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三沢 僕も余りそういうふうに意識的にはやってないんですが、いろんなことを感じられるような顔立ちになるように、そういうことをずっと考えていたんです。目を合わせたり、顔の表情も威嚇しているような表情であったりぼやっとしている表情だと、その場面、そのシーンで完結してしまう。そういうことを説明するためにはわかりやすいことなんですが、飽きないんですよね。何を考えているかわからないというか、どうにでもとれるじゃないですか。僕の展覧会を見に来た子どもで、怖いと言って泣く人が多いんです。何で泣くのかなと思ったら、目線の高さが違う。下から見ると怒っているみたいに見えるんです。上から見ると笑っているように見える。日本の能面がそういうしつらえになっています。演者の所作や面の角度で、悲しんでいるようにも見えるし、ちょっと怒っているようにも見えるし、平静な顔立ちにも見える。それを思ったとき、日本の美意識はすごいところまでいっていたんだなと感じました。西洋は喜怒哀楽を出しますよね。そう思ったときに、僕もちょっとそういう日本の美意識がわかったかなと思いました。
寺田 これは実際に彫刻されたものですね。人によっては模型までつくる人もいらっしゃるけれども、あなたの場合はデッサンができればこのまま彫れると前にもおっしゃったことがある。そのドローイングを見ると、実は、目ははっきりと目線が見える。僕は、これを改めて見直して、ドローイングだけなのに目はきちっとこっちに問いかけるのに、実際の実物になると、どうしてああいうふうに不確かな目線になるのかなと。これはとてもおもしろいことでもあり、疑問なわけです。

三沢 やっぱり平面ではなかなか表現できないんですね。彫刻ならではの目の合わせ先がある。いろんなところから作品は見られるが、ほとんどの場合は正面から見る。目を裏から見ようという人はいませんから。
寺田 彫刻というのはスペースさえあれば360度全てから見られる。上からも下からでも。そのよさがあるし、それだけに難しいものだろうし。
このサイもすごいですね。 
こうやって2000年ごろからということは13年ぐらい前から動物ということになりますね。
三沢 展覧会をやったのが2000年なので、厳密に言うと98年ぐらいから木彫で動物をつくり出したんです。僕が学生のころは、美大や芸大では、コンセプチュアル・アートが全盛期でした。大学に入るまでは絵を描くのも好きだし、彫刻をつくるのも好きだし、物をつくるのが好きな子が集まってくる。でも、ファイン系(?)の絵画科や彫刻科に入ると、アカデミックな現代美術学みたいなものを学ぶんです。もちろんコンセプトは大事なんですが、振り幅が大き過ぎる。大学に入ったときはいろいろなものをつくりたいと思うんですが、現代美術学みたいなものを学ぶと、そっちに気持ちが持っていかれて、結局コンセプチュアルなものにすごく興味が出てくるんです。そうなったときに造形性のある人間や動物は、僕が学生のときは美術の外にあったわけです。木を燃やしたり穴をあけたり、石を持ってきてたたく、そういう表現は欧米で盛んでしたので、そういう作品をつくる人がいたし、「コンセプトは?」と、いつも問いかけられていたんです。僕はそのときもおかしいなと思っていたんです。今まで物をつくるのが好きな人が大学へ入って何年間でそんな考え方になるのが物すごくうそくさかった。だから、ずっと人体などの具象的なものをつくっていました。全然取りつく島がないというか、結構孤独な学生時代でした。
公募展系というのがあって、僕は公募展に出すつもりはなかったんですが、今年の公募展に出すのかとか、どこかで作品の展示会をやるのかなど、そういうことしか言われなかった。だから、発表するところもなかなかなかった。何でかな、何でかなと思いながらやっていました。長く続けていると、不思議なものでいろいろ声がかかってきたりしました。

 当時を思い出すと、動物の彫刻というのはあり得なかった。ある著名な写真家の話を聞くと、子どもと動物は当時はだめだったらしいです。そういうものは表現として雰囲気が出過ぎるのでだめだと当時は言っていました。時代の価値観というのは変なものですね。
寺田 映画や舞台、テレビなんかは特にそうなんですが、限りなく本来は自由であるはずのものが、今は限りなく不自由である。だから、絵描きもそうだし、彫刻家もそうだし、建築家もそうです。何かをやろうとする人間にとってはとても不自由な時代なのかな。余りにも制約が多過ぎる。例えばスカイツリーをつくるのだって、物理的に構造計算などは大事だろうけど、とんでもないというのは、今、世の中に受け入れられないのかな。
三沢 制約があって、ある文脈に落とし込まないと、いろんな人を説得できない。
寺田 ある意味では、昔の絵描きや彫刻家もそうだし、昔の人のほうがはるかに自由にやっていますね。
三沢 これは伊丹の旧岡田家という文化財で、展示をしたときの写真です。
寺田 僕も伊丹に行きましたが、次の間になっていて、ふすまが何層もあって、そこにこれが陳列されていると、竹林からトラが出てきたかなと思ってびっくりした。三沢さんの作品で特に思うことは、空間、陳列の仕方が、もう1つの意味を持ってくる気がする。それは自分ではかなり計算しているところがある?
三沢 空間との対決みたいなものが彫刻のスリルの中の3大要素の1つなんです。それがないと彫刻がリアルに感じられない。僕が伊丹の下見に行ったときに、伊丹の隣に文化財の旧岡田家という酒屋さんの商家がある。この畳の上にトラを置きたいと言ったら、「ここは、ちょっと文化財なんで」と言われたんですが、学芸員さんが頑張ってくれてここに置けたんです。皆さんのリアクションは、ここにトラがあったこともショックでおもしろかったけれども、日本建築のすばらしさを再認識したというものでした。グリッドがあって、畳があって、壁のしつらえとか、すごくきれいですよね。スケルトンの形がそのまま意匠になっている。トラは有機的なものであり、そういうもの以外の要素で構成されていますから、逆にその関係が増幅しているわけです。トラにとってもいい環境だし、日本建築にとっても、生きる環境である。そういうところが彫刻を通して見られるということがすごく好きです。
寺田 全国の会場で陳列されたときに、いろいろな会場でこういうトークをしましたね。いろんな美術館で違う展示の仕方、つまり空間が全部違うから、同じシロクマでもゾウでも全部表情が違う。これが三沢彫刻の一番おもしろいところかなと思いました。
三沢 自分でも不思議だなと思います。余り理由はわからないんですが、展示したことによって作品がすごく緊張している感じがする。寺田さんとトークをやるときは大体、展覧会の途中なので、なじんでいる感じがするんです。
寺田 動物が生きているから、全部自分の場所をわきまえてというか、ゆったりとそこに存在する。これはすごいですね。
三沢 だから、自分でつくったものという感じがしないんです。こいつらがここに来て、ここにおったという感じで、不思議な感じですね。
寺田 展覧会のときに僕は特に思ったけれども、夜遅くなると動物はここで動いているんだろうなと。次の日の開館間近になると、また、みんなちゃんと陳列している。そんな息をしているような感じがすごくしましたね。
三沢 今回このお話で、展示もするということで作品のクマを持ってこようかと言ったんです。先日展示したときよりもなじんでいます。2つの関係が緻密な関係になっている。この会場というか空間に対して、今回僕なりにやってみたんですが、エントランスという象徴的な空間で、この画面がすごい。この画面が何かしらインフォメーションを持っている。いえば小学校の黒板みたいな感じ。エントランスから皆さんが入ったときに、何となくクマが、正面でなくて斜めから迎える。その目先の上にはエントランスがあり、後ろに木が繁っていてきれいですね。都会の中にはあるまじき雰囲気のよさ。そこにネコがいる。前のモニターに皆さんが入っていく。そういうラインをつくってみたんです。上の空間にはウサギがいる。こういう線に皆さんの視線が動いているようになったらいいかなと思いますね。
寺田 同じ空間にネコがいたり、ウサギがいたりする。ベタッと陳列するのと違うことなんですね。
三沢 彫刻はよく台座に上に置かれます。台座の上に置かれると、展示物になってしまいますね。見る人が見やすい位置だろうという思いで多分展示されるんですが、見る人は勝手に見る。その作品をこういうふうに見せたいなというふうにすると逆によくなかったりしますので、作品に聞くようにします。
寺田 今度は逆に言うと、見る人にも自由がある。どういうふうにして見たいのか。このシロクマは全部後ろからでも見ることができる。東京国立博物館で阿修羅像があった。それまで興福寺で見たことはあるけれども、ああいう展示の仕方をすると360度見ることができる。これも1つのおもしろさですね。その空間をどう生かして陳列していくかということになりますね。

 

 

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