→日建グループへ





 PDF版はこちらです→ pdf

(図41)
これは函館山からの眺望、函館の夜景です。私たちは、これが日本あるいは世界を代表する夜景の1つであると認識しています。しかしここでも、この地に最初に足を踏み入れて夜景に感動した人がいるはずですね。戦前、一般の人たちは函館山に立ち入ることはできなかった。ここには砲台が置かれていましたので、関係者以外は立入禁止でした。ですので、夜景のすばらしさは戦後になってから発見・伝播されたのでしょう。第一発見者が誰なのかは今となってはもう検証できないのかもしれません。いずれにしても、大衆が何か1つ景観の価値を発見して、それがより広い大衆に広まっていく。そのように景観の価値が伝播していくという現象が、日本だけではなく世界各地にあることがわかります。
(図42)
2 イギリスにケンブリッジシャーという州がありますが、そこにWimpole Hallという貴族の庭園とハウスがセットになって残っているところがあります。今はナショナルトラストの管理になっています。ここにはむしろイギリスらしからぬ整形式の庭園があるのですが、注目していただきたいのは庭園の軸線の真正面のあるこの白っぽいオブジェです。これは何でしょうか。いわゆる廃墟です。サンダーソン・ミラーという建築家が"つくった"ものです。彼は18世紀にこのような"廃墟を設計する建築家"として、イギリスのあちこちで活躍しました。完成してから300年経っていますので本物の廃墟に見えてしまうのですが、実は最初から廃墟としてつくられたものなのです。廃墟は美しいという観念が18世紀のイギリスには既にあったわけです。人工廃墟(フォリー)と呼ばれています。
では、廃墟を礼賛するような風潮がイギリスでどのように芽生えたのか。産業革命の後、経済的に余裕のできた人たちが、「グランドツアー」というヨーロッパ大陸の旅に出ます。そこでいろいろなものを勉強しながら帰ってくるわけです。そして荒れ果てたイタリアの庭園の姿にさえも、イギリス人は感動してしまった。もちろん、イタリアでは意図的に荒れ果てるようにしたのではなくて、ただ単に管理がしっかりとできていなかっただけなのですが。
それから、廃墟を描いた風景画もありました。本国に帰ってきて、造園家たちはこういった風景を実際に作り始める。「うつし」として、廃墟の美学を持ってきているわけです。
(図43)

4 このようなフォリーはイギリス中あちこちにあります。いろいろな種類のものがあって、これをお話しするだけでも時間が足りません。とても楽しいですが。例えばこのWrest Parkはケンブリッジから50kmほど西にある庭園です。ここにFolly Ruinというのがある。これはもはや確信犯的ですね。「偽物の廃墟」という名前が最初から付けられているフォリーなのですから。これも現在は廃墟に見えますが、最初から廃墟のようにつくられたものです。内部には風呂の跡も残っている。非常に豪華絢爛な貴族の邸宅のちょうど真向かいに、ぼろぼろにつくられたこのフォリーがあるのです。これらのフォリーはあくまで貴族の邸宅の中につくられたものです。今ではもちろんお金を払えば誰でも自由に貴族の元邸宅の中に入ることができますが、当時は一般の人は中に自由に入ることは許されていなかった。
(図44)
6ただ、よくよく事例を観察してみると、貴族たちが人工廃墟をつくったのは敷地内だけではないんです。例えばこのウースター州にあるDunstall Castleという貴族の邸宅の入り口にあるフォリーです。これもサンダーソン・ミラーがつくったものです。ここは庭園の中ではなく、公道です。イギリスの貴族は自分の力を誇示することをよくやります。これもそういうものかもしれません。人目につく公道の道端にこういったフォリーをつくるわけです。ここを通り過ぎる一般の庶民の目にも触れます。
(図45)
次は少しマイナーな事例です。19世紀に入ってからイギリスのサフォーク州につくられたIvy Lodgeという貴族の館です。その館の入口ゲート自体がフォリーになっています。とんがりアーチみたいな形に見えますが、この部分も最初から崩してつくられていた。19世紀に入ると、このように庶民の目に触れるフォリーがかなり出てくる。(図45)
8 次も非常に面白い事例です。ここからは、その後一般庶民が何をしたかがよくわかります。ケント州シアネスにある、Grotto Shaped Follyという名前の家です。Grotto というのは洞窟のようなもので、18世紀のイギリス庭園の中によく現れます。つまり、Grottoのような形をした人工廃墟という名前の建物です。1830年代につくられたものですが、これをつくった人は廃墟建築家でも貴族でもない。農民だそうです。農民が自分の家をこのような形につくったわけです。
特にこの部分は変わった形をしています。丸い樽のような形をしたものが、連続して張りつけられている。実はこの真向かいは海ですが、あるときセメントを積んだ樽が水に浸かってしまい、中で固まって露出されていたんだそうです。そんなものを見て喜ぶ人はあまりいないと思うのですが、この農民の方はそれを見て、これはすばらしい景観だと思ったんでしょう。これを我が家にも是非つくってみようということで、それをモチーフにしてこのような形にした。何ともすごいこだわりですね。そこまでやるかという感じもしますけれども。
これから何が言えるでしょうか。露出されたコンクリートの塊などという、一見何げないものでも、見方によっては結構おもしろくなるんだということをこの農民は知っていたということです。そういう価値観が当時のイギリス庶民にはあったということです。廃墟の価値観が既に大衆化していたということなんだと思います。それを証明する貴重な事例です。
(図46)
その延長線上に今のイギリス人はいるのでしょう。古城の廃墟、しかも欠片しか残っていないようなものをこのように皆で写生している光景に出合いました。何を描いているのかなと思って覗いて見たら、人ではなくこの廃墟を描いている。大変ほほえましい光景でした。こういう価値観は現代にもしっかりと繋がっているということです。
(図47)

10 もっとおもしろいのは、フォリーを新しくつくる会社が1990年代にイギリスに現れていることです。Redwood Stone社です。これはご覧のとおり、人工廃墟の20-21世紀バージョンです。今も注文がたくさんあるそうです。ハンプトンコートの展示会に訪れたときに、たまたまRedwood Stone社の専務の方がいらっしゃいました。古城のてっぺんに専務が乗られていましたので、フォリーに関心があるのですが、と話しかけてみました。そうしたら、君もここに来なさいと言われましたので、すぐに自分も登りました。2人でこの塔の上でいろいろお話をしました。変な光景だったと思いますが(笑) 今や古典であるはずのフォリーが復活する時代になってきているということです。廃墟の価値観がここにきてさらに浸透しているということなのかもしれません。
     7   10 11
copyright 2014 NIKKEN SEKKEI LTD All Rights Reserved