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(図1)
 この写真は私が撮影したものです。皆さん、何だかおわかりになりますでしょうか。これはフィレンツェの大聖堂の前にある時計の写真です。現存する時計の中で、最古ではありませんが、非常に古い時計です。この時計を見ますと、今の私たちが使っている時計と随分違う。まず、短針が右回りではなく左回りになっているということ、これは余り大きな意味はありません。数字の盤が1から24まで並んでいる。1日で短針が1周する。1回しか回らないんです。今私たちが使っている時計は短針が2回回るんです。不思議に思いませんか。私はすごく不思議に思ったことがあります。 昔は、息子が中学校に入学すると、父親は、関西のしきたりかもわかりませんが、お祝いに時計を買ってくました。子ども心に中学生になったという喜びをかみしめて、腕時計を毎日うれしそうにつけて学校に行っていました。ある時にふと思いました。どうして時計の短針は、1回でなく2回回なければいけないのだろうと不思議に思いました。24という数字はいかようにも切れるんです。24の位置でもいいし、12でもいい。4でも3でも6でもいい。4回回っても別に問題ないし、6回回っても構わない。中学校の社会の先生に質問しましたら、ひどく怒られました。「そんなつまらないことを考えるな。そんなことは大学行ってから考えろ」と言われましたので、京都大学に入学しまして、世界史の野田先生に同じ質問をしました。「短針がなぜ2回回るのか、不思議に思いました」と言ったら、野田先生は喜んで、「いい観察だ。実はそれには深いわけがある。」となり、そこから3時間、4時間の講義を受けました。

(図2)
その野田先生に、未だに覚えていますが、フランス語で書かれたル・ゴフの『時間革命』に関する本を、「これを読め」と貸してもらいました。読めるわけはありません。その後、英訳版が出ましたので、何とか1冊読み上げました。これは8定時課というシステムです。この背景に先ほどの時計が2回回るという話が隠されています。左側に並んでいるのがラテン語です。中世の話ですから、みんな時計を持っていないので、夜中はさすがに鳴らしませんが、教会が3時間ごとに鐘を鳴らしました。その鐘で人々は「時」を知ったということです。特に重要な時間があります。Prime、朝の6時に鐘を鳴らす。今でもムスリムの国に行くと、朝早くコーランが流れ始めます。6時は起床の時間です。夜明けと同時に働きに行きます。中世ですから、ほとんどの人は農業に従事しています。ずっと働きます。その次に重要な時間がnone、15時、3時です。この15時にみんな仕事を終えて、家に帰る。中世のヨーロッパですから、城壁都市の中に住んでいて、三圃式の農地は壁の外側にある。町から出て15時になったら町に帰ってくる。この辺はアジアとは全く違う営みです。
18時ぐらいまでしっかりと御飯を食べるんです。18時になったらおもむろに町へ繰り出していく。そこで酒を飲んだり、友達と遊んだりする。最後のcomplies、21時になったら家に帰って寝る。こういう生活をずっと続けていた。それが8定時課システム。英語で言うとクリスチャンタイムシステムです。
この時間のパターンは、我々が今使っている時間と全く違います。どこかおかしいと思われませんか。一番違うのは1日2回しか食事をしていない。昼御飯を食べていない。朝御飯を食べて、3時過ぎに重たい御飯を食べて、それで終わりです。夜食を食べることはありましたが、食事は1日2回だけだったんです。これは別にヨーロッパだけではなく、アジアでも同じような生活パターンだったということが知られています。

ところが、この時間のシステムが、14世紀、アラビアの国々に侵入した十字軍の遠征直後から壊れていきます。それまでの中世というのは、町から町に人が移動するということはほとんどありませんでした。たまに教会の僧侶が布教のために町から町へ動くことはありましたが、基本的には動かない。危なくて動けない。オオカミはいるわ、追い剥ぎはいるわで、みんな壁の中に住む。壁というのは安全な場所という意味だったんです。ところが、十字軍の遠征の結果、道路ができました。十字軍の遠征というのは道をつくりながら攻めていった。その後は道ができた。当時野蛮だったヨーロッパ人がアラビアに行って、アラビアの高度な科学文化を見つけて、いろいろなものを買って、あるいは盗んで、ヨーロッパに持ち帰った。その中で商人というクラスが生まれてきた。商人たちが町から町へ物を動かすようになってきた。それが14世紀です。
パリやロンドンはこの頃にできました。皆さんご存じのように、港町だった。港湾都市ができたのは物を運ぶようになったからです。それまではドイツ語で言うとブルグ、アウグスブルグ、ヴュルツブルグ、ローテンブルグ。ブルグというのは城壁という意味です。ブルグという語尾がついている町は中世に誕生した。それから後に生まれた町はブルグがついていない。ある意味で、都市のベビーブームが14世紀に起こったのです。商人はこの8定時課システムを不便だと不満を持った。教会に、「このシステムを変えろ、こんな不便なシステムはない」と言い始めるわけです。そしてこのシステムは壊れます。
noneは英語のnoonの語源です。お昼の語源が3時だということです。それが前に動いた。それはどういうことかというと、昼御飯を食べるタイミングを前に持っていったということです。昔は重たい御飯を食べていたけれども、それをできるだけ軽くして、12時ちょうど、真ん中に御飯を食べて、また働いて、夜にもう一回食べるというシステムができた。それと合わせて時計も変わったんです。短針が1日2回回るようになった。午前と午後が生まれた。1日を二等分にした。これによって生産性が倍増した。1日の生産性を増やす。それは商人がつくり上げた偉大な革命だったと言われています。こうした内容がル・ゴフの本の中に書いてありました。
どうして商人はこの古いシステムに不満をもったのでしょうか。古いシステムは農民のための時間システムです。農民にとって人と人とが会うということはどうでもいい、神と向き合う生活をしている。農場に出ていって太陽とともに1日を過ごす。これが当時の信仰から見れば、わかりやすいシステムです。ところが、商人にとってみれば、人と人とが会うということのほうがもっと大事だった。何時間も人と話すことはない、せいぜい1時間か2時間。午前中に人と会って、一緒に御飯を食べて、午後は別の人と会うことができる。そういう人と人が会うという目的のために午前と午後という概念が生まれてきた。14世紀にヨーロッパ、アジアのほとんどの都市で生まれた概念です。それが都市のベビーブームをもたらした。いわゆる出会いやコミュニケーションが、それが都市のベビーブームの原因だったということです。

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