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ここはとうとう福島原発から20キロメートル。ここまで行って戻ってきました。工場があって、必死になって機械金属系の工場が仕事しています。20キロ圏のすぐ外側です。工場の従業員は物すごく元気がよかったです。
(図115)
いろいろ話しましたが、何が問題かというと、これは次の1月に詳しくお話ししますが、1番目は、小学校の津波避難訓練。これは本に書きましたが、やはり岩手を見習えということです。ここは小学校のみならず、中学校から大学まで津波避難教育を語りつないでいる。先ほどの久慈のように、昭和の三陸津波のことを、約70年語り継いできた。これは物すごく重要です。
それから、沖合防波堤。離岸堤や大きい船を入れるための防波堤がかなり効果がある。だから、土木屋さん、もうひとつ頑張りなさいよということです。何も海面から6~7メートル頭を出すような堤防でなくていいんです。津波の底を引きずる、黒い砂を引きずるような勢いをとめればいいんです。海面に埋没している離岸堤でもいい。これは効果がある。
それから、膨大な瓦れきの処理。これは先ほどいったように3つか4つぐらいの話をしなければいけないんですが、2200万トンあります。福島の放射能汚染水を入れるバージみたいなのを清水の港かどこかから持ってきましたね。あのキャパシティーが2万トン。だから、2200万トン全部処理するためには、あの船を1000隻つくって、沖合10キロぐらいのところに行って、バージもろとも自沈させるんです。そうすると、いい漁礁になる。それをこれから1年ぐらいの間にやれるかどうか。1月に、もしここでお話しする時には、これについてもう少し考えるところを皆さんにお話しします。
それから、鉄筋コンクリート造の建築。これは相当大事です。
5番目、スピード感のある復旧と復興。長期だけを見据えず短期も視野に入れる。
(図117)
これを田老ぐらいの町だと思ってください。幅が1キロ、真ん中で振り分けて500メートル。今度の場合、重要なことはまず避難路です。避難路は仙台東道路のような高い築堤を使う。そこを幅広くして、自動車が通ってもいいんです。そこになるべくゆっくりした勾配の、山へ上がっていくような避難路をつくって、ここの人たちは逃げるようにする。
それから、今、田老や大槌でも、集落はこれぐらいあるんです。ところが、考えてみると、ずっとここは昔の宿亭で、番屋でした。船も旅の人もここに来るという旅の中心地で、おまけに役場もここにある。明治以来の市街地をつくるということになり、昭和になってからもここへずっと、漁港に関係ない人たちが入ってきたから町が大きくなった。学校の先生や支店のお兄さんとかです。ところが、津波が来た後は、なるべく、東北支店のお兄さんや学校の先生、宿屋の番頭さんは高台へ行って、低地は漁業に関係した人だけで住んでください。今の日本はそういう流れです。そうすると、新しくできる市街地は、漁業に特化すればずっと少なくなります。おまけに人口が減ります。だから、これからの町は相当小さくなって、残った宅地は宅地として使えなくなりきっと畑か何かになる。これが1点です。
それから低地に住んでいる漁業に関係した人は、津波の時は、年寄りもみんなコンクリートの5階か7階のしっかりした絶対に津波に頑張られる建物にいってください。ここは津波に耐えられる建物ですから、屋上は避難階です。逃げ切れなければそこへ上がればいいんです。そうすると、次がトリックなんですが、ここに木造の建物をつくってはいけないという原則について、木造の建物をつくっても、木造の建物からコンクリートの建物までの避難距離が例えば100メートルであれば、津波が来るのは早くて30分、通常1時間ですから、津波だ、逃げろとなった時、おばあちゃんがいて、モタモタしていて、丘を上がれなくても、避難ビルに入れば助かるんです。木造の建物は津波が来れば全部なくなりますけど、命は助かる。
これは、都市計画、土地利用の専門の皆さんのお話だけど、ここも例えば防火地域型にして、木造建築禁止にすると、ここで商売しようという人たちは簡単に建物をつくれませんね。それなら、コンクリートのしっかりとした2棟だけは、県立や町立の複合ビルとしてでもいいので、公の避難ビルとして2つつくる。そこから半径100メートルの円をかいて、そこの範囲の中なら木造ビルをつくったっていいですよといったら、皆さんきっと簡単につくりますよね。
こういう考え方は、復旧と復興をなるべく短い時間でやりなさいという考え方になるのではないかと僕は思うんです。これはまた来年の1月に説明をする機会を与えられれば、これについて、もう少し準備してお話ししようと思っています。
何やかんやで2時間20分話しました。今日は前半ということで勘弁していただいて、これで話をおしまいにしたいと思います。(拍手)

 先生、ありがとうございました。来年の1月をまた楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。
伊藤 相撲をやりなから手だけ動いたものですから、この間、3冊僕の名前の本が出ています。
1冊は『東日本大震災 復興への提言 持続可能な経済社会の構築』日本政策投資銀行設備投資研究所編という本で、東大出版会から出た本です。
その次は、5月25日に、SHIPというところから、企業の皆さんでつくった『東日本大震災復興への提言・ 新しい国 づくりへ』というペラペラの本が出ました。これは割合面白いんです。病院船をつくれとか、こういう建物はラグビーボールのようにして波よけにしろとかいうものです。
3冊目が、この間中央公論から、尾島俊雄さんと出した『東日本大震災からの日本再生』という本です。それが6月25日です。
もう1冊は7月25日に出しています。『東日本大震災からの復興覚書』という本で三船康道という僕の教え子と2人で一緒にやったんですが、かなり書き込みました。図面も入っているし、数字も入っています。割合読みごたえはあるけど、まだ秘密の話もあって、ここに書いていません。
通算4冊目。買わなくてもいいですから、覚えておいてください。
谷 先生、どうもありがとうございました。(拍手)
以上をもちまして、本日のフォーラムを終了させていただきます。
(了)

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