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(図15)
このグラフはソウルの成長過程をお見せしています。青い線はソウルの人口の変化です。1960年に200万人だった都市が1990年代に入ってからは1000万人を超える都市になりました。赤い線のほうは1人当たりの所得を見ています。1960年代に1人当たりの収入は60ドルにもなっていませんでした。
(図16)
今までのこの60年間の歴史を3つに分けて説明したいと思います。このように分けた理由は1960年代から本格的な近代化の道を歩いたということでます。1960年というのは韓国に軍事革命がありまして、朴正熙大統領が権力をとった時期であります。

(図17)
そのころは国家経済開発計画を樹立して実行していた時期です。基幹産業を拡充して、輸出を拡大し、SOC建設を活発にやりました。そのころの国の目標は飢餓の人口を減らすということです。ソウルが爆発的に拡張していった時期でもあります。ソウルの人口は600万人に増えました。毎年20万人から30万人が増えてきたということです。私は、この時期を前期開発時代と言いたいと思います。
(図18)
このころ重点的にソウルで推進した事項について説明したいと思います。このように拡大していく都市の規模に合わせて必要なインフラを供給するというのが最大の努力点でした。道路、橋、地下鉄、上下水道などを建設し、土地の区画整理事業が実行された時期です。汝矣島(ヨイド)を開発し、江南(ガンナム)の開発に取りかかる時期でした。
また、都市計画に関連する法令が整備される時期でした。国土計画法、都市計画法、建築法が体系的に整備されました。また、現代的な都市をつくるために都市基本計画が樹立されました。このころの特別の規制をいいますと、開発制限区域をつくる、グリーンベルトをつくるということです。ソウルが拡張し続けても守らなければいけないと考えられたのは、4キロのグリーンベルトゾーンをつくることでした。
(図19)
そのころの幾つかの写真をお見せしたいと思います。この写真は、ソウル中心部から金浦空港に行く道を整備する写真です。このように人力で道路をつくっています。
(図20)
市内のいろんなところで道路を建設する様子です。
(図21)
 ソウルの中心部のど真ん中にある光化門交差点は地下歩道がつくられました。この白く見えるのは地下歩道に入るキャノピーです。この時代のソウルには5万台ぐらいの車がありました。

 

 

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