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(図21)
今、都市計画決定という言葉を使っている。僕は都市計画家です。都市計画決定というのは都市計画審議会を通して延々と大議論をやる。特定街区がそうです。でもそこには何の実のある議論もありません。都計審に行くと、ある党が立って、住民の権利を侵すものである、とかいいます。ほかの党は黙っているんです。一応儀式だから、話をさせる。何の実のある議論もしない。だから、そういう都市計画決定をやめる。
もう1つ、総合設計というのはインチキです。あの勘定はわからない。都庁のプロパーの何とかさんと何とかさんしか知らないと、特定の名前を挙げて総合設計を運用する。これはよくない。みんなが理解できるような大きな筋道がわかっていて、それの最後の詰めだけ専門家がきちっと入ってやる。そういうふうにしたらいいということです。大きい筋道はどういうことかというと、敷地規模が大きくなったら1.5倍とか1.3倍にして、防災性能が1あったら、それをA、B、Cの3ランクにして、省エネ性能もA、B、Cの3ランクにして、デザイン性能もA、B、Cの3ランクにして、どういう点をつけるかを決める。再開発は1.6倍ぐらいの容積アップになるだろう、そこまでは皆さんわかりますね。
ディテールは結構大変なんです。前面敷地から何メートル建築線を下げなければいけないか。あるいは車回しをどうしたらいいか。そういう専門家的なことが残ります。そういうことについては、再開発の経験の多い不動産屋さんがやる。不思議なんです。都庁の都市整備局の課長さんか係長さんが来て、専門家と、壁面線の設定をどうするか、車回しをどうするか、避難通路をどうするか、デザインの隣棟間隔をどうするかということをここで決める。最後の責任は行政担当者が決めるんです。このやり方はイギリス型です。イギリス型は四の五の議論するけれども、最後はプロフェッショナルな都市計画の担当役人が決める。それでいこう。僕は新語をつくりました。「計画裁定」。決定ではない、裁定する。こうすると、相当面白いことができそうだ。
問題は、専門家がいるかということが逆に問われてくる。いつまでも黒川や伊藤の時代ではないだろう。若い人をもっと出せ。ところが、若くてもやれるかというと、結構大変なんです。今から育成しなければいけない。そういう話が1つあります。だけれども、これは相当魅力的です。
(図22)
僕は。高輪・東五反田、南麻布・広尾・白金台、南青山・神宮前を国際居住区に指定したい。相当具体的です。全部調べたんです。他には、隅田川の向うでも国際居住区をつくりたいからというので、深川と門前仲町をあげています。門仲は墓場でいいところがあるんです。そこに決めました。墓場についてはどうしても僕は話したいことがあります。それから深川もいい。
ニューヨークのシティコープの人や、コロンビア大学の先生が1年日本に留学する、または、ポートオーソリティーの専門家が東京都庁に来た。そういう人たちがここに1年ぐらい居を構えて仕事に行く。そういう場所にしてみたいと思うんです。
こういうことを言う人がいました。国際居住区でコーカシアンを東京に集めればいいといっても、東京にそれだけの魅力があるか。日本は世界で第3の市場だから、いいものをつくれば日本でかなり物が売れるんです。今の段階だと韓国よりも倍売れる、中国よりも5割増し売れる。日本というのは非常に大きな市場なんです。市場が大きいから、BMWは BMWジャパン本部を東京につくります。ところがジャパン本部がついでに上海や香港やマニラのBMWのセールスマーケットも支配できるようにするかといったら絶対しない。なぜかというと、BMWジャパン本部というのは、秘書についても、日本人の事務員の仕事をする人たちの話の進め方についても,まさに日本的なんです。日本語はビジネスを進めるのには向かないんです。日本的な曖昧さや、日本語そのものが持っている非断定的な言い方があって、ジャパンはつくるけれども、インターナショナルを東京につくるかというとつくらない。それはシンガポールや香港に持っていって、中国の秘書を介する。中国語と英語は似ています。思考過程は同じです。日本に持ってきたら、デシジョンメーキングは1週間かかるが、その支店を香港に持っていけば多分3日で決まるはずです。そういうことがあるので、BMW はアジア本店を東京に置かないで、香港やシンガポールに置きます。
ただし、そのときにこういうことがありました。これが言いたいんです。日本は、香港やシンガポールに比べて特に防犯の面では一番安全で安心な街なんです。お医者さんもいい、学校もいい、海外の連中のクラブもある、そういう都市環境を東京につくっておけば、BMWのドイツ人がシンガポールで仕事をするとき、家族は東京に置いて、火水木金をシンガポールで働いて、土日月は東京に戻ってきて家族と一緒に生活をする。これが僕の夢です。家庭の場は東京につくる。東京はずっとすぐれてできる。そういう考え方もあるのではないか。相当立ち入った考え方です。
こんな議論をエコノミストはしません。竹中さんも八田さんもしません。ましてや政治家もしない。都市計画で、どういう客層に対してどういう住宅やどういう新しい地域を供給するかといったときは、その辺まで考えて1つの行政方針を組み立てなければいけないんです。行政はそういうことを考えて世の中を引っ張っていってもらいたいと思います。銃後の守りは安心ですよと戦争のときに言われました。銃後が日本なんです。
まだ言いたいことはたくさんありますが、とりあえずこれで終わりにします。まだいろいろな話がありますが、それはまた別な機会に別なところでお話をさせていただきます。もっと面白い話があるんです。どうも失礼しました。
(拍手)
谷 伊藤先生、どうもありがとうございました。皆様、先生にもう一度大きな拍手をお送りください。(拍手)
先生、ありがとうございました。
以上をもちましてNSRIフォーラ特別講演会を終了させていただきます。 (了)

        
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