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日本橋のあゆみ
1. 日本橋の生いたち
2. 日本橋の名前の由来
3. 熈代勝覧にみる日本橋の繁栄
4. 石橋をつくった人たち 5. 大震災がも たらしたもの

よみがえる日本橋
1. 名橋「日本橋」保存会の活動
2. 日本橋再生プロジェクト
3. ECO・EDO日本橋運動
4. 毎日が祭だ!

よみがえれ日本橋
1. 日本橋(石橋)架橋100年の意義
2. 日本橋クリーニングプロジェクト
3. 未来の江戸をつくろう

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7月31日の橋洗いには歌舞伎役者さんを呼んで、船遊びをする案も出ております。
9月25日には、日建設計さんもご協力されておりますUIA世界建築会議があります。日本橋地区もいろいろな形で応援させていただくことも考えております。定例のイベントのみならず新しい日本橋を、この100年を契機に創り上げていこうと試行錯誤いたしております。
まずは日本橋の橋をきれいにクリーニングしよう。これは私ども民間の団体だけではできませんので、国交省と相談をしながら、「日本橋グリーンプロジェクト」というものを発足させました。ドイツのケルヒャーという掃除機で有名なメーカーがあります。何となくジャパネットたかたのイメージが強いのですが、ケルヒャーさんは様々な世界の文化遺産をボランティアで、クリーニングしております。「日本橋」も重要文化財ですから、やってい戴くことになりました。ちなみに、これまでは自由の女神やバチカンのサンピエトロ広場の柱、アメリカ大統領の顔の巨大な岩彫刻でありますマウントラッシュモア、もクリーニングしているそうです。
100年の汚れを取るわけですが、温水高圧洗浄とパウダー洗浄、すすぎ洗浄という手法で本当にきれいになりました。でも、あまりきれいにしすぎると昔の風合いが失われてしまいます。古きを残し、とてもよい感じに洗浄されておりますので是非ごらん戴きたいと思います。
傷の補修は国交省のほうで苦労しながら修復しておりますが、来年2月末には終了予定です。4月3日には再生「日本橋」として祝う準備を着々と進めております。
橋は国交省の東京国道事務所が管理しておりますが、この機会に修復しようということになりました。昭和41年の修復から24年経っているわけですから、防水面が少しおぼつかない、防水補修対策をするために1つ1つの石を外して修理をしました。浸透した雨水が橋の中を通り抜け、漏水となって側面の石のところに出てきます。それが続くと、橋自体が傷むということで、上の石、中間のコンクリを全部はがして修復したわけです。普通でしたら3日か4日でできるのを、3カ月かかったんですね。1つ1つ丁寧に石を外し磨いて、またそこにおさめる、工事に携わった方々の大変なご苦労により現在、石が収まっているわけです。また更に立派な橋によみがえり、これからの100年を持ちこたえてほしいと願っている次第でございます。

  生まれ変わった日本橋のもとで、新しい100年を明るく夢をもって生活していこう。未来の江戸をつくるため、「世界に誇れる品格とにぎわいのあるまちづくりをめざす」にはどうしたらいいのか。江戸から受け継がれた様々な歴史と文化のDNAを今に直し、今に編集して世界へ発信しよう。そのためには、ECO-EDO日本橋の精神にのっとり、自然と共生し循環型社会へ貢献する。また片方では、このまちの魅力を再発信することで水辺の空間ににぎわいを取り戻し、見上げれば青空の見える日本橋を取り戻そう。そして人だけではなく、光が戻った日本橋川には魚や水鳥が生き生きと生息する。そんな、まちと人と川が共存する関係を構築する。日本橋ならではのまちづくりが私どもの目する、未来の江戸の姿でございます。
今までは点でいろいろな仕事をしてまいりました。その仕事は線としてつながりました。私どもの三越、三井不動産さん、野村不動産さんのある中央通りは結構にぎやかになりました。日本橋が垣根となってしまい途絶えているコレド日本橋、あるいは高島屋さんの地域とも一緒に活性化しています。だが、昭和通り側は日本橋と、人形町、小舟町あたりとの断絶があります。しかし、そこにも大変な江戸文化がある。これをなんとか繋げないと日本橋の本当のよさと魅力が出てこない。面としての日本橋の構築をいかに早急に組み立てるか。これも大きな課題でございます。 日本橋というブランドは、日本の中で確立されております。田舎に行っても日本橋、ああ、あの日本橋といわれます。でも、橋なのか、地域なのかハッキリわからない。いや、日本橋という橋でもいいし、地域でもいい。この曖昧なニュアンスを逆手にとり、日本各地から、また日本を訪れる多くの外国人の観光拠点としての日本橋であってくれればいいと考えるわけでございます。

韓国のチョンゲチョン川の復活が大変話題になっております。全長5キロ強でしょうか。人が集まって、散策をし、外国から来た人は必ず訪れて韓国の様々な文化を感じ取り楽しんでいる。日本橋もそんなまちに生まれ変わってほしいな。そのためにはどうしても高速道路が目障りだな。これは国に任せるばかりではなく、地元として、市民運動として解決していかなくてはいけないだろう。日本国プロジェクトにしていただいたわけですから、黙ってばかりはいられません。
政権が変わったから少しトーンダウンしたと思いきや、一昨日、大畠経済産業大臣が、「やあ、日本橋の話、よく知っていますよ。1000~2000億円くらいでできるんですよね」とおっしゃいます。「あれ、何で知っているんですか」と聞いたら「中村英夫先生の教えを受けました」と。民主党の方がいたらすみませんが、民主党も先を考えて、いろいろ案じている人がいるなと少しほっとしました。短期的な仕事ではないわけです。大きな流れの中で、この橋というものを考える。でも橋の移設は最後の目標ですので、それ以前にできることをまず徹底してやろう。自分たちのまちの中で、自分たちの手でできることをしよう。それが先ほど申し上げましたいろいろなイベントであり、まちづくりへの協力、発信であろうかと思います。
私の胸に麒麟のバッジがついております。橋の上の麒麟をデザインし、下のブルーは水と空でございます。それを象徴したこのバッジが、私どもの願う1つのシンボルでございます。
新しい100年を迎えて、面としての再開発を早急に組み立てることが必要である。そんなことを最後に申し上げます。この講演のお話を受けたとき、こんなに学術的な先生方が講師だと知りませんものでしたから、日本橋の説明をしたらいい、日本橋の宣伝をしていただいたら嬉しいということで、軽く受けてしまいました。お聞き苦しい点はご容赦いただいて、熱意だけを酌んでいただければ幸いでございます。日本橋をぜひよろしくお願いいたします。

以上で終わらせていただきます。(拍手)
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