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【6】日土小学校の保存再生の位置づけ

(図84)
最後に、日土小学校の保存再生の仕事がどう評価されたかをお伝えしたい。
(図85)
保存改修が終わり、2011年に、竹中工務店のギャラリーエークワッドで日土小学校と松村正恒についての大きな展覧会を開催していただきました。これで認知度が上がったと思います。私も長くやってきた松村正恒研究を博士論文にまとめて、出版することもできました。
(図86)
2012年には、建築学会賞(業績)をいただきました。
(図87) 
学会賞を取れたとみんなで喜んでいましたら、その秋には、ワールド・モニュメント財団/ノールモダニズム賞を受賞しました。その財団は、世界中の世界遺産クラスのものに支援をしているニューヨークのNPOで、グーグルやアメックス、ティファニーなどからも基金提供を受けているアクティブな組織です。最近そこが、古いものだけでなくて、近代建築にも興味を持っていて、保存・再生事例に賞を出しています。夏に応募しないかという打診があり出しましたら、世界中から応募された44物件の中から我々の仕事が受賞しました。本当にびっくりしました。
(図88)
ワールド・モニュメントファンドのホームページをごらんになるとNPOというもののイメージが変わります。日本も、京都の町家や東北の被災地などいろいろ支援していただいています。
(図89)
2008年から1年おきに出している賞で、2008年の1回目は、ドイツの学校の保存・再生が賞をもらいました。ハンネス・マイヤーという近代建築史上非常に有名な建築家、バウハウスの校長もやった人です。2回目の、2010年には、先ほど写真でお見せしたゾンネストラール・サナトリウムが受賞しました。私はその建物を見に行ったときに、日土もこんなにふうになったらいいのになと思っていましたので3番目の受賞が日土小学校だったということで感激いたしました。
(図90)
ニューヨークのMoMAで表彰式があり、みんなで行ってきました。こ非常にいい経験をしました。
(図91)
何が評価されたのか。アメリカの大きな財団が極東の地の小さな木造校舎をどうしてピックアップしたのか。彼らの評価のポイントは3つです。まず、名も知れぬ建物と建築家をディスカバーしたこと。2つ目は、行政や地域や専門家がチームになって保存再生を成し遂げたということ。3つ目は、そういうこと全体が、世界中の近代建築の保存・再生にとってモデルといえるということ。有名建築家による有名な作品だけではなくて、むしろそれ以外の名もない建物が実は20世紀前半の市民生活を支えてきているのであって、そういう弱い建物こそ守っていかないといけない。日土小学校で行われたことはそのためのモデルだ、規範だというふうに言っていただいたわけで、僕らとしては大変うれしかった。
(図92)
同じ年の暮れには、日土小学校が国の重要文化財になりました。
重要文化財になると、文化庁が出している冊子の中に評価のポイントを書かれます。その中でも、「今回の答申における特筆すべきもの」として、佐渡の銀山と日土小学校を特に挙げてくださっています。
(図93)
戦後建築の重要文化財としては、まず丹下さんの広島のピースセンターと村野さんの世界平和記念聖堂が最初に選ばれました。その後、コルビュジエが設計した西洋美術館で、その次が日土小学校ということなので、とてもうれしかったわけです。

(図94)
日土小学校の保存再生が実現するまでには、反対派の人との調整や行政との調整など、かなり紆余曲折がありました。一方、改修案の方は、もとの建物を基本的に残して、ちょっといじっているだけだと思われるかもしれません。しかし実は案自体も結構紆余曲折があるんですね。それを去年、改めて引っ張り出して学会で発表しました。最初のうちは、我々もかなり派手なことを考えていました。2005年の案では、中校舎に吹き抜けをつくってメディアセンターにしようと考えているんです。西側に増築というのは最初から何となくありました。しかし普通教室とは思ってなくて、地域のためのボラティアセンターです。普通教室は東校舎のままが良いと思っていたわけです。
(図95)
2006年になりますと、もっと派手になっていて、東西両方に増築しています。職員室棟を東の端にわざわざつくっているんです。それはなぜかというと、東校舎を普通教室のまま使おうとしていたので、職員室が近いほうがいいだろうという考えです。今思うと恥ずかしいぐらい派手な案です。
(図96)
そのうち地元の方のご意見がわかってきて、普通教室が東校舎のままなのは嫌だと言われたので、それを特別教室にして、西側に普通教室棟をつくろうということに2006年になりました。それでもまだかなり派手な形をしています。
(図97)
その後さらに調整し、最終案になりました。できてしまうとよくわかりますが、途中案のどれかにしていたら、とても重要文化財に認定されなかったと思います。
(図98) 
東校舎、中校舎、新西校舎という3つの建物の意味を整理してみると、全部を新築した場合との一番の違いは、日土小学校には時間性が複数あるということだなと思い至りました。東校舎は原則もとに戻して、新しい用途をちょっとだけ足していますから、「過去」が非常に多くて、ちょっとだけ「現在」がある。中校舎はかなり手を入れて、地元の皆さんのご希望に一番忠実にしていますので、「現在」も非常に多いけど、少し「過去」がまざっている。新西校舎のほうは「未来」です。でも、デザイン的に継承するものはしているので、「過去」も少しある。
言葉のあやかもしれませんが、全体として複数の時制が共存していて、日土小学校の中を歩いていると、タイムトンネルの中を行ったり来たりしているような感じがする。それは記憶の継承装置と言ってもいい。
(図99)
やり終わってみた実感としては、保存運動を勝ち取ったというよりも、面白い建物を設計したという思いが僕らの中に強く残っています。
つまり松村さんがつくった既存部があって、それを最新のものにリノベーションせよという設計課題を与えられ、文化性も考慮しながら設計したという感覚ですね。
これもややレトリックが過ぎるかもしれませんが、手がかりが既にありますので、作為性のようなものを排除する形で何かデザインができないかというようなことも考えていたような気がします。有名建築家が作品性を重視して行う設計とは少し違うことができたのではないかと思っています。
これは余計なことですが、もし、松村さん本人が生きていたら、松村さんにこの仕事がいったかもしれません。もし我々がやるとしても、彼のことがすごく気になったと思うんです。つまり保存・再生という仕事はもとの設計者がやればいいというものではなく、非常に知的な作業であり、いろいろ考える、余地のある作業なので、別の手が入ったほうが面白い結果を生むのではないかと思った次第です。

 (図100)
結局、保存再生とは何をする作業なのか、何をどう残すのか、残すと言ったときにその根拠は何かといった問題はかなりの難問です。しかし建築のことを考える上では、非常に知的でエレガントな演習問題だろうと思っています。そのための手がかりを専門家もいろいろ考えていまして、よく言われるのはオーセンティシティという概念です。日本語にしにくいですが、真正性、正しさなどと訳されています。いろんなエレメントに関して、オーセンティックかどうかをチェックする。例えば形態はオーセンティックか、もとの形と同じか、材料はどうか、用途はどうか、技術はどうか。最近は、インテグリティという指標も出てきて、原設計の価値を一体的に継承しているかどうかみたいなことも問われています。
ただ、物理や数学とは違うので、定義やはっきりした概念はありません。それぞれの具体的な事例の中で、「こういうことを手がかりにした」と説明できることが重要だと思うんです。こういう理由でここは変えたという説明がどこまでできるかということをそれぞれの設計者がちゃんと考えていけばいい。そういうことを考える作業は、自分の個性を出そうという設計行為とは全く別の面白さをもっていると思います。
人間でも臓器を少しずつ入れかえていくと、どこかの段階でもとの人間とは言えなくなる瞬間があるはずです。自動車をカスタマイズしていくと、どこかでもとの車と違うものになる。建築の保存再生にもそれと全く同じ哲学的な問題が隠れています。そういうことを考えるのはとてもおもしろいと思います。
(図101)
最後に私の暮らす神戸の写真です。阪神大震災で被災した三宮の阪急の駅を解体しているところです。アーチの中に電車が入っていって、とてもいい建物でしたが、残念ながら壊されました。日本人的な感性ということでしょうか、「形あるものはどうせ消えていく。でも、記憶は残る」、という言い方がある。しかし少なくことも僕らが暮らす街や村や建物に関しては、形あるものが消えたら記憶は消えるというふうに言うべきでしょう。日常の経験でありますよね。朝出社するときに、道を歩いていて、空き地があって、「えっ」と思って、きのうまで何が建っていたか全く思い出せない。建物と一緒に記憶も消えてしまいます。三宮の駅も、解体しているときに神戸の人たちがズラーッと並んで見ていました。あの中に映画館があって、神戸の人たちにとっては青春の思い出がいっぱい詰まっていた場所なんです。村上春樹や映画監督の大森一樹も書いています。自分の記憶が消えていく、過去が消えていくということを感じながら、皆さん、見ていたのではないかなと思います。
ワールド・モニュメント財団から賞をもらったときのスピーチの中で、我々のメンバーの1人が「改めてこうやって人様から褒めてもらうと、日土小学校を保存して再生することによって、日土小学校ができてから今までの50年間を学校で過ごした子ども、先生、PTA、家族の記憶を守ることができたんだなとしみじみ思う」とスピーチしました。そういうことだったんだなと私も改めて思った次第です。

 今日は、最前線の現代建築をつくっておられる方も多いと思いますが、古い建物のリノベーションの仕事も増えていく時代ですので、過去をどうやって継承していくかということを少しお考えいただいて、新しいものをつくっていっていただいたらと思う次第です。どうもありがとうございました。(拍手)

 

 

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