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(図52)
私はテクノスケープが非常に価値あるものだと先ほど散々申し上げましたけれども、私がこの研究を始めるもう1つのきっかけとなったのは京浜工業地帯の風景です。しかし今思えば、学生時代の京浜工業地帯訪問の動機は、研究とは大きくかけ離れたものでした。工場景観はもちろん嫌いではなかったですが、別に研究テーマを探すために京浜工業地帯に行ったわけではなかったのです。私が最初に京浜工業地帯に行った目的は、鉄道の車両の写真を撮るためです。JR鶴見線です。これは当時そこに走っていた昔の旧型国電車両です。鉄道マニアの間では有名な車両です。これが日本で走っているところは当時既に限られていたのですが、その1つが鶴見線だった。学生時代、私はこれを目がけて朝から工業地帯に足を踏み入れたわけです。そのときにこの車窓に展開する景観を見て、旧型国電車両もおもしろいけれども、この工業地帯の景観も無視してしまうにはもったいないものなのではないかと思ったことが研究のきっかけでした。しかもこのような風景の経験は、何も自分だけの話ではないこともわかりました。
例えば、JR海芝浦駅。京浜工業地帯の先端部にあります。改札口を出るとその先は東芝の工場の敷地です。一般の人は、JRの切符を買えばこの駅まで行くことはできる。ただ、東芝の社員証がなければ駅の外には出られないという、ちょっと変わった駅です。次の電車が鶴見方面に戻るまで、我々はずっと待っていなければならない。しかも、ホーム自体が海に面していますので、居心地が良い。ここで釣り糸を垂れる人もいますし、夜になるとビール売りが現れる。そのビールを飲みながら工場の夜景を楽しむといったことも1990年代から話題になっていました。やがてここが名所になって、観光ガイドにも紹介され始めるわけです。それが1980年代です。当時の観光ガイドの中でも、この駅が紹介されています。そして、この駅に至る途中に展開する工場の景観も面白い、ということが書かれています。副次的にテクノスケープの発見があったのです。
1(図53)
これも私の個人的な経験ですが、1997年に私は初めてヨーロッパに行きました。ちょうどテクノスケープの博士論文を書き上げた次の年ですので、かなり浮かれ気分になっていた時期です。そのときに私の指導教官の中村先生から、ヨーロッパで国際会議があるので、そこで発表してみないかというチャンスをいただきました。会議で発表した後、ヨーロッパの町をいろいろ回ってみました。まず最初に私がどうしても行きたかったのは、エッセンというルール工業地帯の町でした。この町に行けば何かおもしろいテクノスケープに出合えるのではないかと思いました。
ただ、当時はインターネットなどは殆どありません。事前に本などできちっと調べておけばよかったのかもしれませんが、ルール工業地帯を紹介する本など日本にはありませんでした。ですので、ほとんど下調べをせずに現地に行ってしまいました。エッセンに行けば何かあるのではないかという期待感だけを込めて行ったのです。今思うと少し恥ずかしいですね。ある意味「勉強不足」で行ってしまったということですから。ただ、実際エッセン駅に降り立つと、想像とはかなり違う光景でした。皆さんもご存じかもしれませんが、ヨーロッパの工業都市というのは大変美しい。工場の煙がもくもくと立ち昇っているようなところも全くないわけではないですが、ドイツなどの場合は非常に洗練された美しい町並みが工業都市にあるわけです。
美しい街並みに感心しながらも、ドイツの代表的な工業都市の何をどう見たらよいのかわからなくなってしまった自分は、ひたすらエッセンの町の中を彷徨ったわけです。そのとき、街角にこんなものがパッと現れたんですね。私は鉄道が好きでしたので、これは廃線だとすぐわかりました。それから、その向こうにあるものは多分工場ではないか。現在はIKEAの駐車場になっています。そして、この中に入っていくと、そこは「コロッセウム」という名前の劇場になっていました。内部は、まさしく当時の自分が期待していたものに溢れていた。例えばこのクレーン。何とシャンデリアを吊っています。本当におもしろいことをやるなと思いました。こういう場所に、ついに出合えたわけです。
これも偶然なのですが、コロッセウムの入口にパンフレットが置いてありました。そこには、ここからバスで30分ほど行ったところに工場跡地があって、そこで今おもしろいイベントをやっているということが書かれていました。実はこれは、今や日本でも有名になってしまった「エムシャーパーク」なのですが、その一部であるゲルゼンキルヘンという炭鉱の町が英語で紹介されていました。かつての炭鉱施設が残っているところです。ここに新しい機能を入れて人を集め、さらに生態の改善や経済活性化も狙った全体的な地域おこしのプロジェクトが現在まで続いています。1997年はこの事業がちょうど波に乗ってきた頃でした。
ただ、1997年当時、ゲルゼンキルヘンなどという片田舎の町に、こんなプロジェクトが計画され、ブンデスガーテンショウという大規模なイベントがこの期間に行われているという情報を得ることは、恐らく日本では不可能だったのではないかと思います。自分はたまたま、非常にラッキーだったということなのかもしれません。一方で、ここに私がたどり着くことができたことの背景には、コロッセウムとの偶然の出会いがあった。そして私としても、心の中に何らかの「下準備」みたいなものがどこかにあったのではないかと思っています。何だか自慢話みたいになってしまって恐縮ですが、ドイツのテクノスケープとの偶然の遭遇を見逃さない「選球眼」だけはしっかりともっていた。これがたいへん重要な鍵であったと今は思っています。
(図53)
2 次は日本の事例です。金沢市にある末浄水場です。2001年に国の有形登録文化財に登録されました。この浄水場のろ過池や浄水井など一連の施設が歴史的に価値があることが認められていました。
2001年にたまたま金沢で土木学会の土木史研究という学会がありました。浄水場そのものに私はかねてから深い関心がありましたので、登録文化財に答申されたばかりの末浄水場を見に行きました。これも偶然ですが、その日は年に数度の「一般開放日」でした。登録文化財になっている施設も素晴らしいと思いましたが、入口近くに面白い空間があることにすぐ気づきました。意味不明なコンクリート製のオブジェなどもあり、これも実は面白い、重要な空間なのではないかと直感しました。その後、現地でお話した浄水場の方と一緒に研究を始めました。資料や地元のご老人へのヒアリングなどを通じていろいろ調べてみたところ、この「庭」が実は昭和初期の浄水場の空間整備を理解する上ですごく重要な遺産だということがわかりました。時間が無いので今日は細かくご説明はできませんが、この研究が基となり2010年には浄水場園地が国の名勝に指定されるに至りました。もちろん、土木遺産としては初の名勝指定です。
(図54)
この写真は、2001年の庭の状態です。木が生い茂っています。その後、2010年の国名勝指定の後、このように整備されました。整形式庭園の対称性と浄水場の施設全体の機能的な対称性がうまくマッチされた空間になっているわけです。非常に秀逸なつくり方をしています。
 ここでもいろいろな偶然が重なったような気がしています。まず、そのときに私が浄水場に訪れるという行動を取ったこと、それから浄水場を訪れた日がたまたま水道週間で、普段は入れないところにも入れたということ。そしてこの空間が何かおもしろそうだなということに気づいたこと。「散歩」と同じように、全ては「行ってみよう」という行動によって始まったわけです。

 

 

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