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そのために、今日はテーマとは少々ずれているかもしれませんが、情報を整理するとどんな世界が見えてくるのかということを皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。
(図2)
その1つの例をここに挙げてみました。現在、戦後65年ということがいわれておりますが、左側は1945年(昭和20年)、現在2010年(平成22年)までを10年ごとに記したものであります。現在、大正4年ぐらいの方が一番最長老です。私は1936年、昭和11年生まれで、時代おくれの人間であります。
この65年の意味を考えるために、維新後65年というのは一体どうだったのかということと比べてみたのが右側でございます。明治維新は1868年です。1868年から65年経ったのはいつなのかと見ますと、1933年(昭和8年)ですね。ここには教養のある方がたくさんいらっしゃいますから、お尋ねしますが、昭和8年というのはどんなことがありましたか。昭和7年は大変な年でした。5・15事件ですね。今の海保の事件を考えるとまことに意味深です。満州帝国が成立したのが昭和7年です。その翌年の昭和8年には日本は国際連盟から脱退をしています。
(図3)
当時のリーダーがどんな人たちだったのかというのを見てみましょう。満州国の建設の立役者だった石原莞爾は明治22年生まれです。東条英機と山本五十六は明治17年生まれで、同い年です。近衛文麿さんはちょっと若くて明治24年、吉田茂さんは、これで見る限り明治11年ですから、この人たちより少し古い。いわばオールドリベラリストです。岸信介さんは、これよりもはるかに若くてまさに新官僚。ついでに蒋介石と毛沢東はどうだったかというと、明治20年と26年です。要するに、明治15年から25年、明治22年の憲法発布前後に生まれた世代が昭和8年当時、41歳から50歳で、日本の指導層であったということです。
当時の指導層の思想は、ご承知のように、ミリタリズムです。富国強兵のうち強兵のほうに傾いていて、国際問題は何でも軍事力で解決できる、という考えですね。いってみれば、軍事ぼけした連中が国の進路を誤ったといえるのではないかと思います。
(図4)
こうした事実をふまえて、現在の状況を見てみましょう。鳩山由紀夫さんが昭和22年、菅直人さんと仙石由人さんは21年、かれらはみんな団塊の世代ですね。団塊の世代は、ご承知のように戦後の学生運動のにない手ですが、学生運動というのは1967年から1972年までの5年間続きました。これは考えてみますと、太平洋戦争と同じくらい続いたんですね。その間、学生時代に全く勉強してこなかった人たちが団塊の世代にいるわけです。
さらに、若い人たち野田佳彦さん、前原誠司さんは昭和35年から45年生まれで、現在40歳から50歳になる。戦前と同じ構造になっています。すなわち、当時の指導者は明治維新直後の欧米がいかに怖いかを経験している古老がいなくなり、無茶をやったわけです。今これを見ていますと、私はどうも戦後のパシフィズムといいますか、平和ぼけをしている連中が国の進路を誤る、そういう構図がみえてくるわけであります。しかも、その平和は自ずからの平和ではなく、実はアメリカに支えられた平和であった。しかし、そのことに気づかずに、自分たちは、何でも自由にできるんだと考えている。これがこの世代の特徴です。前原さんは、「タカ派」ですが、それでもこの点はかわりがない。確かに、ホットワーは起こらない、コールドワーも終わった。しかし、世界は次の段階としてクールないしはウォームワーの時代に入った。にもかかわらず、その認識がなく外交を行っている。
(図5)
ついでに中国はどうか見てみます。蒋介石は、先ほどのように明治20年、毛沢東は明治26年生れです。周恩来と鄧小平は明治37年、同い年です。江沢民が大正15年、昭和元年ですから、これは昭和1けただと思っていいと思います。戦争の恐ろしさを体験している世代です。胡錦濤は昭和17年生まれですから、子どものころに経験しているだけ。さらにその下の李克強は昭和30年、近平さんは28年の生まれということになります。この人たちは文化大革命のときに青年期ですから戦争の記憶いってみれば、戦争を体験していない世代が、日本の政治的主役になりつつある。そういう時代に入りつつあると申し上げてよいのではないかと思います。
同じことはオバマについてもいえますし、またロシアの大統領についてもいえるかもしれない。非常に若い世代になっている。彼らは、第二次世界大戦を全く体験していない。いわば第二次世界大戦を歴史としてしか読んでいない。そういう世代が世界外交の主役になっている。どうも最近の外交の何ともいえない危なっかしさは、そんなところに原因があるのかもしれません。
(図6)
さて、本日のメインテーマにうつりたいと思います。
私は、ここで改めて、1995年(平成7年)という年について考えてみようと思います。というのは私は21世紀への転換点だったと思っているからです。平成7年は皆さん思い出されると思いますが、阪神大震災がおこった年、また、サリン事件発生の年でした。
情報化という観点からいいますと、この年はマイクロソフトがウィンドウズ95を発売し、これは一種の社会現象になりましたから、皆さんよく覚えていらっしゃると思います。しかし、これと同時に、実は意外に気づかないことですが、この時期にyahoo! 、Amazon.com やeBay、こういった企業が創業しています。言い換えれば1995年は、インターネットないしはウエブビジネスが登場した年だと考えていいでしょう。グーグルは1998年に創業していますから、少し遅れていますが、こういう時期だと考えてよいと思います。
(図7)
もともとWeb社会は、サークとカーンが1977年にインターネットを開発したことから始まりました。その後十数年経ってティム・バーナーズ・リーが画期的なソフトウェアであるワールドワイドウエブ、wwwを開発しました。それが1991年のことでした。
wwwの導入によって、全世界でEメールがはやり出しユーザーはそれぞれホームページをつくり出した。だが非常に多数ですから、どこにどういうホームページがあるのか全くわからなかった。それをアメリカのジム・クラークとマーク・アンドリーセンがモザイクというソフトウエアを1994年に使って、ブラウジングができるようして<ネットスケープナビゲーター>という会社を起こした。このナビゲーターを買い取ったのが、マイクロソフトでした。だから、マイクロソフト95は画期的だったんです。単に、OSが新しいだけでなくて、インターネットエクスプローラーが入っている。すなわちブラウジングができる。
そういう意味で1995年は画期的な年でありました。その後アメリカでは情報基盤と環境整備への期待が高まり、IT関連企業の株価が急に上昇します。いわゆるITバブルがアメリカで起こり2000年の3月にこのITバブルが、ご承知のように崩壊をするわけであります。



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