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これは宮城県とは全く違うと思うんです。そこでどういうふうに町を移していくかというと、簡単に高台へ持っていって、そこに移り住むという形ではなかなか心情的に理解できないと僕は思いました。
もう1つは、区画整理や宅地造成というのは都市計画の最たるものです。ところが、これは物すごく時間がかかります。単純にいうと、地籍が国有地だったら国有地を区画整理して宅地造成するとサッとできますが、そこに何百年というしがらみの中でつくった複雑な土地の相隣関係と地籍があります。これを解いていくというのは大変なことです。皆さんは町の中で再開発をされていたら、嫌っていうほどお感じになっていると思います。ですから、役人が5年でできると言っても、できたためしがない。大体10年から十何年かかるんですね。
ここで思いついたんですが、避難ビルのモデルを僕はつくった。避難ビルを200メートルに1つずつつくる。1つの避難ビルが支配する市街地が4ヘクタールとして、200メートル角の真ん中に避難ビルが1つある。グロスの東京の人口密度は23区で170人ぐらいです。約200人。200人で算定すると4ヘクタールで800人。そのユニットを海沿いに3つつくって、奥にまた2つつくる。3列2行で、4800人です。5000人ぐらい。これから20年後ぐらいに、三陸と福島では人口が減る。2050年のそういう地域の人口予測は、津波の前の国土政策局がつくった中期見通しで、三陸とか福島の海岸ぷちは3割減る。地震を受けますと、そこの人口は昔から減るんです。戦災復興も関東大震災もみんな減るんです。昔の市街地で大槌なら大槌で7000~8000人住んでいた。7000~8000人に戻るかといったら戻らないんです。7000~8000人のうち、6割として5000人ぐらいしか戻ってこない。3000人は戻らない。
そういうユニットで避難ビル1つ1つをつくって、1戸床面積80平米ぐらいで6個並べます。それをずっと4階、5階と積み上げます。屋上の面積は80平米の6個だから480平米です。先ほど僕は800人といいました。480平米で1平米に2人入れればおさまってしまう。通常、地震の時でも、新宿御苑や神宮外苑で1人どのくらいの占有面積かというと、1平米と考えて、津波で4~5時間しのぐというなら、1平米に2人でも十分なんです。
それから、お年寄りが多くなる。大体5分以内に津波が来て、5分以内に避難ビルに到達しろということを中央防災会議でいっています。お年寄りが一番遠くに行っても、直線で100メートルです。グダグダ回っても150メートルです。お年寄りが平均時速2キロぐらいで歩いても150メートルなら5分ぐらいで行く。いいたいことは、もう一回町を再生する時に、現状の通りはそのままにして、それぞれの土地の所有権も所有地もそのままにして、そこに、木造で結構です、昔より性能のいい、燃えにくい倒れにくい建物をどうぞお建てになって、豆腐屋さんをやってもいい、代書屋さんをやってもいい、歯医者さんをやってもいい。それを現状の道路に面してずっとつくって、その後ろに建ぺい率40%ぐらいだったら、700だから2000平米、600坪ぐらいのところだけ新住法か何かで強制的にこれだけ買ってしまう。表通りではないから売ってくれるでしょう。そこへ避難ビルを建てる。そうすると何が起きるか。避難ビルを中心にして普通の市街地になります。津波の前のように道路に沿って建物を建てて生活していて、危ないぞといったときには避難ビルへ逃げる。65歳の少し足の悪いおじいちゃんでも、それだったら、道を行ったり来たり、角っこ角っこを曲がりながらでも5分ぐらいでたどり着ける。そういう模式図ができる。
何を言っているかと言いますと、もともと地震が起きなくも人が減っていくところで、時間をかければかけるほど人はいなくなるんです。国土計画局の中間報告では、2050年には今1人でも住んでいる宅地、東京の宅地もあるし、大槌の宅地もありますが、宅地の2割は人がいなくなるというんです。人がいなくなる宅地が2割というのは、東京ではいなくなりませんから、大体が今いった三陸のリアス式海岸のところとか福島、そういうところで人がいなくなってしまう。それまで時間をかけていいか。人が減るといっても、やっぱり早目早目にそこで仕事をしたいという意欲のある若い人を入れる町をつくるほうが、僕は都市計画家ですけれども、もっともらしく区画整理をやったり、新住型の宅地造成をやったりするよりは早いかなというのが、この間7月に皆さんにお話しして半年経つ間に考えていた話です。
これは、どうしても根の深いつき合いがある久慈から三陸、雄勝、女川ぐらいまでのところはそうなんです。だけど、仙台平野、例えばテレビに出ていた亘理の荒浜、ああいうところは根が浅いんです。海辺の住宅地を悪い不動産屋にだまされて買ったところは全部やられました。そういうところは、もうこんなところに住むかというので、高台移転をする。これは当たり前の話です。石巻の中途から東松島、山元町、その辺のところの新興住宅地は思い切って高台移転してしまう。そういうことで一向に差し支えないと思います。
そういう場所と地形と歴史的な町のつくられ方を頭に入れながら、それに相応しい、そしてスピードの速いまちづくりを考えていくのも1つの考え方としてあっていいんのではないかという話を、ここ2~3カ月しています。
こんな話で40分過ぎてしまいました。7月に宿題を解くという話をしてしまったものですから、その一部分です。
(図1)
 これはアチェです。向こうが海です。こういう住宅です。写真で撮ったのが津波避難ビルです。津波避難ビルはJICAの金でしかできてないです。あとの細かい国際的な援助は、こういう機能を改善するのに水が砂にしみ込むように吸い取られた。
(図2)
 ここは海ですから、水面から2メートルぐらい上がってつくられています。4階建てです。ここは平気です。この上は絶対助かっているはずです。何も影響がない。
(図3) 
 先程言った復興計画はこれです。ここへ津波避難ビルをつくって、半径200メートルには、商売されている方が戸建てをつくってもいい。これは住宅。この通りは昔どおりに建てて結構です。ただ、後ろ側に約2000平米ぐらいの空き地を買って、ここに津波避難ビルをつくる。そうすると、こういうところのおじいちゃんも、この道を四角に曲がっていきながら、大体5分以内で行けますよということです。これを大きくしますと、600メートルの中に、津波避難ビルを4つつくる。そこに800人。そのほかに別におじいちゃん用の特別養護老人ホームなどをつくる。こっちには保育所や幼稚園をつくる。ここは、できたら65歳以下の人たちが商売する。こういうことができないか。これは岩手県の小さい村のつくり方です。昔どおりの道をそのまま生かすということができるのではないかということを図面にしたものです。

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