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フリーディスカッション

 先生、ありがとうございました。3月11日の震災以来、本当に復旧がままならない暗い毎日でございましたけれども、今日の先生のお話を伺って、世界の中での日本、東アジアの中での日本の発展の中で、東北が何か一翼を担えるのではないかというとても夢のあるお話を伺いまして、明るい気持ちになりました。
皆様の中で、先生にご質問のある方、お手をお挙げください。

赤松(市民情報+α編集委員会) 1点確認をさせていただきたいことと、1点お尋ねをさせていただきます。確認をさせていただきたいことは、一番最後のところで、お金の流れのお話がございました。今までの公共投資ですと、財投がかなり大きなウエートを占めていたわけです。財投は当然官僚の手を経て行われるお金の流れだったわけです。それに対して直接的なコントロールの効く、より見える、よりハンドリングのしやすい資金の流れに変えるという考え方でよろしいのかということを確認させていただきたい。

小林 そのつもりです。

赤松(市民情報+α編集委員会) もう1つのお尋ねは、大学の第二の死というお話です。これについては、先般出ております吉見俊哉先生の著書の中でも大分出てくることだと思います。東北の話と結びつけたときに、演習の地としての東北と座学という組み合わせによる高等教育の新しい姿というのが先生の1つの改革の方向性を示しておられると思います。さらにそれを深めて考えたときに、大きく3つぐらいの要素があるのかなという気がしています。 1つは、学位のあり方、これは今の閉じた学位から開かれた学位の形への展開があるのかなという気がしています。 それから、これも先般著書が出ておりますけれども、いわゆるアカデミック・キャピタリズムの問題。大学の機能の問題です。大学を取り巻く状況として大学の研究機能、そして公的な研究機関、企業の研究機能、それらがどういう関係であるのがいいのか。
最後、もう1つは、知のあり方としての印刷革命に続く玉石混淆のネットのあり方が、きちんとした、よりシステマティックな組織化された状態に変わっていくのか。
このような3つぐらいのことを踏まえて、大学のその次のあり方を考える必要があるのかと私は思っているところがあります。この辺についてご示唆をいただければありがたいと思います。よろしくお願いします。

小林 今3つお考えをいただきました。一番最後にお話しになったことは、日本だけではなかなか議論ができない。情報というのは世界同時に共有されますし、発信する側が発信をいかにコントロールするかという話ではなくて、受信者の問題だと思うんです。先ほどリベラルな知というお話を申し上げましたが、それを理解する能力あるいは編集する能力をどういうふうに持つのかということを若い世代に、それから、社会の中に定着させていくかということが問題だろう。それがなされていないところに問題があるだろうと思います。
それから、2番目の話は、もう既に大学の研究能力、実際の実験室等々を通した特に工学、物理等々での実験能力は民間に僕は負けていると思います。それは日本だけという意味ではなくて、世界中をそうです。その中で、大学の中にいる人間が、インスティチュート、コンソーシアムの中で振る舞うことができるのかという状態をつくり出さなければいけない。そのためには国際のネットワークの中にいかに日本の大学人が入っていくかということが僕は宿題なんだろうと思います。
かなり古い本になりますが、アメリカのあるジャーナリストの書いた本に、日本の大学は開いたようなことをいっているけれども、基本的に知の鎖国をしている。その先兵は大学とジャーナリズムである。そこを解体しないと日本の知、インテリジェンスのレベルが上がっていかない。それが今お問い合わせになった研究で世界を引っ張っていけるような成果、あるいはロードマップを描けるかということにつながるのではないかと思います。
それから、大学の死というのは昔からいわれていることで、今ほぼ大学全入時代と申し上げましたが、アメリカも日本より前にそういう状態になりました。僕は文科省の高等教育局ともおつき合いしているんですが、そうしたときに、大学が社会に貢献するという項目を1つ入れることがやっとできたというのが日本のレベルです。アメリカの連中にいわせると、日本の大学は全部は死なないかもしれないけど、幾つか死んだほうがいい。そういうドラスティックなことをやったほうがいい。それをとめているのが文科省ではないかという話をするわけです。例えば、こういう話があります。大学が今法人化して、国の管理とは関係なくなっているわけですが、そのときに東京大学が、定員を倍にするという試案を出したことがある。東京大学が定員を倍にするとつぶれる大学がバタバタと出る。そういうシミュレーションを実はやっているんです。ところが、そういうドラスティックなことは社会に出さないわけです。結局そこまでドラスティックにはしませんが、東大は今度9月入学をやり始めます。9月入学をやり始めるということは日本の企業のスタンダードではない人材を育成するという話になる。例えば中国は1年間に900万人の学生が大学受験をするんです。1回しかない。その成績によって全部行く大学が決まる。そうすると不満足な学生は全部海外に出る。優秀な人間もたくさんその中には含まれています。そういう人間を囲い込む可能性が十分あるわけです。それがアジア中行われている。そうしたときに、アメリカの連中は、一回大学は死んでしまったほうがいい。日本の大学のかなりの部分は死んでしまったほうがいい。そうすると、初めて企業がどういう人材をどういうふうに育てているかということがわかるだろうという話で、これは十何年前から議論されていることです。
余り答えになりませんが、第二の死をカンフル注射で生き延びらせるよりも、早目に足を引っ張って殺せとはいいませんが、自然死の状態に持っていったほうが遠い先の日本を考えたら僕はいいのではないかと実感します。

 ほかにどなたかいらっしゃいますか。──よろしいですか。
それでは、先生どうもありがとうございました。今日の素晴らしいご講演に盛大な拍手をお願いしたいと思います。(拍手)
以上をもちまして本日のフォーラムを終了させていただきます。 

 (了)

 

 

 

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