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寺田 気持ちよくできちゃう。
三沢 気持ちよくできるんですが、そうなったら、のみ跡が細かくなって、表面は滑らかになるんだけれども、作品が動かないというか、リズム感がなくなるんです。そうなったときに、またもとに戻したり。そういうところに常に神経を注いでいる。
寺田 絵描きさんが、神がおりたとか、筆が自然に走ったみたいなことをよく言う。でも、そういうことは、今のお話だと、三沢さんの場合はマイナスになったりする。余り気持ちがいいのも良くないときがあるんですね。
三沢 平面の作品とは、時間のかかり方が表面積が大きい分違います。360度、上も下も全部成立さなければだめなので、位置を見て回っていくと、スケールに関係なく、置き物みたいになってしまいます。神がおりてきたというようなフッと来る瞬間は、それはそれであるんですが、僕の場合は、うまくいかないときがずっと長くて、自分なりに真摯な姿勢で粘り抜いたときに来ます。うまくいっているときは逆に危険です。作品が動いてくれない。
寺田 流れちゃう。
三沢 やはりイレギュラーな事故みたいなもので、「あれっ、うまくいかないな」というときのほうが、結果的に潔くなります。
寺田 彫刻というのは、油と違って重ねられないじゃないですか。のみで一回そいでしまうと、そこのところは「あっ」というのがありそうですね。
三沢 全体的に細くしていかなければだめですね。
寺田 そうすると、やればやるほど小さくなっていくということもあり得る?
三沢 あります。このぐらいのイヌをつくっていたのが、最終的に胴を短くしたり、足を短くして、このぐらいになったことがありますから。
寺田 それはやはり、空間をつくっていくということにもなってくるのかな。
三沢 そうですね。バランスを見ていったり、いろんなことを考えていくと、破綻みたいなものがあって、それに対してどう対処していくか。サイズ的には小さくなったけれども、そこを踏まえて進化していく。
寺田 具体的な大きい、小さいではない。簡単に言うと、魂が入って生きているかどうかということの大きさだね。
三沢 僕がいつもいい作品だなと思ってゲージにしているのは、まず抜けがいいということと、フレッシュであること。そういう雰囲気が出たときは多分いい作品だと思う。
寺田 それは彫刻に限らず全ての芸術分野というか、物をつくる仕事は同じなんでしょうね。
三沢 うまくいっていて、なれているときが一番怖い。
寺田 なれているときというのは、役者もそうだけど、自分に酔うんだよね。客はちっとも酔わないんだけど、自分だけが酔って、その気になっちゃうということがしばしばありますね。
三沢 寺田さんは舞台に出て、限られたフレーミング、限られた時間の中で演じられるわけですが、やはりアクシデントは練習やトレーニングで回避したいですよね。
寺田 舞台の場合は稽古期間が必ずありますから、稽古を積み重ねていくことによって、アクシデントがあっても、そう変わらない。逆に言うと、映像は撮り直しができるけれども、そのほうがアクシデントは起きやすいですよ。
三沢 百戦錬磨とよくいいますが、どういう状況が訪れてもちゃんと立て直しができるんですよね。
寺田 そこまでに稽古でその役をつかんでいるか、つかんでないかが、立て直せるか直せないかになるのではないか。
寺田 さあ、バクはどの辺までいきますか。
三沢 バクはまだ完成していない。下塗りをしています。油絵の具は木にすごく吸われて、乾きがすごく遅いので、ファンデーションとして、下は水性の塗料を使う。アクリル系なんですが、しっかり下地をつくっておいて、その下地の色味が回る。これは黒を最後に塗っていますが、黒と紫の相性がすごくいいんです。黒だけ塗っていても黒に感じられない。ちょっと赤みを入れることによって、より深い黒になる。

寺田 全然話は違いますが、昔の黒澤映画で、もちろんモノクロームの白黒映画なのですが、例えば雨を降らせるときに雨に墨汁を入れたり、そこに赤を入れたりしていました。そういうことは、白黒だから本当はわからないはずなんだけれども、黒が微妙に違う。それがある種、黒を感じさせる1つの技法である。映画の話でいうと、カラーになってから映画の雨がつまらなくなったと世界中で言われるんです。つまり、モノクロのときは、特に黒澤映画なんかそうですが、雨は物すごい1つの象徴的なものとして扱われていました。「羅生門」でもそうです。後に、カラーになってからは、雨は余り意味を持たない。カラーで雨を表現しようとすると難しい。ライティングでいろいろやるのですが、実際の雨に赤とか黒を入れるわけにいかない。そんなこともあるから、この黒の話はすごくわかります。
三沢 例えば雨の話になると、透き通ったというか透過性のある雨は本物ですよね。間違いではないですよね。ところが、本物のリアリズムと人が感じるリアリティーは若干差異が出てきますよね。だから、そういう再現性のリアリズムというかリアリティーが人の感じるリアルで、そういうことをやはりきっちり認識してやられているんですね。

寺田 リアリズムやナチュラリズムとか、いろいろ言葉はあるけれども、普通にあることを普通にやったっておもしろくなくて、表現というものはある1つの過程を経て、つくる者や演じる者という人間を通して違うものが出てこないとつまらない。そこでリアリズムになったり、何とかリズムになるのではないかなと。先ほどの雨の話ではないけれども、普通の雨よりも黒を入れていれば、それはリアリズムを超えた技法ですね。
 これでほぼ完成。
三沢 目を入れて。
寺田 この目が色が変わってきた。これは途中で変えたの?
三沢 これは黒にしようかなと思ったんです。本物の色は黒に近いんですが、黒の瞳の部分はもっと大きいんです。生きている動物は目の質感が違うじゃないですか。でも、僕は木彫に油絵の具を塗っているので、質感は変わらないんです。質感を少し変えることによって、僕なりのリアリティーが出せるかなと思って、こういうブルーにしています。ハーフトーンをつくりたいんですね。黒を入れてしまうと色が飛び過ぎてハレーションを起こしてしまいます。そうしたほうが目の差別化になる。動物でも人間でもそうですけが、目だけは明らかに質感が違いますよね。口の粘膜ともちょっと違う。いつもぬれている。それは圧倒的に質感が違うので、そこを色と抒情的に自分で調整したんです。
寺田 僕は、三沢さんの作品を見て、シロクマもそうだし、ウサギもネコも、この目はどこを見ているのかといつも疑問に思う。このシロクマと目線を合わせようとすると、これは大きいから余計そうなのかもしれないけれども、合わせにくいというか、むしろ目線を合わせることを動物自体が拒否しているのではないかなという気がします。それは何か意図的なものがあるんですか。

 

 

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