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花田 神戸芸術工科大学の花田です。初めまして、よろしくお願いします。今、林さんから過分なご紹介をいただいて恐縮しております。いずみホールの写真を映して音楽までかけていただき、在職中に設計したとまで言っていただきましたが、わずか10年しか日建にはいませんでしたので、チームの中で一番下っ端のメンバーとしてやっていました。現場にも2年常駐して一生懸命やりましたが、私が設計したなんて言ったら、当時の主管さんに怒られます。
東京に1年、大阪に9年いました。それ以上いても余りお役に立てそうにないということで、大学のほうに逃げていってしまいました。
今日は、こんな機会をいただけたことを大変うれしく、ありがたいことだと思っております。
早速、本題に入りたいと思います。私が設計の最前線から大学に戻りその後ずっと、近代建築の20世紀前半の建物の研究と、それを保存して、かつ使い続ける作業をやってまいりましたので、そのお話をさせていただきたいと思います。
今日ご参加の方の多くは、恐らく古いものよりは現代建築やまちづくりの最前線で新しいものをつくっておられる方々で、直接はご自身の仕事に関係ないなというところもあるかもしれません。しかし、古いものを見直す仕事も増えてきていると思いますので、そういうことに少しでもお役に立てればと思っております。
私は今、神戸の神戸芸術工科大学におります。小さな大学ですので、ご存じない方も多いかもしれません。デザイン全般、ファッション、漫画、建築、プロダクト、何でも扱っている大学です。
小さい学校ですが、多少建築界とは縁があります。初代の学長がかつて東大におられました吉武泰水先生です。吉武先生は筑波大、九州芸工大と大学をつくっていかれましたが、最後の仕事が神戸芸術工科大学です。その後は建築計画の鈴木成文先生も学長をされていました。建築のアカデミックな分野とパイプの太い大学です。
最初に、近代建築という20世紀前半の建物の保存の難しさや必要性、それをめぐる状況についてお話させていただきます。

 

【1】近代建築の保存の難しさと必要性

 DOCOMOMOという国際組織があり、建築の保存、特に20世紀の建物の保存活動をやっています。そういう組織が、日本の20世紀の建物についてどういう評価をしているかというお話をします。
また、そういう時代の建物の先進国、ヨーロッパ、その中でもオランダではそういう建物をどう扱っているのかということをご紹介したいと思います。  
その後、私が20年近く関わってきた愛媛県の八幡浜市という小さな町にある日土小学校の保存・再生が実現いたしましたので、それを題材として詳しくお話ししていきます。こういう時代の建物をどんなプロセスを経て残したかということをご報告したいと思います。
最後に、日土小学校の保存・再生はどんな評価を受けたか、そして近代建築を例に建築を使い続けることの意味をお話しして終わりにしたいと思っております。
今日は100枚以上スライドがありますので、映像を楽しんでください。
(図1)(法隆寺等の写真のスライド)
まず、法隆寺や東大寺や姫路城を建て替えようという人は絶対にいませんね。姫路城を改造してホテルにするという話はあり得ないわけです。どうしてか。それしかないからです。奈良時代から始まって19世紀までの建物の多くは現代にないデザインで、何よりも数がありませんので、それを残すと言えば、その必要性は、専門家だけでなく一般の方にも理解していただけるわけです。
(図2)
これは神戸の旧居留地に建つ異人館、十五番館という有名な建物です。立派な柱があって、重要文化財に指定されています。これなら大事な建物だということが一般の方にも伝わる。実際、阪神大震災でつぶれたわけですが、それを3年後に再建して今立派に建っているわけです。ペディメントがあってオーダーがついていてわかりやすいデザインです。
(図3)
このぐらいになるとどうでしょうか。一つは1938年に建てられた神戸にある昔銀行だった建物です。今はきれいに保存改修されて、中におしゃれなレストランがあり、使われています。
もう一つの建物は、上よりも少し古い1928年の同じ神戸にあるビルです。かつてブラジルなどへの日本から移民が政策として行われていました。その時、全国から移民の希望者が集まって1週間ぐらいのトレーニングを受けた建物です。この建物はツタが絡まっていて、かなり汚い。この二つが建てられた時代はほとんど変わりませんが、一つはカッコよく、もう一つは「どこかの古い病院みたい」ということで、潰される可能性があった。一般の方に、これはすごく大事なんですよと言っても、通じないところがあります。ですが神戸市はこの建物の重要性を認識して、現在はきれいに保存・再生し、移民ミュージアムになっていたり、現代美術のアトリエが入っています。
(図4)
こうなるとどうでしょう。ひとつは大阪の千里ニュータウンです。もうひとつは秩父セメントの工場です。秩父セメントの工場は、建築に詳しい方は、名作であり、谷口吉生さんと日建設計の前身の会社が設計したということをご存じですので、恐らく価値を認められると思います。しかし、普通の人は、「汚いボロボロになった団地と汚い工場」と思うわけです。「これを残さないとだめですよ。文化的な価値がありますよ」と言っても、なかなか理解してもらえない。
 ところが、こういうものが実は20世紀をつくってきている。団地や工場、オフィス、学校、美術館が20世紀の我々の生活を支えてきている。しかし建築を見ると、装飾なんか一切なく、ただの箱のようなので保存の必要性が理解されない。しかし、これらがもし本当に消えてしまうと、20世紀の市民生活は何も残らないことになってしまう。そこで、今、その時代の建物の保存運動が始まっているわけです。
(図5)
 ところで今日の話は「近代建築」という言葉をタイトルに入れています。この言葉についてはやや意味が揺れていますので、釈迦に説法かもしれませんが、念のためお話ししておきます。
(図6)
普通の方は、近代建築というと、いわゆる洋館や洋風建築を想像される方が多いと思います。明治期あるいは大正ぐらいまでに海外から入ってきて、日本の大工がつくった建物や、あるいはレンガ造の建物などです。
(図7)
ところが、英語で「近代建築」は、モダンアーキテクチャーになるわけです。モダンアーキテクチャーという英語があらわしているものはむしろ鉄とコンクリート、ガラスなどでつくられた、様式を否定した四角い箱です。ミースやコルビジェの建物です。
(図8)
つまり、英語のモダンアーキテクチャーという言葉と、日本語の近代建築という言葉が、まったく違うニュアンスをまとってしまっている。
この時代の建物のことが紹介される中で、「モダニズム建築」という言葉も登場します。この言葉は、日本語で近代建築というと、今申し上げたように洋風建築をあらわすことがあるので、苦肉の策でつくり出された日本語です。英語でモダニズムアーキテクチャーという単語があるかというと、これはほとんど使われてない。つまり英語のモダンアーキテクチャーを、日本語でモダニズム建築といっているという矛盾した状態なのです。
モダンアーキテクチャーと片仮名書きをした例もあります。でも定着しませんでした。
僕としては、モダニズムアーキテクチャーという英語はないことから、モダンアーキテクチャーの直訳である「近代建築」が一番わかりやすいと思っていまして、今日は「近代建築」という言葉で20世紀前半の鉄とガラスとコンクリートでできた四角い建物を表すことにします。

 

 

 

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