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日本橋のあゆみ
1. 日本橋の生いたち
2. 日本橋の名前の由来
3. 熈代勝覧にみる日本橋の繁栄
4. 石橋をつくった人たち 5. 大震災がも たらしたもの

よみがえる日本橋
1. 名橋「日本橋」保存会の活動
2. 日本橋再生プロジェクト
3. ECO・EDO日本橋運動
4. 毎日が祭だ!

よみがえれ日本橋
1. 日本橋(石橋)架橋100年の意義
2. 日本橋クリーニングプロジェクト
3. 未来の江戸をつくろう

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高速道路が移転した暁には、川の両側にプロムナードができ、人が集い楽しむ場所、あるいは散策できる場所をつくろうという夢があります。既に一部、国分さんの前に川に面したオープンスペースでレストランを開業している場所もありますので一度見ていただきたい。そして、来年完成予定の船着場も、水辺の活用案をいろいろと考えております。また、「ECO-EDO日本橋」という運動もしています。日本橋は、江戸からの様々な文化、風習、習慣をDNAとして持ち、それを生かしながら生活しております。ECO-EDOとは、江戸からエコロジーとゆう運動でございまして今、環境問題が大変話題になっておりますが、政府の新成長戦略の1つにも、グリーンイノベーションという言葉で環境を大きく取り上げております。
江戸のまちに暮らした人たちは、ものを大切にし自然と共生する知恵と技術で循環型社会を実現していました。江戸のまちに息づいた共生の精神を今に生かし、新たなスタイルを創造し発信するまちづくりを日本橋から始めようと、平成20年の8月1日、「日本橋」の上で参加者全員が浴衣を着て打ち水大作戦をしながら宣言をいたしました。これも橋の上は高速道路で日が当たっておりませんので、橋詰めで行いました。
その後、町内会、企業、住民を巻き込みできるだけ数多くのイベントを展開し、打ち水だけではなく、マイ箸キャンペーンや、浴衣や着物を着ての大行進。先日の300人の着物パレードは壮観でした。他にも和を中心にした催し物や行事、風呂敷文化の紹介等々も行っております。
ECO-EDO日本橋グリーンプロジェクトの一貫で、電力をできるだけ使わない、あるいはお金を掛けずビルのグリーンライトアップも行っております。一昨日の点灯式の際には、大畠経産大臣が出席し、生演奏会を聴きながら皆さんで語らいの一晩をすごしましたが、このような催し物を積極的に企画し、人が集まる賑わいあるまちにしようと日夜工夫をしております。
年末には「日本橋キャンドルナイト・江戸あかり」と称しまして、橋の上や路上に和紙でつくった行灯を並べ、風情のある江戸らしさを演出致しました。この企画で街づくりの目指す方向が見えたように思いました。
街路灯も一新しております。日本銀行は、元は金座でございましたので、街灯の中間に金の帯を結び、縦じまの粋な姿を見せております。日本橋と生きる、江戸と生きる、そんなことを頭に入れながら、いろんなことにチャレンジしております。
現在、日本橋エリアを巡回しておりますメトロリンクという無料バスがございます。このバスは廃油を燃料としており、日本橋の街並みを一周できますので、ぜひお乗りになっていただきたい。
名橋「日本橋」保存会は「毎日が祭りだ」を合言葉に、賑わいのある街づくりを目指し日々活動しております。日本橋の昼間人口は約65万人ですが、三井不動産のコレド室町、野村不動産のYUITO(ユイト)という商業施設の建設により更に増えることでしょう。今までの室町二丁目は明かりがなく中央通り片側が死んだようでございました。夕方になると人も途絶えます。そこにこのような新しい商圏が出来まして、人が行き来し、にぎやかな街がよみがえって参りました。
日本橋では今あちらこちらで、このような状況がおきております。日本橋に行くと何か新しい発見ができる、あるいは何か楽しいことをやっている。そんな思いをめぐらし、人々が訪れ、昼間人口が増えている。これは交流人口といっても差し支えないと思います。交流人口が増えるということは、そのまちに魅力がある証でございます。私どもと致しましてもこの様な面で更に知恵を絞っていきたいと思っております。
参考までに中央区にお住まいになっている方の人口は平成12年(2000年)が7万2526人でございました。当時、矢田区長も、どうなっちゃうんだろうと大変心配していました。夜の人口である住民が少ないということは、まちの活性化もおぼつかないということで、努力の末、平成21年7月1日の人口は4万人増え、11万2426人になりました。最近、東京の人口は増えておりますが、地方ではどの町も年々減っております。こうした中での中央区の人口増加は、都市化傾向にあることは否めませんが相当な努力の証でございます。
日本橋の行事のひとつに毎年1月3日に行われます東京箱根間往復大学駅伝競走がございます。今年で12回を迎えるこの日本橋コースは、「日本橋」架橋88周年、箱根駅伝75回大会に当たる平成11年に最終第10区で日本橋の橋上を通る日本橋コースが実現いたしました。もちろん、主催をしている読売新聞さんや陸連の協力があってこそだと思います。銀座を通るコースは銀座さんがよしとしなかったため、現在の京橋から日本橋のコースに変わり毎年たくさんの方が路上を埋め応援をしております。さすがの銀座さんも、今やりたいといっても簡単にはできない状況でございます。何故かといいますと、私が当時、銀座三越の店長をやっておりまして、人が通ると汚れるから、あるいは警備などの応援に社員を出さなくてはいけないからと理由をつけて反対したわけです。――私個人的には反対しませんでしたよ。店として反対した記憶がありますので、今は残念だなと思いますが後の祭りでございます。 「日本橋」は明治44年4月3日に開通式を行いましたので、その誕生日に一番近い日曜日に毎年春の名橋「日本橋」まつりを開催致しております。年々にぎやかになりまして、諸国の物産市など全国各地から催し物の出店申込があり、昨年は日蘭通商400年を祝い平戸から日本橋までの約1030キロを歩くイベントを行いました。
駅伝ではなく一人で歩くのです。参加者は陸軍・海軍の兵隊の皆さんで、その脚力にはビックリ致しましたが、遥か1030キロの距離が繋がったように思います。
また、天山山脈ふもとにありますキルギス国はシルクロードの流れを汲んでいることから日本橋と縁が深く、このイベントの際にも橋のたもとで民族楽器の演奏を行いました。 夏に行われます、橋洗い前日には全国こども橋サミットを毎年開催いたしております。日本全国から、小学校高学年の皆さんが『おらが村の名橋』を物語を交えながら宣伝にやって参ります。

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