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地域産業が壊滅的に被災しました。最初は水がなかったり、食べるものがなかったりしましたが、一番最初にそれを復旧させたのは流通のあるコンビニです。そういうふうに地域間の動きをサプライする民の力が、既存の破壊された道路を使いながらやり始めた。それを支援するように、後追い的に、道路や鉄道が比較的短い時間の中で復旧しました。
基幹産業、特に漁業はその動きが顕著だと思います。この間岩手の比較的南のほうの山田町に行きました。あそこは漁業といっても養殖漁業です。養殖漁業に対して補助金がどこから出ているわけでもないんですが、いかだがもう浮かんでいて、養殖の種をまき始めていました。特に岩手県は、宮城と違って、県が各自治体にこういうことをやるなとは余り強くいってないんです。ですので、徐々に生業が動き始めています。
もう1つ、これはどういうふうに対応すればいいのかなかなか難しいところですが、つい2~3日前の経済誌を見ていたら、アジアの経済が減速し始めている。中国あるいはシンガポール、マレーシアも含めて、GDPの伸び率が下がっている。そういう話が特集で組まれていました。それは国際的なサプライチェーン、つまり中通り側に、自動車の例えばブレーキや細かいパーツをアジアの工場に供給する非常に重要な工場がたくさんありました。それが動いてない。アジアの経済が減速している原因にもなっている。これをどうすればいいのかというのが非常に大きい問題です。日本の問題というよりも、経済の活性化をしなければいけないと考えている世界の投資家の人たちがの問題です。投資家たちがどこにサプライの場所を持ってどういうサプライチェーンをつくるかということを今考えているわけです。そういう世界の大きな動きがある。それを特に宮城がそうですが、とにかく今は何もするな、するなといっている状況は一体どういうことなのかなというのも考えなければいけないだろう。
それから、地域の縁が薄くなって、今までのように仲よく頑張っていこうねという合い言葉ではいかなくなっています。ところが、お互い助け合って、この地域を大事にしたいという思いを持っているお年寄り、30代、40代の方、あるいは高校生、自分たちはここの地域で生まれて、ここで育って、ここで死ぬんだと考えている人たちは確実にいるわけです。絶対的に地域を信頼して、地域とかかわっていこうという人です。僕はアンパンマン的な正義感だと思うんですが、それを救ってあげなければいけないだろうと思います。それをどうやってつなぎとめていくのかということがフィジカルなこと以外に大事になってきていると思います。
今、社会福祉系の人たちと、NPOのグループもいますし、そうじゃない人たちもいますが、社会のコミュニティを復旧するプログラムがやっとこの3週間ぐらい前に動き始めました。例えば大船渡で仮設住宅に入っている方で、非常に生活しづらい、コミュニティが破壊してしまったと感じている人がたくさんいるわけです。ほとんどそうです。その人たちの問題を解いてあげることができない。それをNPOの人たちが実際やり始めました。多分、岩手、宮城にも、そういう動きが進行していくと思います。
4番目、被災の様相は地域ごとに異なりますよというお話を申し上げましたが、きめ細かな住民の動き、あるいは気持ちに対応しながら将来を考えていくことをしなければいけないと思っている、これもアンパンマン的な意識を持っている方が日本にはたくさんいます。そういう人たちが地域に入り込んでいっています。
ところが、答えを出せないんです。案はつくることができるけれども、案を地域の答えとして、地域の答えが実際に事業化されていくという筋立てが今なかなかできない。アンパンマン的な正義をどういうふうにして社会の答えにするのか。これは国あるいは県、それ以外の賢者、もしかすると民間の企業になるかもしれませんが、そこが重要になってくるのではないかなと思います。
実際に、大学の先生たち、学生、建築家、プランナーの人たちが地域に入っていっています。ところが、個別の町の名前をいうのは余りよろしくないので申し上げませんが、たくさんの方が入ってきて、それぞれグループをつくるわけです。そうすると、Aという町では3つぐらいのグループに分かれて、やり方、方法が違うといって答えを出せない状態になっている。みんなアンパンマンが集まってやっている。これは早急に決断する勇気を持っている方が地域に入っていく必要があるだろうと思います。
5番目、財政危機。復興債をやるかやらないか、まだ答えを出せない状況です。ところが、先ほど申し上げましたように、かなり早い時期に財務省は、復興予算総額25兆円と言ってしまったわけです。積み上げでも何でもない。財務省がそういったということは多分25兆円出ないというのが日本の政治構造だと思います。
ところが、ある方の試算では、福島県の原発の問題を解決するためには、毎年1兆円かかる。仮に10年である目標にいったとしても10兆円かかるわけです。汚染を除去するということがあと20年、30年経つと、1兆円掛ける20年とか15年。そうするとその実行予算と25兆円とにずれがある。それを誰が解決するのか。ここも非常に大きな問題だと思います。
(図20)
(図21)
我々のグループの宣伝ぽくなりますが、政府にかわる大きな民の力といいますか、別に政府に取ってかわるとか乗っ取るという意味ではなくて、補完するような役割を持つところをつくるべきだということで、今岩手の北上市に1つ、そういう拠点をつくりました。それから、宮城にもできつつあります。福島はちょっとと遅れると思います。そこに全国の人たちの知恵、あるいは地域の人たちの考え方を集約させて、県、被災地の自治体、国と議論しながら答えを出していく地域支援の体制が少しずつでき始めています。これは都市計画や建築など我々の領域に近いグループが主にかかわっていますが、そうではない社会福祉系、医療系の人たちもほぼ同じような体制をつくり始めています。我々は岩手を支援する拠点を北上につくりましたが、医療福祉系の人たちは遠野にその拠点をつくっています。県に取ってかわるような大きな民の力が徐々に地域の動きをサポートし始めています。
(図22)
もう1つ、今の話に結びつけて考えなければいけないのは、技術の力か、地域の力かということがございます。今までは、すべての日本の技術者の知恵を集めて技術力で日本の国土あるいは都市、地域の防災を進めてくるという前提でやっていたわけです。ところが、守り切れなかったところがたくさんあるわけです。あるいは判断が不十分だったところがたくさんある。それにかわって最近「減災」という言い方をしていますが、守り切れるところをはっきりさせて、それ以外は地域で、住民で、社会で判断すべきだ。そういうことを減災と言っている方が多い。それが本当に正しいかどうか。つまり、防災を固守すべきだと私は申し上げているわけではなくて、減災といったときに、それなら、地域で守るべき優先順位は誰が決めるのか。もし何か起こったときに、早期に復旧しなければいけないことの順番をどうやって決めていくのかというのが今の減災の議論の中ではないわけです。ですから、守れるところだけ守りましょうという話ではなくて、優先順位や早期に復旧していくプログラムを明快にしながら、減災という言葉を使わなければいけないのではないかなと最近痛感します。
もう1つ、その時に同時に考えなければいけないのは、減災が今いったような意味で使われるようになったとしても、地域のしなやかさ、地域の力をどういうふうに維持していったり、いつも表に出せるようにしていくのかということを考えなくてはいけないと思います。

 

 

 

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