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1. はじめに~帝都復興とは何だったのか
2 . 大正の「現代」~民権論の世相と第1次世界大戦後の世界
3. 景観を誇示する都市~「東京節」が謳歌した帝都
4. 帝都炎上の惨禍~大震災をたどる演歌 
5. 復興の速度感~「コノサイ」こそ民意
6. 燃え落ちた旧社会~純白のキャンバスの出現
7. モダニズムの帝都~復興小学校の奇跡 
8. モダン行進曲~モボ、モガの昭和東京
9. 結び~なにを学び、なにを残すのか 

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そこで新潮社に私から話をさせていただいて、『帝都復興史を読む』という新潮選書を出しました。大正12年9月1日に関東大震災が起こって、およそ6年半たって『帝都復興史』という本が出ました。これは高橋重治さんという今でいうとフリージャーナリスト、経済の業界紙記者という感じの人ですが、個人でそれをつくられました。私家版で1冊の厚さが8センチぐらいあり、それが3巻、三千何百ページを一人で書いた。彼は個人の思いを書いたわけではなく、帝国議会も取材をし、歴代の首相にも前書きを書いてもらい、半分公認みたいな形で情報は公共からしっかり確保しています。その本が手元にあったものですから、読み出したところ、物すごい速度で復興をやっていく体制が関東大震災のときにはできていた。9月1日に地震が起こって4週間たたないうちに帝都復興院が設立をされます。9月1日に地震が起こって後藤新平が最初に帝都復興案を語ったのは9月6日です。彼はもちろん東京市長をその前にしていたので、いわゆる大風呂敷と囃された8億円東京大改造計画を立案していたからできたことではありますが、それにしても震災の焼け跡がまだくすぶっているときに、政治家のほうから、こういう東京にするんだというメッセージが出されたわけです。政府の内務省の外郭独立機関の帝都復興院が設立されるまでがその後およそ3週間でした。
そのころ政治がしっかりしていたかというと、地震が起こった日には内閣がなかった。8月の終わりに加藤友三郎前首相が亡くなって、山本権兵衛に首相になるように大命降下したわけですが、組閣できず、地震の起こった翌日に内閣ができました。今とすごくよく似た時代、二大政党があって足を引っ張り合っている。そんな時代でしたが、帝都壊滅という事態を受けて、みんなで復興をやろうという機運が盛り上がった。大正天皇は病身であられたこともあって、昭和天皇が摂政の宮を務められていて、摂政の宮からすごく速いスピードで詔書が出た。東京が余りにひどく焼け落ちたので遷都するんだという噂が広がったときにも、「遷都しないんだ。ここで復旧じゃなくて復興するぞ」という強いメッセージが、摂政の宮、つまりお上から出た。「江戸っ子は昨日のことは忘れやすい」と、その『帝都復興史』に書いています。つまり、災害があってもすぐ忘れて、その気になってハンマーを持って立ち上がったというのもそれほど嘘ではない感じで帝都復興に東京あげて突入しました。
それと比べたときに一体どうなっているのでしょう。つまり、1923年に震災が起こって、それから90年近い歳月が過ぎたときに、何がしかの教訓を学んだ上で、かつての失敗を肥やしにしながら一歩ずつ前に行くのが我々の時代の人間だろうと思います。建築界はそうだったはずだと思ったときに、今日のニュースでもまだ何も建っていない海辺の土地ばかり映っていましたが、帝都復興の時代と現在の東日本大震災の後の落差を社会の人に知ってもらいたいというのが、本を新潮社から出していただけないかとお願いした一番の気持ちでした。
1年経ったら少し変わるかなと思って3月11日を待っていましたが、何も起きない。昨日あたりはNHKの「クローズアップ現代」で、見つからない家族を探している人たちの話をやっていました。それは物すごくちゃんとした話でしたが、その一方で、行政、我々のような建築業、建設にかかわっている人間がやるべき仕事はほかにあるはずです。ワークショップに行っている方はたくさんいらっしゃるんですが、その方たちを生かすような行政への働きかけ、行政そのもののあり方を見たとき、現実を凝視しないかのよう時間感覚でこのまま行くと東北はどうなっていくのか。日本の21世紀の中でどんな姿で東北に機能してほしいのか、役割を担ってほしいのか、そういうことをちゃんと見定めないまま時間だけが過ぎていく。予算というのは、皆さんもご存じのように、使ったらなくなるのではなくて、時間が経つとなくなるものです。何一つ上屋も建たないうちに1年半の時間が過ぎてしまった。
今日は、そういう愚痴を言うというよりは、昔はこんなに元気だった。元気だったから、私も含めて、少しは爪のあかを煎じて飲まなきゃいかぬだろうという気持ちで見ていただけたらと思います。
NSRIのこの集まりで話させていただくのは2回目です。どちらかというと、今日は聞いて帰っていただいても実務に役に立つことはなくて、大正の歴史、昭和の初めに社会がどうだったかという時代解説の話です。私は大学の授業で、学生たちに今日飲んだ薬が今夜効いたり明日効いたりしないんだ、いつか役に立つことができると言っています。そんなつもりで、日本の社会、これからの復興に対して、何がしかの参考を皆さんで読み取っていただければ幸いだと思っています。
仰々しいもの(ギターとマイク)を前に置いてあります。斉藤和義という人が原発批判の歌をつくって、その後斉藤さんを支持する人たちがいっぱいあらわれて、彼はオリコンのヒットチャートで初めて1位になりました。歌が持っている力をこういうときにも使うべきではないか、あるいは大正時代に強靱な大衆がいたために復興が成り立ったのではないかという仮説をつくってみて、演歌復活を最近やっています。ただ長いので、ちょっと我慢して聞いていただかなければいけないし、歌詞が文語です。歌詞をお見せしますので、歌詞を見て聞いていただけたらと思います。今日は社会と震災復興にかかわるものに限って何曲かやります。



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