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日本橋のあゆみ
1. 日本橋の生いたち
2. 日本橋の名前の由来
3. 熈代勝覧にみる日本橋の繁栄
4. 石橋をつくった人たち 5. 大震災がも たらしたもの

よみがえる日本橋
1. 名橋「日本橋」保存会の活動
2. 日本橋再生プロジェクト
3. ECO・EDO日本橋運動
4. 毎日が祭だ!

よみがえれ日本橋
1. 日本橋(石橋)架橋100年の意義
2. 日本橋クリーニングプロジェクト
3. 未来の江戸をつくろう

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先日まで行っておりました、橋の水漏れ防止工事期間はこの道路元標もいったん取り外しておりましたが、工事が終了し12月12日にもとに戻すセレモニーを行いました。現在は橋のど真ん中に設置されております。
 その後、平成11年に、「日本橋」と東京市道路元標が国の重要文化財に指定されました。平成の不況のさなか、平成12年(1999年)に結成された日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会も活発な地域活動を行っております。この会は、保存会が対象とする橋周辺の町会や企業に加えまして、日本橋地域全体の町会と企業によって構成され、日本橋がかつてのにぎわいを取り戻し、豊かで潤いのある街によみがえることを願って組織されました。この会と名橋「日本橋」保存会は構成人が殆ど同じでございますので、常に連携し仕事をしております。
 次に、日本橋再生プロジェクトの話をさせていただきます。これは高速道路撤去作戦が最大の課題でございます。2007年1月25日に「日本橋プロジェクトについて」という題で伊藤滋先生がお話していますので、おさらいの意味でお話を進めていきたいと思います。
東京オリンピックのインフラ整備のために、高速道路を日本橋川の上に造ることになりました。その結果、生き物が春夏の水温が上昇時に必要とする溶存酸素(水の中に含まれる酸素)が希薄となり、徐々に姿を消していきました。また川底に堆積されたヘドロからガスが発生し、悪臭を放ちイメージを大きく損なう結果となりました。昭和58年(1983年)、保存会が「よみがえれ日本橋」という決議をいたしました。この決議文は大変名文でございますので、趣旨だけを読ませていただきます。

 「よみがえれ日本橋」の趣旨。
「天下の名橋であり、わが国道路の原点である日本橋に、昔日の面影はない。高架高速道路の足元に喘ぎ、美観、風格は損なわれ、かつての威風は地に落ちたと言わざるを得ない。わが保存会としては東京オリンピック成功を担った高速道路のはたらきに賛辞を惜しむものではない。然し、わが国における日本橋の存在は限りなく巨きく、国民の心に脈うつ日本橋への愛情の念は、いよいよ深い。われわれ保存会は、こよなく日本橋を慈しみ、橋洗いなど日常活動を実施しているところである。わが日本橋に、かつての如く陽光がふりそそぎ、街に生気と潤いの満ちる日を架橋380年を閲した今、待望するや切である。」
 

これは昭和38年10月12日に決議しておりますから、架橋380年という言葉を使っております。
この運動はおよそ20年間、中央区でしか市民権を得られず、ようやく平成13年(2001年)に地元の願いが国と東京都に通じ、重い腰を上げさせました。この辺は伊藤先生に話していただいたと思いますが、ときの扇千景国交大臣が日本橋高速道路問題を都市再生の重要課題と位置づけ東京都心における首都高速道路のあり方委員会を設置し、国交省中心にこの問題の検討が本格化いたします。
検討の結果、平成14年(2002年)に1つは高速道路の撤去、2つ目が撤去して両サイドの道幅を拡幅、3つ目が移設して高架化、4つ目が移設して地下化、という4案が公表されました。そして、国、都、中央区、地元を巻き込んでの大論争が始まります。いずれの案も決め手を欠きましたが、区と地元は地下化の案で意見が一致しておりました。
平成15年に、この問題打開を図るために、国と都、中央区、地元が参加した「日本橋みちと景観を考える懇談会」を設置いたします。
平成16年(2004年)この会の主催で日本橋まちづくりアイデアコンペを実施し、国内外から320余点の応募がありました。具体案検討中に、小泉総理大臣、伊藤滋先生、中村英夫先生、奥田碩経団連会長、三浦朱門日本芸術院院長、総理大臣を別にして4人委員会というものが誕生し、日本橋と高速道路の改善案をまとめました。小泉総理の「早くスタートしたほうがいいよ」の一言でやっと国家的プロジェクトとして取り上げられることになります。
平成18年4月、景観法成立を機に設立されました「新しい景観を創る会」と千代田区、中央区が共催でシンポジウムを開催し具体的な改善案が同時に加速していきます。
平成18年9月に有識者会議「日本橋川に空を取り戻す会」、この主催は日本橋みち会議で、座長は伊藤滋早大教授でございます。アイデアコンペにも幾つか出ておりました浅い地下案を小泉首相に提出いたしました。高速道路を、日本銀行と三越がある日本橋川の北岸と、地下鉄の銀座線都営浅草線の上部に上下4車線を埋め込もうというものでございます。
日本で指折りの地価の高い地域で、総事業費を抑制しながらいかに迅速に事を進められるか。また、用地費用のかからない方法による土地交換、容積移転など相当な工夫が必要となります。高速道路をつくり直す以前に、出来る限り経費を抑えて河岸を空地化することに日本橋地域の人々が努力することも必要になります。単なる道路改築計画ではなく、日本橋全体のまちづくりの一環として道路の再配置を強く訴えていかなければなしません。今までの効率性、経済性優先の都市政策にかわって、人間主役のまちづくりを進めるシンボル的な事業を国内外にアピールする必要がある。これらの課題に挑戦して、高速道路撤去計画が単に多額の公費を投入する開発ではなく、日本橋の、そして中央区のまちづくりであることを明らかにするために、平成18年(2009年)9月29日、地元の人々を中心に日本橋再生推進協議会を発足させ、現在いろいろ知恵を絞り汗を流しております。

民官、普通は官民といいますけれども、民が主催で官がバックアップしていく。そういうPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)の新しい手法の採用だと思います。
民間が再開発を先導し、川の両側に遊歩空間を設置する。公共事業として、首都高速道路の地下化と河川の環境整備を行う。民間は恩恵の一部を公共事業に還元し、公共は事業を迅速に行う。いろいろ論じられておりますけれども、川沿いの市街地の容積を広域にわたって移転するには、現在のビルを移動させ、土地の容積を移転する。これは地元の相当な決断が必要であります。今そんなところで迷いながら進んでおりますが、市民から運動として沸き起こらない限り、成功しないだろうと認識しております。高速道路だけに限って運動していてもらちが明きませんので、周辺から少しずつ攻めていこう。その1つが、水辺空間を生かしたまちづくりです。
水辺をイベントで活性化し、景観を少しでも良くしていこう。水辺のイベントと申し上げましたが、「日本橋」の橋洗いや日本ボート協会の協力を得まして、小学生のボート遊びも企画しております。また、来年からは観光しながらの船乗り遊びも計画中でございます。
川から見る日本橋、本来はきれいなはずが、いつの間にか、川からの街並みが大変お粗末になっていました。汚い。そのため、石垣や周辺の景観の整備にも手をつけております。昔の石で積み立てた石積み護岸が常盤橋周辺にまだしっかりと残っておりますが、ここも整備再生していこうと考えております。

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