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寺田 三沢さんの展覧会というのは丸ごと三沢という感じがする。きっとその美術館のある最寄り駅に出たら、そこが三沢ワールド、そんな感じがすると、よりいいですね。
三沢 寺田政明さんのデッサンを少し見ましょう。寺田さんはお父さんが絵描きで何で絵描きにならなかったんですかと聞いたんですが、僕の父親は絵描きでも何でもない公務員なんです。そんなことを若いときは全然思わなかったんですが、父親の刷り込みがあったのではないかなと思うんです。奈良や京都のお寺に連れていってもらった。京都にはロダンの彫刻がたくさんあるんです。父親が勤めた市役所の前にもロダンの「考える人」があった。とにかく展覧会はすごくよく見ました。あとはコンサートに行ったり、そういうものには全然時間を惜しまなかった。子どものときは別に関係ないと思ったけれども、今となると父親の刷り込みです。
寺田 それが今の三沢さんをつくっているかもしれないし、そういう環境にあったって、全然違う方向に行く人もたくさんいる。どれがいいんだかわからないけれども。
三沢 寺田さんも記者になりたいと先ほどおっしゃったけれど、結局表現者になられていますものね。
寺田 絵描きの息子から後にイチローみたいな人にはならないね。スポーツ系は全然また違うんだな。
三沢 でも、寺田さんは早稲田のサッカー部で。

寺田 父親が1935年に描いたデッサンですが、この人は小熊秀雄という長崎アトリエ村のカルチャーリーダーで、「池袋モンパルナス」という有名な詩を書いている。今、豊島区は池袋モンパルナス展というのをいろいろな会場でやっています。この人は39歳で昭和15年に亡くなっています。こういうカルチャーリーダーとして時代を引っ張っていくすごい人がいたんですね。
三沢 小熊秀雄さんの絵が寺田さんの後ろにあって、小熊さんの描いた寺田政明さんの絵。豊島区長の後ろがそうですね。
寺田 左に文字が書いてある。「昼は歌を歌い、夜は眠る、しかも熟睡である」。いつ絵を描いているのかという感じがします。
これは今年2月の熊谷守一美術館での父の生誕100年の展覧会でした。
また、出身が北九州の八幡でありましたから、北九州の小倉の美術館で生誕100年展を開催してくれました。私が父親の思い出として「デッサンができておらんぞ」というのを書きました。今回のテーマが「デッサンと空間」ということでありますので、読ませていただきます。
「デッサンができておらんぞ」。これは生前父が好んで口にしていた言葉である。デッサンというぐらいであるから、本業である絵の世界ではしょっちゅう使われた。若い絵描きの作品の感想を求められて、ただ一言、「デッサンができとらん」となる。父にとってデッサンとは何だったのだろう。基本などという単純で生易しい言葉ではなかったのではないか。息子である私が言うのもいささか口幅ったいのだが、自身が何冊もの素描集を出していて、高い評価を得ていた父であったから、若い絵描きのデッサン力のなさは到底許されるものではなかった。
  絵の世界のことはよくわからないが、デッサン力とは物を見る力であろう。そして、デッサン力こそが描くこと、表現することの第一歩なのだろう。そこには色彩や筆使い、あるいは技法でごまかすことのできない的確な物を見る力、それによって、あるがままの対象を表現する力が求められる。だからこそ難しいのである。
  私の仕事である役者の世界でもデッサンという言葉はしばしば使われる。ここでもやはり演ずることの第一歩として、物を見る力、デッサン力が問われるのである。そう考えてみると、役者の仕事にとって、朗読などはデッサン力そのものが試されているのかもしれない。朗読では、大仰なしぐさや表情、そんなものは何の助けにもならない。ただ、おのれの声による音と語り口だけで、その原文の世界を限りなく広げていかなければならないからである。
  デッサン力に大切なものは、何をどう見て、どう感じるのかに尽きるように思われる。何をどう見るのかは絵描きや役者当人の自由なのだが、それをどう感じるかが個々の感性、感覚なのであり、どんなに穴があくほど対象を見詰めても感じることが凡庸であっては、表現されたこともたかが知れている。
  父はこの言葉を日常生活でもよく口にした。大好きだった酒の席でも、若者が酒に飲まれて醜態を見せたときなどにも「デッサンができておらんぞ」なのである。大げさに言うと、こういう場合のデッサンとは、しっかりと自分の足元を見て、真っすぐ前を向いて生きていく姿勢のことではなかったのか。がんに冒され、残されたわずかばかりの時間にも、夜中にトイレの鏡に映るみずからの顔を自画像としてデッサンしていた父である。父にとってのデッサンとは、前に向かう姿勢、努力であり、絵描きとして生きることそのものであったのだろう。父にとってのデッサン、その言葉の持つ意味は限りなく重い。(拍手)

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