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これが小学校の避難教育の3例目ですね。
(図34)
これは大船渡の被災。この辺になりますと、皆さんも大体慣れてくるんです。こんなもんかなと。この大船渡はまだ瓦れきが片づいていません。
(図35)
これは陸前高田。これは皆さん、イヤというほどご覧になったと思います。何にもありません。全滅です。ただ、ここはみんなにいわれただけのことはあって、瓦れきが物すごくきれいに片づいています。僕は久慈から福島県までずっとおりてきましたが、一番きれいに片づいていたのは陸前高田と南三陸。このように市街地も完璧に全部やられています。これ一応建っていますが、人はいない。全くノー・マンです。
(図36)
海沿いのホテルの建物が残りましたが、人はいない。高田病院も全滅です。本来、JRがここを走っていました。線路も全部やられました。確かに悲劇は陸前高田に集中している、あるいは南三陸に集中しているといいます。こういうのを見ますと本当にそう思います。
これに比べると、先ほどの久慈や宮古はまだいいんです。それから、釜石も部分的にいい。
(図37)
これは港に面して突っ立っていて頑張った公営住宅です。4階まで被災しましたが、5階は大丈夫だった。波に対して縦軸で受けているんじゃなくて、面でもろに受けているんです。それでも壊れなかった。しぶといんです。
(図38)
これは陸前高田のホテルです。この写真は有名です。
(図39)
高田病院は全滅です。何の役にも立ちません。建物として残った。
(図40・動画)
気仙沼に行きます。気仙沼は宮城県です。丘のホテルの上からパーンして見ますと、一応元気に見えるでしょう。実際元気なんです。この辺はほとんど水につかっていません。少し小高く上がっているんです。この辺までは水につかりましたけど、これから上はつかっていません。気仙沼は元気なんです。
(図41)
元気ですが、岸壁のほうに行きますと、液状化です。地盤沈下で1メートルぐらい沈んでいます。地盤沈下が宮城県の被害を受けた都市の共通の特徴です。岩手県では余りない。
(図42)
これは気仙沼の魚市場です。この間新聞に出ました。カツオか何かが荷揚げした。活況を呈した。僕たちが行った時も、ここで取引が行われていました。元気なおじさんたちがワアワア元気よくやっていました。手入れして鉄骨を直しています。ここは、地盤沈下して1メートルぐらい沈んでいます。魚の船がたどり着く岸壁です。1メートルぐらい沈んでいれば、漁船が来ても簡単にサッとこちらに持ってこれませんから、とりあえず、ここを鉄板で1メートルぐらいかさ上げしています。うまく奏効しました。大型漁船が来ても、魚をおろして水平に持ってこれますから、気仙沼の魚市場はうまく開かれたということです。僕たちが見たところでは、やはり気仙沼の魚市場は一番頑張っている。本来、石巻が頑張らなければいけないんですが、石巻は余りに規模が大きくて、余りに真っ平らなものですから、全面的にやられてしまい、こういうふうにはなりませんでした。気仙沼がそういう点では一番頑張った。
ついでに、気仙沼に行く前に内田祥哉先生と話をしたら、「伊藤さん、気仙大工というのがあるんだよ」とおっしゃいます。有名な話です。建築の皆さんはおわかりです。気仙沼だけではなく、陸前高田から大船渡一帯にかけて、昔いた棟梁たちが船をつくっていたようです。船をつくって腕を磨いて全国にずっと散らばっていった。だから、気仙大工という名前は昔の腕のいい棟梁のことを言います。昔は、そういうのが幾つかありましたね。新潟の大工もすごかった。非常にいい大工が多かった。気仙沼というのは歴史的にも誇りある町のようです。陸前高田はどちらかというと新参者という感じですね。気仙沼がここでは中心になっている。
(図43)

  もう1つ、教訓みたいな話をします。ここの上にホテルがあります。これはエレベーターです。ここでお客さんがおりて、このエレベーターに乗ってずっと上がるとホテルです。こういう工夫は、住宅公団がとんでもないところに団地をつくった時など、変な階段にエスカレーターをつくりましたね。それから、ヨーロッパの町に行くと、急な斜面のところでエレベーターをつくって上げていますね。リスボンストックホルムなどでそういうのが見られます。
だから、そうおかしいことではないんですけど、例えば、車いすでしか行けないようなおじいちゃん、おばあちゃん、こういう人たちと若者が一緒になって逃げようという時には、これは一種の車いす専用の避難施設になります。若者は斜面を斜めに上がる避難路をつくればこれを上がっていく。こういうエレベーターをつくって、車いすやつえをついてヨボヨボするおじいちゃん、おばあちゃんを上に上げるということをやれば、若者が年寄りの手を引いて上に上がるよりずっと敏捷に上がれます。1000人いたら、どうしようもない年寄りの数はせいぜい50~60人でしょう。僕も年寄りですけど。残りの900人ぐらいは坂を上がります。こういうエレベーターもこれからの津波対策としては大事ではないかなということを思いながら撮った写真です。
(図44)
南三陸町の志津川です。これはまだまだ手の入っていないどうしようもないところです。
(図45)
これはかの有名な防災対策庁舎です。多分、津波対策メモリアルビルディングになるのではないかと思います。みんなここに来て、お花、お線香で手を合わせて拝んでいます。僕たちも手を合わせて拝みました。これ自身がお寺さんというより神社みたいな感じですね。
(図46)
南三陸は全然別な側面があります。南三陸というのは宮城県の石巻のすぐ上のところです。丘の上の物すごくしゃれた工業団地です。南三陸の工業団地は三陸地域ですから、久慈からずっと南に下がって、気仙沼、南三陸です。その中でたった1つ成功した工業団地なんです。非常に元気です。明るい。そこの体育館とホールに南三陸の町役場が移っているんです。これはボランティアセンターです。ですから、これからのまちづくり、むらづくりをやる時に、どこを見習えといったら、南三陸の工業団地と南三陸の古い町の関係です。これを参考にするとものすごくおもしろい町ができる。ここに来ると、南三陸の人たちはものすごく明るくて、ものすごく元気で、ものすごく知的という感じがします。海側のことを忘れられるぐらい明るい感じがします。南三陸の工業団地は、これから高台に新しい住宅団地や公共施設をつくるときの非常にいいサンプルということです。

 

 

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