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(図23)
この図とこの図、似たような図ですが、この段階で明らかに、道玄坂や、神宮通りなどの道路は、東京の大きな幹線道路とは違う位置づけを与えられている。私はそのように理解をしたわけであります。
(図24) 
このとおり実際にでき上がってくるわけです。昭和33年ごろの写真があります。戦災復興土地区画整理事業でこうして駅前広場ができ上がってくる。
(図25)
 その後も、都市計画としては鉄道など入ってきて、今日の渋谷になっている、それならば、将来の渋谷をどう考えるかといったときに勝手に描いたのがこの絵です。

 

 

 


(図26)
2005年3月は、まだ渋谷の実務にかかわってない頃です。これとこれとこれが大幹線、神宮通りとか道玄坂は地区内道路。そこに今たくさんの通過交通が走っていたりするが、それははやめたほうがいいのではないのかなと。駅前広場も、本当ならば246から入りたくない、ということも考えながら、ハチ公前広場と渋谷のまちをつなぐなら一気につないで、これは簡単に補助線にしたらどうかなどという絵を勝手に描いて、勝手な研究会で言っていたわけであります。
(図27)
そのうちに渋谷の実務に正式にかかわるようになってきた。当時、渋谷のまちの全体の構想に関してはこんなことを言っておりました。今の駅前部分は渋谷のコアとして、何となく渋谷と呼ばれているが、我々が狙っている渋谷はそうではないのではないか。世界に生活文化を発信するのはこんなところだけでできるものではない。青山通り、原宿、松濤、中目黒、代官山といった地域も含めて、これが我々の意識している大きな渋谷なのではないか。この渋谷こそ、世界に発信できるものである。そこが新宿とは違う。新宿はこうはなってない。南口はある、西口はある、東口はあるけど、地域独自の個性を持ってまとまって大きな大新宿をつくっているわけではない。渋谷とそこが違う。
(図28)
このように3段階ぐらいで物事を考えて何かやったらどうかということを勝手に言っていた時に、たまたま2006年からお手伝いをするようになりました。ラージ渋谷というのは一番大きなところですが、渋谷のいろいろなストリートを大事にしたほうがいいのではないかということをその時は考えていたわけです。
(図29)
2007年、まちづくりガイドラインをつくる作業のお手伝いをすることになりまして、いろいろと議論を重ねて、今日の渋谷の計画の骨格ができ上がってくるということです。
(図30) 
簡単に言うと、「世界に開かれた生活文化の発信拠点」ということです。先ほどもあったように、丸の内と渋谷の両輪で東京を国際的に発展させる、それぐらいの話をぶち上げた。一方で、広場・坂・路面店を生かしためぐり歩ける環境と共生するまちを目指して、“渋谷”のリーディングコアをつくる、といったことをキャッチフレーズにして、戦略としては7つ考えましょうということにしました。「渋谷を発信する」、「谷を冷やす」、「都市回廊の創出」、「人間中心のまち」、「安全・安心なまち」、「渋谷らしさの強化」、「みんなで育てるまちづくり」といったことを内藤先生にいろいろ指導をいただきながら、みんなで言葉にしてきたわけであります。この戦略に従ってそれを形にすると何が起きるのかということを解いていったらいいのではないか。
後ほど細かくご紹介がある各建物のデザインにつきましても、当然こういった基本的な渋谷に対する思い、考え方をできるだけ反映してもらおうということで取り組んできたつもりです。もちろん個々の建物がどういうデザインになるかという前に、渋谷のまちというのがどういうふうに構成されるのかを決めなければなりません。そのときにも、こういった戦略は当たり前のごとく生かさなければいけません。
(図31)
「渋谷を発信する」ということで言うと、丸の内とは違うアーバンデザインが重要です。渋谷というのは、先ほど言ったとおりいろいろな地区があり、個性がある。それをみんなが楽しんでいる。変化もある。決まったものがバチッとあって、それにみんなが従ってというのとは違う。渋谷を発信する機能が絶対要るよね、そのためにはせっかく近くにあるNHKを使わなければいけないだろうなんてことも議論しておりました。色が変わっているところがまだ思い半ばにしてできてないところであります。発信機能のしつらえは、もちろん空間ができていませんから、これからかもわかりません。NHKとの連携もまだ十分ではありません。
「谷を冷やす」ということになると、渋谷川をもう少しきれいに使えないか、緑を確保したい、建築物の環境性能を高める、一時期はごみ焼却場の熱を使って何とかできないか、などが議論になりました。その他、いろいろなことが議論にはなりましたが、結果的には各ビルごとでそれぞれの環境性能を高めることになりました。
また、風の道というのが、鉄道の線路を通って、当然南のほうから来るだろう。鉄道の上だけは低くしたいということをずっと言っておりましたが、これは思い半ばにして敗れています。一部下げましたけれども、鉄道事業者、開発者のほうとすれば、その部分を分断されるのは非常につらいというので・・、私自身は今でも十分ではないと思っています。
「都市回廊の創出」という意味では、アーバンコアという概念を入れ込みました。命名者は内藤先生です。都市のさまざまなところにコアを置きます。
そのほか、246の分断を何とかしなければいけない。南口の設置はできないか、さらには東西南北の連携の空間をいろいろ評価しましょうという話になりました。先ほど4階部分をデッキでつなぐという話がありましたが、JR線の上に床を張りますと、スーッと青山方面まで行けるようになります。それを使って人々が安全・安心に歩けるという工夫もあるだろう。あるいは今の渋谷駅の東西を結ぶ通路は非常に混んでいますので、あの辺をもう少し広くしたり、さらには246を越えるデッキをどう考えたらいいだろうなど、そんなこともいろいろ議論しながら、今日に至っています。
「人間中心のまち」の中では、最初に開発の皆さんから出てきた絵はごく普通の駅前広場でした。駅前広場を少し南側に持ってきていましたが、今、車道を挟んで真ん中にあるバス停が単に建物側に寄っただけという駅前広場の設計で、これでは何をしているか全然わからない。先ほどお話ししたとおり、私自身は駅前に通過交通を入れなくてもいいだろうと思っていましたので、今の神宮通り(西口のところを通過している6車線か8車線)の車線数を大幅に削減しました。結果的にハチ公前広場は広がることになります。それと、附置義務の駐車場、もちろんそれ以外にもさまざまな駐車場は要るだろうということで検討しましたが、最近東京では駐車場は余りぎみです。駅前に無理に持ってきて、そこに無理やり車を引き込むのはいかがなものかということで、都市計画的な駐車場は移動制約者の方に限ろうということで現在進んでいます。移動制約者向けの駐車場として都市計画駐車場は駅前に用意はしますが、基本的には公共交通を使って来ていただくということを考えました。
そのほか、多様な歩行経路、広場、駅の改良といったことをやるわけですが、何せ周辺の街区には手を触れておりません。今ある西口と東口の広場は面積的には何も変わっていないんです。そこで何か新しく人間中心の歩行空間を入れようとしても、そう簡単にできるものではない。何かをいじめないとできない。
そこで、建物の下を使わせていただくということになりました。立体都市計画でビルの下の部分にバスが入るような工夫になりました。西口のところは、タクシーがずっと並ぶ状況でしたので、タクシー乗り場を地下に持っていく。ちょっと無理をしているかなと思いながら、そんな工夫もしています。


 

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