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三沢 京都の出身なので、お寺によく行きました。僕の子どものときは、もうちょっとお寺が荒れていたといいますか、新薬師寺は、冷蔵庫や米びつや家財道具なんかがお堂の中に置いてある。その前に十二神将がいて、結構暗い空間でした。そういうものを含めてすごくよかったですよ。決して見やすい空間ではなくて、もっと薄暗かったんですが、すごく印象に残っています。
寺田 日常の中にあるから溶け込んでいくんだ。
三沢 見やすいようにはしてないんですが、見るほうは、そういうところで頑張って見ようとする。暗かったらしっかり見る。明るいライティングの中で見やすい環境をつくるのが人の印象に残るかというと、必ずしもそうではない。法隆寺とかに行っても仏像が遠いじゃないですか。でも、遠目でグッと見るほうがすごく印象に残る。
寺田 それははっきり見ようとする意思が生まれてくるから。考えてみると、プレゼンテーションされたものは余り残らないんですね。きっと一番いい状態でプレゼンテーションしてくれるんでしょうが、それが余り残らなくて、何かいけずされて見えないほうが、どこに何があるのかなと、見たいという欲望が出てくるのかもしれない。
三沢 例えばハリウッドの映画はすごくお金をかけてエンターテイナーで、映画館にいる間は至福のときですごく楽しいんですが、一歩出たら映画を忘れていますよ。でも、例えばタルコフスキーの映画だと、そのときはわからないけれども、何回も何回も見ると、水の流れや、そういうシーンばかりずっと思い浮かべる。楽しいだろうというものを人は楽しまない。
寺田 そこがエンターテインメントとアートの境なんだろうな。エンターテインメントはプレゼンテーションしてほしいし、どうだというところがあって、こっちがワッと受けとめて、満足して帰ってくる。そのかわり何も残ってなくてもいい。その2時間半なら2時間半、物すごく満足感があればいい。それがなくて2時間半はつらいよねということですね。
三沢 その辺のさじかげんですね。そうはいっても、美術館でやると、ただ並列に並べるだけではなくて、展示にも起伏をつけないといけない。立て込みをやったり、建屋をつくったりするんですが、あまりやり過ぎるとまた失敗してしまいます。
寺田 意図が見えてしまう。そごうの美術館でやったときに、あそこはデパートの中の美術館だから天井が低い。キリンの首が長いから天井に穴をあけて、次の売り場にいきなりキリンの首が出ているのはどうかという話があった。ああいうことができるとすごくおもしろいんでしょうけど。
三沢 これは○○○のときの1つの展示なんですけど、キングダム、こういう館をつくって、迷路状になっている。迷路をめぐっていくという身体的な負荷も印象に残るので、迷いながら入っていくことと見ることを印象づけてやろうと思った展示です。だから、作品自体は全貌が見えない。めぐっていく感じ。
寺田 三沢さんの中に、決して楽には見させないぞみたいなところがあるのね。気安くは見させない。ここに行ったら、ここにこんなのがあったとか。どこの会場かな、大きいワニがワッといるところがあって、そこで子どもが泣いているのがとても印象的で、泣く気持ちはよくわかった。
三沢 空間を大きく取り入れていろいろなことをやっていく。
寺田 これは平塚で、外光が入ってきて、広い小屋があって、また中に入れる。この色の映えがすごくよかった。
三沢 これは日建設計がやられたところで、80年代の結構裕福な時代につくられた。大理石やトラバージがふんだんに使ってあって、メッキもゴールドのメッキを手すりに使ってあった。展示空間としてはなかなか難しいと学芸員の人も言っていました。展示室はというと普通の展示室なんです。
寺田 普段はただのエントランスですね。階段を上っていくだけでしょう。
三沢 展示空間以外の強さが僕はすごくおもしろいなと思った。まず展示空間以外のところから展開しようと思ってこういうプランができたんです。自然光が入っているので、自然光は下の石の床に反射して光ったりする。ここに自然光だけで見せられる小屋みたいのものをつくって、自然光の中に白いクマがいて、白い壁があって、白のチャートと木の色だけで自然光をどれだけ満喫できるか、そういう思いでつくったんです。この空間を小屋のプランに入れた。普通の展示室だったら、こういうプランは出なかった。

寺田 だから、行ったお客さんも、晴れた日に行ったのか、雨の日に行ったのか、何時に行ったのかによって、全部印象が変わる。
三沢 時間とともに変わる。それはおもしろかった。学芸員の人は見やすい展示にこだわれるから、ライティングにこだわって常に一定の光量をと言われた。
寺田 先ほどの話で言うと、とても心地いいプレゼンテーションをしたくなる。
三沢 こういう裸電球を1個ともしただけで、この期間中ずっとやっていました。また、夕暮れに見るとやわらかくてなかなかいい光なんです。
寺田 実際、展覧会というものが計画されて、当然ながら何回も打ち合わせはあるけれども、そのうちに、どういうふうにここを使いたいとか、ある種インスピレーションがあるんでしょう。
三沢 もちろんあります。やりながらアイデアが浮かんでくることは結構あります。
寺田 僕はここに今日初めて入ってきましたが、これだけのガラスが張っているエントランスがある。クマがいて、先ほどまでずっと日があったのがだんだん夕景になってきて、街灯もついてくる。この辺の変化の中でこういう作品が息づいているというのがおもしろいと思う。
三沢 昼間と夜では、ここは反転しますね。昼間だと多分外光のほうが明るいはずです。見えることは見えるけれどもなかなか見えづらい。夜はこっちがずっと明るくなっている。ガラスの面の大きい空間ならではの感じです。
寺田 それは別に彫刻にとってだけではなくて、空間そのものが物をつくることに最終的に物を言ってくるのかな。
三沢 その空間をどういうふうにしつらえるか、どういうふうに感じられるか。そういう考え方や、それを決定していく人の見方、感じ方、それは何なんでしょうね。
寺田 僕なんかの仕事の舞台でも映画でもテレビでも、空間をつくっていく。演劇空間や劇的な空間。その空間がうまくできたときにその作品は成功する。しかも、「さあ、ここから空間だ」ということを余り強いないで、フワッと入っていって、そのままそこを使ってパッと終わると一番いいのかなという気がする。
三沢 この間の池袋の舞台のフレームの中の話ですが、全てのことが限定されている中で、僕はリアルな感触を得たんです。実際はそんなに舞台美術も過剰にあるわけではなかったし、演者の服装と空間のとり方、立ち位置、せりふ、そういうところの人に伝達するリアリティーと、僕らが日常に感じているものとは全く差異があります。そこでリアルさを感じさせるのはすごくおもしろいなと思います。
寺田 映像と舞台が1つだけ違うのは、舞台はライブでやっているから、演じる側がその空間をその瞬時瞬時につくっていける。ところが、映像は演出家がいるから、演出家が最終的にどこではさみを入れるか。編集でまた新たな空間をつくっていく。舞台がおもしろいのは、舞台という空間の中で、役者がその日の、よくも悪くもコンディションもありながら、ライブでやっていけるというところですね。
三沢 ライブというのはスリルがありますよね。月並みな表現ですが、引き込まれる。逆に引き込まれないものもある。制作者というか演じられるほうからすると、引き込ませたら勝ち、成功です。
寺田 よく言うのは一体感、つまり客と演じる側のボーダーラインがなくなることです。舞台と客の間に冷たい風でも吹いていれば目も当てられない。シラーッとして、外も寒いが、劇場の中も寒い。心が通い合わないというのはだめだね。おもしろくない。

 

 

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