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日本橋のあゆみ
1. 日本橋の生いたち
2. 日本橋の名前の由来
3. 熈代勝覧にみる日本橋の繁栄
4. 石橋をつくった人たち 5. 大震災がも たらしたもの

よみがえる日本橋
1. 名橋「日本橋」保存会の活動
2. 日本橋再生プロジェクト
3. ECO・EDO日本橋運動
4. 毎日が祭だ!

よみがえれ日本橋
1. 日本橋(石橋)架橋100年の意義
2. 日本橋クリーニングプロジェクト
3. 未来の江戸をつくろう

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フリーディスカッション

 

 ありがとうございました。私も、先生のお話を伺っていまして、確かに日本人で、飯田橋は知らなくても日本橋を知らない人はいないわけでございまして、すごいブランド力だと思うんですね。ただ、そのブランド力に甘んじることなく、さらに地域の発展のためにいろんな仕掛けをしていらっしゃるということを、今日のお話を聞きましてよくわかりました。そこに古くて新しい日本橋があるんだということもよくわかりました。
それでは、皆様のほうから何かご質問のある方は、どうぞお手を挙げてくださいませ。いかがでしょうか。

河合(㈱竹中工務店) すばらしい話、ありがとうございました。
先生は商業にもかなりお詳しいということで、その面をお聞きしたいんですが、日本橋のにぎわいといったらやはり商業の面、リテールの面が大きいと思うんですが、銀座とか、東京のほかの地域と比べて、日本橋はここが商業的に違うぞという点があったら教えてください。

中村 日本橋には、老舗があり、近代的な百貨店がある。それが一緒になって融合しているまちだということです。銀座は、新しいファッションがどんどん入ってきて、ファッションが先導しながらまちが出来ていく。ショッピングが1つのレジャーであり、楽しみだということを、私も店長として経験してまいりました。ですから、滞在時間、滞留時間が銀座は非常に短い。日本橋は、お買い物にしても、散策するにしても、滞在時間が非常に長い。それだけ見るに値するものがあるからだと思います。ショッピング以外でも楽しめるというのが日本橋の良さです。これは、長い歴史を持つ老舗がたくさん残っているまちの財産であり魅力であると思います。
皆さんが日本橋に来て、何か違うとおっしゃる。地方から来た人も、私どもの会社に来ている人も、全然重みが違う。お客様がのんびりしている。そして、お客様がおしゃれをして来ている。そんなことを聞くにつけ、日本橋特有の何かがある。それはとりもなおさず、伝統文化と近代が融合しているからだと思います。入り混じっていると申しましょうか。ここに、これから発展の余地があると思います。ただ商品を販売するだけでなく、商品と併せてまちの魅力も売っていく。まちを散策しながら楽しんでいただく

ちなみに、三越は来年の正月に、七福神めぐりを開催します。三越を拠点とし、人形町近辺の8つの神社を回るわけですが、1日8000人から9000人の人が参加いたします。新しい起点をつくる案も出ております。古い神社ですから、それぞれの故事来歴があり勿論新しいものもある。古いものを新しいものと感じ取る。これも文化のなせる技かと思います。

河合(㈱竹中工務店) ありがとうございました。

中村 ちなみに、七福神は、日本橋小網町の小網神社、人形町の茶ノ木神社、蛎殻町の水天宮、人形町の松島神社と末廣神社。それから浜町の笠間稲荷、堀留町の椙森神社、日本橋本石町の寶田恵比寿神社でございます。

 先生、こちらは日本橋七福神というんですか。

中村 これは三越が最初です。私がつくった企画で、既に25回目です。

 では、ぜひ皆様、ご参加くださいませ。
ほかにどなたかいらっしゃいますでしょうか。実は先生のお話にもあったんですけれども、日本橋川というのは、今日、皆さん、JRの水道橋からいらっしゃった方はご存じだと思いますが、ちょうど水道橋あたりのところが神田川と日本橋川の分岐点になっております。弊社の東京オフィスの前を通りまして4.8キロ、高速道路沿いに従っていきますと、日本橋にたどり着きます。非常にご縁のあるところなんです。私ども、川上にございますので、汚さないように、これからは努めたいと思います。

中村 一度、三越前の地下鉄コンコースを見てください。本当によく描かれている絵巻物でございます。なぜ和紙でつくったかといいますと、やはり和紙は長持ちします。100年はもつでしょう。細かく説明文も出ておりますので、実際にご覧戴ければ、当時の日本橋が本当ににぎやかであったことがお分かりいただけます。現在の日本橋地区は人口が11万2000人ですが、明治時代は35万人でした。いかにこの日本橋地区が政治、経済、金融、情報の中心であったか。それが徐々に、あちこちに分散していくわけです。
銀行ひとつをとってみても、日本橋には、銀行の中心である日本銀行があります。――正式には、にっぽん銀行といいます。お札を見ていただければ、「NIPPON GINKO」とローマ字で入っています。にほん橋、にっぽん銀行と、いろいろ使い分けているようです。平成9年に閣議決定でどちらを使っても良いということで、大阪の橋はにっぽん橋、東京はにほん橋と今まで通りに呼んでいます。少し話がそれましたが、いずれにいたしましても日本橋地区というのは、もっともっと日本に、世界に通用するまちかと感じます。
日本銀行があったから、地方銀行の支店がたくさんありました。今は便利になったので、支店が要らないんですね。東京証券取引所にしても、昔は立ち会いがあったから、にぎやかでした。今は立ち会いがありません。時代の変化によって、まちは移り変るわけです。でも、江戸からのDNAをたくさん持っている日本橋は、違った視点から攻めていけば、いろいろな形で再生することでしょう。そんなことを思いながら、違った視点から見る、あるいは違った物事の考え方をする人たちが増えないと、何となく固定化してしまうのではなかろうかと感じております。

 きょうは先生のほうから、三越さんの催し物ですね、展覧会の招待券をたくさんいただきました。先生、ありがとうございました。受付にございますので、お帰りのときにどうぞお持ち帰りくださいませ。
それでは、すばらしい講演に対しまして、皆様、先生にいま一度大きな拍手をお送りください。先生、ありがとうございました。(拍手)
それでは、最後になりましたけれども、本年1年、フォーラムをご支援いただきまして、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。 以上をもちまして、フォーラムを終了させていただきます。ありがとうございました。 

  ─了─

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