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三沢 同じシナリオで、同じことをやっていて、同じ舞台で日によってそういうことがありますか。
寺田 それはもちろんありますよ。生きているものだから。そうかといって、とんでもなくは違わないですが、違うことはある。例えば、ごくごく最近の話で、天海祐樹さんが心筋梗塞で具合が悪くて、急に宮沢りえさんが代演されたけど、ああいうことができるんですよ。それだけの力を持っている女優さんであれば。それと、あそこまできちっとでき上がったものだったらできるんです。最初から何かをつくるんだったら2日間ではできない。全部ができ上がっていて、そこのピースを埋めていけば、そのピースを埋めるだけの腕のある宮沢さんほどの人だったら、できるんですね。そういうものだと思う。
三沢 映画の話で伺いたいのですが、映画はまたちょっと芝居と違いますね。先ほど黒澤さんの話が出ましたが、小津安二郎の映画が物すごく好きなんです。笠さんのせりふ回しがたどたどしくて、非現実的な感じじゃないですか。でも、「気がつかんやつやったけど、のうなったら寂しいもんですわ」というあの印象の残り方は何なんでしょうね。黒澤さんの映画はもうちょっとエンターテイナーなので、それはそれでいいんですが。
寺田 それは小津さんは小津さんの世界、黒澤さんは黒澤さんの世界、溝口健二は溝口健二の世界をつくっている。かつての日本映画の黄金時代の優秀な監督はそういう自分の世界を、それこそ、今日の空間ではないけど、自分の空間をはっきりと持っていた。だから、小津安二郎の世界、黒澤明の世界、溝口健二の世界、成瀬巳喜男の世界があった。小津さんの「東京物語」で、これはご存じの方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、あの映画は50年ほど前の映画で、あのときに笠さんの現実の年は42歳でした。これに驚くんです。そして、息子に山村總さん、大坂志郎さん、杉村春子さん、奥さんは東山千栄子さん。地方から来た老夫婦を42でできるかといったら今の役者は絶対できないです。そういう時代ではないから。僕は今70ですけれども、今「東京物語」をやれと言われたってできない。違うんだもの。 
笠さんが後にお書きになっています。笠さんは熊本出身の人で、最後まで熊本弁が抜けないんですよ。なまっている。それがあの独特な笠さんのいい感じのせりふになったんだけれども、最初はそのことを物すごく言われた。いい役がつかないし、しゃべらせるとなまる。それを小津さんが辛抱強くずっと、「笠君、笠君」と使っていって、「東京物語」に行くわけですよ。「東京物語」の台本をいただいて読んだら、大変な年寄り。一生懸命髪を白くしたり、いろいろなことを笠さんはご腐心なさった。テストをやって、ちゃぶだいで起き上がるときに、手をついて「よっこらしょ」とやったら、小津さんが「どうして君は、そうやって年寄りを演じようとするのか。普通、年寄りは若く見せようと思って、なるべく若くやるんだ。それを君はなぜこんな年寄りを演じるのか」と怒られた。それは小津さんの1つの世界観なんですね。
三沢 再現性のリアリティーを自分の中できっちりとわかっているというか。
寺田 僕なんかもあります。2~3年前、結構年の役があった。「いや、それは、さあ」なんて一生懸命芝居したら、「普通でいい、十分その年になっているから」。わかってないのは自分だけだ、そんなことがあります。
「東京物語」で言うと、先ほどの三沢さんの作品の目線ということとシンクロするんです。三沢さんの彫刻は目線がどこを向いているかよくわからない、その不確かさが僕は好きだと先ほど申し上げましたが、小津さんの映画には独特な目線がある。小津さんの映画は、こうやって僕が三沢さんと話していて、僕を撮って、三沢さんが話している。これをカットバックと映画の技法でいうんですが、今の映画でも何でも、ほかの監督の作品は目線がちゃんと合うんです。見ているほうはちゃんと2人が話しているんだなと。よっぽど目線をそらせれば、これは違う意味を持つわけです。だけど、小津さんは意識してないかのように意識して外しているんです。だから、気持ち悪いといったらとても気持ち悪い。原節子さんが「お父様」と言って、笠さんがこうやると全然目線が違うわけです。これは小津安二郎という偉大な監督の狙いではあるんですが、そこに、先ほど言った贅沢なプレゼンテーションでわかりやすくしてないから、見るほうは「とても不安になっている。何だろう、この不安感は」となります。小津さんはそういう空間を持っていっているんだろうという気がします。
三沢 やはりとんでもないところを見据えてやられているんですね。僕も、何でこの小津安二郎の映画が印象に残って好きなのかなと。初めはそんなところまでわからないんですが、何か引き込まれていくんですね。黒澤明さんの映画も、溝口健二さんの映画も好きなんだけれども、小津さんのものだけはビビッとくるというか、強く心に残ってしまう。ストーリーも、家族の話がほとんどなので、日常的なことなんですね。
寺田 小津さんの作品をすごく好きになったということは、三沢さんもかなり年をとってきたんだなというのもあるんじゃないの。
三沢 そうかもわからない。
寺田 ある種の映画マニアや映画フリークは別だけども、20代や30代で、小津安二郎しかいないんだというのも変なものだし。
三沢 僕が小津安二郎に興味を持ち出して、見るきっかけになったのは、フィンランドのアキ・カウリスマキという人がいて、あの人の映画が何かひっかかるなと思ってずっと見ていたら、あの人が一番尊敬している人が小津安二郎だった。ビム・ベンダースもそうですが。そんな偉大な海外の監督が小津安二郎さんをリスペクトしているということがすごくショックだったんです。日本人の僕らが全然知らなかった。悔しくて見出すと、そういうことをキャッチしている人がいるんだなと。共通言語ですよね。ドメスティックじゃない。やはり小津さんの視点は、家族の中の話だったけれども、家族から外に出て海外の人にもすごくリスペクトされている。その事実がわかったときはすごくうれしかった。そういうこともあって全集も買ってみたりしました。
寺田 映画でいうと、黒澤さんが最初に認められたのは「羅生門」で、これでベネチアの賞を取るわけです。溝口健二は「雨月物語」「山椒太夫」「西鶴一代女」、これはすごいもので3年連続で賞を取った。そのぐらい黄金時代の日本映画はすごかったけれども、それは全て外国が評価した。国内評価は後です。今でもそういうところが日本はありますよ。洋行帰りではないけれども、舶来物に弱い。
おもしろい話は、黒澤明が「羅生門」を撮って、国内で封切った。入らない。しかも、その前に松竹でドストエフスキー原作の「白痴」を撮った。これが入らない。それで大映で、もう一回「羅生門」と来たときに物すごく反対して、とんでもないと言ったのが社長の永田雅一という人です。永田ラッパと通称言われたこの人が絶対撮らせない。強引に大映で黒澤さんが撮った。そしたら、何とこの「羅生門」がベルリンで賞を取った。そうしたら次の日に、永田雅一という社長が「あれは、わしが黒澤君に撮れと言ったんだ」と。そのときから興行成績もよくなった。そういう人のほうがかえっていいのかもしれない。
今でも外国のほうがちゃんと日本のものをわかっているね。昔の浮世絵だって何だって、ゴッホだやみんなが認めて、そこから影響を受けている。日本人は後で言われて、「ああ、そうか」と。だから、国宝的な芸術作品が海外に全て流出してしまうような状態に一時なった。何で日本人のものを日本人は評価しないのかね。余り見てないのか。
三沢 僕らの時代よりも、若い人は日本のことを好きですね。全てがアメリカで、ナイキが上陸したとか、「ポパイ」創刊号でUCLAとかをやったりとか、アメリカのカルチャーが刷り込まれているところがあった。結局、そういうことで海外からリスペクトされていることがあって、こちらに振り幅が出てきて、「待てよ。日本はすごくいいことをやっているんじゃないか」と。
今は日本人のアーティストで日本を打ち出していく人もたくさんいます。いい意味でグローバル化されることもあるかなと。どこに行ってもマクドナルドがあるというのはちょっと考えものですが、いいことに対してグローバル化されていくのはすごくいいなと思います。そういうところを見ている人がいるというのはうれしいですね。そういう人たちもしっかりとした見る目が培われているんでしょうね。
寺田 もう1つ言うと、芸術作品で、絵画でも彫刻でも、文学もそうだし、映画は特にそうですが、みんなが「そうだよね」という共通項がないと、なかなかヒットもしないし、企画すらもできない。特に、今のテレビの観客層は若いから、「友情って大事だよね、大切だよね。そうだよ」と言うと、「海猿」みたいな青春のヒット作になる。「友情って、何か気持ち悪くないの。俺、そういうの嫌だな」という企画には絶対ならない。本当は作品としてはそっちのほうがはるかにおもしろいんだけどね。
三沢 美術館も予算がないので、彫刻の展覧会をなかなかつくってもらえなくて、現代作品展ができにくい状態です。
寺田 必ず予算のせいにするでしょう。それなら、予算があったことがあるのかと言いたいぐらいに、予算がないというのは常套句のようにどの世界でも言うことです。ふんだんに潤沢なる予算のもとにつくり上げましたということはないと思う。いつの時代でも予算というものはないんだから、そこから何か言ったってしようがない。それをエクスキューズにしたらだめだね。
三沢 そんなに予算かけなくても、アイデアでいいことができますからね。
三沢 僕は寺田さんに今日聞きたいことがあるんです。寺田政明さんという絵描きさんがお父さんで、幼少のころから絵を描いているお父さんの姿を見ていて、何で役者になられたのか。美術、絵の選択肢もあるわけじゃないですか。

 

 

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