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(図25)
もっとすごいんです。15歳から64歳までの人間が65歳以上の年寄りを扶養するのは、どれくらいかというと、昔は0.1だった。2005年になると0.3になった。3人に1人の年寄り。40年先の2050年には0.8。若者1.2人に年寄り1人が乗っかっちゃうというんです。今でも、0.3です。15歳から64歳の3人に対して、65歳以上の年寄りが1人乗っかっている。その人たちにお金をやったり、食事をさせたり、住宅を与えたりして、安心して死ねるように仕組まなければいけないというのが15歳から64歳の日本人の仕事なんです。
ここにこうも書いてある。「老年従属指数を見ると、1970年頃までは一貫して0.1程度で推移してきたが、以後2050年頃までの間に0.8程度にまで上昇を続け、以後横ばいとなる」。今は0.3。しかし、75歳以上人口を15歳から74歳で割る。僕は80ですけど、75まで働きました。元気でした。頭もあった。足も強かった。駆けっこしても負けなかった。75歳までの比を見ると、この推移は0.8から0.4まで下がるというんです。0.4というのは、あと5~6年先です。80歳以上にすると、0.3まで下がる。これはちょっと無理だと思う。0.3というのは1990年まで下がる。僕は今80ですが、やはり無理ですよ。だけど、75までは大丈夫。こんなところにいてこんな話を聞くより、75以下の人は外に出て、カネ儲けしているほうが日本国家のためにどれだけいいかわからない。これは深刻な話です。これが中間とりまとめに書いてある。これを僕は大々的に話そうと思っています。
65歳以上75歳までの人は、年金プラス月額10万円稼げば国にも家族も迷惑をかけないで生きられる。10万円というと、65から75まで選択のやり方は幾らでもあります。ごみ車の後ろに乗っかって3時間やれば、軽く月10万円。あれは、隠れた人気職業であって、大っぴらに募集してないんです。隠れた世界の中で、ごみ収集車の後ろのやつはうまい儲けをやっているはずです。なかなか一般には広がらないんです。だけど、ほかに幾らでもありますよ。65から75までの人がちゃんと働けば日本は救われると川上審議官は書いたんです。これは国家のステートメントとしては物すごく大きいステートメントです。こういうことを国家計画、国土計画で書くべきです。国土計画では、65歳から75歳の人間が、全国北海道から九州までどのくらいいて、どういう職業が向いているかというところまでくっつければ完璧な国土計画です。これをぜひ紹介したい。
(図13)
中間とりまとめは非常におもしろいんです。人がいなくなるという話です。2050年までに田舎はますます田舎に
なって人がいなくなる。まじめに国土政策局の若いやつらが勘定したんです。1平方キロメートルメッシュなので
粗っぽいんですが、1平方キロメートルメッシュに1人いるかいないかが判断の分かれ目です。いなくなれば無可住地です。居住、無居住の別は1平方キロメートルに1人いるかいないかで判断して、全国を分類しました。「2050年までに、現在、人が居住している地域のうち約2割の地域が無居住化する」。無居住とここに書いてあるのは、もともと人の住んでいない山あるいは大きい水田地域。白っぽいところは、人がもともと住んでいないんです。緑になっているところは、人が住まないところが増えるということです。山でもともと人が住んでいないところが、2005年の統計では全国土36万平方キロのうちの半分です。山や水田、池、沼です。残りの半分は人が住んでいるところ。そのうちの2割の面積に人がいなくなりますから、全国平均では5割の無居住地が6割になる。1平方キロ1人住んでいるところがいなくなると、居住地域の2割が20年の間に人がいなくなるということです。
どこからいなくなるのか。緑は、北海道と中国の山奥。この2つは性格が違う。中国の山奥は昔から人が住んでいた。三次の奥のたたら鉄なんて有名です。たたら鉄の刀をつくるためにここに住んでいた人たちは中国の山の松を徹底的に切ってしまったんです。日本列島というのは昔から緑茂る島ではなかったんです。ここに住んでいる日本人が生きるために山の松や杉を切ったりして、まきにしたり家を建てたりしたから、丸っぱげになってそれでずっときたんです。それが戦後ようやく日本の潜在植生を支える森林ができた。あれは昔からではないんです。
僕がこんなことを言うのは、農学部の林学科の学生だったからです。30年に名古屋の瀬戸の演習林に行きました。土木屋と同じでトランジットの測量をやった。そのときの場所が愛知博の敷地になっています。粘土のカチカチに固まったところで、松がひねこびてへばりついているだけ、そういうところでした。それが今ずっと立派な山になっています。
そういうところが中国地方にあったんです。長いことみんなが住んでいる、こういうひだの細かいところです。山の手入れもしなければいけない、ひだが細かくて畑もできない。昔はいい家をつくったけど、気がついたらこの辺の人も広島や岡山に簡単に行ってしまいます。だから、人がいなくなるんです。立派な家と石垣は残った。山はみごとだけど、だめになった。亀井静の選挙区はちょうどこの辺です。僕のもともとの先祖は三次なんです。あの辺が昔どうだったかよく知っている。ここは自然に死に絶えていきます。
北海道はそうではありません。こんなところにいられるかと逃げ出した。北海道の開発はせいぜい140~150年です。先程言ったように、根釧原野なんて苦い目に遭っています。こういうところで比較的新しく入植した人は、中国・四国にいる人よりも先を見る目が早いんです。ここにいても仕事はできないから札幌に行け、東京へ行けと、逃げが早い。中国・四国はジワジワと死んでいく。そういう違いがあります。
問題は、無居住化した後一体どうするのかということです。これは国土形成計画に書いてない。長期計画の見直しには、人が減るとは書いてあるけど、次どうするかという計画が書いてないんです。まさにこういうところの土地利用をどうしたらいいかということを議論するのが国土計画のやるべきことです。先程(a)(b)(c)と言った。道路や河川やダムに公共事業費を投入するのは立派な国土計画です。佐久間ダムや黒四つくれ、第二東名をもっと延ばせというのも国土計画ですね。ですが、そんなことはできない。5兆円しか公共事業はない。新しい公共といったって、これはやれるようでやれないような、わかったようでわからないようなものなんです。そうすると、土地利用の変化に対して、ある一定の方向性を与えるのはまさに国土計画の真髄ではないかと思うんです。それに対して何か答えを出さなければいけない。
2050年までに広域ブロック別無居住化割合で、現在、人が居住している地域のうち無居住化する地域の割合は、北海道は半分はいなくなる。いなくなるのは帯広、根釧原野、網走から稚内の、例の偉大なる幹事長の選挙区のところです。夕張の炭鉱のところです。帯広は優良な酪農地帯で農村地帯ですから、人がいなくなればなるほど非常に資本集積の高い農業経営が絶対に成り立つんです。だから、ここは心配する必要はない。網走の後ろの広大な平野も同じです。農業経営が成り立つ。しかし、網走と稚内の間の北見・紋別、枝幸、こういうところは全部人がいなくなる。こういうところをどうするんだという話が残ります。

(図29)
我が国の電源別発電所立地状況。3・11の前に、「災害に強い国土づくりへの提言」のところにデータが出ました。東北で原子力。これは東京電力が福島立地をやったからです。近畿は何もないけど、北陸に関電がやった。中・四国は自前です。中国・四国は、先ほど言ったようにほとんど人がいなくなるでしょう。


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