ、限られた出入り口には国籍不明のトーテムポールが建ち、観光客と思しき面々がたむろしている。中を恐る恐る覗く者もいる。筆者も2年前、同都市を訪問した際に、中を歩いた。特に危険という感じはしなかったが、明らかに「異界」を感じた。家のデザイン、写真禁止といった看板から、ここは異なる世界なのだということを否応もなく認識させられる。
 このクリスチャニアは、歴史的には軍の敷地であったが、1971年に軍が移転した後に、そこの開放を訴えたヒッピーたちが住み始めたのが起源という。現在もコペンハーゲンの行政システムには与しない独自の自治システムを有しており、税金も払わずに、そのエリア内で生計を立てているといわれる。
 そして近年、クリスチャニア発のデザインが脚光を浴びているようである。市内で売られている雑誌でもクリスチャニア発のデザイン特集がされているように、情報発信地としても機能しつつある。
 
クリスチャニアのエントランスの内側から外を見る
「You are now entering the EU」と書かれたゲートが見える(筆者撮影)
 
 このエリアが存在することが街の障害になっているようには感じない(実際には行政や住民との間に課題があるのかもしれないが)。むしろ都市にプラスの影響を与えているのではないかと感じる。
 「異界」があることは都市にとって自然であり、決して隠すための作為はすべきでない。むしろそのあり方について、人間の生業を示す必要な要素としていかに共存すべきか、我々プランナーはもっと真剣に考えるべきではないだろうか。
 
参考文献: 1)「江戸・都市のなかの異界/内藤正敏/2009年」
  2)「新・都市論TOKYO/隈研吾・清野由美/2008年」
  3)「ファスト風土化する日本/三浦展/2004年」
 
 
 
   
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