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日建設計 
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第33回NSRI都市・環境フォーラム

『新しい社会システムの構築へ向けて』

講師:  横山  禎徳 氏   

社会システム・デザイナー IGREC代表

PDFはこちら → 

日付:2010年9月16日(木)
場所:NSRIホール

 

1.「社会システム・デザイン」とは何か

2.「社会システム・デザイン」のアプローチ −「住宅供給システム」の例

3.「社会システム・デザイン」として扱うべき日本の課題

4. 「マスター社会システム・デザイナー」の育成

フリーディスカッション

 

 大変長らくお待たせいたしました。ただいまから第33回都市・環境フォーラムを開催いたします。ことしは残暑が大変厳しい日が続いておりまして、ようやく涼しくなりましたところが、きょうはあいにく雨となりました。お足元の悪い中、お越しくださいまして、まことにありがとうございます。
本日のご案内役は、私、広報室の谷礼子でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、本日のフォーラムは、ご案内のとおり、IGREC代表取締役でいらっしゃる横山禎徳先生にお話をいただきます。
本日は、『新しい社会システムの構築へ向けて』と題してご講演をいただきます。
横山先生は、社会システム・デザインという方法論を確立され、国内外を通し、多方面で普及活動を展開していらっしゃいます。
先生のプロフィールについては、お手元のレジュメのとおり、前川國男建築設計事務所に勤められ、その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに移られ、東京支社長を歴任されました。現在は、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・ブログラムにおいて企画・推進責任者を務めていらっしゃいます。
本日は、社会システム・デザインとは何かというお話から始めていただきまして、現代社会が抱えている多くの問題についての解決策をいろいろとお話しくださると楽しみにしております。
それでは、早速、先生にご講演をいただきたいと存じます。皆様、大きな拍手で先生をお迎えください。(拍手)


横山 ご紹介いただきました横山でございます。社会システム・デザインという言葉はなかなか定着しておりません。今日お話しすることも余りお聞きになったことがないと思いますが、私は15年ぐらい前からこのテーマで一人寂しく孤独にやってまいりましたので、今日ここでお話しできるのは大変光栄に思います。
 グーグルをお引きになると、ソーシャル・システム・デザインという項目があります。私は2002年にマッキンゼーを定年退職いたしました後、経済産業研究所という経産省の研究所に研究員としてしばらくいまして、その時に、ソーシャル・システム・デザインを誰かやっているかなと思ってグーグルで調べてみたら、ほとんどなかった。時々見つけると、それは私がその研究所で書いた論文の英訳であったり、ということもありました。今はソーシャル・システム・デザインと引くと大量に出てきます。デザイン・セオリーまであって、分野としては広がっているのかもしれませんけれども、一体何をもって社会システムと呼ぶのか、どういう手法でデザインするのかということに関しては極めて曖昧模糊としている状況であると私は思っております。
 社会システム・デザイナーという肩書きも私が勝手につけました。別にライセンスがあるわけではあるません。他にいっている人はいないから、ひょっとしたら私は世界でただ1人の社会システム・デザイナーかもしれない。何故かというと、仕事がありませんから。誰に頼まれるわけでもない。したがって、私は勝手にデザインしておりまして、その結果を具体的に見ていただくということにいたしたいと思います。
(図1)
社会システム・デザインとは国家戦略であること。それは何なのか、アプローチはどうなのか、主要テーマは何かをこれから説明いたします。
医療システム・デザインについてもお話したいと思います。私は、医療システムデザインを5年ぐらいやっています。お医者さんや官僚、建築家など、多種多様な人が集まって、東大医科研のゲノム解析センターの2階で月に1回デザイン研究会をやっています。第1回目のデザインを1年ほど前に終えて、今第2回目の地域医療システムを細かくデザインするための作業をやっております。ご興味がおありでしたら、いらしていただくと大変助かります。 
他にも、いろいろなことをやっています。JST(科学技術振興機構)の中に低炭素社会戦略センターというのができまして、そこの研究員もやっています。低炭素社会のシステム・デザインを小宮山宏さんにつくってくれないかといわれたので、試案をつくりました。それも時間がありましたら、お話ししたいと思います。
最後に、マスター社会システム・デザイナーについてお話をします。私1人が社会システム・デザインやっていても仕方がないので、もっとたくさん増えてほしいなということです。弟子と称する人たちはいるんですが、なかなか育たない。やはりデザインのバックグラウンドを持っている人がやるべきではないかなと感じておりますが、どうやって育成するかということをお話ししたいと思います。
社会システムというのは、社会学者が大分前からいっています。社会全体を社会システムと呼んだわけです。したがって、デザインするつもりなんか全然ない。典型的にはタルコット・パーソンズ──お聞きになったことがあるかどうか、この人が社会システムを定義しています。割と最近では、もう亡くなりましたが、ドイツのニクラス・ルーマンという社会学者が社会システムを、オートポイエーシスという形で定義しています。オートポイエーシスというのは、生物学からの用語であって、自己制作化と訳されていますが、自分で自分をつくる。生命体のようなものです。社会とはそういうものだ。社会学者には初めからデザインするという感覚は全くないわけです。私はデザインできることが大事であると思っていますので、自分で全く勝手に別の定義をいたしました。それは生活者の視点からの定義です。「生活者・消費者への価値を創造し提供する仕組み」。それであればデザイン可能です。何故なら、社会全体ではないからです。
(図2)
社会システム・デザインというのは、組み立てることを目的として、どうやってやるのかというところがわかるまでつくり上げるデザインであって、政策提言という言葉の羅列ではない。だから、「てにをは」を変えられたから内容が変わってしまうということは絶対にありません。政策提言から社会システム・デザインに変わらないかなというのが私の野心であります。
 それから、生活者は賢いけれども、イマジネーションが豊かでないですから、見たことないものは欲しがらない。だから、政府が打ち出す施策には失望はするけれども、ではどうしてくれということはいえないわけです。素人は「見たことないものを欲しがれない」のです。例えば、携帯電話が出てくる前にこれが欲しいといわれた方がおられたらお目にかかりたい。「ボタンを押すとパッと開く。こういうのが欲しいんだよ」と、素人はいえないわけです。実際にモノをみて、「ああ、それがいい、悪い」というのが素人です。今の政府はみんなが欲しいと思うようなイマジネーション豊かなものを出していないということです。
 小泉内閣の「壊す改革」、それから今の民主党内閣の「削る改革」というのでは、みんながっかりしている。だけど、何が欲しいといえない。だから、ここから抜け出すための「組み立てる改革」の手法が必要だ。それが社会システム・デザインだ。このデザインという身体知を身につけるべきだ。もしデザインのバックグラウンドの方がおられればすぐおわかりになると思うんですが、デザインは頭で考えても仕方がない。身体知、体で覚えるものである。社会システム・デザインも建築と同じように身体知である。こういうことを今からざっと申し上げます。

 

1.「社会システム・デザイン」とはなにか

(図3)
何で国家戦略といっているかといいますと、私は経営コンサルティングを30年やっていましたが、その大半は戦略づくりと組織デザインをやってきたわけです。戦略というのは競争相手がいるのが前提です。企業戦略という言葉を使うようになったのは1965年頃からですが、それまでは戦略なんていう言葉はなかった。戦争用語を企業の中に持ち込んできたのは戦後です。当然企業においても、国の戦争のように競争相手がいる。敵ではないかもしれないけれども、競争相手がいる。ところが、国が国内での戦略といったときに、誰が競争相手なのか。最近、政府が発表した「新成長戦略」というのは本当に戦略なのか。内容も大したことがなく、相変わらずの経産省のお役人の作文でしかない。そんなこといっている暇があったら早くやっておけばいいのにということしか書いてないんです。あれを普通は戦略とは呼ばない。
 対外戦略というのは世界の潮流に対して日本の実力をどういうふうに活用するのかということで、それが伝統的な戦略です。対内戦略の場合は、「成長」を戦略にするのは私は基本的に間違っていると思っています。成長を志向した途端に、旧来型の産業立国型戦略になる。リニア思考、線形思考になってしまう。CO2は絶対に減りません。産業立国論とCO2の削減というのは簡単には両立しませんから、このアプローチは間違っているのではないか。これはつくった方々にも申し上げました。彼らもそうかもしれないとおっしゃっていますから、あながち私が勝手なことをいっているわけではない。
 対内戦略というのは新しい工夫が必要です。そこで、私は社会システム・デザインのアプローチを提案したいと思います。
(図4) 
要するに、世界と地域を相手にするのがまさに戦略なんですね。競争相手がいるわけです。競争相手として中国なんかも近隣にあります。韓国もあります。ただ、国内はそういう意味での競争相手はないわけです。通常の戦略立案アプローチは当てはまらない。その代わりに社会システム・デザインで日本の抱えている最重要課題にこたえるべきだということです。
 では何が最重要課題か。最初から結論をいいますと、「超高齢化社会をどう経営するのか」である。その、世界最先端の課題に社会システム・デザインで答えるというのが私のアプローチです。もし、答えることができたら、ほとんどの国が超高齢化ということにこれから直面するわけですから、それを日本発の世界的普遍性のある答であると主張する。そういう影響力も日本の実力の一部になります。
 少子高齢化という言葉がありますが、これは全く意味がありません。少子化と高齢化は全く違うことです。アメリカでは少子化は起こっていませんけれども、高齢化は日本と同じように起こっています。二つは全く違う現象であり、少子化はもう答が出ています。それなのに日本は40年間何にもやってこなかった。未だにやろうという気がない。非常にだらしのない状況です。フランスはいろいろな手だてをして、出生率2.0まで回復したわけです。2.08というのは人口再生産人数なので、2.0のフランスの人口は減りはしないという状況に来ています。そこにたくさんの試行錯誤と答がある。しかし、日本は何もやっていません。
 子ども手当がそうだと思っておられたら、これは全くの間違いであって、子ども手当はそんなことにほとんど効かない。
(図5)
要するに、産業立国的発想から抜け出さなければいけない。成長を求め、先進国に追いつけ、追い越せというリニア思考と決別すべきである。今後は「循環型思考」という形で考えるべきだ。成長というのはGDPの成長率のことです。GDPの成長率というのはGDPの微分ですから、GDPが大きくなれば成長率はプラスになるわけです。成長率を追いかけるよりもGDPの中核になる経済活動を拡大することを考えたほうがいいというのが基本的に申し上げたいことです。
 拡大と成長とどう違うのか。これをはっきりいえる人はあまりいない。白いネコと黒いネコの違いであって、成長と拡大というのは分けてみても始まらないんですね。どちらも経済効果は同じようなものです。だから、成長志向という発想から抜け出すべきだということを繰り返し申し上げます。GDPの成長率を追うとCO2も増えますから、新成長戦略の中にCO2の25%削減の答はどこにも出てこないですね。それはできないからです。
 新成長戦略が6月に発表されたのは参議院選のためで、そこまでに決着がつかなかったんですね。産業連関表に成長戦略を入れるとCO2は減らないですから。だから、答が出ていない。これにどうやって答えるのかというのも1つのテーマです。需要や消費、雇用という旧来の発想から一度離れて、GDPというのは経済活動ですから、その質や厚み、広がり、深さを追求する。そうすることによって、そこから新しい消費や新しい雇用をつくるんだという発想をする。そうすると、GDPのパイが大きくなる。微分すれば成長率になる、こういう発想なんです。
(図6)
「循環思考」というのはどういうものかというと、例えばこれは自動車産業だと思ってください。高度成長期においては技術開発をして、デザインをして、つくって、売る。モータリゼーションがスタートしたのは昭和30年代で、そのころは新車を初めて買う人が多かったが、3年で買いかえる人が結構でてきた。下取りをしなければいけない時代が来る。下取りをしないと新車が売れませんから。下取りをしたらその車を売らなければ仕方がないので、2次市場ができる。中古市場です。下取りに出すときに、下取価格が高いほうがいい。ちゃんとメンテされていると、残存価値が高い。そのためのメンテの仕組みができる。そうすると、今度はメンテのためにいろいろ新しいパーツを提供する仕事ができる。中古車情報を提供するカーセンサーのようなものが広がっていく。
 最近、車に興味がない若者がいるという話があるけど、私は車に乗りませんといっているわけではない。免許は持たないけれど、人が運転していれば乗っているわけです。車は便利だけど車自体には興味がないというのが、実は今の車を持っている人の半分です。自動車会社は絶対認めたがらないですけど。エルグランドとアルファードとどこが違うんだというレベルです。トヨタと日産の車ですがほぼ同じなんですね。そうすると、それをどっちがいいかを考えたりして週末をそんな無駄なことに時間を使うよりは、私は趣味のチェロの練習をしていた方がいい、どっちでもいいからチェロがちゃんと乗ってくれればいいんだ。車選びに時間を使いたくないという人がすごく増えているわけです。自動車会社にとってはとても困ったことですが。人は一生に10台から20台ぐらい車を買う。家よりは少し少ないけど、結構お金を使うんです。だから、「あなた、興味ないんだけど、使うんでしょう。だから、いい時に車を買って、いい時に売って、あなたの好みに合うように全部20台分、私が面倒見てあげましょう」という商売もあり得るわけです。まだ、できていませんけれども、できそうな感じがあります。
 自動車のリース会社は多いところで50万台、車を持っていますから、皆さんの買うタイヤの10分の1近い値段でタイヤを買うことができる。そうすると、メンテ費用がすごく安くなる。そういう商売があり得る。
 このようにだんだん広がり、新しい発想で元に帰ってくるというように物を考えるのが「循環思考」です。だから、自動車産業はもう古いからバイオだ、ナノだ、あるいは電気自動車だと行くのではなく、既存の自動車生活の中のいろいろな可能性を探す。成長戦略が産業論になってしまった途端にこういう可能性を忘れてしまうんですが、このような発想は新しい経済活動をつくっているということになります。それで十分GDPは大きくなるわけです。しかも、もっとも現実的です。ナノテクノロジーが商売になるのは、いつになるかも、いくらになるのかわかりません。何兆円になるかは誰も見当がつかない。でも、この自動車の例えの場合は、どのくらいの商売になるか確実に見当がつくんです。
今、中古車市場は、保険なども全部入れると新車市場より大きいんです。しかし、このような2次市場を大事にするという発想は、成長戦略のどこにも書いていない。

 

 

2.「社会システム・デザイン」のアプローチ −「住宅供給システム」の例

(図7) 
社会システム・デザインというのはそういうことまで見ていく手法です。私はバブル崩壊の後、これまでと違う時代が来ると考え、新しいアプローチを考え始め、建設省や通産省に話を持ちかけたのですが、ほとんど興味を持ってくれなかった。92年、93年頃でした。私のバックグラウンドは建築ですから、一番わかりやすい住宅問題をとらえてみようとしたわけです。
住宅問題を調べてみると、日本の住宅は全然小さくない。当時、建設白書で持ち家だけ比較すると、アメリカ、ドイツ、オランダには負けているけど、フランスやイギリスよりは大きかったんですね。何で「ウサギ小屋」とフランス人やイギリス人にいわれるんだ、という状況でした。小さくない。数は当時から余っている。今でも800万戸以上余っています。世帯数より住宅のほうが多い。だから、数の問題もない。広さの問題でもない。当時は140平米もありました。住宅ストックの半分以上は昭和50年以降できていますから、そんなに貧しい住宅でもない。そうすると、ハードウエアの問題は全然ないわけですよ。それなのに、景気対策というと、常にハードウエアの対策を打とうとする。それから、ツー・バイ・フォーを入れようとする。ツー・バイ・フォーというのは3つのシステムででき上がっているんだけど、ハードウエアのシステムだけ入れたので高いものになっている。いろいろなことをやっても結局、新築着工数は去年、80万戸を切りました。
 だから、どうするんだねということに対して答えるなら、オペレーティング・システムに着目します。すなわち住宅供給システムを新しくデザインするのです。新築住宅だけではなく中古住宅も含み、もっと大きな分野になるのです。それを1994年にデザインしましたが、誰も興味を持ってくれなかった。当時、REITといったんですが、「リートって、何だね」といわれるような時代でありました。
 それが私の最初の社会システム・デサイン。住宅供給システム。新築だ、中古だということを考えない。それから、土地と建物を一体で考える。プロパティー・インプルーブメントというのをきちんと評価する市場形成をするということなんです。いまだにプロパティー・インプルーブメントと英語でいわなければいけないというのは、日本にプロパティー・インプルーブメントが根づいていないからなんですね。住宅でなくてもいいんですが、売買する時に、プロパティー・インプルーブメントを評価して価格の中に組み込んでくれる査定ができるところは、今ほとんどないはずです。それではマーケットは認めてくれませんから。そういう状況です。だから、そんなに進んでいない。 
(図8) 
正直いうと、日本の問題はそういうところにある。あるところではとてもいいんだけれど、あるところではとても駄目。システムをきちっとつくり上げるために何が重要かということを考えるべきなのです。でもプロパティー・インプルーブメントの評価体系が相変わらずでき上がっていないから、結局スーパーブロック開発だけになってしまう。東京でいえば六本木ヒルズや東京ミッドタウンはできるんだけど、1つ1つの家、あるいはコミュニティが常によくなっていくというメカニズムはどこにも組み込まれていないというのが実態なんです。そういうことを考えるのが社会システム・デザインであるということです。
 プロの皆さんにデザインのことを余りいっても始まらないのですが、ご存じのとおり、デザインとはアブダクティブなアプローチであり、エンピリカルなアプローチであるということです。何だ、片仮名が多いな、と思われるかもしれませんが、これは片仮名ではないんです。英語です。フランス語でもドイツ語でもない。ロシア語でもない。残念ながら我々が英語を使わなければいけないというのは日本のものとして十分受け入れて、自分たちが使いこなしていないからです。フランスも同じです。驚くべきことなんですが、フランスにデザインという言葉はありません。デッサンはデザインではありませんから。強いていえばプランなんですが、プランも少し違うので、デザインという英語を使わざるを得ない。マネジメントという言葉もフランス語にはないんです。だから、仕方なくマネジメントという英語を使うんです。
 日本もこういうことが本当にこなれてきていれば、英語を使わなくて済むはずです。ディダクティブ、インダクティブは日本語になっていますが、プロパティー・インプルーブメントは日本語になっていない。これが日本の現状であると私は思います。
(図9) 
今のリーダーに必要な能力はデザイン能力であって、それを訓練すべきなんです。ところがデザインは学問ではないものですから、通常、大学では教えません。多くのリーダーは訓練がされてないので、組み立てるためのデザイン能力がなく、問題の裏返しを答えとし、「強化」、「推進」などの言葉を使い過ぎるんですね。
例えば、子ども手当。これが問題だ、裏返して答えにする。答えではないとはいわないけれど、いい答えではないんです。営業力が弱い、営業力を強化しよう。誰でも考えられることですね。子ども手当というのはどういう形でできたか、ご存じですか。厚労省の子ども手当のサイトのところをごらんなるとすぐわかります。日本の子育て予算がOECD諸国の中で一番低いから、それを改善する。要するに問題の裏返しです。低い、増やせ。増やしたらどうなるのというのはほとんど考えてない。それに、少子化対策に効くのかというと、効くというロジックはあまりはっきり見えないんです。効くだろうといってはいますけど、どうして効くのか私には全く理解できません。そんなものを財政がこんな状況の中で長妻大臣は増やすといっているんですね。ほとんど考えていないと思います。
 子ども手当なんかは増やす必要はありません。フランスは何故出生率2.0になったか。日本のような子ども手当ではありません。手当ては2人目以降に出るが、フランスで多いコンキュビナージュという内縁関係の子どもにも出すことにした。これはフランス特有の問題です。それと、分娩費用が無料です。これはとても大きい。これは病気ではないから健康保険で見てくれない。日本は分娩費用は一時金で来ますが、もらうのが大分後なので、若い、キチキチの生活をしている夫婦にとって50万から80万円のキャッシュを払うというのは大変なことなんです。産みたいという気にならないわけですよ。検診に行くとこれも保険が効かない。不妊の治療は全く効きませんから、これもやはり当たるか当たらないかわからないのに、毎回50万円とか大金を払うわけです。少子化、少子化といって、それで子ども手当をやっている。どこか外しているというのはおわかりいただけると思います。
 システム思考が訓練されてない。システムをデザインするのは組み立てることなのだが、それができていないから「問題の裏返し」を答にしてしまう。それから、我々は西洋的な要素還元思考になれ過ぎている。そっちのほうばかりを使ってしまう。
(図10)
要素還元というのはこういう感じです。プロフィット・ツリーです。利益というのは売り上げマイナス経費である。売り上げは売価掛ける数量です。売価というのは定価マイナス値引きであるということですね。こういうふうに分けていくとものすごくわかりやすい。利益を上げろといわれても困るんだけど、値引きをするなとか、人件費を削れ、そういうことであればわかりやすいわけですね。だから、それぞれの部門がやることができる。
 ところが、このやり方の問題は何かというと、これがすべて独立変数なのかということです。ロボットを入れる、すなわち設備費を増やすと人件費が減るはずなんですね。光熱費も下がる可能性があります。ひょっとしたら材料費も減るかもしれない。だから、これらの費用は全部関係があるんですね。それをこのままでは分解しても見ることができないわけですね。それぞれが部門だと、それぞれが局所最適化をしてしまうということになる。だから、こういう発想だけではやはり答えられない。システム思考をごく単純化すると、時間軸を入れる、すなわち、因果はめぐるんですね。
(図11)
価格が下がると販売数量が増える。販売数量が増えると固定費を吸収してくれるから原価が下がる。そうすると、価格を下げられるからもっと売れる。これがプラスの循環です。余り下げ過ぎると品質を落としてしまうので、ブランドに傷がついて販売数量が落ちる。これがマイナス循環です。こういうプラス循環とマイナス循環があります。これはダイナミックな思考であって、時間軸というのが入っているわけですよ。このような思考を両方できるようにすべきです。今のところ、要素還元的思考が中心になり過ぎていると思うので、システム的思考を身につけるべきだということです。これは頭ではなくて、身体知です。
「身体知」というのは余り聞かれないかもしれませんが、一番単純な身体知は自転車に乗るということです。自転車に乗るためのバランス感覚を幾ら説明してもわかりません。どういうバランスをとったら自転車に乗れるのかは、体で覚えるわけです。デザインとはそれと同じようなものです。だから、身体知として、こういう「循環思考」を覚えてもらいたいというのが私の考えていることです。
(図12) 
システム・ダイナミックスというのをお聞きになった方がいると思います。MITのJ・フォレスターがフィードバック・セオリーでシミュレーション・モデルのツールをつくった。システム・ダイナミミックスは、非常に単純なダイナモという言語ですぐプログラムが組めるというものです。 
 これを社会現象にも使った。一番有名になったのは、ローマ・クラブによる『成長の限界』です。これはメドウスとフォレスターでワールドモデルを使って予測したわけです。ところが余りにも粗っぽ過ぎた。いいところも突いているけれども、間違っている分もある。それが改良されて、当時のIBM360のような大型コンピュータではなくパソコンでも使えるようになり、今はパソコンベースのソフトが2〜3種類出ています。日本語訳はないので、お使いになったことないかもしれません。
 このシステム・ダイナミックスをつくったJ・フォレスターも社会システム・デザインということをいっていますが、彼の場合は因果関係を解明するというところで終わっている。問題の在り様はとてもよくわかるんだけど、ではどうやって新しい因果関係を組み立てるのかということに関しては語っていない。 
 それから、システム・ダイナミックス・モデルの問題は、たくさんの因果関係のループをコンピュータの中のモデルに入れてしまいますので、つくった人しか実感がわかない。入力するとアウトプットが出てくるんだけど、何故こういうことになるのかというのがわからないという問題がある。ブラックボックスになっている。だから、私はデザインのためのツールとして使うため、皮膚感覚でわからないレベルまでのたくさんのループを入れない。因果関係を説明しただけでは答えにならない。新しい「良循環」を創造するのが目的であり、そのためのデザインをする手法にしてしまえばいいんだというのが社会システム・デザインのアプローチなわけです。
(図13)
先ほど申し上げたように、社会システムとは「生活者・消費者への価値創造と提供の仕組み」であって、はっきりと消費者の視点から答えようとしているわけです。何故かというと、この定義を1992〜93年頃に考えたんです。この頃は宮沢内閣の「生活大国」という言葉が出始めた頃です。生活大国と言われて、官僚の人たちから何をしたらいいのかわからなくなったということを聞きました。それに対して、私は、消費者に対して価値創造と提供の仕組みを考えればいいのではないのかということを通産省のお役人たちに申し上げました。ところが、通産省の人たちは相変わらずネットワークを組んであれば社会システムだと思っています。消費者への価値提供の仕組みという発想は余りしていないようです。
 日本の高度成長期、「追いつけ、追い越せ」の時代は、局所最適が全体最適になっていたわけです。だから、縦割り行政と言葉は高度成長期には余りいわれないんです。局所最適が全体最適な幸せな時代だったからです。今はそうならなくなったんですね。だから、産業立国という縦割り発想から産業横串の発想に転換する。蓮舫さんがいっているのが横串ではありません。もっと具体的なものです。例えば医療産業といった時には、銀行や保険会社、情報システム会社、運輸会社、建設会社は入らないんですが、医療システムといったら全部入るわけです。それが産業に対して横串を通すということです。だから、医療産業と医療システムは違うよということです。
 それから、技術のロジックのみではなく、社会の価値観の影響も大きい。だから社会システムと呼んでいます。
(図14)
産業を横串して価値創造をし、提供する。だから、生活者・消費者が価値を認めて喜んでくれなければ意味がないわけです。教育システム、金融システム、全部そうなんですね。
 今までのお役人は業界団体をうまくコントロールしながら日本を成長させてきたので、生活者・消費者は置いてきぼりになっていたんです。そこに対してちゃんとバリューを提供するという発想をする。主婦が喜んでくれなければバリューを提供していないという考えです。
(図15)
産廃システムなんかは、社会システムだと思っておられると思いますが、共産主義の産廃システムと資本主義の産廃システムには違いはありません。通信システムもどこに行っても通信システムの技術のロジックででき上がっています。インターネットは国が違うとロジックが違うということはない。ところが、訴訟や徴税、教育はそれぞれの社会の価値観が影響しますから、同じではないわけです。医療システムにおいても、アメリカではこんなことをやっている、ああいうことをやっているといっているけれども、社会が基本的に違いますから、日本でできるのかというとできないです。アメリカは脳死の判断が日本と全く違います。アメリカでできるからといって日本でできないことはたくさんあります。社会の価値観も影響する、技術も影響する、これが社会システムです。産業ではない。横串なんだということです。
(図16) 
今の閉塞感の最大の理由というのは、OS(オペレーティングシステム)のデザイン能力がないからです。パソコンもビスタよりウインドウズ7のほうが少しいいなというのを実感として持っておられるとすれば、それはOSの違いなんですね。
 美術館でも同じなんです。どんな立派な美術館をつくったからといって、コレクションが自動的にいいというわけにはいかない。キュレーターのシステムがよくなければいいコレクションはできないわけです。だから、ハードウエアの品質に加えて、OSのソフトウエアの品質を考えなければいけない。
 今は貧乏国で高度成長の時代につくったOSが、老朽化していて、リ・デザインを求めているのにハードウエアだけデザインするのが箱物行政というものです。病院はバブル期に新しくなりましたが、病院のシステムがほとんど変わっていない。せいぜい変わったのはIT化されただけ。IT化されたらシステムが変わったというのは大いなる錯覚であって、ITというのは無色透明なものですから、ある意思でプログラムしてしまうとそのようになる。古い考え方でつくれば古いITシステムになるだけなんです。
 社会システムというのはデザインできるんです。だけど、社会や都市はデザインできない。私が建築学科に行く時に、東大に都市工学科ができて、どっちに行こうかなと考えた。都市工学とは言葉を結びつけただけで内容は何なんだろうかというのを当時感じました。都市は工学できるんだろうか。
何故、都市工学という言葉ができたかというと、当時社会工学という言葉がはやっていました。社会は工学できると思われますか。実際にできていないんです。その後、私はハーバードのアーバン・デザインというところに行きました。建築より大きなことをやりたいなと思っていましたからアーバン・デザインは、耳にとても心地よいのでつい行ってしまったんですが、入ってみると内容はほとんどなかった。ハーバードのアーバン・デザインを終了し、都市デザイン修士と書いてありますが、何をやったのかという感じです。だから、アーバンもデザインできない。社会も工学できない。
 しかし、システムはエンジニアリングできるし、デザインできると考えるべきです。ソーシャル・エンジニアリングという言葉を使っている方がおられるけれども、私はこれはほとんど意味がないと思います。ソーシャル・デザインということをいわれる方もおられるけど、これも違う。アーバン・デザインも違う。アーバン・システム、ソーシャル・システムがデザインできるんだということです。
(図17)
社会システム・デザイナーというのは別に私が初めてではなくて、過去にもいたわけです。ご存じだと思いますが、日本で米の先物をつくったのが世界最初だという話はよく聞かれると思います。これは別に本間宗久が自分でデザインしたのではなくて、実に大岡越前がシステムをデザインしているんです。米将軍吉宗にいわれて、システムをつくった。それは米経済から貨幣経済への変わり目のところで、藩などの予算を確定するためにどうしても必要だったからです。
小林一三のことはどのくらいご存じですか。私は、30年コンサルティングをやっていましたが、このぐらいすぐれた経営者にお目にかかったことがありません。この人は私鉄を外部経済に取り込んだ複合システムとしてつくり出した。高校野球大会は元々彼の発明したシステムです。ああいうふうに全国から勝ち抜いてくるというのはシステムなんです。彼が発明して最初は豊中の原っぱでやっていたわけです。
 それから、新橋第一ホテルというのは日本のビジネス・ホテルの最初ですが、あれは彼がコンサルタントとしてあの辺の地主さんに、「何かありませんかね、小林さん」といわれて、こういうのはどうかと提案したものです。みんな帝国ホテルに泊まれるわけではない。1日8円のお金しか使えないサラリーマンが泊まれるホテルはこういうものだよということをいったわけです。彼はシステム・デザイナーだったんです。
 クーベルタン男爵は、ご存じのとおりです。オリンピアードなんて誰も知らなかったわけです。それを拾い出してきて、オリンピックというものをつくった。社会システムをつくると市場ができます。実際にクーベルタン男爵も小林一三もスポーツという中に新たなシステムを導入して市場を形成したと私は理解しています。
 まだまだスポーツに関して市場形成というのはあり得るわけです。最近できたのはJリーグですが、Jリーグはとても賢い人たちがつくったようでうまく組み立てられています。野球のようにお金がかからないんです。給料などの経費をきちっと抑え込んであるし、ちゃんとあの程度で回るようにできていて、よくデザインされています。
(図18)
社会システム・デザインというのはダイナミック・システムのデザインで、5つのステップを踏みます。中核課題を見つけて、それがつくり出す悪循環──悪循環は必ずめぐっていますから、それを探しだす。日本人に今一番欠けているのは課題設定能力です。課題解決能力は幾らでもあるんです。過去、課題解決は幾らでもしてきた。でも、課題設定をしたことがない。サステナビリティーは日本人がいったわけではない。みんなサステナビリティー、サステナビリティーっていうけど、誰がいったのか。グローバリゼーションも日本人がいったわけではないんです。誰かが設定した課題に対して、課題解決をすることは得意なんです。でも、自分で課題を設定できない。
 中核課題からから出てくる悪循環というものがある。それを見つける。良循環は悪循環の裏返しではありません。悪循環を裏返したら良循環になるということはできないんです。やってみればすぐわかります。営業力が弱い、営業力を強化しようというわけにはいかない。創造的行為です。悪循環を部分改良しても良循環にはなりません。全然違うところから発想してこないといけない。それから、サブシステムをつくります。サブシステムとは、こういうふうにやるんだよ、という「駆動エンジン」としての行動のステップが、かなり詳しく書いてあるので、「てにをは」を変えられたからって、政策提言のように内容が変わることはない。
(図19)
これが5つのステップです。キーワードは悪循環、良循環。良循環は今存在していないから、それを駆動するエンジンが必要なんですね。駆動するエンジンとしてサブシステムを3つぐらい拾い出す。これもクリエイティビティーの世界です。これ全体がシステムだから、これはサブシステムです。それを細かくしていくということです。
 現象と課題は違います。現象をそのままではなく、課題としてとらえなおすということが中核課題を見つけるということです。日本の住宅分野は寿命の尽きた持ち家推進諸策の無用な継続をやっていた。日本、特に東京は戦前には、持ち家というのは2割ぐらいしかなかった。8割は賃貸に住んでいた。戦後は民生安定化のために持ち家推進ということをやったわけです。大成功して今は7割ぐらい持ち家になっています。それは70年代の初頭にでき上がっていた。それなのに、住宅金融公庫というものを相変わらず最近まで続けていた。住宅金融公庫があれだけの低金利の融資をするということは、税金から金利補てんをしていたんです。5000億円から8000億円ぐらいです。それを誰も知らない。やる必要がなくなったのにやっていた。それだけの無駄遣いを毎年していたわけです。
 それから、医療の問題はいろいろいわれますが、何が中核課題なのか。それをお考えになったことがおありでしょうか。私の考えでは、医者、患者、保険者、要するにプロバイダー、ペイシェント、ペイヤー、3つのPなんですが、その間に自己規律が働く仕組みになっていない。保険者が勝手に払っているとか、医者が怠惰だとか、そんなことをいっているわけではない。きちっとした仕事をしているんだけれども、例えば、物だったら、これ(ボールペン)、1000円だったら買いません。何故なら、プライスバリューというのはすぐわかるんです。だから、これを1000円で売ろうという人はいないし、品質が悪いと買ってくれない。市場というのは自己規律の1つの仕組みなんです。それが働いていないから、患者さんは幾らかかったのか知らないわけです。保険が払ってくれるからです。だから、濫用してしまうわけです。お医者さんもいちゃもんつけられると困る。最近、後で訴訟などされたりするので特に困るので、何でもかんでも過剰にやってしまう。保険者も査定するということをきちっとやっていられないところがある。査定はしますけれども、払ってしまう。みんなの間に緊張感がなかなか働かない。だから、自己規律に結びつかない。そうすると、裏返しをすぐいうビジネスの世界の人がいて、それなら、市場メカニズムでやればいい、病院なんか株式会社にすればいいといいます。それは全く「問題の裏返し」の答であって、それがいい答だとはとても思えない。そういうやりかたではなく、自己規律が働く方法があると思います。
ではそれは何だということを考える。要するに、「問題の裏返し」で市場メカニズムに任せようという安易な発想をしないで、きちんとデサインするというのが医療システム・デザインです。
(図20)
 それでは、中核課題は見つかるのか。実は実際のデザインをやればすぐわかるんですが、悪循環を見つける中でだんだんと中核課題がわかってきて、それと同時に、いい悪循環が見つけられる。システム・ダイナミックス・モデルは悪循環、良循環を含めてクローズドループと発散のループが数百以上入れられるんですが、それがわからなくなる原因です。3つ、4つループが見つかればいい。完璧ではないけど、みんながそうだねというものを見つけ出すことが大事です。「風が吹けば桶屋が儲かる」というのは牽強付会な考え方ということになっているが、一方でイマジネーション豊かなんですね。だけど、無理があるわけです。風が吹いて目に入った。目に入ったらみんな目の不自由な人になるわけではない。目の不自由な人はみんな三味線引きになるわけではない。そういうところが怪しげです。そういうところはおかしくないのか。データでちゃんとチェックできるところはチェックするわけです。それが分析ということです。
 よく分析、分析というけど、やみくもに分析しても始まらない。何を分析すべきかということをこの悪循環の発見は教えてくれるわけです。ほかにも教えてくれる方法があります。先程のツリー構造に分けていくという形で分析を組み立てるという方法もあるけれども、それとは別に、こういう悪循環を描いて、ここは本当にこっちのステップに動くのかというのを吟味する、それを確かめるために分析するというアプローチもあります。
(図21) 
これは1992〜93年頃つくった持ち家優遇策は持ち家にならない。いつまでたっても日本に優良な住宅ストックがたまらないということでつくったものです。
(図22)
 医療に司法が介入するというのは、日本独特です。世界的には司法は医療に介入しません。何が起こったのか事故を調査する。医療というのは完璧ではないから、二度と起こらないようにするということを永遠に繰り返していく作業なんですが、日本は司法を使うので、みんな被告と原告になって、本当のことをいわないまま疲れ果てて、不満が残る。そして、もっときつくやってくださいというふうにだんだんきつくなっていくという悪循環に入っている。どうしようもないと思っていましたが、さすがに90年の初頭あたりから潮目が変わった。ご存じかどうか、福島県立大野病院のケースが無罪になりました。新聞等も医師のやみくもな批判を控え始めた。大分潮目は変わってきましたけれども、相変わらず事故調査委員会というのをどうやってやるんだということについて、もめにもめています。
 悪循環はどこでもある。絶対に見つけてやろうという強い意志で粘り強く見つける。悪循環を定義して理解したら、良循環はクリエイティブに作り出す。いろいろなところからアイデアを見つけてくる。良循環は1つではないです。その中で一番いいものを使う。2つも3つも良循環があったらやればいいのだが、サブシステムという駆動エンジンにはお金がかかります。予算が限られているので、たくさんはつくれない。私の経験則では、良循環をまず1つ見つけて、3つのサブシステムでこれが動き始めたら、ほかに波及効果があるから、その後からまた良循環を考えればいいではないか。一遍に3つぐらいの良循環をやろうなんて、そんな欲張りはやらないほうがいいというのが私の考えです。サブシステムが2つだと何故かパワー不足で回らない。やはり3つです。そういう考え方です。
(図23)
これは住宅供給の良循環で、1993年頃考えたものですが、「駆動エンジン」の一つが住宅の利用価値と資産価値を分離し追求するシステムです。その時にリート(REIT)やコマーシャル・プロパティ・バックッド・セキュリティー(CPBS)などの導入を考えましたが、いってもだれもわかってくれないという状況でした。
ライフステージに応じて住みかえるシステムというのは、家は伸びたり縮んだりしないので、一定期間で住みかえをしたほうがいい。そういうことがやりやすいような仕組みを考える。いずれどこかに定住してもいい。しかし、賃貸から戸建てへという単調な動きではない。若い時は賃貸で、1戸建てを手に入れて終わりと思っておられるかもしれないけど、人生はそう単純ではありません。85から90歳まで生きると、子どもと一緒に過ごすのは15年、女性にしてみれば、旦那さんが亡くなって1人で暮らすのが15年。その間に30年間夫婦2人という時期があるんです。そういう時期をどうやって過ごすのか。郊外に住んだんだけど、夫婦2人であったらやはり都心に帰ってきたい。そういう時期がある。そういう人生のステージに合わせて住宅ストックが多様に提供されているということが日本はでき上がってないわけです。
 東京では中央林間や町田の近くで子育てが終わって、やはり都心に帰ってきたいなと思っても、高級高層マンションしかない。タウン・ハウスもなければコート・ハウスも何もないという状況なわけです。住宅ストックが貧困なんです。それを変えていく。そのためにはメニュー型で住宅をつくる。今のプレハブというのはプレハブの名に値しないわけです。部品が最小ロット10万ぐらいないと、本当の意味でコストダウンにならない。本当は大和ハウスだろうと、積水ハウスだろうと、何ハウスだろうと、同じ共通の部材が使えるというオープン・システムでやるべきだったんですね。それをみんなクローズド・システムにしてしまっている。今さらいっても仕方ないんだけれども、クローズド・システムだから、みんな部材の生産ロット・サイズが小さい。それでも、在来型よりちょっと安いので、という状況です。本当に安くしたいんだったら、オープン・システムにすべきだし、1つ1つ注文住宅にするのではなくて、50ぐらいメニューがあればいいのではないかと考えた。住宅に住むという人が、全員そうしてくれとはいわないですけど、半分ぐらいそういう人たちが増えると日本の住宅もいろいろな多様性ができ、ライフ・スタイルも多様になり、もっと豊かになるだろうと当時考えたわけです。できていません。
(図24)
 サブシステムというのは細かく書いていくわけです。ここのステップがわからなければもっと細かくする。だけど、まず右足を出してつぎに左足を出してくださいというところまで行く必要はない。でも、ゆっくり歩いてくださいといったとする。ゆっくりってどのくらいなのか。1時間に2キロぐらいのスピードで歩いてください。1時間2キロではわからないよ。それなら、10分で300メートル。それもわからない。一番わかりやすいのは、10分で何歩ぐらい歩いてください。そのかわり右足を出そうと左足を出そうと知ったことではない。そういう表現のレベル感というのはデザインを実際にやってみないとわかりません。どこまで細かくし、何をいえばみんながわかってその通りしてくれるのか。これも全部経験的に身につけなければいけないスキルです。
(図25)
これは住宅供給のときに考えたものです。
(図26)
これは医療です。日本の医療は国民医療費三十何兆円で、多いとか少ないとか、減らせ、減らせとかいいますが、全く間違った議論であると私は思っています。医療費を訳せばメディカル・コストです。コストを増やせという人はいない。高齢化ですごく増えているという恐怖があるから、減らせ、減らせというけれど、それで足りるのか。足らないわけです。予算を増やしてくれるのか。800兆円の財政赤字の中でどうして医療を増やすんだ。既に、社会保障が一番大きなコスト項目ですから、増やしてくれない。そこでは、寄付というところに目を向ける。日本は寄付しない。アメリカ人がするのはキリスト教の精神があるからだというけれど、日本の神社仏閣はどうやってできたのかというと、あれはほとんどが寄進です。何故、神田明神があれだけ元気な神輿をやっているか。あれを支えている人たちから寄付されているわけです。仏教とか神道が寄付しないなんてことはないんです。本気で寄付を集めたことがあるのか。お金を使わないでお金が集まった試しはアメリカにおいてもないんです。座っていたらみんなが寄付してくれることはない。物すごく粘り強く集めていっているわけです。それをやったこともない。寄付は日本人に向かないというのは怠惰な議論です。しつこく試しても見ないで日本人は寄付をしないという発想はおかしい。だから、日本は寄付を集めなければいけないんです。これも繰り返し後で申し上げます。
そういう寄付募集作業を細かく、細かく分けていって、こういう医療基金をつくったらいいというのを提案しているわけです。医療システムは今日は話しません。
(図27)
情報システムと社会システムは絶対に違います。情報システムというのはスタティックなシステムです。できたときから陳腐化を始める。情報システムをやっている人が社会システムをやるというのは、私は基本的におかしいと思っています。社会システムは社会システム・デザインの訓練をされなければいけないということです。情報システムは自己変革はできません。自分で自分を変えるシステムはまだ出てきていない。自分で自分を変えることができるシステムとしては、社会全体は別にすれば、人間のつくったもので素晴らしいものは都市システムです。都市というのは7000年の歴史があります。そこの中でやってきた試行錯誤の積み重ねの結果、ある種の疑似有機体的自己調節機能を持ったのが都市である。そこまで情報システムは達していませんから、面倒を見てやらないとすぐ駄目になってしまうのです。だから、情報システムの世界の人が社会システム・デザインをやるのはちょっと違うのではないかというのが、私の申し上げたいことです。
 先程いった「循環思考」という考え方は変化のダイナミズムを組み込んでいる。先程のニクラス・ルーマンが社会を自分で自分を作るオートポイエティック・システムだといったとすれば、それでないもの、外部から初期条件を与えるものはアロポイエティック・システムといいます。社会システム・デザインはアロポイエティックなんだけど、できる限りオートポイエティックであるというふうにしたい。都市計画の世界で、マスター・プランというのは人間の能力を超えているという議論が60年代の後半から70年代の初頭にあったと思います。それに対応してどういう新しいアプローチがあるか。
幾つか出ていますが、その中でミニプラン・アプローチというのがあります。マスター・プランはできないけれど、幸いにして、ゼロから大都市を設計してくださいというお客さんはもういません。シャンディガールやブラジリアやキャンベラみたいなチャンスはほとんどない。今存在している都市を変えていくというアプローチを求められている。そうすると、全体がオートポイエティックで、自己調節ができるから、自分たちはそんなことを忘れて、境界条件すら忘れて、バンと突っ込めば自己調節してくれる。いいものであれば都市は組み込んでくれるというのがミニプラン・アプローチというものです。
その典型は、新宿ホコ天、銀座ホコ天だったわけです。あれは、もともとはマディソンアベニュー・モールというアメリカの発想なんですが、日本のほうが先にやった。マディソンアベニュー・モールの案はお店の人たちの反対でつぶれ、実現しませんでした。新宿のホコ天はなくなりました。銀座は残っています。やはりそういうふうに残るものは残り、残らないものは残らない。はめ込んでしまえば、みんなが自己調節する。こういうアプローチがミニプラン・アプローチです。社会システム・デザインもある程度そういう傾向があります。

 

3. 「社会システム・デザイン」として扱うべき日本の課題

(図28)
日本の社会システム・デザインのテーマについて話します。どうして民主党も自民党も、今の日本の中核課題をきちんといわないのか。日本の中核課題は「超高齢化社会をどう経営するのか」ということです。それ以上のものはないし、それ以下もない。「超高齢化社会をどう経営するか」、これに尽きるわけです。年金だろうと介護・医療だろうと、全部そうなんです。消費が伸びないのも、日本の人口の半分が50歳以上だからです。それをデフレだ、不況だというのは、私はとてもおかしいと思います。
 デフレではないんです。デフレとおっしゃるなら日本の物価が世界で一番安いですか。どこに比べても高いですよ。隣に中国がありますから、当然ものの値段は下がりますよ。ユニクロは当然安いものを出してきます。それはデフレなんでしょうか。1970年代にテレビの値段は半分になりました。部品数が半分になったからです。デフレと呼びましたか。みんな競って買ったわけです。吉野屋の牛丼が380円で、今、競争で牛鍋丼という名で280円に落とした。でも、2杯食おうかという人はいないわけです。皆さん2杯食べないわけです。若者でもないから大盛りを食おうかとも思わないわけ。特盛りも食わないわけです。280円でしか食わない。そうすると、それは単価が落ちた。それはデフレなんでしょうか。
 今のデフレというのは我々が高齢者であるという問題、50歳以上だという問題なんですよ。経済学者がいっているような話ではないんです。それでは、どうするのか。皆さん2杯食べましょうといっても歳ですから無理なんです。腹にたまらないことばっかりやる。それは資産運用です。資産運用して、損をして頭は痛くなっても、おなかにはたまらない。そういうものなんです。だから、今のデフレをデフレと思ったら答えはない。インフレターゲット、できるわけがない。マクロ経済学者の限界はそういうところにあると思う。社会システム・デザインを通じて新たな答えを組み立てなければいけないんです。
 超高齢化社会をどう経営するのか。幸いにして、日本に最初に出てきた課題だから日本人が答えなければいけないわけです。日本は内向きになっているといいますが、内向きでいいんです。うちに世界最先端の課題があるのですから。それを解決すれば、課題解決先進国になる。このことはだいぶ前に言いました。でも、それをなかなかやらないわけです。未だにどの政党も、超高齢化社会の経営が最大の課題だとはいってない。高速道路の無料化なんて何の意味もない。そんなことをやっている場合かと思います。今みんな料金を払ってちゃんと動いているんだから、そんなことやっている場合ではない。超高齢化社会経営を考えなければいけない。何故かというと、75歳以上が、これから1000万人増えるんです。しかし、75歳を超えると人間はどうなるのかというデータを厚労省は持っていないんです。
ジェロントロジー(老人学)という学問分野があって、秋山弘子教授という人が1980年代から5000人の同じ人物のサンプルをずっととっていて、やっとどういうふうになっていくかというのがわかってきました。明らかに75歳というのが男性はターニング・ポイントの年齢です。女性は少し違いますが。男性では7割が75歳を超えると人の手助けがだんだん必要になります。だから、嫌な言葉ですけど後期高齢者というのは意味があるんです。その75歳以上が1000万人増える。手助けが要るんですよ。それをどうやって支えるのか。しかも、この人たちは稼がない。そういう問題ではないんですか、どうしてこういう課題を政治家はいわないのか、私は不思議で、不思議で、不思議で仕方がないというところです。
それを解決することができるのか。できる。少子高齢化というのはやめましょうと最初にいいましたが、少子化というのはすでに答えがあります。でも高齢化というのは人類史始まって以来のことです。誰も経験したことがない。ネアンデルタール人の寿命は平均28歳から30歳といわれている。定年が昔55歳だったのは60ぐらいで死んでいたから、会社をやめて5年で死ぬという前提で55歳定年です。江戸時代は15で大人になって、30か40で隠居をした。横町のご隠居さんというのは50歳ぐらいなんです。何か知らないけど、急速に平均寿命が延びてしまった。生物学的によくわからない。子孫を残せば死んでしまったっていいんです。その種の持続に対しては何の影響もないのに生き延びてしまう。「ばあちゃんの知恵」というのは役に立つからばあちゃんは生き延びてもいいんだけど、じいちゃんの知恵とは余り聞かないですから、あんまり役に立たないのではないかと思うけど、生き延びてしまう。
そうすると、それを社会的にどうするのか。何かやってもらわなければいけないのではないかということです。昔は家制度があったから、「家」を守っているのはじいちゃん、ばあちゃんだった。その「家」という概念がなくなった。どうするんだというのが大きなテーマではないのか。何でそういうことをいわないのかということです。
それから、中国にいろいろあおられていますが、中国は子どもが大人になるようなもので、日本の40年前だといっているのはその通りなんです。日本の40年前、考えてごらんになると、子どもが大人になるように成長した。日本が世界第2の経済大国になったのは1967年です。その年の経済成長率は名目で14.5%ぐらいです。めちゃくちゃな成長率を示したんです。それを中国がやっています。子どもが大人になるだけなんです。性格のいい子も性格の悪い子もみんな平等に大人になる。それを中国がやっていますが、日本のように大人になったら「大人の成長」をやらなければいけない。それは努力の結果だから、成長する人と成長しない人がいる。それを中国にあおられて、中国と背丈の競争してみても始まらないではないか。中国に抜かれたとか抜かれないという馬鹿な議論を何でするのか。初めから大きいんだから抜かれるに決まっているということです。
そういうつまらない議論をマスコミがするというところに本当に問題があると思います。日本はどういう形で大人の成長を求めるのか。それを定義する。そうすると今度は、国家戦略室は「幸福度」なんていうわけです。成長で勝てないから。幸福度。幸福ぐらいくだらない指標はありません。定義できませんから。皆さん幸福であったら本当にうれしいんですか。
こういう天国ジョークというのがあるのをご存じですか。ある男が死んで、フッと気がついたら素晴らしい世界に目覚めて、やりたい放題、お酒も美女もという状況で、毎日天気もよくて、こんなうれしいとはない。ところが、3カ月ぐらいで、だんだんつまらなくなる。そこで番人に「天国って退屈なところだね」といったら、「何いっているの、ここは退屈地獄という地獄だよ」というジョークがあります。人間は幸福であることは退屈であって、幸福を求めているのではなくて、達成感と希望を求めているんです。80歳になろうとまだ先があると希望を求めているんですよ。ところが、日本は「優しく冷たい」国だから、寝たきり老人にするわけです。寝かしておくと静かだからです。希望がない。高齢化社会に必要なのは幸福ではないんです。達成感と先に対する希望なんです。まだ先があるということ。だから、国家戦略室も何を考えているのかと思いますね。幸福度云々という問題じゃない。
(図29)
何度もいいますが、GDPという経済活動の質、厚み、広がりをつくり出すのが社会システム・デザインです。成長率はその微分ですから。先程CO2との関係を申し上げましたが、CO2レス・インテンシブなものとは何でしょう。それはレーバー・インテンシブ(労働集約的)なものです。あんまり設備投資は要らない。化石燃料を使わない。皆さんの吐く炭酸ガスだけがCO2の増加だというものが、レーバー・インティシブなものです。レーバー・インティシブな分野って何ですか。医療であるとか教育とか、そういうものなんです。何故、医療にお金を使わせないんですかということです。
このままほうっておくつじつまが合わない。経済学者というのは自分で考えよう、組み立てようとしなくて、北欧にはいい例があるとか、ブータンではどうしたとか、そういうことばかり言っている。でも、日本はブータンになれるわけがないんですね。全然規模が違う。みんなが清貧で、つつましく生活すると、すぐ税収がなくなって、介護も何もかも全部もたなくなるんですね。だから、つつましく生活されても困る。ちゃんと消費してくれなければいけない。消費は悪ではない。プリウスを買うのは悪なんですか。燃費のいいハイブリッドの車を買うのは悪ではないではないですか。消費は浪費ではないんです。新しい電気冷蔵庫を買ったほうが電力消費はぐっと少ない。ここ20年間で省エネ技術がものすごく進みましたから。そういう発想をしていかなければいけないのです。
超高齢化社会。超高齢社会ではありません。超高齢化です。逃げ水のように先へ先へ動いていく、毎年毎年75歳以上が増えていくんです。だから、こういう仕組みをつくりましたといっても、またそれを超えて増えるわけです。おちついた高齢社会ではなくて、高齢化が常に進行中である。これはとても扱いにくい状況です。それに対してどうやってこたえるか。ダイナミックにこたえなければいけないんです。
 私の提案は、「年齢不詳化社会」とすべきである。超高齢化社会は年齢不詳化社会という形でとらえる。要するに、65歳だ、75歳だと切るのをやめましょう。人によって物すごい個人差があります。働く人は働けばいい。働きたくない人は働かなくてもいい。年齢で決めないでください。就業人口は減ります、減りますといっているんだけど、定義が15歳から64歳までなので減るんです。何で64歳で切っているのか。それは過去の何かにとらわれているわけです。65歳から年金を払う。そんなのは組みかえればいいんですよ。それがシステム・デザインです。
 目的を持った活動的な高齢者層をつくるというのが一番重要です。先程いった、「家」制度がないときに、何を目的に、何の責任感を持って高齢者は動けばいいのか。沖縄は寿命が長い。それから出生率も高い。沖縄と福井県が高い。何故なのか。沖縄は温暖だとか食事のせいだとかあるけれども、ソーキそばを食べたら長生きすると誰かがいったことはないんです。徳洲会の徳田さんは、そういう問題ではないといっています。沖縄にはまだ大家族制が残っていて、じいちゃん、ばあちゃんに責任がある。責任感を持って毎日生活している。それで長生きしているんだといっておられます。食い物のせいではない。多分そうなんでしょう。沖縄はまだ「家」制度的なものがあるんでしょう。でも、それがなくなった今の日本全体において、「家」ではなくて、社会に対して責任を持つ、そういう活動的な高齢者をつくるというのがとても重要です。社会参加、要するに社会とのつながりがあると、健康寿命が長い。寝たきりにならないんです。活動的な形で寿命が長い。そうすると、医療費もそんなにかからない。
 1人頭の医療費というのは病気になって死ぬ医療費と回復する医療費とあります。死ぬ医療費は60歳で死ぬほうが70歳で死ぬよりかかるんです。それから80歳で死ぬより70歳のほうがかかるんです。何故かというと、歳をとると体力がないから、そんなに医療費を使わないんです。90歳で亡くなるならと余りかからない。ところが、それに介護費を乗せるとほぼ同じなんです。ということは、介護に余りお金がかからないようにするというのは、健康寿命を長くするということで、それは社会参加をしているほうがいい。社会参加をしているかどうかというアンケート調査で、私はがく然としたんです。項目の中に、1カ月に何回人と話をするか、選択肢はたくさんあるんですが、一番下の選択肢は3回です。1カ月に3回しか人と話をしないという選択肢が入れてあるということは、そういう人がいるということですね。そういう人たちを社会参加させるのに一番いいのは働いてもらうということです。
(図30) 
 超高齢化社会は品質保証でなくて、価値保証だよということがポイントです。幾ら品質保証をしていても、価値がなくなるということはあります。私のこの腕時計は15年動いているから品質保証はされているんだろうけど、文字盤が老眼で読めなくなったから私にとっての価値は落ちています。品質保証はすでにされているのが普通だから、価値保証をするというのが今必要なんです。価値保証というのはハードウエアだけではできません。「横山さん、読みやすい文字盤変えてあげましょう」というサービスが必要なんですね。それでお金をとれる。価値保証をすればGDPを大きくするんです。そういう発想になりましょう。
 成長を追うな。質、厚み、広がりを追求しようじゃないか。新しい社会システムを導入することを考える。新しい産業をつくるのではない。これも発想を変えてもらいたい。人が足らないんだったら、2カ所居住、1人2役をしてもらうとか、外国人の短期滞在者を増やす。観光立国と観光システム・デザインは違います。
 先程書いた技術ロジックと社会の価値観のマトリクスの中に入るのは新しい産業ではなくて、あららしい社会システムである。
(図31)
日本にない社会システムというのはたくさんあります。世界にはあるんだけど、日本にはない、あるいは、世界にない、日本にもない、新しいシステムを考え出す。そうすると、それは新しい経済活動を作り出すことなんですね。GDPが大きくなる。どうしてそういう発想をしないのか。ナノテクノロジーで産業をつくるなんていっている場合ではないんです。物すごい時間がかかりますから。しかもそんなに大きくないかもしれない。
 日本は生産性は低いんですよ。一人頭ではアメリカより多くインプットをして、アウトプットがアメリカより低い。だったら、生産性を高めればいいではないかという議論が当然あります。太田弘子大臣のときは、生産性を高めることをやって成長できるとか、安倍晋三首相もそんなことをいっていた。それも嘘ではないけれど、どうやってやるんだということが全くないんです。確かにアメリカとはギャップがあるんです。日本の100兆円の外貨保有高は生産性の高い鉄、電子機器、精密機器、自動車の4分野で儲けてくれて、あとの分野は国内でぼんやりしているわけです。特にサービス業なんかそうです。このギャップを埋め、今のアメリカに追いつくのに年5%の生産性改善でも15年かかります。だから、2%や3%の生産性を改善しても始まらない。最低5%生産性を改善しないとアメリカはもっと先に行きます、今もとまっていませんから。5%の生産性改善をするのはどうしたらいいのかというのを考えるべきなんですね。
 生産性改善というのをコンビニで考えてもらうと、すぐわかります。コンビニで一番生産性が高いのはセブン・イレブンですが、1店当たりの売り上げが70万円から落ちてきた。それを80万円にできるわけがないんですよ。そうすると、平均以下の人がやめてしまえば平均が上がるからコンビニ業界の生産性が高まる。しかし、やめるということは失業するということです。生産性がただ高まるのでは失業者が増えるだけなんです。だから、生産性を高めるだけで経済成長が確保できるというのはどこかロジックがおかしいんです。先程いったような新しい社会システムをつくらなければいけないんです。それをデザインしなければいけないんです。何度もいいますが、産業ではないんです。
(図32)
 2カ所居住は多様なライフ・スタイルをつくることに結びつく。そうすると、多様な経済活動が起こります。私は1992〜93年ごろ標語をつくりました。「三日四日で暮らす一週間」「人生は一回だが生活は二つ」。高齢者もフルで働きなさいといいません。3日働いて4日休むとか、4日働いて3日休む。若い人は2つ職を持つ。あるいは主婦も働けば一家で3つ職を持つ。3日、4日に分けて働く。例えば、単身赴任で東京で4日働いて、仙台の我が家に帰って3日働く。そこにいる奥さんと子どもは、奥さんが3日働いて、4日は子育てをやる。そのぐらいしないと生活はもたない。何故かというと、要するに経済のソフト化が進むということはサービス業化です。サービス業は、先程いったように生産性が低いので高い給料を払えません。だから、製造業にいた人がサービス業に転職すると給料が下がる。それで文句をいうけれど、生産性が低いんだから、当然なんです。そうすると、職を2つ持つか、夫婦共稼ぎ、それが普通なんです。それが現実です。生産性の低い方向にみんなが動いていっているんだから、仕方ないわけです。それをちゃんとやれるライフ・スタイルをつくるということです。
週末定期というのがあると、2カ所居住ができます。東京─仙台は普通に毎週帰ると8万幾らかかるんです。週末定期でそれを半分以下にする。それはJR東日本にとっても得なはずです。3日休むということは12パターンの移動ができて、ピークが減ります。少し値段を変えるとピークが減る。銀行もそうなんですが、旧国鉄の文化ですから、みんなピーク時対応で人を張っています。それが高い。郵便局なんて典型的ですね。キーになる郵便局は、用もない膨大なスペースを持っているのをご存じですか。それは年賀状を処理する場なんです。年に1回、数日しか使わない。そういう無駄をしている。ピーク時対応を下げることができるという意味で、週末定期をつくればいい。ふるさと納税なんて、非常に情緒的です。住民税というのはサービスに対する対価ですから、2カ所住めば2カ所に払えばいいんです。50:50にするか、6:4にするか、それは後で決めればいい。首都圏対地方という二元論から脱却すべきなんです。東京居住者が地方にも住むし、地方居住者が東京に住む。浜松で生まれ育った人が3日東京でワンルームマンションに夫婦で住んで、東京のアメニティーを経験するのもいいじゃないですか。何故それがいけないのか。でも、そういうことができるように今なっていないんですよ。
2カ所居住をすると、新しい市場ができます。これは飛ばします。
(図33)
大阪というのは物理的にはとても小さいですが、経済規模としては大きい。それを支えているのは昼間人口なんです。夜間人口の4割増しです。それも頭打ちになっている。そうすると、外国人が来てくれなければいけないんですが、外国人1000万人目標とか3000万人目標では駄目ですね。5000万人目標。1993〜94年頃5000万人目標にしましょうといったんだけど、「無名な横山君」が騒いだって誰も聞いてくれない。まだ300万人だとか500万人という目標になっていた。5000万人の目標でないと経済効果からいって意味がないです。
スペインは5500万人になっていますが、努力の結果です。努力するかしないかで大分違います。それから、風光明媚だから人が来るのではない。スイスは1500万人ぐらいしか来ていません。フランスはものすごくよくできた仕組みを持っているので、人口よりもたくさん来ています。7000万人ぐらい来ています。
来るのは近隣諸国から来る。日本の観光立国の内閣府のサイトでは、英語を何とかしましょうとあり、出てくる観光客は皆西洋人で、「ハウ・イズ・ジャパン?」、「イッツ・ビューティフル」と言っている。そうではないのです。観光客として一番日本に来ているのは台湾人なんです。何で西洋人を出すのか。近隣の人が来るんです。だから、中国人、韓国人、それに台湾人を入れて華僑相手の仕組みに組み立てなければ意味がないんです。しかも、何度も何度も来てくれなければいけない。それから、観光というのは風光明媚が重要ではない。1に食い物、2に買い物、3が大都市、4、5がなくて6番目ぐらいに名所旧跡なんです。実は名所旧跡なんてどうでもいいんです。やはり食べ物なんです。それにアジア人は温泉。
これをシステムとしてデザインするならば、マイグレーション・パスのシステムをデザインする。要するに、中国人が最初、東京とディズニーランド、大阪とユニバーサル・スタジオに行って、次には買い物旅行。もうすでに中国人買い物客は来ているわけです。物すごい買い物をします。小グループの、買い物旅行。それからゴルフをやりに、スキーをやりにくる。それも始まっている。温泉を楽しみにしている。
医療で来る。医療ツーリズムと今いっているけど、韓国は今年10万人目標です。将来的には100万人ぐらいの目標です。日本は始まったばかり、いっているだけです。医療ツーリズム、何かやっていますか。言葉だけなんです。医療ツーリズムはシステム的にデザインしないと駄目なんです。医療システムの勉強会を始めたのは5年ぐらい前ですが、そのときにPETの検査は国立がんセンターで30万円でした。あまりやる人がいない。誰かがいいました。上海でPETの検査を受けて、上海観光が付いて15万円というのがあります。PETの装置はどこであってもと同じです。だから、上海に行ってPETの検査を受けるということが大分前から起こっていた。やっていることが遅いんですよ。
熱烈歓迎していても中国人は来なくなりますよ。一回日本に来たら「ああ、わかった。次にハワイに行こう。西海岸に行こう」となる。新婚旅行に来てもらって、金婚式に来てくださいというのも時間があき過ぎますので、やはり数年に1回帰ってきてくれなければいけない。それが宮崎の失敗なわけです。新婚旅行のメッカというのでは、もたないわけです。
マイグレーション・パス、次へ、次へ、次へとつないでいく。最終的には日本で別荘を持ってもらう。中国では森林がなくなっています。隣を見ると緑豊かな穏やかな国があるわけです。日本人は性格もとても穏やかなんですね。そこでのんびりできる。そうすると、農家なんかは別荘になるはずなんです。そういうことを全部デザインする。これが社会システム・デザインです。今の観光立国というのはほとんどそういう発想がないのです。
(図34)
日本はとても美しかったんです。岩波文庫の「ペルリ提督日本遠征記」というのは絶版になっていますが、興味があったらお読みになるといいです。「美しくて去りがたい」と何度も書いてあります。横浜の沖に停泊して、松林と砂浜を見て、何て平和で美しいんだろうとか、伊豆半島で小川が流れて滝があって、何て美しいんだろうと書いてある。美しかったんですよ。朝鮮通信使も、韓国のほうが文明国で日本は野蛮国だと思っていますから、「何故、この野蛮国の町が美しいんだ。おかしい」と日記に書いてあるそうです。美しかったんです。それを電柱電線でぐしゃぐしゃにしているんです。NTTや電力関係の方がおられたら、本当に美意識を持って何とか対処してもらいたいと思います。電柱電線の醜さというのはひどいものです。ハインリッヒ・シュリーマンも日本に来て感動をしています。これは薄い本ですから、お読みになったらいいと思います。「清国・日本旅行記」。あらゆる意味で感動しています。
その美しさを日本は高度成長期のときに失ったけれども、今回復しようと思えば回復できる。私はいろいろなところを回復できるかなと見て回りましたけど、回復できます。知覧にいらした方ございませんか。特攻隊の基地のあったところです。あそこに薩摩の武家屋敷の一画が今も残って、みんな住んでいます。とてもきれいにメンテされています。電柱も、あるんだけどわからないように置いてあります。気をつければ目立たない。そういうものが至るところに残っている。小宇宙的に残っている。それを面的につくり上げるということをやってこなかったんです。
外国人が日本に来る前の日本の評価は、技術が高度に発達した礼儀正しい人が住む国という評価なんです。日本に来た外国人の評価は、コロッと変わって、人が親切な国となるんです。日本は本当に親切な国なんです。旅行をすればわかります。よそはそんなに親切ではないです。そういうことを何でもっと大事にしないのか。そういうことを活動的高齢者に支えてもらえばいいではないか。GDPの成長率という発想はもうやめましょう。日本国の均衡ある発展というのはないんです。全国一律もないんです。北海道と九州が同じことをやることはないんです。別々のことをやればいいんです。
(図35)
1次市場の成長では限界があります。先程の中古市場というのはすべて2次市場なんです。2次市場は回転市場だから拡大する。拡大と成長は同じです。首都圏一極集中はいけないとおっしゃるけど、それなら、変えてごらんになりますか。これだけ一極集中したものを変えるのには50年はかかります。その間に絶対地震は来ますから、そんな中途半端なことをやっているよりは、今の状況の中でどうするかということを考えたほうがいい。使えるものは徹底的に使う。一極集中していることによる、この集中の効果で支えられている部分が日本にはあるんです。
あまり詳しくいいませんけど、これは大事なことです。1次市場ばっかり追求していると行き詰まります。新車ばかり売るということはできないです。2次市場、中古市場があるから新車市場があるんです。中古住宅市場があるから新築住宅市場があるんだ、そこのところのメカニズムが余り理解されていなくて、中古を売ると新築が売れなくなるということをいう人がいるけど、そんなことはありません。逆の組み立てがある、できるんです。
2次市場は付随ビジネスの宝庫であって、それはインターネットを使いこなすのです。eジャパンとか何だかんだといっても、工場労働者をeジャパンにはできない。インターネットというのはトランザクション・コストを下げるもの、インタラクション・コストを下げるものであって、マニュファクチャーリング・コストを下げるものではないんです。だから、2次市場が広がると、インターネットを使いこなす。それがeジャパンなんです。一番使いこなしているはアメリカです。残念ながら2次市場が一番発達しているのはアメリカなんです。
(図36)
2次市場があることによって価格形成がよくなる。2次市場がないから価格形成が間違っていたのは銀行です。ミスプライシングをしていたから、バブル崩壊後、なかなか資産処分ができなかった。
食料自給率、40%といっていますが、40%の何がいけないのか。ちゃんと説明できる人がいないんですね。これはカロリー自給率です。金額自給率は70%です。カロリー自給率であったら、レタスはカロリーがないからこの中に入ってないんですね。だから、何故自給率が落ちたのかということは、品目別に見ればすぐわかるんですよ。米なんですよ。それから、畜産飼料は輸入ですね。和牛、和牛と皆さんおっしゃるけど、全部洋食を食べている和牛なんですね。和食を食べている和牛ではないんですよ。それでも和牛だといって喜んでおられる。油脂もどうしようもないですね。これは大豆、トウモロコシ、ナタネ等々ですが、全部日本でつくると高いんです。何故かというと、1970年代農水省が種の戦略をちゃんとやらなかったからです。アメリカに全部押さえられていて、毎年買わなければいけない。買わないで作ると収率の差が5対1ぐらいで、間尺に合わないぐらい差がついてしまっています。
(図37)
でも、北海道は自給率が200%なんです。東北5県もみんな100%を超えています。北海道は牛乳ジャブジャブです。北海道の牛乳を日本中に全部供給しても余るぐらいです。政治がやらせてくれない。それなのに、自給率がどうのこうのといっている。だから、「自給率」という言葉だけで物を考えるのはやめたほうがいい。もっと細かく入っていくと、そういう問題ではないというのがわかります。
(図38)
首都圏を拡大首都圏と考えるといい。羽田、金浦、虹橋(上海)の空港はみんな都心まで30分ぐらいです。これが三角シャトルで結ばれていますから、世界最大の経済的集積地です。そこで日本のセンスが、少し先に行っている。韓国の若者はものすごい勢いで追いかけてきている。でも、韓国の若者も東京でデビューするというのは意味があるんです。日本の市場で認められたというお墨つきなんです。「女子十二楽坊」というのがいましたね。あれも東京で当たったというのがとても大事だったわけです。それから、ロレアルのような化粧品の会社は、日本で当たるというのがとても大事です。何故かというと、日本の女性が、お世辞でなく化粧に関しては世界一だとロレアルは思っています。東京で当たったというと中国で当たる。こういうことなんです。だから、中国が伸びると日本が伸びるんです。上海が伸びると東京は縮む、そんなことは絶対ない。みんな共通のライフ・スタイルで、何人かわからなくなっているんです。若い女の子は同じ格好をしています。そのライフ・スタイルをつくったのは日本の若い女の子なんですね。よく考えてシステム的に組みかえてみるべきで、あれかこれかという抽象的な議論をしている場合ではないということです。
(図39)
日本の官僚は優秀か優秀でないか。優秀であった。今は優秀か。優秀なのに無能という状況です。優秀だから有能であればいいんだけど、残念ながら優秀なのに無能ということがあり得るんですね。官僚は優秀だからゴルフもうまいよということはないんです。練習しなければうまくない。社会システム・デザインなんか全く練習していませんから、社会システム・デザインに関する限りは無能です。以前は先例があったから有能でした。かつては日本は立派な発展途上国でした。今は違います。そうすると、目的が違うんです。医療の中心は当時は感染症です。今は慢性病で死なないが治らない、心が病むと体がおかしくなる。心身症という言葉ができたのは1970年代。九州大学医学部の心療内科ができたのは70年代だと思います。そういうものはそれより昔はなかった。体が治れば心もついてくる。感染症だから抗生物質1本で治ってしまうという時代では、もうないんです。
皆さんお笑いになるけど、「寝たきり老人」は寝かしているから「寝たきり老人」なので、起こせば「起きた老人」、歩かせれば「歩く老人」になるのです。だったら、歩かせたらいいではないですか。実際、すでに歩く老人になっているんです。武蔵野市のムーバスという低床の小型バスに乗っているのは70%が65歳以上だそうです。何故北ヨーロッパに寝たきり老人が少ないかというと、ボランティアの人が、ひとり暮らしの寝たきりになっている老人のところに朝行って、「○○さん、起きてソファーまで歩きましょうね」と100回ぐらいいうんです、手をかさない。そんなことを日本はやってないですよね。それから、何歳であっても卒中の人はリハビリをやります。日本はそれもやっていないです。
(図40)
消費のピークを過ぎた人たちに対する消費振興を何にもやってないからこんなことになるんです。それで、デフレだ、デフレだといっている。私の計算だと、高齢者は2000兆円持っているんです。1500兆円とどういう関係があるのか。1500兆円は金融資産です。非金融資産が1500兆円あります。全部で3000兆円個人で持っている世界でもすごい国なんです。そのうち、どう考えても7割は65歳以上が持っているわけですよ。そうすると、3×7=21、2000兆円ぐらい金融資産と不動産を持っているわけです。私なんかに誰かが「何でお金ためるんですか、預金するんですか」と聞くと「老後のため」といいますが、私はもういい老後なんです。使えばいいんですよ。だけど、老後のため、老後のためって、使わないままなんです。
それで死んじゃうと相続に回る。推定、年間大体50兆円ぐらい相続されている。でも、日本の国税庁はそれをつかむ能力がないんです。小さな政府と誰がいい出したのか知りませんが、全く間違った発想で、小さな政府論のせいで、平成12年から各省庁は10年計画でみんな人員1割カットしているんです。税務署員も1割カットされている。今までは源泉徴収だから、あまり技術も要らなかったけど、今は相続や、金融資産、投資の収入に対する課税など、とても捕捉がしにくいものが増えるにもかかわらず、税務署員を減らしている。何をやっているのか、わけわからない国ですよね。増やさなければいけない、訓練しなければいけないんです。捕捉率が下がるんです。案の定、今は11兆円捕捉して2兆円弱の相続税を取っている。もっと取れるのではないか。消費税は、私は上げるべきだと思うけど、反対している人が多い。しかし、相続税の捕捉率を高めて、そのために人を突っ込みますといって反対する人はいないと思うんですが何故それをやらないのか。
2000兆円を65歳以上が持っているとすると、それより下の人はもっと貧しいわけです。それなのに、もっと生活のきつい現役の人たちが積み立てたお金を我々65歳以上が年金や介護、医療に使う。これもおかしな話で、大矛盾ではないですか。
 国民医療費を「国民医療消費」と読み変えて、100兆円にすべきだ。コストではなくて、バリューの消費なんだ。コストを下げるのではなく、バリューを増やすんだという発想に変えましょう。人生90年時代の最大の問題は、90歳か95歳で亡くなると相続人はもう60歳か65歳なんですよ。相続したからお金を使うかといったら、使わない。だから消費に回さず投資に回す。日本は外国の資産の保有高では今世界一なんです。世界最大の債権国なんです。
(図41)
今22%の高齢者が半分の国民医療費を使っていますが、これが30%まで行くといわれると、そのままだと国民医療費を75%使うんです。おかしいではないですか。それもみんなお金持ちなんですよ。そうすると、皆さんすぐ、孤独で貧乏な老人がたくさんいるといいますが、孤独で貧乏な老人もいるということはお金持ちの老人もいるということなんです。両方いるんですよ。
(図42)

 何がいいたいかというと、世代間のサブシディ(補助)、要するに若い人の積み立てた金を高齢者が使うんのではなく、豊かな高齢者が貧しい高齢者のためにお金を出す、互助会的な精神に変わる。当然、みんな嫌だから、すぐには変わりません。でも、20年ぐらいかけてやるつもりでやらなければいけない。今始めなければ時間がありません。だから、世代間サブシディではなくて、世代内のサブシディ、互助会へと変える必要がある。そうすると、常に75歳以上が増えていっても、問題ないんです。そういう発想に変えるべき。何でこういうことを民主党はいわないのか。

 

4. 「マスター社会システム・デザイナー」の育成

(図43)
マスター社会システム・デザイナーは残念ながら官僚が向いています。民間人が入っていっても、ぶっ飛ばされる。切りもみ状態になって、官僚機構と闘わなければいけないので、官僚機構の弱みを知っている人たちがやったほうがいい。しかし、デザインという身体知を訓練しなければいけない。優秀だからすぐできるというものでもない。法律を変えなくてもすぐできるのが、首相官邸に置く首相補佐官。首相補佐官は法律ではないですから、首相補佐官のかわりにマスター社会システム・デザイナーを置けばいい。20〜30人のチームとする。そのチームは消費者に目を向けている。権限はほぼ省庁の課長クラスと同じ。だから、常に各省庁の課長とネゴをしながら進む。マスター社会システム・デザイナーは消費者に対してアカウンタブルである。各省庁の課長は企業や業界団体に責任がある。その二者がやりとりをする。担当大臣を置いてどうしても決着がつかなかったら、オーバーライドして決着をつけるというふうにするというのが提案です。
訓練が必要であれば、私めが僭越ながら訓練してさしあげましょうということです。実際にやる機会がありました。議員の方々15人ぐらい、とても優秀です。できるんです。興味を持ってくださっている。だから、訓練をやればいいのです。
マスター社会システム・デザイナーにとって、何が成功かというと、世の奥さん方が「○○さんがマスター健康維持システム・デザイナーなのよ」といって顔を覚えてくれる。かつての事務次官より有名なマスター社会システム・デザイナーとして40代で認められる。そうすれば、多様なキャリアがその先に開けているはずです。議員になる以外いろんな可能性があるはずです。規模が大きくならない組織はどうせ肩たたきをしなければいけないんだけれど、それがスティグマにならないように、もっと可能性が広がる。次官になるのがすべてではないんだ。こんな可能性があるんだよと官僚の新しいキャリア・パスをつくる意味もある。改めて官僚になるのも悪くないねというふうにしないと、優秀な官僚が増えなくなるので、そういうこともやったらどうかということで終わりです。(拍手)

 

 

 

フリーディスカッション

 有益なお話を沢山聞かせて頂き、ありがとうございました。
 皆様のほうから何か先生にご質問がある方、どうぞお手をお挙げください。

平泉(アヴァンアソシエイツ) 横串を通す仕組みということですが、縦割りのところは役所があって、業界団体があるといういわゆる既存の特殊利益みたいな人がいるんですけれども、横串のところの先生のお考えは一々ごもっともなんですけれども、応援してくれる人の力を結集しにくい。消費者や、もしくは首相や政権をとった人たちがやるべきなんでしょうけれども、そういう力を結集しにくいというか横がない。

横山何故結集しにくいんですか。

平泉(アヴァンアソシエイツ) そういう人たちを上げてないということなんですかね、我々が政治家を。

横山 今度の小沢対菅というものでも、結局、世論の動向に左右されたではないですか。だから、力がなければ世論を背負うというのが一番強いわけです。

平泉(アヴァンアソシエイツ) 私が思っていたのは、消費者というのは数が多くて、いわゆるディフューズインタレスト、それに対して、縦のコンセントレーティッドインタレストです。

横山 これは、世界的には独禁法違反なんですよ。

平泉(アーヴァンアソシエイツ) どっちがですか。

横山 業界団体。

平泉(アーバァンアソシエイツ) 1960年体制でやっているわけですから。

横山 そこの規制が大いにあるから、そっちを強くすればとか、いろんな手だてをしなければいけない。だから、それが駆動エンジンでどういうシステムをデザインするか、つまりサブシステムをどうデザインするかです。そこで今のような議論をいろいろしながらデザインしていくというのがいいと思うんですね。

平泉(アーヴァンアソシエイツ) ですから、縦ではなくて、横にするシステムというのを是非。
横山先生 縦は変わらないんです。何故かというと、縦は横にできないです。縦割りは全部残るんです。縦割り行政を批判する学者は縦割り学部にいるんです。私は、東大の中で東大教授がみんな名刺交換をするので、驚いているんですが、お互いに知らないんです。強いていえば、省庁間は仲が悪いけれど、先生方はお互いにただ知らないだけという違いがあります。企業の中も縦割りではないですか。何故縦割りかというと、出世というのは縦割りの中にいたほうが早く出世するんです。横を動いていて出世するのはちょっとリスキーなわけです。下から支えられ、上から引いてもらう。みんな出世したいから縦割りが消えるわけがないんですよ。だから、それを前提で横割りを入れようとしている。これはそんなに新しい概念ではありません。企業の中のプロマネというのはこれをやっているわけですから。
平泉(アーヴァンアソシエイツ) マトリックス組織みたいにうまくいかない。

横山 マトリックスではないんです。マトリックス組織はうまくいかないんです。何故かというと、マトリックス組織は、(図示)ここにいる人はここにも報告し、ここにも報告するから平等に報告できないんです。これは首相官邸からぐっと押されているんです。闘いなんです。マトリックス組織ではないんです。これはマトリックスのように書いてあるけど。難しいことはおっしゃる通りです。だけど、やるかやらないかということです。

平泉(アーヴァンアソシエイツ) やれということは、誰が決めるんですか。左側の首相官邸が決めるんですか。

横山 首相が決めればいいんです。首相補佐官があんまり役に立たないから、社会システム・デザイナーを置こうかといってくれればいいんです。

伊藤(トゥービーライフ梶j 難しいことを質問できないんですけど、30歳で都市デザインの仕事につかなければいけなくて、いろいろごちゃごちゃやっていて、これは論理学で整理していけばいいんだと考えたんです。学生時代やっていたものですから。論理学というのは、ご存じの、帰納演繹からいきまして、物を整理することです。それから、もう1つはどこで閉じるのかということは非常に重要だということがわかってきて、それを使うと、かなり大きなテーマもまとめやすいなということで僕はずっとやっきました。
先生の話は論理学がベースになりながら、社会システム・デザインということで全部構築されているんでしょうか。

横山 正直よくわかりません。私は余り考えたことがないので。先程、認知科学、コグニティブ・サイエンスといいましたね。サイエンスというのはコグニティブなんだけど、唯一コグニティブでないサイエンスがある。ノーマティブ。普通、ノーマティブ(規範的)なものというのは法律です。100年後には人を殺してもいいという時代が来るなんてあり得ない。人を殺してはいけないというのは1000年後も1万年後もそうなんですね。唯一ノーマティブなサイエンスは論理学なんです。ギリシャ時代からほとんど変わっていない。数学はノーマティブではないんです。新しい数学が出てくるんです。我々は無意識のうちにノーマティブな論理学を使っているはずなんですが、それはあまり意識しなくていいのではないのかと私は思うんですね。それよりもコグニティブなところ、エンピリカルなところを意識する。デザインというのはおやりになるとわかるけれど、正しいデザインというのはない。今日よさそうであっても、10年後には何であんなこと考えたのかなということがあるわけです。エンピリカル(経験的)というのはそういうものなんです。今よりベターなものはあるんだけれども、ベストはないし、正しいものもない。それから、コグニティブというのは、知らなかった、何を知らないかすら知らなかった、初めてわかったという発見の喜びというのがある。先程の良循環というのは世の中に存在しない。考えてみればコロンブスの卵で当たり前なのでやればよかったのに思うかもしれないけど、思いつかなかった。そういう世界を重視しているので、その後ろに論理学がありますといわれればあると思います。だけど、ここにいる方はノーマティブで、みんな論理的です。それは基本としてあるだろうと思いますけど、正直考えたことはありません。

三橋(潟Vーエルシー) このフォーラムでもずっと前に講演いただいた今政策投資銀行の藻谷浩介さんが、今「デフレの正体」というのを書いて、基本的には今日先生がいわれるように、人口の減少が日本の一番のデフレの正体である。だから、それに対応したいろいろな制度、政策を考えなければ、今の成長戦略とか何だとかは全くおかしいということで、本に書いて、先月あたりは新書でビジネス関係でナンバーワンの売り上げだと新聞に書いてありました。8万部ぐらい売ったということです。彼を多少知っていますが、先生と割合と脈絡は同じなんですね。

横山 あの本の中で彼は1冊だけ本を挙げて褒めているのはご存じですか。私の「成長創出革命」という本です。あれを見て人生観が変わったと書いてあるのを読まれましたか。書いてありますよ。ごらんください。

三橋(梶iシーエルシー) 今の本の名前は何ていうんですか。

横山 あんまり大した本ではないです。私の本は余り売れませんので。藻谷さんが私と話した時、あの本のことを言ったら「あの本売れなかったんだよね」と横山さんがいいましたと書いてあります。「成長創出革命」というんですが、ダイヤモンド社で絶版になっていると思います。不良在庫もたくさんあります。よろしければ。

三橋(潟Vーエルシー) 私も高齢になってきたわけですけれども、高齢社会の問題というのは今後の日本に大きな影を落としていると思うんですね。その本にも少し書いてありますが、例えば、公的な負担と公的なサービスを受けるものでは、60歳以上は約4875万のプラスになっている。しかし、今の20歳代の人は1660万のマイナスになるということ。これは世代間の格差で、いろいろ年金や医療や税金を負担することになるということです。

横山 我々は出したよりもたくさん使わせていただけると。

三橋(潟Vーエルシー) 60歳以上は出したよりも生涯で5000万ほどプラスになる。20歳代の人は出しても1600万少なくしか戻ってこないということは、2005年の経済財政白書に書いてある試算です。
高齢社会というのはよくわかっているんだけれども、社会システムやデザインを使って、そういうことに対して抜本的に革命的な考え方で相当やらないと、今の社会は官僚も政治家も含めて硬直的です。何とかしなければいけない。しかし、革命というわけにもいかない。そうすると、我々が日常からそういうことを意識して生活のスタイルを変えるとかしていかなければいけない。今日いろいろヒントがありましたけれども、そういったことを我々が今日からでも、明日からでも、例えば65歳以上の人がやっていくことについて、あなたたちこうしたほうがいいよということがございましたら、お願いします。

横山 あります。我々がとおっしゃったんですが、1人1人の力は弱いものです。やはり我々の問題は官僚を信用し過ぎた。優秀であったんだけど、優秀でない部分もあって不作為の罪を問われるべきものがたくさんあるんです。でも、誰も問わない。行政怠慢で訴訟が起こるものはこれから幾つか出てくると思います。今は年金で我々はいいけれどという話がありましたが、年金は元々積立不足なんですね。厚労省は常に、少子化で子どもが少なくなるので、何人の若い者が老人を支える云々かんぬんといいますが、あれは一部の説明であって、あれが全てではありません。厚労省、旧厚生省は年金数理をきちっとわかった人は課長どまりであって、局長は知らなかったために予定利率を4.5%で据え置いた。民間は1.75%まで落としたにもかかわらず、高い利率で据え置いたために、少子化が起こらなくても積み立て不足になるはずだったんです。もうなっているわけです。その部分は絶対にいわない。これは野口悠紀雄さんがちゃんと指摘されています。それは行政怠慢です。年金数理を知らなかったんです。だから、彼らが積み立てるべきものを積み立てていなかったから足らない。そういうことは絶対にいわない。
そういうことはたくさんあります。先程ちらっといいましたが、大蔵省がローンや社債の2次市場をつくっていないので、銀行がリスクに対するプライシングの間違ったものが、不良債権でないものにもたくさんあったんです。それを市場に出して、ゴールドマンサックスがマーケットでプライシングをすると、まあまあの債権でも逆ざやになっちゃう。だから、処分できなかったとか、いろいろな問題があるんです。行政怠慢というのはかなりたくさんある。それから、先程いいましたが、農水省がちゃんと種の戦略をつくっていなかったために、日本がモンサントから高い種を買うことになり自前でやると収率が悪くて高くて間尺に合わないという状況になっているんです。農水省がちゃんと種の戦略をやればよかったんです。
私は、その当時1977年頃にバイオテクノロジーの戦略をある会社のためにやっていましたから、「種だ、種だ」といったけど、誰も聞いてくれなかった。植物系のバイオ・テクノロジーは種に尽きるといったんです。カーギルとかモンサントはそういうことに気がついて対策を打った。アメリカの政府も対策を打っていた。官僚は優秀なんだけど、官僚頼みは限界がある。
「官から民へ」という言葉は、私はよくないと思うんです。「公」というのがあります。パブリック。民間の自己規律としての公です。おっしゃるようなことは公で扱うべきなんです。この問題はあなたとか私の1人1人が頑張っても仕方がない。もっと大きなスケールで行う。革命ではないんです、システムをちゃんとデザインすればできる。失った時間と失った積み立て不足をどうやってやるかというところに一工夫も二工夫も要るんだけど、革命ではありません。個人ではできません。だから、公というのをつくる。先程いった医療基金をつくるのは公なんです。
公というのが日本の中にないのは、貧しい時代に官に任せておけばちゃんとうまくやってくれた時代があったけれども、それがそうでなくなった時期がある。そこに対して変革をしていない。
日本で公の組織というのがあるのをご存じですか。あまり気がつかれないでしょう。映倫です。映倫はお上じゃないです。あれは民間で自己規制しているわけです。あれが官の組織だったら、言論統制といわれるから、官は手を出さない。自分で自分の規律を保っているんです。そのぐらいしかないのは困るではないですか。公益法人は全部天下りです。自分たちがつくったわけではない。映倫は、天下りではなく、自己規律をしている。
もう1つあったのは、全信連、全国信用金庫連合会です。全国信用金庫協会というのはいわゆる医師会と同じような圧力団体ですが、全国信用金庫連合会というのは、小原鉄五郎というとても立派な城南信金の理事長がある思想のもとにつくられた。零細な信用金庫にいろいろなサービスを提供する、お仕えする機関であるという形でつくられたんです。コンピュータ・システムをつくれなければみんなで共同でつくってあげましょうとか、海外運用ができなければそれもやってあげます、要するにお仕えいたしますという形でできていた。ところが、ある時期、財務省から理事長をいただいて、その数年後に信金中金と名前を変えました。私はいつも昭和通りの本店の前を通るんですが、英語で書いてある名前を見るとムーッとするんです。シンキン・セントラル・バンクと書いてある。系統金融機関の中央銀行のような名前になっている。そうではない、本当はお仕えする機関だった。
そういう公というものをきちっとつくっていくということをやって、お上に頼らない、でも、個々人ではできない。公をつくって、ちゃんと今のような組み立てをやろうという動きが出てくるのを私は期待しているし、やりたいなと思います。

 そろそろお時間となりました。すばらしい講演に対しまして、先生にいま一度大きな拍手をお送りください。(拍手)  以上をもちまして、本日のフォーラムを終了させていただきます。本日はまことにありがとうございました。



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