→日建グループへ





  PDF版はこちらです→ pdf


それから、5月22日の開業に至るまで、あっという間の月日だったのではないかと私は思っております。
そういう意味で、前半は、東京スカイツリーの誘致、完成までの流れと、それにかかわる行政のさまざまな施策の取り組みをあわせてお話をさせていただきます。後半は、何故ここに建ったのかという必然性と関連して、江戸以来の伝統文化、歴史が残る街、それを生かして観光をしっかりやりなさいというメッセージがありますので、今どういう取り組みをしているのかというお話をしたいと思います。
(図1)
まず最初に、誘致が決まった後、私は、この押上・業平橋地区のまちづくり、グランドデザイン策定にかかわりました。その際に、専門委員のお1人に江戸東京博物館の竹内誠先生がいらっしゃいました。
(図2)
竹内先生にお願いに行ったところ、この絵のことを教えていただいたんです。これは、鍬形恵斎が1809年に描いた「江戸一目図屏風」というものです。両国橋、吾妻橋、永代橋がかかっています。隅田川があって、江戸城があります。この絵はまさに押上のあたりの600メートルぐらいから見た絵ではないかというのが竹内先生の説でした。私はそれ以来この話をしています。これが誘致決定のときのエピソードです。200年以上も前にこういう絵があったということです。
(図2)
両国橋の真正面に回向院があります。一の橋、二の橋という堅川に架かる橋があります。そして、ここに百本杭というのがあります。JRの鉄橋ができるまであった隅田川の波消しのための杭です。
(図3)
スカイツリーに上って、350メートルのエレベーターをおりると真正面にこの絵がありますので上ったらぜひ見ていただければと思います。
それでは最初に、スカイツリーの紹介として、比較的新しいDVDをスカイツリー社からお借りして、今日持ってまいりましたので、それを映します。

(動画上映) 

1.東京スカイツリーの誕生と「下町文化の創成」

今日皆様のお手元にお配りしてある資料をご紹介します。「すみだものづくり探訪」、3M(Museum、Meister、Manufacturing  Shop)マップと呼んでおります。墨田区の地図を兼ねておりますので、後ほどご紹介いたします。スカイツリー社からいただいておりますリーフレットがあります。「東京スカイツリー2012年春開業」。「すみだ観光まる得ブック」、これはフリーペーパーです。先週でき上がりました。観光協会と区が共同で作成したものです。最後が「すみだ地域ブランド戦略」のパンフレットです。この4点です。
(図4)
それでは、何故スカイツリーの誘致をしたのかという話からしたいと思います。墨田区はもともと、中小零細企業の製造業が集積した街です。これは歴史的にそういうことで発展してきた街です。ご案内のように、1970年、今から40年前は9700あった工場が2000年には4800、そして2008年には3400、40年で3分の1になっている。ここ10年でも3分の2ぐらいに減っているという状況があります。ものづくり機能の海外移転が背景にあります。住宅化が進展して、ものづくりを取り巻く環境がかなり変化してきている。ものづくりの衰退が著しいということです。
そこで、私どもの山崎区長が考えた結果、これからの墨田の施策からものづくりを捨てるわけにはいかないので、ものづくりの再生をしていくために、観光というテーマが出てまいりました。
ここに書いてあるとおり、国も小泉政権あたりから、ビジット・ジャパン施策を提唱したり、東京都もそういった施策を打ち出してきた。それに合わせたように、墨田区も平成16年に観光というテーマで振興プランを策定したのが、ちょうどタワーの誘致の時期に重なったということです。
(図5) 
山﨑区長が誘致の表明をするわけですが、その時期は、2003年(平成15年)に放送事業者の在京6社が新タワー推進プロジェクトを発足してから1年後の平成16年12月です。この時は、「まさか、墨田区が手を挙げたって、話にならないよ」というのが大方の意見だったそうです。
先月、新タワー候補地に関する有識者検討委員会の先生方と放送事業者の方々、東武鉄道、スカイツリー社、我々で、タワーの開業直前の総括的な会議をしました。そこで当時のことを振り返って、学識経験者の先生方が言っていたのは、「15手が挙がっていたので、まさか墨田になるとは思わなかった」「今さら何を言っているんだ。かわいそうだから、入れておいてやろうか」という感じで最後の15番目に入ったというのが実際だそうです。放送事業者の方も「まさかと思っていた」と言っておりました。
(図6)
そんなことがあって、2005年3月に15の候補の中から6つに絞り込まれ、さらに墨田・台東エリアが第一候補になりました。ただ、この時は最終決定ではありません。3つの条件がつきました。墨田・台東が連携してやるという話が1点。住民の反対があったら進まないというのが2点目。防災の取り組みをしっかりやるというのが3点目。
こうした条件を踏まえて、墨田区と台東区では、2005年7月、墨田・台東新タワー誘致推進連絡会を結成しました。そして、誘致の最終実現に向けてさまざまな取り組み、例えばシンポジウムや意見交換をやり、何とかしてここへ持ってこようという動きをしたわけでございます。そして、平成18年3月末に最終決定がされました。

 

2        10 11 12
copyright 2012 NIKKEN SEKKEI LTD All Rights Reserved