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(図55)
今度はうちの学生の話をしたいと思います。卒業研究のテーマを決めるときは、皆、苦労します。近畿大学には非常に真面目な学生もたくさんいますが、中にはそうではない学生も少なからずいまして、彼らがまたなかなかおもしろい。ちょっと変わったものをいろいろ見つけてきてくれます。
例えばこれは京都市にある戦前につくられた児童公園です。彼は就職活動で京都に行って、そのときにたまたま通りかかったこの公園の面白さに気づいた。「ちょっと変わった公園だ。何なんだろう」という関心を得たことから、この研究は始まりました。
(図56)
よくよく調べてみたら、意外なことがたくさんわかりました。まず、このような「面白い公園」は京都市内に複数ありました。そしていくつかの公園の中には、このようなラジオ塔の遺構があった。また、これは公園の平面図ですが、各施設がきっちりと対称形に配置されていることがわかります。先ほどの末浄水場にも少し似ています。
ここは対称配置された植え込みやラジオ塔があるスペースですが、ここで戦前にラジオ体操がされていたということもわかりました。それから、藤棚と出入口の配置。戦前にここで土地区画整理事業が実施されていますが、その石碑の中心軸をここの入口に合わせるなど、いろいろな工夫がされている公園だということがわかりました。偶然学生が見つけたものですが、偶然ということは決してばかにできないと強く感じました。知的関心をもちながら歩くことで、隠れていた「宝」が見つかる可能性があるのです。
(図57)
その後、これらの公園群については新聞でも取り上げていただきました。これを何とか価値あるものとして皆でしっかりと認めていきたいと努力しているところです。
(図58)
その後、学生君は今度は明確な意図をもって悉皆調査を実施しました。例えば、大変特徴的なドイツ表現主義の水飲み場や門があるということもわかりました。ラジオ塔にも実はバラエティーがある。モダニズム的なものや帝冠様式のものも現存しているということもわかりました。
(図59)
2 次の事例です。この写真も私が撮ったものです。大阪の堺市に、かつて農業用地下水を汲み上げるための風車がたくさんあったということが知られています。ただ、その殆どは消滅しました。これは昭和42年の堺の風景ですが、風車がたくさん立っているのが見えます。ただ、その後ここには工業地帯が開発され、農業はだんだん廃れていきます。しかもスプリンラーで水をまくようになりますので、地下水を汲み上げるための灌漑用風車は不要になっていきます。その後どんどん壊され、減っていきます。そして、最後に残った1基がこれだったのです。
私が大阪に赴任したのが2003年です。赴任した直後に、すぐ車を飛ばして現地に行ってみました。あまり歓迎されている状態ではなく、この周辺がごみ捨て場になっていました。これは何とかしなければいけないとそのときは思ったのですが、まだ赴任したばかりで知り合いもほとんどいない状態でした。残念ながら管理されていた方がその後亡くなられ、この風車はその次の年に取り壊されてしまいます。
実際オリジナル風車は、戦前の全盛期で大体400基ぐらいあったということがわかっています。ところが、その後急減し、70年代以降は10基以下、そして、2004年にはついに完全消滅となりました。
(図60)
3 あるとき堺出身の学生にこのことを話したのですが、その後彼は地元で面白いものを見つけてきてくれました。こういったものがどうやら堺の町にはまだあるのではないかということを言うんですね。いろいろ調べてみたら、もう存在しないと考えられていた風車が実はまだいくつかあった。材質こそ金属に置き換えられていたりはしますが、存在している。そしてこれらの風車は主に、小学校の校庭に立っているのです。
例えば、これはきれいに残っています。一方、こちらはもう風車だか何だかわからない状態です。ブレードがはがれていますね。当時の教頭先生に尋ねたところ、「これが何なのか私にもわからない」とおっしゃった。残念ですね。
これらの風車は、揚水風車のレプリカあるいは移設された風車だったのです。
(図61)
その後、学生君と徹底的に調査しました。風車がどんどん減ってしまう時代に、何とか堺の風景を残そうということで、「記憶の継承」を目的に、1960~1970年代にレプリカ風車を新設したり、あるいはそっくり風車ごと移設したものであることがわかりました。「小学校の理科教材」として、実際に地下水をくみ上げていたものもある。その後この研究を大阪府近代化遺産調査や土木学会でも取り上げ、価値ある地域の遺産として位置づけようと試みました。ようやく昨年になって、堺市主催のシンポジウムの開催に至りました。今後の展開が重要ですが、いずれにしましても、全ては学生君の偶然の発見から始まったのです。(図86)
次の事例です。これは橋の親柱です。大阪にある箕面公園の片隅に放置されていたものですが、これも歴史的価値がある橋の一部であることが後にわかり、大阪府の近代化遺産調査の報告書でも取り上げました。実はこれも、箕面公園にデートで訪れた学生が偶然見つけてきてくれたものです。彼はこのテーマで修士論文を書き、後に箕面市で講演も依頼されました。
偶然にだけ頼るのは危険ですが、偶然に価値あるものを見つけるというのは貴重なことですね。彼らがここをそぞろ歩きしなかったら、そのときここでデートしなかったら、恐らくこれらの価値は現在も、あるいは永遠に誰にも気づかれず、あるいは単に邪魔だということで既に取り壊されていたかもしれません。(図87)
それでは次に、散歩に絡めて「価値の輪廻」という考え方をご紹介したいと思います。これは谷川渥先生という美学者が廃墟について語られていることです。ものの見方には、大いなる円環というものがある。まず私たちは風景画などに感銘を受け、それに似た風景を探し求めるように旅に出る。旅ばかりでなく、もちろん散歩も含まれるでしょう。そして今度はその旅の中で本物の廃墟に出くわして、また同じような人工廃墟やメディアが創造されていく。それに触れた人はまた感銘を受けて、同様の風景を求めてまた旅に出る。それがまたぐるぐる回っていって、その価値観が社会全体で広く醸成されていくわけです。ここにも「散歩」や「旅」というキーワードが強く関わっていますね。
(図62)
見る人が創造する景観の価値と散歩がどう関わるのかということが今日の話題のキーポイントかと思います。偶然の出合いや風景のセレンディピティ(偶然からモノを見つけだすような能力)に対し、私たちは何らかのアンテナを張ることが大切です。そして、散歩の舞台には意外性(偶有性)が溢れていて、たいへん楽しいものであるということが言えると思います。
実際にセレンディピティに関する茂木健一郎さんなどの本に書かれている内容を検討してみましょう。まず、目的は自由にやってみたらいいのではないか、とあります。散歩に関してはこれは言われなくても私たちは既にやっていますね。それから、アクションをまず起こしていくことが重要だと言われています。散歩という行為を実行していること自体が既にアクションなわけです。それから、価値に気づくことの重要性。事前に知識を得ておく、あるいは同じような事例に数多く触れておくことと、「面白いことが起きそうだ」という心のアンテナを張ることで、恐らく気づきの確率を上げることができるのではないかと思います。因果関係のないことが同時に起きることをシンクロニシティ(共時性)といいます。因果関係がなくても、同じ構造を持ったもの、同じ価値をもつものが同時にいろいろなところで起きることが、芸術などではよくあるわけです。シンクロニシティを私たちが対象に対して感じ取ることができれば、それはセレンディピティになるでしょう。
それから、ある程度心の余裕が必要である、とあります。私たちは恐らく散歩を気楽にやっているでしょうから、ここもクリアですね。それから、「デフォルトネットワーク」といって、脳自体が何か新しいものを求めてうろうろし始める現象があるそうですが、まさしく散歩は「デフォルトネットワーク」が行動化されたものと言えるのではないでしょうか。
最後に、非常に印象的な言葉があったのでご紹介します。「創造への道は、旅することに似ている」。これは裏を返せば、旅をする、あるいは外へ出て逍遥するということそのものが創造への道なんだ、ということですね。散歩自体が学問になるかどうかはわかりませんが、「創造」という大きな成果を実は私たちが散歩に期待できるということがすごく重要だと思います。先ほどの西村さんのプレゼンテーションを見ても然りです。こういう期待を含めて、私たちはこれからもまた散歩に向かっていけばいいのではないでしょうか。研究に値する対象は勿論、感動に満ちた充実した時間がそこには待っているのではないかと考えます。
 何かとまとまらない話でしたが、これで私のプレゼンテーションを終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

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