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(図17)
もう1つの動きは、「クラウドソーシング」です。クラウドというのは群衆という意味です。「クラウドの知恵」とか、「クラウドソーシング」、「コレクティブ・ナレッジ」とか、様々な言葉がありますが、皆同じです。ベンクラーが2006年に「The Wealth of Networks」という本を書いています。これはアダム・スミスの「国富論」をもじったものですが、ソーシャル・プロダクションという言葉があり、企業や行政、そういう組織とは関係なく組成された個人の集団による共同生産のことをソーシャル・プロダクションといっています。ちょっと難しいいい方ですが、要するに、組織ではなくむしろ勝手に集まった人たちが自発的に生産するという考え方です。創造意欲の充足と達成感、プロジェクトへの信念、集団への義務感、自己の評価が、全然違う、こういう新しい「群衆」があらわれたということです。
(図19)
こういう人たちがいつあらわれてきたのかというと、もともとオープンソースという概念がありました。
リーナス・トーヴァルスが、いろいろなタイプの人々の自発的参加によってプログラム開発をするということを始めました。これが有名な「リナックス」であります。最初の段階はこんなものは役に立たないだろう、全部自発的に参加してやるというのはどんなことなのかといっていたら、これがどんどん発達をしていった。その結果、カセドラル対バザールという構図がうまれた。カセドラルというのは聖堂という意味です。聖堂のように垂直的な統括のものから、みんなが集まったバザール形式の開発が一般化したわけです。
そうしているうちに2001年になりますと、ウェールズとサンガーという人がヌーペデアとウィキペディアという、要するにネット上の百科辞典をこしらえました。これもそんな百科辞典は役に立たないよといっているうちに、その内容が非常によくなってきたわけであります。
そして、このころから、インターネット上の情報交換はダウンロードするものではなくて、むしろアップロードするものだという考え方に変わってきたわけです。このころから、ウエブ2.0といういい方がされるようになりました。ユーザーは専ら情報をダウンロードするんだと思い込んでいたけども、そうではない。ユーザーはそれぞれの分野の専門家なんだ、その専門家がアップロードするサイトがある以上、自分の見解や知識をアップロードするのは当然ではないかという考え方が出たわけです。
(図20)
大学卒業生の数が45%から50%に達しますと、実は日本だけではなくて、世界的に新しい事態が生じてきました。高学歴化と専門家の大量生産が行われたわけです。ところが、専門家と呼ばれる人たちは、例えばピアニストにしても、バイオリニストにしても、絵描きにしても、専門分野の雇用は余り多くはない。その結果、職位と学位の不一致が起こってきた。文学部を出たけれども文学者になるわけではない。芸大出たけれどもピアニストになるわけではない。普通の会社に入ってごく普通のことをやっている。そういう形で専門家の潜在的失業というべきものが起こってきた。遊休タレントが出現したわけです。ここにプロシューマーやプロマチュア、プロフェッショナルとアマチュアとの合いの子みたいな人々が出てきたと考えてよいと思います。
(図21) 
プロマチュアは、ある種の不満を持っています。自分たちは専門家としての見方とか方法、知識を持っているのに、これを生かす機会を与えられていないという不満です。他方、実践を通じてスキルとセンスを身につけたいという欲求があります。したがって、機会が与えられれば、収入に関係なく仕事をするインセンティブを持ちます。仕事の出来栄えややりがい、これが重要です。もちろん物をつくるわけですから、自分自身の納得が必要ですし、同時に、他者の評価も必要だ。しかし、それは金銭的報酬ではないということです。他人に認められればそれでうれしい、それで十分だという人々がここに出てきたわけであります。
(図22)
同時に、デジタル環境もととのってきた。その結果として、映像や音楽はすべてデジタルツールでつくれるようになりました。それがまた安くなりました。同時に、投稿サイトというものがつくり出されるようになりました。ただで、サイトに投稿してくださいということです。日本語で投稿とありますが、英語でいいますと、コントリビューション、一種の社会貢献なんです。社会貢献だと考えると、この投稿サイトがどんな意味を持つかおわかりになるでしょう。この仕組みがインフラとして日本やアメリカの社会の中に組み込まれた。そして、組織から独立した個人がこれを使って自由に意見を述べ始めたというのが現在の状況であると考えればよいと思います。
最近の海保に関する事件も、ナショナリズムやそういう次元で見るべきではないと思う。 むしろウェブユーザーたちの新しい社会運動だと考えるべきだと思います。
(図23)
その結果、web2.0すなわちユーザー参加型のコンテンツ開発という考えが出てくる。ユーザーを今までのように受信者と見ない、発信者だとみなし、アップロードの対象にする。ユーザーはみんなアップロードする能力を持っていると考える。ユーザーの発信力と能力を発揮する情報環境を提供する。そして、ユーザーの本来持っている大量かつ多様な情報、知識、知恵をウエブ上に載せて、共同利用を図る、こういう考え方が出てきたわけです。
私は、ユーザー参加型については、ある記憶があります。日建設計さんの與謝野さんと一緒に、九州のあるハンディキャップを持った人々のための施設を視察したことがあります。その時に、段差やトイレの高さ、あるいはトイレのペーパーのある場所はどうなのかという議論をしていました。幾ら議論をしても、設計の方々に、専門家の人が意見をいわないわけです。そこで、日建設計さんは、原寸大のトイレットをつくって、看護婦さんや介護の専門家を集めて質問をしました。「これ、どうですか」と聞いたらば、早速そこに座ってみて、「この座り方は居心地悪いね。ここにシャワーを出すところがあるけれども、この位置はちょっと高過ぎる」というふうに、大きな議論がそこで発現したんですね。ここにまさにユーザー参加型のコンテンツ開発があるんですね。その意味では、原寸大の模型は、実はユーザーが本来持っているエキスパートとしての意見をレリーズする仕組だと私はそのとき痛感したわけです。
それと同じことが今起こっています。ユーザーは何らかの分野の専門家なんです。ですから、専門の分野についての知識も情報も持っている。ならばユーザーに聞けばよい。これがクラウドソーシングということだとお考えになったらよいと思います。
(図24)
「クラウド・ソーシング」のクラウドは群衆という意味でしたが、クラウドコンピューティングのクラウドは、雲という意味です。日本語でいうと、クラウドで同じですが、違う意味だと考えてください。クラウドコンピューティング、これも1つの例としてとってきたんですけれども、「インターネット上にグローバルに拡散したコンピューティングリソースを使って、ユーザーに情報サービスやアプリケーションサービスを提供するという、コンピュータの機械・利用に関するコンセプトのこと」です。


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