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1. はじめに~帝都復興とは何だったのか
2 . 大正の「現代」~民権論の世相と第1次世界大戦後の世界
3. 景観を誇示する都市~「東京節」が謳歌した帝都
4. 帝都炎上の惨禍~大震災をたどる演歌 
5. 復興の速度感~「コノサイ」こそ民意
6. 燃え落ちた旧社会~純白のキャンバスの出現
7. モダニズムの帝都~復興小学校の奇跡 
8. モダン行進曲~モボ、モガの昭和東京
9. 結び~なにを学び、なにを残すのか 

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8.モダン行進曲~モボ、モガの昭和東京

(図167) 
モダンというのはその当時流行歌になっていた。飛行機、文化住宅、空中旅館が歌詞に登場する。空中旅館は、高層ホテルという意味です。テレビなんて見たこともなかったのに、モダンのシンボルとしてテレビジョンも歌詞に出てきます。その「モダン節」は昭和4年デスカラ、ル・コルビュジエが「サボア邸」をつくった頃ですよ。日本は、そういう意味では進んでいました。庶民の間でこんな歌を歌っていたわけですから。
(図168)
川端康成が『浅草紅団』という今のトレンドレポートみたいな小説を書いています。これはなかなかおもしろいものです。「言問橋に頬ずりする少女」というんですね。ちゃんとデータが入っている。158.5メートルと川端康成はちゃんと調べて、「緩やかな弧線で膨らんでいるが、隅田川の新しい六大橋のうちで、清洲橋が曲線の美しさとすれば、言問橋は直線の美しさなのだ。清洲は女だ、言問は男だ。だから、夏子は欄干の鉄に頬をぴったり載せて、『おお、冷たい。』」と。橋に頬ずりする、これが新しい感覚として広がっていくわけです。
『雪国』を書いた人がその直前によくこんなものを書いたなと思います。「コンクリイトの魅力なんか、最早分かりやうもあるまい。『尖端的だわね。』といふすさまじい小唄映画を松竹蒲田で作るさうな。「鉄筋コンクリイトだわね。」といふ小唄映画も今に出来るだらろう。」とか、どういう感覚だったのかなと思います。
公衆便所を小学生がみんなで掃除している。それはコンクリートがすばらしいので、つい掃除してしまうんだという感覚を書いています。
(図169)
復興の浅草の中心になったのが「地下鉄タワー」で、よくも東京メトロは壊したなと私は思っています。残していれば観光の中心になった。『浅草紅団』の中で30ページぐらいはタワーの話が出てきます。川端康成が書いたのを知らなかったでしょうか、建築自体もついこの間まで残っていた。それを昭和初期の姿に復元するのはそう難しくはなかった。しかも、川端康成はこの建物の色も全部書き残していた。上がってこの四方に何が見えるか全部書いています。挿絵もついている。地下鉄タワーを「『時代の最先端をいく文化の花』と電車の内にまで広告している、地下鉄食堂の屋上で、白い幕の下から木綿の靴下がのぞかせながら、女給が隠れて吹くハァモニカ」、こういう風景。彼はこのころ一種のシュールレアリスムみたいな小説を書いていましたから、そのような表現になったわけです。
「都会交響楽」という溝口謙二が撮った映画があります。今は失われて誰も見られない映画です。これはドイツの純粋映画を見て、溝口が撮ります。歌は西条八十の作詞です。「重いハンマア、伊達には揮らぬ」。プロレタリアとブルジョアの対決。こんなものをよく流行歌にしていたと思います。そこにジャン・コクトーの話が入ってきて、スウェーデンバレーで「エッフェル塔の花嫁」をやって、さっきの地下鉄のタワー、「浅草の塔の花嫁なの、私」というくだりが出てくる。世界の文化状況はこのころはすごく近しかった。その同時代のものを自分たちはやっているという感覚をすごく強く持っていた。

9.結び~なにを学び、なにを残すのか

1925年、治安維持法と普通選挙法が同時にできました。言論封圧。それから、公会堂ブームというのが全国で起こります。例えば豊橋の公会堂。屋上にナチスのワシが載っているような公会堂ができます。二律背反です。民主主義と言論封圧がやってくる。やがて戦時体制になって資材統制が始まって、もう建築はできなっていく。そして大空襲になって、戦後はアメリカ主義によって国土が再建されて全部商業主義になったという非常に悲しい話で最後は終わるということです。
ただ、このてんまつを見たときに、民衆にとって世界は近かったし、公共の責任感も強かった。モンスターペアレント流ではない公共に対する要求も強かった。それをどれぐらいに我々としては今次の復興の中で生かしていくか。余りに枠が大き過ぎてこの話は煮詰まっていかないんですが、枠の大きさを保たないと、いつまでも、NHKのルポみたいに、かわいそう、かわいそうになってしまう。建築に関わっている皆さんから見て、こんな仮設商店街はどうなんだというものがどんどんつくられてしまい、お金を浪費していくんです。もう本建築をつくっていなければいけないのに、今仮設をつくっているようなところがあることに憤りさえ覚えます。
皆さんにぜひ意識を持って復興に主体的に臨んでいただきたいなというのが、今日の私の最後のお願いです。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
谷 どうもありがとうございました。きょうは貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。それでは皆様、先生にもう一度大きな拍手をお願いおたします。(拍手)
以上をもちまして本日のフォーラムを終了させていただきます。
(了)

 



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