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寺田 僕は1942年生まれで終戦のときが3つで、小学校に上がるのは昭和二十何年で、学校では、国民服を着て、ゲートルを巻いている先生がいたんです。そんな時代です。うちは姉と妹がいます。娯楽といったって何もない。ラジオはあったけれども、絵を描くことが1つの娯楽だった。遊びの一環として絵を描いていたという時代があります。それは小学校2年ぐらいまでですね。でも、そんなのはあっという間にやめちゃった。僕はずっとサッカーをやった。後に長ずるに及んで新聞記者になりたかった。それでそういう学校に行ったんです。
 司馬遼太郎さんの「城をとる話」という新聞連載小説の挿絵をうちの父親が描いていた時代がありました。そのころ僕は小学校の2~3年だった。家に帰ると、いつも黒塗りのハイヤーが3台ぐらい待っている。なぜかというと、うちのおやじの絵ができないから新聞記者が待っているんです。それで、新聞社に入ったらこういう車に乗れるんだなと思って新聞記者になろうと、単純な話なんです。ところが、途中からスライドして役者になりましたけれども、父親は反対も何もしなかった。「好きにやれよ」と。
三沢 僕は、お父さんのデッサンが物すごく好きなんですよ。お父さんのデッサンは時代性を全然感じさせない、常にフレッシュな感じです。これは、先ほど伺ったら30年代ですか。
寺田 1930年代というから、22~23歳のときのだね。
三沢 僕は持論として、物をつくる人の一番大事な要素としてデッサン力があると思う。デッサンを初めて見たときに、寺田政明さんは偉大な絵描きさんだなと思いましたね。
寺田 このコウモリなんか、三沢さんの作品にあるような。
三沢 これは3次元に対するアプローチをかなり意識されている。木があって、枝から下にいるという感じ。
寺田 これも作品としては25~26歳です。僕なんか生まれる前ですよ。
三沢 すばらしいデッサンです。
寺田 デッサンというのは、三沢さんがドローイングとして描くものと、絵描きがデッサンとして描くものとちょっと違うのかもしれないけれども、全体を捉えているのか、ある核心を描いているのか。描き順にもよるだろうし、人によって違うんだろうけど。
三沢 僕は作品化することにかかわらず、物の見方だと思います。物の見方をデッサンすることによって頭にインプットする、刻印するというか印象づけていく。そういうものを描くことによってまたフィードバックしていく。そういう大事な作業のような気がする。だから、物の考え方とか、物の見方とか全てにかかわっていく。最近テクノロジーでパソコンや機械がすごく発達しているので、僕もたまに若い子のCGでやるんです。彼らはテクニックというか機械を扱う技術はあるんですけれども、デッサン力がないからだめなんです。物の見方がしっかりしていないと、ああいうツールを使ってもできないんです。一番根幹の部分は、デッサンする、絵にあらわす、物を感じる、どう見詰めるかということだと思います。
寺田 確かにデッサン力がある人はそういうツールは必要ない。逆にデッサン力がないから、技術的に空間を埋めていく作業がその人にとってのツールなのかな。若い人がそういうものばかりになってしまうとおもしろくない。
三沢 デッサン力がある子がそういうマシンを使うとすばらしいものを出します。CGでも動画でも。昔だったらコマを撮ってつなげていたものを、デジカメでピュッとやればちょっとした動画はつくれるんですが、デッサン力がある子、物事をしっかり見据えている子はいいものをつくりますよ。そういうときに悔しく思いますね。こういう技術があったらいいなと。映画1本でもすごく低予算でつくっちゃいますから。
寺田 その根幹に何があるのかということですね。今、映画なんて撮ろうと思ったら誰だって撮れちゃう。だけど、そこが、先ほど言ったみたいに、デッサン力と空間を構築するだけの力がなければ、何をどう撮ったっておもしろくない。
三沢 これだけ機械が発達していても、いい表現をしているという人はめちゃくちゃいるわけじゃないですね。水面下のこれから出てくる予備軍みたいな人はたくさんいると思いますが。
寺田 先ほどの絵描きの家庭に育ってどうだったかということで、僕が1つ思い出すことがあります。後に、役者になって、おやじと若いときに飲んで、しみじみと、父親の世界、絵描きっていいなと思った。それはなぜかというと、1人でやって1人で描く。役者は、演出家もいれば、相手役もいるし、ありとあらゆる総合芸術で、多くの人がかかわってやる。映画もテレビもそうです。そうすると、特に若いころは、当時の状況からいうと、ヒューマンリレーション(人間関係)に物すごく神経を使う。先輩、後輩もあるし、いじめというほどではないけれども、そういうこともある。肝心の芝居をやる以前にくたくたに疲れてしまう。そういうときがあったから、父親にしみじみと、「お父さんの仕事はいいな、1人で。俺は大変だよ」と言ったら、父親はただニコニコと「あ、そうか」なんて言っていたけれども、後に、自分がちゃんとした役者になってしばらくして初めてわかったね。父親の世界って大変ですよ、1人でやるのは。こっちは大人数でやるから、誰かに責任転嫁ができる。つまらないと言われたら、本が悪い、演出家が悪い、相手役が悪い、絶対自分のせいじゃない。誰かに転嫁できる。ところが、三沢さんなんかすごいなと思うのは、絵描きとか彫刻家の1人でやる仕事は大変だよね。僕は、「こっちでよかったな」と思った。あんな重圧には私は耐えられませんよ。
三沢 僕なんかはこれしかやってないですから、これが普通の状態なので、そんなに大変と思ってないところがあるんだろうと思います。自分のペースでできるというのはいいです。周りに流されない。ほとんどの場合が制作です。たまに展覧会をやって作品を見てもらう。僕にとって制作現場は本当にプライベートなところですが、こういう制作現場をちょっと見せると結構喜ばれたりするので、今回は見せたんですが、展示だけを見てもらえば僕の場合はそれでオーケーなところがあります。
寺田 こういうものを見てもわかるように、どんな仕事でも体力が最終的には勝負だけれども、特に三沢さんの仕事は体力が物すごく大きな比重を持つでしょう。
三沢 やっぱり力仕事で、体力と集中力ですね。
寺田 そのために運動したりとか。
三沢 運動は最近全然やってないです。運動する気力もないというか。
寺田 運動する力があったら、まず彫れよみたいな。
三沢 最近だんだん思うのは、腰も余りよくないので、大きいものをつくるとしんどくなる。しんどくなると、千代の富士が引退するときに「体力の限界、気力の限界」と言ったのを思い出して、そういうふうになったらあかんなと。力士の場合はギリギリの状態で自分の体力を維持していくから、ある程度の年齢になるとシビアな問題になっていくと思いますが、彫刻や美術の場合は、体力を使うといっても、アスリートみたいな体力は使わないので、その辺は長く制作できる職業だと思います。
寺田 体力はもちろん大事だけれども、体力よりも気力、精神力が先行していかないと。体力は、アスリートのようにフルマラソン2時間で走れるというのではないんだから、6時間でも8時間でもいいから走れるぐらいの体力があればまだ大丈夫。ただ、走ろうという気力がなければそれもできない。そうなってくると、物をつくるということは、その空間を埋めることにどんな思いを持っているか、それは想像力だと思う。そういうモチベーションが空間を埋めていくのではないかと思います。そうなるとやはり精神力のほうが体力よりはるかに先行してないといけない。
三沢 僕が続けられるのはドキドキ感です。やはりドキドキするんです。ここに展示するという話があったときも、エントランスという独特の空間は、決して美術作品を展示するような空間ではない。こういうところにどういう作品をもって展示して、どういう関係性ができるか、それを自分で見たいなと思う。そうすると、ドキドキしてきてすごく楽しくなってきます。そういうドキドキ感みたいなものが僕の中の気力に結びつく。多分ドキドキしなくなったらだめでしょう。
寺田 やっぱりときめいてないとだめだ。
三沢 そうですね。
寺田 作品的には数も多いんだろうけれども、これから新たなドキドキ感、ワクワク感、ときめき感としては、どんなものがありますか。
三沢 空想の動物をまぜていきたいなと思っています。あとは、今までつくったイヌやネコもいますが、最近、大きいのを集中してつくれてなかったので、そういうものをいっぱいつくりたい。ネコというのは人間にはリアルなものなんですが、すごい量、おびただしい量のものをつくりたい。ギャッーと思うぐらいの。そういう乱れたもの、あり得ないような風景、妙な彩色をしてみたいなと思うし、広いところにポツンとあるようなぜいたくな空間もいいですね。美術館でやると、ある程度美術館側の思惑もあるので、詰め込むほうにいっていたんですが、もう少しゆったりとした空間と詰め込む空間みたいなものの抑揚をつけながら、美術館全体のリズムをつくって展示していけたらおもしろいんのではないかなと思います。

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