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そういう駅移転に絡んで、この割合品のいいリゾート型の住宅地、これをどういうふうにつくり直すか。多分全部やめて、山の後ろにJRが来れば、そこに新しい住宅地を開発する。こういうのはURが得意中の得意です。こういうところをやってくれると面白くなると思います。
(図73)
(図74)
(図75)
ここからしばらくは農地です。全部水をかぶりました。このままほっぽり出しになっています。宅地はこのとおりで、完全に上だけ持っていかれてしまう。ここが残るんです。電車もここまで持ち込まれました。仙台の東の若林区の荒浜、新聞に出ましたね。この辺が荒浜です。3・11の時に、宮城県警の本部長が、若林の荒浜地区で既に1000人近い人が死んでいると言っているニュースを流しました。僕はわからなかったんです。一体そこはどういうところか。現場に行くとそのとおりでした。ここから既存の市街地まで4キロから5キロありますが、全くフラットな田んぼのところをずっと行く。
(図76)
これが貞山堀です。貞山堀は江戸の頃から有名です。伊達藩がつくった。これを何か生かせないかなと僕は考えて、本に書きました。貞山堀沿いは全部農地がやられました。
(図77)
これは仙台東部道路です。高さが地上5.6~8.8メートル、平均して6~7メートルあります。地面が海水面から5~6メートルありますから、12~13メートルあるんです。荒浜でここへ逃げた人は助かりました。避難拠点へ行くより、ここに逃げ上がったので、全部助かったんです。もっともらしく土でも盛り上げてそこを避難拠点にするよりも、ここのほうがずっと安心感があるんです。僕の研究室で後輩だった人が東北大の先生になりました。日本的に有名な人で、仙台の出身なので、東北大に戻ってきて、子どもの遊び場を若林区の中に、田んぼの中に土を盛り上げて、そこに遊具を置いたり、木を植えたり、ちょっとしゃれた目立たないものをつくった。津波が来ましたけど、そこは助かったんです。土を盛るというのは本当に大事なことです。大村虔一という男です。これは、これからの津波防災の教訓になると思います。地上10メートルの防潮堤をつくるより、高速道路をつくるほうが結果として防潮堤になる。
(図78)
高速道路でもここは水が抜けました。実際に今度の津波も水が抜けて、後ろ側の田んぼが随分やられました。それでも、避難として極めて重要な施設です。
(図79)
ここも農地と住宅地の被災状況です。
(図80)
名取です。地盤沈下して何も手がつけられない農地です。岩沼から相馬の方に行きますと、僕たちが調査した時に、湛水したところに魚がたくさん来ているんです、すばらしいつり堀です。多分これはあり得ると思うんです。地盤沈下したところに全部土を盛るわけにいきませんから、こういうところを池にして、新しい内水面型の水産業をやってみるということを考えてもいいと思うんです。全部ここに土を入れて塩を抜いて田んぼにするということをやったら大変な仕事です。一部分は、そのまま池にしてしまうということがあってもいいのではないか。
(図81)
これも瓦れき。
(図82)
これは仙台空港のすぐそばです。水は土手の下、舗装道路の1メートルぐらい下まで来たはずですが、ここは全然被害を受けていない。セキスイハイムだったと思いますが、全国ブランドの住宅団地屋がこういう住宅地をつくって無傷でした。非常にハッピーな場所です。
(図83)
これは仙台空港で、水は3メートルぐらい来ました。
(図84)
こちらがターミナルです。ここはまだ工事中です。水抜きをやって乾かしています。飲食店はありません。僕たち、ここで何か冷たい飲み物やコーヒーでも飲むかといっても何もないので、結局休憩しないで戻ったんです。
(図85)
これは外側から入るところです。まだこんな状態です。もうじき上まで上げるといっていました。
(図86)
次は山元町です。ここの町長はなかなかやり手で、すごみのある町長さんでした。「こんなことがなければ有名人は来やしない。次から次に有名人が来て、食傷した。もういいですよ。適当なことをいって責任をとらないで帰るのが世の中の有名人や学校の先生だ」と言っていました。はっきりはいわないけど、そういう感じでした。この町長さんのやりたいことは、常磐線をとにかく新しくつくりたい。つくるについては、今の常磐線は、山元町辺りでは余りに太平洋に近いところだ。山元町に2つ駅があって、1つはこっぴどくやられているんですが、それを今度は津波の被害を受けないように丘のほうに移したい。それをやりたいと、一生懸命常磐線のことを僕たちに話していました。しかし、JRから見れば、常磐線は盲腸線ですから、東京にも絶対行かない。山元町は岩沼から南に下がって新地、相馬ぐらいまでしか行かない。そんなところにどれぐらいのお金を入れられるか。多分入れられないでしょう。津波なんて知ったこっちゃない。原状復帰が一番安いですからそれをやりかねない。そこを裁くには国が入るしかしようがない。一番深刻な顔をしていました。
(図87)
これが何もない駅です。坂元という駅です。ここに家がたくさんあったんですが、何もない。すぐ向こうが海です。
(図88)
ここを上がって写真を撮りました。不思議なのは、便所だけ残っているんです。
(図89)
これはちょっとノスタルジック。映画に出そうな感じ。線路がここを通っている。ここに家が全部あったんですけど、何もありません。太平洋から大体6メートルぐらいの波が入ってきた。
(図90)

  これは山下駅です。山元町という町は、山下という町と坂元という町があったんです。山下の山と坂元の元を入れて、山元町にした。合併している。山下のほうが割合大きい。ここは津波の被害はあったけれど、建物が残っているんです。山元町の町長はこれを全部取り壊して、後ろの丘のほうへ上げたいというんですが、僕たち現場を見ますと、これを移すのは大変なことです。何故かというと、津波があったけど、ここは人が住んでいるんです。例えば釜石や気仙沼は誰も住んでいません。空き家同然ですから、それは壊せます。ここは住んでいて、仕事している人たちが残っている。この辺りは1階ぐらいまではかぶったけど、回復している。それを上に移せるかというと移せません。

 

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