→日建グループへ





 PDF版はこちらです→ pdf

フリーディスカッション

西村 どうも岡田先生、ありがとうございました。
今日のお話を一言でまとめることはとてもできないんですが、私は「発見」という言葉かなと感じました。どういう意図であれ、どういう発端であれ構わないんですが、とにかく何か行動を起こすことで新しいものが発見できる。発見というと、コロンブスのアメリカ大陸発見というところにまた話が行ってしまいますが、コロンブスは別にアメリカ大陸を発見したわけでもない。アメリカ大陸にそれまで住んでいた人は、自分たちが生活しているところを発見されたとは思っていないと思うんです。
多分、散歩の中でも、毎日生活しているところで毎日見ているものは、そこに住んでいる人にとっては何でもないわけです。そこに訪れる人やそこに新しい違う目を持って入ってきた人がそれを発見するんだと思います。この「発見」という言葉に込められた意味はきっと大きくて、私が懲りずに飽きずに11年間、109回も散歩を続けている理由も、町を歩くこと、曲がったことのない道を曲がってみることで、新しい発見が得られるのではないかと思っているからだと思いました。
岡田先生も、今回は「散歩」という2文字の呪縛の中でいろいろと悩んでいただけたと思いますが、私のこれまでしてきたことの価値みたいなものも、再度定義づけていただきまして、まことにありがとうございました。
まだ20分ぐらい時間がございます。会場の方々からもご意見をいただきながら、岡田先生と私と三つどもえになって、いろんな会話、議論をしていきたいと思います。
1つだけ僕は疑義がありまして、先ほど「ちい散歩」から散歩がブームになったみたいなことを先生がおっしゃいましたが、多分それは違っていて、私は東京では「東京人」の創刊からなのではないか、あの雑誌が果たした意味は物すごく大きいなと思っております。
それともう1つ言えば、「タモリ倶楽部」に始まって、その後「ブラタモリ」を3~4年前にやりましたが、「ブラタモリ」よりも前の「タモリ倶楽部」が、多分タモリを散歩好きにして、坂道好きにしたきっかけだったのではないか、多分そこら辺かなと思います。
それと、最後に答えを教えていただきたいんですが、さっき脱農、脱工とありましたが、情報化時代が終わったときには、我々は一体何を景観としてめでるのかなというふうに感じました。これの答えはまだ当分出ないかと思います。
会場の方で、どなたかお話、ご意見いただける方はいらっしゃいませんでしょうか。
西山(土木写真家) 先ほどご紹介いただきましたタウシュベツを撮った西山と言います。よろしくお願いします。
まず、タウシュベツを見つけたのは、恐らく今さんじゃないかなと思うんですが、私は、3番目、4番目ぐらいにここにたどり着いた人間だと思います。ただ、私がなぜタウシュベツに興味を持ったかというと、1つの希少性ですね。いろいろこういった土木遺産をずっと撮り歩いていて、パッと見て、こんなものはほかにない。その希少性で撮ることになりました。
まず、写真家が見てすばらしいものというのは、恐らく割と似たようなものだと思います。ただ、この橋を撮る前に2人ほど写真家がいたんですが、彼らはさほど興味を持たなかったみたいで、通り過ぎていきました。私が見たときに、とりあえずこれは、まずほかの写真家に撮られてはいけないと思ったぐらいに私にとって価値がある。とにかく大きな雑誌社で自分が先に写真集にしたい。後からやっても仕方がないと思い、いろいろと写真展をやり、東京の大きな出版社から出版したいなと思って撮りました。
散歩ということではなく、私は、プロの写真家ですから、いろいろ見て歩きます。散歩もしますし、そこで見つけるものもあるんですが、何か知っているからというところで、その希少性というのも1つ価値観の中にあるのではないかなと思って話させていただきました。
高山(ポラス暮し科学研究所) 2点ほど。1点は、私も町歩き大好き人間で、世界も国内もあちこち行っているんですが、今日の話を聞いていて、1つ気がついたことがあります。ツアーで行った場合とフリーで行った場合との違いなんですね。フリーで行った場合には、今日のお話のようにいろんなところでいろんな発見がある。
私が旅に染まったのは、学生時代から始まっていたと思うんですが、永六輔さんがラジオで話していた、街角を歩くに当たって、あるいは通勤しているときでも、いつもと違う路地を通ってくださいという話が非常に印象的なんですね。そうすると新しい発見があります。それから、天気が変わればまた発見があります。こうしたことを意識して町歩きをすることで、楽しみみたいなものを多くの人が持っていただけると、いいのかなというのが1つです。
あと、物をつくる、道路をつくる、インフラつくる立場から、今日の講演のテーマで思い出したのが、ドイツのアウトバーンを設計するときのマニュアルです。それをまとめた本の翻訳を学生時代に手伝ったことがあるんですね。そのときにすばらしい景観をどういうふうに生かして、どういうふうに道路を通なければいけないかかというのが特に記憶があるんです。
今日ここに参加された方は、物をつくる、いろいろインフラもつくる、建物をつくる方が多いと思いますが、ドイツのアウトバーンの中心的存在だったフリッツ・トートが大変いいことをおっしゃっているので、ちょっと読ませていただきます。
「風景と土地は人の生活と文化の基礎であり、人を養育し、文化を育む故郷である。技術者は社会の基礎を築く者であるという認識を持つならば、風景と土地が保存されるように仕事をし、かつ、ここから新しい文化価値が生まれるように構造物を設計し、創造する義務を有している」。
僕は何が言いたいかというと、スクラップ・アンド・ビルドでなすがままになっていいのかということが1つあると思うんですね。そういう町歩きの楽しさというのと、もう1つ、物をつくる立場の者としては、後世にしっかりと、世代が経るごとに、また町歩きの発見のように、世代がたったがゆえに持つ魅力みたいな形で物をつくっていかなければいけないのではないかということです。私はそう思います。
これは質問でもないんですが、今日のお話を受けて、改めてそのように思ったんですけれども、いかがでしょうか。
岡田 大変有意義なご意見ありがとうございます。私はツアーで行くことはほとんどありません。ツアーでの訪問対象は、ポイントあるいは周辺の場に限定されます。それに対してフリーで行く場合は、もう少し広い「周辺視野」で見ることができる。ポイント以外のところに目が向きますね。
西山(土木写真家) またタウシュベツのことですが、実はこのアーチ橋友の会とこの地域の方からこの間連絡がございまして、5~6年前、この写真の左側のところが湖底に沈んでいるときに十勝沖地震に遭いまして、一部ですが側壁が崩れてしまいました。それが毎年毎年、氷がついてはがれていく。アーチリングがそろそろひびが入ってきているという情報を得ています。
コンクリートの北見工大の桜井先生からも連絡があったんですが、そろそろ崩れるのではないか。保存ということもありましたが、ここの町長といろいろ委員会をやりました。人の手で壊すものは幾らでもあるんですけれども、自然に溶けていく、戻るコンクリート構造物は恐らくこれしかないと思うんですね。電源開発のダムですから、浮いたり埋めたりというのは人為的でもあり本当の意味の自然とは言えないんですが、そういった水の力で朽ちていく構造物というのはほかには思い当たりません。
恐らくこの冬越せるかどうかということまで聞いています。一部のアーチが切れてしまえば、構造的にどんどんいくと思うんですね。ですから、皆さん、時間がございましたら、ぜひとも行ってみてください。別の話ですが、よろしくお願いいたします。
海老塚(比較住宅都市研究会) イギリスの人が、一般の市民も含めて古い建物に非常に関心を持っていて、それから、景観も非常に大事にする国民ですが、驚いたのは、わざわざ廃墟に似せたものを新たにつくっているというところです。日本人の感覚だと、古いものを新しく使えるようにして設計すると思うんですが、廃墟に対する何か考え方があって、あえてそういうものをつくっていくんだということを話しかけていたような気がしましたものですから、イギリス人の感覚には、ああいうものも美しいという感じを持っているのかどうか。私の感覚からはちょっと信じられないものですから、解説していただければと思います。
岡田 そういった感覚が非常に強くあります。例えば不動産ですね。新しいマンションができるわけですが、そのマンションの横には非常に古い、かつての古城のかけらみたいなものが1個残っているところがあります。レディングというロンドンの西にある町です。そこのマンションは、廃墟が隣にあるということを不動産広告に出すわけです。廃墟の隣に住むことがある意味、ステータスなわけです。イギリスのマンションやレストラン、ホテルの中には、水車小屋や工場,あるいは砲台、給水塔などを改造して作られたものもたくさんあります。家賃は非常に高くなっています。
それから、これは自分の本(Industrial Heritage Re-Tooled, 2013)にも書きましたが、実はフォリーの美学は日本のわび・さびと共通点があります。わび・さびの美学の代表例に「見立て茶碗」というのがありますね。最初は朝鮮半島の庶民が使っていた古臭い雑器を目ききが見て、これはすばらしいと言ってそれを日本に持ち帰って、それでお茶を飲むわけですね。
逆に、今度は持ち帰るだけではなく、意図的に自分たちでそういう古色蒼然とした茶碗を意図的に作り始めた。この感性というのは、フォリーの概念と非常に共通するところがあると思っているんです。一方で、現代の都市に対する日本人の感性というのは、確かにおっしゃるとおり、イギリス人とは非常に乖離している。私たちが勉強すべき考え方がまだまだあるのではないか思っております。
鹿子島(東京急行電鉄) お散歩をよくやっている者です。感想になりますが、ヨーロッパは古いものをすごくずっと大事に使っている文化なのかなと思っていたら、新しくつくるものも古いものを倣ってつくる、そういう文化の風習が昔からあったというのはすごくおもしろいことだと感じました。
ただ、それはヨーロッパだけなのかと考えてみたら、今の私たちでも意外とあるものなのかなと思いました。少し前、例えば青銅のものをあえて錆びさせて、昔からあるようなものに見せたりとか、最近ですと安っぽい居酒屋でも、昔からあるような古民家風居酒屋みたいなのがあったりするというのも、昔からある崩れたお城ではないですが、それと通じるところがあるのかな、ひょっとしたら実は昔からみんなが普遍的に持っているものなのかなということを思ったという点が1つです。
あと、古いものと新しいものの組み合わせという部分が1つおもしろいなと思いました。先ほどイギリスの庭園で、シンメトリーの先のところに古城のようなものがあったりというところも、古いものと手前の新しいものを1つの中につくるというおもしろさがあります。
これは東京に似たようなものがあるのではないのかなと思いました。例えば豊洲エリアです。最近、ららぽーとなどどんどん新しいものができている中で、すぐ隣には、昔そこに通っていた貨物線の橋の跡が今でもそのまま残っている。古いものと新しいものとが共存している部分も、またおもしろいと思って残したままにしているのかなと思っていた。済みません、感想です。
岡田 今のお話もすごく興味深く聞かせていただきました。古色など、古っぽくつくるということを、ずっと日本人はやってきたのではないでしょうか。店構えなどについては、最近の傾向なのでしょうか。確かにそういうものが増えてきている感じがします。外観だけでなくて、内装もそうですね。あと、メディアの影響もあるでしょうか。「三丁目の夕日」など、昭和時代に対するノスタルジーがすごく前に出てきている時代でもあります。最近ぐっとそういうものが増えてきている感じがいたします。
それから、先ほどのWimpole Hall Follyの庭園のお話も全くおっしゃるとおりです。確かに対比のようなものがある。完全な整形式庭園としてつくられている手前の庭園があり、その向こう側には整形ではなく完全に崩れてしまったようなランダムな形をしたものが置かれている。そういう対比の美学というのは確かにあると思います。
そういう庭は日本にもあります。例えばこの近くですと、旧古河庭園。あそこも和風と洋風の庭園が対峙しています。そういった対峙の美学というのは、「デペイズマン」といった全世界的な美学にも見られます。演出手法はいろいろありますが、世界共通の美学でしょう。
西村 私は浅学非才なので、古いものというとびっくりドンキーを思い出したんですが。(笑)ただ、二十何年も前になりますが、アメリカに視察で行ったときも、外観をぼろぼろにしておいて、中を高級にしていたレストランを何軒も見たりしましたので、そのギャップみたいなものを楽しむ心というのは、人間には根本的に備わっているのかもしれないなと思いました。
そろそろお時間ですが、中村先生、一言いただけますか。私たちの共通の先生です。東工大の名誉教授の中村良夫先生においでいただいています。
中村(東京工業大学名誉教授) 岡田さん、西村さん、どうもありがとうございました。久しぶりで非常に刺激的な話を聞かせていただきました。
今日お話を伺っていろいろなことを思い出すんですが、18世紀ぐらいのフランスのモンテーニュだったか、哲学者がおりまして、大変旅行が好きな方で、しょっちゅう旅に出ている。村の人が「先生はそんなに旅行ばかりしていて、何を探しに行くんですか」と聞いたら、「それがわからないから旅に出るんだ」と言ったというんですね。今日の岡田さんの結論は、多分それに非常によく似ていて、創造性というのはある意味では知のぶらぶら歩きというものから出てくるんだなということがわかりました。
冗談みたいな話ですが、岡田さんが今では「テクノスケープ」という名前で呼んでいるものを学位論文でやりたいと言ってきたのは、ワシントン大学へ留学して、東工大に帰ってきてからだと思うんですね。テクノスケープをやりたいと言うから、そんなばかな研究はやるなと出かかったんだけど、そこをぐっとこらえて「やれ」と言った。
私の長い経験では、そういう研究をやりたいという学生が出てきたときに、そんなばかなことはやめろと言った場合、それからやれと言った場合、どちらもリスクがあることがわかっていました。これをやれと言って、とんでもない研究になって、何も出なかったら僕の責任になる。しかし、やめろと言ったときに、それが僕が理解できないようなすばらしい研究だったら、その被害は物すごく大きい。それを私は少しずつわかってきたので、やってよろしいと言ったのですが、本当によかったと思います。おもしろい研究だったと思います。
まだまだこの研究は進むんですが、私は今日の話で、改めて久しぶりに聞いて、なるほどなと思ったのですが、先ほど日本のたくさんの若い女性が工場の夜景みたいなものをめぐるツアーに押しかけている。「工場萌え」と言うんだそうです。何で萌えと言うのか、私はよくわからないんですが、そういうものがたくさんある。
それを聞いてなるほどと思ったのですが、都市や建築に関する批評の権利というのは一体誰にあるのかを改めて私は考えざるを得なかった。特にモダニズム以降は、建築、都市あるいは土木のプロが批評する権限を一手に握っていて、都市や建築の方向を決めるという時代がかなり長く続いていました。特に20世紀以降です。
ところが、今、工場見学やテクノスケープを見回っている人たちはプロではない。ほとんどの人たちは普通の市民です。彼らがある種の批評を行っているわけです。
非常に驚いたのは、僕も経験しましたが、東京スカイツリーという建造物があって、これは日建設計の最新の作品でございますが、建設中からたくさんの市民がいろいろな組織をつくって、ああでもないこうでもないと批評している。これは岡田さんの言われる目ききでありまして、鉛筆1本動かしたことがないような市民が批評しているわけです。それがある種の評価を決めているということになる。これは一体何なのかということを我々としては考えざるを得ないわけです。プロと市民の批評が両立していく世界なのではないかということを私は考えました。
普通の市民が見た目というのは、素人だからだめということには必ずしもならないと思うのは、特に日本の場合は、言ってみれば工場萌えも一種のサブカルチャーです。アンダーグラウンドとまではいかないけど、間違いなくサブカルチャーです。だけど、日本の文化というのは、例えば歌舞伎にしても能にしても、みんなサブカルチャーから出てきたものです。あるいは、盛り場の中に出てきたわけのわからないものが、長い間かかって芸術化してきたわけです。特に歌舞伎なんかは今でもサブカルチャーみたいなものだと思いますが、能のような非常に高度な芸術が出てきたもとは、お百姓さんたちのお祭の余興みたいなものです。日本人という国は、多分芸術の持っている、文化の持っている特徴が、非常にサブカルチャー的な性格を昔から持っていて、恐らく今でもアニメや漫画はその手のものなんだろうと私は思います。
そういうことを考えますと、こういう散歩学も捨てたものではないな、と。そこから何か出てくるかもれない。それと専門家の判断と、先ほど岡田さんが言ったように、いわゆる目ききと言われる僕ら、評価だけしている人がいる。大体日本でもそれは工芸家自身じゃなくて、その周りにいるインテリがそういうディレッタントですから、素人です。そういう両方で成り立っている時代になってきたんだなということをつくづく感じたわけです。
西村さんとも知り合って二十数年になるんですが、散歩なんてやっていると僕は知らなかった。僕も少し記憶が薄れてきましたが、卒論だか修論のときに彼がやった研究の中に、下町の路地の研究みたいなことが出てきたんです。路地のことに興味を持っている人は今はたくさんいますが、二十数年前は非常に珍しかった。私はその研究は非常におもしろいと思った。
その研究を発表した後で、よせばいいのに西村さんが本気で「これはあたかもおめかけさんが住むのにいいような場所だ」と言ったんです。そしたら、非常に真面目な石原舜介さんという都市計画の大家がそれを聞いて、「君、そんな不真面目なことを言っちゃいけないよ」と言って怒られたことがある。
今、散歩を見て、三つ子の魂百までというのはこういうものだろうかと思って、大変うれしく思いました。どうぞそのお元気でずっとやっていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
西村 中村先生、どうもありがとうございました。石原舜介さんはもっと怖い剣幕でしたので、私は震えがとまらなくなっちゃいましたね。よく覚えております。
最後に中村先生が「散歩学」というふうにおっしゃっておられましたので、散歩は絶対学問ではないと私は信じたいんですが、ちょっと学問っぽくこれからはやろうかなと思いました。お散歩会の人が10人ぐらいこちらに紛れ込んでいますけれども、次回以降覚悟して来てください。
岡田先生、今日はどうもありがとうございました。(拍手)       (了)


 

        10 11
copyright 2014 NIKKEN SEKKEI LTD All Rights Reserved