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フリーディスカッション

谷 大変わかりやすいお話を聞かせていただいてありがとうございました。
それでは、皆様のほうから先生に何かご質問のある方、どうぞお手をお挙げください。
土堤内(㈱ニッセイ基礎研究所) 今日はどうもありがとうございました。2つお尋ねしたいことがあります。
1つは、清渓川の高架道路の撤去の件です。撤去することによって、本来あった交通需要はどのようにその後処理されたのかということです。
もう1つの質問は、今日の話の中にも出てきましたように、東大門のデザインプラザ等々、今のソウルの開発は文化政策と非常に深く結びついているように思うのですが、そのあたり行政の組織としてはどんな仕組みで都市政策と文化政策を結びつけていらっしゃるのか、その辺を教えていただきたいと思います。
李 質問ありがとうございます。まず、清渓川の高架道路について説明したいと思います。清渓川の高架道路はソウルの外郭と中心部を結ぶ大きな役割をしていた道路です。地下1階と地上を含めますと、10車線もあった大きな道路でした。1日通行量は17万台にまで上りました。今おっしゃったとおりに、その道路がなくなると大きな交通難になるとみんなが言っておりました。そのような心配の声がありましたが、ソウル市の交通を画期的に変える1つの種になったと言えると思います。まず、政策の方向として、ソウル市内、都心の中では車を運転するのはすごく困難だよということを認識させることが大事だったと思います。幸い、この工事に入るときはソウルの地下鉄環境がすべて整った時期でもありました。8つの路線が完成したのが2000年でした。2002年に清渓川の開発の計画を立てました。撤去を始めたのが2003年の7月でした。そのような努力で、撤去は大きな問題なく進められました。復元された直後に比べますと、ソウル都心部の交通は大分改善されていると言えると思います。
次は、デザインプラザについて説明したいと思います。文化政策と都市政策はどういうふうに結ばれるかということについての質問だったと理解しています。
 都市の管理政策がハードウエアからソフトウエアに変えられたということです。文化施設というのは、ソウル市民たちに休憩する場所を提供するという意味があると思います。
ソウル市はそこよりももう一歩進んだ政策をつくりたいと思いました。また、文化というのは都市の競争力を上げる何よりも大きな役割をしていると思います。文化施設が人を呼び、その場所を都市が提供して都市の競争力を上げていくことが政策として考えられました。それを英語でカルチャーノミックスと言いたいと思います。
谷 質問はまだお受けしますが、私どもの安のほうから、先生のご紹介と今日の講演会を開きました経緯について少しお話をさせていただきます。
安(㈱日建設計副社長) 李博士、どうもありがとうございました。今日の講演会の企画に携わった立場から一言。特に先ほど来、先生はご自分のことをほとんどおっしゃっていないので、その辺のことも合わせてご紹介させていただきたいと思います。
実は3年ぐらい前だと思いますが、先生を一度お招きしてお話をしていただいたことがあります。そのときはまだ現役のソウル市の都市計画の最高責任者でいらっしゃいました。もっともっと大きな講演会だったと思います。そのときのお話も非常に感銘を受けましたが、今多少ご自由な立場にいらっしゃいますので、今日また改めてお話を最初から伺っていて、ソウル市の都市政策を歴史的に通観する、総合的に、客観的にご覧になっている、その物の見方は大変参考になったわけです。李先生の仕事ぶりを以前からずっと注目しておりました。
一番最初の出会いについてご説明します。今日見事な通訳をやっております日建設計の社員のイ・ジヘがソウルで仕事をしている折に、仕事も軌道に乗ってきたし、そろそろ支社を開設したいと考えました。いろいろとご支援していただける方を現地で探しておりましたところ、ある方のご紹介で、今はかわりましたが、当時のソウル市長の呉世勲市長に面会がかなう、しかも、そこで我々がどういう仕事をしているのか、どういうことができるのかというプレゼテーションもできるというまたとない機会を得ました。会議室に入ってびっくりしましたが、市長が、各局長をズラッと並べて現役の局長にも話を聞かせてほしいということでした。その中に李仁根博士もいらしたわけです。
大した話ができたわけではないんですが、我々がどんなことをやっているかということと、ソウル市という町を都市計画、建築の立場からどういうふうに見ているかという意見を率直に申し上げるという大変貴重な機会でした。
その後、博士のほうから、また個別に話をしないかということで機会をちょうだいしたのがおつき合いの始まりで、これで5年半のおつき合いということになるわけです。
1995年から整頓の時代に入ったということを先ほどのプレゼンテーションの中でおっしゃっていましたが、この整頓の時代は、今の李明博大統領がソウル市長として切り開いて、その片腕として李仁根博士がずっと切り開いてこられた。李博士はその後、呉世勲市長と、2人の市長にお仕えになった。整頓の時代、ソウルのリノベーション、清渓川、光化門広場のプロジェクトは博士のお力がなかったらできていない偉大な事業だと思います。

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