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それを強く感じるのは、地域の被災した方たちと話をすると、復旧・復興どっちでもいい。一番欲しいのは、自分たちが生きていくという実感と町の活力で、町の形をつくり直してほしいということではないんだというわけです。町の活力をどういうふうにするのかというのは、物理的なものだけではできない。地域の持っているしなやかさ、地域の隠れている経済力をなるべく早く表に出すようにしなければいけないだろうと思います。
皆さん穏やかでにこにこしながら話はしていただけますが、生活も、自分たちの人生観、将来にわたっての夢、生きていく生きがい、そういうのを含めて、僕はかなり瀕死の状態だと感じるわけです。
私がよく行って話をする先ほどの岩手のまとめ役をやっている方は30半ばぐらいです。奥さんと子どもさん2人を亡くしている。彼の人生は、僕には非常に悲惨に思えるんですが、岩手のために何とかしなければいけない、岩手の人の幸せな暮らしを再生したい、そこだけなんです。その思いが、今、国、県が考えている復興計画、その計画の進め方、内容等々に反映されているかということに対しては、「そうだね、されていますね」とはなかなか言えないことを実感します。
先ほどの71億円の復旧の手法を突き詰めていくと、人口減少が顕著に進む可能性が高いところにピカピカのインフラ、施設ができても、ゴーストタウンになる可能性もないわけでもない。ここをよく考えながら、私たちが地域の方と連携しながら動くことが必要だと思います。
(図23)
地域力を担保するためには、これからのいい意味での防災、減災のインフラ整備に対して、着実に少しずつ整備をする。そのインフラというのは道路や下水ばかりでなく、例えば漁村のことを考えると、実は製氷工場ができたのがつい半月ぐらい前です。漁村、漁港を成立させるためには、冷凍工場と製氷工場がなければだめなわけです。それがあの地域社会のインフラなわけです。そこに対しての投資が、したい人たちがたくさんいったんだけど、できない状態だったんです。そういうインフラ整備の投資を迅速にやらなければいけないと思います。
(図24)
地域の力を信じて、地域の強靱な力を生かし得るような、いい意味での防災のシステム、減災の体制をつくるということは、将来起こることが確実である東海・東南海・南海の地域をどういうふうにして復旧・復興していくのかというときのモデルづくりでもあるわけです。
冒頭で申し上げましたが、東北の復興に関しては、兵庫県が中心となっている関西の連合が支援してくれました。それでは、東海・東南海・南海が連続的あるいは同時的に起こったときに、地域力をサポートするシステムが、東北の復興を通しながら日本につくれるか。ここはきちんと考えておかなくてはいけない。そこの部分も忘れないで、東北の復興のことを考えなくてはいけないだろうと思います。ですから、被災した地域をどういうふうに復元するかというところで話がとまっていますが、その先のことを考えて、日本をどうするかということを同時に考える、もう1つの脳を動かさなければいけないだろうと思います。

 

3.歴史を動かした鍵「世界中心都市」

(図25)
さて、話は変わります。今みたいなことを考えるヒントを与えてくれるので、世界の中心都市を、13世紀、資本主義が世界の中に誕生してからの動きを簡単に見てみたいと思います。
(図26)
(図27) 
幾つかの地域の結びつき、あるいは地域の力を支えるために世界の中心都市というのがあります。
(図28)
資本主義が動き始めて一番最初にできた中心都市はベルギーのブルージュです。次はヴェネチア、アントワープ、ジェノヴアです。それから、アムステルダム。おわかりのように、決して大きな町ではないんです。それから、ロンドン。初めて北米に行って、ボストン、ニューヨーク、ロス。なりつつあったといったほうがいいのは東京と上海。
この中心都市を支えてきたもの、すなわち経済的にその中心都市が役割を振る舞うことができる大量消費財をどういうものでつくり上げたかということ。それを支える技術が何だったのか。技術の革命と、それによって生み出された大量消費財、これをうまく手玉にとった、利用したおかげで、世界の中心都市として振る舞うことができたわけです。
これからも、都市は経済原則を背景にした資本主義の中で動いていくだろう。あと、もう1つ、その国、地域が、どれだけ民主制度が普及しているかということとも関係するわけです。そうなってくると、周辺の地域、周辺の都市からどれだけ人が集まってきて、資本が集積して、後背地のマーケットとやりとりするか。こういう構造は続くであろうと考えます。この中身はまた後でお話しします。
(図29) 
資本主義が動き出したときに何故ブルージュが中心都市になったか。その頃モンゴルが実は大きな勢力を持っていたわけです。モンゴルといかにうまい関係をつくりながら、向こうから物品、特に農産物を、持ってこれるか。そこが非常に大きな意味を持っています。今ブルージュに行くと、町中運河です。つまり海運を支えてきたインフラ投資がブルージュで行われていたわけです。
(図30) 
次はヴェネチアです。ヴェネチアの時代も、同じように中国の明が非常に大きな力を持っていました。そこと、ヨーロッパに近いアフリカの沿岸地域の農作物、鉱物をいかにつなぎとめながら振る舞ったか。それがヴェネチアです。
(図31)
次はアントワープです。ちょうどこのころ印刷技術の革命がありました。印刷技術で書き物がたくさん世の中に出回るようになった。つまり、今でいう資材ではなくて、知財です。大学の先生ではなく、民間の思想家あるいは賢者、そういう人たちが自分たちの考えを展開するための場所としてアントワープが大きな役割を果たした。これを支えたのが印刷技術というテクノロジーです。
(図32)
次がジェノヴアです。今までのことを背景にしながら、ジェノヴアは海運の造船の拠点でもありますけれども、投機をするマーケットがジェノヴアで生まれたわけです。お金と金銀がそこに集まるようになった。為替という概念もこの辺でスタートしました。
(図33)
それから、アムステルダム。今まであったすべてのものを船という造船技術で集約する試みをやったのがアムステルダムです。アムステルダムが一躍拠点になりました。

 

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