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(図59)
(図60)
次は石巻です。石巻は、皆さんおなじみで、とにかく膨大な市街地が全部波でやられました。やられましたが、不思議なことに木造が残るんです。陸前高田や気仙沼、南三陸では木造は残りませんでした。石巻から宮城県の南の方に行きますと、木造が残っている。結局これは、同じ高さ10メートルの波が来るけど、速度が違うのだと思うんです。津波は秒速10メートルぐらいで来ますが、石巻は海岸線が平坦なので、秒速4~5メートルで来る。高さは10メートルかもしれないけれども、運動量mv2ですから、津波のスピードが少し遅いということで、壁の量の多い木造、ツーバイフォーか何かは残るんですね。残るけど何の役にも立ちません。全部取り壊しです。これが1点です。これから後、仙台の南の方にはこういうものが残っていくんです。何で残るのか不思議ですが、新しい建物ですから、施工もいいし、金物で、床、はり、柱はバリバリに緊結しています。基礎にもがっちりアンカーを入れていますから残るんです。ところが、岩手県の方はどんなに新しい建物でも残らない。
(図61)
これは有名な日和山公園です。石巻の震災を語るのには、日和山の台地なくして語れない。ついでにいうと、歴史的に、港に近い山は全部日和山という名前を使っています。例えば山形県の酒田にも、海に面した丘に日和山公園がある。別のところでも港に面した小高いところは日和山という。ここはかなり大きい台地です。ここは何の被害もありませんでした。高さがせいぜい20メートルです。海岸からもろに水が打ち込んできて、20メートルの丘のところではね返されて戻った。
日和山の下は、まさに太平洋からの津波ですから、もろにぶつかって全部やられたんです。幅が、公園から海岸まで2キロぐらいあります。長さが10キロか20キロ。全部やられています。この市街地の壊滅した状態は、多分釜石や気仙沼を全部足したよりも多いですね。ですから、三陸沖の津波被害をなるべく早く回復させるためには、石巻なんですね。この地域の漁港施設をとにかく回復させる。これが1点です。
それだけで雇用が随分増えます。先ほどいった陸前高田や気仙沼も港がやられていますが、本来、陸前高田や気仙沼の漁港で働いているのではなくて、おばちゃんが軽トラックに乗って、40~50分かかって石巻の魚屋さん工場で働いている。皆さんご存じのゴルフ場のキャディのおばさんは、1山、2山越えて、車で40分ぐらいのところの農村集落から来ている人たちがいっぱいいますよね。それと同じです。遠距離通勤というのは、三陸の非常に静かな農山漁村といわれるところでも当たり前です。
(図62)
これが日和山の下です。完璧にやられています。上は何ともない。日和山の上から見た全景ですね。東松島までダーッとやられています。ここは湾岸の工業地帯で、工業地帯のかなりが水産加工施設です。全部やられていますから、ここを直せば雇用は回復します。住宅地は後でもいいから、この漁港の水産加工施設を直して雇用量が増えれば、気仙沼も陸前高田も南三陸の雇用も増えるんです。軽トラックで50キロメート理みんな通ってきます。
(図63)
これは先ほどいった地盤沈下です。地盤沈下は宮城県でも起きています。
(図64)
石巻の商店街、これは日和山の横で、かなり水をかぶったところでひどいんです。
(図65)
日和山の海から反対側、駅に近いほうも、水を2メートルぐらいかぶりました。そこでは、ささやかにお店を始めました。これは魚屋です。が海があって、日和山があって、後ろに商店街があって、その商店街の奥が駅なんです。石巻を助けるということは、雇用に対して物すごく大きい影響力があります。
(図66)
石巻市役所も水をかぶったんです。駅前ですが、もともと百貨店だったところを石巻市が買い上げてつくった面白いところです。昔と同じく何事もなく生活しています。
(図67)
これが工業地帯です。これを直さなければいけない。これをとにかく早く直せば雇用は回復する。
(図68)
もう1つは、この瓦れきです。この瓦れきはどうやったらいいんでしょうか。僕は3つ方策があるかと思います。役人は瓦れき処理についてなかなか決定的なことを言いませんが、現場を見たら、3つの手段があるかなと思いました。
一番役人的に言いますと、清掃工場の焼却灰を始末をするというのは有名な話ですね。焼却灰を始末するには、例えば東京だと青梅の山の中のくぼ地のところにごみシートを張って、汚水が下に流れないようにして、そのくぼ地のところへ焼却灰を埋める。全国的にやっています。焼却灰を始末するようなやり方が1つ。
2番目は、瓦れきの一部ですが、横浜の山下公園は瓦れきでできたという有名な話があります。横浜の山下公園は関東大震災の時の関内の瓦れきを埋めて、土をかぶせて山下公園をつくった。有名な話です。だから、石巻でも工場地帯の前にシートパイルをバンバンと海面に打ち込んで、仮の堤防みたいなものをつくって、中の海水を全部干し上げてる。そこへ瓦れきを入れて、土を入れて整地にして、そこに新しい石巻の工業地帯をつくる。シートパイルで耐震岸壁をガッチリとつくればいい。石巻なら工業用地の要請がありますからできるんです。しかし、同じようなことを陸前高田でやっても、そこの埋立地誰も買わない。それは釜石でも同じことです。だから、やはり用地需要の多い石巻でそういうことをやる。
3番目は、海洋投棄です。これも考えなければいけない。とにかく2300万トン瓦れきがあると言われています。阪神の時は大体1200万トンです。倍です。阪神の場合は、非常にいいことに、西宮から尼崎にかけて、瓦れきをきちっと海面処理で埋め立てるための場所をつくってあったんです。阪神大震災が起きるなんて全く知らないで、海面埋立用地をつくってあった。そこに持っていったから速かった。復興スピードというのは瓦れき処理に支配されるというのはそのとおりです。ここは海面埋立用地がないんですが、鉄とコンクリートなら海中投棄してもいいんです。沈没船が漁礁になったとか、漁礁のためにコンクリートでやっているとかありますから。
そういうことが3つぐらいありますが、これは早くやらなければいけない。
(図69)
これは野蒜です。これは貞山運河ではない運河です。
(図70)
野蒜の非常に品のいい郊外住宅地がやられました。
(図71)
この野蒜は釜石線の駅なので、ここの人たちは仙台へ通っていたんです。ここは、いってみると、仙台が東京だとすると野蒜は鎌倉という場所なんです。そこが完璧にやられました。残っているものは全部壊すはずです。
(図72)

ここは駅を移転するという議論があります。山の後ろに別線をつくって、ここの駅をやめてしまおうかという議論があります。これは多分JRはやってくれるのではないかと思います。

 

 

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